International Style=国際様式。1920年代、国際的に展開されていた当時の近代建築運動を、1932年、H=R・ヒッチコックとP・ジョンソンが「モダン・アーキテクチャー」展として、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催して以降広く知られるようになった。同時期に刊行された二人の共著『インターナショナル・スタイル──1922年以降の建築』によって「インターナショナル・スタイル」という言葉が定着した。ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウスなどが代表的な建築家。
[インタヴュー]
...じゃないですか。 日埜──抽象的なインターナショナル・スタイルが支配的だったアメリカにおいて、... ...とは様式主義というか、一九世紀建築を様式やスタイルで見てきた人たちとそう意識的に変わっていな...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[建築の解體新書 4]
...あり、一九三一年に開かれた例の「インターナショナル・スタイル」展のちょうど一〇年後のことでし... ...ばれ標的にされていたものが、件のインターナショナル・スタイルだったとみても、おおよそ的外れで...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.13-26
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
...権を唱えて、アメリカ発の機械的なインターナショナル・スタイルの建築さえ批判しており、代わりに... ...る。 20──MoMAの「インターナショナル・スタイル」展(1932) “The International Style” (Rizzoli,1992)21──...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[現代建築思潮]
...lその後一九三〇年代半ばになると、インターナショナル・スタイルの建築は、南米や中近東を含むまさ... ...展覧会を企画します。これによってインターナショナル・スタイルが近代建築のスタイルとして認識さ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[批評]
...いのではないだろうか。ひとつは、インターナショナル・スタイル・モダニズムのイコンであり、アメ... ...のフレームワークのなかで発達したインターナショナル・スタイルは、明らかに、合理主義精神、官僚...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179
[翻訳論文]
...幾何学にそれを含ませた。彼らは、インターナショナル・スタイルの冷徹な表層を、アヴァンギャルド... ...会カタログと同年それとは異なる別の本、The International Style: Architecture Since 1922(展覧会カタログと、そ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[批評]
...し、近代建築の代名詞ともなった「インターナショナル・スタイル」の図版集においても、この種の歪... ... [図10]Henry-Russell Hitchcock and Philip Johnson, The International Style, W.W. Norton, 1966. [図11]飯沢耕太郎『Photographe...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.230-241
[メキシコ]
...・オゴルマンほか★二)においてはインターナショナル・スタイルの箱の前に、メキシコ近代社会にお... ...ョンソンのThe International Style: Architecture Since 1922 [邦訳=『インターナショナル・スタイル』(武沢秀一...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.118-119
[論考]
...。 ヘドリッチ・ブレッシング社は、インターナショナル・スタイルの同時代的な記録者になった。写真... ...マティックな様式が復活する★三。インターナショナル・スタイルが平板な表現を求めたのだろう。実...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[グローバリズム 4]
...ローバル・スタンダードとしての「インターナショナル・スタイル」は彼らの「発明」である★七。そ... ...ではない。共通様式は限定付きならインターナショナル・スタイル(当時のは大いに限定付きだ)の専...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[建築とイマージュ 4]
...だけれども。 どんな建築史の書物もインターナショナル・スタイルの原 型(プロトテイプ)として... ...、ミースの名前が余りにも容易に、インターナショナル・スタイルという言葉で一括りにされる反復的...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.31-34
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...念には、この時すでに登場していたインターナショナル・スタイルが標榜する構造合理主義が密かに借... ...念には、この時すでに登場していたインターナショナル・スタイルが標榜する構造合理主義が密かに借...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.212-224
[翻訳論文]
...候との間につながりを作ることで、インターナショナル・スタイルに年季奉公させられた形式ばった建... ...を選択したことは、歴史的遺伝と、インターナショナル・スタイルの拘束力ある正当性に対する拒否の...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.93-104
[論考]
...フィリップ・ジョンソンの著した『インターナショナル・スタイル』★五を見てみよう。彼等はモダニ... ...コック+フィリップ・ジョンソン『インターナショナル・スタイル』(武沢秀一訳、SD選書、一九七八、...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.148-149
[現代建築思潮]
