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操作論としての サステイナブル・アーバニゼーション | 太田浩史
Sustainable Urbanization as an Operation Theory | Ota Hiroshi
掲載『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) pp.123-128

1    二つのサステイナビリティ

二〇〇二年の九月、ノルウェーのオスロで開かれた「Sustainable Building 2002」という国際会議★一において、ひとつ、象徴的な場面があった。基調講演を行なった国連人間居住センター(UN-HABITAT、以下HABITATとする)の事務局長、アンナ・カジュムル・ティバイジュカ氏が、都市こそが今後の環境問題の最重要項目であって、その更なる進化が建築分野の共通の課題であることを一〇〇〇人を超える聴衆に力説したのである。いささか唐突に始められた彼女の都市論は、サステイナブル婚建築恨を議論するための国際会議をHABITATが主張してきた文脈のもとに定位しようとするもので、そこにはコンパクトシティ論をはじめとするヨーロッパ主導のサステイナブル建築/都市論を、ひとつの、編集性の高い言葉に接続させようとする意図が込められていたのであった。
それが、「サステイナブル・アーバニゼーション」という言葉である。この言葉は同年の六月、ヨハネスブルグにおいて開催された環境サミットにおいて提唱されたもので、アフリカやアジア、ラテンアメリカなどの貧困と環境問題を「都市」によって改善しようとする実践論を意味している。リオ・デ・ジャネイロの環境サミットから一〇年。かつて「サステイナブル・ディヴェロップメント」と呼ばれていた開発をめぐる権利闘争は、より具体的に都市にその照準を合わせながら建築家や都市計画家の操作領域を包囲しつつある。それは極端なアーバニゼーションにあえぐ「南」の発展途上国の、夢見る権利としての都市開発論であり、コンパクトシティ論とは全く異なる出自を背景に持つものである。タンザニア生まれのティバイジュカ氏が、ナイロビに本部を持つHABITATの事務局長として、ヨハネスブルグの声明を読み上げる。オスロで語られるはずだった「北」のサステイナビリティ論に、アフリカ発の「南」のサステイナビリティ論を意図的に対置した彼女の基調講演は、この二つのサステイナビリティを両極とする磁場によってわれわれの都市論が揺動しつつあることを聴衆に強く直観させたのであった。
現在、環境問題は次第に都市問題へと帰着しつつある。実はヨハネスブルグ環境サミットの重要性は、サステイナブル・アーバニゼーションという言葉でそれを明確に宣言したことにある。人口流入が招くスラムの増大。エネルギー不足と水の不足。スプロールがもたらす自然環境の破壊。発展途上国であれ、先進国であれ、都市化にはさまざまな問題が付随する。しかしHABITATの先鋭性は、「これらの問題に応答できるのは、逆説的であるが、ただ都市自身のみである」★二と、アーバニゼーションの進化を肯定し、加速させようとする点にある。集積効果による高効率のエネルギー利用。インテンシヴな土地利用による自然と農地の保全。インフラの整備と廃棄物処理の徹底。コンパクトシティ論とも共通するサステイナビリティへの戦略に加え、雇用と教育の集積地として都市を経済発展の核とする。暗い面が強調されがちだったアーバニゼーションを希望として反転させようという視点は、HABITATが一九九六年に発表した『An Urbanizing World』[図1]というレポートや、同年のイスタンブールでのHABITAT会議から顕著になってきたもので、ヨハネスブルグの宣言もその延長線上に位置している。都市こそが答えである。この短く、鮮明な主張は彼らにとっては理論でもなく、構想でもない。それは具体的なプログラムとして世界各地において発動しつつある、現在進行形の都市の操作論なのである。
たとえば、われわれはその一例をHABITATと世界銀行★三のパートナーシップのもとに行なわれている「Cities Alliance」というプログラムに見ることができる。三年前に始まったこのプログラムは、二〇二〇年までに一億人のスラム居住者(世界のスラム人口は八億人とされている)の住環境を改善することを目標としていて、マニラ(フィリピン)、アデン(イェメン)、サンパウロ(ブラジル)など各地の都市において、住居とインフラの建設、そして「ガヴァナンス」と彼らが呼ぶ都市運営の整備が自治体と共同して進められる。求められているのは即効性のある手法であるから、クリアランスではなく、既存のスラムのアップグレードによって居住水準を達成させる。そして「Cities Alliance=都市連合」という名が示すように、その開発手法を都市間で共有し、抱える問題が近しい都市の開発を共振させる。国家が牽引したかつての都市政策とは異なった、水平的な都市化の手法。面的なアーバニゼーションのなかで、差異と類似を通して発揮される都市の機能性。そこには外的な状況から都市を対象化し、直接的な操作を試みる視座がある。

