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コンパクトシティ──都市批判としての都市をめぐって | 南泰裕+太田浩史
Compact City: On the City as a Criticism toward the City | Minami Yasuhiro, Ota Hiroshi
掲載『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) pp.58-72

1    コンパクトシティ論の背景

南——最初に、なぜメガロポリスやメトロポリスという大都市ではなく、コンパクトシティやスモール・シティといった中小規模の都市を取り上げるのか、ということから話を始めたいと思います。
僕と太田さんがコンパクトシティについて考え始めたのは、ほぼ三年ぐらい前まで遡ります。その議論も含めて、太田さんとはこれまで一〇年余りの間に、たぶん一〇〇〇時間以上は議論していると思いますけど(笑)。ちょうど二〇世紀の終わり頃に、建築家としてお互い独立して、少しずつ実際の建築の設計をしたり、コンペをやったり、都市についての思考を展開していました。そんななかで、今後、自分たちが都市や建築に対して、どういった構えを持つことになるのだろうか、ということをそれぞれ考え続けていました。
はじめは、世界の居住状態がどのようになっているのだろう、という漠然とした問題に向き合い始めたのがきっかけです。それ自体はあまりに大きな課題であったので、最初のうちは、そこで何が問われるべきなのか、ということも、よく見えていなかったんです。あるいは、問いの所在を明らかにしないものの総体こそが、都市である、とも言えるのかもしれない。ともかく、世界人口が増加し続けるなかで都市人口も増え、さしあたり、人口一〇〇〇万人レヴェルの巨大都市に人口が集中していることはわかったんですが、その背後に存在する、中小規模の無数の小都市が気になっていました。また、それとは別に、これまでの都市成長路線とは異なる「都市のコンパクト化」という議論が、一九九〇年代に入って、主としてヨーロッパを中心に多く行なわれるようになった。この、「小都市による世界の都市居住状態」と「コンパクトシティ」という二つの問題系が、自分たちのなかで、時代の流れとともに、ここに来て交叉したんですね。
メガロポリスに対するニヒリズムをただ反復するのではなしに、また、理念的でユートピア的な都市を単純に思い描くのでもなしに、これからの都市を違った形で考え直してみたい。そのときにコンパクトシティという概念は、思考を組み上げていく基準概念として、十分な有効性を持つのではないか。そんな直観があったんですね。
そんなふうにして、自分たちの思考の方向性が、ようやく少しずつ見えてきて、一昨年あたりからお互いに研究会を始めるようになりました。僕の方ではコンパクトシティ研究会というものを、太田さんの方ではエコ・ビットという環境をテーマとする研究会を、月に一回くらいの割合でやり始めました。その過程で、リチャード・ロジャースMVRDV、マイク・ジェンクスを始めとする一連の建築家や研究者たちが、コンパクトシティという概念に対して非常に高い関心をはらって活動をしているということがわかってきました。例えばロジャースは上海を対象として、あたかもエベネザー・ハワードの「田園都市」を読み直したかのようなコンパクトシティ・モデルを構想していました。レム・コールハースも「スキポール空港計画」において、空港の跡地を対象に都市機能が集中したコンパクトシティの可能性を考えています。また、こうした動きに関連して、都市の高密度化と用途の混合を説いていた、ジェーン・ジェイコブスの思想が再評価されてきた、という背景もあった。
こういった流れがいろいろと目に入ってきたこともあり、従来のメガロポリス論に対して、コンパクトシティがなぜ問題となるのか、ということを考え始めたんですね。そこから、世界中の都市をコンパクトシティ論的に、あるいは小都市論的に読み解いていったら何が見えてくるだろうか、ということがモチヴェーションになって今回の特集につながっているんです。
太田——補足しますと、僕と南さんで最初に考えたのはイコライザーという都市の設備でしたね。都市気候を平準化すると同時に、都市の居住条件を平準化する、差異をなくすための設備というのが都市にはあるのではないかと考えたわけです。ですから、三年間の議論は常に具体的な操作論を巡ってのものだったとも思います。それから、リチャード・ロジャース、マイク・ジェンクスの本のなかで都市に対してとても積極的に働きかけるような提案を見出して(本誌一六六頁、ブックガイド参照)、その迷いのない姿勢に素直に強い印象を持ったということがあります。また、これは、なぜ小都市かということに関係すると思いますが、メガロポリス論は対象が巨大すぎて、何をデザインすればいいのかわからなくなりますよね。しかし、コンパクトシティ論は輪郭のはっきりした都市を前提とすることで、建築家が何を提案すればいいのか設定できるという利点がある。六〇年代の都市論において語られていたような、対象と手法の明快な連動性にわれわれは興味を持ちました。それから最後に都市のモチヴェーションと言うのでしょうか、「なぜ人は集まって住むのか」という原理的なことに対する答えが、小都市を語ることによってクリアに見えてくるような気がしたんです。メガロポリス論より実践的な視座を持ちつつ、都市の原論みたいなものを捉えたいということがあったと思います。
コンパクトシティ論が建築や都市計画のなかで出てきた背景をざっと話しておきましょう。まず、七〇年代、アーキグラム以降と言ってもいいかも知れないけれど、システム批判や技術批判の声のなかで巨大都市構想というのは消えるわけですよね。しかし、都市像の提出が下火になるなかで、ダンツィヒという人が管理的な都市と批判されつつも、初めて「コンパクトシティ」という用語でそのイメージを描いた。それは今のコンパクトシティのベースとは直接繋がっていないとは思うんだけれども、実は管理性という論点においては繋がってはいる。ただ時代がシステムとしての都市を許さなかったという面があると思うんです。むしろ都市は断絶や操作不可能性の象徴として捉えられるようになっていき、それが八〇年代まで続くことになった。ところが、九〇年代に状況が大きく変わったんです。幕開けはバブル末期のゼネコンによる巨大なプロジェクト案でしょう。ノーマン・フォスターの「ミレニアム・タワー」や、清水建設の「スペースポート」など、ハイテクな都市のイメージを描きながら、新たな都市へのアプローチが探られるようになりました。最初はいくつかのドローイングだったと思いますが、その流れを引き継ぐかのように、日本では「ハイパービルディング」というテーマで高密度居住の可能性が検討されるようになりました。環境分野や、尾島俊雄のように技術論的に都市を捉える人、そして行政側から高密度居住を肯定する動きが出て、レム・コールハースや、パオロ・ソレリ、古谷誠章などが一〇万人規模の都市のイメージを提出しました。今回特集に収録されている原広司の「500M×500M×500M -CUBE」(本誌八九頁参照)も、それと連動するものだったと思いますが、研究室で直接的にプロジェクトに関わった者として思い返してみると、そのころは高密度居住や小都市がなぜテーマになるのか、それがどのような展開力を持つのか、まだ言葉が追い付かないような時期だったと思います。
後からわかったんですが、ヨーロッパではまさにそのころ、環境問題の直接的な落し子として、それからアメリカのエネルギー政策に抵抗するものとして、ソーラー・エネルギーを推進する動きがあったんですね。なかでも一番影響力が大きかったのは、EU(当時はEC)が補助金を出したREAD(Renewable Energy in Architecture and Design)という会議です。これはトーマス・ヘルツォークがキーマンなんだけれども、フォスターやレンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースなどをはじめとする二六人の著名建築家がソーラー・エネルギーをベースにした建築論と都市論を議論したわけです。