...ば近代建築を云々しようと思えば『インターナショナル・スタイル』を読んでないとまず話にならない... ...典型的にヨーロッパ的である新古典主義というスタイルをすべてのモニュメンタルな建物に採用するわ... ...して言えば、アメリカは有名なMoMAのインターナショナルスタイルの展覧会を皮切りに、それ以降も理論...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[インタヴュー]
...を生み出すのに長けた人物でした。インターナショナル・スタイル、ポストモダン・スタイル、ディコ... ...スタイルを生み出すのに長けた人物でした。インターナショナル・スタイル、ポストモダン・スタイル... ...、ディコンストラクション・スタイルといったように。ところが、そうしたことの象徴とも言える人物...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[建築の還元 1]
1 〈交通問題〉としての近代、および建築 ひとつの表現をなすことの、恐らくはきわめて現在的で共同了解的な認識であるに違いないのだが、長い間、私は自らを建築につい...ュジエの作品を中心にMoMAにおいて「インターナショナル・スタイル」展(一九三二)を企図したフィリ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12
[ポストモダニズムと建築 2]
すくなくとも近代の成熟期にいたるまで、近代主義には一定の規範が存在し、機能していた。しかしあらためて考えてみると、そうした近代主義の規範はおよそ信じがたいほどに...・ヒッチコック+P・ジョンソン『インターナショナル・スタイル』が規定したような規則性を尺度に...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.40-42
[都市の傷痕とRe=publik 2]
...きたのである。 機能主義、無装飾、インターナショナル・スタイル。モダニズム建築の理念であり、そ... ...れる古い洋館ですら、アーリー・アメリカン・スタイル、アール・ヌーヴォー、ドイツ・ルネッサンス...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.42-43
[ポストモダニズムと建築 3]
前回は近代建築がその理念として掲げた「機能主義」や「幾何学性」が、その起源を遠くギリシャに遡りうる、それ自体としては古典的な理想であったことを見たが、今回は近代...コック+フィリップ・ジョンソン『インターナショナル・スタイル』(武沢秀一訳、SD選書、一九七八)...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.42-44
[現代住宅論 3]
...コック+フィリップ・ジョンソン 『インターナショナル・スタイル』 (鹿島出版会、1978) 7──ジャン... ...現していない。 フラーとは異なり、近代建築のスタイルをそのままアルミニウムで造ろうとした試みも...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.209-221
[現代住宅論 7]
... バウハウスがアメリカにもたらしたインターナショナル・スタイル(国際様式)について、フラーはこ... ...能を追求すると主張しながら、無意識のうちにスタイルを優先していたからである。フラーはモダニズ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[技術と歴史 5]
...ヨーク、マンハッタンにおける初のインターナショナル・スタイル住宅が誕生しました。 敷地幅が一六... ...ですから、竣工当時と寸分違わず、ずっと同じスタイルで生活していました。古いものと新しいものの...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.212-221
[都市の傷痕とRe=publik 8]
二年間にわたった連載も今回で最終回となった。都市がすべての者に対して開かれてあること。そのためには、「非病理的な」建築、われわれをもう一度デラシネとするような建...なかったのです。 同時にまたPJは「インターナショナル・スタイル」のプロモーターでありながら、「...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.31-32
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築...づけられる。かつてMoMAの展覧会が「インターナショナル・スタイル」なる言葉を流行させたように、ジ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[対談]
...。特に建築において、われわれは「インターナショナル・スタイル」を通して、土地に縛られない普遍... ...ハッタンのスカイスクレーパーについて、そのスタイルの古さではなくて、ただサイズの問題だけを言...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[対談]
...機となった。これによってそれは、インターナショナル・スタイル以降、アメリカにおける国際的な様... ...ができないのです。実際『収容所群島』の叙述スタイルは、淡々とした歴史叙述あり小説的形式ありと...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[批評]
...作品を紹介する建築展「国際様式(インターナショナル・スタイル)──一九二二年以降の建築」で「... ...建築デザイン・タイポグラフィー・陶器・テキスタイル等約四〇〇点が展観された。フリードリッヒ・...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[建築を拓くメディア]
カタログと建築|田中陽輔建築展覧会という形式 建築展覧会という形式が存在する。そして、世界各地の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、あ...ンソンとヘンリー・ヒッチコックによる「The International Style」やロバート・ヴェンチューリによる「Comple...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[制度─都市]
美術館の変容とexperience(c) 美術館はそもそも絵画や彫刻などの収蔵品を永久保存して貯めてゆく性格のものだった。しかし伝統的なアートのカテゴリーは、時...の違いは明らかだ。一九三二年に「インターナショナル・スタイル」という言葉を広めた近代建築展を...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147
[対談]
