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新たな秩序の現われとして | 藤本壮介+柄沢祐輔 聞き手
A New Order Breaking Out | Fujimoto Sosuke, Yuusuke Karasawa
掲載『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築, 2007年09月30日発行) pp.94-102

秩序らしきものの浮上

柄沢祐輔──アルゴリズムとは、建築の文脈でいうと、建築の構成に明示的なルールを与えて、そのルールを積み重ね、ランニングさせて建築を設計する立場のことです。なにかルールを発見したときに、それを広く提示し、同時に建築のコンセプトの中核の部分を忠実に表現して、それをそのまま走らせる、時系列をともなった連なりですね。
本日、最初にお伺いしたいことは、藤本さんの建築にはつねに構成のルールが明示されているのではないかということです。たとえば《伊達の援護寮》(二〇〇四)でしたらキューブが並んで、またずれながら並んでという一定のルールをもとに構築されていたり、《情緒障害児短期治療施設》(二〇〇六)では、キューブが一定の距離を置いてバラバラな角度で配置されていたり、《登別のグループホーム》(二〇〇六)のように梁が一定間隔ごとに上下するような建物を作られているとか、毎回ルールを明示しながら建築を作っていると思うのです。そのルールの用い方は、たとえば青木淳さんの方法とは対比的です。青木さんの場合はルールを先に設定して、そのルールを崩していく方法をとっていて、藤本さんの場合はそのルールを定義してからそのルールを明確に提示して走らせていると思うのですが、そのようにルールを明示することの意味は藤本さんにとってどのようなものなのでしょうか。
藤本壮介──僕のなかでは、確かに《情緒障害児施設》にしても、今やっている《Tokyo Apartment》にしてもそう言われてみれば、ルールを提示して建築を作っているとは言えるのですが、そう明言してしまうと、先にルールを決めてそれにしたがって建築を作っていくように聞こえますよね。でも実際にはそうでもなくて、むしろまったく逆なのではないかと思っています。ルールをドライヴするというよりは、設計を進めながらルールが明確になってくると言ったほうがしっくりきます。だから設計の最初のきっかけというのは、いつも本当に些細な思い付きだったりするのです。そうして、そのかすかな思いつき、こんな場所は楽しそうだな、というところから、段々とイメージが膨らんで、いろいろな形を与えてみる。そういう作業をやっているうちに、段々とそこに秩序らしきものが浮かび上がってくるわけです。だから僕の場合は、あるルールを決めて、それによってなにかを運用しているというのは違うような気がしますね。
建築というのはいろいろ条件があって、敷地やお施主さんの要望や予算や自分がたまたま思いついたイメージやら、そういうものがごちゃ混ぜになって、頭の中に放り込まれるわけですよね。そんなたくさんのものたちと格闘していくなかで、徐々に建築らしきものが立ち現われてきます。その時に、かすかな秩序化が起こるわけです。僕はその秩序化の仕方に興味があるんですよ。
形でもなく、ルールでもなく、世界に巻き起こっているいろいろな、雑多なものたちが、かすかに秩序立つ、その立ち方です。物事の成り立ちといってもよい。だからルールを決めるのは僕のなかでは、先にやるべき方法などではなく、秩序化していく状態を見守っていくなかで湧き上がってくるものです。それは今までの秩序化ではない方法を探りたいという思いからなんです。なにか、単に新しいだけではなくいろいろな状況をすくい上げるような、あるいは豊かな場所が生まれるような秩序化を求めている、という感じです。
柄沢──決定ルールのようなものを発見するためにさまざまなプロセスを経て、その決定ルールにたどりつき、それを明確に定義して、その後はそのルールに基づいたさまざまな構成が始まるということですね。
藤本──それもちょっと違って、「明確に定義した後に、そのルールに基づいて……始まる」というところが、違和感があるんですね(笑)。ある意味では、ルールは最後の最後にはじめて明確に見えてくるようなところがあって、ルールが見えたあとにそれをドライヴするという感覚とは正反対かも知れないです。最終的にルールが明確に見えているとしても、それはルールに基づいてつくったからではなくて、ルールを見出そうとして、最後の最後に見出されたからなのではないかと思います。

