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2:隈研吾《ONE表参道》──建築家のバランス感覚 | 山本想太郎
Kengo Kuma,"ONE-OMOTESANDO": Harmony as Architect | Yamamoto Sotaro
掲載『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) pp.136-139

オーギュスト・ペレはその著書『建築理論への寄与』のなかで、建物を美へと結びつける道標として「特質、スタイル、調和」を挙げている。それは構築的なるものの美に関する記述であるが、鉄筋コンクリートという新素材と建築の伝統の意匠様式が融合する地平を切り開いていったペレならではのバランス感覚がそこにはあると思う。同時代の多くのコンテクストを建築という表現形式に融合させる建築家は、意識的であるかどうかは別として、必ずそれらコンテクストに対する応答の表出のバランス調整をしている。
しかしその調整の意匠的な手法を建物ごとに完全に新規に創造することは困難なので、通常はその調整装置をあらかじめ持ち、そのフォーマットの上で思考を行なうことになる。同時代の社会、生産技術、建築思想などが形成している「建築」というエピステーメ(思考基盤)がそれにあたるのだが、それではまだ茫漠としているので、素材や形態のある形式を常用ツールとして設定する建築家もいる。それは個々の建築に与えられる条件に柔軟に対応し、ひとつの表現として調和させる力を持ったツールでなければならない。例えば、安藤忠雄の打放しコンクリートがそうであるとも言えるし、近年の隈研吾の建築におけるルーバーもそれにあたろう。ルーバーは、ガラスと並んで現在の建築意匠における人気者のひとつであり、実に便利な「面材」である。それは実質的な境界の有無、形や素材の乱雑さ、ありふれたスケールなどをいとも簡単に覆い隠し、調和させる。反面、その便利さゆえに、安易な用い方をされている場合が多いものでもある。寸法、素材の自由度のなかで、その状況に相応しい魅力を生み出すためには、高度なバランス感覚が必要なのである。
隈研吾は、その作風の変遷も含め、実にバランス感覚に優れた建築家だと思う。彼の設計による、LVMHファッション・グループの本社とブティックが入る《ONE表参道》に関する文章のなかで「一般の人は建築家がエレベーションを意識するようには建物を捉えていない」と記述しているのを読んだとき、『SimCity』や『The Sims』などの作者として知られるコンピュータ・ゲーム・デザイナー、ウィル・ライトが最近の講演で「ゲーム開発者とプレイヤーが話す言葉は、必ずしも同じではない」と語っていたのを思い出した。ライトは「デザイナーというものは、開発者とプレイヤーの共通言語を探しておくべきなのだ」と続ける。これは彼もまた「ゲーム・バランス」という言葉がよく示すような優れたバランス感覚の持ち主であることを示している。ここで注意すべきは、彼らのバランス感覚が、自己の表現領域を限定するような諦めや、単なる職業的な方便ではけっしてないことである。それは自己の職能の果たすべき役割を的確に実現するための技術力なのである。そして隈は、彼のバランス感覚を生かす手法としてルーバーを、さらにはしばしば木製のルーバーを選択しており、この《ONE表参道》では深さ四五センチ、間隔六〇センチという大きな木製縦ルーバーがその外観意匠を決定づけている。

1──《ONE表参道》全体外観 筆者撮影

1──《ONE表参道》全体外観
筆者撮影

2──見上げるとスカイラインが曲がって見えるルーバーの効果も、建物に独特の柔らかさを与えている 筆者撮影

2──見上げるとスカイラインが曲がって見えるルーバーの効果も、建物に独特の柔らかさを与えている
筆者撮影

そもそも、なぜ建築家は今、ルーバーを用いるのだろうか。やや乱暴ながら簡単にまとめてみる。先述のようにルーバーは建築を覆う。そのときその背後に隠されるものは「建築らしさ」なのだと思う。近代における建築の転換期、それまで追求され蓄積されてきた建築が大きく変化していくなかで、ペレは調和を模索した。そしてそれに続く時代のさまざまな思想的展開において「建築らしくないもの」をあえて求める流れが生まれた。コンテクストを再構成するポストモダンや解体的なデコンストラクション。そして現在、表層への追求が標榜するのはその延長上にある「何らしくもないもの」、機能表現でも、何かのメタファーでも、幾何学でもない、ミニマルな抽象性である。近年表参道に建ち並んだ《プラダ》、《ルイ・ヴィトン》、《ディオール》などの建物の立面は、まさにそのミニマリズムの流れのなかにあり、そしてこれらの建物の「建築らしくない」具合は突出している。そんな様相を求めて、建築家はルーバーを使う。