1——HABITATによる『An Urbanizing World』

1——HABITATによる『An Urbanizing World』

2    人工世界への投企

介入し、操作する対象としてのサステイナブル・アーバニゼーション。都市をめぐってなされた視点の反転は、長く看過されてきた都市の恣意性と人工性を浮かび上がらせる。都市は自然発生的に存在するのではなく、意図をもって現われたのであり、今後も意図をもって運営されていくだろう。HABITATの主張がこうした了解を前提としているならば、そこには闘争論としての都市論が二重に折り重なって提示されているように私は思う。ひとつは、紛れもなく国際政治における権利闘争である。すでにオスロの例で述べたように、都市論は「南」と「北」の衝突の場として歪みつつあり、生得権と既得権について、抵抗と牽制が激しく交錯している。リチャード・ロジャースやトーマス・ヘルツォークが活性化させたサステイナブル建築/都市論も、もとはEUによる代替エネルギーの検討プロジェクトであったREAD(Renewable Energies in Architecture and Design)会議[図2]を契機とするものであり★四、サステイナビリティを政治と切り離して語ることの不可能性を示している。最近の戦争においてニューヨークにカブールが、もしくはバグダットが対置させられたように、世界の不均衡はすでに都市風景の不均衡へと翻訳されており、その傾向は今後いっそう顕著になっていくであろう。なぜなら最も象徴的に集団性を表現する都市の不均衡こそ、サステイナブル・アーバニゼーションの原動力として政治的な効果が高いものはないからである。「北」の都市は折に触れて召喚されて、その効率性を問われていくものと思われる。
もうひとつの闘争は「自然」に対するものである。一〇〇億へと到達する人口の飽和を前に、われわれは自らの人工性を肯定し、さらなる先鋭化を志向するべき段階にあると私は考える。すでに今日の科学技術が予告しているように、今世紀は合成タンパク質の時代であり、代替エネルギーもしくは核エネルギーの時代であり、高パフォーマンスを約束する新素材の時代である。人工性への投企によって危機に応答を試みるのであれば、都市もまた、新たな技術論を携えながら「自然」に対してその生存権を主張しなくてはならない。人工世界を「親・自然化」するのか、自然を「親・人工世界化」するのか、呼称はいずれかあるだろうが、現代の生物化学や材料科学が見せているような、禁忌を超えた操作論が都市論の分野に出現するのは遠くはないと私は思う。なぜなら「アーバニゼーション」という発語にも、「サステイナブル」という発語にも、センチメンタリズムとは無縁のわれわれ自身の暴力性が内包されており、その暴力性の発動が、理性の使用を条件に要請されているのが現状だからである。かつてバックミンスター・フラーが描いたような[図3]、もしくは現代のMVRDVが示唆するような[図4]、人工性の領野を見極めようとするアプローチが、禁忌としての「自然」を逸脱するための基礎作業として重要性を増していくのではないだろうか。
たとえば私は、そうした人工性への投企の一端を、HABITATのGUO(Global Urban Observatory)というプロジェクトに見出している。これは一九九五年に「Urban Indicator」という名で二三七の都市の居住データをまとめて以来、加速度的な成長を見せている統計プロジェクトであるが、われわれは、ペルーのリマにおいて一八・八パーセントの人々が不法占拠による居住をしており、下水の整備は七一・五パーセントと十分ではなく、通勤手段の八二・二パーセントをバスに頼っている(一九九八年)ことなどをGUOのホームページで知ることができる★五。データはほかにも都市人口増加率、月収に対する家賃比率、水道・電気・電話の普及率、世帯人数、居住権の状況など多岐に渡るが、これらのデータの解像度が大きな意味を持つことは、プロジェクトが名前を「Citibase」と変えて、詳細なアーバニゼーションのモニタリング構想へと発展しつつあることが物語っている。たとえばタイのバンコクについて、Citibaseが伝える指標を例示すると次のようになる。歴史と地理、世代ごとの就労人口、世帯主の性別とその婚姻の状況、土地利用率、ホームレスと不法占拠の居住水準、住宅の新規着工数とその材料、エネルギーと水の消費量、交通、大気と地表水の汚染。たとえば婚姻状況だけでも独身/結婚/離婚/死別の四つの分類があるように、そのデータは「Urban Indicator」とは比較にならないほど項目が多く、詳細すぎる実態把握が目されている。今年公開されたデータベースであるために入力されているデータは限られているが、登録されている都市名を見れば、人口一〇万人以上の都市の半分以上、約二〇〇〇の都市の居住状況について、徹底的に緻密な統計をCitibaseが提供していこうとしていることがわかる。今回作成した「PopulouSCAPE」(本誌七三—八八頁)[図5]を例にするならば、人口数を表現した「人口ビル」のひとつひとつで、いかに人々が交通し、エネルギーを消費し、食糧と寝場所と安全を必要とし、結婚し、別れ、子どもを育てているかをわれわれはまざまざと見ることができる。もはやアーバニゼーションは抽象的な現象ではなく、高解像度で実態を把握することができる分析対象であるということが、技術的にはすでに表明されているのだ。
アーバニゼーションの動態分析は、Citibase以外のプログラムによっても捉えられようとしている。よく知られているのは地球上で観測されるデータの一切合切をリアルタイムでネットワーク上に再現しようとする「Digital Earth」[図6]のプロジェクト★六であろう。電子地図、高解像度の衛星写真、気象データや人口動態を三次元のヴューワーによって映し出すGIS(Geographical Information Science)のフォーマットの作成計画は、一日一テラバイトずつ増えるとも言われる情報をブラウズしようとする技術的野心を持つプロジェクトである。ほかにも、そのGISアプリケーションの最大手であるESRIはHABITATと提携し、都市データをより包括的な地理情報とともに扱うヴィジョンを示している★七。UNDP(国連開発計画)には都市ひとつひとつの経済活動をモニタリングしようとするCDI(City Development Index)という名の計画があり★八、やはりHABITATのCitibaseとの連繋を探っている。これらの途方もない情報処理の計画は、すべて一九九〇年代に誕生した新しいものである。しかし同時期に建築の分野で誕生した、建物のエネルギー利用をモニタリングするBEMS(Building and Energy Management System)が、直ちにシステムの効率化のために計測情報をフィードバックしはじめたことを考えれば、都市モニタリングという新しい研究分野も、いずれ集積効果を最適化しようとする世界都市の運営学を準備すると考えられるだろう。それは全ての人々に住居を、という人道的視点とは別の文脈を持つ、都市における人間集合の効率性と環境性能を冷酷に計測する研究領域である。管理社会と表裏一体の人工世界。そうした技術目標が、サステイナブル・アーバニゼーションという主張を論理展開すれば自ずと現われてくるのだ。平等性と、人工性への投企。この二つを巡る闘争が、今後のアーバニゼーションを推進させる両輪である。その是非を巡る議論のなかで、都市は人工世界の象徴として、さまざまなスケールでの操作論に翻弄されていくであろう。