藤本壮介氏

藤本壮介氏

モダニズムにかわる思考の追求

柄沢──藤本さんは、アインシュタインの相対性理論やイリヤ・プリゴジンの散逸構造理論などの自然科学の理論に度々言及されており、そうした自然科学の理論に触発されて、新しい秩序化の方法や決定ルールを見出されていると拝見するのですが、藤本さんにとって、自然科学や物理学の理論とご自身の探求されている新しい秩序化の発見に至るプロセスの関係性についてはどうお考えでしょうか。
藤本──確かに自然科学系の話は好きです。アインシュタインの相対性理論のようなものをわかりやすく書いた本を、高校か大学のはじめの頃に読んで非常に面白いと思ったんです。物理学にしても世界の成り立ち、秩序化の方法を説明するものですよね。たとえばアインシュタインは、それまでニュートン力学で言われていたことに対してまったく違うアプローチをしたわけです。それによって、世界の見え方がまったく変わってしまったというところに当時は憧れていました。ものをつくるベースにそういう考えがあるというのは確かですね。建築をつくるにしても、自分の作りたいようにつくるわけではなく、それまでの世界観や空間観を覆す視点、まったく違う見え方のする秩序を見つけたいという思いがベースになっています。建築の場合は唯一の絶対な真理があるわけではないので、場合に応じていろいろな可能性を見出せるわけで、それが非常に楽しいです。
イリヤ・プリゴジンは、書物に具体的になにが書いてあったか覚えていないのですが(笑)、まだ一人で活動しているときに読んで非常に決定的だった気がします。当時は、綿々と続くモダニズムというものに対して違う価値観はないだろうかということを日々考えていたわけです。そのとき偶然その本を読んで、この秩序化の方法はモダニズムとはまったく正反対のアプローチだと感じたわけですが、明らかに世の中の残り半分を説明しているようなところがありますよね。そのときは細かい部分は理解できなかったと思うのですが、全体の雰囲気として理解しました。局所的な関係付けによって秩序が生まれてくるようなことへの関心は、そうした本による刺激がきっかけになっています。それが建築にどう反映されていくかは、ここ一〇年くらいの僕の大きな興味のひとつでした。
柄沢──具体的にはル・コルビュジエミース・ファン・デル・ローエが提示したように、最初に全体的な大きな秩序を与えることを近代の方法と捉えた場合、それとはまったく逆の方法がプリゴジンの理論から提示されるということでしょうか。
藤本──そうですね。まさにそういったことが本に書いてあったような気がしたんです。それでああ、これだと思って。それがル・コルビュジエのような、なにか大きな意味でのモダニズムの考えが土台にしているものとは違うと思い、当時自分のなかで非常に盛り上がったんです。要するに大きな区割りをつくって街を作ったり、大きな秩序によって物事を配置する方法が近代ですよね。それに対して、ものがごちゃごちゃ集まっている、でも、ただ完全にめちゃくちゃなわけでなく、ある秩序らしきものが存在しているイメージ、そういうイメージを建築にもっていきたかったのです。厳密な意味では建築のスケールと散逸理論のスケールは違うので難しいのかもしれませんが(笑)。
柄沢──その場合、ものが乱雑に並んでいる状態と無秩序とでは、藤本さんのなかでは違う状態なのでしょうか。
藤本──それは僕のなかで苦労しているところで、いまだに正確にわからないのです。《伊達の援護寮》を作ったときは、プラン上で各部屋ごとを角でつないだのですが、それは秩序を保つぎりぎりまで自分のなかで壊していったつもりでした[図1]。そこははずせなかったのです。ところが作ってみるとちょっと堅いんですね。それでその後に《情緒障害児施設》の話がきた時に、わりと素直にもっとランダムにぐちゃぐちゃにやってみました[図2]。それまでは、ランダムという言葉は好きではなくて、なんとなく状態や雰囲気を記述する言葉でしかないと思っていたのですが、そのときは逆に面白いなと思いました。
ランダムは普通は秩序がないことを意味しますが、ここではランダムという状態がひとつの方法というかぎりぎりの秩序のあり方のように思いました。いくらランダムにつくっても建築はものとしてそこに立ち上がってしまいますよね。乱暴な言い方なのですが、あるひとつの場所を作ってしまうと、矛盾するいくつもの状態が同居することができる。そう考えると建築においてはランダムという状態もひとつの成り立ちとしてはありうるのではないかと開き直りました。向きや場所をデザインしていくことと、どこまでデザインしてもデザインされえないランダムさとが同居しているんです。デザインされえない状態がつねに寄りそってくるようなそんな感じがして、途中から面白くなってきました。これはすごく不思議な魅力をもっている関係だなと思ったんです。
ただ、あれはあれで建築を壊したと思っていたのですが、フランク・O・ゲーリーの《レイ&マリア・スタータ・センター》(二〇〇四)を去年見に行ったら、もっとぐちゃぐちゃなんですね。自分が見たことのない場所なのですが、それでも同時にすごく懐かしく、根源的な場所に放り出されたような生物としての居心地の良さを入った瞬間に感じて非常に驚きました。その建物の構成が僕が設計した《情緒障害児施設》と似ていて、コアがいくつかあって、その間の空間が研究室やロビーになっていたりする空間です[図3]。ただゲーリーの場合、コアの間の空間の高さがものすごくて、おそらく五、六階建てくらいの吹き抜けで、コンピュータがおいてある研究室は一〇メートルくらいの高さになっているめちゃくちゃな空間なんです。しかしそれが気持ちのよい、そして感じたことのない秩序感を与えているんですね。自分は正方形の四角をばらまくということでぎりぎり堪え忍んでいたのが、ここまでぐちゃぐちゃになっていることに非常に驚いたのです。はたしてそれをさらにぐちゃぐちゃにすれば切り開けるのかどうか、まだ自分のなかではよくわからない状態です。ただ、あのような状態であっても、現代においてはある種の秩序と呼んでいいのではないかという感覚があったのは非常に驚きました。

