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景観の先を見よ | 太田浩史
Look beyond Landscape | Ota Hiroshi
掲載『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) pp.162-172

都市への想像力

先日、建築学科の学生と話をしていたら、ひとつ驚かされたことがあった。東京でいちばん好きなのは表参道だという話だったので、ホコ天がなくなったから僕にはつまんないねと言ってみたら、そんな話は聞いたことがないという。彼女はどうやら現代建築が並ぶ今の様子が気に入っていたらしく、八〇年代の竹の子族、九〇年代のバンドブームやイラン人のマーケットの賑わいを話してみると、そんな自由は考えたこともなかったとしきりに感心する。ホコ天廃止からわずか一〇年。サブカルチャーに満ちていた公共空間の喪失よりも、都市の可能性を捉える想像力があっさりと失われたことに私は驚いた。
同様のことは、ピクニックの普及活動★一[図1]をしていても痛感される。新宿御苑は午後四時半に閉門し[図2]、日比谷公園の芝生は立ち入り禁止である。ただでさえ一人あたり五平方メートルの東京の狭い公園が、その排他的運営を省みようともしないことにも唖然とするが、それより深刻なのは、私たち自身がその状況に甘んじて、想像力の行使を知らず知らずのうちに自粛していることである。私たちのクラブは都内あちこちの公園に食事とワインを持ち込み、ラグを敷き、休日の草上の社交を重ねているが、そのような都市空間の利用法がありうるということ自体、私自身も以前は思い及ばなかった(告白するが、最初はスポーツ新聞の上で缶コーヒーを飲んでいた)。都市は豊かに使われるべきだし、私たちも豊かに使うための術を持っていたい。それをいつの間にか忘れてしまったならば、建築家は、想像力をもって新たなアクティビティを描き出す職能でありたい。ディテールも含めた空間利用の提案こそ、建築家の能力がまさに求められている分野であることを、私はピクニックを通して知ったのだった。
とはいえ、状況は依然として私たちを束縛している。ホコ天を知らなかった学生のように、首都高ができてから育った私の世代は、日本橋川を空間として体験したことがない。だからといって首都高を自明なものとして容認しても、それはホコ天のない表参道もよいのだという意見に私が驚いたように、かつての水辺を知る人々には存外な物言いでしかないだろう。所詮、現状の追認だけでは議論は成立しないのである。なぜなら都市とは変化そのものであり、出発点の差は論拠にはなりえないからである。言い換えれば、共有可能なのは都市をいかに築いていくかという未来論だけなのだが、では、建築家は、議論するに足る未来について、武器であるはずの想像力を発揮できているだろうか。現状の解釈に拘泥し、自らをかえって束縛してはいないだろうか。首都高埋設に対する慎重論を聞いている限り、私には、都市への想像力の発揮を進んで自粛し、自らをますます束縛しつつあるように見える。

