1886年生まれ。建築家。
(最終更新:2009年3月31日)
[論考]
...最近「白日の闇」というタイトルでミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオンに則し... ...比較的理解しやすい「空隙モデル」である。No.2にあたるあるこのモデルは、一九八七年に竣工した複合...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.18-31
[批評]
...館(MoMA)で開催されたグロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アウトを始め... ...ルフ・ロースに始まりグロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アルヴァ・ア...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[批評]
...断じることも可能ではあろう。1──ミース・ファン・デル・ローエ《コンクリート造田園住宅案》(1923... ...と同一化することなのである。3──ミース・ファン・デル・ローエ《バルセロナ・パヴィリオン》平面...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[論考]
...1 ミース・ファン・デル・ローエの作品を美術のミニマリズムと関連づけて論じることはしばしば行なわ... ...としたら、それは、他ならぬ哲学者ミース・ファン・デル・ローエ自身だったのであろう」と書いてい...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200
[日本]
...連想させるかもしれない。たとえばミース・ファン・デル・ローエやカルロ・スカルパ、あるいはピー... ...眼」が要請されるのである。 1──ミース・ファン・デル・ローエ 《バルセロナ・パヴィリオン》の光...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[論考]
...ルビュジエの《シトロアン住宅》、ミース・ファン・デル・ローエの《煉瓦造の田園住宅》など、アン... ...ジエ)、《チューゲンハット邸》(ミース・ファン・デル・ローエ)、《マイレア邸》(アルヴァ・ア...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[建築とイマージュ 4]
...調しておきたいからなのだ。 1──ミース・ファン・デル・ローエ「バルセロナ・パヴィリオン」準備ス... ...G君 ミースについて君から教わったことに刺激されて、自分でも何か書いてみようと思い立ってから、も... ...築物が、極めて還元された規模で、近 代(モデルニテ)のある契機と結び付け得る様々な要素の活 ...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.31-34
[論考]
...とチャールズv <画像:1317>18──ミース・ファン・デル・ローエ 《グラス・ハウス》スケッチ、193419... ...ーヨーク近代美術館で開催された 「ミース・ファン・デル・ローエ」展のインスタレーション写真。 チ...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[対談]
...きた面があると思います。例えば、ミース・ファン・デル・ローエの《バルセロナ・パヴィリオン》と... ...されたと思います。それに対して、ミース・ファン・デル・ローエは違う立場から、反転性─それは透...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.54-69
[批評]
...キのプレートで包まれた十字柱は、ミース・ファン・デル・ローエの署名とでもいえるものだ。ミース... ...みになっているようでもある。1──ミース・ファン・デル・ローエ《バルセロナ・パヴィリオン》Jean-Lo...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.110-112
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
...ではないかと言う。それゆえ、彼はミース・ファン・デル・ローエらを槍玉にあげて、合理性や普遍性... ...ダニズムの建築言語』(1978)2──ミース・ファン・デル・ローエ 《レイク・ショア・ドライブ・アパ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
...建築法によろう 引用出典=Ludwig Glaeser, ed., Ludwig Mies van der Rohe, MOMA,1969.10──同上部分。 ラーメン架構に... ...ッド・スペース「ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエの生涯」[ケネス・フランプトン『...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[現代住宅論 7]
...を完成させたのは、いうまでもなくミース・ファン・デル・ローエである。ミースは一九五〇年のイリ... ...回帰したのだと言ってよい。 3──ミース・ファン・デル・ローエ 《レイク・ショア・ドライヴ・アパ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[インタヴュー]
...ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受... ...がかりとして、ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエがそれぞれどんな具合に受け入れら...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[オルタナティヴ・スペース 3]
...)に溢れている。 それらに比べるとミース・ファン・デル・ローエのフラットルーフには屋上がない。... ...テ・ダビタシオン》の屋上模型4──ミース・ファン・デル・ローエ 《イリノイ工科大学》 5──スー...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.32-34
[キーワード]
...モア」★27という規範を物象化したミース・ファン・デル・ローエの建築にその起源を見出すことができ... ...ことを示しているだろう。 ★27──ミース・ファン・デル・ローエは装飾をそぎ落とし、機能を純化さ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[建築の還元 2]
