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メモリー・クラッシュ──都市の死の欲動(ドライヴ) | 田中純
Memory Crash: Desiring the Death of the City | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.11 (新しい地理学) pp.16-27

1 都市と死──記憶のエクリチュール

建築家であり、かつてユーゴスラヴィアの首都ベオグラードの市長も務めたボグダン・ボクダノヴィッチは、旧ユーゴスラヴィア連邦一帯の戦争による都市の破壊をめぐって、それが〈他者の記憶〉の抹殺にほかならないことを指摘している。ボクダノヴィッチによれば、都市の概念とエクリチュールの概念とは大きく重複しており、都市とは強力な〈超=言語的エクリチュールのシステム〉であって、このシステムを知的類推のモデルとすることによってはじめて人間は、自分自身を遡行的に認識し、その運命の過程を明確に把握する歴史的存在になりえた。都市とは記憶のシステムであるばかりではなく、歴史を可能とする認識論的モデルなのである。そしてそれはつねに、単一の国や民族、言語の記憶には収まらない複数的な記憶の場であった。

われわれベオグラードの住民はいまだつねに、たとえいかに些細なものであれ、ケルト、ローマ、マジャール、トルコのベオグラードの〈記憶〉を生き生きと持ち、当然ながら自分自身のものとして受け入れている★一。


しかし、その記憶が複数的なものであるからこそ、ボクダノヴィッチが〈都市の儀式的殺害〉と呼ぶ、アルカイックな憤怒にあおられた都市破壊という現象が生じる。その破壊は都市が表象する記憶の集積に向けられている。ボクダノヴィッチは、古代人の想像力が都市に対して愛情や敬意よりも嫌悪と恐怖を強く抱き、神話や叙事詩の多くは都市の破壊を情熱的に支持してきたと述べている。建築形態が発する固有のメッセージが、民族的記憶の境界を越えたものとなるとき、つまり、それらが「原始的で〈健全な良識〉の領域外にとどまる」★二とき、都市破壊者たちはこの〈他者の記憶〉を蹂躙し、抹消する。
しかし、ただ〈破壊〉されただけの都市と〈殺害〉された都市との間には差異がある、とボクダノヴィッチはいう。破壊されただけの都市は再びその物理的精神的輪郭を取り戻し、「その記憶とその都市としての性格のすべてが可視的あるいは不可視的に基づいている隠喩的システム、〈形象的比喩(Tropen)〉」★三を再構築することができる。その例としてあげられるのは、ダンツィヒやロッテルダム、ドレスデンといった第二次世界大戦によって瓦解し、再建された都市である。エッセイ集『都市と死』の末尾でボクダノヴィッチは、われわれが自分自身の内部にとどめる〈不滅の都市〉について語り、「都市に最後のたった一人でも都市的人間が存在し、その人間が都市を自らのうちに保存し続けるかぎり、都市は存在し、誰もそれを殺害することはできない」★四と述べている。このような〈都市〉とは都市の記憶であることを越えた、〈記憶〉そのものにほかならない。それは、ゴート人によるローマ破壊を語るアウグスティヌスの言葉(「ローマとは、それがローマ人でなかったとしたら、いったい何であろうか」)を思わせる、キヴィタス─キヴィス的な都市観である★五。
これに対して、もはや都市の再生が不可能となる破壊の限界が存在し、それを越えてしまうと、その都市を逃れ出た住民たちも、殺害された都市の屍体を遠く取り巻くばかりで、この巨大な犯罪行為の現場に帰還することができない。殺害された都市の周りを取り囲むことしかできないこの人々にとってはすでに、都市としての記憶そのものが殺害されている。つまり、都市の/都市という記憶は、キヴィタス─キヴィスの関係からのみ再生しうるものではなく、ポリス─ポリテス的な関係におけるように、〈超=言語的エクリチュールのシステム〉としての都市が存在してはじめて可能となるのであり、限界を越えてしまった殲滅は、ポリス─ポリテス、キヴィタス─キヴィスのどちらの関係も成立しえないような、まさに破壊と殺害、死の記憶でしかないような場を残すばかりなのだ。そこで露呈するのはいわば、固有の隠喩的システム、固有の記憶を一切欠いた単なる開口、単なる間隔としてのコーラ的な場であるといえるかもしれない。
しかし、あえて言えば、殺害された都市におけるコーラの記憶というものがありうるのではないだろうか。それは確かに、記憶の殺害、記憶の死の記憶という自己矛盾した記憶であるかもしれない。だが、都市という記憶のシステムは実は、この矛盾した記憶をつねにすでに内包しているのではないだろうか。そして、そのシステムのただなかでは、自己保存と再生を行なう力ばかりが働いているわけではなく、絶えず自己を消去する破壊的な衝動が作動しているのではないか。都市の殺害は巨大な犯罪であるにはちがいない。だが、そうした形で表われる都市に対する度しがたい憎悪と暴力は、都市にとってまったく偶然的で、外在的なものだろうか。この激しい憎悪を呼ぶ都市の他者性とは何か。それはあれこれの相対的な他者性ではなく、都市そのものの他者性、都市の内奥で作用している力の、あらゆる固有性を欠いた他者性ではないのか。
都市の記憶、あるいは記憶としての都市をめぐって、それを人間の心的生活における記憶のシステムの考察と結びつけた記述がフロイトの論文『文化のなかの不快』にある。精神的なものにおける保存をめぐり、忘却を記憶痕跡の破壊と見なすことに反対してフロイトは、精神生活において一度作り上げられたものが消滅することはなく、あらゆるものは何らかの形で保存されているとする。フロイトがそこで隠喩として例に取り上げるのは〈永遠の都〉ローマであった。現実のローマでは、古代の建造物のごく一部をただ廃墟として、それも後世に再建されたものの廃墟として眼にすることしかできない。さらにこれらの遺跡は現代にいたるまでの無数の都市建築のなかに埋もれてしまっている。古い建築の多くは地下に眠っている。これが歴史的都市における過去保存の実態である。そして、ここでフロイトは奇怪な仮定を立てる。

