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クリケット群島(続) | 今福龍太
Cricket Archipelago (Part 2): C. L. R. James, Trobrianders, and Sea Amateurs | Imahuku Ryuta
掲載『10+1』 No.11 (新しい地理学) pp.192-198

トロブリアンド・クリケット

トロブリアンド諸島 1914
ニューギニア北東部の太平洋上に点在する小さな群島に居住するパプア=メラネシア人のあいだで「クラ」と呼ばれている特異な交易の形態に着目し、二〇世紀人類学の曙光を告げる記念碑的著作『西太平洋の遠洋航海者』(一九二二)を書いたブロニスラフ・マリノフスキーが、彼の他の民族誌のなかでクリケットに言及していることはあまり知られていない。しかし、マリノフスキーのフィールドであったトロブリンアンド諸島のキリウィナ一帯には、フィジー経由でやってきた宣教師たちによってすでに一九〇三年にクリケットが伝えられていた。 そしてマリノフスキーが調査を始めた一九一四年には、クリケットは早くもそのイギリス型近代スポーツ・ゲームとしての形態を失い、トロブリアンド諸島人によって独自の文化装置へと変貌をとげつつあったのである。
トータルなトロブリアンド諸島の民族誌をめざした大著『珊瑚礁の庭園とその呪術』において、マリノフスキーは南海のフィールドにおけるこのクリケットとの思いがけない遭遇について、こう短く記している。

紛争についてのいくつかの報告は、なぜ村人がカヤサ(食物の儀礼的・競合的誇示をともなう祝祭)を挙行するかについて興味深い見解をしめしており、それは財貨の真の拡散がいかに困難であるかをも説明している。イギリス人にとって名誉とスポーツマンシップの同義語であるクリケットは、ここキリウィナの人々にとっては暴力的な紛争と強い情熱の源泉となり、新たに発明された賭のシステムともなった。もっとも、もう一人の野蛮人であるポーランド人にとっては、クリケットなどというものは無意味で、退屈な時間浪費でしかなかったのだが★一。


自らのポーランド系の出自を揶揄しながら、クリケットという特殊イギリス的なスポーツ界の「異物」のマリノフスキーにとっての無意味について述べる最後のくだりは、彼にしてはめずらしい、ユーモアの気配すらただよっている。だがここで注意しなければならないのはもちろんそのことではない。植民地的伝播によってトロブリアンド諸島に移植されたクリケットが、わずかの時間のうちに作り替えられ、近代スポーツとしての意味論と形式性を喪失して、土地の儀礼的な文化へとじかに接続されていった事実を、すでにここでマリノフスキーがたしかに見て取っていたことが重要である。
マリノフスキーの記述に従えば、トロブリアンド諸島において、クリケットは広い意味で「カヤサ」と呼ばれる競合的・儀礼的な文化行為の一環として行なわれている。カヤサとは、村の有力者の男の権威や名誉の象徴的な確立をめざすあらゆる種類の儀礼的行為に与えられた、トロブリアンド的普通名詞である。通常それは、食物の分配と誇示によって特徴づけられるが、ダンスや遊戯や貝殻細工の工芸品の展示といった祝祭的な要素がこれに加わることも多い。収穫や、物資の分配をめぐる集落間・党派間の潜在的な対立を、儀礼の挙行によって顕在化させ、それによって紛争を象徴的なかたちで調停してゆく文化的な仕掛けとしてのカヤサは、クリケットという競技的な性格を持った新たな導入物を、たくみにトロブリアンド文化の競合的な構造のなかに組み込んでいった。カヤサが、マリノフスキーのいうように、「一人の男がより力強く、その呪術がより冴えていること」を証明するための行為だったとすれば、植民地的接触がもたらしたクリケットというヨーロッパの競技は、それがおなじような見世物的な「争い」の形式を持っているがゆえに、容易にトロブリアンド的文化構造に移植することが可能だったのである。
クリケットが到来してわずか一〇年のあいだに、トロブリアンド諸島人はこのイギリスの近代スポーツ競技を、彼らの象徴的な文化行為へと変容させていた。だが、この南島のクリケットそのものが、いったいどのような形態を持つものであったかを、マリノフスキーの報告から知ることはできない。マリノフスキーは、もっぱらこの群島のあいだで行なわれている「クラ」交易の象徴的・美学的構造へと彼の関心を集中させ、島づたいに行なわれる腕輪と首飾りの儀礼的交換の壮大なコスモロジーの探求へと自らを駆り立てていったからである。クラ交換の環のなかに加わった人間が、世界への大きな帰属意識のなかで腕輪や首飾りを受け取り、別の取引相手にすぐさま引き渡すという、近代的経済意識から見れば不思議な「所有」と「交換」のシステムは、マリノフスキーに「クラ」という象徴交換の形式を一つの生命体的運動として見る視点をもたらした。『西太平洋の遠洋航海者』のなかで、マリノフスキーはこう書いている。

