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コレオグラフィとしての都市・東京 | 木村覚
Tokyo: City as Choreography | Satoru Kimura
掲載『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) pp.93-101

待て スーパーラット
僕達は敵ではないChim↑Pomだ!
全てが言い訳がましく響く夜の日本のセンターで
僕達は作品を作るべく
夢とねずみを追いかけた
(Chim↑Pom『スーパー☆ラット』展の宣言文より)


踊るリアルなピカチュウ

Chim↑Pom(チンポム)★一制作によるそれを目にしたのは、今年三月にアサヒ・アートスクエアで開催された「吾妻橋ダンスクロッシング」の会場、というより会場裏の小さな一角、トイレ脇の奥まった特設のスペースだった。世界中で人気のキャラクターを模倣すべく、剥製のネズミを黄色く塗り、軽快な振りを指のポーズに至るまで丁寧に施し、細く長いシッポにまで几帳面にカミナリ状のギザギザを与えたそれは、かわいくとも気持ち悪い、奇っ怪な代物だった。
グロテスクだがきわめてコンセプチュアルな作品が、例えば、もし理知的な風貌の中年美術作家の手によるものだったら、反応はかなり違っていただろう。リアルなピカチュウの展示の隣では、渋谷のセンター街でゴミ袋の山に隠れているネズミを捕獲する華奢ないかにも渋谷の街にいそうな若い男女が小さな液晶の画面に映されていたのだけれど、彼らの、都市の野生にひやひやしキャーキャーいいながら格闘する姿はやけに魅力的でまた腑に落ちた[図1]。渋谷の若者が渋谷育ちのネズミをくだけた腰で追いかける──渋谷という街から生まれた二つの厄介者が互いに戯れている姿には、異様だが不思議と説得力、いいかえれば作品としての整合性があった。
しかも困ったことに、彼らの捕獲を試みているときの痙攣的な身振りに、筆者はある種のダンス的な魅力さえ感じてしまったのだった。申し遅れたが、この会場では、オーガナイザー・桜井圭介のセレクトした一〇組ほどの日本のいわゆるコンテンポラリー・ダンスのグループによる公演が、これから始まろうとしていた。康本雅子、Nibroll(ニブロール)、ほうほう堂×チェルフィッチュ、身体表現サークル、ボクデス……今世紀になって日本に登場した、個性的で方法的な意識の高い作家たちによるダンス(とパフォーマンス)が次々と舞台の上で展開していった。その最中、心はあの踊る剥製ネズミに奪われてしまっていた。舞台が悪かったと言いたいわけではない。むしろ逆だ。だから、踊るネズミを見たことがある強力なスパイスとなって舞台上のダンスを一層リアリティあるものにした、といったほうがより正確だろう。
スパイスとは、踊る私たちの身体が一体どこに生きておりどういった地面の上で働いているのか、いいかえれば、身体とそれを包む空間とのきわめて具体的で擦過する瞬間の熱さえ帯びた関係に繋がるなにか、を指している。日本のコンテンポラリー・ダンスの作家がおおかたそうであるように、舞台上のダンスは、既存の西洋ダンス・ヒストリーの文脈をある程度踏まえつつもさらにそこから自由に、「ダンス」や「身体」や「社会」というものに対して個別的、関心を基点に、各自のダンスをストラクチャー化していた。そうした姿勢と対比するならば、Chim↑Pomの場合、渋谷という都市そのものが彼らとネズミとの追いかけっこのゲームを引き出すストラクチャーとなっていたのだった。
このリアルなピカチュウと捕獲ビデオで構成された作品(「スーパー☆ラット」)をダンス作品などというつもりは毛頭ない。二〇〇五年に活動を始めたばかりの彼らが、まだ表現者として未知数の面があることも事実である。ただし、彼らの悪戯めいた行動が、日本における他のどんなパフォーマンスに勝るとも劣らず、都市(あるいは人工空間)とダンスする人間の身体との関係、あるいはコレオグラフィ(振付)としてみた場合の都市・東京と現在そこを行き来する人間との関係を明示してくれることもまた、疑いえない事実である。しかもそのとき、ダンスに潜在的に含まれているゲーム性が引き出されていることも興味深い事実である。
そこで本論は、いくつかの前提を読み手に共有してもらうために、やや長い迂回路を通る。すなわち、まず西洋のダンス・ヒストリーに入り込み、そこにあらわれる人工空間とダンスとの関係をいくつか明らかにし、さらにダンスのもつゲーム性を確認したうえで、都市・東京とシアター系ダンスとの今日的関係に踏み込み、その後であらためてChim↑Pomの作品に戻ることにしたい。

