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ホーチミン | 三浦展
Ho Chi Minh | Atsushi Miura
掲載『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) pp.38-39

今年二月、ヴェトナムのホーチミン市に三日ほど旅行してきた。ホーチミンはかつての南ヴェトナムの首都サイゴンであり、今はヴェトナム最大の都市である(首都はハノイ)。
ヴェトナムに行った理由は、最近仕事でインタヴューする学生の行きたい国のナンバーワンがヴェトナムだからだ。あとはタイ、トルコなどが多い。昔ならそういう国に行くのはヒッピー的なタイプであったかもしれないが、今はごく普通の女子大生でもそう答える。
また、下北沢の雑貨屋を取材したとき、その店の商品を製造しているのがホーチミンの郊外の農村であったこと、その店の社長(といっても三〇歳そこそこ)が「下北沢はホーチミンと似ている」と言っていたことなども、どうしてもヴェトナムを見ておかなければならないと思った理由である。
果たして、なるほどたしかにホーチミンは下北沢であった。高円寺でもいいが、要するに今どきの東京の若者の街と似ていた。まず、オンボロのバイクがたくさん走っている。泥よけがはずされ、車体にペンキがべたべた塗られたスーパーカブ、へこんでさび付いたヴェスパ[図1・2]、どちらも東京では昨年大流行したが(本誌No.22の本コラム参照)、ホーチミンではそれが普通である。新品のバイクは五〇─九〇ccクラスで二四〇〇万ドン、つまり二〇万円ほどだが、それが年収の五倍くらいだというから、東京の感覚なら四〇〇〇万円! それでもバイクがないと生活ができないので誰もがバイクを買う。新品がだめなら中古を買う。それもだめならレンタルして仕事をするらしい。泥よけのないバイクが多いのは、おそらく、中古バイクを買うとき、お金が足りなくて泥よけを付けられないからであろう。しかしそれを日本人の若者が見ると、かっこよく見えたのかもしれぬ。
四輪自動車はあまりない。よほどの金持ちでないと乗らないようだ。もちろん仕事に必要な場合、庶民はやはり中古を買うか、借りるようだ。二〇─四〇年前の中古日本車はたくさん走っている。私が乗った個人タクシー、というか、日本でいう「白タク」も三〇年前のサニーであったが、スピードメーターもタコメーターも針が動いていなかった。
というわけで、街はほぼ人口と等しい数のバイクで溢れている。溢れるというより洪水のように流れている。渋谷の駅前の人間がすべてバイクに乗っていると考えればよい。それほど多い。だから誰も暴走などしていない。あまりに数が多いので三〇キロメートルくらいでしか走れないのだ。しかし決してバイクの流れは途切れない。メコン川の流れのように、ひたすらバイクの流れも続く。イナゴの大群か、鰯の大群のようである。本当に無数である。
しかも信号がほとんどない。道路標識もほとんどない。センターラインもほとんどない。横断歩道もほとんどない。ないないづくしである。おおよそ右側通行であるというくらいしか規則はないように見える。実にアナーキー。ほんとに社会主義国なの?
追い越しは極めて大胆に行なわれる。バスの目の前を当然のようにバイクが横切る。私が空港から乗ったバスもホテルまで二〇分ほど走る間にバイクと二度、トラックと二度ぶつかりそうになり、また私が乗った白タクはシクロと接触し、そのシクロがまた後ろから来たバイクと接触して道路からはずれてしまったが、二人とも転びもせず、喧嘩にもならない。その程度では事故ではないらしく、パトカーなど来ない。
さすがに下北沢も高円寺も、交通事故があれば白バイくらい来るであろうが、しかし、ちょっとやそっとじゃ警察が動かない街ではある。一九六〇年代に学生がたくさん住んで四畳半で火炎瓶を作っていたからであろうか? 多少のことは大目に見られる風土が中央線沿線や下北沢にはある。今、吉祥寺では夜、駅前の交番の横でフリマが開かれるし、バンドもたくさん演奏している[図3]。高円寺には、舗道の街路樹に双眼鏡がゆわえつけてあり、その双眼鏡で舗道の反対側のマンションの部屋にある作品を窓越しに鑑賞するという奇妙な画廊があるが、これも厳密には違法であろう。が、そんなこと、誰も何も文句は言わない。こういうのを自己責任というのだろうか? 民度が高いんだなあ。
話がそれた。ホーチミンが東京の若者の街に似ている、もうひとつの要素、それはジベタリアンの多さだ。下北沢駅南口の小さな広場は夏ともなると若者の居間と化し、座り込むどころか、寝転がる者もいる[図4]。恵比寿駅前でも、私の目の前で突然路上に寝てしまった若者もいた[図5]。
ホーチミンでは歩いている人があまりいない。バイクに乗っているか、しゃがんでいるか、座っているかだ。だから路上がにぎやかだ。誰もが屋台で食べ、将棋をし、物を売る。普通のOLも白いアオザイを着た女子高生(?)も、路上にしゃがんでうどんを食べる。そして物売りのおばあちゃんは道ばたで昼寝をする[図6─8]。もちろんおそらくこれは伝統的習慣であって、東京の若者のような流行風俗ではないのであろうが……。
そういえば、昔の日本人もよくしゃがんだし、地べたに座り込んだものだ。日本中の市場で、みんなござを敷いて座って物を売っていた。いや、今でも千葉のしょいっこのおばあちゃんは神田駅のガード下あたりで地べたに座って物を売っている。そういう伝統が、戦後五五年あまりを経た日本人にも、血の中に流れているのであろうか? 近代化、西洋化の推進という目標が、地べたに座り込み、しゃがみ込む日本人を突如立ち上がらせたのかもしれぬ。文明開化とはまず文化的直立猿人化であり、それが文字通り「進歩」だったのであろう。明治期でも日本の町人は裸足で歩くのが普通であり、その歩き方も、背筋を伸ばし、脚を伸ばしたものではなかったらしいから、そもそも歩き方の改革が文明開化だったのであろう。そしてやがて軍隊の行進が模範的歩行の型となっていったのであろう。
だから、もう近代化とか進歩なんて全然関心のない現代日本の若者が路上にしゃがみ込み、地べたに座り、寝転ぶのは当然すぎるほど当然なのである。下北沢や高円寺、あるいは吉祥寺のフリマなどは、そういう若者にとって居心地がよいのであろう。