クラは、地理的な広がりからいっても、その構成要素の多様性からいっても、極度に大きく複雑な制度である。それは多数の部族を結びつけ、おたがいに関係しあった諸活動の巨大な合成物をその内容とし、こうして一つの有機的全体を形成するのである★二。


マリノフスキーはこう書きながら、クリケットの変容を含み込んだカヤサ儀礼と深く関係したクラ交易のシステムを、群島とそこに点在する人々を繋ぐ有機的な全体性の相のもとに見ようとしていた。そうだとすれば、マリノフスキーはクラのイメージの彼方にクリケットという文化装置の群島性を発見する、まさに一歩手前にいたといえるのかもしれない。

トロブリアンド諸島 1973
マリノフスキーがトロブリアンド諸島で調査してからほぼ六〇年後、人類学者と映像作家の二人組がこの島にやってきて、クリケットを主題にした注目すべき映像作品を完成させている。ジェリー・リーチとゲイリー・キルディー(撮影)による『トロブリアンド・クリケット』(一九七四)★三である。
映像人類学の画期的成果の一つとして数えられるこの作品中に活写されたトロブリアンド島民によるクリケットの様子によって、われわれは初めて、マリノフスキーが出遭ったクリケットがさらに半世紀以上の年月を経ることによって、このメラネシアの島々でいまどのようなかたちで実践されているのかを、その細部にいたるまで知ることができるようになった。
「植民地主義への精巧な対応」という副題のついたこの五四分の映像作品には、トロブリアンド・クリケットについてのいわゆるドキュメンタリー的な映画という内容を超える、分析的・内省的な方法論が貫かれている。そこには、人々の日常生活を通じて一つの文化が「表現」される姿を客観的に写しとるというよりは、一つの文化がその構成員によって多様な「演技」として表象される現場をダイナミックに描きだそうという、作者たちの強い意図がはたらいている。しかもこの映像作品には、観察者と被観察者、植民者と被植民者、カメラと対象物といった対抗関係そのものの政治性をめぐって、まさにイメージによる表象と分析を行なおうとする認識論上の意欲的な試みが隠されてもいる。ギアーツ流の解釈学的人類学の理論の実践篇ともいえるこの映像作品は、トロブリアンド・クリケットの変容の姿を映し出しながら、人類学という方法の成立に含まれる植民地主義イデオロギーと客体化の政治学を、批判的に明るみに出そうとするのである。
だが、なによりも、トロブリアンド諸島でのこの時点でのクリケットのプレーの実体を、映像によりながら確認しておかねばならない。作品の冒頭ではやくも、私たちはトロブリアンド・クリケットの異様ともいうべき外見的特徴を知ることになる。戦闘用の衣装を着た上半身裸の男たち。数は無制限のプレーヤー。まるで突き立てられた槍に抗戦するようなポーズで投げるボウラー。線も境界もない広場のグラウンド。プレーの合間にさしはさまれる集団による儀礼的・様式的な踊りと歌……。
クリケット・グラウンドに展開されるプレーヤーの配置とゲームの空間構造じたいが、トロブリアンド・クリケットのきわだった特徴を示している。ウィケットとボウラーを結ぶ直線軸を中心に、プレーヤーの整然とした幾何学的配置によって特徴づけられるイギリス的クリケットのフォーメーションとちがって、トロブリアンド島民にはゲームにおけるポジションという発想がそもそも存在しないかのように見える。フィルムが映し出すのは、無秩序にグラウンドに散らばった非常に数の多い選手たちが見せる、プレーのシークエンスとの整合性を持たない身勝手な動きの連鎖である。通常、クリケット、フットボール、ベースボールといった集団スポーツ球技に共通していえるのは、プレーヤーの位置取りにおける関係性が、ゲーム空間における「空白」(プレーヤー間の距離)として視覚的に示されるという点であるが、トロブリアンド・クリケットにおいてはそうした意味ある「空白」の創造はあらかじめ否定されている。フィールドプレーヤー間に適切な距離をとった、整然としたイギリス的クリケットのフォーメーションと比較したとき、トロブリアンド・クリケットは、まるで「いたるところに人がいる」という状態に見える。
トロブリアンド島民が関心を集中するのは、グラウンドという限定された空間の内部のフォーメーションの問題ではなく、グラウンド(それ自体境界のないものであるが)そのものがプレーによって伸縮するときの、可変的な運動を持つ全体性のほうである。ゲームが選手のワン・プレーやボウラーの一投球によって分節化されてグラウンドに投影されるというよりは、むしろ儀礼空間そのものが伸縮する集団的なかたちとして、選手たちに一つの全体的な宇宙としてイメージされているといえる。アウトを取るごとに集まっては歓声をあげ、ダンスを踊り、やがてまたおもむろに散ってゆくプレーヤーたち……。ボールがフィールドの外に転がって草むらのなかに消えると、茂みに寄り集まって、まるで集団で狩りでもするかのようにボールを探す大勢の選手たち……。ゲームはこうして、プレーヤーたちの断続的な集合と離散の動きによって、不断に伸び縮みを繰り返す生き物のように不可思議な空間として展開されることになるのである。演劇人類学者サリー・アン・ネスによれば、トロブリアンド島における通常の一回の試合でプレー空間は百回以上の伸縮を繰り返し、その頻度は約二分ごとに一回と報告されている★四。