...たちで表現する未然の事例こそが、ミース・ファン・デル・ローエによる、「鉄とガラスのスカイスク... ...問い返さなくてはならない。 1──ミース・ファン・デル・ローエ 「鉄とガラスのスカイスクレーパー...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[批評]
...して、最も古い第三のイメージは、ミース・ファン・デル・ローエによる一九二八年の、アレクサンダ... ...ねにすでにここに〈ある〉。 1──ミース・ファン・デル・ローエ「アレクサンダー広場計画案」1928年2...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.46-60
[素材─構造]
...おける重要なテーマになっている。ミース・ファン・デル・ローエやヴァルター・グロピウスのような... ...ンバッハのガラスパヴィリオン》をミース・ファン・デル・ローエの《ファンズワース邸》(一九五〇...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.108-111
[批評]
...いところに、一九二〇─三〇年代のミース・ファン・デル・ローエの〈建築神学〉が位置していたこと... ...─次を参照。拙論「腐敗と決断──ミース・ファン・デル・ローエの戦場四」、『建築文化』(彰国社...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[論考]
...担当したと言えるだろう。例えば、ミース・ファン・デル・ローエやSOMなどの作品である。それにはシ... ...影し、屋根を省いた桂離宮の写真とミース・ファン・デル・ローエのインターナショナル・スタイルが...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[トーキョー・建築・ライナーノーツ 8]
...、街の西にあるオリンピック施設やミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオンへ。さ... ...。そしてバルセロナ大学でホセ・アントニオ・コデルク設計の建築校舎を見学。ラファエル・モネオの...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.29-32
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 3]
...ぎない、その極北ともいえるものがミース・ファン・デル・ローエの「ガラスの箱」である。 二、建築... ...もないことを構想している。荒川氏自身、例えばミースに代表されるであろう近代的な「還元主義」を...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.25-27
[現代建築思潮]
...の時期である。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエのように時代を決定づけたり、イデ... ...おく。J・A・ブリンクマン+L・C・ファン・デル・フルフト《ファン・ネレ工場》[図1]は写真で見てい...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[技術と歴史 1]
...ケーススタディハウスと同じ時期にミース・ファン・デル・ローエは《ファンズワース邸》を作ってい... ...同じ時期にミース・ファン・デル・ローエは《ファンズワース邸》を作っている。《ファンズワース邸... ...リですね。だからミースとは決定的に違っている。コーニッグたちは大衆向け、ミースの鉄骨は貴族、...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[アート・レヴュー 1]
今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの国際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセ...のシカゴ万博のパヴィリオン群や、ミース・ファン・デル・ローエの記念碑的なバルセロナ・パヴィリ...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.41-42
[論考]
...テレス型の求心空間、もうひとつはミース・ファン・デル・ローエの提出した均質空間である。前者は... ...完膚なきまでに瓦解させたのが、原の語るようにミースの均質空間の概念であると言ってよい。無限に...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.100-101
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
...層ビルのプロトタイプを根づかせたミース・ファン・デル・ローエも、同じく、一九六九年に他界して... ...し、彼女らの努力は結局、核家族を社会単位のモデルとしつつ、無報酬の家事を女性にあてがうジェン...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[論考]
...イヤー、モホリ=ナギ、バイヤー、ミース・ファン・デル・ローエとバウハウスの主要なメンバーが次... ...て「ニューバウハウス」を提案したのだ。さらにミースも一九三八年、アーマー工科大学(のちのイリ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.205-216
[都市表象分析 17]
...呼応する共同体観や─種の古典性をミース・ファン・デル・ローエの建築に認めていた★九。たとえば... ...ぶそれ自体開かれた空間」の性格がうかがえる。ミースの空間構成の意図が、平面的に空間を切り取り...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.2-11
[現代住宅論 1]
...できるかどうかという問題となる。ミース・ファン・デル・ローエはモダニズムの機能主義を否定し、... ...ない」と主張した。この建築思想にもとづいて、ミースはすべての「壁」を取り去り、どんな機能にも...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209
[都市表象分析 31]
...らない。同時期に書き進められた『ミース・ファン・デル・ローエの戦場──その時代と建築をめぐっ... ...ンガーの写真である。そこでは墓石が超高層のモデルであり、超高層は墓石に過ぎない。 このとき、磯...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.2-11
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 5]
...空間を体現する建築──その代表がミース・ファン・デル・ローエの「ガラスの箱」であろう──を制... ...ごく当たり前の結び付きに育まれた価値基準からミースの作品を素朴に批判できるであろうし、その近...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.37-40
