RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.34>ARTICLE

>
過防備都市 2──戦場としてのストリート | 五十嵐太郎
Fortified Cities 2: Street as Battle Area | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.34 (街路, 2004年03月発行) pp.199-207

排除系のオブジェ

ある朝のNHKのニュースだった。半年前程だろうか。広島の地下商店街において、通路のベンチにアーティストがオブジェをつけたことを街の話題として報じていた。平らで長方形のベンチのちょうど対角線上に透明な球体状のオブジェを二つ置くというもの。座ることには何ら支障を来さないが、その上で寝ることを拒絶している。明らかに路上生活者を排除するための装置である。ところが、さらに驚いたのは、そのニュースがいわゆるほのぼの系の街の明るい話題として構成されていたことだ。パブリック・アートが街のにぎわいに貢献するという文脈である。もっとも、アーティストへのインタヴューでは、制作を依頼した側に、排除という目的があったことを明かしていた。
こうした排除の装置としては、一九九六年の新宿西口地下街におけるホームレス排除の後に設置されたオブジェがよく知られていよう。先端を斜めにカットされた円筒形の群れが、かつてのダンボールハウスの敷地を占拠する。ここ数年、東京を歩いていると、排除のためのオブジェが急増していることに気づく。例えば、渋谷、上野、吉祥寺では、ベンチの真中に肘掛けを付加し、その上で寝るという動作を不可能にしている。明らかに、後から改変されているのだ。また、銀座の地下通路では、柱と柱のあいだに干支のかわいらしい動物が並び、人の滞在を許さない。だが、この一見無邪気な装置も、ホームレスを排除していることを想像しなければ、ほほえましい街の風景に映るかもしれない。
最近、都築響一も、こうしたオブジェに目をつけ、「ホームレス排除アート」あるいは「ギザギザハートの現代美術」と命名している★一。例えば、大森駅近くの歩道橋下にある彫刻広場では、愛らしいペンギンとイルカが設置されている。そして彼は、「芸術っていうのは人々の生活を豊かにするためのものだと思っていたんだけどさ、貧乏人を排除するためにも役立つ」という。
路上では、闘いが起きている。渋谷マークシティのウェーブの広場は、商店街がホームレスを追い出すために、床面を波型にしても、ダンボールを何枚も敷いて対抗したらしい。そこでイボイボの突起物をつけたものの、今度はそれが引っこ抜かれたため、最終的には抜けないよう補強したという。
もっとも、こうしたタイプのオブジェは、排除という信号を発信しており、その隠れた(?)目的を認識しやすい。だが、最初から巧妙にデザインに組み込むと、わかりにくくなるだろう。例えば、池袋西口公園のベンチは、細い円筒形のミニマル・アートのような造形である。その上に腰をおくようにはアフォードされているが、もはや寝ることを想像させる余地がない。座るという行為だけに奉仕する純粋な機能主義。逆に言えば、これまでのベンチのかたちは、その上で寝るという行為も誘発させる機能の曖昧さを持っていたのである。気持ちよいことと気持ち悪いこと。両者は裏返しの関係だ。気持ちよく座れる椅子のデザインを研究するということは、同時に座り心地の悪い椅子を知ることでもある。現在は後者のデザインが追求されているのではないか。
マクドナルドの消費者管理では、椅子を硬くしておくことで、長く座っていられず、客の回転をよくしているという。長居せずに、なんとなく食事が早く終わる。これは限りなくグレイゾーンの、ゆるやかな排除の手法といえよう。また東浩紀は、マクドナルドは客が込むとBGMの音量を上げるという噂も紹介しつつ、テーマパークの設計や都市計画の専門家は「人間の『動物的な』部分に訴えかけた管理」ばかりを考えていると指摘する★二。ところで、電通本社ビルとカレッタ汐留の商業空間では、あちこちにデザイナーズ・チェアが並べられ、ちょっとした椅子の博物館になっている。見るものではなく、来場者が座ってもいいのだが、展示品のように置いてあり、なんとなく躊躇してしまう。また、建築家やデザイナーの椅子は座り心地が悪いと言われるが、これらが、もしそうした目的で選ばれたとすれば、笑えないジョークだ。