『トロブリアンド・クリケット』が映し出すさまざまなシーンのなかでも、とりわけ印象的なのが、ゲームの前後やプレーとプレーとのあいだにさしはさまれる、擬態的な集合ダンスである。まさにゲーム空間の伸縮をリズミックに統率しているともいうべきこのダンスは、「海鳥ダンス」、「船漕ぎダンス」など、自然界の生物や人間行動の身ぶりを模倣するミメティックで儀礼的な特徴を持っているが、そうしたダンスレパートリーのなかにトロブリアンド島民が経験した植民地主義的経験が深く投影されたダンスが組み込まれていることは特に重要である。「飛行機ダンス」と呼ばれるこのダンスは、映像のなかでも特別に取りあげられ、その身ぶりが植民地時代のイギリスの軍用機や民間飛行機を初めて見たトロブリアンド島民によって、いちはやくクリケットにおける集合ダンスのなかに取り入れられたことが説明されている。両腕を飛行機の翼に見立てて横に大きく広げ、編隊を組んで飛行するかのように並んで体を上下させながら行進する男たちの身体性は、クリケットというチーム・スポーツの競技的な身体性をあっさりと超えて、象徴的・儀礼的・文化批評的な身体の領域へとここで移行していることは明らかである。
「飛行機ダンス」が、イギリス伝来のクリケット・ゲームのなかに、いわばそのゲーム自体の構造を意味論的に変容させるかたちで導入されていることはきわめて象徴的である。飛行機ダンスによって、競技的なリアリティを超越したトロブリアンド島のクリケット・ゲームは、まさにそのダンスのモティーフが飛行機という西欧テクノロジー世界にあることを示すことで、ゲームが依拠する伝統の儀礼的コンテクストそのものが、すでに植民地的接触によって、外的な記号(この場合、飛行機)をともなって混淆・変容していることを明らかにするからだ。その意味で、トロブリアンド・クリケットの変容は、たんに西欧的スポーツの土着化、あるいは近代競技の再呪術化といった単線的な変化の道筋によって説明できるプロセスではない。それは、植民地主義の権力関係を可視的な身体所作の一部に刻印しながら、その権力関係自体を転覆し、伝播された一つの西欧的文化体系クリケットをトロブリアンド的な儀礼的・集団的身体性へと置換してゆく歴史的かつ文化政治学的システムとしてとらえられねばならないのである。
いずれにせよ、すでに指摘したように、トロブリアンド・クリケットの本質は、ゲームの規則ルール体系によって分節化された競技的なリアリティにあるのではなく、西欧的な目には周辺的・二次的な行為とも見えるダンスや集合離散のリズムによる空間・身体表象のほうにある。その意味で、ここでは、近代スポーツに特有のいくつかの決定的な条件が解除されているともいえる。それは「試合」という概念の放棄と、「ルール」の解消である。トロブリアンド・クリケットは、まさに近代スポーツ・ゲームとしての競技が成立する「試合ゲーム」という要素を限界まで縮小させ、逆にトロブリアンド島の歴史的・儀礼的文脈における見世物的・表象的な「遊戯ゲーム」という側面をきわだたせようとする文化行為なのである。したがってそうした場にはたらく規則とは、いわゆる試合を遂行するための「ルール」ではなく、場と集団とを結ぶ精緻な演劇性に裏打ちされた美的形式性として共有された、ある審美的・文化的コードであることになる。そこには、すでにみたように植民地主義の記憶も深く刻み込まれており、身体的なミメーシスの仕掛けを媒介にして、植民地支配とそれ以後のポストコロニアルな歴史は、遊戯=儀礼の審美的なコードをつねに更新し、変容させてもいるのである。
ここにあるのは、選手の身体の個人的・役割的分節によって内実を与えられたスポーツではない。イギリスのクリケットがその幾何学的フォーメーションとポジションに割り当てられた役割によって選手個人の身体を差異化しているのだとすれば、トロブリアンド・クリケットにおけるプレーヤーは、そうした差異化された個人の身体を表象するのではなく、集団的身体として示されるゲームの時空間自体を構成する有機的パーツとしてのみ、クリケットに貢献しているといえるのかもしれない。
集団的なフォーマリティ(形式性)の表示をその美学的達成の頂点に置くトロブリアンド・クリケットのような行為は、文化論的にいえば、個人(プレーヤー)という近代スポーツの遂行単位を解体し、機能的役割によって個人の身体を分節化する西欧的イデオロギーそのものを転覆させる方法的可能性を示唆する。トロブリアンド島民は、外部から与えられたクリケットという財を、個々人の身体に分散させてそのままの形で恒久的に維持するのではなく、彼らの集団的・儀礼的宇宙のなかに歴史とともに投げ込んで漂流させることの方を選んだ。あるいはこう言ってもいいかもしれない。イギリス的文脈におけるクリケットの永続性という価値は、その価値が個人個人の身体性の領域に転嫁されて初めて達成されるような性質を持ったものであり、それがクリケットの大英帝国的展開をうながす力でもあった。クリケットは国家意識を刻み込まれた選手個人のイデオロギー的所有物として海を渡り、伝播されることによって、そこに、被植民地人の身体にあまねく移植された大英帝国の文化的版図を見事に描き出すはずであった。しかし、トロブリアンド島民は、いわば、クリケットをそうした個人的所有物として受容することを拒否したのだ。そのことによって、クリケットは、ちょうどクラの交易によって財貨が群島のあいだを絶えずめぐり動いてゆくように、集団的な宇宙像を表象するもう一つの財貨として、群島のあいだを漂う可変的で文化的強度に満ちた宝物へと変容しえたのである。
マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』には、クラの本質的な意味をめぐる次のような示唆的な文章がある。