さて、ローマが人間の居住地ではなく、同様に長期にわたり、内容豊富な過去をもった心的存在だという空想的仮定を立ててみよう。そこにおいてはすなわち、かつて成立したものは、何一つ消滅していないし、最近の発展段階と並んで、以前のそれがすべてまだ存続しているのである★六。


この架空のローマにおいては、皇帝の宮殿や廟が建造時そのままの形で保存されているばかりではなく、後世の宮殿のある場所に、古代ローマ時代のジュピター神殿が建ち、しかも、この神殿は古代ローマ末期の姿をしていると同時に、エトルリア風の様式をした最も初期の姿を見せてもいる。そこでは同じ場所にあらゆる時代の建物が同時に共存しており、視線の方向なり、立っている場所を少し変えれば、同一地点のあれこれの異なった眺めを喚起できる。
フロイトはこうした空想を荒唐無稽なこととしてこれ以上展開しようとはしない。記憶を空間的に表象することはきわめて困難だ。

もしわれわれが、歴史的隣接を空間的に表そうとすれば、それは空間における隣接によってしかおこなわれえない。同一の空間は二重の占有には耐ええないからだ★七。


擬似的にそんな占有を許すものが、大地のなかに埋もれた都市の表象であり、フロイトにとって考古学が精神分析の隠喩となる理由もそこにある。あらゆる痕跡を保存する場としての無意識がその地層にほかならない。
同じローマという都市の建築的記憶をたどる考古学的な探求の過程で、この地層の存在に遭遇した人物がジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージだった。ヴェネツィア生まれのピラネージにとって、ローマが建築をめぐる古代憧憬のオブセッションの対象であったことは周知の通りである[図1]。『古代ローマのカンポ・マルツィオ』でピラネージは、度重なる天災や戦禍で判別不可能なものとなっていたこの古代都市の中心をなす市街地の姿を、数少ない遺跡と歴史書などから再構成しようとする[図2]。しかし、それによって推定され、地図上に刻み込まれた建造物はきわめて少なく、残りの余白を彼は想像力によって補い、架空の建築物で埋め尽くしている。大理石に彫られた地図を擬した銅版画「イコノグラフィア」には、そうした空想的建築の夥しいプランが蝟集している[図3]。それはあたかも、二重の占有を決して許容しえない地図という平面の、その表象可能性の限界にまで、記憶の建築を詰め込もうとする欲望の表現であるかのようだ。『カンポ・マルツィオ』はローマという都市の記憶を表象するものであると同時に、ピラネージ自身の記憶という空間の表象となる。それが無意識にほかならない、マンフレッド・タフーリが次のようにいう主体の〈炸裂〉の場なのである。

〈考古学者〉ピラネージの洞窟や地下、基礎構造物などへの関心とは、ただ偶発的なものなのであろうか? むしろ、古代建築における〈隠されたもの〉へのこのような関心とは、モニュメントの〈根〉の炸裂が主体の深部における炸裂と出会う場所の探求の隠喩なのだと読むべきではないか?★八。