不安なにっぽん

さて、本連載の前回では、監視カメラやバイオメトリクスが普及するハイテク管理と、隣組を思わせるような民間の自衛組織が復活する前近代的なローテク管理が、同時進行していることを最初に指摘しつつ、主に前者について論じた★三。今回は、ストリートが戦場となる後者の状況を素描する。今や過剰に防衛された都市は、情報化の暴走や国家権力の意志だけではなく、市民が自ら欲望しているのだ。有名な「割れた窓理論」では、破損した窓を放置すると、やがて犯罪を誘発するという考えから、徹底した管理が行きとどくことの重要性を唱えていた。現在の日本でも、わずかな犯罪のほころびも許さないという、容赦なきゼロ・トレランスの態度が奨励されている。
二〇〇四年一月、小泉首相の施政方針演説では、「安心の確保」がうたわれていた。テロ対策、有事法制、防衛システム、耐震化とともに、「世界一安全な国、日本」の復活を急務として掲げている。そして「来年度は、地方公務員全体を一万人削減する中で、『空き交番』の解消を目指し、三千人を超える警察官を増員し、退職警察官も活用して交番機能を強化します。安全な街づくりを含め、市民と地域が一体となった犯罪が生じにくい社会環境の整備を進めます。出入国管理を徹底し、暴力団や外国人組織犯罪対策を強化します」という。箱物行政や不用に多い公務員など、無駄な支出の削減が叫ばれるなかで、警察官は例外であり、セキュリティへのコストは積極的に増えていくのだ。
こうした方針は、国民の要望を反映したものである。朝日新聞社の全国世論調査によれば、有権者の八一パーセントが五年前に比べて日本の治安が悪くなったと考えているという(『朝日新聞』二〇〇四年一月二七日)。自分や家族が犯罪に巻き込まれる不安を感じる人は、七八パーセントである。個別に見ていくと、少年犯罪にあう不安を感じる人は八一パーセント、外国人犯罪は七一パーセントだった。そして最近の気になる犯罪の傾向としては、「凶悪化」、「低年齢化」、「衝動的」、「無差別的」などが挙げられている。実際に犯罪件数は増え、検挙率が低下しているとはいえ、現状を把握するには、もう少し客観的な分析が必要だろう。ただ上記の回答から確実に言えることは、国民のなかに漠然と不安感が広がっていることだ。
二〇〇三年一二月、警察庁は、容疑者を指名手配する場合、少年だとしても、凶悪事件であれば、氏名や顔写真を公開することを決定した。凶悪犯罪の低年齢化を受けて、原則として非公開とされた少年捜査が大きく変わるだろう。法よりもセキュリティが優先される。特殊な事件だけではなく、日常の治安にも新しい試みが行なわれた。江戸川区の小松川署は、八月一四日から一八日まで、のべ一四〇人の機動隊員を投入し、夜間から早朝にかけて、街頭をパトロールした(『読売新聞』二〇〇三年八月二二日)。その結果少年少女の関わる犯罪が多い夏休みでありながら、少年犯罪件数は激減したという。パトロールの効果が実証されたかたちだ。警視庁は、機動隊の多面的な運用のひとつとして、この活動を位置づけている。
中田宏・横浜市長は、驚くべき規制を昨年一一月の首都圏サミットで提案した。青少年保護強化策として、深夜外出制限とわいせつ雑誌の販売規制を打ちだしたのである。「保護者は深夜(午後一一時─午前四時)に青少年を外出させないよう努めなければならない」とし、罰金やペナルティも課す。青少年への戒厳令である。また、わいせつ雑誌については、コンビニで仕切り板による、完全な区分陳列を要求していくという。彼は、家庭と業界に責任をもたせることが目的だと述べている。これらは法的な困難さを承知したうえで、大きな議論を起こすために提案されたものだろう。
前述した全国世論調査では、九・一一、イラク戦争、自衛隊派遣が続く状況から、八割が日本で無差別テロが起きる不安を感じると答えていた。国外からもたらされる禍いとしてのテロ。一方で、国内の問題として、子供を連れ去られる不安も七割を超えている。そして犯罪を減らす最も有効な手段として、「モラルの向上」二七パーセント、「地域住民の連携」一八パーセントという回答が挙がっていた。つまり、警察の力を増加しても、状況を完全に改善するには不十分であり、国民の側の自浄作用が必要だと考えられている。調査結果に対する識者のコメントでも、前田雅英は「地域のつながりの活性化」、田宮栄一は「地域や家庭がしっかりしてほしい」と、杉並区長は「区内に住民の自主的な防犯パトロール隊が約三〇ある。住民一人一人が何か少し地域に貢献することが大切だ。(…中略…)コミュニティーが再生すれば、税金などを使って治安対策をしなくても、安全な街になっていく」という。

