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閲覧室と無限──「知の装置」としての図書館をめぐって | 松浦寿輝
Series: The Space of Knowledge =The Knowledge of Space 1──Reading Rooms and Infinity: On The Library as "Knowledge Apparatus" | Matuura Hisaki
掲載『10+1』 No.05 (住居の現在形) pp.2-15

メソポタミアから近代まで

一九世紀中葉、「近代」という名で呼ばれる未曾有の記号の布置を準備しつつあった西欧の大都市に、或る「知の装置」が出現する。ロンドンの大英博物館の円形閲覧室、そして、パリ国立図書館の、これもやはりおおよそ円形をなす〈印刷物部門アンプリメ〉閲覧室という二つの屋内空間がとりあえずそのほぼ理想的な範型を提供しているこの「装置」に、しかし、どのような名称を与えたらよいのだろうか。
これが単に図書館という名の「装置」の話なら、ことは何も「近代」に始まったわけではないのだから、イギリスやフランスで一九世紀に作られた施設を取り上げて今さらのようにその出現などについて語るのは、いかにも大袈裟すぎる言いかたと響くだろう。実際、大英博物館にせよパリ国立図書館にせよ、知識や情報の断片群を分類し、保存し、流通させ、その消費と再生産を促し──等々といったメディア的機能に関するかぎり、伝統的な図書館の範疇を一歩も出るものではない。結局、プトレマイオス二世フィラデルフォスの創設によって紀元前三世紀以来繁栄をきわめたあの名高いアレクサンドリアの巨大コレクション以来、古代、中世、近世を通じて西欧文明が数多く設営してきたこの種の施設の、一九世紀ヴァージョンがロンドンとパリに作り出されたというだけのことにすぎないからである。
アレクサンドリアの図書館は、もちろん今ではもう遺跡すら残っていないが、学士院ムーセイオンの中におかれていた主要書庫の蔵書は、紀元前四七年のカエサルによる侵略の際、たまたま放たれた戦火による類焼に遇ったとき、七〇万巻を上回っていたというから、情報流通の効率性についてはさておき、「知」の収蔵密度という点に関するかぎり、驚くべき規模の施設が紀元前においてすでに実現されていたことは疑う余地がない。この七〇万冊という数字はさほど信憑性の高いものではないが、しかしそれにしても、一八三〇年代におけるパリ国立図書館──当時はまだ「国立ナシオナル」ではなく、「王立ロワイアル」ないし「帝国アンペリアル」図書館という名称が用いられていた──の蔵書は五〇万冊にすぎず、バチカン図書館は四〇万冊、大英博物館に至ってはたったの一八万冊でしかなかったのであり、こうした数字の傍らに置いてみるとき、これらよりも二〇〇〇年を隔てた過去に存在したアレクサンドリアの図書館がどれほど途方のないものだったかが改めて痛感される。人類の文明史における図書館とは、それ自体としてはいささかも「近代」的なものではない。むしろそれは、ほとんど文字の発明の時点にまで遡行する古めかしい施設なのである。
実際、今日の考古学は、図書館の歴史的起源をきりもなく遡らせつづけている。一九世紀半ばにメソポタミアのチグリス川の上流地区で発掘された、アッシリア王アッシュールバニパルのニネベ王宮址からは、楔形文字で文章を彫りつけた大量の粘土板が出土している。古代の文書館としてもっとも名高いこの遺跡は紀元前七世紀のものとされているのだが、これが一九六〇年代から七〇年代にかけて発掘された北部シリアの古代都市エブラの遺跡になると、時代はさらに一挙に遡行して、何と紀元前二五〇〇年頃のものと推定されている。ここでもまた宮殿跡とおぼしい場所から一万七〇〇〇枚にのぼる日干し粘土板が掘り出されているが、このエブラ遺跡の場合、粘土板に記載された内容は、解読されたほんの一部分によるかぎりでも、官吏による国政のメモ、宮廷内の出来事の記述、言語に関する記録、文学に関する民間の伝承、等々、非常な多岐にわたっているという。また、粘土板が大量に発見されたのが集会場に隣接した場所であったこと、その置き場所についても、層をなした壁の窪みのどこに置かれているかによって主題に応じた分類がなされているらしいこと、また粘土板の大きさや形によっても内容に違いが認められることなどから、この文書館における記録保存とは、国王ただひとりの私的な蓄財ではなく、集団的な利用を目的として組織的に運営されたアーカイヴであったことがわかる。ここにはすでに図書館の概念を構成する基本要素がほぼすべて萌芽のかたちで出揃っており、そして、この時代の古代オリエントの他のさまざまな王国においても、当然これと同じような文書保存の試みはあったはずである。
爾来、ヘレニズム期、初期キリスト教の時代、中世ヨーロッパを経て、ルネッサンス以降近世、近代に至るまでの、四千年になんなんとする図書館史の要約を試みるのは、ここでの仕事ではない。また、西欧における書物の収集と管理の様態が、そのテクノロジーにおいて、欲望において、またその階級性や政治的機能において、中国、イスラム世界、日本などのそれと何を共有し、何において相違するかといった比較文明論的な主題も本稿の扱うところではない。われわれの興味は、図書館のありかたのひとつの帰結ないし変異態として一九世紀中葉の西欧に出現した「知の装置」がいかなる歴史的意義を担っているか、そしてその意義が、「近代」的と形容されうる記号の布置といかなる関係を取り結んでいるかを考察するところにある。