『カンポ・マルツィオ』が示すのは都市の記憶を完璧に再現=表象することの不可能性であるとともに、記憶を空間的なモデルとして表象することの困難さである。記憶のメカニズムを表象するというこの困難な課題は、フロイトが初期の『心理学草稿』以来、一貫して取り組んでいたものでもあった。この論文から『快楽原則の彼岸』を経て、一九二五年の『マジック・メモについての覚え書き』にいたる道程で解かれなければならなかったアポリアとは、痕跡を無限にあらたに受容しうる能力とその痕跡をすべて継続的に保存する能力の両立だった。それはすなわち、痕跡が刻印され保存されつつ、同時にそれを受容する面が無垢な露出面にとどまることである。『草稿』における、蒙った刺激の痕跡をとどめない透過性のφニューロンと、刺激の刻印を保存するψニューロンからなるシステムの背後にジャック・デリダは、「心理現象を間隔化により、痕跡の地形学により、通道の地図によって把捉しようという執拗なまでの企て」★九を認めている。『草稿』段階の神経学的方法と解剖学的局所説が捨てられ、心理学的研究に移行してもなお、この地形学の企ては捨て去られなかった。ただしそこでは、デリダが指摘するように、神経学的痕跡がエクリチュールに変化し、エクリチュールの隠喩が『夢解釈』以後のフロイトのテクストを支配していくことになる。
〈痕跡の地形学〉がそれにふさわしい表象を見出すのは『マジック・メモについての覚え書き』においてである。その冒頭でフロイトはまず、通常の書記痕跡の機能について述べ、この痕跡を受容する面としての石板や紙を、「その他の場合には不可視な状態で自分自身のうちにある記憶装置の物質化された一部」★一〇と呼んでいる。こうした通常の書字面は、確かに記憶の補助装置ではあっても、先のアポリアを解消するモデルではない。ノートにインクで書き付けていけば、すぐに書字面はいっぱいになってしまう。一方、石板を使えば、刻印を拭き消すことによってつねにあらたに無垢な面ができるが、これでは痕跡が保存できない。
『快楽原則の彼岸』で定式化された「意識は持続的記憶痕跡の代わりに生じる」というメカニズムを、単一の組織によってモデル化している装置をフロイトは発見する。それがマジック・メモにほかならない。この道具は蝋ないし樹脂性の濃褐色の小さな板で、紙でできた枠が付いており、その枠の上辺にとりつけられた透明の薄い膜が板の上に重ねられている。膜の下辺は貼り付けられておらず、自由にめくることが可能である。この薄い膜は二層からなり、適宜引き剥がすことができる。上の層は透明なセルロイド膜、下の層は薄い蝋紙である。鋭利な先端をもったもので表面を引っかくと、その部分が陥没し、蝋紙の表面が蝋板の表面に押しつけられ、密着して、それが黒い痕跡となって可視化される。その痕跡を消したければ、薄い膜の下辺をもって蝋板から引き剥がせばよい。セルロイド膜は、脆弱な蝋紙を刺激から保護する役割を果たしており、これは心的知覚装置における、刺激に対する防護層として機能する層に対応する。フロイトはさらに、書かれたものの持続的痕跡が蝋板の上にうっすらと残ることをとらえて、この板を無意識の表象と見なす。そして、書字の可視化とその消去のさまは、知覚における意識の閃きと消失に対応するものとされることになる。
心的装置を全体として表象するマジック・メモは、三〇年前にフロイトがフリース宛の手紙に書いた次のような〈機械〉の発見にほかならなかった。

すべてが噛み合うかのようだった。歯車仕掛けはぴったりと合っていた。それはいまやまさしく一つの機械であり、いまにもひとりでに動き出すような印象があった★一一。


なるほど、フロイトが認めるように、このアナロジーは限界をもたないわけにはいかず、マジック・メモそのものはいったん消去された書字を内部から再生することができない。また、この機械を心的装置のように動かすためには二本の手が、つまり、他者的な力の介入が必要である。フロイトはこの論文の末尾でこう述べている。

一方の手がマジック・メモの表面に何かを書き付けており、その間にもう一方の手は、周期的に、蝋板から覆いの膜を引き剥がしていると考えてみれば、私が表象したいと思っていた心的知覚装置の作動様態の図解になろう★一二。


この機械はひとりでに動き出すことはない。機械には固有のエネルギーがない。この点に触れてデリダは、「機械は死んでいる。機械とは死なのです」★一三という。機械の起源は死との関わりのなかにある。マジック・メモという心的装置の機械的表象に自発性はない。
しかし、ではこのアナロジーは単に教育的効果のための隠喩にすぎないのだろうか。デリダはこの論文におけるフロイト自身の、心内的な書字と亜記憶的な書字とを対置させ、前者を優位に置く身ぶりはきわめてプラトン的なものであると述べている。プラトンは『パイドロス』において、心的痕跡のみが自己を複製し、表象する能力をもつとしていた。とすれば、心的装置のみがそれ単独で、記憶としての自己を再生する能力をもち、マジック・メモやエクリチュールの道具はみな、その生に寄生し、それを補足するだけの補助的機械にすぎないのだろうか。いや、そうではなく、むしろ記憶の自発性そのものが必ず〈物質化〉された補助を必要としていることにデリダは注目する。

機械が自発性の純粋不在だというのではなく、心的装置と機械の類似、そうした機械の実在と必要などは、記憶の自発性の有限性がこのようにして補足されることを証言しているのです。機械、従って表象とは、すなわち、心的事象内での死であり、有限性なのであります★一四。


この〈補足〉の論理とは、精神分析にとって決定的な、〈事後性(Nachträglichkeit)〉の論理にほかならず、デリダはそこに、現前一般が純粋な起源ではありえずに、補足としての事後的な(遅延した)追記によってはじめて(再)構成されるものであるという思想を認める。生きた純粋な心的装置に対して、この機械が外在的な表象であるのではない。マジック・メモという補足的補助機械の非自然的な、すなわち歴史的な産出こそが、記憶を事後的に基礎づけている。だからこそ、機械は心的事象に存在する。周期的に自己消去することによって、痕跡を記載し続ける機械が、心的事象における死として作動している。純粋な自発性(自己触発性)などというものはなく、心的装置にせよ、マジック・メモにせよ、それらは他者的な力によって書き付けられることによってはじめて書く。デリダはそこをとらえて、「エクリチュールの主体とは、例えばマジック・メモ、心的事象、社会、世界などといった諸層間での、関係の体系のことなのです」★一五と述べる。記憶のエクリチュールは、心内的なものと外部的なものとが多層的に交錯するこの体系によって生み出される。
痕跡が書き付けられ、集められる記憶の場をアルシーヴと呼ぶならば、何らかの外部性を伴わないアルシーヴは存在しない。その意味においてアルシーヴとは、プラトン的な生きている自発的な記憶である〈ムネメ(mneme)〉あるいは〈アナムネーシス(anamnesis)〉ではなく、マジック・メモのようなテクノロジカルな補助装置と結びついた〈ヒュポムネマ(hypomnema)〉である、とデリダはいう★一六。忘却可能性という記憶の有限性は確かに、アルシーヴへと向かう欲望を生むが、しかし、この単純な限界とは別にデリダは、アルシーヴという記憶機械のただなかで作用し、それを侵犯し破壊する〈死の欲動〉の存在を指摘し、それを〈アルシーヴの病(mal d'archive)〉と名づける。死の欲動の脅威を知らないアルシーヴはありえない。
攻撃欲動とも破壊欲動とも呼ばれる死の欲動は沈黙のうちに働き、自らの痕跡を残さない。それはいわば前もってそれ自身のアルシーヴを破壊してしまう。死の欲動がアルシーヴを破壊するのは、それ自身が自らに〈固有の〉痕跡──しかし、死の欲動が〈固有性〉そのものの破壊にほかならない以上、それを〈固有の〉と呼ぶことは正確にはできないのだが──を消去する限りで、しかもなおかつ、それを目的としてなのだ、とデリダはいう。そして、アルシーヴがヒュポムネマ的な記憶であることに由来する〈決定的なパラドクス〉を彼は指摘する。

