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Wiki的都市は構想可能か? | 江渡浩一郎+柄沢祐輔 聞き手
Can We Envisage the City as a Wiki? | Koichiro Eto, Yuusuke Karasawa
掲載『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築, 2007年09月30日発行) pp.118-125

WikiとWikipedia

柄沢祐輔──江渡さんは現在Wikiを研究されており、その成果を昨年書かれた論文「なぜそんなにもWikiは重要なのか」(『Mobile Society Review 未来心理』七号、モバイル社会研究所、二〇〇六)にまとめられています。そこでは、今日Wikipediaとして広く利用されているWikiのルーツがクリストファー・アレグザンダーのパタン・ランゲージにあることが指摘されています。もともと建築・都市論として構想された思想が、情報処理の世界で大きな支持を得ていく過程に迫ったドキュメントは極めてスリリングでしたが、そもそも江渡さんはなぜWikiに興味を持たれたのでしょうか。
江渡浩一郎──私がWikiに興味を持ちはじめたのは二〇〇二年頃のことです。オフィスや大学で使い、その威力に驚きました。Wikiを研究テーマに選び、自分のWikiを開発するようになりました。Wikiはさまざまな目的に柔軟に使えるシステムなのですが、あまりに柔軟なためにその本質が何なのかということがよくわからなくなります。例えばブログとよく比較されますが、ブログはひとりで書くもの、Wikiはみんなで書くものという違いがあります。しかしみんなで書くブログやひとりで書くWikiもあり、そうするとWikiはシステムの名前なのか使い方の名前なのか、よくわからなくなります。またWikipediaのことを略してWikiと呼ぶ人がいますが、とても違和感があります。「Wikipedia」はサイトの名前で「Wiki」はシステムの名前だから混乱を避けるためには略さないほうがいいのは確かですが、しかし『少年マガジン』のことを「マガジン」と省略してもおかしいと怒る人はいません。ではWikipediaをWikiと呼ぶことに違和感があるのはなぜだろう。Wikiを発展させていこうとするとき、その定義が混乱していることは大きな問題となります。そのため、次第にWikiの本質とは何だろうと考えるようになりました。

クリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」

江渡──アレグザンダーはもともと数学を専攻していて、後に建築へ進みます。『形の合成に関するノート』(一九六四[鹿島出版会、一九七八])で、デザインのプロセスを数学的集合の問題に還元する方法を示しました。例えば「やかん」をデザインするプロセスを数学的に定義するとすると、「やかん」が持つべき条件の集合を考えることになります。水を入れられる、手で持つことができる、水平な面に置けるなどの条件を備えている。また、丈夫さ、廉価さ、見た目のよさなどの作り方に関する条件もある。しかし丈夫さと廉価さはしばしば相反します。このような相関・相反する関係にあるさまざまな条件の集合から解を求めることがデザインというプロセスであるということになります。ここで「やかん」を「タウン」に置き換えると都市計画についての話になります。『形の合成に関するノート』の最後のほうでは、インドのある村を舞台に人や物の移動などの条件を事細かに積み上げ、数学的条件の集合に還元する例を示しています。その後の論文「都市はツリーではない」(一九六五)では、自然都市と人工都市の比較から、人工都市には限界があると結論しています。なぜなら、数学的分析によって都市をデザインすることは不可能ではないが、人間の認識能力の限界から必然的にツリー構造を持った都市になってしまうからです。逆に自然都市では同じ場所が複数の意味をもちえる。この自然都市の構造をセミラティスと呼び、その複合的意味の連なりをもった都市構造を賞賛しています。そこから、ひとつの建築もまたセミラティス構造をもつ都市のように生成されるべきだという主張に発展します。このとき建築家は、利用者が設計に参加可能な状況をつくる役割を担うべきであると彼は言います。一九七七年に考案された「パタン・ランゲージ」とは、そのための道具です。言い換えれば、自然のなかに潜んでいる形態を捉え直す、曖昧性を孕んだルールだと捉えていいでしょう。ここから「ランゲージ」とは、さまざまな大きさの要素が有機的に絡まり合っている、関係性の集合と考えることができると思います。
柄沢──よく知られる通り、『形の合成に関するノート』における客観的・数学的な手続きへと還元されたデザインの方法論は、その後自然言語的な曖昧性を含んだ『パタン・ランゲージ』へと発展を遂げてゆきます。江渡さんはパタン・ランゲージがコンピュータ・プログラミングの世界で応用されていったことを指摘されていますが、それはどのような過程を経たのでしょうか。
江渡──八七年に、ケント・ベックとウォード・カニンガムがオブジェクト指向についての学会OOPSLAで、論文「オブジェクト指向プログラムのためのパターン言語の使用」を発表しました。ちょうど「オブジェクト指向」や「GUI」という考え方が出はじめた頃です。これらの発想により、ソフトウェアの動作原理の設計とインターフェイスの設計が分離しはじめます。良いインターフェイスを設計するには、利用者がソフトウェアをどう利用するかを咀嚼することが重要で、そこから「利用者がインターフェイスの設計に参加すればいい」というアイディアにつながる。これはまさしく「パタン・ランゲージ」の発想です。インターフェイスにおけるパターンを考え、収集し、パタン・ランゲージを作る。そのパタン・ランゲージをもとに、実際にシステムを利用する人に自分でインターフェイスを設計してもらう。そのような実験をしてみたところ、短期間に良いインターフェイスができあがったと報告しています。