大英博物館の円形閲覧室

大英博物館の円形閲覧室

現在のパリ国立図書館〈印刷物部門〉閲覧室

現在のパリ国立図書館〈印刷物部門〉閲覧室

安らぎとよるべなさと

では、この「知の装置」とはいかなるものなのか。今日、何らかの知的な営みを行なうことを目的として大英博物館やパリ国立図書館の閲覧室に身を置き、そこで或る一定の時間の流れを体験する人間は、もちろん個人によって感じかたの相違はあるにせよ、一種奇妙な眩暈のような感覚に襲われずにはいられない。その独特な感覚をめぐって、或る程度の客観的な実証性に依りながらごく粗略なかたちでの現象学的記述を試みたいというのがここでの意図なのだが、その眩暈の構成要素として第一に挙げるべきは、取り囲まれているという感覚だろう。
大英博物館の建築の目玉のひとつとなっているこの閲覧室は、巨大なドーム状の天蓋がかぶさった円形空間であり、閲覧席の列は、のかたちと言ったらいいのか、中心から円弧に向かって八方に伸びた半径の形状に配されている。中央には二重の同心円をなすようなかたちに書架が据えられ、そこには利用者が日常的に利用する辞書、事典、目録等の参考図書が収められている。また、ぐるり周囲の彎曲した壁面も何層かの書架で埋め尽くされ、そこにもまた参考図書がぎっしりと詰めこまれている。その上には大きな明かり取りの天窓が並んでいるが、その一つひとつもまた上方が半円に切り取られた形状で、そこから陽光が落ちてくるさまは全体として光の円弧の連鎖といった趣きになっている。丸天井、円弧、半径、同心円といった具合に、すべての要素が円形性を強調するかたちに配置されたこの空間の内部に身を置くと、図書館利用者=「読者」は、あたかも現実世界のなまなましい出来事から切り離された「知」のミクロコスモスの内部に、心地よく閉じこめられてしまったかのような安心感を覚える。何もかもが調和し合った小世界としての円=球の形象が、「知の装置」としての閲覧室に一種の保護機能をまとわせ、書物の時空に没頭しようとしつつある「読者」の精神集中を扶助するのだ。
中でも、三六〇度のぐるり周囲を埋め尽くす書物がもたらす心理的な効果はきわめて大きいと言わねばならぬ。球面状の書物の壁が、現実世界の荒々しさ、血生腥さ、鬱陶しさをすべて遮断しつつ、「読者」の四方八方からすっぽり包みこんでくれるのであり、あたかもそれは、活字の世界に没頭することを許してくれる理想的な保護膜ででもあるかのようだ。単に今現に読んでいる本を通じて「知」と触れているだけではなく、稀薄な体感そのものとしてあたかも「知」の世界の厚みに全身丸ごとくるみこまれているかのごとき印象を享受しうるのである。のみならずまた、書架よりさらに上方に位置する天窓の円弧が、この保護的なイメージをさらにいっそう助長してくれている。ぐるりいちめんの天窓から射してきてページ面の活字を可視的なものとしてくれる光のシャワー──それは、生のままの自然の太陽光ではなくガラスを透過して降りそそいでくる和らげられた文化的な光だ──もまた、彼の身体を、いわば予定調和的な恩寵の明るみで取り囲むことになる★一。
「読むこと」のただなかに浸りこんでいる人間の身体感覚には、一種独特なものがある。彼は「今・ここ」にいながら、しかもいない。半ば以上「我を忘れ」、文字によって表象された時空へと半分離脱してしまっているが、しかしその間も、椅子に腰掛け、机に肱をつき、書物の背を手で支えているみずからの身体の現前感は絶えずそこはかとなく残留しつづけている。思いきり稀薄化してしまった身体──しかし、逆に言えば、その稀薄な身体にフィードバックされることで、読書の快楽は初めて快楽として感受されるとも言える。それは、半ば想像的なものと仮した身体なのであり、読書の快楽や苦痛の強度と、この想像的な稀薄化の段階とは、或る微妙な、しかし決定的な関数で結ばれていると言ってよい。クールベの手になる有名なボードレールの肖像の美しさは、そこに、ものを読んでいる人間に固有のこうした特異な身体感覚が、鈍重で寡黙な無名性として、なまなましく露呈しているという点にあるだろう。こうした想像的身体にとって、大英博物館の円形閲覧室はほとんど理想的と言ってよい環境を提供している。それはいわば、巨大な子宮となって「読者」を包みこみ、彼の想像的身体が胎児の状態へ退行することを許してくれるからである。
だが、書物で埋め尽くされた閲覧室の円形の壁面が「読者」の裡に喚起するものは、包みこまれることの安らぎばかりではない。逆説的ながらそれは、退行状態の弛緩と矛盾するもうひとつの感覚──或る張りつめた不安を、畏れを、おののきをかきたててやまない空間でもあるのだ。こうした巨大なドームの中で一冊の書物と向かい合って時間を過ごすとき、「読者」は、外縁の全周がすべて書物で覆い尽くされたこの小宇宙のただなかで、自分はなんとちっぽけな個体なのかという感慨に襲われないわけにはいかない。こうした巨大な全体の中に身を置くと、「私」とは結局のところ、現世で束の間の生を消費してはかなく消え去ってゆく有限の存在でしかないというよるべなさがそくそくと身に迫ってくるのであり、それは、取り囲まれることによってかき立てられるもうひとつの身体感覚だと言える。被保護の安息は、それと表裏一体をなすよるべない孤児性によって絶えず脅かされているのである。ここでは円形空間は、その巨大さと相俟って、母胎的な抱擁感とはまったく逆の、よそよそしい超越性と化して立ち現われてくることになる。円の形象が、個を超えて果てしなく広がってゆく無限なるものの全体性を表象しているのであり、それを前にしてわれわれは、絶対的な及びがたさとでもいうべき畏怖の思いを抱かざるをえない。柔らかく包摂してくれる内部性と、外に向かってきりなく拡大してゆく外部性と──大英博物館の円形閲覧室は、そこで「知」と遭遇しようと欲望する個体の裡に、この両者を同時に惹起する特異な空間なのである。
一九世紀中葉の西欧に出現した「知の装置」と最初にわれわれが呼んだものが、図書館それ自体ではなく、その一部分をなす閲覧室のことであるということは今や明らかだろう。一八五七年に開館したこの大英博物館の円形閲覧室は、暖かく包摂する安らぎと冷たく突き放す畏怖とを同時に作用させ、その両者の間で「読者」を甘美に引き裂く逆説的な「知の装置」なのであり、この「装置」の出現は、古代メソポタミア以来四千年に及ぶ図書館史において、或る際立った出来事性を徴づけているはずである。では、巨大円形閲覧室というこの一九世紀的「装置」における内部性と外部性との葛藤を、いかなる歴史的文脈の上に位置づけるべきだろうか。それはいかなる前史の延長線上に出現し、図書館の歴史にいかなる不連続線を引くことになったのか。