もし記憶の、反復の、再生の、あるいは再刻印の可能性を保証する外部の場所への委託のなされないアルシーヴというものがないとすれば、われわれはまた、反復それ自体、反復の論理、すなわちまさに反復強迫が、フロイトによれば、死の欲動から、そして破壊から分離しえないものであり続けることを思い起こさなければならない★一七。


アルシーヴ化を条件づけるものは、アルシーヴを脅かし破壊するものとアプリオリに結びついている。「アルシーヴはつねに、そしてアプリオリに、それ自体に逆らって作用する」★一八。反アルシーヴ的な死の欲動による記憶の破壊そのものが、アルシーヴ化のプロセスの一部をなしているのである。
デリダはフロイトのテクストに、このようなヒュポムネマとしてのアルシーヴの分析と並んで、精神分析という〈考古学〉によって、生きている記憶としてのムネメ、あるいはアナムネーシスを〈発掘〉し、アルシーヴなしの起源アルケーを自ら(つまり補助手段なしに)語らせるという対照的なモチーフが存在していたことを指摘している。しかし、比喩ではなく文字どおりに古代ローマを発掘し、この都市のムネメを再生しようと試みた建築家には、石がひとりでに語りだす瞬間など決して到来しなかった。ピラネージにとっての古代ローマとは、矛盾したままに交錯するアルシーヴが折り重なった廃墟である。そこに姿を現わすのは、単一の充溢した起源の光景などではなく、複数のエクリチュールの錯綜である。ピラネージの『カンポ・マルツィオ』とはむしろ、テクノロジカルな記憶機械としての都市の表象である。タフーリはそこに文字どおり歯車仕掛けの機械の形象をいくつも見出している。そして、それはまた、銅版を酸で腐蝕させ、尖筆でその表面に溝を刻み込むエッチングという技法によるエクリチュールの上演にほかならなかった★一九。その舞台の上には異なるテクストが画中画として開かれ、トロンプ・ルイユ的にその紙の端はめくられて、画像に匹敵する夥しい数の文字があふれかえっている[図4]。いくつものフレーム同士がそこでは重なり合い、基底面は曖昧にされてしまう。ピラネージが永遠の都の記憶をたどり、それを表象するエッチングを通じて暴き出してしまったものは、複数的なエクリチュールが表象する、都市の深層で作動している記憶という機械の存在にほかならない。
古代の記憶術以来、都市は記憶劇場として、つまり、いわば心的装置の補助機械として機能してきた。そこは個人的な記憶ばかりではなく、自然にあるいは人為的に形成された集合的(集団的)記憶の場と見なされ、反転して、この集合的記憶の危機こそ、都市という共同体の危機であると考えられることになる。ボクダノヴィッチのいう〈不滅の都市〉とは、こうした集合的記憶としての都市にほかならない。しかし、彼も指摘するようにそれは集合的というよりも複数的な記憶である。そこにはつねに他者の痕跡が存在する。ボクダノヴィッチはそれを歴史的に内化された他者の記憶として語るが、この他者性はそのように同化できる他者の他者性ではなく、むしろあの機械的な記憶装置そのものの他者性ではないだろうか。つまり、都市破壊者たちの憎悪が向けられるのは、〈他者の記憶〉ではなく、記憶装置としての都市という他者それ自体なのではないだろうか。都市が〈超=言語的エクリチュールのシステム〉であるとして、そこにわれわれが何かを書き付けるとき、われわれはつねにすでに都市から何かを書き付けられている。集合的記憶の危機を問題化し、調和的全体としてのこの記憶の回復を主張する議論が見ようとしないのは、都市という記憶機械のただなかに死の欲動という〈他者〉が存在する以上、集合的記憶の危機は恒常的であり、それが完全無欠な全体性にいたることなど決してないという点にほかならない。言い換えれば、集合的記憶が先行してあるのではなく、都市という機械の他者性を隠蔽するものとして、集合的記憶というイデオロギーが必要とされる。ポリス、あるいはキヴィタスとはいずれも、古代共同体におけるそうしたイデオロギーの形態であろう。
ボクダノヴィッチが指摘している古代人の都市恐怖に関連して、ヤン・ピーパーによれば、古代ギリシアの迷宮神話は実在した迷宮に関する物語ではなく、クレタ島の都市文明に遭遇したギリシア人の異文化体験の形象化であったという。クレタが都市的で高度な文化をもった古代世界の〈商品のパラダイス〉であったのに対して、英雄テセウスの故郷アッティカは牧畜を営む封建的貴族社会だった。ピーパーは「この古代ギリシア民族にはクレタの都市的洗練は恐ろしいものに思われたにちがいない」★二〇と推測している。クレタ島の王宮は羊毛の独占を行ない、それがこの都市文明の基礎をなしていた。アリアドネがテセウスに渡す毛糸はこうした経済的側面を象徴している。そして、迷宮の中心に位置するミノタウロスは、人間や物資をむさぼり喰うとともに吐き出しながら脈動する、クノッソスの王宮という政治・経済的センターを表わしている[図5]。ギリシア本土の牧畜民にとって、それは怪物の姿で表象されるような無気味な、嫌悪と恐怖の対象だった。迷宮神話が謎めいた建築物として形象化したのは、アッティカ人たちが非ポリス的な古代都市のなかに感じとった、何か非人間的で機械的なリズムにほかならなかったのである。
この古代的な都市憎悪の残響は、例えば『ツァラトゥストラはこう語った』などにおけるニーチェの都市批判のなかに聞き取ることができる。そこには都市という機械の他者性に脅威を感じながらも魅せられているニーチェがいる。クレタの都市がアッティカにおいて迷宮神話に形象化されたように、一九世紀の大都市はニーチェの幻視のなかで、永遠回帰の思想となって彼を襲う。永遠回帰とはまさに、周期的に循環する迷宮的な機械の表象ではないだろうか。ベンヤミンは「永遠回帰の思想は歴史的事件をも大量生産品にする」★二一という。