HyperCardからWikiWikiWebへ

江渡──たまたま同じ八七年に、Apple社から「HyperCard」というソフトウェアが発売されました。八四年にGUIを搭載したパソコンであるマッキントッシュが発売されましたが、HyperCardはそのGUIをフルに活用したカード型データベースソフトでした。HyperCardでは、カードにデータとともにHyperTalkというスクリプト言語によるプログラムを埋め込むことができました。これによりデータとそれを操作するインターフェイスをひとまとまりにすることができ、それをスタックと呼んでいました。カニンガムはこのHyper Cardに衝撃を受け、その時始めていたパターンの収集を行なうためのパターン・ブラウザを、このHyperCardを使って作りました[図1]。これが今のWikiにつながるのですが、画面を見てみると現在のWikiと同じ特徴をいくつか備えているのがわかります。このスタックを複数人で共有する実験もしていました。なんらかのカードが更新されると、自動的に「Recent Changes」というカードにその操作が記録される仕組みになっていました。
九三年にウェブブラウザ「NCSA Mosaic」が生まれ、ウェブサーバ上で動くプログラムを書くための仕組みである「CGI」も同じ頃に生まれます。九五年に、カニンガムはそのCGIを使い、HyperCardの内容をもとにブラウザ上で編集できる仕組みを導入した「WikiWiki Web」というサイトを立ち上げました。このシステムを構成しているスクリプトは「WikiBase」と呼ばれていますが、このスクリプトが書かれた仕組みが非常に興味深い。コンピュータ科学者ドナルド・クヌースは「文芸的プログラミング」という手法を提唱しました。ドキュメントにソースコードを埋め込むことによって、コードとそれを説明する文章とを一体化させるという手法です。その文章からコードを取り出し、実際に動くコードが生成されます。カニンガムは文芸的プログラミングに影響を受け、WikiWikiWebをベースとした文芸的プログラミング環境「HyperPerl」を作りました。ひとつのWikiサイトのそれぞれのWikiページには、コードの断片が埋め込んであり、リンクされたページにもコードが埋めこまれていて、それらが再帰的に辿られることによって、結果としてひとつのスクリプトが生成される。実はWikiBaseのスクリプトは、このHyperPerlという環境で作られたものでした。つまり、世界最初のWikiエンジンであるWikiBaseは、Wikiをベースとした文芸的プログラミング環境で書かれていた。端的に言えば、WikiはWikiを使って書かれていたということです。この話から発展させて考えてみると、Wikiサイトは一般には単なる文章の集合だと思われていますが、そうではなく、Wikiサイトはひとつのプログラムなのではないか。つまり、人間がどう動くべきかについてのプログラムなのではないかと見ることができると思っています。
HyperCardからインターネットへの変化によって、情報のリアルタイムの書き換えが可能になります。すると、情報を蓄積する場であると同時に、コミュニケーションのための場としても使われるようになる。そのため、情報は徐々に混乱してくるため、どのように情報を整理すればいいかが問題となります。ひとつの解決策として、どのようにパターンを収集すればいいかという行動そのものもパターンの対象にしてしまうということです。それをここではコミュニケーション・パターンと名付けます。WikiWikiWebは、そのようにソフトウェアに関するパターンを集めると同時に、コミュニケーションに対するパターンを集める場となります。コミュニケーション・パターンで特に重要とされたのは、スレッドモードとドキュメントモードの違いです。スレッドモードは平たく言えば掲示板のようなものです。「私は〇〇だと思います。by A」「私は違うと思います。by B」というように、各自の意見と署名が並んでいる状態。それに対してドキュメントモードとは、「〇〇は〇〇である」というように、客観的事実を述べたものの集積です。カニンガムが立ち上げたWikiWikiWebでは、スレッドモードで議論が行なわれていたとしても、それを最終的にドキュメントモードにまとめることが目的であると定めていました。
二〇〇一年にWikipediaというサイトが生まれましたが、それぞれの項目に対して「ノート」という議論するための場所が用意されています。各自の意見はノートに書き、客観的事実のみを本文に書くとして明解に分離されています。Wikipediaがこれだけ大きくなった背景には、このように二つのモードをシステムとして明解に分けたことがあったのではないかと思っています。
その後に、先の二人が提唱した概念に「エクストリーム・プログラミング」(XP)があります。プログラミングをとりまく環境を改善するための開発手法のひとつなのですが、さまざまなプラクティスの集合からなっています。例えばペアプログラミングは、一台のマシンに向かって二人が並んで交互にプログラミングする手法です。交互にプログラミングすることによって、お互いのコードを書くときから含めてずっと見ているため、書かれるコードはひとりで書くときのものよりもずっとわかりやすく良いコードになる。
XPという開発手法には極端に思われるものも含まれていますが、一般のプログラマーにも非常にポジティヴに受け入れられました。ケント・ベックが書いた『eXtreme Programming Explained』(一九九九)に「時を超えたプログラミングの道」という章(アレグザンダー『時を超えた建設の道』[一九七九]の援用です)があります。XPの目的は利用者と開発者の関係を見直し、新たな社会構造を作ることにあると書かれています。つまりプログラミングの環境を改善するだけではなく、ソフトウェアの利用者と開発者の関係を見直して、バランスのとれた世界を築こうと言うのです。利用者を設計に巻き込むことによってともに良いソフトウェアを作ろうということで、ここにもまたパタン・ランゲージと同じ発想を読みとることができます。