3──《ディオール表参道》は、素材感が消去されてよりミニマルな表情 筆者撮影

3──《ディオール表参道》は、素材感が消去されてよりミニマルな表情
筆者撮影

では次にわれわれは何をもってして「建築らしい」と感じるのか。それは実にさまざまな共通感覚としての建築のイメージを構成する要素の複合である。例えば用途による経済性が決定する階高と、既成品のサッシやパネルを用いることによるスケール感(これもルーバーが消し去ることを得意とするものである)。 そして都市建築の立面の共通化に最も大きな影響を及ぼす要素は、制度によって生み出されるものである。形態制限によって建物の高さや形が規制され、防火のため外装材が規制され、防災上の要素が強制的に付与され、場合によっては景観条例のような規制まであり、それらが共通のコードを建築に纏わせていくことによって建築は実に「建築らしい」スケールと表情になっていく。当然、これらの規制は多くの場合、「建築らしくない」建築を作ろうとする建築家にとっては敵となる。もちろん建築家(少なくとも私)は不快な都市や、生命を危険に晒す建築を作りたいわけではない。だから制度があること自体を否定する気はまったくない。しかし絶対的な美や幸福が想定されえない以上、都市や建築は制度=アーバニズムを批評する意志を喪失してはいけない。例えば高さや形状を律する形態制限について。斜線制限、日影規制、斜線投影、天空率など、いろいろな制度が考案され、しかも複数が同時に適用されてきたりもするのだが、基本となる「なるべく空が見えれば気持ちよい」という考え方はまったく変化していない。居住地域ならまだしも、都市中心部でこれは本当に望ましい姿なのか。総合設計制度が生んだ西新宿高層ビル街の殺伐とした公開空地は、このような制度が必ずしも快適な都市空間を生み出すものではないことを示唆している。それらに比して火災関連の法制度にはまだ説得力がある。最終的に人の生命を守ることが都市と建築の重要な存在意義であることは間違いないのだから。しかしそれとても、あらゆる状況に一律に制度を適用し続けることが、むしろその基本精神をも形骸化させていないとも限らない。いずれにしてもこれらのアーバニズムは常に検証され続けなければならないのである。ところが制度に従順に従って建てられた建築や都市空間には、アーバニズムを検証する能力はない。そのことに対する建築家の本能的な危機感が込められたとき、「建築らしくない」建築は、建築家の職能の優れた発現となるのである。
《ONE表参道》は非常に複雑な形状の敷地に建っており、プランニングのプロセスだけでもかなりいろいろとあったことが想像されるが、最終的に大通り沿いに現前しているのは、一瞥しただけではまるで何事もなかったかのようなシンプルな発想と形状である。しかしこのファサードをよく見てみると、建築家なら、その洗練された表情のなかにいくつかの不可解な点を見出すだろう。そもそも防火地域内の建物の外装材に木材、つまり不燃材料ではない仕上げ材を使用している。都市不燃化の概念が駆逐した木製の外装が、ここにある。ちなみに隈は《馬頭町広重美術館》で杉ルーバーの不燃化を行なっているが、ここで用いられているのは通常のカラマツ集成材である。またルーバーの間で縦方向に連続するガラス面には層間防火区画がないように見える。また非常用(代替)進入口がない。これらは通常の規制の認識からすると、極めて不思議な現象なのである。では、これらのクイズの解答。各建築雑誌でもすでに取り上げられたディテールなのだが、外壁不燃に関しては、二層ごとのルーバーのジョイント部分に噴水ノズルを設置することによって火災時の延焼を防止する仕組みとしている。またルーバーの背後に隠されたアルミ・カーテンウォールでは、層間部分の区画の下面に水平に網入りガラスを用い、極力目立たない層間区画を形成している。ルーバーの効果もあり、これはほとんど視認できない。そして非常用進入口。地上三階以上の建築でこれをなくする方法は唯ひとつ。非常用エレベーターの設置である。