真にすぐれたクラ用品は、固有の名前をもち、それをめぐる原住民の伝説には、一種の歴史と物語がある。戴冠式の宝石と家宝は、それぞれ高位のしるしであり、富のシンボルである。むかしのヨーロッパでも、数年前までのニューギニアでも、身分と富とは相ともなったのである。おもな相違点は、クラの財貨がほんの一時的に所有されるのに、ヨーロッパの宝物が完全な価値をもつためには、永久に所有されねばならないという点である★五。


ここでクラと表現されているものを、クリケットと読み換えることで、トロブリアンド・クリケットの文化的意味が浮上してくる。クリケットのコロニアルな移植は、それを植民地においてふたたび「永久の財貨」として民衆文化に組み込むことで、世界に「帝国」の価値を永続的に刻印しつづけようとする欲望がもたらしたものであったが、トロブリアンド島民は、あたかもクラの財貨である腕輪か首飾りが島に到来したかのように、クリケットという「物語」をかれらのヴァージョンにつくりかえ、それを社会環境そのものの可変的な運動性へと投げだした。クリケットは、ほんの一時的に島民によって所有されたのち(マリノフスキーはこの瞬間を目撃したともいえる)、群島という宇宙をかたちづくる集合的な文化と人間関係の「環」のなかへと手渡されていったのである。だから『トロブリアンド・クリケット』が描写するように、この島でクリケットはいまだに、「カヤサ」の機会、すなわち、人間関係の集合的な競合関係の調整の儀礼が必要とされるときにのみ、人々によって召喚されることになる。
トロブリアンド・クリケットは、スポーツというかたちで移植された一つの植民地的現実が、いかに複雑で相互侵犯的な文化プロセスのなかに突き落とされ、幾重にも折り重なり、接合された歴史的・政治学的関係の織物として編み直されていくかを示している。その意味で、これは、いわばイギリス帝国がまったく予期しない、クリケットの植民地的漂流の一つの帰結でもあったことになる。