江渡浩一郎氏

江渡浩一郎氏

1──HyperCardの画面 提供=江渡浩一郎氏

1──HyperCardの画面
提供=江渡浩一郎氏

コミュニケーション・パターンの実践

柄沢──「誰もが設計者になりえる」というアレグザンダーのパタン・ランゲージの思想を応用して、ソフトウェアの開発を容易にするための方法論、いわばパターンの数々が編み出された。そのひとつの総合的な体系がWikiというプログラムであり、それが応用されて完成したのがインターネットに存在している、私たちが普段触れるWikipediaだということですね。それはもともと、プログラムの方法論やデザインをさらに俯瞰する視点で、人がどのようにプログラムやパターンをデザインしていくかという議論がなされる場だったということですね。
江渡──はい。ここでコンピュータ以外の世界で行なわれている、興味深いコミュニケーション・パターンの実践について触れたいと思います。私はアーティストとして作品も作っていますが、このようなコンセプトを背後に持っている人に興味をもつんですね。例えばゴードン・マッタ=クラークの家を切り刻む作品[図2]には、生活空間に対する強いまなざしが感じられますし、「キッチン」という名前のレストランを経営していろいろな人が集まり交流する場を生成するなど、ある種のコミュニティ指向になにか共通した意識を感じています。
デザイナーのヨアヒム・ミュラー・ランセは情報デザイン国際会議「ヴィジョンプラス7」(一九九九)で「自分たち自身の手でデザインをする」をテーマに発表しました。例えばこれはパン屋さんに置かれていたボードで、何時にどのパンが焼き上がるかがパンのマグネットで示されている。これはカラースタンプを押す機械で、❶お金を入れる、❷レバーを下ろして紙を出す、❸紙を入れてレバーを下ろすとスタンプが押されます、云々と説明書きがあるのですが、もともとは操作板に数字がないからとてもわかりにくかった。それを見兼ねた運営者が勝手に数字を貼付けた結果、とても使いやすくなった。このように現場の人の自主的な判断によって生成されるデザインを集めています[図3]。これらはある意味、大文字の情報デザインの失敗とも考えられますが、それを補う現場の人の発想やデザインにこそ着目すべきであるという発表で、すごく印象に残っています。
最近の事例ですと、JR新宿駅の工事中のサイン計画をひとりでやってしまった佐藤修悦さんという警備の方がいます。工事中のため駅の構内が非常にわかりにくかったので、自分で勝手にサイン計画を作ってしまったのですが、後にそれが正式に承認されたというものです。最近ネットで話題になっているのでご存じの方も多いでしょう。使いにくい環境があればまずは自分で勝手に直してしまうという意思に、多くの人が関心を寄せているのではないでしょうか。建築には利用者がそのまま建築家であるセルフビルドというジャンルがあります。高知県にある沢田マンションは、コンクリート建築について素人の沢田夫妻が作った地下一階、地上五階建ての鉄筋コンクリート造です。リフトや地下駐車場もあるらしい。当然法規に準じていないのですが、自分がやるべきことはこれだとマンションを建て始めたらしい。部屋数も一〇〇ぐらいありますから相当な大きさです。最上階にプールを造ったり、木を植えたり、中にお店ができたりしていてすごくおもしろい。一方、まったく対照的ですが山本理顕さんの建築がすごくいいなと思っています。《はこだて未来大学》(二〇〇〇)は完全なグリッド構造でできていて、すべての教室、講堂、体育館もつなげて真四角に収めている。ある意味モダニズムの極北のように見えますが、きわめてコミュニティ指向の強い建築です。かつて『新建築』(二〇〇〇年九月号)の表紙になりましたが、普通は人が写り込んでいませんよね。しかしこの時は人がいる写真が使われていました。階段状になっているからフラットではないのだけれども、見渡せるという意味ですごく見通しのよい、コミュニケーションに焦点をあてた建築になっていて、興味深い。
紹介した事例はいずれもぱっと思い浮かんだレヴェルのものなのですが、一言で言うとデザインや建築を物の問題ではなく人の問題として捉えている、コミュニケーション・パターンの実践を生きている作品に興味があるんですね。

2──Thomas Crow, et al., Gordon Matta-Clark, Phaidon, 2006.

2──Thomas Crow, et al., Gordon Matta-Clark, Phaidon, 2006.