1──Chim↑Pom「スーパー☆ラット」 DVD、2006 提供=無人島プロダクション

1──Chim↑Pom「スーパー☆ラット」
DVD、2006
提供=無人島プロダクション


人工空間(庭園)とダンス──一七世紀フランスと一八世紀イギリス

さて、人工空間とダンスとの関係に着目しようとしている本論の観点からすると、近代ヨーロッパにおいて、人工空間を作る技術(庭園術)とダンスを作る技術はしばしば同列で扱われていたのは興味深い事実である。この繋がりは、一般的なダンス観からすれば、意外なことであろう。例えば「私の表現は自由の表現にほかならなかった」と高らかに謳うモダンダンスの祖、イサドラ・ダンカンのごときダンサーの思考に照らすならば、自由の表現であるはずのダンスが、自然を矯正し人為によって加工する造園術に基づく庭園と共通点があるとは皆目見当のつかないことだろうからである。
とはいえ、こうしたダンス史上の両者の並行関係は、今日の研究者のなかではよく知られた事実である。今日のバレエの基礎が築かれた一七世紀のフランスにまで遡るべき事柄である。
ルイ一四世によって一六六一年に王立舞踊アカデミー(一六六九年には王立音楽アカデミーへと発展)が設立し、そこでダンスは高い専門性と洗練した技術を獲得することになる。一六六六年にバレエの総監督に就任したピエール・ボーシャンは両足の位置に基づく五つのポジションを定め、また豊富なパ(ステップ)を収集整理などした。バレエの言語の原型がここに誕生したわけである。そして、一七〇〇年、舞踊教師フイエの手によって『コレオグラフィー、または記号、画、指示符号による舞踊記述法』という著書が出版される。そこに収められた舞踊譜[図2]を見ると、最上部に楽譜があるほか舞踊譜というものの大部分には、舞台空間上を進んでいくダンサーの動線が、ターンや姿勢の上げ下げやジャンプの指示とともに記されていることが分かる。複雑で装飾的なシンメトリーの広がる路程に細部にわたりステップなどの指示が逐一与えられて、ダンサーの技巧的な身体は、そのコースを過たず、しかも自然でさりげない優美さを十分に湛えながら進んでいかなければならなかった。
フイエの舞踊譜が明確に伝えてくれるのは、当時のバレエが特徴的にもっていた空間上の幾何学的構成という側面である。ダンス研究者サラ・R・コーヘンが推測するところによれば、こうした特徴は王室の庭園における花壇のデザインにも敷衍されている[図3]。比べると、両者はなるほど似ている。単に似ているばかりか、両者には明確な相関関係があった。そのひとつに、庭園に描かれるパターンを記述するのに用いられた「フィギュア」という語は、ダンサーが床に描くコースを指す専門用語でもあった。
要するに、当時ダンスも庭園も、ある一定の装飾的なコースを設定してそれが引き出す目の運動を見る者に享受させるものだったのである。この点について一層理解を深めようとするなら、一八世紀のイギリスの画家ウィリアム・ホガースが『美の分析』(一八五三)なかで詳論した優美の線、つまり「蛇状曲線」のことを思い返すべきだろう。ホガースは、徹底した非観念的な思考を通して、目に追跡という労働を引き起こさせるものこそ悦ばしい快を与える対象であると考え、そこに美や優美の源泉を定めた。とくに複雑なものは、目を誘惑し、それを追いかけようと努力を促す。そうした視点からホガースは、蛇状の曲線の内に、目を悦ばす複雑さが最も含まれている理想的な線を見るのである。ホガースはこれを基本的に絵画論として論じている。ただし、彼の興味はしばしば人間の身体運動そのものへと向かい、その際、例に挙がるのは、フイエの舞踊譜のように、あるいは一層複雑に、空間にフィギュアを描く次のようなダンスの光景なのである。「カントリーダンスやフィギュアダンスで、多くの人々が一緒になって形作る諸々の線は、目に悦ばしい戯れを生み出す。特にその全体の姿が劇場のベランダからのように一望のもとに眺められるとき、この種の──詩人たちがそう呼んだ──神秘的なダンスの美は、複雑さなどの原理によって支配されている線、主として蛇状曲線の構成された多様性の内にある動きにかかっている」★二。