クールベ《ボードレールの肖像》1847年頃

クールベ《ボードレールの肖像》1847年頃

                             

ジャック・ド・トゥの書斎という祖型

図書館空間がその内部に身を置く者の上にどのような精神分析的機能を及ぼすかという点から図書館の歴史を振り返ってみるとき、子宮としての図書館が、古代はもとより西欧の中世においても未だ存在しなかったことは明らかである。今ここで、物質的形態という観点から見た書物の歴史──パピルスから羊皮(パーチメント)へ、さらに中国で発明された紙へという素材の交替、また巻子本 scroll から冊子形式 codexへというその素材の束ねかたの変遷、あるいはまた手で書いた写本から機械で印刷された出版本へという技術の進化、等々──を詳述する余裕はないが、ひとつたしかなことは、周囲の壁面書架がぐるりいちめん書物で埋め尽くされ、その総体がいわば自分の想像的身体の延長であるかのように実感されるといった空間は、棚に粘土板やパピルスの巻子が積み上げられていた時代においては存在しえなかったはずだという点だろう。また、紙を束ねて綴じる書物の形態が一般化した後、西欧中世の教会や修道院に附設した図書室においても、そうした空間が成立しえたとは依然として考えにくい。そこでは、書物はふつう机か書見台の上に平らに置かれ、紛失を防ぐため水平に横たえた棒に鎖で取り付けられており、書籍の量塊が切れ目のない膜となって人を八方から包みこむという空間構成は未だ存在していないのである。と同時に、それに加えて、修道院のクロイスターなどでそうした鎖付きの本を読む場合、閲覧者は立ったままでページを捲るようになっていることが多く、母胎内部に保護されているような身体的な安逸がそこにあったとは思われないという点もある。この当時、ラテン語で書かれた「知」に触れるのは、快楽であるよりはむしろ高度な教養の持ち主にのみ許された苦行だったのであり、図書館は子宮とはほど遠い禁欲と節制の空間だったのである。
机や台の上に平積みにされていた書物は、やがて蔵書の増加に伴い、空間の経済という観点から書架上に縦に立てて置かれるようになる。だが、注目すべきは、その場合でも当初のうちは背を奥に、前小口を手前に向けた配架が行なわれていたという点である。これは、表紙下端の小口に近い部分に金環をつけ、そこに鎖を繋いでいたので、書物同士の間で鎖が絡んでしまうことのないようにという配慮によるものだった。
書物の背を正面に向けた現在のような並べかたはフランスで始まったもので、歴史家ジャック・ド・トゥ(一六一七年没)の書斎が最初と言われている。書物の配架による空間構成という視点に立った場合、やがて後代において大英博物館の円形閲覧室が完成された姿で示すことになるような図書館空間の祖型は、一六世紀から一七世紀にかけてのこの時期に初めて現われたと考えていいだろう。壁の書架に縦に立てた状態で、しかも背表紙を手前に向けて書物を収蔵するようになったのは、ここでのわれわれの興味からすれば決定的な変化であったと言わねばならぬ。背をこちらに向けたかたちで書物が並べられていること──それは、タイトルが一目で見渡せるということであり、図書館内部に足を踏み入れた閲覧者の眼に、そこにあるすべての書物の「名前」が、少なくとも権利上はことごとく可視化された光景となって存在していることを意味している。彼の前に、いわばアーカイヴの「索引」全体が、眼に見えるかたちで繰り広げられているわけだ。そこから、あたかも書架に収められている全書物を想像的に所有しているかのごときファンタスムが、彼の裡に生まれることになる。もちろん現実に彼自身がそのアーカイヴの正当な法的所有者であるわけではない。しかし、ひとときそこに身を置き、何らかの知的作業に没頭することを許可された「読者」は、棚にぎっしり詰めこまれた書籍群の背表紙を見渡しながら、たとえほんの束の間であれ、全能の「所有感」を享受しつつ、もしこれらすべてを読み尽くしさえすれば、この室内に集蔵されている「知」の全体を所有しうるのだ、と呟かずにはいられない。それは、母胎によって保護された胎児のナルシスティックな全能感に通じ合う快楽幻想である。閲覧者をこうした心理的態勢に誘いこむ「装置」としての図書館の祖型が、こうして一六世紀末に出現するのである。
以後、書物を部屋の壁面に収めた広いホール状の図書室が各地に作り出されてゆく。絶対王政下の富の蓄積に伴って、天井のヴォールトに豪華な装飾を施したり、中央部にドームを冠するなど、さまざまなバロック風の意匠を凝らした図書館が試みられてゆく。こうして図書館は、単に書物が集積された場所であったり、それが読まれるための場所であったりするだけではなく、美的・文化的・政治的にデザインされた「建築」となってゆくだろう。そこに身を置く人間の意識に与える心理的効果に力点が置かれるようになり、或る場合には、壁面に並んだ書籍のコレクションは、建築に特殊な威厳と威信を添えるための副次的要素でしかなくなってしまう。
だが、そのコレクションの物理的な量が或る限度を越えて肥大していった場合、「もしこれらすべてを読み尽くすことができれば……」という仮定が、もはやまったく非現実的なものとしか思われなくなってしまう地点に逢着することになるだろう。壁面書架にぎっしりと並ぶ背表紙の総体を眺め渡しながら、閲覧室の利用者は、今や、読もうと思えばこの全部を読みうるという潜在的可能性を通じて想像的な所有のファンタスムを享楽することを禁じられ、たとえ何人分、何十人分もの生涯の時間を費やしたにせよ、このすべてを読み尽くすことはとうてい不可能だ、「知」は人間の等身大をはるかに逸脱して途方もなく巨大であり、それを前にしたとき、人間は芥子粒のように卑小な存在でしかないという畏怖が全面に迫り上がってくることになる。先に被保護の安息と表裏一体をなすと述べた、よるべない孤児性の感覚が、「読者」をそこはかとなく脅かしはじめることになるのである。     