3──ヨアヒム・ミュラー・ランセ「自分たち自身の手でデザインする」から 提供=江渡浩一郎氏

3──ヨアヒム・ミュラー・ランセ「自分たち自身の手でデザインする」から
提供=江渡浩一郎氏

アレグザンダーの受容と展開

柄沢──パタン・ランゲージを応用したWikiの原型プログラムは、人間の行為のパターンを細分化して共有化し、かつ編集可能にするような、人間の行為のパターンのデザインでもあり、江渡さんの興味はそのパターンの共有・編集・再利用可能性にあるということですね。江渡さんは同時に「Wiki的な建築や都市を構築することが最終目標」だともおっしゃっています。確かにデザインや行為のパターンの編集可能性・再利用可能性・共有可能性という部分を突き詰めていくと、今日的な新しい都市、新しい建築の構成の可能性を導くための方法論が得られるのではないかと感じます。しかし一方で、建築の世界では挫折ともいえるような結果になったアレグザンダーのパタン・ランゲージが、情報理論の世界では、カニンガムがオブジェクト指向のプログラムを進化させてWikiの原型やXPを開発し成果を得るなど、建築と情報分野ではまったく異なる結果を導いています。その大きな差異に関してご意見を聞かせてください。
江渡──まずアレグザンダーは本当に失敗したのか、私は建築家でないからわからないし、《盈進学園東野高等学校》(一九八四)にしても、最後のほうは見切り発車的にゼネコンが勝手に作り始めてしまったために最後までパタン・ランゲージで貫くことが難しかったらしいのですが、アレグザンダー自身は実は失敗したと思っていないかもしれません。ただ、踏み込んだ批判になると、やはりパタン・ランゲージそのものが受け入れられたとは言い難い気がします。利用者が建築の世界に入ってくるようにすることを理論的に取り入れようとしたわけだけれども、そのこと自体が難しかったのではないか。つまりお金を払って作らせているのだから、建築を作るのは建築家たちだろうという意識は建築の世界に限らずあると思うんですね。コンピュータの世界でも同じで、XPも熱狂的に迎えられてはいても本当に普及して使われているかというと、そういうことでもないらしいことがわかっている。そう考えるとアレグザンダー理論が情報理論の世界では成功しているとも一概には言えず、まだまだ成功に向けて頑張り続けている過程だということになります。目を転じてWikiの世界に行くと、Wikiの世界では圧倒的に成功しているように見えます。なぜだろうという疑問はあるのですけれど、ひとつにはやはりインターネットの存在が大きい。どんな人間にも暇な瞬間があり、自分の専門知識を用いて世の中に貢献してもいいかなと思える。たくさん書けと言われたら無理ですが、誰かについてひとつの項目を書けと言われたら、その人の建築はこういう代表作や特徴があって、ということを書いて保存するぐらいならできる。ちょっとした貢献のつながりがWikipediaを成立させていると考えると、やはり人々の参加を促すインターネットという仕組みが結果的に良い方向に働いているのでしょう。
柄沢──最近、パタン・ランゲージにはまだいろいろな可能性が残っているのではないかと読み直されている気がします。例えば難波和彦さんは前期のアレグザンダーの思想には可能性を見出しています。『形の合成に関するノート』で書かれた客観的な要素の記述が継承された方法論の可能性です。しかし後期のそれは挫折する要素を秘めていたのではないかと、非常に興味深い指摘をされています(「クリストファー・アレグザンダー再考」[『10+1』No.47所収])。理念としてのパタン・ランゲージは、デザインパターンを誰もが共有し、使用して、自分たちで建築や都市を作るとして説得力を持ち、成立可能なように思いますが、実際のところデザインする後続世代が、難波さんという特殊な例をのぞいてはほとんど現われなかった。