1951年生まれ。建築家。丸山アトリエ主宰、国士舘大学非常勤講師。
(最終更新:2009年3月31日)
[日本]
...こで、建築家丸山洋志をゴッホになぞらえるつもりがあるわけではないのだが、丸山洋志の仕事は、つ... ...イゼンマンのテクストの内部に留まりながら、丸山洋志はまるで細工師のような緻密な手つきでそれら...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.170-171
[対談]
...底=建築の図式に乗っかってしまうんですね。 丸山洋志氏ル・コルビュジエのプラン あるいは近代的な... ...とっての明確なリアリティのほうが、建築家・丸山洋志にとっては重要なんだ、ということですよね。...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.64-76
[建築の還元 3]
...ーヴィチやリシツキーの抽象絵画をめぐって、丸山洋志はかれらの作品の中に射影幾何学を読み込み、... ...書刊行会、一九九一、二六二頁)。 ★一三──丸山洋志「『プロウン・ルーム』への招待状」(『建築...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199
[建築の還元 4]
...ア』)。 ★一〇──岡崎乾二郎×野々村文宏×丸山洋志×米田明「建築と美術のハード・コアをめぐって... ...ーター・アイゼンマン「視覚を(が)開く」(丸山洋志訳、『10+1』No.14、INAX出版、一九九八、一九一...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220
[翻訳論文]
... Benjamin eds., Academy Editions, pp.132-134, 1989. ★七——丸山洋志「P・ジョンソンの新たな戦略」(『新建築』一... ...Johnson Life and Work, The University of Chicago Press,1996. ・丸山洋志「P・ジョンソンの新たな戦略」(『新建築』一...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[論考]
...いう一文をすぐに寄せている。翌々月号でも、丸山洋志が月評でこれだけに言及した。ネット上でも、... ...7筆者撮影ユニット派の対応で問題だったのは、丸山洋志が「だから、『彼ら』の誰でもいいから、『俺...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 4]
最近、大学の設計・製図を教えていてもどかしさを覚えることがしばしばある。設計課題のエスキースとして三次元曲面らしきものを使ったプロジェクトを提出してくる学生に対してである。経験則からいうならば、この手のほとんどの学生は三次元曲面の「自由」さなり、その情動的なイメージに魅了されているだけであり、建築的なリアリティなど端か...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.37-38
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 2]
ポスト構造主義の建築とは、建築言語における時間の空間化に向かうレトリカルな実践である……前回このように記したが、賢明なる読者は気づいている(何人かは、何をバカ言っているのだ、と罵倒したであろう)ように、ポスト構造主義が叫ばれて久しいにもかかわらず、「建築において何らかの時間性が問題になったところで、結局のところ……」と...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.21-23
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 1]
とは言ってみたけれど、ポスト構造主義そのものに関する定義・状況説明などは書店の思想・哲学の書棚にあふれているであろうし、その手のディスクールがしかけてくるレトリカルな戯れの背後に潜むものが、結局のところうさん臭いディシプリンとストラクチャーの反復的戦略でしかないことに〈気づいている〉かどうかは別にして、端から「主体であ...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.24-26
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 5]
三次曲面を流用した建築(角がとれて、分析的というよりも感応的な形質)に対する、人々の反応は興味深い。もっとも大方の人にとっては、その形質を成り立たせている幾何学的本質などはどうでもよく、むしろ直観的に(建築として)経験しているわけであり、それゆえに正直なものであろう。その形態が感応的であるがゆえに、「私の内部」を大事に...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.37-40
[日本]
1962年兵庫県生まれ。1994年、建築都市計画研究所ateliera+a設立。現在、岡田哲史建築都市計画研究所代表。主な作品=《上麻生の家》《冨士山麓の家》《松原の家》《和田の家》《代田の家》《荻窪の家》ほか。 主な著書=『ピラネージと「カンプス・マルティス」』(共著、本の友社、1993)、『ピラネージの世界』(丸善...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.158-159
[現代建築思潮]
「批評」は必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフがまずあります。そして、そこ...と、先日日埜さんの事務所のオープニングで、丸山洋志さんと話をした際に、丸山さんが「アメリカと...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[批評]
第二次世界大戦後のこの五〇年の間に、建築に重大な影響を及ぼすパラダイム・シフトが生じた。それは機械─力学(メカニカル)から電子─情報(エレクトロニック)へのパラダイム・シフトである。写真とファクシミリという複 製 様 式 (モード・オブ・リプロダクション)において人間─主体の役割の度合いを比較するならば、この変化...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.191-196
[論考]
建築における、その理論と実践(現実)の乖離——このような傾向が露になってきたのは一九世紀半ばからの建築を含めた美学に起因するであろう——を嘆く者。いや、理論が現実から剥離したというよりも、理論そのものが消滅したのでありそのこと自体を建築の「新たなパースペクティヴ」として歓迎する者。筆者自身の立場を正直に告白するならば?...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 3]
前回は、建築空間の「観念性」といったテーマのもとに、命題化どころか単なる迷走をそのまま記述してしまう結果になってしまったが別段反省もしていない。述べたかったのは、建築空間なるものが「真理」に基礎づけられているにせよ、事物の諸性質あるいは「生」の力といったものを中性化しながら、秩序ある「現前」の枠組みに隷属せしめようとす...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.25-27