それと同時期かと思いますが、建築の側の、都市計画の分野では、マイク・ジェンクスが『コンパクトシティ』という論争を呼んだ本を出版しましたよね。ながく分散的な都市政策を行なってきたイギリスの行政に、必要なのはコンパクトに集中化することだと、真っ向から論戦を挑んだ本でした。僕らが最初に手にしたのは三部作の三作目だったからとても印象が強いんだけれども、コンパクトシティ論がやがてイギリスの都市論を超えて世界のアーバニゼーションの話へと移っていきますよね。ああここまで都市論の枠組みが変わっていたんだ、と思ったのをよく覚えています。
南——おっしゃるように、この間、コンパクトシティ論が語られることになった背景には、都市システムを考える上での思想の転換があったわけですね。例えばニュータウンの系譜というのがあります。日本では高度経済成長期の前後に、千里ニュータウンや多摩ニュータウンなど数十万規模のニュータウンを郊外地につくって、大量人口居住の系譜を作り上げてきました。居住と労働を完全分離する、都市におけるゾーニングの徹底化が試行されたんですね。しかし、高齢化の問題などもあり、いまそのシステムがだんだん疲弊してきたことが明らかになってきた。そして、例えば東京などでは、都心回帰がかなり進行してきている。もう少し巨視的に言えば、用途混合を前提として集約的に住むことで、さまざまな施設に対してのアクセシビリティを高めると同時に、後背地を有効に利用する。そうした高密度居住の可能性が検討され始めたわけです。交通問題に関して言うと、いわゆる長距離交通がかなり整備されてきて、ある程度極限に近付いた。反面、飛行機を含めて、逆説的に遠くに行くことはすぐにできるけれども、渋滞等による中・近距離交通の不十分さが顕在化してきたと言えます。近くを移動する方が、逆に時間がかかってしまう、というように。それでトラムのような路面電車や、新交通システム、あるいは近距離移動のためのコミュニティ・バス等が、都市内交通の手段として再検討されるようになってきたわけです。ブラジルのクリチーバが注目されているのも、そうした点においてですね。
あとは建物や都市のリニューアルという問題があります。同潤会の建て替えなんかもここ数年でかなり進みましたけれど、近代の黎明期に出てきた都市基盤や施設といったものがだんだん疲労してきて、建て替えの時期に入ってきた。そこで、都市の中において、改めて都市を作り直すような手続きが顕著になってきた。メガロポリスの中に、サイズダウンしたコンパクトシティを埋め込んでいく、みたいなことですね。六本木ヒルズなんかもそういった部分があると思います。それからもう一つは、経済的な不況という背景のなかで、集約の効果によって都市を再活性化させよう、といった方向性がそれぞれの都市で改めて検討され始めたわけです。
太田——確かに金沢であるとか、神戸であるとか、自治体がコンパクトシティ論をキーワードに都市の再整備というのを行なおうとしていますよね。でも一方で持ち家政策による状況があって、一方で都心回帰をはかろうとする。コンパクトシティ論といっても、最初から矛盾を抱えてしまっているように思えます。一戸建て住宅というのは内部に世界を入れ込もうとするから、それぞれの家の距離が近いんだけれども実は離れているみたいな事態が起きそうな気がするんですよね。コンパクト性と、小ささ、距離の近さというのは全く意味が違う。そこを理解しておかないと、単純な掛声で終わってしまうと思うんですよ。
南——それはそうですね。コンパクトネスというのはいろいろな解釈があると思うんだけれども、ダブついているシステムをシェイプアップさせて、もっとぎゅっと引き締めるという意味でのコンパクトネスと、物理的な都市空間が折り畳まれていて、小さくまとまっている、というのがあると思うんです。いま言われているコンパクトシティの話はその辺りがかなり曖昧で、既存の中小都市をコンパクトシティと単に言い換えているだけ、という側面もないとは言えない。
だからコンパクトシティというのは、ヨーロッパでよく語られている「歩ける範囲での都市の魅力」であるとか、ジェイコブスの主張に端を発する用途混合ということだけに収斂させることはできないわけですね。今後、コンパクトシティという概念自体をもっと精錬していかなくてはいけない、という気がします。
太田——あと、外部性をちゃんと想定しないといけないでしょう。例えば、われわれがタイのナコン・パトムで見たように、都市には他者がいるのが当たり前だといった了解ですね。僕は自明だと思っていたんだけれども、日本においては住民優先の都市政策をしてきたから、他者は基本的に排除される仕組みになっている。だから、コンパクトシティは他者を受け入れる装置を持たない限り、自己崩壊をしていくという気がするんですよ。自立性を高めて、それが更新されずに崩壊するというイメージがある。ヨーロッパのコンパクトシティ論においてもレオン・クリエのように、中世都市の復興というグループがある。彼等に対して批判があるように、コンパクトシティを一種の中世主義と捉えてはいけない。現代の都市というのは交通のノードであり、絶えず更新される場所である。それが最初にどれだけ想定されているかによって都市の性格は大きく変わってくると思います。
南——自律性と閉鎖性は紙一重であるけれども決定的に違うと思うんです。たとえばゲーティッド・コミュニティのような非常に閉鎖的な集団というのは、コンパクト・タウンという特性もあって、境界の力が非常に強い。外部を徹底的に遮断するんですね。
「コンパクト」という言葉には、下手をすれば、何か外部を完全に遮断してしまうような閉鎖的なイメージが付帯してくる。ワルター・ヨナスの「漏斗状都市」やポール・メイモンの「浮遊都市」といった都市構想も、ある種のコンパクトシティであるのですが、一方でそれらは閉鎖性を現前させている、と見えなくもない。外部から隔絶したアイランドのように見えてしまうのですね。コミュニティによる融和性の復興、というコンヴェンショナルな部分のみに焦点をあててしまうと、物理的にも比喩的にも、外部との交通がどんどん貧弱になっていく危険性がある。
われわれが描き出したいと思っているコンパクトシティは、自律しているけれども外部を受容する、という都市でありたい。都市としてのキャラが立っているんだけれども、他者を充分に受け入れる余地を持つというか。例えば集落におけるキャラバンサライのような、そういったイメージが欲しいな、という気がしますね。
それらのことを鑑みると、思考の起点として、コンパクトシティという概念を通過しておくことは十分な意義を持つだろうけれども、たぶんその概念自体は濁りを帯びている。だから最終的な手続きとしては、このコンパクトシティという言葉を廃棄しなければならない、という思いもあります。別の言葉が、この先、求められてくるのだろうと思いますね。コンパクトであり、なおかつ外部との交通を保証するような概念を、うまく言い当てる言葉が。
太田——ピーター・ホールがURBAN21(本誌一六七頁、ブックガイド参照)でそういったことを言っているんだけれども、例えば現代都市のひとつのタイプに分業型の都市というのがあって、それは確かに長距離交通をベースにしている。シリコンバレーであるとか、ロンドン空港の周りの工業団地であるとか、筑波であるとか、分業性を持っていて、コンパクトさというものと都市のネットワークというものが同時に前提にされている。だから都市のなかに全てのものがあるということではなくて、長距離交通を考えると、特殊解としての小都市というものが分散して補完するといった可能性が浮かびあがってきますね。
南——自律性ということを言った場合に、いざとなったらその都市は自律しうる、という可能性を担保しておかないと、多数の小都市は、他者、あるいはメガロポリスに依存する衛星都市の集合になってしまう危険性があるでしょう。リトルトーキョーがたくさんあるみたいな感じになってしまう。だから自律性と他者との交通可能性、あるいは他者の受容可能性が決して背反しない形で、なにかテクノロジカルにそれらを両立させ、なおかつそれを更新しうるようなものこそが、コンパクトシティの初期イメージとしてあってもいいのではないか、という気がします。