1──東京・晴海ふ頭公園でのピクニック・フィールドワーク 筆者撮影

1──東京・晴海ふ頭公園でのピクニック・フィールドワーク
筆者撮影

2──新宿御苑は午後4時半に閉門してしまう。案内には「ごゆっくりとお楽しみ下さい」とある 筆者撮影

2──新宿御苑は午後4時半に閉門してしまう。案内には「ごゆっくりとお楽しみ下さい」とある
筆者撮影

建築の内向

ずっと気になっていることがある。二年前、私は『新建築』誌の月評を担当したのだが、何より印象的だったのは、「アトリウム症候群」とでも言えばいいのか、中庭やアトリウム、吹抜けを利用した建築の多いことだった。いくつもの建築が、揃ったようにヴォイドを一望できる階段やエレベーターを配置して、「小都市のような場所」「交歓の庭」など、あたかも都市的な様相を内部に表出するがごとく説明される★二。設計手法としては理解できるが、学校建築も、住宅メーカーの住宅も、そして大型の都市建築も、ことごとく同じ題目を唱えているのを聞いていると、何か共通の心理的背景があるのではないかと思えてくる。なぜならば、そうした都市性を強調する建築ほど、空間として閉じているように私には思われるからである。例えば、あるコミュニティ施設では、建物内部に「縁日」を実現させるために様々な計画言語が援用されていたのだが、その内的充実への情熱とは対照的に、外部に対しては接続よりも切断を優先していた。また、都心再生のフラッグシップと謳われた《日本橋一丁目ビル(日本橋コレド)》も、地下鉄駅と繋がる小さなアトリウムを成果とする一方で、日本橋や交差点との連携を欠き、容積緩和のトレードオフであるはずの公開空地をあからさまに軽視していた★三。つまるところ、どうも日本の現代建築は外部への関心を欠いており、むしろ内部に都市のシミュラクルを表出しようと努めているらしい。それが一年にわたる私の月評の結論だったのである。そしてこの内向は、心理学的な分析以外の説明法が見あたらないほどに、根が深いようにも思われた。なぜなら確かに私たちは、内向を生み出す教育体系と、それに専念させる分業体制と、それを価値として循環させるメディアのなかにいるからである。
ひとつの例を挙げると、建築学科の学生の多くが利用する『建築設計資料集成』というシリーズがある。昭和一七年から三回の大改訂を重ね、現在ではシリーズ合わせて一六冊の内容量を抱え、コンパクト版だけでも年間一万五千部を売り上げるこのシリーズに、私は企画の段階から参加をしている。その経験から言えば、『資料集成』にはある明快な構成論理がある。それは「部分の集合が全体をつくる」というものであり、かつては「単位空間」という言葉に代表された、信念にも近い論理である。目次構成を見ていただければ、人体の動作寸法が諸室の設計寸法へと敷衍され、諸室の寸法とその適切な配置がビルディング・タイプの構成原理となり、ビルディング・タイプがやがて複合して多目的の建築になるさまが読み取れるだろう。そのように部分から積み上げていく設計論は、個人個人の生活が基点となるからわかりやすく、設計しやすくもあり、実際にも基本寸法の確保が急務だった戦後の施設計画において多大な成果を上げたのだが、その一方で、都市や環境という外部の状況に対して、建築の位置を表明する論理には至っていない。例えばアトリウムや中庭は空間構成手法としては記述されるが、外部空間や都市の公共空間との関わりについての記述は少ない。また、まさに景観法が操作対象にしようとしている、ファサードの形成法については記述箇所そのものがない。これらの弱点は私たち編集側も理解しており、「都市のオープンスペース」という章によって建築と都市をスケール的に横断しようとはしてみたものの、都市と建築を横断する編集法を見出すことは難しかった★四。それもそのはずで、都市空間を捉える基礎作業がどうも全く足りなかったことに気がついたのは、本が出版された後で、アメリカの『Time-Saver for Urban Design』★五、ドイツの『Städtebau Band1& 2』★六などの作業を見てからだった。
これらの本は、前庭の奥行き、道路と歩道の幅や段差、広場や街路に対する建築の取り付き方などが具体的な寸法とともに紹介された、「都市版」の設計資料集成である。両者とも、戦後の日本の建築計画学者たちが情熱を注いだような寸法の体系化が、都市空間を対象に事細かに描出されており、その成果はそれぞれの国の建築教育にも還元されている。しかし、このような都市の基本寸法資料集の作成は、いまだ日本ではなされていない。なぜ、これまで建築学会はその作業をなしえることがなかったのだろうか。また、それをせずに今まで来られたのは一体なぜか。そう考えれば、建築界の守備範囲は明らかになってくる。要は、私たちはとっくの昔に都市空間を設計対象から外し、施設計画に専念することを決めていたのだ。設計に最も重要な寸法論の整備を、都市計画家と土木設計家の手に委ね、結局それは建設省/国土交通省の標準工事仕様書として手の届かないところに行ってしまったのだ。私たちが都市像を提示しようとしても、アトリウムや中庭といった建築の言葉で表現するほかはないのは、経緯を考えれば詮ないことなのだ。また、都市空間の現状に絶望し、内向のなかに都市の気配を探り当てようとするのも事情があってのことなのだ。しかし、それでもなお、私は建築の外部を信頼したいと考えている。それ以外に、建築の内向が助長している、都市空間の断片化と商業化に対抗できる方策が残されていないように思うからである。
再び表参道に戻ってみよう。安藤忠雄設計の《表参道ヒルズ》の道を隔てた反対側に、黒川紀章設計の《日本看護協会ビル》という建築[図3]がある。あまり比較されていないのだが、表参道に対するこの二つの建築の空間操作は実に対照的である。まず《日本看護協会ビル》では、足元に空地を設け、二階へと続く階段によって視界を開き、そこにオープンのカフェテラスが配されている。テーブルに座れば渋谷方面を臨む風景を見わたすことも、《表参道ヒルズ》の混雑を見下ろすこともできる(黒川自身の提案だと聞いたことがあるが、何とあっけらかんとしていることだろう)。これらは商業ビルではないからこそ可能な操作なのだが、黒川の、建築家としての都市への空間的提案を確かに読み取ることができる。
翻って《表参道ヒルズ》では、参道に対してひしめくようにブティックを並べており、人がとどまる場所はない[図4]。唯一のオープンスペースであるエントランスの切り込みには、カフェのテーブルを提供する余裕も残されていない(カフェはあるのだが、定石に反して外部に対して閉ざしている)。内部のアトリウムは、表参道の斜路を映し込み、人々の視線を交錯させているから、メディアは「都市的」な空間と喧伝するだろう。しかし冷静に見れば、表参道とは空間的な連続性を持ってはおらず、むしろそこから動線を切り離し、最上階の飲食店へと誘う強制交通装置である。本質的な構造に関して言えば、周囲の文脈と絶縁する《日本橋一丁目ビル》と変わらない、「アトリウム症候群」の建築なのだ[図5]。両者に共通するのは、時間をかけて形成された外部に依存しつつも、そのアクティヴィティを囲い込もうとする商業的エンクロージャーではないだろうか。ベタな言い方をあえてするが、人々のための空間はどこにあるのか★七。

