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30:阿部仁史:geometrical fetish | 宮本佳明
Hitoshi Abe | Miyamoto Katsuhiro
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) pp.152-153

1962年宮城県生まれ。1988─92年コープ・ヒンメルブラウ勤務後、92年阿部仁史アトリエ設立。東北工業大学助教授。主な作品=《しらさぎ橋》《FA-1》《宮城スタジアム》《読売メディア・ミヤギ・ゲストハウス》《COMCO》《n-house》など。著書=『ロサンゼルス ローカルズ──カルフォニアの新しい風』(丸善、1999)

ルールとマニュアル化

システムに対する偏愛とは、どこからやって来るものなのだろうか?
阿部は、建築物とはただ人間の欲求と環境を繋ぎあわせる媒体、つまりふたつの圧縮力のせめぎ合いの結果としてその形状が決定される「空間粘土」のようなものに過ぎないと考える。「カタチのデザインは、カタチという現象を生じさせるシステムとでもいうようなもののデザインになっていくのかもしれない」★一。つまり阿部にとっての設計方法論とは、おおよそ以下のように説明され得るものである。(1)事前に、媒体つまり「空間粘土」として採用すべき自律的システムを自主申告し、(2)そこに、数ある与件の中から人間と環境を適切に表現すると思われる初期条件をすくい上げて代入し、(3)最後に、システムのオーバードライブを楽しむ。その一連のプロセスこそが建築なのだと。初期の小品である《しらさぎ橋》(一九九四)からは、そういった阿部の設計方法に対する考え方をマニフェストとして正確に読み取ることができる[図1]。《しらさぎ橋》の設計プロセスにおいては、具体的に(1)「ちょうど人間のからだの動きがその関節の可能な動きに支配されるように」★二、回転、拡大縮小、移動、切断といった変形を支配する性質のパラメータを用いたルール設定が行われ、(2)重量制限、必要とされる街灯高さ、手摺高さ、最高水位、最低クリアランス等の数値が選択されて初期値として代入され、(3)その結果(自動的に)できあがった橋は、ただ橋の置かれた環境つまり「単に敷地のある状況を告げている」★三ということになる。橋の最終形態からは、最初に任意に設定されたルールも、ルールを設定した建築家本人の姿も消えており、したがって建築家もまた人間と環境を繋ぐ媒体に過ぎないのだ、という立場である。
採用される自律的システムは一定ではなく、プロジェクト毎に様々にリセットし直される。インスタレーションとして制作された三次元的南京玉スダレ《FA-1》(一九九五)には、先の変形ルールに可変性が導入され、人力によって長さが二メートルから二〇メートルにメタモルフォーゼする中で、連続性が運動そのものとして映しとられている。《読売メディア・ミヤギ・ゲストハウス》(一九九七)では、ルールはプログラムがリボン(境界面)として記述可能であることに求められ、そこにひねり、折り畳み、乗り上げといった操作を加えることで形態が決定されている。そして興味深いことは、ルールがしばしば、阿部個人の特技であるマニュアル化という方法を通じてプレゼンテーションされることである。例えばハイパーコミュニケーションプレイングツール《COMCO(コムコ)》(一九九七)[図2]は、純粋に商品化ゲームとして構想されたものであるが、モックアップとともにシリアスな製品企画書が添えられており、そこにはパフォーマンス・デュオ「明和電機」にも通ずるようなフェティッシュな空気が漂っている。マニュアル化志向は、《M-house》(一九九九)に見られるような実際の商品化を視野に入れた建売住宅のプロトタイプの提案へも、直線的に接続されることになる。また阿部アトリエでは、小規模のアトリエとしては異例のことに、一九九二年のオフィスの開設時から既に、労働規約をはじめとしてオフィスの運営全般に関するマニュアルが完備されていたというが、以上のような設計方法論とパラレルに捉えるべき事象であろう★四。