2 人口問題とフラーの都市論

南——二〇世紀の都市論の系譜を大きく眺め渡した場合、都市のスケール論というか、スケールを横断するような思考はすごく多いですね。一番わかりやすいのは、ドクシアディスの都市スケール論、空間スケール論です。さらに、ルイス・マンフォードのメガロポリス論や、コールハースの『S、M、L、XL』というスケールの横断論などもあるけれども、それらには率直なところ、わかったようでいてよくわからない、という消化不良の感触がすごく残っていた。現象の記述以上のものが、なかなか見えてこなかったからです。それで、現代都市を考える上では、スケールの横断よりもむしろ、スケールの切断を考えてみる方が、意味を持つのではないかと思ったのです。例えば都市を、数十万人というスケールで一気に切断した時に見えてくる断層に着目してみる、というように。
もう一つ、都市以前の非常に小さな共同体でもなく、なおかつ境界とか輪郭の不確かな巨大なメガロポリスでもない、今まで焦点をあてられてこなかったような中途半端なスケールの共同体や空間システムが、改めて考えられていいのではないか、というのがモチヴェーションとしてはありました。また、わかりやすい一つの指標として「人口問題」、あえてその領野を確定するとすれば、〈都市人口環境学〉と呼ぶべきものがあると思うんです。人口および都市人口という数値の分布が語る、さまざまなランドスケープの見え掛りと、そこから読み取れるものの総体ですね。今回、この特集に関連して作成した「ポピュラスケープ populouSCAPE」(本誌七四頁参照)は、まさにそうした都市人口風景を描出したものであったわけですが。例えば、二〇世紀の初めに世界の人口は一六億しかなかったのですが、現在は六〇億人、そのうちの三〇億が都市に住んでいます。こうした人口増加や環境負荷に対する危機という問題とその現実を、どうやって読解していくのか。
太田——一日に二六万人の人口が増えていて、その内の三分の二にあたる一七万人が都市の内部で増えている。つまり、毎日一七万人の都市を一つつくらなければいけないというスピード感が今回のテーマの背景としてあるわけですね。統計の問題で、抽象的だと言われそうなんだけれど、でもそれはきっと新たな手法論を待っていると思うんです。なぜかというと、マレーシアやインドネシアのどんどんと変わっていく都市風景を見ていくと、高層ビルだけが答えじゃないだろうとか、気候調整をクーラーだけに頼っていいのかと思わざるを得ない。われわれは近代建築と近代都市計画の遺産で食べているんだけれど、今の状況は二〇世紀前半のハワードやル・コルビュジエたちが見ていた状況とはまるで違います。だからこの二一世紀にグロピウスやル・コルビュジエが生きていたら、どういった建築の形式、都市の形式を提出しただろうか、そういったことを考えるんです。
南——一日一七万人の人口が増える、という話に関連して言えば、人口問題の出自を辿っていくと一つにはマルサスの『人口論』が出てきます。一七九八年、要するに産業革命の前後にこの本が出版され、無限成長していくことに対する危機感というものが、初めてまとまった形で意識されたんですね。その後二〇世紀後半になって、ローマクラブの「成長の限界」という非常に有名なレポートが、世界の有限性に関する危機をまとめていました。これ以外にも、歴史的に遡ると都市あるいは都市人口が拡張して大きくなることに対する危機感は結構語られている。古くはプラトンもアリストテレスも、はっきりとそのことを言っている。資源の有限性とか地球の有限性といったことを含めて、無限拡張することに対する危機感と自意識みたいなものが、二〇世紀になってさまざまな形で反復されているのではないか、という印象がありますね。
太田——それを明解に言ったのが、バックミンスター・フラーですよね。彼はアクセラレーションとエフェメラリゼーションという言葉で、人口増加という母数の増大があるならば、それと反比例する形でライトネスというものが考えられるだろうと言っていました。人が増えるわけだから物質量というのは減っていかなければならないし、単位重量当たりの素材のパフォーマンスも増えていくだろうと。だから彼は一九四〇年代にアメリカの電気需要が増えるだろうと予測する一方で、通風によって気候制御をしようとする省エネルギーのウィチタハウスをつくるわけです。僕は背景としての人口問題に、例えば物質のインテグレーションや空間のパフォーマンスの向上のような具体的な建築論がきっと連動していると思っています。最近の省エネルギー建築をみていても、最小の装置なり物質なりで最大のパフォーマンスをさせるということは基本的なデザイン対象ですし、インダストリアル・デザインなんかもそういう高いパフォーマンスのものが多いですよね。小都市という言い方も、何かそういう技術論的なアプローチをベースに、都市の組成とか、パフォーマンスを変えていくような気がしますね。
南——フラーは小都市論的な展開はしなかったの?
太田——例えばトリトンシティやテトラシティのように、結局最後にはいくつか案を作るんだけれども、集約効果みたいなことはその規模では言っていないかな。ただ彼が一つはっきりと言ったのは、環境調整においては集合の効果があるということで、それがマンハッタン・ドームなわけです。僕が一番フラーの思考のなかで興味を持つのは、エネルギーを少なく使う都市というものが考えられるということ、それを明解に言ったということですね。