[技術と歴史 10]
...です。 先を急ぎましょう。これはミース・ファン・デル・ローエの《ベルリン国立美術館》(一九六八... ...力がこの建築の大事なところなのでしょう。特にミースの建築は、極端なまでに技術を組み上げ部材の...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.215-225
[インタヴュー]
...──具体的にはル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエが提示したように、最初に全体的な... ...ですが、たとえばミースのグリッドであれば、均質空間ですからどこにいてもミースのグリッドですよ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.94-102
[シンポジウム]
...ました[図7]。会場となったのは、ミース・ファン・デル・ローエのベルリン国立新美術館でしたが、... ...世紀の建築は、合理的な論理の導入や大量生産モデルの踏襲によって発展した結果、産業システムと密... ...りました。そして、街はそのネットワークを繋ぐファンクションとなったのです。 ただしこのグリッド...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[技術と歴史 3]
...ペレが作り、鉄骨構造建築の原型をミース・ファン・デル・ローエが作ったと言ってよいと思っていま... ...り東であり中であり、西洋は才や器や用、つまりファンクショナルな部分は西洋を入れるけれど、主体...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187
[都市の傷痕とRe=publik 8]
...ありながら、「ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエが建築と考えたものが建築であると... ...九二〇年代、BFの言葉はわれわれ皆の関心を引くファンファーレでした。われわれは機械を信じていたと...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.31-32
[建築の還元 4]
...く伝えているのは、言うまでもなくミース・ファン・デル・ローエによる「レス・イズ・モア」という... ...に対する関心は少しずつ建築へと漸近してゆき、ミースからの影響を自ら吐露することになる★八。 ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220
[現代建築思潮]
...です。また、去年の秋にベルリンでミース・ファン・デル・ローエのナショナルギャラリーを見たので... ...えば、モデルを組むときにはすでに答えがあり、それを確認するためのモデル化であり、モデルを組む...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52
[技術と歴史 4]
...代建築の、特にバウハウスの連中、ミース・ファン・デル・ローエ、それからグロピウスもアメリカに... ...っているのはスペインの碩学ルイス・ディエス・デル・コラールの『アジアの旅』です。コラールはヨ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[1990年代以降の建築・都市 20]
...校舎》でも採用されていた。また、ミース・ファン・デル・ローエの《ベルリン国立美術館》やフィリ... ...で、一九九〇年代以降、日本では新しい建築のモデルとして、しばしばコンビニが言及されるようにな...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.21-22
[グローバリズム 2]
...によっても語れるが、同時にそれはミース・ファン・デル・ローエの戦後の作品に彼らが見出したアメ... ...け持った。《お祭り広場》は未来の公共領域のモデルとして構想され、磯崎のロボットを含む応答性の...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[論考]
1 一九世紀の建築写真 建築は、写真にとって発端からすでに主要なモティーフのひとつであった。二人のジェントルマン・サイエンティスト、ニエプスとタルボットの最初...ニの《サンテリア幼稚園》のほか、ミース・ファン・デル・ローエ、アルヴァ・アアルトなど多くの近...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[批評]
...イニンガー、ムッヘ、ブロイアー、ミース・ファン・デル・ローエ、マイヤー……彼らはバウハウスと... ...ニー、住宅と諸施設の団地)にも拡大し、そのモデルとして教師と生徒たちの集団居住と協創のための... ...校舎や教員住宅の集合を、デ・ステイルのテオ・ファン・ドゥースブルグらからの影響を受けつつ、自...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.143-165
[批評]
サイバーアーキテクチャーはあるか サイバーアーキテクチャーという語はまだない。このところ、新聞、雑誌で目にする機会の増えたサイバースペースという言葉にしても、説...置に空間を手にいれる方法である。ミース・ファン・デル・ローエが《トゥーゲンハット邸》で見せた...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.44-53
[スタディ]
...巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)より少し若いが、彼らと... ...ころでは、必ずそれは建築へと超越する」というミースの主張を信じ、技術と建築を結びつけることを...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[批評]
...ザイナーのマルセル・ブロイヤーやミース・ファン・デル・ローエの探究に影響を受けていたことであ... ...稿のイラスト・写真では、オリジナルと現在のモデルの両方を使っている。本稿は、『AAファイル』の一...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[インタヴュー]
...が終わったとき──日本の建築に、ミース・ファン・デル・ローエの空間、あるいは、その方向を技術... ...の住宅建築に作用したとは思わない。アメリカのミースやSOMの方法がもっと直接作用した。工業力を背...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.166-180
[批評]
...うるかについて語っている。例えばミース・ファン・デル・ローエのアメリカの作品におけるさまざま... ...けは、先進的な宇宙の時空間モデルとも一致しているが、それらのモデルはニコライ・イヴァノヴィッ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[生産─技術]
