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記憶の建築/忘却の建築 | 柿本昭人
The Architecture of Memory/ The Architecture of Oblivion | Kakimoto Akihito
掲載『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在, 1999年09月発行) pp.30-31

長引く不況のためなのか。郊外の幹線道路沿いには、更地が目立つ。確かにその場所には建物があったはずなのだが、どうしても思い出せない。車窓から眺めていたせいばかりではない。コンビニエンス・ストア、ファミリー・レストラン、家電の量販店、紳士服店、それともワンルーム・マンションだったか……。数キロ先にはまた同じ建物の連なりに出くわす。立ち続けているほうがコストのかかる建物。見捨てられるどころか、取り壊され、更地となったほうが負担が少ないという、はかない建物たち。
大学の教室からは、道路の向こう側で行なわれている区画整理の光景が見える。アスファルトで舗装された道路がまっすぐに走り、新しい交差点と信号機が見える。造成地の赤土も太陽に照らされて白っぽい。そこには山と池があった。七年以上も眺めていたはずなのに、その山がどんな形だったか、池はどんな形でその周りはどんなだったか、やはり思い出せない。はかない自然。来年の新入生はもう、そこに山と池があったことすらも知らないのだろう。しかも、私が忘却してしまったその山と池も、最初から悠久のものなどではなかったのだから。
国破れて山河あり。本当か。焼け野原の廃墟の街でなら、私はきっと迷子=異邦人となる。通い慣れた道。いつも目にしていた風景。そこに何かの空白を見つけたとき、そこに何があったのかも定かではないのだけれども、別の道、別の場所にいるような気分になる。すっかり何もかも入れ替わってしまっているのではないのか。住人も、建物も、道路も。気づいていないのは自分だけ。心配になって引き返しても、誰も私のことを知らないと言う。とてもじゃないが、廃墟を遊ぶなんてできそうにもない。

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>柿本昭人(カキモト・アキヒト)

1961年生
同志社大学政策学部教授。社会思想史。

>『10+1』 No.18

特集=住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在