南——なるほど。僕は今回、太田さんが『GLASS & ARCHI-TECTURE』(発行=旭硝子株式会社  板ガラスカンパニー、二〇〇三年、春号)で書いているサステイナビリティに関する論考や、『建築文化』のフラーの特集(二〇〇一年一〇月号)などを読み返してみたんだけれども、正直なところ、今まではフラーの言葉や構想したものが、どうしてもうまく思考のなかに引っ掛かってこなかった。レイナー・バンハムが『第一機械時代の理論とデザイン』の最終部分で、かなり特権的な形でフラーについて語っているのを、だいぶ前に「なぜだろう」と思って読んでいたのを思い出します。
しかし今回、コンパクトシティや小都市を考える過程で、初めてフラーの言葉や、ダイマキシオン・ハウスとかワールドゲームといったものが、不思議と自分のなかに響いてきたのです。
これまで、サステイナビリティという言い方には、高圧的かつ抑圧的な倫理として響く部分があるように感じていました。つまり、発展途上国は環境負荷を少なくせよ、先進国は自分たちの利潤というものを少なくせよ、というニュアンスが感じられるがゆえの違和感があって、そうではないだろうと思っていました。人々のエゴとか欲望というものを総体的に抑圧することによって、地球を延命させたり環境を守っていく、というのは、あまり楽しくない。俗な言い方をすると、みんなが食べていけるとか、みんなが生きていける、ということを前提にした上で、なおかつそれを楽しい形に醸成させていく方が、ずっと本来的な感じがする。そして、そういったモチヴェーションがフラーにはあったのかな、という気がしたんです。フラーは、すべての人が生きていけるような形で、世界の経済システムを再構築することこそがもっとも重要だ、と言っているんですね。
うまく言えないんだけれど、「明日どうやって生きていくか」という切実な問題を、世界の全ての人は持っているわけじゃないですか。明日もしかしたら食べることができないかも知れないとか、失業するかも知れないとか。実際に飢餓で死ぬ人はたくさんいるわけだし、病気で一年後に死ぬかも知れないとか。そういう日常的かつ局所的で個人的なリアリティというものは、ものすごく重要で、それをないがしろにして世界を語るっていうのは、徹底的に嘘だなっていう思いがありました。だからこそワールドワイドに語るフラーが、みんながどうやって食べていくのかが最も重要だと言っていることは、それ自体が凄く重要な発言であると思います。もうひとつは、世界がゼロサムゲームではないというニュアンスのことを、彼は言うんですね。つまり、「他人の幸福は自分の不幸である」とか、「他人が利潤を得ると自分は損失を被る」といったゼロサムゲーム的な世界観をどうやって打破するか、というモチヴェーションがフラーにはあった。それがだんだんと見えてきて、ようやく少しだけ自分のなかに触れるような感じがしたんです。
太田さんからフラーの話はよく聞いていて、しかし自分はどうもうまくそれをつなげなかったんだけれど、個人的な資質はあるにせよ、ようやくフラーと少し対話ができるというか、フラーの話を聞けるようになったかな、という感じがしています。

南泰裕氏

南泰裕氏

3 都市の均質性と多様性

太田——僕はフラーの直感しているデザイン論みたいなものに興味があって、負荷を少なくするとか、流線形にスマートに解くとか、デザインのモチーフとしてというのが、まずはあるんですね。彼はフロー、流れゆくもの、つまり船とか、空気抵抗だとかにとても注意を払った人です。それはノーマン・フォスターや、フューチャー・システムズなどにエッセンスとして流れていくし、きっと現代のスポーツ用品などにも同じ美学があるだろうと思う。僕はまずはあくまでデザインのモチーフとして入ればいいなという気がしています。ただ、フラーについて批評的に言っておくと、アメリカという背景がそうさせるのか、彼は多様性ということに関してはそんなに注意を払っていないと思うんですよ。僕はアーバニゼーションに関しては技術的な展開が今後ますます重要になってくると思うんだけれども、無数の試行錯誤とか、試行錯誤どころか破綻したものだとか、そういうものを累々と生み出す実験的な世紀に今世紀はならざるを得ない。そうしたときに、今の小都市群は実験場そのものであって、アーバニゼーションが持つ複雑性と振幅の発揮が、多数性や多様性のなかに試されていると思うわけです。去年だったか、MVRDVのヴィニー・マースが「ユニバーサル・シティ」というタイトルの講演をしましたよね。でも、都市とユニバーサリティというものは全く別の概念であると思うんですよ。二〇世紀的な対立図式で言うと、リージョナリズムが多様性でありユニバーサリズムが均質性であるという了解があったと思うんだけれども、少なくとも今、世界各地の都市の様子を見ていく限り、内実はもう全然違う。ニューヨークがありカブールがありキンサシャがあり東京がある。それは非常に多様なものであるから、都市を均質性の象徴として捉えてしまうと、建築の表現や前提は相当狭まってしまう。まずはそこを広げておかないと、表現領域が非常に限定されたものになってしまうぞという、そういった危機感というか焦りみたいなものはありましたよね。
南——それは都市の同一性と差異ということだと思うんですけれど、一方で均質に見えてしまう部分というのはやはりあると思う。固有名としては、東京だとかニューヨークだとかいろいろと違いがあるように見えて、一方ではグローバリゼーション、ユニバーサリズムによる都市の均質化が進行している。言い古されてはいるんだけれども、実際にそう見えてしまうところはある。フラーが仮に多様性というものに対して注意を払っていなかったとすれば、都市に対する多様性をどういう形で見出していくのか、ということはあると思うんですね。