銀座と青山のファッション・ストリートを中心に、世界的な建築家によって、個性的な建築が出現している。おかげでストリートは華やかで活気があるものへと変貌しつつある。...に表現が集中する。そのことの美はミース・ファン・デル・ローエが描いた「フリードリッヒ・シュト...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.120-123
[生産─技術]
わたしたちが望むのはモノを吟味し、モノにそれ自体が持つ形態を見つけ出させることである。モノにその外側から形態を授けること、モノを外部から決定すること、モノにどん...な「形態は機能に従う」になろう。ミース・ファン・デル・ローエの僚友であったへリングだが、彼は...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.124-127
[建築を拓くメディア]
森川嘉一郎は『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(幻冬社、二〇〇三)で、未来の都市の景観を予想しようとする時、一九七〇年代までならば、建築家がつくる建築作品の...る。前者においては都市の景観は、ミース・ファン・デル・ローエに範をとったスカイスクレーパーや...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.132-133
[批評]
...る」という金言は、建築の世界ではミース・ファン・デル・ローエの言葉と考えられてきた★一。しか... ...築の世界ではミース・ファン・デル・ローエの言葉と考えられてきた★一。しかしミースの参照源であ... ...典型的に見られるディテールだったが、新しいモデルによって変化が現われた。トスカナ式、ドリス式...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.90-101
[論考]
...つなぎとめはしない。同様の結果がミース・ファン・デル・ローエによって、彼のベルリンのアレクサ... ...ロースが彼のカフェ・ニヒリズムにおいて、またミースがそれ自体以外何も反映しない沈黙において、...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.195-202
[鼎談]
...っぱり熱で溶けちゃうでしょうね。ミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサル・スペースでも鉄... ...と考えられる建築家は極端に減ったと思います。ミースについて論じても意味がないというのは極論と...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72
[対談]
...くらなかったからだと思う。 隈──ミース・ファン・デル・ローエもル・コルビュジエもその両方をう... ...てくるし、日本のマンションがクレーム処理やモデルルームにかけるお金やエネルギーはものすごい。...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[対談]
部屋の写真術 岡崎——都築さんは『TOKYO STYLE』からこっち、部屋の写真を撮ることをつづけていらっしゃるとのことですが、期間としてはけっこう長いですよね...がそういう部屋に住んでみてから、ミース・ファン・デル・ローエはどうこうとか言ってほしい(笑)...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.54-72
[インタヴュー]
...あり、世界中で有効でした。例えばミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサル・スペースはニュ... ...な繰り返しで、今までのファンクションと建築の対応関係と全然違う、ファンクションからもっと自由...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.75-82
[インタヴュー]
...優しいのはやりませんよね。 3──ミース・ファン・デル・ローエ《バルセロナ・パヴィリオン》 引用... ...いますか、初出といいますか、丹下にとってのモデルがきちんと摘出されています。例えばサン・ピエ... ...できた時なのですが──おそらく絶望を感じた。ミースにこの路線では適わない(笑)。というよりは...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[対談]
...りニュートンの絶対空間、あるいはミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサルであったりするわ... ...モデルとしてはデカルト空間だったりニュートンの絶対空間、あるいはミース・ファン・デル・ローエ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.62-79
[図版構成+論考]
...ーヴィチ『無対象の世界』 1617──ミース・ファン・デル・ローエ 《ベルリン新国立ギャラリー》(一... ...ヴィチの「黒い正方形」そのものなのである 「ミースの『黒の上の黒』美学が、モダニズム・アヴァン...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[対談]
...均質空間の代表例としてしばしば、ミース・ファン・デル・ローエの「ユニヴァーサル・スペース」が... ...の思想家シュミットとの同時代的な並行性です。ミースはワイマール時代には、「建築とは精神的決断...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.62-77
[批評]
...、建築を次のように規定する──「ミース・ファン・デル・ローエが皮肉にも評したように『月曜ごと... ...館行きになる何台かは別として、こうして旧型モデルが保存されるのは、それらが貴重な過去の細工品...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.105-114
[批評]
...していた。ノウィッキーはおそらくミース・ファン・デル・ローエのイリノイ工科大学とレイクショア... ...ィテールを念頭においていたと思われる。そこでミースは、鉄骨のマリオンを厳密に構造的なものとい...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179
[論考]
離れ、散らばること 一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄...るものであったことを再認識した。ミース・ファン・デル・ローエの自由壁のように、空間的実体を強...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.134-135