3──黒川紀章《日本看護協会ビル》 足元に空地が設けられており、2階へと続く階段によって視界が開かれている 筆者撮影

3──黒川紀章《日本看護協会ビル》
足元に空地が設けられており、2階へと続く階段によって視界が開かれている
筆者撮影

4──安藤忠雄《表参道ヒルズ》 参道に対してひしめくようにブティックが並んでおり、人がとどまる場所はない 筆者撮影

4──安藤忠雄《表参道ヒルズ》
参道に対してひしめくようにブティックが並んでおり、人がとどまる場所はない
筆者撮影

5──《表参道ヒルズ》のアトリウム スロープの勾配を表参道と共有しつつも、内部のアクティヴィティは外部とは連関しない 筆者撮影

5──《表参道ヒルズ》のアトリウム
スロープの勾配を表参道と共有しつつも、内部のアクティヴィティは外部とは連関しない
筆者撮影

脱線する景観論

ここでようやく景観論に話を移すことができる。実は《表参道ヒルズ》で最も援用されている言葉こそが「景観」である。安藤忠雄自身の言葉によれば、「表参道のケヤキ並木と一体になった風景こそ、受け継がれるべき東京の〈都市の記憶〉だと考えた」★八とのことであり、高さへの配慮を計画の前提にしたと述べている。しかし高さを抑えたために収支計画が厳しくなり、結果として足元周りの空間を人々に提供する余裕はない。一方で、表参道の「豊かな景観」を評価しつつも、「壁面線の揃っている表参道に敢て前面からセットバックするポケットパークをつくる」★九ことを試みたと黒川が述べる《日本看護協会ビル》は、ケヤキの木よりも高い八階建てではあるが、足元にアクティヴィティを作ることに成功している。つまり景観の何を重視するかによって、建築としての特性は全く違って現われるのである。そのように幅がある言葉なのだから、「景観」がどのように空間へと翻案され、都市に対してどのような効果があったかについてこそを、私たちは議論するべきだろう。必要なのは景観の先(例えばアクティヴィティ)を見通す想像力なのだが、いつまでたっても議論がそこに至らないのは、これまでに述べてきた教育上・職業上の慣習と、心理的束縛が影響しているのだと私は思う。それ以外に、議論が脱線していく理由が見あたらない。