1──《伊達の援護寮》ダイアグラム 提供=藤本壮介建築設計事務所

1──《伊達の援護寮》ダイアグラム
提供=藤本壮介建築設計事務所

2──《情緒障害児短 期治療施設》ダイアグラム 提供=藤本壮介建築設計事務所

2──《情緒障害児短
期治療施設》ダイアグラム
提供=藤本壮介建築設計事務所

3──《レイ&マリア・スタータ・センター》 提供=藤本壮介建築設計事務所

3──《レイ&マリア・スタータ・センター》
提供=藤本壮介建築設計事務所


複雑なプログラムをどう秩序化するか

柄沢──「武蔵野美術大学美術資料図書館」に関して『新建築』二〇〇七年五月号の紹介では、複雑なプログラムをどう秩序化するかということがコンセプトだというお話をされています。大規模なプロジェクトになって、複雑なプログラムを新しく秩序化するような、いわば構成のルールを超えて、プログラムというような抽象的な実体を扱わなくてはならなくなったと思うのですが、それを新しく秩序化するためにどのようなことをされているかをお聞きしたいと思います。はじめに、「武蔵野美術大学美術資料図書館」のコンセプトはどのようなものなのでしょうか。
藤本──「本の林」ですね。武蔵野だから雑木林だろうと(笑)。それが最初のコンセプトです。本の世界の中に身体的に分け入っていく。複雑で圧倒的な存在としての図書館を作りたいと思っています。ボルヘスの図書館ですね(笑)。
柄沢──プランを見て驚いたのが、書架のプロポーションが通常とまったく違う、木のように上空へそそり立っていくようなイメージだったことです。実際にはそのイメージは実現されないそうですが、あのコンセプトは、武蔵野美術大学の図書館を統合するひとつの原イメージとしてあるのでしょうか。
藤本──これがそのドローイングですが、正直言ってまだまったくわかりません[図4]。コンペのときに出していた案をまじめに建築に立ち上げようとするとこういう感じですね。ただ模型にしてみると、建築になっていくようでいやだなと思うんですよね。これだとちょっと建ちそうな感じがしますよね(笑)。のぞいてみると楽しそうな空間なのですが、逆にそれが物足りない気もする。自分にとって、理解の範囲内にある気がして、ちょっといやなのです。
僕のなかでは、図書館は建築だけれども建築でないとも言えます。さきほどのボルヘスが描いたように、建築とは違う意味での図書館というものも存在しているような気がするんですね。つまり図書館というものは、建築的にどうこうということではなくて、建築とは別に世界の成り立ちそのもののような奇妙なところがある気がしているのです。建築として新しいものを提示したいという気持ちはもちろんありますが、まさにこれぞ図書館だというものを作りたいという気持ちもあります。レム・コールハースがつくった《シアトル公立図書館》(二〇〇四)をはじめとして、世界にはいろいろな図書館がありますが、二 一世紀に図書館をひとつだけ残せと言われたときに僕のなかではボルヘスの図書館と同じレヴェルに並べられる図書館をつくりたいと勝手に思っているのです(笑)。それは建築として面白いとか近代建築の歴史があるうえでこれは面白いとかそういうことではまったくなくて、人間の営みとしてこんなものが世の中に存在したのかというものを作りたいんです。もちろん願わくばそれが現代の建築の可能性を切り開くものであってほしいなと思っているのですが、どうもいろいろやっていくと建築のところにこぢんまり収まってしまいがちです。図書館には建築を超えたなにかがあると思っているので、それでは嫌なんです。