警察化する市民社会

警察側も、こうした地域の力を活用しようとしている。
二〇〇三年八月、警察庁では、緊急治安対策プログラムを発表し、犯罪抑止のために、地域住民や警備会社など、民間活動との協力関係の強化を掲げている(『読売新聞』二〇〇三年八月二六日夕刊)。これは「警察活動と地域住民のボランティア活動との連携が重要」という見解を示し、犯罪情報を提供しつつ、自警団の意識を高めたり、警備員の質の向上をうながし、パトロールの委託を推進するものだ。脅威を共有することによって、これまでになく警察と市民が団結する。こうした状況ゆえか、全国の地域警察官が作成している地域密着のミニ広報紙「交番だより」も、「警察と地域の信頼をつなぐ」メディアとして注目されている(『産経新聞』二〇〇三年一二月一六日)。
元警察庁長官の国松孝次は、こう述べている。「お互いに助け合う地域社会を取り戻す努力が必要では。警察が主体になったり、治安対策として行うのでなく、自治体や学校、職域などで街づくりを考えることが、結局は治安回復にもつながる」、と(『読売新聞』二〇〇三年八月五日)。これは警察の時代の終わりなのだろうか。いや、市民が警察の視線を内在させて、誰もが警察化する時代なのだ。また全国被害者の会代表幹事の岡村勲も、「高度経済成長の時代に、壊してきた地域社会を、時間をかけて取り戻す時期に来ているのではないか」という(前掲書)。冷戦下において日本は急速に繁栄したが、冷戦後のポスト成長の時代では、自衛のために地域社会の再生が求められる。
では、どのように警察は民間と連携するのか。例えば、ポリス・ポスト・ネットでは、最寄りの郵便局と協力関係を結ぶ。実際、郵便局員が手配車両のナンバーを通報し、逮捕者にもつながった。千代田区では、警視庁OBがパトロールに参加し、八王子の高尾署管内でも、シルバーポリスが活躍している。また、熊本大の学生は、防犯サークルを立ちあげ、地元住民や警察官とともに事件現場を調査したり、学生アンケートを実施して、危険箇所を示した地図を作成した(『熊本日日新聞』二〇〇三年一〇月一八日)。大学側も、こうした活動を支援し、路地の明るさを測定するための照度計のほか、デジタルカメラ、ノート型パソコンをサークルに貸与している。
現在、生活安全条例も全国的に増えている。二〇〇二年一〇月から千代田区が施行した「生活環境条例」も、路上での喫煙を禁止したことで話題になった。また同区ではいわゆる犯罪抑止を目的にしたものではないが、やはり監視のためのパトロールを行なう。午前九時から午後五時まで、四班が巡回し、区の職員、警備員、警察官が合同する。斎藤貴男によれば、同区では「路上禁煙地区」や「浄化モデル地区」という表示が歩道にあるらしい。同条例では、他にもガムや紙くず、空き缶などのポイ捨て、置き看板や落書きなども対象だ。また、これから建築する物件に対して、防犯カメラの整備に努めるよう指示している。
条例によって縛られるストリート。斎藤貴男は、相互監視社会の進化をこう批判している★四。「アメリカへのグローバリゼーションにはいささかの修正も加えられず、ということは貧困を解消しようとする不断の努力など伴っていないのに、東アジア的な総動員体制による犯罪抑止システムだけを強化していくなら、これも所詮は対処療法の域を出はしないし、何よりもその総動員体制に簡単に服従できない少数派を排除する結果だけをもたらしかねないのではないだろうか。市民社会の分断が危惧される」、と。
セキュリティのネットワークを構築する、高知県の春日井市の事例を紹介しよう。一九九三年に鵜飼一郎市長は、市と住民と警察が一体となった「春日井市安全なまちづくり協議会」を発足させ、一九九五年からは市民大学「春日井安全アカデミー」を運営し、地域の安全リーダーを養成してきた。そして一九九七年から、女性フォーラムを立ちあげ、女性の視点を生かした防犯対策を推進する。同実行委員長は、「男性は大きなことを企画するのに向いているかもしれないけど、こと細かに見て歩いて確かめられるのは、地域に住む女性ならでは」という(『リビング  名古屋北』二〇〇三年一〇月一一日)。まさに銃後の守りである。
二〇〇三年九月、春日井市では、市民のボランティアによる子供のボディガード「児童見守り隊」が結成された。きっかけは、二〇〇二年に名古屋で起きた連続通り魔事件だった。パトロール中のたすきをかけた三、四人が一組となり、校門から家の近くまで送る。中高年による安全・安心まちづくりボニター(ボランティアとモニターを合成した造語)の代表は、「こんなおじさんたちが歩いてるぞ、というだけでも、犯罪者へのプレッシャーになるはずです」という。そして「犯罪を犯す人は、人の目を嫌う。一人、二人、三人と目が増えていけば、それだけ安全確保につながります」と語っている。これは、警察庁生活安全企画課が「犯罪予防で最も効果があるのは『見知らぬ人がくればすぐ分かる』という街の姿だ」とコメントした内容と、ほぼ正確に重なりあう(『朝日新聞』二〇〇三年一一月七日)。ボランティアは、「くらがり診断」と称して、各世帯に不安や危険を感じる場所のアンケートを行ない、防犯灯や道路灯の必要な場所を町内会に提言する。また、扉に鍵が二つ以上あるかなど、各家庭の防犯診断と聞き取り調査も行なう。
かくして市の主導する活発な防犯のシステムが、都市の隅々にまで浸透していく。春日井安全安心まちづくり女性フォーラム実行委員会は、ボニターとともに、市内の小学校をまわり、安全意識を高めるための出前授業を行なう。そして子供に不審者と遭遇したときの模擬練習を試みている。また、市内の三七の全学区において安全マップを作成した。その際、子供に危ない思いをした場所をシールで貼ってもらうだけではなく、PTAや町内会、婦人会や老人会にも同じことを依頼している。安全マップは、白地図にイラストで危険箇所を書き込み、安全に通学できる道順を示し、新入生に配る予定だという。このマップをもとに、以下のような危険箇所の改善も行なわれている。地域住民が暗い地下道を定期的に清掃し、国にかけあい、照明をつけてもらう。白山小学校区の地下道では、女性フォーラム実行委員会の提案により、子供の壁画を描き、犯罪を防ぐ。あるいは、死角となる公園の植栽を伐採してもらうなどである。