ところが情報理論の世界では、デザインのパターンを抽象化したデザインパターンを編集してプログラムを作る立場やオブジェクト指向という思考方法など、ユーザがさまざまなクラスを定義してそれを組み上げていき、そこで過去のパターンを参照しながらプログラムを作っていく立場が十分成立している。この差異を作り出しているのは、ひとつには自然言語と人工言語の違いだと思います。パタン・ランゲージの各カテゴリーを見ますと、細い路地とか突き出た縁側とか、それ自体の有効性に関しては客観性を欠いた、自然言語的な曖昧性を持つもののように感じてしまいます。
江渡──パタン・ランゲージのコンピュータ業界における受容にはいくつか種類があります。先に触れた論文「オブジェクト指向プログラムのためのパターン言語の使用」が八七年に発表され、徐々に進化していった。その過程でパタン・ランゲージは変質していったんですね。ギャング・オブ・フォーと呼ばれた四人組(エーリヒ・ガンマ、リチャード・ヘルム、ラルフ・ジョンソン、ジョン・ヴリシディース)が、ソフトウェアをプログラミングで作っていく時に繰り返し発生するパターンを集めたものを『デザインパターン』(一九九五)という本にまとめて出版しました。現在はコンピュータ技術者必読の書として挙げられることが多いのですが、しかしパターンが本当にコンピュータ・プログラミングのなかで有用だったのかということについては繰り返し議論になっています。パターンを学んでプログラミングをわかったようになるのは気のせいなのではないかと、あるいは実際にパターンを学んでどんな成果が上がったのかと訝しがる声もあります。
柄沢──一般的なレヴェルでの理解ですと、プログラミングのパターンがヴィジュアルなダイアグラムによって定式化されていく傾向があります。例えばMAX言語はブロックごとに定義されたヴィジュアル・アイコンの関係性を繋いでいくだけでそれなりの動作を実現することができる。またそれが視覚的表現の生成などに応用することができたり、プログラミングの知識のない人でもオブジェクト的関係性を操作することによって、ある程度のプログラミングを書くことが可能になっていると思うんですね。それはパタン・ランゲージ的な理想を実現した例なのではないかという印象を持ちます。そのようなオブジェクト化した思考方法はかなり大きな可能性を持っているのではないかと思います。このような思考方法が何らかのかたちで都市や建築の理論に今後行き渡るのではないか。アメリカの憲法学者であるローレンス・レッシグは『コード』で、プログラミングの世界を例にとり、プログラムに規定されている状況でしか人間が行動できない状況を環境管理型アーキテクチャの全面化と指摘し、これから人はこの状況にどのように対処していくべきか、問題提起をしています。そこでレッシグが理想的な状態として提示しているのが、憲法の基礎的な概念を応用したオープンなモジュール環境なのですね。プログラミングの世界でいえばオープンソース、なおかつある部分がモジュール化され、オブジェクト指向的なものが同居しているような状況です。誰もがオブジェクト指向型のモジュールを利用でき、かつそれがオープンで改変できるような状況をレッシグは環境の理想的な状態として定義しているように思えます。
江渡──しかし、MAXをオブジェクト指向の典型と見るのは違うように思います。たしかに画面上でプログラミングできる環境があって、見える部品を組み合わせていくと誰でもプログラミングができますが、それは利用者でも開発者になれるということではない。逆に言えばそれはMAXでできるプログラミングしかできないのです。パターンを組み合わせることによって誰でもプログラムを作れるようになるというのは、ある意味典型的なパターンに対する誤解だと思っています。