4 タイにおける小都市/居住

太田——『Design with Climate』を書いたヴィクトル・オルゲイという人がいましたね。まずは多様性に関する反射的な反応としては気候の問題がある。つまり、いままでのリージョナリズムが集落に見出していた気候の論理は、都市でも応用可能でしょう。それから、三月にこの特集のために南さんとタイに行って思ったけれども、地形であるとか、堀などいろいろな都市装置、それからレイアウトの問題。それらは大きな差異に結果していましたよね。都市が住居の集合であるとか政治であるとか言ってしまうと、都市空間の持っている差異というのはあまり表に出てこない。小都市が示しているのは、空間の違いそのものが都市の違いだというところがあるじゃないですか。大都市論だとそういったことはあまり出てこないけれども、小都市は空間の力を物凄く鮮明に表現していると思うんですよ。それから建築的なスケールで言うならば、例えばタイの都市だと建物のファサードの一つひとつがブリーズ・ソレイユで日射遮蔽をしている。それから交通においても、トゥクトゥクがあったりみんなが歩いている街があったりして、一個一個違う。今までの都市理論だとそういった都市の固有性というものをそれほどすくえていなかったんではないですかね。
南——例えば小都市論的に見た場合に、居住というのはみんな同じと言えるんだろうか。都市については、いろんなことを語ることができるだろうけれども、住居がなかったり、奪われていたりする状況というのは、ほんとに辛いんですよ。それは都市が少し不便であるとか、緑が少ないとか、といった以前の、切実な問題です。だから、住居が始めに考えられていなかったら、公共施設や緑地等をよりよく組み立てていこう、という気にすらなれない、と僕は思う。だから僕は、誰にとってもリアルな問題として、居住を問題にし続けたいのです。
確かに一つの都市空間として見た場合、交通とか広場とかストラクチャーにおいて、シャープに、あるいは鮮やかな形で差異が見えてくることはありうると思うんだけれども、居住に関する差異もあるのかも知れないでしょう。
太田——僕らが思っている以上のヴァリエーションはきっとあるだろうけれども、まだ、集落以上にはそれが表に表われてこない。エジプトみたいに八平方メートルでしか住めない人だとか、ヨーロッパのように五〇平方メートルに住んでいる人だとか、面積的な差は外から推察できるけれど、今回の調査では内部の生活までは見れなかったですね。ただ、都市住居はどこか類似性をベースにしているような気がして、実は住居そのものには僕は目が向かないな。
南——そうかなあ。都市経済学的に見た場合には、ある程度強引に類型化すると、メガロポリスが総合都市で小都市はいわば単独の産業都市である、といった感じでしょう。メガロポリスというのはそれらの単独または少数の産業による都市が重層的に重なりあってできているわけですよね。そうすると、小都市は、そうしたいろいろなものがそろっている総合性ではなく、この都市は自動車の産業で成立しているとか、シリコンバレーは特殊な色合いを帯びている都市である、といったように、小都市であるがゆえにそれぞれの特色が際立つわけでしょう。そのキャラクターを射影した居住の形式の差異が、あるんじゃないか、と思うのです。
太田——でも住居と居住は別のものでしょう。以前、南さんの『住居はいかに可能か』(東京大学出版会、二〇〇二)を評したときに「住居外居住」と言ったことがあるけれども、差異は住居以外の居住空間に表われるような気がするんですよ。例えば人と人がどのように出会うか、街をどのようにそぞろ歩きして楽しんでいるかといったことですね。文化は人の集合の方法論とも言えるから、その差異はきっと外部に表われて見えてくると思う。その幅に方法論的な魅力を直接的に感じますよね。具体的にタイのフィールドワークで見えてきたことを話せば、最初に行ったナコン・パトムでは、都市の中を通っている運河が人々の居間になっていた、もしくは応接間になっていた。だから知っている人とも会っていたし、われわれがずっと居ても誰にも咎められないし、とても気持ちの良い場所になっていた。彼等が住居の中でどういった暮らしをしているかはわからないんだけれども、あの都市の持っているホスピタリティみたいなものが空間の形で表われてきていたと思うんですよ。一方でその後に行ったコーンケーンのようなもう少しモダンな、計画的な近代都市といったところだとそういった曖昧な場所は少なくて、すべてを住居で解こうとしているんではないかと思うんですね。それほど生活が外に見えてこない。道は通過のためにあるし、大きい何かをみんなで共有してそこを豊かに生活の場にしていこうという意識は希薄であったと思うんですね。だからタイに行って思うのは、集合性に対していかに答えるかということが都市の魅力にそのままはね返るようだってことかな。先に喋りすぎたけれど、タイの印象はどうでしょう?
南——タイはあまりにも良すぎた(笑)。最初に行ったナコン・パトムという都市の名前が 最初の都 という意味合いだったのは、都市のフィールドワークを始める上で凄く象徴的でしたね。いま、ホスピタリティという言葉が出ましたが、タイの都市は、他者に対する親和性が高いというか、都市の原義として懐が深く、他者を受け入れる余地を持っていたと思います。世界のさまざまな他者を、性悪説において了解しなければならない状況というのは、至るところにありますよね。例えば戦争はその典型ですが。だけれども、タイの人々は何か、基本的に性善説に拠っているようにも感じられました。
