1905年生まれ。建築家。前川國男建築設計事務所設立。
http://www.maekawa-assoc.co.jp/
(最終更新:2009年3月31日)
[インタヴュー]
...佐野利器、内田祥三らが第二期、岸田日出刀、前川國男らが第三期、丹下健三、大江宏らが第四期で、... ...前川國男作品集』などの編集に携わる。著書=『廃墟から──反建築論』『少数派建築論』『前川國男...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[インタヴュー]
...として、例えばル・コルビュジエのアトリエに前川國男さんや坂倉準三さんが行って云々というような... ...、それから少し年齢が下がった谷口吉郎さん、前川國男さん、坂倉準三さんたちです。なかでも先行す...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[論考]
...二度のコンペ(一九四二、四三)を勝ち取り、前川國男は「覚え書──建築の伝統と創造について」(... ...前期に発見できないのである。 前川國男序説 以上の事態を前川國男に即して確認したい。 これを要す...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[論考]
...岸田日出刀に委嘱した。岸田は、前田健二郎、前川國男、市浦健、谷口吉郎、吉田鉄郎の五名を建築委... ...)、服部勝吉(文部省宗教局)、藤島亥治郎、前川國男、山越邦彦、山脇巌、吉田鉄郎、井上房一郎(...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[批評]
...具体的でなおかつ斬新なひとつの案があった。前川國男による「上海住宅計画」がそれである[図7・8]... ...似たような効果をもたらすものだろう。 そして前川國男もまた、航空機に乗って上海にやってくるとこ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[批評]
...、ル・コルビュジエの意図であった★一一。 前川國男がル・コルビュジエのアトリエに在籍したのは、... ...私たちに堪能させるのだ。 前川國男「自邸」スケッチ (前川國男『前川國男=コスモスと方法』より)...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.198-199
[現代建築思潮]
...時代は岸田日出刀のもとで指導を受け、三年間前川國男事務所で働いた後、大学院に入学して高山英華... ...会館設計コンペが行なわれ、丹下さんが師匠の前川國男を二等に抑えて一等を受賞した。丹下さんはこ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[対談]
...築を超えたというか建築からずれたでしょう。前川國男さんも、とても実験に興味を持っていた。「テ... ...の『建築文化』か『新建築』を読んでいたら、前川國男の《紀伊國屋書店》についての座談会記事があ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.38-51
[論考]
...った好例にも行き当たる。 転機となったのは、前川國男の《神奈川県立音楽堂・図書館》(一九五四)... ...あって再開発構想はお蔵入りとなり、隣接する前川國男の《神奈川県立青少年センター》(一九六二)...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.114-115
[インタヴュー]
...いたということです。戦争中は左翼の建築家は前川國男事務所のスタッフとして、上海や満州に行って... ...が見えている。岸田さんは実務的建築家として前川國男を、デザイナーとしてコンセプトを展開する建...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[グローバリズム 1]
...平や新戸部稲造の台湾経営から、岸田日出刀や前川國男、坂倉準三の大陸への関与まで)と直結してい... ...究する必要性を説いている。他の例でいうと、前川國男がコンペ(昭和一二年)で勝った鞍山の「昭和...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[集中連載 1]
...タン』紙の批評家)。ここで「郷土芸術家」と前川國男によって訳されている原語は"régionaliste"つまり... ...二──ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』(前川國男訳、鹿島出版会、一九六六)。 ★三──西川長...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[現代住宅研究 7-3]
...をみてみよう。 伝統と近代 《前川邸》(前川國男、一九四一)[図1]は短手四・五間、長手七・... ...矛盾なく同居させられていると言える。 1──前川國男《前川邸》 断面図 1階平面図 縮尺1/400形態と...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.20-24
[論考]
...く燃えてゆく東京の日 一九四〇年当時、丹下は前川國男事務所の勤務の傍らで坂倉準三事務所に出入り... ...した。みんな覚悟していました」(丹下健三+前川國男「対談七問八答一八“現代建築の条件”を語る...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[CONCEPTUAL 日本建築 3]
13 一堂一室 Plan was the plot: 'ARCHITECTURE' was brought within proselytism 布教を...た。東京海上ビルは最初期の超高層ビルとして前川國男によって建て替えられる)での蒸気暖房から温...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.194-207
[建築の解體新書 6]
正確な絵本……中谷礼仁 0 約一年前、関西に越して最初のころ、どうにも馴染めなかったのは、住まいのまわりのいたるところに古墳が点在していることでした。 下宿先...化した「戦後建築の初心」たる宮内嘉久ら、「前川國男イデオロギー」にあったことは明らかなので、...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.10-18
[論考]
... Editions G. Crès. [邦訳=『今日の装飾芸術』(前川國男訳、鹿島出版会、一九六六)]。 Le Corbusier, 19...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[論考]
Uchida who? 最近のインタヴューで、レム・コールハースに対して磯崎新が「彼がもう少し長く生きていれば丹下健三の最大のライヴァルになったであろう」と語っ...として語っている。ほかにも大陸で行なわれた前川國男の「上海住宅計画」や坂倉準三の「新京南湖住...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[論考]
0 前口上 既存の環境に学ぶことは革命的である ロバート・ヴェンチューリ 『10+1』のように「シリアス」な雑誌の読者からすれば下らない設問に見えるかもし...というのだろうか? 丸の内の最初の超高層は前川國男の東京海上火災ビルだが、これを皇居を見下ろ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[技術と歴史 1]
はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる...ビュジエのアトリエで働いています。ちょうど前川國男が同じ時期にル・コルビュジエのアトリエにい...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[インタヴュー]
Electa社版『KATSURA』の成立と構成 日埜直彦──前回は岸田日出刀を中心として日本におけるモダニズム受容の最初期の状況について話していただいたのですが...建築のなかでのモダニズムを輸入し始めたのは前川國男さんがル・コルビュジエを学んで日本に持ちか...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[ゼロ年代の建築・都市 1]
家形が増えている 最近、卒業設計やアイディア・コンペを審査する機会が多いのだが、印象深いのは家型のデザインが明らかに増えていることだ。いわゆる三角屋根をもつ建築...に寝かせた大きな三角柱をのせたかのようだ。前川國男の《ジェームズ・オーレル邸》(一九五一)も...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.45-46
[インタヴュー]
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えま...かを拒否しています。 日埜直彦──なるほど。前川國男さんのようにル・コルビュジエのアトリエに行...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[1990年代以降の建築・都市 6]
九坪ハウスという現象 二〇〇二年一〇月一二日、TNプローブにおいて「九坪ハウスシンポジウム二〇〇二」が開催された。これはBoo-Hoo-Woo.comが仕掛けた...させない。現在、江戸東京たてもの園にある《前川國男邸》(一九四二)も、スケールは大きいが、こ...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[論考]
遠い超高層 オーストリア出身の映画監督フリッツ・ラングは、二〇歳になった一九一〇年から第一次世界大戦までのあいだ日本を含む世界各国を転々と旅したと言われるが、そ...観地区の制限 東京駅の上空といえば、かつては前川國男の東京海上火災ビルを発端とする美観論争が起...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.120-125
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...しかもそれを書く相手は日本です。浜口隆一は前川國男と丹下健三のコンペから話題を展開していて、...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めた...一──ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』(前川國男訳、鹿島出版会、一九六六年)、一五九─一六...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[対談]
グリッドと風景 松畑──風景あるいはランドスケープという概念について今回の特集で僕が言おうとしたものの一つは、ランドスケープを政治的、経済的に捉えて、ランドスケ...計画一九六〇」があったし、さらに戦時中には前川國男による東京湾計画もある。アイディア自体はか...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.58-67
[インタヴュー]
東工大清家研究室 石崎──今日はご自身の作品を語っていただくというよりは、先生が戦後、どのような時代背景のなかにおられたかということを中心にお話をうかがえればと...が中心的な存在になっておられましたね。その前川國男の師匠にあたるレーモンドのところにおられた...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.166-180
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...ロフェッショナリティの必要性です。 今村──前川國男の時代であれば、彼は技術的なアプローチにお...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[取材構成]
一九九〇年代末から現在にかけて、建築雑誌をにぎわせている建物の外皮デザインを強引に分類すれば、次の二つにまとめられる。ひとつはガラスの面をルーバーなどの装置で覆...ったと思います。これは吉村さんだけでなく、前川國男さんや清家清さんといった、あの世代の建築家...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.86-99
[批評]
F・ド・ピエールフウは「五分間に一人の割合で、フランス人は結核のために死亡している」と一九四二年に出版された『人間の家』で報告している。共同執筆者であるル・コル...rès et Cie, Paris, 1925.(邦訳『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島出版会、一九六六年、一一九頁)。 ★...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.181-190
[批評]
ここで取りあげるのは、シャルロット・ペリアンがル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレと共にデザインをした家具と、二人のインテリア全般のアプローチに与えた彼女の影...人のエルンスト・ワイズマン、日本人が二人、前川國男と坂倉準三、スイス人建築家アルフレッド・ロ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[批評]
I 「直線を引き、穴を埋め、平らにならし、そしてニヒリズムにいたる……」(拡張計画委員会の議長を務めるえらいお役人の猛々しい怒号)。 わたしは答えた。 「失礼な...Flammarion, 1996, p.7.[邦訳=『今日の装飾芸術』(前川國男訳、SD選書、一九六六)]。 ★一三──Le Corbusi...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.119-127
[批評]
しかし建築においては錘線器だけでは十分ではありません。例えば水準器等の他の道具も必要です。まあそれでも錘線器であるとしても悪くはありません。それがあれば幾つかの...ambridge,1987, p.16.. [邦訳=『今日の装飾芸術』(前川國男訳、鹿島出版会、一九六五)二六頁]。 ★四─...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...いう意味では、戦後のヒューマニズムを担う、前川國男と宮内嘉久も強い関係性をもっていた。ここに...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[インタヴュー構成]
建築と写真の「共犯関係」 近代建築と写真は、ほぼ時を同じくして生まれたとの説がある★一。その当否は別として、建築と写真が強い結びつきをもっていたことは間違いない...しての自信が言わせた言葉に違いない。 時代は前川國男、丹下健三ら、巨匠と呼ばれる建築家によって...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...辰野金吾—佐野利器・内田祥三—岸田日出刀・前川國男—丹下健三・大江宏に続く第五の世代という意...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92