4──「武蔵野美術大学美術資料図書館」イメージドローイング 提供=藤本壮介建築設計事務所

4──「武蔵野美術大学美術資料図書館」イメージドローイング
提供=藤本壮介建築設計事務所

言葉のスピード感

柄沢──以前、言葉を使ってスタディをすることが多いとおっしゃっていましたが、それは建築の方法論としては聞き慣れない方法だと思います。具体的にどのような方法を用いているのでしょうか。
藤本──僕自身は、形を書いたり模型を作ったりということを最近やらなくなってきています。スタッフのみんながいろいろ勝手に作っているのを見ながらうろうろするという雰囲気です。自分で手を動かすのも好きなのですが、そうするとどうしても、自分の範疇から抜け出せない気がする。だからほかの人が作業しているところを見て歩きながら、そこに言葉で介入していくんです。自分にそういうこと、つまりそういう方法で設計ができるとは思ってはいなかったのですが、僕自身は形そのものに興味があるというよりは、成り立ちや秩序化のされ方に興味があるんですね。だから稚拙な模型でもそこに物事が生まれる片鱗が見えるとこれは面白そうだなと思うわけです。不思議な形に出会うと、自分としてはそれを言葉で説明したいと思っていて、仮説を無理矢理押しつけて、そうだとしたらどうなのかという考え方をすることが多いですね。
だから言葉といっても理論立ててやっているというよりは、重要なのは、思いつきとそれを連想してどれだけ関係ないところまで言葉で飛躍できるか。言葉は連想さえついてくればまったく関係ないところに飛躍することができますよね。そのスピード感は模型をつくるのとは違うと思うのです。対極だから両方が動いていると面白くて、模型がかっこよくても自分でそれに言葉を与えられないとすごく気持ちが悪い。たとえかっこいい見たことないものができても、それを理論的に説明できる必要はなくて、なんと言ったら面白いか、新しい可能性が見えてきそうかということを考えるのが非常に好きですね。言葉で縛り付けるのではなく、言葉の力によって飛躍するというのでしょうか。
柄沢──それは具体的にどのようなヴォキャブラリーで形容されるのでしょうか。
藤本──プロジェクトによりますが、だいたいくだらない雑談から生まれます。さきほどの「武蔵野美術大学の図書館」は武蔵野だから雑木林だなとか。それは一見くだらないキャッチコピーなんですが、僕らのなかでは、可能性が無限に広がっているなかで、ぼんやりしているのだけど非常に明確なエリアが照らし出されるような雰囲気がありました。「安中環境アートフォーラム」の時には「離れていると同時に繋がっている」という言葉でした。あの案は、はじめは三六〇度からアクセスできるということからああいった形になったのですが[図5]、ある段階で、離れているということの面白さがあるのではないか、というアイディアが出てきたんです。インターネットの時代に、あえて離れている、というのは、ふざけているようで面白い。そうすると、離れているのだけれども繋がっているという、そういう矛盾したことが建築の実空間では案外可能なのではないか、という感じがしてくる。そしていろいろな離れ具合、つながり具合が、たった一本の線で描かれたこの空間の中で、じつに豊かに行なわれているのではないか、というところに至って、そのときに自分のなかでなにかが広がったような気がしました。形が出てきたときにはわからなかったものが、そのあとしばらくして、言葉と形がお互いを刺激しあったときに、その価値が現われてきたという感じですね。
柄沢──たとえば《Tokyo Apartment》のプロジェクトは、構成の方法がまったく新しいと思うのですが、あれも言葉によってひとつのブレイクスルーが起こったのか、それとも、構成上の発見があったのでしょうか。