居住に関しても、タイではそれが、住居空間から外部へ向かって、グラディエーショナルに流れ出しているような印象があった。「住居外居住」が成立しているかのようにも見えたんですね。ただ、それは確然とした「住居内居住」が確保されているからこそ成立する居住様態であると思います。「住居における居住」の比重が低い、ということを、第三者の立場から単純な形で肯定的に誤読することはできません。
また、都市機能については、ヨーロッパ発のコンパクトシティ論の文脈でいうと、ゾーニングとは背反するような用途混合や、通過交通を含めた自動車交通の廃止、それからスケルトン・インフィル的なシステムの導入などが手法として思い浮かびます。けれども、タイの場合はそういった教条的なルールではなく、それがいつの間にか自然発生的に成立しているようなところがある。なおかつ、車が多くてもそんなに物凄く嫌って感じがしない。電車が通っていないとか、いろいろな理由が考えられるにせよ、トゥクトゥクやかモーターサイはある種の交通の爽快さを表現していると感じました。だから、小都市の交通において、単純に自動車を排除してトラムを入れる、というのではない都市の可能性が、まだあるのではないかなとも思いましたね。
太田——ナコン・パトムも印象的でしたが、僕はチョンブリの複層的な都市構成も印象的でしたね。旧街道沿いの古い建物が残っているところ、新しく出来た国道沿いの計画された部分、それから海沿いの漁村のような部分。一四万人の都市なんだけれどその三つが、全く違った社会として共存している。社会的な背景はこちらには把握しきれないけれども、風景としてとても重層性があった。そして歴史的な時間性も感じた。だからチョンブリにはまた行ってみたいですね。都市の複雑性というものを先程僕は空間に託したけれども、切断性と言うんでしょうか、知らない人たちが住んでいるとか、何が起こるかわからないとか、予定調和を最初から拒否している感じがチョンブリにはあって、それはやはり都市の魅力だと思うんです。矛盾を抱えているものとして都市を捉えるという、いってみると撹乱装置をもともと組み込んでいるような雰囲気がチョンブリにはあって、それがチョンブリの中でどのようにダイナミズムになっているのかということには非常に興味がありますね。僕と南さんは一〇年くらい前にパプアニューギニアに行って、それぞれの共同体の持っているルールであるとか、空間の構造について調べたんだけれども、それと同じ感じを持ったのがあの都市だったような気がします。
南——なるほど。例えばアレグザンダーは、自然都市と人工都市とに分節するじゃないですか。セミ・ラティスとツリーのようにはっきりとした分節を行なう。都市論的に見ると、二〇世紀にはハワードから始まる、都市を計画する都市デザインの系譜というものがあって、一方でケヴィン・リンチのような都市の読解の系譜がある。
しかし、タイの小都市をいろいろと見ていると、そうした区分自体があまり意味ないように思えるんです。つまり、保存か新しくつくるか、あるいはリノベーションとかリニューアル、コンバージョン、みたいな現在の都市計画や建築的な文脈とは違って、そういう区分け自体が無意味であり、もっと違う形があるのではないかという別の思考を感じさせるのです。
例えば集落の場合、アノニマスでヴァナキュラーな集落の中に計画性を読み取るという問題構成がありますね。それを反転させるのであれば、単純に自然発生的なものが良くて、計画的なものが自由度が少ないというのではなくて、そういった分節自体を無効化するようなものが、現実の小都市からは見えてくるんじゃないかと思います。例えば、「用途混合」という言い方自体、すでに何らかの用途区分を前提にしているし、その限りにおいて旧来のゾーニング論を引きずっている。けれども、現実の都市は、そのような操作的思考自体を無効にさせるものを潜在させているんじゃないか。
僕はナコン・ラチャシマが面白いと思ったんですが、この都市は区分としては新都市と旧都市とに確然と分かれているんだけれども、新都市の中に物凄く古いマーケットといったものが、あたかも自然発生的にできたかのように存在し、旧都市と言われている中にも新しいものが移植されている。その散り方が面白いと思いました。
太田——今後もさまざまな都市を見る機会があると思うんですが、それをどういう風に実践論に繋げていけると思いますか。
南——既存の文法に即して言うのであれば、交通のシステムとか広場のつくり方とか、あるいは住居のつくり方ということは一方で相変わらず問題になると思うんです。ただ、先程の言い方をトレースして言うと、その区分自体が違うのかも知れない。例えばル・コルビュジエ的に言うと、交通・勤労・居住・余暇という分節自体が全然違うのかも知れないですね。もしかしたら、もう現実に違ったものになっているのかも知れない。広場を設計するというよりも、むしろまず広場という概念が違っているというか。広場に代わる概念が出てきたらいいんじゃないかなと思います。
太田——そうですね。広場というと市民社会の象徴、というギリシア以来の語られ方があるかと思うけれども、ナコン・パトムでわれわれが見てきたのはそういうヒロイックな広場ではなく、もっと雑多で定義できなくて、古典的なゾーニング論の不備を攻撃してくるようなものでしたよね。広場が公で住居が私ごと、といった内外の関係でもなく、居住とか、マーケットや交通とか、都市活動のあれこれが広場にシームレスに連続していた感じがします。なにか家でやり忘れたことを都市の端っこで繰り返しているような、そんな感じかな。だから広場を見るだけで、都市全体の雰囲気を知ることができたような気がしましたよね。