2——T・ヘルツォークや R・ロジャースなどが参加したREAD会議 出典=Thomas Herzog: Architcture + Technology, PRESTEL, 2002

2——T・ヘルツォークや
R・ロジャースなどが参加したREAD会議
出典=Thomas Herzog: Architcture + Technology, PRESTEL, 2002

3——バックミンスター・フラー 「マンハッタン・ドーム」 出典=Your Private Sky: R. Buckminster Fuller, Lars Mu¨ler, 2001.(展覧会カタログ)

3——バックミンスター・フラー
「マンハッタン・ドーム」
出典=Your Private Sky:
R. Buckminster Fuller, Lars Mu¨ler, 2001.(展覧会カタログ)

4——MVRDV "PIG CITY" 出典=『10+1』No.24

4——MVRDV "PIG CITY"
出典=『10+1』No.24

5——太田浩史+南泰裕「PopulouSCAPE」

5——太田浩史+南泰裕「PopulouSCAPE」

6——Digital Earth のホームページ

6——Digital Earth のホームページ

3    方法論

HABITATとヨハネスブルグ環境サミットによるサステイナブル・アーバニゼーションに関して、その展開の方向性と、都市論への波及をここまで考察してきた。では、このようなアーバニゼーションの変容のなかで、今、建築/都市への方法論はどのように可能であろうか。
まず考えられるのは、都市の機能性を精査して、それを共有の論理へと転化させていくことである。これは先の二つの争点を空間の問題として並列に処理するがゆえに、操作論の中心的な位置を占めていくと思われる。すでに前例は示されていて、マイク・ジェンクスが高密度居住と広場論を接続させたように、もしくはリチャード・ロジャースが低負荷の交通によって都市空間を再編集しようとしたように、サステイナビリティへの機能論を契機として、公共空間のなかにデザイン対象を再発見したのがコンパクトシティ論であった。都市の機能性は「なぜわれわれは集まって住むのか」という原理的な問いにきっと抵触するから、その問いへの答えを、理念の現われとして具体化するのが建築家/都市計画家の職能であってほしい。公共空間や集合住宅、そして環境インフラの設計といった操作の局面において、集合の論理の表象が一層の重要性を持つであろう。
次にデザイン対象となるのは、外部との交通である。「都市は誰のためにあるのか」という問いが単に住民のみに向けられているのであれば、アーバニゼーションの背景のダイナミズムは見失われてしまう。「PopulouSCAPE」や「Cities Alliance」が見せるような、都市間の呼応、出来事の連動性。それらを現代の都市のなかに形象化することは可能であろうか。タイのナコン・パトムの掘割沿いの、無数に並ぶテーブルの風景が見せていたように[図7]、他者を待つ都市はそれだけで美しい。長距離交通の発展を前提として、移動する人々のための設備——代替交通、駅、道、広場、宿泊施設、など——の再評価が必要ではないだろうか。
そして最後に、技術論である。今後の人工世界の建設手法が、素材、環境技術、それらの統合について更に追求されるべきであると私は思う。古典的なアプローチとして、すでに六〇年前、アクセラレーションとエフェメラリゼーションという用語を使って人口増加にライトネスと省エネルギーを対置したフラーが想起されるが、一日一七万人の人口が増える現代のアーバニゼーションの姿は、可能な限り具体性を持って答えられたい。素材論的に考えれば、コンクリート・ガラス・鉄といった近代建築の主要材料は圧倒的に不足しているのであるから、それ以外のパフォーマンスの高い材料がアーバニゼーションの推進には不可欠となる。世界の構法の半数を占めると言われる組積造、成長の早い竹、再生素材やプラスチックなどの利用が実践的に問われていくであろう。