《宮城スタジアム》

システムの自律性が直接、フィジカルな空間に向かうと、幾何学となる。《宮城スタジアム》(二〇〇〇)では、それが試みられている。古代オリンピックの馬蹄形スタジアムは、極端な長楕円の一端をカットして街路に開くという単純な操作によって、閉鎖的になりがちなスタジアムの求心と開放を両立させた好例だが、《宮城スタジアム》で仕組まれたプログラムはより複雑で巧妙である。アクティビティに対応するように焦点の異なる多重心円が設定され、その重層によって全体が構成されている[図3]。一番内側の輪は、フィールドの中心から東西方向にそれぞれ一一五メートル離れた点を中心とした半径一八五メートルの二つの真円であり、そのうちのひとつは敷地に隣接する伏せたお椀のような形の丘を、他方はスタジアムを構成するジオメトリーとなっている。さらに、この二つの円にフィールドのコーナー部分を形成する、南北方向に二九・二メートル離れた点を中心とした半径九九・八〇一メートルの二つの小円がかぶさっていく。そして、これらの円が異なるアクティビティを拾い上げるように、拡大、縮小、偏芯といったプロセスを経て順次、異なるジオメトリーのレイヤーが蓄積されていき、その結果スタジアムは都合七八枚に及ぶレイヤーの重ね合わせとして立ち現われてくる。通芯図は、まるで惑星の軌道図のように見える。そこで招来されるフレームのズレが、巨大な渦巻きのように内を外に引き出し外を内に巻き込み、本来、求心的、閉鎖的になりがちなスタジアムを開かれたものにすることが企図されている。おそらく多重層ジオメトリーは、当然予想される発注者の事後的な介入に対して、あらかじめ仕組まれた「未必の故意」として、スタジアムの開放性を担保する仕掛けとしての役割も担っていただろう。実務的な問題としては、針生承一との共同アトリエでの設計作業では、異なるレイヤー間の干渉が引き起こすストレスの調整に、多くの時間とエネルギーが割かれたという。複雑なジオメトリーを相手にした調整作業は想像しただけで、スタッフが発狂してしまわないかと要らぬ心配をしたくなるが、実は阿部本人が「不可能なものを建設すること」を目標に掲げたコープ・ヒンメルブラウで、丸めて捨ててあった紙を正確に計測し丹念に座標を拾ってスケールアップするというような作業を、日常的にこなしてきた剛者であったことを思い起こせば、合点はいく。
《宮城スタジアム》では、風神が担ぐ風袋にも似たメインスタンドの屋根がきゅっと絞り込まれ、キールトラスが着地して地中に埋められたタイビームにアンカーされる部分、つまり一般にアバットと呼ばれる部位が、巨大なコンクリートの塊でできている。南北二つのアバットのうち、特に北側に設置されたものは、端部でその全断面形が無防備に露出している[図4]。その姿は常識的にいえば異様である。おそらく期せずして、システムのオーバードライブが生み出した異形である。もちろんこの興味深い異形をパッケージによって隠蔽することはできたはずだ。だが、それはあえて放置された。幾何学が美学に優先する。阿部らしいところだ。「そんなことは分かっていたけど直せないんだよ。美しいかどうかは俺がきめることじゃないんだよ」★五。 
阿部に見られる一連のシンドロームは、性癖といって良いぐらいに粛々と進行しているという印象がある。そこに、逆説的だが、フェティシズムをドライブさせる強い構築性が漂っている。一般論として、カタチから意味を削ぎ落とし自律的に(つまり無根拠に)カタチを生み出す手法は、おそらく程なくして続々と現れるであろう《グッゲンハイム美術館ビルバオ》のエピゴーネンたちを筆頭にして、結果的に平凡なウンハイムリヒカイトの多産状況に陥る危険性と、隣合わせである。そこからいかなる距離を置こうとするのか。それが自称北のジャン・レノ、阿部仁史の課題であり、本人の興味の在り処でもあろう。


★一──『新建築』二〇〇〇年六月号(新建築社)。
★二──『建築文化』一九九七年一二月号(彰国社)。
★三──★二に同じ。
★四──日本の多くのアトリエ事務所で幼児虐待の世代間連鎖にも似た、劣悪な労働条件の継承が行なわれている実態に照らし合わせると、本稿とは別の文脈で建築家の職能を問う重要な事実のように思われる。
★五──e-mailのやり取りのなかでの阿部のつぶやき。

1──《しさらぎ橋》構成するジオメトリー

1──《しさらぎ橋》構成するジオメトリー

2──ハイパーコミュニケーションプレイングツール《COMCO》

2──ハイパーコミュニケーションプレイングツール《COMCO》

3──《宮崎スタジアム》

3──《宮崎スタジアム》

4──同、北アバットの断面形

4──同、北アバットの断面形

>宮本佳明(ミヤモト・カツヒロ)

1961年生
宮本佳明建築設計事務所主宰、大阪市立大学大学院建築都市系専攻兼都市研究プラザ教授。建築家。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション

>グッゲンハイム美術館ビルバオ

スペイン、ビルバオ 美術館 1997年

>阿部仁史(アベ・ヒトシ)

1962年 -
建築家。UCLAチェアマン。