ライデン図書館(中世の図書館の一例)

ライデン図書館(中世の図書館の一例)

鎖に繋がれた図書(ケンブリッジのヘレフォード大聖堂の書庫の一部)

鎖に繋がれた図書(ケンブリッジのヘレフォード大聖堂の書庫の一部)

崇高と誇大妄想

その限界的な表象を、われわれは、エティエンヌ=ルイ・ブーレーの作成したあの王立図書館再建計画案(一七八四年)に見ることができる。設計者というよりはむしろメガロマニアックな幻視者ヴイジオネールとでも形容すべき奇矯な建築家ブーレーは、およそ施工の可能性があるとはとうてい思えない途轍のない巨大建築のプランを幾つも残しているが、そのひとつに、半円筒のトンネル型のアーチ天井を持つ図書館の構想が含まれているのだ。長方形の空間に八段四層の書架をぐるりと張りめぐらした巨大閲覧室は、残されたスケッチで見るかぎり、壮大と言えば壮大、空想的と言えばほとんど漫画の域に達する空想性を備えた怪物的なプランではある。九万平方メートルの敷地の大半を使って建設されるものだというこの閲覧室の途方もなさは、宇宙を象徴する直径一三五メートルの中空の球としてのニュートン記念廟や、三〇万人もの人間を収容する円形競技場といった他のブーレーのプロジェクトと比べても、おさおさ劣るものではない。
ブーレーは、同じような傾向を備えたクロード=ニコラ・ルドゥーとともに、一八世紀後半のフランスに出現した「革命建築家」のひとりとして歴史に名を残しているわけだが、政治の領域においてもまた王殺しの「革命」へと向けて歴史が動いていたこの時期に、ピラネージのあの謎めいた牢獄も含めてこうしたとことん非現実的な建築学的想像力が西欧のイメジャリーの空間に不意に湧出してきたことは、きわめて徴候的な出来事であったと言える★二。たとえばルドゥーは熱狂的な王党派であったが、そうした個人的な嗜好とは別の水準で、彼らの建築は、国王の富や権威を栄えあらしめるという以上に、王の名も国の名も突き抜けた非人称的な「崇高」の美学に奉仕すべきものとして構想されていた。実際、建築を通じての「崇高」の表象こそ彼らのめざす究極の理想だったわけで、その意味では、カントの『判断力批判』の中に含まれる「崇高の分析論」が、ブーレーやルドゥーの建築のいわば理念的背景を語っているテクストであるかに読めるのは事実である★三。
ブーレーの王立図書館構想において、この「崇高」の理念をかたちづくる本質的要素となっているのが、書物それ自体であることは疑う余地がない。たしかに、ここでもまた、あのバロック的なホール建築の場合と同様に、書物の詰まった壁面書架は、建築の壮麗さをなおいっそう輝かしく演出するための装飾的な添え物に堕してしまっているという見かたをすることも不可能なわけではない。しかし、同時にまた、かくも巨大な書籍コレクションはそれ自体、人間の「知」が到達した「崇高」の表象として見る者を畏怖させないではおかないのであり、むしろブーレーのデザインした半円筒型のヴォールト、四角形の巨大天窓、余計な装飾を排した簡素な幾何学的形態といったものの方こそ、挙げてこの書物の「崇高」に奉仕しているのだという見かたもまた、それと同程度に正当と言ってよいのではないかと思う。いずれにせよ、内部空間の荘厳な「崇高」性を限度を越えて追求しているブーレーのヴィジョンにとって、厖大な壁面書架という道具立てがここで或る本質的な役割を演じていることは間違いない。
ところで、書物の背によって埋め尽くされた壁の光景が「崇高」の観念を惹起しうるのは、むろん収められた書物の圧倒的な数量によるものであるが、ただ、ここで問題なのは、単なる量の多さではなく、むしろ量の多少という概念そのものを無効にしてしまうような「無限」のイメージそのものであるように思う。人類文明史の記憶の集積としての図書館は、ここで、「無限」の概念と出会い、その出会いのもたらす動揺をメガロマニアックな想像力によって映像化したものが、ブーレーの王立図書館だったのではないだろうか。実際、ブーレーのスケッチにおいて、正面の壁面ははるか彼方に霞んでおり、そこに収められた本の背はもはや肉眼では見分けることができなくなってしまっている。背表紙の列を一望のもとに見渡すことが「知」の想像的な所有を可能にするとしたら、はるかな遠方に遠ざかって半ば不可視のものとなってしまっている書物群は、ファンタスムの中ですら所有が禁じられた「知」の領域の実在を証言するものにほかなるまい。所有のファンタスムに代わって、所有の不可能性のファンタスム──書物は無限にあり、それに見合って「知」の空間も無限大であり、したがって「読者」という主体がその全体を踏破することはあらかじめ禁じられた営みとしてあるほかない、という負のファンタスムが、こうして人を意気阻喪させ、かつ怯えさせはじめることになるわけだ。