さて、五十嵐太郎氏の「景観を笑う」★一〇が綴った景観法へのとまどいは、建築界の若い世代にもある程度共感されているらしい。らしい、と言ったのはあくまでも私の周りの人々の反応から判断しているからなのだが、先ほどの束縛を考えれば新しい話題にとまどうのも無理はない。ただ、彼らと話していて気がつくのは、基本情報の圧倒的な少なさである(情報自体はネット上に溢れているのだが)。五十嵐論文では触れられず、それにより誤解が増幅しているようなので、以下を列挙しておく。
まず第一に、景観法の基本的特徴なのだが、景観の計画主体が国ではなく、「景観行政団体」と呼ばれる都市や市町村などであることを知らない人が多い。もともとは地方自治体が独自に定めていた景観条例がベースにあり、それに法的根拠を与えるというのが景観法の趣旨だったのだが、五十嵐が述べた「国家が美に介入する時、極端な統制に走り、愛国心を鼓舞する歴史があった」★一一という論調に大いに影響されているようである。もちろんこれは法律の主旨をかなり逸れており、実際に司法の場においてマンション事業者の身勝手に完敗したことのある私からすれば、随分と遠回りの心配であるようにも思われる(国は何もしてくれなかった、というのが正直な感想だから)。そのような係争の場でなくても、少なくとも建築家として地域や都市の未来について興味を持つ人ならば、地域の未来を語るNPOがあちこちで形成されていることは知っているだろう。それぞれの現場において、それぞれの活動において、国家が主導権を握ったことはあったであろうか。また、仮に主導権が将来的に握られたとしても、それで話が進むほど、まちづくりは簡単だろうか。全国一律の建築基準法に煮え湯を飲まされてきた建築界であるから、これ以上の国家法は勘弁願いたいという気持ちはわかる。しかし都市や地域の未来について国家が一律的に関与するという考えは、理論的には可能でも、実際の問題としては不可能なのである。だからこそ、地方自治体の主体性を呼びかけているのが景観法である。
第二はそれと関連するが、五十嵐が「景観論は保守系のナショナリズムの議論と同じ構造を持つ」★一二と指摘する、景観法と愛国心の連動についてである。私の理解は全く逆であり、むしろナショナリズム以外の選択肢を持たない人々のほうが、景観論に冷淡なように思えている。その代表格は日本橋移設案を唱えた東京都知事なのだが、つまるところ、都市や地域(=景観行政団体)という新たに台頭しつつある計画主体への帰属意識(もしくは契約関係)を回避するために、個人と国家という古い図式を当てはめて、状況を誤解しようとしているのではないだろうか。またもや心理学的考察であるが、むしろ五十嵐の首都高擁護論は、東京の住民が持っている近隣への帰属意識を表面化させず、「首都東京」という思考の枠組みを温存する目的があるのではないか。そうだと考えれば、堀割上の高架道路という方針を定めた首都建設委員会の失策(一九五三)★一三に対して寛容な理由も私には納得できる。
いずれにせよ、景観法は、地方分権論、「小さな政府」論、一〇万人都市を最小行政体とする平成の大合併、コンパクトシティ論、そして道州制の検討という流れのなかに位置づけられるものであり、都市間・地域間競争を発生させていくための施策である。これらの議論は小泉首相の思いつきで始まったものではなく、 EUの都市再生戦略やアメリカのニューアーバニズム論などと並走しながら発展してきているから、これらに通底する「市民によるガバナンス」という考えこそ、議論の焦点であるように私は思う。リチャード・ロジャースの言葉を借りれば「良いガバナンスは、地に足のついた社会参加と、それを全体のヴィジョンに統合する仕組みによって行われる」★一四のだが、私には、そもそも五十嵐論文が問題提起をしようとしたのは、こうした「社会参加」の質と「ヴィジョンの統合」の手続き論だったように思われるからである。もちろん、日本においては「市民」概念の導入は実験でしかないかもしれない。しかし、官僚主義とポピュラリズムの支配から脱却したいのならば、その成熟に期待する以外に有効な手立ては少ない。「美」が動員されたのはその近道としてであり、五十嵐の指摘通り、それが再び官僚主義とポピュラリズムに回収される可能性も確かに高い。だが、そのような「市民」による都市運営論が議論されているからこそ、建築家の職能をもう一度社会に提示するべきだと私は思うのだ。それが喫緊の問題であることを、私たちはすでにいくつかの「市民参加型」のコンペによって見知っているではないか。
第三であるが、事例が少ないために、議論が抽象的になっていることに触れなければならない。都市的な景観誘導、特に高架道路の撤去・埋設などについては、事例を提示することは都市再生研究に関わる私の責でもあるので、簡単に以下の事例を挙げておきたい。