藤本──そうはいってもだいたいはいい加減なスタートしかしていないんです(笑)。ある時、スタッフが家の上に家がのっているようなスタディ模型をつくっていて、こんなくだらない模型は見たことがないと言ってはじめは笑っていました[図6]。それでもずっと気になっていていろいろな説明を試みているのですが、今でも言語化できず、どう説明すればいいのかよくわからない状態が続いています。東京で集合住宅をつくるのははじめてですから、これぞ東京であるというものにしたいなと思っていて、そういう意味でいいなと思ったのかもしれません。東京らしいというよりは東京そのもの、だけど東京にはありえないという存在として気に入ったんですね。それからたぶん、その説明しきれないというところが、この案を進めてみようと思った理由だと思いますね。なんというか、めちゃくちゃであるということと、秩序だっているということが、それぞれ同居して成り立っている。そんなところが気に入っているのです。後は具体的に自分で体験したいんですよね、この場所を。
柄沢──やはり藤本さんのなかではまったく無秩序ではなく、なんらかの秩序が見い出される状態というのを目標にして、徹底的な無秩序のように見えながらも、最終的に秩序が浮かび上がるというものを目指されているのでしょうか。
藤本──そうですね。僕はやはり建築をつくることは、最低限ある種の秩序を立ち表わせるものなのではないかと思うのです。秩序は枠にはめるイメージがあるけど、秩序ができることで自由になったりしますよね。建築とは不思議なもので逆に拘束されることで自由が生まれることもある気がします。最近の住宅のプロジェクト《house O》があるのですが、海際の敷地なのでなにも建てないほうが気ままに動けるような場所です。だからなにを建ててもある制限された窮屈さが出てくる気がして心配していたのですが、逆にできてくると敷地に今までこんなにいろんな海があったのかというくらいいろいろな表情の海が出てきて、それを意識もせずにぶらぶらできる家になってきて驚きました。ある緩い秩序や無秩序、無関係なものたちがかすかに秩序立つ瞬間みたいにしたいと思っていたのですが、そうするとより自由が増えるという気がしてすごく面白かったです。かすかな秩序が立ち上がるその瞬間を捉えたいんですね。
柄沢──新しい秩序がもたらす効果とは、人の身体感覚へ新しいものを与えるということなのでしょうか。それとも新しいアクティヴィティを誘発するということなのでしょうか。
藤本──両方あるとうれしいですよね。ゲーリーの建物に入ったときに、それは今まで感じたことのない居心地のよさだと感じました。おそらくあそこで生活する人はそれ以上のアクティヴィティに対する感覚を見出しているはずです。
建築にはもともと、バーナード・ルドフスキーの「建築家なしの建築」のような、なぜかはわからないけれどそうなっている建築や街というものがあって、それは良いなあという感覚がしますよね。そういう質を建築家がつくることができそうだと思っています。現代においてそうした質をつくるには単に古い集落を真似するのとはまったく違うプロセスになるはずで、新しくも同時に根源的になるという感覚がありますね。
僕は「巣と洞窟」という話をよくするのですが、いわゆる居心地の良い場所が必要ならば、巣として機能的な空間の質をつくることはできると思います。逆に洞窟というのはもともとそこにあるものだから、居心地がいいかどうかはわからないのですが、人がそこに働きかけることで、場の質が生まれてくるわけです。そうした自然にできている場所の良さというものがあって、そういう質を建築という人工物でも持てるのではないかと思うのです。ただそのときにどうすれば実現可能かは、まだ試行錯誤の途中です。徹底的にデザインすることでデザインを超えられるのかどうか。人間がものをつくるという時に必然的にまとわりついてくるいろいろな作為などのその先へ行きたいという思いがあるのです。

