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テニヲハと納まり | 岡崎乾二郎+中谷礼仁
The "Te-Ni-Wo-Ha" Particles and Harmony | Okazaki Kenjiro, Nakatani Norihito
掲載『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999, 1999年06月発行) pp.13-26

空間の創出と喪失に関するメモ……中谷礼仁


はじめに

前回の岡崎氏の論旨は、日本語、というか、漢字にからみつくテニヲハのはたらきを、主体的感情(空間)を生み出すいわば装置としてとりあげ、その装置としてのテニヲハを類比的にあてはめることによって、日本建築の特性をつかみだそうとする試みでした[註参照]。不思議なことに、ヘーゲル的美学を援用した井上充夫氏よりも、さらにはその祖形となったとおぼしき浜口隆一の「日本国民建築様式の問題」(一九四四)よりも、その説得力は奇妙にも増していました。建築史家をきどった私も、その蓋然性を増す作業に一役かいました。
しかしながらやや心配なのは、いわゆる「日本建築」の空間展開の経緯が、むしろ、この説におもしろいほどにあてはまってしまうことにあります。たとえば前回、岡崎氏が提出した時枝の日本語構造の図式、端的に言うと主体的な空間(もはや「くうかん」ではなく、それこそ「あきま」と呼ぶのが相応しい)を見出すためにいくえにも包み込まれた入れ子、懸詞の変転によるロジカル・タイプの違犯などなど。これらにほぼぴたりとあてはまってしまうような、配置、平面形式をいくらでもあげることができます。さらにこれまでの日本建築の解説のはしばしが、岡崎氏の解読につられて、そのように読めてしまう。茶室・民家などの例外があることがむしろ救いにせよ、少なくとも社会的格式的存在である寺社、上流住宅(いわば日本語を自在にあつかいえた階層による建築と言うべきなのでしょうか)の空間の変遷が案外、妥当に語られてしまう。試みに、日本建築における神社の形成過程についての代表的なテキストである建築史家・稲垣栄三氏の見解と岡崎氏の読みを列記してみましょう。

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むはるに如かず……岡崎乾二郎

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>岡崎乾二郎(オカザキ・ケンジロウ)

1955年生
近畿大学国際人文科学研究所教授、副所長。造形作家、批評家。

>中谷礼仁(ナカタニ・ノリヒト)

1965年生
早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。歴史工学家。

>『10+1』 No.17

特集=バウハウス 1919-1999