まず、ソウル市の高架道路の撤去による清渓川復元事業であるが、これは現市長による「ヴィジョン・ソウル二〇〇六」のなかで掲げられた政策であり、バスレーンの新設などによって公共交通の再編を行ないつつ、市の都市構造を変えていこうという狙いを持っている。二〇〇五年一〇月の完成から日が浅く、その効果はまだ局所的だが、早くも名所になっているのは日本でも報道された通りである。道路撤去の効果を拡大するべく周辺の土地利用計画の見直しも進んでおり、産業再編のための施策も予定されている。しかし親水部と周囲道路のレベル差が大きいために、歩行者空間としての利便性にはデザイン上の課題が残っている★一五[図6]。
一方で、ライン河沿いの自動車専用道を地下に埋設し、長さ約二キロの遊歩道を実現したデュッセルドルフのライン河プロムナードは、整備から一三年を経て、面的な効果を周囲に及ぼしている。中心市街の歩行者空間や広場との空間的連続性、バリアフリー化や貨物車の進入規制などの施策を積み重ねることで、公共空間が都市の骨格として機能するようになったのである。Fritschi+Stahl+Baumによるプロムナードのデザインは、鉄球遊びのペタンク用スペース、五つのバーとレストランなどにも及び、アクティヴィティの喚起がいたるところで試みられている。つまり、ここでは「景観」という視覚的な質の向上よりも、都市生活そのものの向上が道路の埋設の目的となっている★一六[図7・8]。
道路の撤去・埋設によって公共空間を新設し、都市空間を再編集しようとする試みは、ボストン★一七、シアトル★一八、マルセイユ★一九などにもあり、議論自体は都市再生論や交通計画の分野では常識でもある。その背景には空間的な要因のほかに、工業都市から文化都市への産業転換という社会的要因もあるゆえに、港湾部などのブラウンフィールドの再生と道路の撤去・埋設を組み合わせた事例も多い。例えば衰退した造船業の代わりにIT・文化産業を育成しているスウェーデンのヨーテボリでは、トラムや水上バスなどの公共交通の再編を進めつつ、広大なブラウンフィールドにオペラ座やホテル、集合住宅、大学を誘致している。その一環として、彼らは港と中心市街を分断していた自動車道を埋設しているのだが、それは土木工事というよりも、パブリック・アートや市民ワークショップを伴った、一種の市民運動と呼ぶほうがふさわしいものである。市立博物館の一画に設けられたワークショップ・スペースでは、地元のチャルマーズ大学の建築の学生が市民ワークショップ(子供向けのものも含まれる)を行ない、埋設後の公共空間の利用法について議論を重ねている★二〇[図9・10]。議論の内容はネット上にも公開され、関連出版物も多く出されている。たかだか人口五〇万人のヨーテボリでこうしたことが成り立つのは、都市再生がひとつの事業として幅広い裾野を持っているからにほかならない。
あともうひとつ、道路埋設に対する建築的な解答として、シュトゥットガルトの現代美術ギャラリー[図11・ 12]を挙げておきたい。これは市内を分断していた自動車道を地下に埋設し、その上にギャラリーと歩行者空間を新設しようとするプロジェクトで、すでに歩行者空間化されているケーニッヒ通り(一番の目抜き通り)と、J・スターリングが設計した《新国立美術館》(一九八三)や《音楽学校》(一九九四)などを空間的に結びつける建築である。コンペで選ばれたHascher+Jahreの設計では、地下の道路が細長い展示空間へとコンヴァージョンするだけではなく、自動車利用者もアートを体験できるように、地下の道路の天井に《50KM/H》(Nikolaus Koliosis作、二〇〇五)[図13]という作品も実現している。工事の手順を描いたダイヤグラムを見ると、埋設道路を機能させながらギャラリーを建設するという煩雑な手間を、彼らがいかに厭わなかったがよくわかる★二一[図14]。そこまでして、シュトゥットガルトは公共空間のネットワークを実現しようとしたのである(これもまた、人口六〇万人の都市の話である)。
これらの事例を通して見えてくるのは、大規模の「景観」工事が、それぞれの都市の空間戦略として多様な解をもって行なわれているということである。そしてその多様性は、空間の個性を捉え、そこに独自の未来を描き出すデザインの力と、それを共有の未来として実現しようとする社会の力に支えられている。そういう仕組みを、日本の私たちは築けるだろうか。それによって、景観法が都市の個性を引き出す施策となるか、それとも均質な風景をまた蔓延させていくかが決まるだろう。
最後に、これは首都高速の整備状況についてであるが、建設が進む中央環状線(王子線=江北──板橋は開通済、新宿線=池袋──渋谷間が山手通りの地下に建設中、品川線=渋谷──品川が工事が都市計画決定済)との関連である。中央環状線によって東名高速、中央自動車道、関越自動車道、東北自動車道、常磐自動車道、湾岸線などのすべての主要幹線が直結されるのだから、都心環状線の負荷は明らかに減る。予測によれば、王子線と新宿線の完成によって現在の渋滞の六割が解消、さらに品川線の完成によって九割が解消されるということだから★二二、火急の事情で建設された都心環状線も歴史的使命もひとまず果たしたと考えられるのだ(それを受けた全面撤廃論も残ってはいるが、現行路線の存続という方向で話は進んでいる)。築後四〇年を経て、改修費用が増加している都心環状線なのだから、残すところは残し、直すところは抜本的に直すというのが冷静な議論であろう。