パタン・ランゲージの応用解

柄沢──本来のパタン・ランゲージは行動パターンやデザインの細分化された要素自体を組み替える、もっとラディカルな可能性を持っているということでしょうか。単純に誰もがモジュール化されたパーツを持つということではなく、人間の行為自体であったり、デザインする対象自体を細分化して再構成していく契機にこそパタン・ランゲージやWikiの本質があるということでしょうか。
江渡──そうですね。「Ruby」という最近普及しつつあるプログラミング言語があって、簡単に使えるとか、素早く物を作ることができるとかいろいろな言われ方をされていますが、それはMAXにおける簡単という意味とは違う。MAXでは企業システムは設計できないわけです。Rubyは非常に広範なシステムを根幹からデザインできる、プロでも仕事道具として使えるプログラミング言語です。それと同時に、非常にわかりやすいのでプログラミングの初心者でも入門に使えるということなんですね。
この二つは同じレヴェルに見える可能性がありますが、まったく違うものとして捉えないといけないと思うんですね。パタン・ランゲージ思考とはさまざまな部品を集合させるプログラミングであるという理解が行き渡っている節がありますが、それがパタン・ランゲージの本質ではない。
柄沢──システムには必ず設計主体がいて、設計主体が提案するものに対してさまざまな外部のユーザが影響を与えていくというフレームが重要であり、一般的に理解されている初心者が扱いやすいという意味での汎用性ではないわけですね。
江渡──その通りなのですが、設計主体がいなければいけないと強調されるのもちょっと違うような気がします。
柄沢──誰かがコードを設定しないといけない、誰かがプログラミングのベースになるものを設定してヴィジョンを示さないといけない、という意味での主体です。しかしそれは開かれていてすべての人が関与可能であると。
江渡──プログラムの部品化が進み、利用者は単に繋げるだけということはたくさん行なわれていて、MAXもその一例です。ところが本来のパターンは少し違うところにあって、意味があるものを作ろうとすると、込み入ったことを書く必要に迫られる。ひとりで書いていく場合も、どう書いたらいいのだろう、過去に書いた人はいないかな、こういうふうに書けばいいのかと理解しながら書いていく過程がある。複数人で開発する場合はなおさらこういうふうに書けばいいというときの「こういうふう」が、ノウハウとしてパッケージ化されたパターンとしてあるといいわけです。ところがこのレヴェルのパターンは比較的早く有用度が臨界に達してしまう。その程度の話だとやはりプログラミングは大変だねとなって、話の構造がなかなか変わっていかない。では「プログラミングは大変だ」というその本質はどこにあるんだろう、ということを見直したのがケント・ベックらによるXPなんです。このときにテストフ ァーストという重要な概念が出されました。簡単な関数であれば間違いようがないけれど、複雑化していくプログラムの確からしさを得るためにテストコードを書きます。そうすることでシステムの安定性は格段に上がるんですね。このようなXPこそがパタン・ランゲージの本当の姿であったという気がします。部品化やパッケージ化ではなく、テストファーストやペアプログラミングなど、プログラマーの認知負荷低減に与えた影響、要するにそれによってプログラミングがすごく楽に書けるようになったという感動が、パタン・ランゲージの応用解として取り上げられるべきなのではないかと思います。