4──《ONE表参道》サッシ部、断面詳細図 提供=隈建築都市設計事務所

4──《ONE表参道》サッシ部、断面詳細図
提供=隈建築都市設計事務所

5──同、アルミ・マリオン・ジョイント構成図 提供=隈建築都市設計事務所

5──同、アルミ・マリオン・ジョイント構成図
提供=隈建築都市設計事務所

これらは、もちろん法規制やディテールに対する知識と技術を持った設計の所産ではあるが、それ以上に、この場所と施設内容がもたらす特別な経済バランスの作用した結果である。建築基準法が性能規定化した現在においても、この噴水ノズルのような手法で性能を満たすための検証には、かなりのコストと手間がかかるだろう。またこの建物くらいの高さ(=三六メートル)の場合、通常、設計者は非常用エレベーターの設置を回避するような計画を考える。非常用エレベーター自体の設置コストと、その平面における支配面積の大きさは建築事業計画を左右しかねないほどのものなのである。しかしここでは当然のように(もちろん、実際のプロセスは大変だったのであろうが)それらが実現している。つまり、大きな空間にポツンとちょっとだけ商品を置いた高級ブティックも、天井まで届かんばかりの棚にぎっしりと商品を積み上げる量販店も、それぞれの状況において経済バランスは取れているのであり、前者の経済学が最も成立しやすい街のひとつが、この表参道なのである。《プラダ ブティック青山》は意匠のための免震構造を含め、法的、生産システム的に特殊性のかたまりのような建物だし、《ディオール表参道》は網入りガラスを用いずに外壁不燃と層間区画を形成するために、やはり噴水ノズルを用いている。
これらの建築を、表参道の経済学の特殊なバランスによって生じた特異点であると断じてしまうこともできる。あるいは、ここまで特殊なソリューションを試みる建築が建ち並ぶ表参道を、「現代建築特区」などといった風にしてしまい、道に放水銃を埋め込んで建築規制を思い切り緩和してしまえば、より斬新な表情の建築がどんどん登場して面白い、という考え方もあるかもしれない。しかし私は、都市においてこのように多くのエネルギーを費やし、制度の辺境にアクセスする建築こそ、閉塞的なアーバニズムに対する建築家のバランス感覚の表出だと考えたい。そしてその結果、建築は変化していく。この噴水ノズル方式(これは「ドレンチャー水幕型防火区画システム」などと呼ばれ、個別にいくつかの建築で認定を得ている)が将来的に一般認定となると、建築表現の可能性はいろいろと広がるだろう。重要なのは、今、このように実現された建築がそこに存在し、人々の眼と感覚に触れていることである。共通感覚としてのアーバニズムは、結局そこからしか変化していかないのである。
述べてきたような意匠実現のための技術は特別に高度な先端技術というわけではないが、それを行なう状況を見出し、それを効果的に提示してみせることによって、それは建築家の叡智たる「技法」となる。隈がここで四五センチの深さの木製ルーバーというやや通常から逸脱したルーバーを採用したことは、この計画の条件、建築家としての立場、そして都市などの状況に対する重層的なバランス感覚による回答であり、さらにそこには、ともすれば洗練されすぎるルーバーというデザイン・ツールを駆使する彼の自己に対するバランス感覚もあるように思われる。もちろん、より特異な表現によって影響を与える建築の作り方もあるし、隈自身もそのような表現を行なうこともある。しかしこの絶妙なバランス感覚による一般への浸透性によって、彼の建築が大きな影響力を持ちえていることは間違いないだろう。

参考資料
・『GA JAPAN』65(エーディーエー・エディタ・トーキョー、二〇〇三)。
・『ディテール』一五九号(彰国社、二〇〇四)。

>山本想太郎(ヤマモト・ソウタロウ)

1966年生
山本想太郎設計アトリエ主宰、東洋大学非常勤講師、明治大学兼任講師。建築家。

>『10+1』 No.35

特集=建築の技法──19の建築的冒険

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>隈研吾(クマ・ケンゴ)

1954年 -
建築家。東京大学教授。

>ONE表参道

東京都港区 商業施設 2003年

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