6──ソウル市の清渓川復元事業 周囲の都市空間との連携にはデザイン上の課題が残る 筆者撮影

6──ソウル市の清渓川復元事業
周囲の都市空間との連携にはデザイン上の課題が残る
筆者撮影

7──デュッセルドルフのライン河プロムナード 引用出典=http://www.fritschi-stahl-baum.de

7──デュッセルドルフのライン河プロムナード
引用出典=http://www.fritschi-stahl-baum.de


8──Fritschi+Stahl+Baumによるプロムナードのデザインは さまざまなアクティヴィティの喚起が試みられている 撮影=樫原徹

8──Fritschi+Stahl+Baumによるプロムナードのデザインは
さまざまなアクティヴィティの喚起が試みられている
撮影=樫原徹

9──ヨーテボリでは、道路埋設によって ウォーターフロントと中心市街の連携を強めようとしている 筆者撮影

9──ヨーテボリでは、道路埋設によって
ウォーターフロントと中心市街の連携を強めようとしている
筆者撮影


10──工事と並行して、大学や建築家による市民ワークショップが開かれている 筆者撮影

10──工事と並行して、大学や建築家による市民ワークショップが開かれている
筆者撮影

11──シュトゥットガルトの現代美術ギャラリー 市内を分断していた自動車道を地下に埋設し、 その上にギャラリーと歩行者空間を 新設しようとするプロジェクト 筆者撮影