東京を自警せよ

二〇〇三年五月、警視庁がホームページ上で犯罪発生マップを公開し、大きな波紋を呼んだ★五。地図が犯罪別に色分けされ、どのエリアに、どういうタイプの犯罪が多いかが一目でわかる。その結果、空き巣などの侵入盗が多い世田谷区はショックを受け、区長は「安全安心まちづくり施策」を発表し、警備会社や清掃会社に依頼して、六月から二四時間パトロール隊を開始した(『日本経済新聞』二〇〇三年六月一六日)。これはのべ五〇人が三班に分かれて、二四時間を担当するというもの。また世田谷区は、商店街の自警団に上限一〇万円の助成金制度を始め、二〇〇三年九月の段階で、四一団体が活用している。なお、犯罪発生マップの余波を受けて、犯罪が多い杉並区も、共同住宅や大型店鋪の建築申請に防犯性の高い鍵の設置を求める条例を施行した。もっとも、犯罪が少ない荒川区でも、区役所に危機管理担当課長職を新設している。つまり、情報公開によって、どの地域も安心することはなく、不安のみが拡散された。
もっとも、世田谷区ではこれ以前にすでに幾つかの動きがあった。二〇〇二年四月、明大前商店街は、駅ホーム下にプレハブの交番「明大前ピースメーカーズボックス」を開設した。同地域は区内の痴漢発生件数ワーストだと告げられ、交番の設置を求めたが、ダメだったために、二〇〇一年に自警団を結成したことがきっかけである。自警団は商店主四〇人。ピースメーカーズボックスでは、日曜を除いて常駐し、夜八時から駅周辺の夜警を行なう。マンションの前に若者がたむろして座りこんでいるから、注意してもらいたいといった要望も扱う。かくして痴漢はゼロ、空き巣も半減した。商店街の本杉会長は、「安全でない街に人は集まらない。安全な街づくりが商店街の活性化にもつながる」という。世田谷一家惨殺事件の現場近くでは、住民の恐怖心から、「わんわんパトロール」を開始した。飼い主が腕章をつけ、犬の散歩をしながら、街を見まわり、怪しい人を見かけたら一一〇番通報を行なう。
『朝日新聞』では、情報公開請求によって、警視庁から入手した「地域別犯罪件数」の掲載を開始した。各区各町の各丁目ごとに、犯罪件数を一覧表で細かく示し、警視庁がホームページ上で公開した地図よりも、さらにデータの精度が高い。都内の刑法犯の認知数が、一九九九年から四年連続でワースト記録を更新し、二〇〇二年は三〇万件を突破し、「自分の住む身近な地域でどれくらいの犯罪がおきているのかは、生活していく上で大きな関心事」だからだという(『朝日新聞』二〇〇三年一二月一六日)。いずれ、こうした数値は不動産の価格にも反映されるのではないか。ともあれ、生活圏において、どのような犯罪が発生したのかを、リアルに想像できるとき、見慣れた風景は恐怖の場所に変貌する。
東京の各地では、さまざまな防犯対策が進行している。
八王子では、小中学生による防犯パトロール少年隊が結成された。発足式では、代表の少女が「これからは、家族や友だちと一緒になって、地域の安全と安心を考え、人々が安心して暮らせる街づくりのお手伝いをしたいと思います」と決意を表明した。立川駅では、風俗店が増え、商店街、自治体、青少年健全育成会が、南口環境改善パトロールを開始した。客引きに注意し、捨て看板などを撤去する。こうした動きを受けて、市では「生活環境安全確保基本条例」を制定した。浄化されていく、公共の空間。
NHKの番組「難問解決!  ご近所の底力」は、地域の問題を住民とともに考えるものだが、防犯もテーマにとりあげる。例えば、杉並区の馬橋地区では、年間一〇〇件の空き巣が発生していたが、番組で対策を導き、住民のあいさつ運動や派手な服装のパトロールによって、被害件数の激減に成功した(『読売新聞』二〇〇三年八月二〇日夕刊)。また三鷹市の新川地区では、一八〇の戸建て住宅が玄関の門灯と台所の照明を一晩中つけている。地元の交番が移動したことを契機にはじめた防犯対策だった。若干の電気代はかかっても、灯りによって、人が起きている気配を感じさせる。地元自治会長は、「初めて町内が一致団結し、お互いに関心を持ち合う雰囲気が生まれた。防災訓練や町内会の会議への参加者も増えました」という(『AERA』二〇〇三年九月二二日)。かつて都市は自由な場所だった。しかし、セキュリティと引き換えに、都市の自由は喪失する。