太田浩史氏

太田浩史氏

5    人工的都市への欲望

南——全体が見えるということで言えば、先ほどのフラーに戻りますが、彼は「包括性」ということをよく言ったでしょう。さしあたって不完全でありながら、小都市の全体が見えるということの安心感というのは結構あるかなと思うんです。
この特集テーマを考えている最中に、ヒトゲノムの遺伝子情報の全解読が終わった、というニュースがあったんですが、あれは都市人口論的な意味合いにおいても、かなり面白いな、と思ったんです。つまり、こういうことです。人間のDNAの塩基の対は、全部で三〇億ほどなんですね。その解読が、とうとう終わったわけです。集合論的にみた場合に、三〇億という大台に対し、それを解読するということは不可能ではなくなったんですね。しかもそれは単純な四つの塩基の対だけで無限の組み合わせをつくる。単純に比較はできないけれども、現在の世界の都市人口が約三〇億人程でしょう。これはヒトゲノムの解読数のオーダーと同じなんです。言い換えると、このオーダーの内実を見渡すことは、非常に大変な作業ではあるけれども、技術的に不可能ではなくなったんですね。
さらにヒトゲノムを研究することは、人間の遺伝子の地図を作成する作業である、という言い方が世界的にも一般化していて、なおかつ、生命の設計図を読解するという言い方をするわけです。何か、僕らが今回つくったポピュラスケープや、現在考えている世界の都市状況と、ターミノロジーが非常に似ているんですよ。ヒトゲノムに関しては、データベースの構築が今ようやく読解が終わったばかりで、それをどう利用していいかまだはっきりしていない点においても、問題がすごく近い。つまり、今は単にデータを読んだだけなわけです。これから、それをどう使うかということが課題になっている。これはある意味ではわれわれのモチヴェーションと同じで、ようやくポピュラスケープによって、世界の人口風景がかすかに見えてきて、言ってみればこれから、都市ゲノム解析の作業とその検証が始まるんだな、と思っています。
太田——今回のポピュラスケープの風景を、一様性と捉えるのか、多数性の萌芽として捉えるのか、その読み方に関しては相当な幅があるでしょう。アーバニゼーションはゲノムのように操作できる感触を持ち始めていて、それは当然錯覚なんだけれども、しかしアーバニゼーションを多様なものとして捉えるか、古典的なユニバーサリズムのように平準化として捉えるのかによって、われわれの態度は全く変わってくると思うんです。タイのフィールドワークで確認したのは、どうやら、都市は一つひとつ全く違うらしいということ。それもゲノムの複雑性を思い起こさせますね。ただ、ゲノムの話をするならば僕の興味はちょっと違うところにあって、人工性をどのように捉えるか、ということが話の根底にあるような気がするんです。
唐突に聞こえるでしょうが、ゲノムよりも僕にとってわかりやすいのは「耳ネズミ」と秘かに僕が呼んでいるネズミです(笑)。これはプラスチックの人工の耳をネズミの背中に接合して、そこに人工皮膚を培殖して出来上がった耳を最後に人間に取り付けるという医療法なんですが、ネズミの背中にいきなり人間の耳型をくっつけてしまうんだからヴィジュアル的にもう物凄いんですね。それはもう倫理とかを超えている世界なんだけれども、それを僕はどこがいいかというと、人工世界をつくろうとする、その暴力的までな意思に共感を感じてしまうんですよ。ゲノムの話にはそういう人工世界への構築の意思が、何か人間の本能のように表われているように思います。今回のポピュラスケープも、圧倒的な都市の多数性が人工世界を肯定したい気持ちをどこか刺激していますよね。それとどう向き合うかということが改めて建築や都市の技術の根幹で試されているのではないか、と思います。僕はきっとル・コルビュジエにしてもフラーにしても、都市を人工世界としていかに肯定するかという感覚は持っていたんじゃないかと思うんですね。今では気宇壮大に聞こえるかも知れないけれども、彼等はそれを内部で物凄く議論したと思う。スペースコロニーにまでは行かなくてもいいけれど、自らの人工世界への欲望に対して、想像力を働かせる時期ではないかという気がします。
南——僕はル・コルビュジエとフラーとは、やはりモチヴェーションが違うんじゃないかなという気がします。モダニズム、特にル・コルビュジエなんかは、現状の危機を描出して、いまはもう危機なんだ、もっと新しいユートピア的な世界があるんだというストーリーの定形をつくるんだけど、人間はわがままじゃないですか。でも、わがままでいいんだということを、うまく都市論として示すことができる方がいい。ただ単にみんなが好き勝手をやる、というのでは駄目だし、知恵がないという気がするけれども、「世界の持続のために厳しく生きろ」というのは辛いでしょう。いざとなったらみんな、なんとか生きていけるけれども、それだけじゃなくて、もっとみんなが楽しく生きられるような、みんなが思い切りわがままになって、そのわがままさをエレガントに共有化して、それを物象化していく象徴が都市であって欲しい、という気がするんです。「こうやって生きろ」というのではなくて、「こうやって生きた方が絶対みんな楽しいぜ」みたいな。
太田——それは僕も同意するところだけれども、僕はわがままというか、もう暴力性と言ってしまっていいと思うんですよ。きっと六〇億全員が食べるということはわがまま以上に暴力であって、その暴力性を肯定しないと解けない課題もあると思うわけです。自然に対する一種の暴力として、都市が築きあげられてきたという気もするから、それは行使し続けないと表現上も矛盾が生じるのではないか。それを否定してしまうとおそらく都市が都市でなくなるわけで、多くのエコロジー論もそうしたセンチメンタリズムに陥って、都市という言葉を紡ぎ出せなくなっている気がします。
南——またフラーの話に戻るんだけれども(笑)、例えばフラーがいま生きていたとしたら彼の言ったことは有効に機能したんだろうか。
太田——フラーは最終的には電気に全部置き換えようとしたんですよ。窓とか移動装置とかは全部電気仕掛けになるみたいなことを言っていましたし。それから世界中に高圧電線網が通れば、夜が明るくなるから人口問題も解決すると言うわけ(笑)。もう少し一般化すると、彼は物質性から離脱することを強く意識していたように思いますね。電気というのは非物質の象徴であるし、ジオデジックドームというのも物質性を抽象化する発想のなかで出てきたと考えればわかりやすい。
南——それは例えば今のインターネットの世界を先取りしたと言えるのかな。
太田——ワイヤレスのネットワークぐらいまでは考えているでしょう。彼が直接的に言っているのは電話の線がなくなるとか、そういったことなんだけれども、それがスマートさなんだという理解はあるでしょうね。そして情報世界によって建築の物理的稼動部分、つまり窓とか建具とかを置き換えられないかと発想したんじゃないかな。