11──シュトゥットガルトの現代美術ギャラリー
市内を分断していた自動車道を地下に埋設し、
その上にギャラリーと歩行者空間を
新設しようとするプロジェクト
筆者撮影

12、13──Nikolaus Koliosis《50KM/H》(2005) 引用出典=Kunstmuseum Stuttgart, Architektur, Verlag der Buchhandlung Walther König, 2005.

12、13──Nikolaus Koliosis《50KM/H》(2005)
引用出典=Kunstmuseum Stuttgart, Architektur,
Verlag der Buchhandlung Walther König, 2005.



14──《シュトゥットガルトの現代美術ギャラリー》 工事の手順を描いたダイアグラム 引用出典=Kunstmuseum Stuttgart, Architektur, Verlag der Buchhandlung Walther König, 2005.

14──《シュトゥットガルトの現代美術ギャラリー》
工事の手順を描いたダイアグラム
引用出典=Kunstmuseum Stuttgart, Architektur,
Verlag der Buchhandlung Walther König, 2005.

美は方便である

本題に入りたい。景観の先には何があるのだろうか。私たち建築家は、どのような設計対象を見出していけばいいのか。五十嵐論文や篠原論文、そして伊藤滋氏らの「悪い景観一〇〇」★二三などによって「美しさ/醜さ」に焦点が当たっているが、その議論を尽くしたとしても、私たちが抱えている問題は解決しない(結局は、美は歴史が決めるのだと私は思う)。なぜならば、少なくとも都市に関する限り、美しさよりも優先されるべきことがあるからである。それはひとことで言えばアクティヴィティ、具体的に言えば私たちが社交をすることができる公共空間と、そのネットワークである。
ひとつ具体例を挙げてみよう。以前訪れた群馬県足利市の景観地区は、旧跡である足利学校を中心に丁寧な設計がされており、それは確かに美しいと言える風景なのだが、深刻なのは明らかに別の問題だった。その美しい景観地区には誰も人がおらず、風景がまるで竣工写真のように凍結されていたのである[図15]。もちろん、そこには理由がある。まず人口一七万人の足利市が、渡良瀬川を挟んだ二つの駅という分断された都市構造を持ち、それが住宅地のスプロール、車利用、郊外型大型商店の氾濫によってさらに広がってしまったために、市民が街に出かける理由がなくなったのである。景観形成を図り、観光によって疲弊に対応しようとしても、それは市民全員を動かすものではない。もしも中心市街に人々を呼び込みたいのなら、生活のニーズにあった商店を配置し、それらや文化施設を歩行空間によって安全に連結し直し、家族や知人とゆったりとした時間を共有できるようにしなければ、何も変わらないだろう。総合的な施策でなくては、効果は得られないのである。何よりも、彼らはすでにそれと同等の空間に取り込まれている。皮肉ではあるが、実は一番賑わっているのは市の南にある大型ショッピングセンターのイオン太田店なのだ。スターバックスもツタヤも大戸屋もあり、車に煩わされることもなく、乳母車を押してバリアフリーの買い物もできる「都市」。周囲から隔絶していたとしても、そこには大きなアトリウムがある[図 16]。
実は景観法は、美しさだけを論じてはいない。例えば基本理念の「良好な景観は、地域の自然、歴史、文化等と人々の生活、経済活動等との調和により形成されるものである」という条文★二四は、視覚的な話だけには止まっていない。まちづくりの現場に近い都市計画家の間でも、『景観法をどう活かすか』★二五、『景観法と景観まちづくり』★二六などに見られるように、景観をテコに都市や地域の再生をしようとする視点が多い。美しさだけでは状況は変わらないことくらい、都市計画家も、土木設計家も十分にわかっているのである。だから私はパブリックスペースと建築の設計論を統合し、それによって都市の分断を繋ぎ直そうと提案していきたいと考えているのだ。
例えば私たち建築家は、美しいだけでなく、機能的で、面白く、そして生活の喜びに満ちているような住宅を設計しようと普段から考えている。そのように複雑な設計与件を、ともかくも両立させる現実的な対応を知っている。だからこそ、景観論が美しさだけの議論に陥りそうな時に、そうではなくて、これは人間の暮らしの話なのだと問題提起して欲しいと私は思うのだ。また、前衛性が拒絶されそうな時でも、例えばビルバオのグッゲンハイム美術館を例に引き、建築の面白さがいかに人々を都市に誘い、アクティヴィティを発生させられるのかを、市民にきちんと説明できるようであって欲しいのだ。私たちは美の専門家でもあると同時に、生活の専門家でもあるのだから。
つまるところ、美は方便である。今の首都高が醜いという立場も、そうではないという立場も、それぞれ別の主張を言い換えているにすぎない(だから話が噛み合わない)。私はそんな議論に参加するよりも、日本橋川が潜在的に持っている可能性を可視化して、人間はこのように暮らすべきではないかと提案したいのだ ★二七。圧倒的にオープンスペースが少なく、立ち止まることも、夕陽を見ることさえも許されていないこの東京で、この機会ほど見過ごしてはならないものはあるだろうか。外国人の目でもなく、映画作家の目でもなく、建築家自身の目が求められているはずである。それなのに、例えば日本橋や神田の再生にエネルギーを注いできた若き建築家たちは、なぜ何も言わないのか。都市の状況を変えたいならば、なぜ堂々とありうべき景観と、そこに生まれるべきアクティヴィティの提案をして、それぞれの思いが結実するように動かないのか。
この首都高の問題は、篠原が「高架型の都市高速が首都高をお手本としてその後、大阪に、神戸に、さらには名古屋、福岡に波及」した★二八と述べるように、日本の都市の一般問題でもある。そのような歴史的転換点の前で、コスト論や美学論を理由に議論から撤退するのが建築家だろうか。だとしたら、これは七〇年代の都市からの撤退に次ぐ、第二の撤退となる。判断を間違えれば、もう二度と都市形成の担い手として信用されることはないだろう。すでに組織設計事務所が粛々と高架道路の埋設後の絵を描いているのだ。戦う相手を間違えてはいないか。