ブーレーによる王立図書館案

ブーレーによる王立図書館案

鉄骨構造の屋内空間

大英博物館の円形閲覧室は、このブーレーの空想的ヴィジョンの嫡子にほかならない。図書館を附設した綜合的な文化センターとしてこの博物館がどのように誕生し、コレクションを増やしていったか、またそれが一九世紀に飛躍的な発展を遂げるに当たって立役者の役回りを演じたアントニオ・パニッツィという人物がいかなる功績を残したか、等々に関しては、すでに多くの紹介があるのでここでは繰り返さない★四。今改めて強調すべきは、イタリアからの政治亡命者としてイギリスに渡り、大英博物館に特別司書補佐の職を得ることになったこのパニッツィなる精力的なテクノクラートの主導のもと、一八五七年に完成したこの円形閲覧室が、「知」と向かい合った個人の心性に生じる相矛盾し合う二つの感覚を、それぞれ限界点まで誇張しつつしかも両者の間に或る微妙な釣り合いを作り出す、絶妙な「装置」だったという点に尽きている。
S・スマークが設計したこの閲覧室は、直径四二メートル、円天井の高さは三二メートル。三六四ある閲覧席のひとつに腰を下ろす閲覧者は、「知」を所有しうるという全能の幻想と、その「無限」性に圧倒されることのおののきとの間で引き裂かれながら、書物のページを繰ることになる。もちろんこの空間は、ブーレーの空想図書館ほど怪物的な巨大さは備えているわけではないが、完璧な調和を体現している円の形象が、開かれた「無限」性の印象を見事に作り出しているのだ。
ところで、ここで閲覧者をぐるりいちめん取り囲んでいる三六〇度の壁面書架は、なるほどたしかに人類の「知」の記憶の圧倒的な現前を主張しつつそそり立っているかのようではあるのだが、実を言えば、ここに収納されているのは大英博物館の所蔵図書のごくささやかな一部分でしかない。前述の通り、中央の二重の環形書架と周囲の壁面に配されているのは参考図書のコレクションであるにすぎず、蔵書の主体はこの閲覧室とは別の、これもやはり大規模な面積を占める書庫に収められているのである。書庫と閲覧室との分離──これもまた、西欧の図書館が一九世紀に発明し、以後、世界中で一般化していったシステムであった。その嚆矢をなすものは、レオポルト・デラ・サンタが一八一六年に発表した著作『公開一般図書館の建築と設置方針について』だと言われている。デラ・サンタは、蔵書の増大に対処するために図書を閲覧室の外へ移すことを提案し、四八の小室に分納する見取り図を掲げている。一八三二年から四三年にかけてフリードリッヒ・ゲルトナーによって建築されたミュンヘン宮廷図書館、四三年から五〇年にかけてアンリ・ラブルーストによって建築されたパリのサント・ジュヌヴィエーヴ図書館にはすでに独立した書庫の空間が設けられていたのだが、閲覧室と書庫の分離が初めて本格的かつ大規模に試みられたものこそ、このロンドンの大英博物館にほかならなかったのである。パニッツィの構想による書庫は、天窓採光による鉄製のもので、閲覧室とは対比的に、背丈の低い書架を、壁面取り付けではなく横にぎっしりと並べ、空間の利用効率を高めていた。
閲覧室には図書を置かない──代わりに蔵書目録を置いて、それによって蔵書のプレゼンスを象徴的に表象=代行させるという徹底的なシステムを、パニッツィは作り上げたのである。閲覧室に置かれた二万冊にのぼる参考コレクションの中でももっとも重要な一点と言うべきこのカタログは、最初は一八五九年に刊行されたもので、これこそまさしく世界最初の閲覧室用印刷目録にほかならなかった。注目すべきは、円形閲覧室を包囲している壁面書架の与える「無限」の印象とは、結局は心的な印象そのものでしかなく、そこでの「知」の現前は、すでに物理的水準から象徴的水準へと移行しているという点だろう。