永遠回帰の思想には、ブルジョアジーが自ら開始した生産秩序の差し迫った発展をもはや直視できなかったという事実が作用している。ツァラトゥストラの永遠回帰の思想と、ソファー・クッションの標語〈一五分だけ〉は補完し合う★二二。


永遠回帰の思想は一九世紀の経済状況の展開を直視できず、つまりそれに対して目を閉ざしたブルジョアジーの、その閉ざされた瞼の裏面に出現する大量生産機械の〈幻   影ファンタスマゴリー〉である。そして、ニーチェの心的事象内部で大都市という記憶機械が作動するとき、古代都市の魅惑と脅威から生まれたアリアドネの迷宮をはじめとする神話的形象が大量に再生産される。
マジック・メモによって表象される重層的な心的装置において、そこに書き込まれた書字はこの層の間で何度も書き換えを被っている。意識に到達するのはこの翻訳の結果だけであり、無意識の記憶痕跡にはその過程で脱落した何かが含まれている。抑圧とはこの脱落にほかならない。意識化される記憶は想起しえない欠落としてのこの何かを抱え、その周りに展開される。欠落したこの対象は、もとよりそれ自体の表象をもたず、表象を代理するシニフィアンの連鎖によってはじめてその存在を告げる。記憶にはつねにすでに何かが欠落しているからこそ、そこに立ち現われる表象は過剰なのだ。古代ローマを想起しようとするピラネージが落ち込んだ表象の無限増殖は、古代の〈幻影〉を追い、「歴史上のあらゆる名前は自分である」と書いたニーチェのパラノイアと無縁ではない。そしてそれはまた、ベンヤミンがいう、都市を長時間あてどなくさまよった者が襲われる一種の陶酔感、空間的にも時間的にもはるか遠くのものが、今現在の風景と瞬間に侵入してくる麻薬めいた陶酔に通じている。『パサージュ論』では、歴史上のさまざまな人物に転身する遊歩者の〈感情移入の陶酔〉が、フロベールを引用して語られていた★二三。パサージュという大都市の襞、あるいは都市の記憶の線条痕をたどる過程で遊歩者は、この記憶機械を読むと同時にそれに書き込まれ、永遠回帰の周期的反復という機械的運動に巻き込まれていくのである。

1──ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ『ローマの古代遺跡』 中扉(第2巻II)、1756、エッチング

1──ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ『ローマの古代遺跡』
中扉(第2巻II)、1756、エッチング

2──同『古代ローマのカンポ・マルツィオ』(1762)、銅版画

2──同『古代ローマのカンポ・マルツィオ』(1762)、銅版画

3──同上より「イコノグラフィ ア」(地図6枚組)

3──同上より「イコノグラフィ
ア」(地図6枚組)

4──『古代ローマのカンポ・マルツィオ』より

4──『古代ローマのカンポ・マルツィオ』より

5──クノッソス「ミノス王の宮殿」

5──クノッソス「ミノス王の宮殿」

2 計算する都市の無意識──未来のアルシーヴ

マジック・メモよりもはるかに記憶に近づき、絶えずより近づきつつある機械の可能性について、フロイトは問うことがなかった。そうした可能性を実現し、事後的に記憶の記憶としてのあり方を基礎づけた機械とは、いうまでもなくコンピュータにほかならないが、その歴史的な出現と精神分析の関係について、フリードリヒ・キットラーは次のように述べている。