1──泥よけがはずされ、車体にペンキが塗られたスーパーカブ 筆者撮影

1──泥よけがはずされ、車体にペンキが塗られたスーパーカブ
筆者撮影

2──へこんでさび付いたヴェスパ 筆者撮影

2──へこんでさび付いたヴェスパ
筆者撮影


3──吉祥寺駅前の夜のフリマ 筆者撮影

3──吉祥寺駅前の夜のフリマ
筆者撮影

4──若者の居間と化した下北沢駅南口の小さな広場 筆者撮影

4──若者の居間と化した下北沢駅南口の小さな広場
筆者撮影


5──恵比寿駅前、突然路上に寝た若者 筆者撮影

5──恵比寿駅前、突然路上に寝た若者
筆者撮影

6──ホーチミン、しゃがむ人々、にぎやかな路上 筆者撮影

6──ホーチミン、しゃがむ人々、にぎやかな路上
筆者撮影


7──ホーチミン、しゃがむ人々、にぎやかな路上 筆者撮影

7──ホーチミン、しゃがむ人々、にぎやかな路上
筆者撮影

8──ホーチミン、しゃがむ人々、にぎやかな路上 筆者撮影

8──ホーチミン、しゃがむ人々、にぎやかな路上
筆者撮影

>三浦展(ミウラ・アツシ)

1958年生
カルチャースタディーズ研究所主宰。現代文化批評、マーケティング・アナリスト。

>『10+1』 No.24

特集=フィールドワーク/歩行と視線