5──「安中環境アートフォーラム」コンペ案 提供=藤本壮介建築設計事務所

5──「安中環境アートフォーラム」コンペ案
提供=藤本壮介建築設計事務所

6──《Tokyo Apartment》模型 提供=藤本壮介建築設計事務所

6──《Tokyo Apartment》模型
提供=藤本壮介建築設計事務所

新しい幾何学

柄沢──五十嵐太郎さんがキュレーションされた「ニュージオメトリーの建築」展(KPOキリンプラザ大阪、二〇〇六)や、伊東豊雄さんや妹島和世さんとの対談のなかで、たびたび新しい幾何学について言及されていらっしゃいますように、最近、建築設計において新しい幾何学を求めようという動きがあると思うのですが、藤本さんのなかで新しい幾何学はどういうものなのでしょうか。
たとえば藤本さんが、『新建築』二〇〇五年八月号に「新しい座標系──弱さということ」という論文のなかで書かれた「五線のない楽譜」は[図7]、グリッドがなくなった状態で音譜だけが自立して、そのなかから新しいグリッド/幾何学を見出していくような思考なのではないかと思い、いわば「不可視の幾何学」を求めているような気がしたんですが。
藤本──あの絵は僕も気にいってるんだけど、あの絵の責任を取るつもりはないですね(笑)。あれは、僕の今までの建築全部と比べてもなかなかいい線いっていますよね(笑)。これからもあれを超えられるかといわれると正直わかりませんけど。楽譜の絵はどんな幾何学を表わしているんでしょうね。逆に分析して欲しいです。
柄沢──「不可視の幾何学」という表現は、一九世紀半ばの非ユークリッド幾何学の発見に着想を得ています。その時代に、デカルト座標ともユークリッド空間とも違うような座標系が存在していることがわかったわけですが、幾何学体系の多様さとその無限の記述可能性が提示されたにもかかわらず、結局、実際にはそれらは通常の方法論では記述できないことが明らかになりました。そういった意味で、さきほどの「不可視の幾何学」という言葉を使わせていただいたのですが、藤本さんの五線のない楽譜は、いわば譜線=デカルト的グリッドとして存在しているものがまったくないけれど多様な幾何学の潜在的な存在を暗示しているのではないかと思ったのです。
藤本──たしかに「新しい座標系」を書いたときにも、なにか次の新しい座標系を提示しうるものがあるのではないかという感覚だった気がします。でもそれだけを求めているかというとそうではなくて、いろいろと試しているなかで座標系を作り出しているのだと思います。
柄沢──ものをつくっている過程のなかで幾何学的な構成のような、まだ言語化されていない、一般的に人が共有していないなにかをその都度発展させていくような立場で藤本さんは創作を行なわれていることでしょうか。
藤本──幾何学というとどうしても建物の形という話になりますが、僕がより興味があるのはもの自体の幾何学というよりは、そこに出てくる場の感じですね。場の幾何学、場の関係の仕方といいますか。だから形として記述できる幾何学を求めているわけではないかもしれません。むしろ幾何学というよりは座標系とか秩序といったほうがしっかりくるのかもしれません。あるいは、時代精神、とか、エピステーメーとか、そういうふうに、風呂敷を広げてみてもいいでしょう。ただ、そういう座標系なり秩序なりというものが、あるとき、あるひとつの形を取りうるというふうに、僕は信じているんですよ。曖昧な秩序が、かすかな秩序が、それでも明確な、ひとつの形を持つことができるに違いないと思っています。そしてその形が、つまり建築なのです。