Wikiの世界観

柄沢──なるほど。オープンかつモジュール化された社会が環境管理型アーキテクチャの理想であると言うレッシグはまた、そのシステムは誰かによって定義されないといけないとも指摘しています。定義主体はいったいどのような倫理、思想に基づいてそのような環境を実装するのでしょうか。
江渡──これも難しい質問です。Wikipediaの例をとった時に、すごくたくさんのコンテンツが入っているという事実だけをみてすばらしいと言われることがよくあるんですね。しかしそれは一面です。その裏では、たくさんの人が情報を追加しようとして衝突が頻出し、複数の異なった見解の調停が行なわれている。その利害衝突の解決手法をどのようにしているのかがWikipediaの本質だと思います。是非Wikipediaの「ノート」を見てください。先ほど「コミュニケーション・パターンの実践」と言いましたが、これこそがWikipediaの見るべき本質で、スレッドモードの議論がドキュメントモードに昇華される過程です。そこでは「2ちゃんねる」が穏やかに見えるほどの激しいやり取りがされています。
柄沢──「ノート」での激しい議論はどのように終息していくのでしょうか。第三の審級がジャッジするということではなくて、何らかのかたちで調停される瞬間があるのでしょうか。
江渡──原理的には何らかのメタな力が働かない限り混乱は絶対に収まらない。実は凍結され続けて早何年というページもあります。凍結を解除すればまた荒れるので、また凍結されるでしょう。言い換えればこの先も調停不可能だろうということです。しかしながら、Wikipediaはジミー・ウェールズという中心人物によって人為的に立ち上げられたサイトなので、そのことを考えればメタな力は可能性として存在しえるはずですが、あえて異なる立場の人たちの間でも中立的視点は共有されるという考えを基本にしてメタな力は極力介入されないようになっている。つまり、スレッドモードにおける意見の相違にもどこかしら合意点に達するポイントがあるだろうという原理ですね。議論が発生したら何度でも原則に立ち戻り、その原則に則っているかという観点で判断が行なわれ、合った記述が残される。できるだけ百科的な言明に達するような努力と理由付けがされているということです。しかしもちろん、計量的な判断、事実的な言明に還元されない対立が実社会では存在するわけですよね。例えば「従軍慰安婦」の問題もそうでしょう。そのような客観的な事実に達するとは考えられない対立が「ノート」で激しい議論として展開しています。ですからその意味では第三の審級は存在していません。
柄沢──誰でも書き換えられるような状況が仮に実現したとしても、環境管理型アーキテクチャを定義する主体が誰かということを考えた場合、書き換えた主体に対立する新たな主体が存在するわけですね。仮にレッシグが指摘しているようなモジュール化された状況を社会システムが構築したとしても、共有していく過程で必ずや対立があるであろう。今Wikipediaに現われているのはそういうことではないかと思います。
今号では「アルゴリズム的思考と建築」について考えており、アルゴリズムは環境管理型アーキテクチャに対抗するひとつの方法論ではないかという考えを持っていますが、書き換える主体の問題が必ず残りますよね。そこで、そもそも書き換えることが妥当なのか、さらに、書き換えたものが共有される過程で歴史的な闘争が再燃するであろうという興味深い示唆をお話いただきました。この主体の問題が解決された時に初めて本当の意味で環境管理型アーキテクチャであったり、今後の社会構造に対する問題の解決の糸口が見えるのだと感じました。