蜂起する全国の自警団

高見沢実は、日本でも新しいタイプの犯罪が増えていることを挙げ、「現代の都市工学には、こうした事態をなるべく回避したり軽減させることも要請されている」という★六。例えば、宮崎勤の幼女連続殺人事件(一九八九)や酒鬼薔薇事件(一九九五)を挙げ、いずれも住宅団地の死角が舞台になったことを指摘している。隠れた遊び場は、セキュリティ上好ましくない。そして「事件後、団地のあちこちで鬱蒼と茂った緑を住民たちが伐採する光景が見られましたが、緑は『快適性』のための重要な資源であると同時に、一歩間違えば犯罪のための隠れ蓑ともなるのです」と述べていた。ともあれ、ハードとしての都市計画が防犯仕様でないとすれば、ソフトとしての防犯活動が要求されるだろう。
日本という共同体の内部において、犯罪者という他者が想定され、予防措置として自警団が各地で結成されている。香山リカは、最近の犯罪報道に対する反応について、「一億総被害者」の現象を指摘していた。なるほど、少年や外国人の凶悪犯罪の報道に怒り、被害者に感情移入し、報復措置として、市中引き回しや死刑を望む風潮が強くなっている。一般市民が自らを潜在的な被害者だと意識したとき、他者を加害者の予備軍とみなし、排除のために動きだす。自警団は警察と違い、検挙も職質もできないが、巡回によって抑止力を発揮するだろう。そして他者に対して、法のもとに公平にふるまう義務はない。地域住民は、視線をはりめぐらせ、障害物を除去し、都市空間を透明にしていく。
現在のような自警団の急増に先駆けて、日本では、ガーディアン・エンジェルスが登場していた。日本ガーディアン・エンジェルス理事長は、アメリカへの留学経験から「治安活動は警察のモノポリー(独占)との考えは、米国では三〇年前に切り捨てられた」と語り、「世界一安全な国、と誇れた水準を戻すには強いリーダーシップが必要」という(『中日新聞』二〇〇三年一〇月二三日)。二〇〇三年九月の段階では、二六四人の登録会員が全国二一拠点で活動している。二〇〇四年へのカウントダウンで、若者が渋谷駅前のスクランブル交差点を占拠したとき、警察とともに、日本ガーディアン・エンジェルスも出動している。自警団にも影響を与えているようだ。例えば、池田小の事件に触発されて、二〇〇三年春に活動を開始した静岡県富士宮市の富士宮安全・安心パトロール隊は、発足にあたって、ガーディアン・エンジェルスを見学したという。
栃木自警団は、商店街で車上荒らしや空き巣が多発したために、一九九八年に発足した。その後、地元の学校の要請を受けて拡大し、各地で支部が増えていく。月二回、犯罪が増える土曜日の夜、彼らはパトカーとそっくりの二台の巡回車に分乗して、パトロールを行なう。制服やヘルメットも警察官と類似しているが、副団長は「遠くから見ればまるで警察官。これが大事なんですよ」という(『AERA』二〇〇三年九月二二日号)。警察という虎の威を借りて、犯罪者を威嚇できるからだ。栃木自警団では、警察と相談しながら、法律に抵触しない範囲で、ぎりぎりまで似せたらしい。ダミーカメラならぬ、ダミー警察とでもいうべきか。準警察としての自警団。精神的なレヴェルのみならず、視覚的にも、警察と同化していく一般市民たち。実績としても、事件発生数は減少したという。
セキュリティに関する各地の動きを紹介しよう。
一九九五年に茨城県では、警察と住民が協力したセーフティ・マイタウン・チームの制度を開始する。人口が広域に分散しているために、警察が地元の協力が必要と判断したからだ。二〇〇二年、仙台市の宮町地区防犯協会では、交番が移転したために、県営住宅の空き店鋪を無料で提供してもらい、自前の交番を設置。同年、高知県の香我美町では、少年の非行防止のために、オレンジ・ポリスを結成した。地域住民が、警察と連携するだけではなく、警察の代替としての機能を自ら果たそうとしている。