ここまで記述してきた大英博物館閲覧室の特質は、およそ一〇年遅れて一八六八年に公開されるパリ国立図書館の〈印刷物部門アンプリメ〉閲覧室にも、ほぼすべて当てはまると言ってよい。それは後者が前者の模倣であったがゆえに当然と言えば当然のことでもあるのだが、いくぶん異なるのは、パリのものの形状は厳密に言えばやや丸みを帯びた四角形であって、完全な円形ではないという点、さらに、これと関係があることだが、天井もまた大英博物館閲覧室のように唯一の巨大ドームがのっているわけではなく、それぞれ天窓を備えた小振りのクーポールが複数個、縦横に連なる構造になっている点などである。三四四の閲覧席も、輻のかたちではなく、ごく穏当な縦横の配列になっている。
一八五八年からこの閲覧室の建設にかかり、まるまる一〇年かけて完成させたアンリ・ラブルーストの設計は、ブーレー流のメガロマニアからいくらか遠ざかって石造建築の美学の方向へやや後退し、中世の教会などに見られるような優雅なアーチ構造を採用しており、その結果、アーチを支える柱が室内に何本か立たざるをえないことになった。装飾の施されたこの梁柱の屹立を優美と見るか、鈍重で時代遅れと見るかは好みが分かれるところだろう。ラブルースト(一八〇一─一八七五)は、ヴィクトール・バルタールからギュスターヴ・エッフェルへと連なってゆく一九世紀的な鉄骨建築の専門家の系譜に属する重要な人物のひとりであるが、機能主義的な巨大屋内空間を鉄とガラスとで作り上げることに専心するというよりは、「芸術」としての建築の伝統美学に執着を示しているぶん、やや反動的でもあり、またその反動性ゆえの魅力を発散させた作品を残しており、この国立図書館閲覧室がそうした意味でも彼の代表作であることは間違いない。彼は、単純そのものの幾何学的形態を無頓着に採用して巨大さで勝負するというのではなく、複数アーチの連鎖が示す音楽的諧調の「美」を洗練させる途を選んだのである。
こうした美学的側面が、純粋の円形ではないという事実と相俟って、「装置」としての完成度という点で、パリ国立図書館の閲覧室を大英博物館のそれよりほんのわずか劣ったものとしている──「装置」の機能をほんのわずか濁らせている──のは事実としても、この空間の内部でかなりの時間を過ごした者の実感として、それでもなおこの閲覧室が、大英博物館の閲覧室に比肩しうる模範的な「装置」として、二〇世紀末に至ってなお強力に作動しつづけているという事実を否定することはできない。一八五七年の大英博物館と一八六八年のパリ国立図書館と──この二つの閲覧室は、「知」に向かい合う「読者」の裡に二様の心理的態勢を惹起し、その二つを葛藤させながら最終的には完璧な平衡を達成する「装置」の、間然するところのない傑作として、一九世紀中葉のほぼ同時代に出現したのである。前者に籠もって思弁に沈潜したマルクス、南方熊楠、クロポトキンにせよ、ずっと時代は下るが後者を仕事場として大著を準備したベンヤミンやフーコーにせよ、この二つの記念碑的な閲覧室空間に身を置いて人類の歴史的記憶と触れ合おうとした「知」の巨人たちは、例外なくこの「装置」と親しく戯れるすべを心得ていたはずである。

サント・ジュヌヴィエーヴ図書館閲覧室

サント・ジュヌヴィエーヴ図書館閲覧室

帝国図書館(パリ国立図書館の旧称)新閲覧室の開室式の光景(1868年6月15日)

帝国図書館(パリ国立図書館の旧称)新閲覧室の開室式の光景(1868年6月15日)