エネルギー論として捉えれば、アフリカ、アジア、中南米といった熱帯・亜熱帯でのアーバニゼーションはエネルギー消費の面において何よりの脅威である。すでにタイにおいてクーラーが加速的な浸透を見せているように、そして自動車交通が政策的にも奨励されて増え続けているように[図8]、省エネルギーへの対応は必須の条件となりつつある。少なくとも気候条件を考えるならば、省エネルギーへの対応はヨーロッパ発のサステイナブル建築論よりも、日本において醸成された技術の転用が妥当性を持つのであるから、技術論の一般性を念頭にわれわれの建築的実践が重ねられてしかるべきではないだろうか。通風をベースにした環境調整や、センサーを多用した外部応答性の高い建築が、新たなデザインの対象性を浮上させていくと考えられる。

7——運河が町を横断するナコン・パトム 筆者撮影

7——運河が町を横断するナコン・パトム
筆者撮影

8——タイにおける自動車の増加は 政府の経済政策でもある 筆者撮影

8——タイにおける自動車の増加は
政府の経済政策でもある
筆者撮影

4    現われつつあるもの

都市こそが、答えである。予感されていた都市の可能性が、全世界的なアーバニゼーションの進行のなかで、今、確かな手応えとともに道標へと変わりつつある。リオ・デ・ジャネイロのサミットが準備をした文脈に、ヨーロッパのコンパクトシティ論が応答し、アフリカの実践論者が理論の拡張を試みる。サステイナブル・アーバニゼーションという言葉には、こうした一九九〇年代の都市論の変容の軌跡が織り込まれている。それは省エネルギー論や素材論、情報論や交通論など、同じく一九九〇年代に大きく展開した技術論の豊穣を編集しながら、われわれに世界と都市へ関わる回路を差し出しつつあるのだ。われわれは常に部分を見ることしかできないから、世界や、六三億の人々の姿は、けっしてその全体性を開示することはないであろう。しかし全体性をめぐる想像力のうちに、差異と同時に類似を、自律とともに交通を志向しようとする視座が育まれてきたのだと私は思う。だからこそ、アーバニゼーションへの注視を通して、一般性の名において都市の存立を語ろうとする、二〇〇〇年代の都市論が用意されはじめたのだろう。それは確かに、われわれの実践の射程を遠くへと導いている。

★一──拙論「アーバナイジング・ワールドと二つのサステナビリティ」(『Glass & Architecture』二〇〇三年春号、「特集=サステナブル・アーキテクチュアの射程」、旭硝子株式会社  板ガラスカンパニー)。
★二──HABITAT, Urbanizing World, Oxford University Press, 1996.
★三──世界銀行はHABITATと同様に現在最も活発な都市改善活動を行なっている組織である。世界銀行の都市戦略は以下を参照されたい。
http://www.worldbank.org/urban
★四──READの活動に関しては、Stefan Behling, Sol Power, Prestel, 1999. に詳しい。
★五──http://www.unhabitat.org/programmes/ guo
★六──http://www.digitalearth.gov
★七──提携については、http://www.esri.com/
news/releases/03_1qtr/grant-un.htmlの記事を参照のこと。
★八──CDIについては、http://www.unchs.org/
istanbul+5内のレポートにおいて触れられている。

>太田浩史(オオタ・ヒロシ)

1968年生
東京大学生産技術研究所講師、デザイン・ヌーブ共同主宰。建築家。

>『10+1』 No.31

特集=コンパクトシティ・スタディ

>サステイナブル

現在の環境を維持すると同時に、人や環境に対する負荷を押さえ、将来の環境や次世代の...

>リチャード・ロジャース

1933年 -
建築家。リチャード・ロジャース・パートーナーシップ主宰。

>バックミンスター・フラー

1895年 - 1983年
思想家、発明家。