15──群馬県足利市の景観地区。美しい景観地区には誰も人がおらず、風景がまるで竣工写真のように凍結されていた 撮影=樫原徹

15──群馬県足利市の景観地区。美しい景観地区には誰も人がおらず、風景がまるで竣工写真のように凍結されていた
撮影=樫原徹

16──イオン太田店(群馬県太田市) 撮影=鍛佳代子

16──イオン太田店(群馬県太田市)
撮影=鍛佳代子

伸るか反るか

都市再生の研究員となってからというもの、三年間で国内外の六〇都市を歩いて回った。シャワーを浴びるように、ただただ都市の空気と音を感じ取りたかったからである。まだ数は少ないのだけれど、そのなかでおぼろげに見えてきたことがある。それは自然発生的な都市などどこにもなく、すべての都市が意志を持って建設されており、また建設され続けているということである。数えきれないほど見たクレーンの、何と美しく空に映えていたことだろう。響きわたる鎚音の、何と賑やかしかったことだろう。
建築と同じように、都市も作品なのだ。だからあらためて、私はその設計に参加したいと考えている。想像力が求められていると思うし、何よりも土木や都市計画からの呼びかけもある。道は自分で見出していかなくてはならないけれども、都市が好きだから、何かを変えてみたいと思う。


★一──『10+1』No.32(INAX出版、二〇〇三)における「ピクニック・フィールドワーク」では、「ピクニカビリティ」という言葉でユーザー側の想像力の欠如を考察した。
★二──「新建築月評二〇〇四」特に『新建築』五月号、九月号、一二月号(新建築社)を参考されたい。
★三──二〇〇五年、当初の公開空地は開業一周年を記念して早速全面改装された(設計=オンサイトデザイン)。
★四──鍛佳代子+太田浩史+伊藤香織「都市のオープンスペース」『コンパクト資料集成』(丸善、二〇〇三)。
★五──Donald Watson, Time-Saver Standards for Urban Design, McGraw-Hill, 2003.
★ 六──Dieter Printz, Städtebau. Städtebauliches Entwerfen, 1995, Kohlhammer Architektur.(日本語版として、ディーター・プリンツ『イラストによる 都市景観のまとめ方』[井上書院、一九八四]が出版されている)。
★七──余談ではあるが、森ビルの森稔社長は「表参道ヒルズ」についてのテレビのインタヴューで「これまでは人が街を選んできた。これからは街が人を選ぶ」と述べた(テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」二〇〇五年一二月九日放送)。
★八──「安藤忠雄インタビュー」『GA Japan』No.80(A.D.A. EDITA Tokyo、二〇〇六)。
★九──『新建築』二〇〇四年八月号(新建築社)。
★一〇──五十嵐太郎「巻頭論文・景観を笑う」『新建築』二〇〇四年一二月号(新建築社)。
★一一──五十嵐、前掲論文。
★一二──五十嵐、前掲論文。
★一三──篠原修「震災復興計画とその後の震災」(中村英夫+家田仁+東京大学社会基盤学教室『東京のインフラストラクチャー』技法堂出版、二〇〇四)に首都高が建設されるに至った経緯が詳述されている。
★ 一四──彼は、R・ロジャース+A・パワー『都市──この小さな国の』(鹿島出版会、二〇〇四)の最終章「市民」で次のように述べている。「都市をサステイナブルにするということは、都市をもっとコンパクトに、もっと結束の強いものに、そしてもっと魅力溢れるものにするということである。次の世代の終わりごろには、自然環境を圧迫し、格差によって特徴づけられるような今日の都市とは違い、市民それぞれが都市に対する発言権を持って、都市を機能させ、シンプルで、平和な環境を求めるようになるだろう」。
★一五──黄祺淵『清渓川復元  ソウル市民葛藤の物語』(日刊建設工業新聞社、二〇〇六)。
★一六──春日井道彦『人と街を大切にするドイツのまちづくり』(学芸出版社、一九九九)。参考URL=http://www.fritschi-stahl-baum.de(設計者の公式サイト)。
★ 一七──村山顕人「ボストン──ビッグ・ディッグ・プロジェクトと都市空間の再生」(『新都市』Vol.59、No.10、二〇〇五)。参考 URL=http://www.boston.com/beyond_bigdig(公式サイトではないがさまざまな議論が伺える)。
★一八──沿岸部の高架撤去の議論を州と市が進めている。参考URL=http://www.wsdot.wa.gov/projects/viaduct
★一九──三一〇ヘクタールに及び再開発計画のなかで高架撤去による公共空間の創出が中心的課題となっている。参考URL=http://www.euromediterranee.fr
★二〇──伊藤和良『スウェーデンの修復型まちづくり』(新評論、二〇〇三)。参考URL=http://www.alvstaden.se
★二一──Kunstmuseum Stuttgart, Architektur, 2005, Verlag der Buchhandlung Walther König.
参考URL=http://www.hascher-jehle.de
★ 二二──東京都心における首都高速道路のあり方委員会『「東京都心における首都高速道路のあり方」についての提言』(東京都、二〇〇二)。参考 URL=http://www.metro.tokyo.jp/INET/KONDAN/2002/04/40C43100.HTM
★二三──URL=http://www.utsukushii-keikan.net/10_
worst100/worst.html
★二四──景観法第一章第二条の二「良好な景観は、地域の自然、歴史、文化等と人々の生活、経済活動等との調和に形成されるものであることにかんがみ、適正な制限の下にこれらが調和した土地利用がなされること等を通じて、その整備及び保全が図られなければならない」。
★二五──景観まちづくり研究会『景観法を活かす──どこでもできる景観まちづくり』(学芸出版社、二〇〇四)。
★二六──日本建築学会『景観法と景観まちづくり』(学芸出版社、二〇〇五)。
★ 二七──実は五十嵐も日本橋の首都高が「美しい」とは言い切っていない。むしろ「首都高を撤去したあとの計画予想図では、日本橋川に親水公園や遊歩道が設置され、両岸に凡庸な高層ビルが並ぶ。もちろん、かつてここに公園が存在したことはない。地元の住民が首都高の撤去を悲願と思う気持ちはわからないでもないが、首都高さえ取り除けば、後はどうなってもいいのか。日本橋移設計画は、こうした再開発と引き換え、いやセットの移設『工事』なのだ」(「日本橋の首都高は醜いのか」[『論座』二〇〇六年四月号、朝日新聞社])と、撤去後の活用法の凡庸さ・議論の不在を問題視している記述もある。
★二八──篠原、前掲論文。

>太田浩史(オオタ・ヒロシ)

1968年生
東京大学生産技術研究所講師、デザイン・ヌーブ共同主宰。建築家。

>『10+1』 No.43

特集=都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>黒川紀章(クロカワ・キショウ)

1934年 - 2007年
建築家。黒川紀章建築都市設計事務所。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年 -
建築史。東北大学大学院工学研究科教授。

>リチャード・ロジャース

1933年 -
建築家。リチャード・ロジャース・パートーナーシップ主宰。

>伊藤香織(イトウ・カオリ)

1971年 -
都市空間計画学、空間情報科学。東京理科大学理工学部建築学科准教授。

>サステイナブル

現在の環境を維持すると同時に、人や環境に対する負荷を押さえ、将来の環境や次世代の...