三重県では、商店主、市民運動家、マンションの管理組合が、三重県セキュリティー協会を設立。広島県の廿日市では、痴漢の出る道など、防犯マップを作成し、市がCD─ROM化して配付している。盛岡の大通りでは、酔った若者が増え、ひったくりが起きるために、商店街が警察に働きかけて、土曜の歩行者天国を廃止した。大阪のニュータウン彩都開発では、「入居前から始まるコミュニティーづくり」を売りにしている。田植えや稲刈りなどのイヴェントによって生まれる近所つきあいが、防犯効果を高めるからだ。
二〇〇三年、千葉県では、防犯パトロール隊情報交換会が催された。県警によれば、「我ら亀の子防犯隊」(千葉市中央区)や「落書きやめさせ隊」(柏市)など、七月の段階で六七隊六五〇〇人である(『千葉日報』二〇〇三年七月三一日)。ただし、そのうち五二の防犯パトロール隊が新設されたものだというから、ほとんどが新規の自警団だ。急増ぶりがうかがえる。また特殊な自警団であるが、同県の森戸町内自主警備団は、産業廃棄物の不法投棄を阻止する目的で、二〇〇〇年に創設された。
千葉県袖ヶ浦市では、独自の予算措置を行ない、市が民間の警備員を巡回させる夜間パトロールを雇う。これは全国的にも珍しい事例である。市長は「警察だけをあてにはできない。自分たちで自衛し
て、市民に安心して眠ってもらいたい」という(『朝日新聞』二〇〇三年九月三日)。その背景としては、五年間で、市内の犯罪が倍増、空き巣は九倍以上になったことが挙げられる。千葉県では、雇用創出事業としても、地域安全パトロール隊を発足させた。平均年齢が六〇歳で、定年や中途退職した人物が警備教育を受けている。
各地の自治会では、防犯に関する情報提供やアンケート調査も行なう。例えば、千葉県の「ユーカリが丘  NEWSわがまち」第二五号(二〇〇四年一月一五日)では、佐倉警察署管内の佐倉市、八街市、酒々井町の二市一町の四一団体一八五八名が加盟する、さくら防犯パトロールネットワークの発足を伝えていた。その会長のあいさつでは、第一に、行政、警察、自治会、学校と連携を密にして防犯情報を共有化すること、第二に、広域的な活動を展開して急速に広がる犯罪の連鎖を断ち切ること、第三に、住民が身近に迫る犯罪の魔の手を充分意識して、街ぐるみで啓蒙運動を行なうことを呼びかけている。防犯スローガンは、「明るいあいさつは犯罪を抑止します」である。ユーカリが丘では、一九九九年に地域の活動を促進するクライネスサービスを発足。土曜の夜間パトロールを実行してきた。その坪松会長は、防犯フェアにおいて、「地域の安全は地域の住民自身で守る時代になった」と述べている(『クライネスサービス』広報誌第四号、二〇〇四年)。
三浦展は、車での連れ去りなど、地方で重大な事件が多発する理由を以下のように考察する。かつての日本には、小さくても歴史と伝統と個性を持った多くの都市や農村が各地方に存在し、顔の見えるコミュニティをつくり、犯罪、非行などの逸脱行為をある程度抑止していた。「しかし、近年拡大したファスト風土は全国共通の均質な風土であり、整備された交通網によって全国にネットワーク化されている。(…中略…)地方の農村部は、かつては最も変化の少ない平和で安定した地域であったが、今や非常に流動的で匿名的な空間に変質し、犯罪を誘発しやすくなっている」、と(『朝日新聞』二〇〇三年一一月一二日)。敵の姿ははっきりとわからない。それゆえ、見知らぬ流れ者を排除すべく、自警団が増えていく。
前述したポスト近代的なハイテク管理と前近代的な自警団の監視は、いずれも他者への信頼に基づく近代社会の機能不全を示す。そして一見ベクトルの違う二つのセキュリティ・システムは、ともに誰もが匿名ではいられない空間を志向している。酒井隆史が言うように、「セキュリティの論理は、インセキュリティの不安を煽るメディアのスペクタクルの上昇と比例して、その暴走をくい止めていた『たが』がはずれたかのように現代社会を覆いつくしつつある」★七。市民社会は、ゆるやかに分解するだろう。そうした状況は、犯罪の温床とみなされ、さらなるセキュリティへの欲望を生むという悪循環が起きている。日本は、自衛する西部劇の世界に突入してしまうのか。