江渡──逆にどう解決されないのかがわかるという言い方もありますね。
柄沢──ええ。歴史そのものが闘争の結果ですから、政治的闘争を含まない歴史記述はありませんよね。ここでちょうど話が出そろった気がします。Wiki的都市の構想についてはどのようなお考えをお持ちですか。
江渡──難しいですよね。もしかしたらWiki的な建築や都市は構想可能なのかもしれませんが、実現したとしてもとても住みにくそうな感じさえします。不断の努力がなければ住みやすくならない都市や建築は、自分の立場を誰かが書き換えたら自分もすぐに書き換えることに慣れないと追い続けられないでしょうから。
今日の話で、Wikipediaの想起する世界観とWiki一般が想起する世界観は異なっているということをもう少し強調したほうよかったかなという気がするんですね。Wikipediaは百科事典を作る目的に則してWikiを使ったものなので、あれがWikiの典型なのかと言われるとやはり違う気がします。あくまでもあれは百科事典なんですね。一方、本物のWikiでしかないWikiがあります。先ほどお話したカニンガムが最初に立ち上げたWikiWikiWebというサイトはまさしくWikiなのです。繰り返しになりますが、プログラミングにおいてどのようにパターンを適用するかを体現していたからです。Wikipediaにおける記事の集積はいわば人間が今まで過ごしてきた歴史から得られる、有限解の保管庫なんです。一方、これからプログラミングを作る際のパターンを集積しているWikiサイトは無限解を相手にしています。無限大の領土を目の前にして領土合戦が起きないのと同様、議論が対立したとしてもある一定の歯止めがかかっていく。そう考えると、資源が有限大の領域におけるWikiの利用法と、無限大である場合のWikiの利用法では大きな違いがある。結果、Wiki的都市、建築はいかにも苦しそうだなという感想になります。
柄沢──「従軍慰安婦」をどのように捉えるかという話ともつながってきますね。ひとつしかない事件をどのように解釈するかという。
江渡──結果的にそうですね。
柄沢──共有可能性をどのように定義するかというところで必ず抗争が生じてしまうということですね。環境管理型アーキテクチャがオープン化されてモジュール化されたレッシグ的な理想の社会では、逆に歴史的な熾烈な闘争が繰り広げられる。つまり政治的な主体が召還されるということですね。今後の情報化された都市の姿を考察するうえで大変興味深い指摘をされていたと思います。今日はありがとうございました。
[二〇〇七年七月二五日、京橋INAXにて]

>江渡浩一郎(エト・コウイチロウ)

独立行政法人産業技術総合研究所研究員。

>柄沢祐輔(カラサワ・ユウスケ)

1976年生
柄沢祐輔建築設計事務所。建築家。

>『10+1』 No.48

特集=アルゴリズム的思考と建築

>クリストファー・アレグザンダー

1936年 -
都市計画家、建築家。環境構造センター主宰。

>セルフビルド

専門家に頼らず自らの手で住居や生活空間をつくること、あるいはその姿勢。Do It...

>山本理顕(ヤマモト・リケン)

1945年 -
横浜国立大学大学院教授/建築家。山本理顕設計工場 代表。

>難波和彦(ナンバ・カズヒコ)

1947年 -
建築家。東京大学名誉教授。(株)難波和彦・界工作舍主宰。

>アルゴリズム

コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...