さて、ホガース研究の日本における第一人者・高山宏は、蛇状曲線への愛好がイギリスの造園術にも波及していた事実を紹介してくれている。「たとえばウィリアム・シェンストーンのリーソーズ・パーク(一七四三年頃から)といったピクチュアレスク庭園に固有の、くねくねと蛇行する経路や水路が、まさにこの『変化』と、それを『追う』『見る者の目』の快楽に媚びる仕掛けであったのと、事態はまったくおなじことであった。そもそも『サーペンタイン(蛇状)』という語自体、一七一五年この方、ピクチュアレスク造園術のタームとしてずいぶんの普及をみていたものなのである。径もくねれば、そこによくつくられた人工湖も蛇のようにくねった」★三。
ダンスを見ることと庭園を見ることには、ともに目に悦びを与えるという一点において類似性がみとめられていた。さらに、ダンスを踊ることと庭園を遊歩することもまた、どちらも指定された蛇行するコースを辿っていくという点で似ている。ところで、こうした類似性を可能にしているのは、ダンス空間でも加工を待つ空間でもなく机上の一枚の紙であったようだ。再びフランスのフリエの記譜法の時代に戻ってみる。先にも触れたコーヘンが興味深い示唆をしている。フリエの記譜法は、グロテスクとかアラベスクと呼ばれる、部屋の壁などに用いられた装飾的なデザインを集めた版画に影響を受けていたというのである。当時、庭と部屋の壁と身体、このどれもがある装飾的デザインを通して一様に構造化されていた、その事実がにわかに浮き上がってくる。
それは、紙面上に描かれた構造によって、運動する身体(脚、腕、腰など)とともに運動する目も同様にあるひとつの方向へと自己訓練するよう促されていたことを示唆する。それは、一七世紀フランス宮廷的社会の特殊なベクトルとともに理解するべき事柄であろう。踊る身体も庭園などの人工的空間も装飾的デザインも「一七世紀のフランス宮廷内やその周辺において協力的に発展しながら、豊かで相互訓育的な交換のなかで互いに競い合っていた」★四のである。そして、それらはすべて、王という中心へと向かっていた。王という権威の具現化、しかも宇宙の運行の可視化を通して宇宙規模にまで広がる王の力の具現化を企てるプロジェクトとしてあったわけである。それは、その究極において、太陽として踊る王・ルイ一四世の姿として顕現した。「宮廷バレエの原動力とヴェルサイユ宮殿の構造的な環境の親密な関係は、王に焦点の向けられたショーの合作的過程を完結させた。つまり、パフォーマンスと視覚芸術は、王室に相応しい身体のスペクタクルを実現するために結び合わされた」★五。一七世紀フランスの宮廷的社会では、(庭園を)歩くこと、踊ること、また両者に向けて目を運動させることは、すべて、相互に連関しつつ、王を顕揚するという最終的な目的のために自己へ訓育を施すという共通の目的をもっていたのである。

2──フイエの舞踊譜 引用出典=Sarah R. Cohen, Art, Dance and the Body in French Culture of the Ancien Régime, Cambridge University Press, 2000.