通学路という危険地帯

最も危険なストリートとして認知されているのは、通学路かもしれない。小学生が狙われる事件の報道が続き、重要な問題になっている。二〇〇三年のデータによれば、一五歳以下の子供の連れ去りは、半数以上が道路上で発生しているという。
文部科学省では、全国すべての公立小学校に対して、地域ボランティア「スクールヘルパー」の組織化を奨励し、学校内に常駐し、登下校や校内の見回りを行なう方針を決めた。保護者だけではなく、地域の防犯協会員、消防団員、教職員OBの参加も想定している。文科省は、「いつ起こるかわからない事件を防ぐには、地域住民の協力を得て監視の目を強化するのが最善の策」という。すでにこうしたボランティアの動きは、大阪府の池田小学校事件以降に起きており、池田市や北九州市で進んでいる。文科省は、二〇〇二年から「地域ぐるみの学校安全推進モデル事業」を開始し、四九のモデル地区を指定した。山梨県石和町では、保護者四〇人のボランティアが学校周辺の巡回を行なっている。
通学路の防衛としては、以下のような手段が挙げられる。
第一に、防犯地図。文京区の学校では、危機意識をもってもらうために、子供が危険だと思うところをメモした「ヒヤリハッとマップ」を校内にはりだす。葛飾区青少年委員会でも、子供の視点から「犯罪危険地図」を作成した。犯罪の可能性が、地図的な想像力によって表現される。しかし、住民による地図は、警視庁の犯罪発生マップよりも、リアルな細部に踏み込む。許可を得て、予算さえ確保することができれば、こうした犯罪マップは、実際の都市空間を変える根拠として使われるのではないか。
第二に、防犯グッズ。すでに防犯ブザー付きのランドセルやキャラクターをデザインしたアラームなどが商品化されている。防犯グッズは、教育の現場にも浸透している。世田谷区では、区内の小中学生約五万人に防犯ブザーを貸与することを決めた(『読売新聞』二〇〇三年一二月二〇日)。八王子市でも、子供を襲う、はさみ男や首締め男が出現したとされ、全小中学生に防犯ブザーを配る対策を決定した(『朝日新聞』二〇〇四年一月二九日)。千葉の小竹小では、防犯ブザーを児童全員に購入し、かばんに下げさせている。こうした防犯ブザーは、隠しもつのではなく、わかるように着用することで、犯罪者への威嚇になるという。千葉県や京都府などでは、交番に通報できる「こどもSOS」を通学路に設置している。
第三に、情報器機。GPS対応の携帯型端末や、一定距離離れるとメロディが流れるバッジなどを持たせれば、子供の位置が確認できる。隠れんぼを奪われた児童たち。いつでも、どこでも親が子供の位置情報を把握できる。また「送迎サービス」として、携帯電話のGPSボタンを押すと、タクシーが駆け付けるサービスも登場した。子供がICタグをもち、塾に到着すると、保護者にメールが届くといったシステムも始まっている。
第四に、パトロール。防犯の視点から通学路をチェックすると、狭い路地や死角の多い公園など、あちこちに危険な箇所が発見される。八王子では、PTAがパトロールを行なうほか、保護者にも防犯パトロール中のステッカーを配り、自転車かごに張っている。そして高齢者には、学校安全ボランティアの腕章が配られ、学校の周囲を見まわる。誰もが見ているパトロール都市。以前から、集団登校は、主に交通安全を目的とした自主的なセキュリティのシステムとして存在していた。しかし、パトロールはあくまでも大人が見ているという威嚇効果が重要なのである。
京都では、教職員やPTAのパトロールが一週間ほどで限界に達し、余裕のある高齢者に見守ったり、声をかけてくださいと呼びかけている。その結果、通学途中の子供を見守る大人が、あちこちに出現した。千葉県の青菅小や井野小では、やはり「パトロール中」のシートを貼った自転車にのって、犬の散歩や買い物を利用したボランティア・パトロールを行なう。世田谷区の「たまたまパトロール」でも、犬を飼っている人に協力を呼びかけ、二四〇匹が登録し、日常に目を光らせる。警備会社やベビーシッターによる送り迎えサービスも始まった。
最後に、名古屋の事例をまとめて紹介しよう。
愛知県警によれば、二〇〇三年は児童に対する声かけ事案が、前年に比べ七二パーセント増えている。そこで守山区では、不審者が多い通学路のトンネルを有志の親が見張ったり、登下校時にPTAがパトロールを行なう。銀行や買い物へ行く時も「パトロール中」の看板をつけた自転車にのり、「いろんな時間にいろんな場所で見かけることで、この地域は防犯意識の高いオバサンがたくさんいるんだとアピールできます」という(『リビング  名古屋北』二〇〇三年一〇月一一日)。天白区は、池田小の事件の後、PTAが黄色に黒字で「こどもSOS  困った時はすぐピンポン」というシールを作成し、通学路の家に貼ってもらう。これも子供に知らせるだけなく、不審者に町の防犯意識を伝える意図をもつ。
二〇〇二年、名古屋市の瑞穂区では、モデル事業として「地域の世話焼き活動」を開始した。通学路でのあいさつやパトロールのほか、いいことはほめ、悪いことは叱るオジサンやオバサンを増やそうというもの。失われた共同体を復活させる運動は、熱田区、中川区、千種区にも拡大した。さまざまな局面において、街づくりと防犯運動が融合している。また、登下校を見守るキッズ・セーフティ・パトロールも行なわれている。こうした監視体制が日常化すれば、子供が寄り道する自由は奪われるだろう。二〇〇三年四月、千種区の春岡学区では、子供のための緊急通報装置の運用をはじめた。通学路七カ所に置き、ボタンを押すと、警察署に映像と音声で連絡ができる。そして赤色灯が点灯し、非常ベルが鳴り響く。
一歩外に出ると、もはやストリートは戦場であるかのようだ。言うまでもなく、通学路と接続された学校と住宅も、重要な防御拠点になるだろう。だが、ここで誌面がつきた。次回の「過防備都市3」では、要塞化する学校と住宅を論じたい。


