建築家集団。
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(最終更新:2009年3月31日)
[インタヴュー構成]
...)で載りました。その後も篠原一男、原広司、象設計集団、伊東豊雄、磯崎新さんなどから次々と声が... ...場》2──日建設計《パレスサイドビル》3──象設計集団《用賀プロムナード》4──篠原一男《未完の...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[現代住宅研究 7-4]
...とく見なすことは、《ドーモ・アラベスカ》(象設計集団、一九七四)[図4]のような住宅として現わ... ...うが、射程が長かったように思われる。 4──象設計集団《ドーモ・アラベスカ》 2階平面図 1階平面...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.24-29
[現代住宅研究 7-3]
...可能なのだろうか?《ドーモ・セラカント》(象設計集団、一九七五)[図6]と、《ハウスTM》(シー... ...として「内部」は生成されるのである。 6──象設計集団《ドーモ・セラカント》 上階平面図 断面図...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.20-24
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
...法のうちに「土地をつくる」ことをもりこんだ象設計集団の活動も、同様の試みと言えるのではないだ... ...) “Modern Architecture in Finland” (Praeger, 1970)9──象設計集団《縄文真脇温泉の遺跡公園》(1993) 筆者撮...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[ゼロ年代の建築・都市 3]
建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘...けて、家型のモチーフはさまざまに展開した。象設計集団の《宮代町立笠原小学校》や原広司の《那覇...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[インタヴュー構成]
建築と写真の「共犯関係」 近代建築と写真は、ほぼ時を同じくして生まれたとの説がある★一。その当否は別として、建築と写真が強い結びつきをもっていたことは間違いない...がある。年齢的にも近く、石山、伊東、そして象設計集団らは写真の撮影や自作への瓦使用を通じて実...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[自然─環境]
風景としての建築 日本においてランドスケープという言葉が認識されたのはいつ頃からだろうか。今から十数年前、大学院の英語の入試で「Landscape design...をはじめとする地中に建物を埋没させる作品や象設計集団の《今帰仁小学校・進修館》(一九八一)等...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.152-155
[建築を拓くメディア]
典型的なオープンハウスの特色といえば、そこに居合わせるであろう住み手なり設計者なりの言葉をとらえることができる点にあるだろう。そこでの経験は、ハウスメーカーのモ...て、林寛治、阿部勤、室伏次郎を経て鈴木恂、象設計集団で締め括る。一見して職人肌の建築家ばかり...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.126-127
[図版構成]
キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語ら...ィルソン「ドゥーセット共同墓地」(1974)68. 象設計集団「仙台広瀬河畔教会納骨記念碑」(1985)69. ジ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148