6    コンパクトシティと他者の受容

南——最後に、今後の展開について少し話しておきたいのですが、今回このテーマについて考えていくなかでわかったのは、日本には数十万規模の小都市が非常に多いわけです。経済的にはかなり厳しいところもある現状のなかで、インフラストラクチャーとしての都市および都市間の整備基盤というのはかなり確立されているんだけれども、いわゆる中小都市は疲弊してしまっている感もある。スケールとしてまさにコンパクトシティ的な都市が、これからどうなるのかという話は非常に多いじゃないですか。日本の地方都市のような多くの都市が、仮にコンパクトシティ論的に今後を考えるとしたら、どういった可能性があると思いますか。
太田——僕は単純に居心地の良い都市というのが大事な気がするんですよ。ナコン・パトムで感じたように、そこに行くとバンコクとは違うホスピタリティがあるとか、なんだか一日いることができるとか。日本の小都市は東京と同じように公共空間が貧弱で、やっぱりお金を払わないと時間を過ごせない。それぞれの都市空間がオープンであること。それがまずは前提でしょう。観光と言うと単純化しすぎるけれども、他者を想定して都市の中心の空間をつくっていく。
南——確かに、観光ではその通りだと思うんですよ。ただ、観光を一歩超えた中期滞在型、例えば大学を四年間そこで過ごすとか、他の国の人がそこにある期間住み込むとか、そういったいわゆる中途半端な他者を受け入れるキャパシティをそれぞれの都市が持ちうるんじゃないかという気がするんですよね。
太田——そうですね。
南——話が少しずれてしまうんですが、今回のパナウェーブ研究所の白装束集団に対する扱いというのはかなりひどいなあ、と思うんだけど。どこに行っても彼等を排除しようとするじゃないですか。もちろん、単純化できない部分はいろいろとあるでしょうけど、先ほどの他者親和性の逆で、他者をあらゆる領域が排除しようとする。田中康夫だけが「あんなふうにすべきでない」ということを少しだけ言っていたけど。あの現象は、都市の他者受容性みたいなことを改めて考えさせますね。せめてもう少し、彼等を空間的に受け入れるキャパシティが、どこかの場所に見えてほしかった。
太田——あれはキャラバンと言っているけれども、キャラバンサライがないキャラバンですよね。イスラムの都市にはキャラバンサライがあって、ああいう人々を都市が保証するというか、そういう人も居ていいという場所をつくるじゃないですか。彼等がなぜ都市に行かないのか不思議ですね。その方が居場所があるような気がしますけどね。都市には電磁波がいっぱいあるのかな(笑)。
南——居場所のない人に居場所を与えるというか。日本なんかは、極端な話、例えば難民が来たときにむしろそれをうまく都市の活性化に引き込むというか、それくらいの懐の広さが、少しぐらいはありえてもいいんじゃないか、と思います。つまりメガロポリスだけが無目的にどんな人でも集めるというのではなくて、逆にコンパクトシティこそが他者を受け入れることができれば、もっと違った未来図が描けるのではないかと思うんですけどね。
太田——イタリアにウルビノという小都市があって、もう古典だと思うんですけれど、チームXのジャンカルロ・デ・カルロが活性化したんですね。第二次世界大戦によって荒廃していたんですが、ジャンカルロ・デ・カルロがそこに大学をつくろうとした。もともと大学をつくるマスタープランはあったんだけれども、彼は大学が活性化の核だと言い切ったんですよね。先ほど、中途半端な中期滞在者と言ったけれども大学の学生がまさにそうで、彼等を住まわせて一種の通過者たちのための街づくりをした。日本の大学のつくり方と違うのは、例えば彼等の寮であるとか校舎などを都市の中に散在させて、一個一個の建物はリノベーションしながら散らばしていく。それをやってウルビノは大成功したんですよね。今でもヨーロッパ中の留学生の集まる街になっているから、そこには大きなヒントがある気がします。住民を対象とするのではない。それは都市とは何かという原理に抵触すると思うんだけれども、住民だけではないんだということを装置的に用意していくことが必要かなと思います。
南——ただ一方で、外部から人が来ることは、そこに住んでいる人にとっても魅力的でないといけない、と思うんです。実際、キャラバンサライは、外部の他者に意義を見出していたが故に生み出されたわけですよね。つまり、何も表出すべきものを持たない人がなんとなく来て、そこに住まわせてくれ、というのではなくて、自分が表出するものを持っていて、異質なんだけど「俺はこれができるぞ」ということをそれぞれが示せないといけない。迎える方だってそうだし、行く方もなにか表出するものがないことには、お互いに依存するだけの関係になる、という気もします。
コンパクトシティやスモール・シティについていろいろと話してきましたが、最終的には、単純なメガロポリス批判としてだけ小規模都市を思考するのではなく、大都市を含めて、都市に住むすべての人々、さらには世界に住むすべての人々に行き届くような知見を、そこから組み立てていければいいと思います。そういった意味で、コンパクトシティというのは単に物理的に都市規模が小さいというだけでなく、何よりも集合やシステムに関しての、認識の新しい輪郭なのではないか、という気がします。
さしあたり、僕らはロングタームで、都市研究や都市モデル構築を含めた活動を続けて行くつもりなので、今後も長きにわたって、多くの人たちの優れた知見を借りることになるんじゃないかと思います。コンパクトシティの理念は、集合論的に広義の意味で捉えることもできるはずなので、言ってみればわれわれの活動の集合自体がコンパクトシティのモデルとなり得るぐらいに、優れて魅力的な他者たちとこれからもたくさん出会っていきたい。その上で、それが自律した個々の活動の集合となっていったら面白いですね。建築家や学生や研究者を含めて、関心を持つ人たちといろいろ出会いながら、世界の小都市を少しずつ眺めていき、都市をめぐる知見と構想力を少しずつでも更新していけたら、と思います。
[二〇〇三年五月一四日]

>南泰裕(ミナミ・ヤスヒロ)

1967年生
アトリエ・アンプレックス主宰、国士舘大学理工学部准教授。建築家。

>太田浩史(オオタ・ヒロシ)

1968年生
東京大学生産技術研究所講師、デザイン・ヌーブ共同主宰。建築家。

>『10+1』 No.31

特集=コンパクトシティ・スタディ

>リチャード・ロジャース

1933年 -
建築家。リチャード・ロジャース・パートーナーシップ主宰。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>ノーマン・フォスター

1935年 -
建築家。フォスター+パートナーズ代表。

>原広司(ハラ・ヒロシ)

1936年 -
建築家。原広司+アトリエファイ建築研究所主宰。

>レンゾ・ピアノ

1937年 -
建築家。レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ主宰。

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>バックミンスター・フラー

1895年 - 1983年
思想家、発明家。

>レイナー・バンハム

1922年 - 1988年
建築史。ロンドン大学教授。

>ヴィニー・マース

1959年 -
建築家。MVRDV共同主宰。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...

>住居はいかに可能か

2002年11月1日

>チームX

チームX(チーム・テン)。CIAMのメンバー、アリソン&ピーター・スミッソン 夫...