グレート・ブリテン島 1991
一九九一年の夏、二七人のトロブリアンド島民の男女が、ロンドンはヒースロー空港に降り立った★六。クリケットの道具やダンスの衣装が入った大きな荷物とともにである。彼らはロンドンに拠点をおく文化交流財団によって組織された一連の巡回公演をイギリス各地やオランダで行なうためにやってきた。演目はいうまでもなく、ダンスとクリケットである。
だがこうした文化使節を、従来のように、未開の島から来た「エキゾティック」な部族の風習への興味とともに迎え入れた多くのイギリス人たちは、公演の会場で奇妙な光景を目撃することになった。たとえばロンドンのある公会堂では、トロブリアンド島民とともに使節の一員としてやってきたニューギニア本島のセピック川周辺に住む部族の者たちが、踊りを見に来た見物人たちに、公演前のロビーで彼らのつくった木彫の神像を巧みに売りさばいていた。「エキゾティック」な未開部族による「純粋」に伝統的なダンスを資本主義的な好奇のまなざしによって「消費」しようとやってきたはずのイギリス人たちは、逆に高度に資本主義化されたパプア=メラネシア人たちの飽くなき商魂に、一本取られてしまったのである。
あるいはまた、ロンドンやオックスフォードのクリケット・フィールドで行なわれるトロブリアンド島民のクリケットを見に集まってきた人々は、タコノキの根茎でつくられたペニスケースをつけた半裸のプレーヤーたちが、皆一様に手にカメラを抱えて、大勢の見物人たちを興味深げに写真におさめている光景に出くわした。しかも一試合が終わると、彼らはショートパンツをはいて、観客用にフィルムを売っている仮設ブースを訪れ、自分自身のために何本ものフィルムを購入して、次の撮影の機会に備えたのである。
これらの挿話は、ふたたび私たちを『トロブリアンド・クリケット』のなかの一つのきわめて印象的なシーンへと連れ戻す。そこでは、リズミックな集合と離散の運動を繰り返すフィールドのなかに一人の風変わりな道化役がまぎれこみ、その異質の身体性の表示によってゲームを撹乱しようとしている。よく見るとその道化は、他の裸のプレーヤーたちとはまったくちがう西欧風の服装に身をかため、手にムーヴィーカメラを持って、トロブリアンド・クリケットの一部始終を撮影しようと躍起になる西欧人観光客のしぐさを滑稽に模倣しているのであった。
このトロブリアンド・クリケットにおける西欧人風の道化と、ロンドンでのペニスケースをつけたトロブリアンド人カメラマンの出現とは、まさに相互に見事に補完関係を示しながら、クリケットを一つの文化交通の特権的「ローカス」として生じた、植民地主義とポストコロニアリティの錯綜する文化的経験の現実を私たちに示唆する。トロブリアンド・クリケットの今日的変容のなかに埋め込まれた、植民地主義をめぐる幾重にも絡まった記号表象の政治性は、それがロンドンという場に移されてトロブリアンド島民によって演じられたとき、さらに新たなねじれをともなって更新されてゆく。誰の所有物が、何者によって搾取され、あるいは同化・融合させられているのか? ある特定の文化行為にたいし、誰がその権威や正統性を主張しうるのか? その錯綜したリアリティには、単純な答えはない。だが確実にいえることは、伝統と近代の衝突による文化変容の道筋を単線的にとらえたり、現代社会における文化交通の経験を、因習的な「同化か排除か」の二者択一の図式のなかで理解したりすることは、トロブリアンド・クリケットにおいて一つの見事な事例として示された文化的自己/他者のあいだの相互侵犯的な関係を明るみにだすことが決してできないということである。私たちがいま発見しようとしているのは、一つの身体表現が、自己と他者と無数の歴史的過程とが多層的に折り畳まれた襞として自己を主張する、そうしたリアリティの在り処である。
群島のはざまをたえず受け渡されてゆく一つの文化形式の変転を見極めることは、私たちの思想にあらためて、歴史と政治と詩学との微細な連携と相克についての精緻な理論を要請してくるのである。