7──「五線のない楽譜」 提供=藤本壮介建築設計事務所

7──「五線のない楽譜」
提供=藤本壮介建築設計事務所

銀閣寺の秩序

柄沢──場の幾何学とは、空間自体の構成要素がある一定の仕方で関係づけられているということでしょうか。つまり幾何学といった場合は二次元的なイメージを持つわけですが、もっと細分化されたときの要素自体が関係を持つことで、まったく新しい関係性が現われるということが藤本さんの幾何学でしょうか。そのあたりは、銀閣寺に受けた衝撃とも関係しているのでしょうか。
藤本──さきほどのゲーリーの《レイ&マリア・スタータ・センター》を見た一カ月くらい後のことですが、銀閣寺を見る機会がありました。そのとき、奥の方の橋を越えたそこから向こう側のエリアが印象的でした。手前の白い造形は近代の感覚で理解できるのですが、奥のほうに行くとまったく得体の知れない領域に踏み込んだような感じがして、最初はぐちゃぐちゃにしか見えなかったのですが、歩き始めるとあちらこちらのものがすごく透明な関係をもっているような感覚がしたんです。無関係なものがどんどんぐちゃぐちゃに集まっていますよね。それらの奇妙な同居性や関係性に圧倒されたんです。これを作った人たちはなにを考えていたのか、どういう世界観を持っていたのか不思議でした。ゲーリーの建物と非常に共通するような感覚を受けて、ゲーリーのものもあまり自分のなかで解き明かせていないうちに、さらに日本の庭がきて大変だと思いました。
柄沢──それはほかの日本庭園には感じられないものだったのでしょうか。
藤本──銀閣寺に行く前にまず大徳寺の高桐院へ行きました。振り向く瞬間すべてに完璧な情景が展開している恐ろしい庭だなと驚きました。まず門の前まで行ったら門の向こう側の竹が異次元の世界ですよね。おそるおそる門をくぐると、右手に、奥に続く細い道があって、またさらに次元の異なる世界が広がる。非常に現代的というか、もちろん使われているものは植物なのでいわゆる幾何学的な明確さとは違うのですが、非常に明確なつくりに見えました。それを見たあとだったので、銀閣寺のいい加減さにまず驚いた、同時にまったく異質なので、もしかしたら高桐院以上に恐るべき作りのように思えてきたのです。
一概には言えないのですが、たとえばミースのグリッドであれば、均質空間ですからどこにいてもミースのグリッドですよね。ところが、たとえば慈照寺にしてもその場所にはその場所からの庭の全体像があって、けっして場所の情景が違うというわけではないのですが、少し行くとまた全体のつくりが変わってしまっているような気がしました。一歩ごとに、世界が再編されているようで非常に驚きましたね。あんな体験は初めてです。
柄沢──時間軸上の固定された秩序があるのではなくて、移動していく過程で秩序がその都度立ち上がっていって、移動にともなって毎回新しいデカルト・グリッドのようなものが自分の位置を起点にして更新されては消えていくという新しい幾何学、もしくは座標系の考え方ですね。
藤本──自分の歩いたことによって世界が変わってしまったら驚きますよね。銀閣寺に行ったときはその連続で疲れてしまいました。テンションがあがっていたのかもしれませんけどね。
柄沢──私が銀閣寺に行ったときには、裏と表の感覚が徹底的に攪乱され、衝撃を受けました。門を入った瞬間に、普通は領域で囲われた庭が展開するかと思いきや、そこに展開する庭は次に広がるもっと大きな庭の一部の分節されたエリアで、そこを抜けるともっと大きな領域が広がっていました。さらに、大きな庭園の横に本堂の方丈と東求堂がありますが、本堂がただ純粋に建物として存在しているかと思いきや、その本堂の裏にはさらに庭が展開しているように、単に裏がないということではなくつねに裏が無限に存在してしまうような感覚があって、領域の定義のされ方が通常とはまったく違うのではないかと感じました。それと同時に、普通、池泉回遊式庭園として定義されているものは、まず先にデカルト座標的に社殿や仏殿が配置され、その残余の領域に回遊経路が設定されますが、銀閣寺の場合はまったく逆で、池泉回遊式庭園の動線が定義されたあげくに東求堂や方丈や観音殿の建物が回遊式庭園のぐにゃっとしたカーブに沿って配置されているので、構成ルールが通常の庭とはまったく逆転しているような感じを受けました。