本稿の執筆にあたっては、黒田剛史氏から重要な情報を多く提供していただいた。
★一──「都築響一の現代美術場外乱闘」(『ART iT』No.2、二〇〇四)。
★二──東浩紀+大澤真幸『自由を考える──九・一一以降の現代思想』(NHKブックス、二〇〇三)。
★三──「過防備都市1──情報社会はいかにわれわれを管理するのか」(『10+1』No.33、INAX出版、二〇〇三)。
★四──斎藤貴男「分断される『市民』」(『論座』二〇〇三年五月号、朝日新聞社)。
★五──URL=http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/
toukei/ yokushi/yokushi.htm
★六──高見沢実『初学者のための都市工学入門』(鹿島出版会、二〇〇〇)。
★七──酒井隆史『自由論──現在性の系譜学』(青土社、二〇〇一)。

*この原稿は加筆訂正を施し、『過防備都市』として単行本化されています。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.34

特集=街路

>都築響一(ツヅキ・キョウイチ)

1956年 -
写真家、編集者。

>東浩紀(アズマ ヒロキ)

1971年 -
哲学者、批評家/現代思想、表象文化論、情報社会論。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>香山リカ(カヤマリカ)

1960年 -
精神科医、評論家、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。立教大学現代心理学部。

>三浦展(ミウラ・アツシ)

1958年 -
現代文化批評、マーケティング・アナリスト。カルチャースタディーズ研究所主宰。

>酒井隆史(サカイ・タカシ)

1965年 -
社会学、文化研究。大阪府立大学准教授。

>大澤真幸(オオサワ・マサチ)

1958年 -
社会学。京都大学大学院人間・環境学研究科。

>過防備都市

2004年7月