後  奏ポストリュード

それが誕生した島からの漂流が始まってほぼ三〇〇年後の一九九一年夏、南島から来た裸のプレーヤーたちによってクリケットはイギリスに一つの象徴的な「帰還」の旅を果たした。だがいうまでもなく、それは選手の意識のうえでも、またプレーの競技的なリアリティからいっても、起源の地への帰還と呼べるものではまったくなかった。あえていえば、それはクリケットが経験しつづける群島的漂流のはての、一つの決定的な難破の記録だというべきだろう。その難破の岸がグレート・ブリテン島であったというのは、まさに歴史を押し出してゆく偶然と必然の巧みな配合のなせるわざだった。
メラネシアの島々とイギリスを結ぶ文化航路上での漂流は、ただちに、黒人奴隷を乗せた船が行き交うアフリカとカリブ海を結ぶ中間航路上でも幾度となく起こった現実の難破と象徴的な文化の座礁の経験と接続されてゆく。すでに述べたように、中間航路における文化的断絶の経験と、それをカリブ海の植民地社会の現実に投影させてつくられた創造的でハイブリッドな身体性の発露とが、西インドのクリケット文化を背後から支える神話的思想の根拠となった。そのカリブ海に浮かぶ島の一つジャマイカに奴隷の子孫として生まれ、二四歳の時にイギリスへと離散した二〇世紀詩人ジェイムズ・ベリーは、アフリカから中間航路を経て西インドへと漂流した「道化蜘蛛」=アナンシの神話のさまざまなヴァージョンを『蜘蛛男アナンシ』という物語で語りつつこう述べている。「アナンシの機略縦横の創造性、弁舌の魅力と抜け目なさ、風変わりな考えと奇行、そうしたものはすべて、アナンシ神話に新しい演出と拡張された解釈とをもたらした。ここにいるのは、カリブ海の手足を持ったアフリカの蜘蛛アナンシなのである」★七。
そのように書くベリーが、「熱 い 舌ジャマイカン・クレオール」と「冷たい舌イギリス英語」をともに自在にあやつる魔術的な言語によって、一つの至高のクリケット詩「速球派の投手ボウラー」をこんなふうに書き出している、と知ったとき、私たちは、C・L・R・ジェイムズを、そしておそらくはトロブリアンド島民たちをもとらえたであろう「幻肢」としてのクリケット的身体の感触を、ふたたび自らの歴史的身体の意識に重ね合わせて、深く確信することができるのである。

打  者バッツマンが神経質にボールを待つ、
そんなものに投手ボウラーは目もくれない。
彼をあざけるようにウィケットが直立している。
背を向ける。足元を確かめる。
長く、長く、険しい、一つの旅。
十一人の野手たちの腕は、一つのボールが握られた彼の腕。
ボールは彼の雄弁さだけを語りかける。
振り向く。すばやい助走。疾駆。太く長い四肢が
激しいリズミカルな衝撃音とともに飛翔し、
弾丸のボールを投げ放つ。
打者は身をかがんでかわす。膝の高さの非難所。
オーケー。オーケー。もう一回……★八


★一──Bronislaw Malinowski, Coral Gardens and Their Magic. New York: Dover Publications, 1978[orig.1935], pp.211-212.
★二──マリノフスキー「西太平洋の遠洋航海者」(寺田和夫・増田義郎訳『世界の名著  59』中央公論社)、一四八頁。
★三──Jerry W. Leach & Gary Kildea, Trobriand Cricket: An Ingenious Response to Colonialism.1974.Distributed by University of California Extension Media Center, Berkeley, CA.
★四──Sally Ann Ness, "Understanding Cultural Performance". The Drama Review (32)4, Winter 1988, p.140.
★五──マリノフスキー、前掲書、一五四─五頁。
★六──この逸話については下記の論文を参照。Annette B. Weiner, "Trobrianders On Camera and Off: The Film That Did Not Get Made", in Lucian Taylor(ed.), Visualizing Theory: Selected Writings From V.A.R.1990-1994. New York: Routledge, 1994.
★七──James Berry, Spiderman Anancy. New York: Henry Holt, 1988, p.vi.
★八──James Berry, "Fast Bowler", in Hot Earth Cold Earth. Newcastle upon Tyne: Bloodaxe Books, 1995, p.95.

*この原稿は加筆訂正を施し、『スポーツの汀』として単行本化されています。

>今福龍太(イマフク・リュウタ)

1955年生
東京外国語大学大学院教授。人類学。

>『10+1』 No.11

特集=新しい地理学

>スポーツの汀

1997年11月