ヘーゲルとフロイトの間に(ラカンによれば)、最初のネガティヴなフィードバック・リングとして、ワットによる蒸気機関と遠心調速機の発明があり、フロイトの欲動エコノミーの数量的基礎であるマイヤーのエネルギー保存則があったように、フロイトとラカンの間にはコンピュータが、つまり、一九三六年のアラン・チューリングによる普遍的離散的機械が登場した。ハイ・テク環境下の精神分析は従って、心的装置を(たとえそれらがいまだ心的なものではあっても)もはや記憶メディアと伝送メディアだけから構築することはしない。それはむしろ記憶、伝送、計算の技術的三位一体全体を横断していく。想像的なもの、現実的なもの、象徴的なものというラカンの〈方法的区別〉が語っているのも、別のことではない★二四。


意識と記憶痕跡の排他性に基づくフロイトのモデルに、キットラーのいう伝送と記憶のメディアの二極を対応させるアナロジーが可能であるとして、コンピュータにおける記憶メモリの構成は、マジック・メモをはじめとする過去の記憶メディアよりもはるかに多層的である。RAM(ダイナミックRAM、スタティックRAM)、ROM(EPROM、EEPROM、フラッシュメモリ)、キャッシュメモリ(一次キャッシュ、二次キャッシュ)、そして、ハードディスク、MOディスクといった記憶メディア、あるいは物理メモリに対する仮想メモリなどと、コンピュータをめぐる記憶媒体は著しく差異化され続けている。われわれはコンピュータを通じてはじめて、記憶痕跡の書き込みと消去が、クロックによって同期させられ周期的に脈動するCPUを中心としたこれら無数の異なる記憶機械の連動によって行なわれる過程を発見し、それによって記憶そのものをあらたに捉え直そうとしている。なるほど、こうしたコンピュータはプロセッサー・ベース・アーキテクチュアのフォン・ノイマン型コンピュータに過ぎず、脳はそれとは異なるメモリ・ベース・アーキテクチュアの非フォン・ノイマン型コンピュータであるなどという違いが指摘されるにしても、脳神経系がこのコンピュータという記憶機械の出現によって事後的に自らの基礎づけを得ている事実に変わりはない。脳の特異性はフォン・ノイマン型コンピュータとの差異において規定される。テクノロジカルな機械に接合したヒュポムネマ(コンピュータ)にムネメやアナムネーシス(脳)が対置され、後者の自発的な創造力が強調される。しかし、もとよりこのような観点こそ、コンピュータという補助装置の歴史的な産出がなければありえなかったものである。
キットラーはアルゴリズムによる命令の二進法計算をコンピュータ・モデルの特徴とする。しかし、パーソナル・コンピュータを使うわれわれの多くはもはや、プログラム言語を学ぶ必要などないし、コンピュータのこの計算の過程をほとんど意識することはない。むしろ、ユーザー・インターフェイスは、〈デスクトップ〉や〈ごみ箱〉といった過去の書字システムの環境を隠喩とするGUIによって構成され、コンピュータをいっそうブラック・ボックス化していく。OSやアプリケーションが許容する以上の、機械語のレベルへの接近は制限される。ヴァーチュアル・アーキテクチュアなどと呼ばれるコンピュータ・ディスプレイ上での建築空間を構想する試みも、結局のところ、このユーザー・インターフェイスの発展傾向の延長であるに過ぎない。だが、このインターフェイスのヴァーチュアルな深さを突き抜けたところでわれわれが出会うのはあくまで、無感覚に脈動する二進法の機械だけなのである。
コンピュータによるヴァーチュアルな世界がきわめて巧妙に現実をシミュレートしたとしよう。それは既存の現実の模倣である必要はなく、存在しない、存在しえない光景に現実性を与えることでなければならない。しかし、そのようなシミュレーションはその究極的な実現によって、われわれに現実感を抱かせるどころか、むしろ、まさに事後的、遡行的に、現実そのものの現実性を喪失させてしまうのではないだろうか。『アクロポリスにおける想起障害』と題されたロマン・ロランへの手紙でフロイトは、少年時代から憧れたアクロポリスの丘に立ったとき、「それではすべてはまさしく現実に、私たちが学校で習ったその通りに実在しているのか!?」という非現実感に襲われたと語っている★二五。この現実喪失感とは、彼の記憶のなかの〈現実〉のアクロポリスが、ギリシアの地であまりにもその〈現実〉そっくりにシミュレートされているという事態がもたらしたものだった。つまり、フロイトの心的風景のなかでは奇妙なことに、ギリシアに現存するアクロポリスそのものが、記憶のなかのアクロポリスのヴァーチュアルなシミュレーションと化すという転倒が起こっていたのである。そしてこの体験は、「ギムナジウムにおいてアクロポリスについて学んだときに、自分はすでにその存在を信じてはいなかったのだ」という記憶の歪曲、想起障害として、遡行的に記憶における〈現実〉をも非現実化してしまう。
スラヴォイ・ジジェクは、ディスプレイ上のヴァーチュアル・リアリティにおいてシミュレートされた現実といわゆる〈現実〉のリアリティが、ともにそこから生成された産物でしかないような、〈現実的なもの〉のよりいっそう根源的なレベルを、〈純粋な計算(computation)〉に見出している。

インターフェイスを通して見る出来事(現実のシミュレートされた効果)の背後にあるのは、主体を欠いた(〈無頭の(acephalos)〉)純粋な計算であり、1と0、+と−の連鎖である。(…中略…)主体を欠いたデジタルな計算は差異的な象徴秩序ではなく(意味の象徴的領域はスクリーン上で操作された擬似現実の一部である)、インターフェイスのスクリーン外にある現実でもない(スクリーンの背後の物質的な現実には、チップや電流の流れなどしかない)★二六。