また、池泉回遊式庭園の路地の構成が縦横無尽にまたその内部でも分割されている状態が、位相空間論の始祖のライプニッツがモナドロジーの概念で定義した、ある点のそのなかに差異が定義されるような状態のようでもありました。銀閣寺は、内部に差異を持っている多様な点の、その内部の差異が引き出されて展開して庭として実現してしまっているというような感覚があって、そこが位相空間に近い感覚を受けたのです。
藤本──表現は違うと思うのですが、僕の感じた印象と重なっている部分はありそうですね。
経路とものの配置というさきほどのお話が、ものがあって経路ができるか/経路があってものが置かれるか、という二つの状態を示しているのだとすれば、おそらく表と裏の攪乱という感覚は、どちらが先にできたかよくわからないという新たな三つ目の状態であるのだと思います。常にプライオリティが反転しているような表と裏の話はそういうことだと思います。シンプルな座標系だと思っていたものが、その座標系の上に置かれたものに、逆に座標系の軸足が入れ替わっている、そういう入れ替わりというか、反転がつねに起こっているというか、そういう感じでしょうね。不思議な総合体といいますか、どうやって作られたのかがわかりません。でも実際にあるから作られたことは確かですしね(笑)。銀閣寺の秩序はけっしてある一点から全体を俯瞰したときのレイアウトではなくて、もう少し時系列をともなっていたり、実際に動いてということではなくても、ある連なりとして記述されるわけですよね。
いまわかったような気がしたのですが、それが本当の意味でのアルゴリズムなんですね。つまり、アルゴリズムというのは、ある秩序のことなのではないでしょうか。アルゴリズムというと、プロセス、方法、ルール、そういうイメージがあります。でもそういう意味でのアルゴリズムには、ぼくはちょっと胡散臭い気がしているんです。そうではなくて、たとえばアルゴリズムを走らせるとき、そのアルゴリズム自体に意味があるわけでもない、できた物に意味があるわけでもない、ただ、その時間をともなったものの連なりそれ自体が、ある秩序であるといっていいのかもしれない。
柄沢──時系列を内包した秩序の新しいあり方ですね。
藤本──そうですね。アルゴリズムということを言うときに、それを手段としてなにかを作り上げるという感じに、どうも違和感があるのです。そうではなくて、アルゴリズムという概念自体が、ある秩序の新しい現われ方なんですね。アルゴリズム自体がひとつの秩序といわれると、確かに自分のやっていることと親和性がある感じがしましたね。そのときには、できてくるものの形には、明確な秩序感がないかもしれない。でもそれは、確かに秩序だし、秩序だっているといえるんですね。
[二〇〇七年七月二五日、藤本壮介建築設計事務所にて]

>藤本壮介(フジモト・ソウスケ)

1971年生
京都大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師。建築家。

>柄沢祐輔(カラサワ・ユウスケ)

1976年生
柄沢祐輔建築設計事務所。建築家。

>『10+1』 No.48

特集=アルゴリズム的思考と建築

>アルゴリズム

コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...

>青木淳(アオキ・ジュン)

1956年 -
建築家。青木淳建築計画事務所主宰。

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>ミース・ファン・デル・ローエ

1886年 - 1969年
建築家。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年 -
建築史。東北大学大学院工学研究科教授。

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。