主体/無限/中心

では、その空間的戯れは、具体的にはいかなる効果を及ぼすのか。ここまで「装置」と呼んできたものの機能の再定義を今改めて試みようとするとき、結局われわれは、主体としての「人間」の位置をめぐる問いへ導かれることになろう。恐らく西欧文明は、一八世紀末から一九世紀初頭にかけての一時期に、「知」が「無限」として、また「美」が「崇高」として立ち現われてくるという認識論的出来事に、史上初めて立ち会ったのである。それは、『言葉と物』のミシェル・フーコーに倣って言うなら、サドの小説とともに古典主義時代の幕が引かれ、カントの批判哲学とともにわれわれにとっての昨日とも言うべき時代が開かれた、その「エピステーメー」の転換点に当たっているだろう。そのとき、とフーコーは言う──そのとき、ヴェラスケスの《侍女たち》の画面の究極の消失点、不在の王の鏡像が照り映えていたあの場所に、「人間」という名の登場人物が出現し、空位を埋めるのだ、と。それ自体としてはタブローの平面の上に表象されえず、絶えざる空白として保たれている王の場所こそ、古典主義時代の表象のシステムが滑らかに機能しつづけるための必須の条件をなしていたのだが、表象が飽和状態に達して自壊しようとする今、その場所に、新たな時代のエピステーメーの起源ともなり、目的ともなるような決定的なフィギュアとして「人間」が登場し、空白を充填するのだ、と★五。
恐らくそのとき、同時に、巨大な円形閲覧室の「中心」にもまた、「人間」が登場したのではないだろうか。《侍女たち》の遠近法の消失点が空白だったように、図書館閲覧室という「知」の空間の「中心」もまた、空白のままに残されていたのである。これ以上ないほど自明で単純なものと見える「中心」の概念そのものが、長らく不在のままでありつづけたのだと言ってもよい。今、巨大な円形閲覧室の「中心」──むろんそれは正確な幾何学的意味での「中心」でなくてもよい──で瞳を見開いている「読者」は、「無限」にして「崇高」なる「知」の空間の厚みと広がりを前にして、自分が不意に「主体」として目覚めてしまったことに気づいて周章狼狽し、ほとんど錯乱状態に陥りかける。注意しておくが、「主体」とはここで、ほどよく能動的な意志を漲らせ、未来へ向けての生産的な自己投企を繰り返すあの精力的な個体のことではない。この壮麗な「無限」を統禦しうる、少なくとも潜勢態としてのイメージの水準においてなら容易に馴致し所有しうるというメガロマニアックな全能幻想と、これほどの「無限」を前にすると自分は無に等しく、何ひとつ為すすべがなくどんな試みも無駄だという過剰な無力感と──その両者の間で絶えず引き裂かれ、ほとんど錯乱と境を接した眩暈を耐えつづけているものが、ここで言う「知の主体」なのである。極度の充実と極度の空虚とを同時に体現してしまっている存在、「全」であり、かつ「無」でもあるような存在のことだと言ってもよい。このような分裂を耐えている「主体」のために用意された特権的な場所としての「中心」が、一八世紀以前の西欧の図書館には存在しなかった。
大英博物館の円形閲覧室とともに出現したのは、こうした態勢にある「知の主体」に、その理想的な座席──特権的な閲覧席だ──としての「中心」を提供してくれる「装置」だったのではないだろうか。閲覧室が用意してくれた円の「中心」に身を置き、その円弧の周囲を包囲しながら「無限」なるもののファンタスムを絶えず備給しつづけてやまない「知」の厚みと対峙するとき、「主体」は、優しい安らぎと緊張した畏れとを同時に体験し、その両者に引き裂かれることで、「人間」としての自分自身に不意に目覚めることになる。他者を持たない胎児の全能感と、絶対的な他者としての「無限」への畏怖とを、ともどもその極限的な強度における身体感覚として体験することで、彼は、「知」の空間の「中心」に「人間」の位置を確保する。大英博物館型の閲覧室モデルとは、ひとことで言えばそれは、「人間」と「無限」との遭遇を大掛かりに演出する心的な巨大ドーム空間なのではなかったか。
「知の主体」のこのようなありかたは、言うまでもなく歴史的に条件づけられたものである。一九世紀中葉以降、西欧の大都市は、大英博物館閲覧室をモデルとした幾つかの巨大図書館を造営してゆく。パリ国立図書館に続いて、一八九七年にはワシントンの議会図書館が新しい八角形閲覧室を竣工する。さらに一九一四年にはベルリンの王立図書館閲覧室が開館するが、三六二の閲覧席に加えてホール側面には閲覧係の席をしつらえ、二万五〇〇〇冊の参考コレクションを備えたこの八角形閲覧室もまた、明らかに大英博物館の延長線上に出現した同種の「装置」であった。こうした空間的「装置」に乗って機能するような「知」のありかたこそもっとも自然であり、いっそ必然的でさえあると人々を満遍なく納得させるための、或る特有の布置を示していたものが、一九世紀後半の西欧の「知」であったのだと言うべきかもしれぬ。