純粋な二進法計算は、コンピュータ・チップの間を流れる電流という物質的現象には還元できない、ヴァーチュアルな秩序であり、これが物質的なものにせよ、想像的なものにせよ、そのいずれの〈現実〉をも構成している。
コンピュータが〈享楽の肉化〉であるのは、それが神秘的で混沌とした実体であるからではなく、1と0、+と−を反復する単純で純粋な計算機械であるからにほかならない。もとよりそれは、fort-daの反復強迫のリズム、消滅と再現を繰り返す死の欲動のリズムである。コンピュータが追記的に基礎づけているのは、心的装置内で作動している二進法の機械の存在である。アクロポリスという近代西欧の〈記憶〉における特権的な場所をめぐるフロイトの想起障害で露呈したのは、記憶と想起に関わる心的装置のこの機械的な運動ではなかっただろうか。フロイトと似た過程をたどって、あらゆる建築の起源としてのパルテノンと遭遇するル・コルビュジエは、この神殿を〈恐るべき機械〉と呼んではいなかったか。そして、近代都市という記憶機械が刻むリズムもまた、これと異なるものではない。ベンヤミンは、都市をさまよう遊歩者の陶酔は、ハシッシュがもたらす、あらゆるものが類似した〈顔〉に変貌する幻覚に似ている、という。一つの単語、一つの文章がそこでは顔をもつ。そして、その顔が正反対の文章の顔にさえ似て見えてくる。「真理は何か生けるものになるが、このように真理が生きるのは、命題と反命題が相互に入れ替わることによって、相互に思考の対象としあうようなリズムのなかでのみである」★二七。遊歩者はパサージュというモナドに内包された両義的な〈真理〉のこのリズム、都市において作動している二進法の機械の反復強迫のリズムに酔うのである。そこで遊歩者を巻き込むのは、+と−が交互に入れ替わる、都市という記憶機械のこのデジタルな計算にほかならない。
古代のクレタから近代のパリ、そしてサイバーシティにいたるまで、都市的なるものの背後で働いているのはデジタルに計算を続けるこの機械であり、逆に言えば、その存在がサイバースペースをほかならぬ都市的な空間として発見させている。都市が心的装置の隠喩でありうるとしたら、それは都市がマジック・メモのように、周期的に自己を消去することを通じてはじめて、記憶痕跡の記載される空間を生み出すからであり、そこにこの機械的な二進法のリズムが刻まれるからであろう。反復されるこの消去において、都市の記憶とは都市の死の記憶である。そして、都市がエクリチュールの機械であり、まさにそれゆえに記憶機械であるならば、マジック・メモやアルシーヴをめぐって語られたことがここで繰り返して述べられうるだろう。すなわち、記憶術が依拠するような心的装置と都市の〈類似〉は、歴史的すなわち時間的存在としての人間の記憶の自発性における根源的な有限性が都市によって補足されていることを示すものであり、この都市機械とは心的事象内における死、その有限性であって、アルシーヴとしての都市は、記憶を破壊する死の欲動とアプリオリに切り離しがたく結びついているのであると。
記憶そのものを可能とする死、その死の記憶、記憶の死としての忘却、そして、つねにすでに忘却された、根源的に欠落した記憶をめぐる想起の運動とその空虚の周りに展開される無数の表象代理の連鎖──死の欲動を内包した記憶機械としての都市は、心的装置同様に、忘却され、欠落してしまった無数の何かを保存し続けるアルシーヴである。そこにはいわば、記憶の不在そのものが書き残される。かつて存在した歴史的事実ばかりがこのアルシーヴに書き込まれるのではない。やがて「あったことになるであろう」出来事、未来完了形で語るしかない出来事もまたそこに蓄積されている。その意味でアルシーヴとは、いつか「いたことになるであろう」幽霊のような他者たちの記憶の場である。事後性とはこの未来のアルシーヴ化を支える時間構造にほかならない。
例えばサラエヴォあるいはベルリン──儀式的に殺害され、苛酷な分断を経験したこれらの都市を、そこに生まれたわけでもなく、暮らしたわけでもない者が突然に、〈私〉の都市、〈私〉の記憶として見出すことが可能になるのは、まさに都市がつねに、〈私〉の記憶の他者であるからだ[図6]。逆に、ある土地に生まれ育ったという自明で自然なつながりだけによって、ある都市が〈私〉のものとなることはない。いかなる形においても、いかなる都市の固有の集合的記憶とも、私が自然な、自発的な記憶の絆で結ばれることはついにありえないからこそ、ある都市を──しかしそれは任意の都市ではない──私は私の記憶として運命的に想起する。都市の/都市という記憶への接近は、宥和的で創造的な営みであるよりもはるかに、危険で致死的な陶酔をもたらしかねない他者との遭遇なのである。ピラネージやニーチェ、ベンヤミンが記録したのはそんな遭遇にほかならなかった。そして恐らく、ローマにとっての『カンポ・マルツィオ』のように、「いたことになるであろう」他者の記憶、「あったことになるであろう」出来事の記憶が、この運命的な遭遇を通じて想起される時を、どんな都市もまた待っているのだ。都市の/都市という記憶とはそれゆえつねに、〈死後の生〉という未来として──幽霊として──訪れるほかないのである★二八。

6──ベルリン、ポツダム広場1946年(Der Potsdamer Platzより)

6──ベルリン、ポツダム広場1946年(Der Potsdamer Platzより)