...たんではないでしょうか。 森川——インターナショナル・スタイルに対する反動からリージョナリズム... ...ワーに対する裏の路地を、いままでの建築家のスタイルで構築的に作ってしまうと、ああいったテーマ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78
[論考]
...期においては、一方で(国際様式[インターナショナル・スタイル]を中心に理解される)「近代建築... ...ブは警察の介入で一九三四年に消滅。日本インターナショナル建築会(一九二七結成)の堅実な活動も...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[シンガポール]
...築家たちに依頼されていたが、そのインターナショナル・スタイルな建築物は必ずしも彼らの代表作と... ...がある。第一世代は欧米で教育を受け、思想やスタイルは欧米志向(あるいはその反動で逆行している...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.122-123
[論考]
...ューヨーク近代美術館のいわゆる「インターナショナル・スタイル」のように、いくつかのヨーロッパ... ...宅の唯一の役割は、ユニークで永続的なライフスタイルを守るショック・アブソーバーである。住宅は... ...る「インターナショナル・スタイル」のように、いくつかのヨーロッパの思潮をひとつのスタイルとし...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[鼎談]
...ヨーロッパのアヴァンギャルドを「インターナショナル・スタイル」という一九世紀的な折衷主義の感... ...つつ、あのようなスタイルになったのではないかという気がするんですね。スタイルの発明です。ヴィ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[批評]
第二次世界大戦後のこの五〇年の間に、建築に重大な影響を及ぼすパラダイム・シフトが生じた。それは機械─力学(メカニカル)から電子─情報(エレクトロニック)へのパラ...よキュビスムの建築的翻訳であったインターナショナル・スタイルがそれである。しかし、そこにある...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.191-196
[インタヴュー構成]
建築と写真の「共犯関係」 近代建築と写真は、ほぼ時を同じくして生まれたとの説がある★一。その当否は別として、建築と写真が強い結びつきをもっていたことは間違いない...というメディアはモダニズム建築をインターナショナル・スタイルとして流通させるのに最高の武器と...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[論考]
...な派生関係を描いていた美術と、「インターナショナル・スタイル」や「ユニヴァーサル・スペース」... ...CoBrAをはじめとするシチュアシオニスト・インターナショナルの「漂流」や最新のメディア・テクノロジ...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[論考]
...伴っていたという点で後の丹下研究室の仕事のスタイルを先駆している。また、これも後述する大同の... ...、どこにでも置き換えられる風景としてのインターナショナル化)は、コールハースのBIGNESSでも述べら...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[集中連載 1]
...た。……私たちの作った様式はやがてわが国のスタイルとなり詩となるであろう」と述べながら、ル・... ...翼に連想されがちなのは、主に資本主義(インターナショナルな「帝国」──ネグリ=ハートのいうよ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[『日本の民家』再訪 7]
...島測候所(一九三八)であり、日本のインターナショナルスタイルの代表作のひとつである。もうひと...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.12-27
[フィールドワーク]
...ている。真壁構造など、タウトが日本的とみるスタイルが、コンクリートを用いつつも表現されている... ...。国際フレンド会館は、現在もマツモト・インターナショナル・ハウスとして同地にて存続している。...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186
[筑波]
...は、駐車場が欠かせない。まちにはさまざまなスタイルや規模の駐車場がみられる。ここでは、そのパ... ...な従業員であることから通称「イン珍」(インターナショナル珍来)と呼ばれている。 系統3:他系列の...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.112-127
[批評]
...の協同作業によって設計が進められたが、そのスタイルには明らかにアドルフ・ロースの作風に共通す... ...かし彼らがともに志向した普遍言語によるインターナショナルな構築は、早晩フォルキッシュな足音に...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.174-184
[インタヴュー]
...ショニズムから出発している。ここには単純にスタイルや手法を模倣するだけでなく、実物そっくりに... ...見方をひたすら喋っていた。実はそれしかインターナショナルに伝える手がかりがないんだけれど、そ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[対談]
...う。つまりビルディング・タイプとデザイン(スタイル? 趣味?)の問題がナショナリティの問題と... ...種の普遍性をもった構造原理を探索する。インターナショナル・ヴァナキュラーなんて言い方があるよ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[批評]
...ーしている。回転する地球をロゴにもつCNNインターナショナルは、CNNの回転に永続的に従う地球を作り... ...範囲を拡張しているのである。ベルファスト・スタイルの「鋼鉄の環状帯」やロンドンのシティを取り...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.200-212
[コラム]
...にあっては、もはや近代ごとくひとつの原則やスタイルが世界を包み込むことなどありえないのだし、... ...ているのだ。そしてモダニズム建築がインターナショナルスタイルと呼ばれたとき、そうした傾向は決...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.145-149