恐竜の威厳

では、固有の歴史的文脈を持つこの「装置」に、「近代」的という形容を付してよいものだろうか。大英博物館やパリ国立図書館の閲覧室は今日なお見事に機能しつづけ、そこに身を置くわれわれに、マルクスやベンヤミンが味わったのと同じ身体感覚を追体験させてくれるが、にもかかわらず図書館建築それ自体の主流は、二〇世紀初頭にはすでに大英博物館的な巨大円形ドーム型を見棄てて、低い平屋根を持つ機能主義的な建物の方へ移行しているという事実を忘れてはなるまい。実際、「主体」に「中心」の座を提供するという精神分析的機能──それは畢竟、贅沢品と言うほかないものである──を除けば、暖房、換気、採光等、どの点から言っても低い平屋根の閲覧室の優位は明らかなのである。
この意味で画期的な建築と見なされるのは、超越的な「崇高」へと向かうメガロマニアとはいかなる点でも無縁なデザインによるニューヨーク公共図書館の閲覧室であり、一五メートルの高さの平天井の下に八〇〇の座席を備えたこの閲覧室が竣工したのは一九一一年のことである。一九一六年に完成したライプツィヒのドイッチェ・ビュッヒェライの建物も、この方向に沿った「中心」不在の内部デザインによるものだ。そして、「近代以後」という言葉を使ってよいかどうかに関しては留保が残るとしても、今日、閲覧室の空間デザインは二一世紀へと向けてさらなる進化を遂げつづけている。中央閲覧室への集中型から多数の専門閲覧室による分散型への移行が見られること、書庫内の窓側に勉強用の小仕切り(「キャレル」と呼ばれる)の設置が一般化し、書庫と閲覧室との境界が再度流動化しつつあること、等々、「知」の空間の内部に「主体」が座を占める、その占有の仕方は今なお変容のさなかにあり、その中で、大英博物館とパリ国立図書館の巨大な円形閲覧室は歴史的な過去の時空へとますます遠ざかりつつあるのだ。
恐らく、「近代」的という形容詞にもっともふさわしいのは、ニューヨーク公共図書館を嚆矢として、百万長者の篤志家アンドリュー・カーネギーと十進法分類の創始者メルヴィル・デューイという二人の「父」が提起した理念に基づいて、今世紀初頭以後、数多く建設されてゆくアメリカ合衆国の図書館だろう。大英博物館型の閲覧室モデルとは、今まさに「近代」が開かれようとする、そのわずかに手前の一時期を制覇し、次いで、あたかも巨大さゆえに身動きがとれなくなり滅びていった恐竜のように、図書館史の主流から置き去りにされ、時代遅れになっていった歴史的な「装置」であるように思われる。それは、「前近代」でも「近代」でもなく、言ってみれば「近代直前」の時点に出現し、それを生き延びさせてくれる諸条件が揃っていたかぎりにおいて一過性の繁栄を享受し、やがて命数が尽きて自壊していった歴史的な「装置」なのだ。
もちろんそれは今日なお、進化の袋小路に入りこんでしまった威厳ある巨大生物に対して捧げられるのと同じような恭しい崇敬を人々から集めつづけてはいる。しかし、こうした恐竜のような「装置」を切り棄てることで真に生誕しえたものこそが「近代」なのであることを知っているわれわれにとって、この「装置」に対して投げかけられるべきまなざしは、必然的に考古学的なそれにならざるをえない。「近代」のわずか手前と呼んだその一過性の一時期は、図書館の閲覧室建築に限って言うならば、一九世紀の全体とほぼ重なり合うことになるわけだが、この時代の西欧の「知」が空間といかなる関係を取り結んでいたか、「知」の空間がどのように構造化され、空間をめぐる「知」がどのような変貌を遂げていったか、そうした考古学的な問いをめぐって、次号以降、さらにいささかの考察を展開してみたい★六。
(まつうら  ひさき/表象文化論)

ワシントン議会図書館閲覧室

ワシントン議会図書館閲覧室


★一──『図書館建築の図像学』における桂英史が、図書館の天窓から射してくる光に「学芸の神ミューズ」の形象化を見ているのはきわめて正当な見解だろう──「天窓から舞い降りてくる光の効果は、書物と対峙しようとする者にミューズと交歓する時間を賦与するのだ」(INAX刊、一九九四年、八頁)。
★二──イギリスのジョン・ソーン(一七五三─一八三七)やドイツのフリードリッヒ・ジリー(一七七二─一八〇〇)など、同時代の他国にも似たようなメガロマニアの精神風土を共有した建築家が出現している。たとえば前者の設計によるイングランド銀行(一七八八)の、装飾を抑えた単純な幾何学美を見せる中央ロトンダを参照せよ。
★三──浅田彰「空間の爆発」(樋口謹一編『空間の世紀』筑摩書房)やジャン・スタロビンスキー『自由の創出』(小西嘉幸訳、新潮社)などを参照。
★四──藤野幸雄『大英博物館』(岩波新書、一九七五年)、桂英史『インタラクティヴ・マインド──近代図書館からコンピュータ・ネットワークへ』(岩波書店、一九九五年)など。
★五──cf. Michel Foucault, Les Mots et les Choses, Gallimard, 1966, p.323.(邦訳、三三一─三三二頁)。
★六──なお、本稿執筆に当たって参照した文献のリストは連載終了時に一括して掲げることにする。

>松浦寿輝(マツウラ・ヒサキ)

1954年生
東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論コース)・教養学部超域文化科学科教授。フランス文学者/詩人/映画批評家/小説家。

>『10+1』 No.05

特集=住居の現在形

>言葉と物

1974年

>ミシェル・フーコー

1926年 - 1984年
フランスの哲学者。

>桂英史(カツラ・エイシ)

1959年 -
メディア研究。東京藝術大学大学院映像研究科教授。