★一──Bogdan Bogdanovic: Die Stadt und der Tod. Klagenfurt 1993, S.22. 日本語訳として英訳に基づく次の訳がある。ボグダン・ボクダノヴィッチ「都市と死」、『10+1』No.8(篠儀直子訳、INAX出版、一九九七)。
★二──Ibid., S.43.
★三──Bogdan Bogdanovic: Architektur der Erinnerung. Klagenfurt 1994, S.138.
★四──Bogdanovic, Die Stadt und der Tod, S.66.
★五──このアウグスティヌスの言葉、およびキヴィタス─キヴィス、ポリス─ポリテス、コーラといった概念については、拙論「未来の化石 ──J・G・バラードと都市のアクシデント」、『10+1』No.5(INAX出版、一九九六)、一七─一八頁参照。
★六──Sigmund Freud: Das Unbehagen in der Kultur. In: ders.: Studienausgabe. Bd.IX. Fragen der Gesellschaft. Ursprünge der Religion. Frankfurt am Main 1994, S.202.
★七──Ibid., S.203.
★八──マンフレッド・タフーリ「悪しき建築家──G・B・ピラネージ ヘテロトピアと旅」、『球と迷宮──ピラネージからアヴァンギャルドへ』(八束はじめ他訳、PARCO出版、一九九二)、五一頁。
★九──ジャック・デリダ「フロイトとエクリチュールの舞台」、『エクリチュールと差異(下)アルトー、フロイト、バタイユ、レヴィ=ストロース』(梶谷温子他訳、法政大学出版局、一九八三)、七一頁。
★一〇──Sigmund Freud: Notiz über den "Wunderblock". In: ders.: Studienausgabe. Bd.III. Psychologie des Unbewussten. Frankfurt am Main 1994, S.365.
★一一──一八九五年一〇月二〇日付の手紙より。Sigmund Freud: Brief an Wilhelm Fliess 1887-1904. Ungeksszte Ausgabe. Hrsg. von Jeffrey Moussaieff Masson. Frankfurt am Main 1986, S.149.
★一二──Freud, .Notiz über den "Wunderblock", S.369.
★一三──デリダ、前掲書、一一〇頁。
★一四──同、一一二頁。
★一五──同、一一〇頁。
★一六──Jacques Derrida: Mal d'Archive. Une impression freudienne. Galilée, Paris 1995.
★一七──Ibid., p.26.
★一八──Ibid., p.27.
★一九──次を参照。高山宏『カステロフィリア──記憶・建築・ピラネージ』(ありな書房、一九九六)。
★二〇──Jan Pieper: Das Labyrinthische: Über die Idee des Verborgenen, Rätselhaften, Schwierigen in der Geschichte der Architektur. Braunschweig 1987, S.19.
★二一──Walter Benjamin: Zentralpark. In: ders.: Gesammelte Schriften, hrsg. von Rolf Tiedemann und Hermann Schweppenhäuser. Bd.I-2. Frankfurt a.M. 1974, S.663.
★二二──Ibid., S.677.
★二三──「ボードレールにも見られる、遊歩者における感情移入の陶酔についてのフロベールの次の一節。『私は、歴史上のさまざまな時代にいる自分の姿がとてもはっきりと見える。……私は、ナイル川では船頭だったし、ポエニ戦争時代のローマでは奴隷商人だったし、次には、スブラでギリシア人の修辞学教師だったが、そこで南京虫に食われた。十字軍遠征中に、シリアの海岸で葡萄を食べ過ぎて私は死んだ。私は、海賊や修道士、軽業師や御者、おそらく東洋の皇帝だったし、それに……』」ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論III』(三島憲一ほか訳、岩波書店、一九九四)、一三七─一三八頁[断片番号M17a,5]。
★二四──Friedrich Kittler: Die Welt des Symbolischen - eine Welt der Maschine. In: ders.: Draculas Vermächtnis. Technische Schriften. Leipzig 1993, S.65.
★二五──Sigmund Freud: Brief an Romain Rolland: Eine Erinnerungsstörung auf der Akropolis. In: ders.: Studienausgabe Bd IV. Psychologische Schriften. Frankfurt a.M. 1994, S.286.
★二六──Slavoj Žižek / F.W.J. von Schelling: The Abyss of Freedom / Ages of the World. The University of Michigan Press, Ann Arbor 1997, p.63.
★二七──ベンヤミン『パサージュ論III』、七三頁[断片番号M1a,1]。
★二八──〈未来の幽霊〉あるいは〈幽霊としての未来〉とは何かという問いを掲げながら、『アルシーヴの病』においてデリダは、アルシーヴの構造そのものが幽霊的なものだ、と述べている。「それはアプリオリに幽霊的である。すなわち〈生身の〉現前でも不在でもなく、可視的でも不可視的でもなく、兜の面頬の働きによるハムレットの父のまなざしのように、出会うことのありえないまなざしの持ち主である他者へとつねに差し向けられた痕跡である」(Derrida,  Mal d'Archive, p.132)。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市表象分析I』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.11

特集=新しい地理学

>マンフレッド・タフーリ

1935年 - 1994年
建築批評家、歴史家。

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>アルゴリズム

コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>篠儀直子(シノギ・ナオコ)

翻訳者。表象文化論、アメリカ史。

>八束はじめ(ヤツカ・ハジメ)

1948年 -
建築家。芝浦工業大学建築工学科教授、UPM主宰。

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。