2──フイエの舞踊譜
引用出典=Sarah R. Cohen, Art, Dance and the Body in French Culture of the Ancien Régime, Cambridge University Press, 2000.

2──フイエの舞踊譜 引用出典=Sarah R. Cohen, Art, Dance and the Body in French Culture of the Ancien Régime, Cambridge University Press, 2000.

2──フイエの舞踊譜
引用出典=Sarah R. Cohen, Art, Dance and the Body in French Culture of the Ancien Régime, Cambridge University Press, 2000.

3──王室の庭園における花壇のデザイン 引用出典=Sarah R. Cohen, Art, Dance and the Body in French Culture of the Ancien Régime, Cambridge University Press, 2000.

3──王室の庭園における花壇のデザイン
引用出典=Sarah R. Cohen, Art, Dance and the Body in French Culture of the Ancien Régime, Cambridge University Press, 2000.

ダンスのストラクチャー性とゲーム性

今日へ繋がるバレエの黎明期にあったのは、庭園の遊歩道のように、指定されたコースを進みながらさらに指定されたステップやジャンプ、ターンを次々とクリアするダンスだった。ならば、ダンスには、そうしたあらかじめ描かれた極めて厳密なストラクチャーに向けて応答するゲームという側面がであったといえないだろうか。
ダンスはゲームである。この点で、筆者がフイエの舞踊譜を見るたびに思い出してしまうのは、「ダンスダンスレボリューション」(DDR)[図4]のことである。画面が下から上へスクロールする点に違いはあるとしても、次々と流れて行く矢印を見ながら、矢印に対応した床のパッドをそれぞれ踏んでいくそのルールは、フイエの舞踊譜が踊る者に課すルールとそう大きな差はないように感じる。
DDRの矢印と比肩できるものとしてダンスのストラクチャーを捉えるならば、先に触れた、自由の表現を自らの表現としたダンカンとて例外ではない。裸足でまたギリシア風の薄衣で踊るダンカンのダンス・スタイルは、バレエの技法や慣習を無視しており、その点で、彼女のダンスは自由を表現している、といえるかも知れない。とはいえ、束縛が何らないかに見える軽快な動きも、ショパンなどの古典的な音楽をバックに、音符の一つひとつに対してかなりの程度忠実に身体の各部位が反応することで生まれているのである。ダンカン流のダンスにとってメロディは、バレエというシステムから自由になった身体がそれでもダンスを成立させるために要請されたひとつのストラクチャーだったのである。
ただし、DDRには当然、バレエともモダンダンスとも異なる点がある。DDRのゲーマーにとってクリアとは、基本的に、過たず踏むべき矢印を踏んでいくことだけであって、そこにバレエやモダンダンスに求められているような表現性や優美さは必ずしも必要ではない(もろちん、上級者になれば、ゲームの課す制約のなかでいかに独創的でフリーなプレイを見せることができるか、という段階へと発展しもするものではあるが)。この違いは、確かに大きい。バレエやモダンダンスを基準とする限りは、ダンスをゲームとみなすのに違和感が生じるとしても無理はない★六。
ただし、六〇年代のアメリカ合衆国に登場した実験的集団・ジャドソン・ダンス・シアターが抱いていたダンス観と照らし合わせてみるなら、話は違ってくる。彼らにとって、ダンスとはタスクであり正にゲームにほかならなかったのである。
スニーカーを履いたテルプシコラ(舞踊と合唱の女神)と呼ばれもする彼らは、非ダンスの動き、とくに日常の動作をダンスに取りこんだことで知られている。メンバーの一人レイナーによれば「立つこと、歩くこと、走ること、食べること、レンガを運ぶこと、映画を見せる、自分自身でというより何かものに動機づけられて動きあるいは動かされること」★七が彼らのダンスであった。ただし、重要なのは日常の動作を舞台上で演技したのではなく、むしろそれを黙々と「タスク」(やらされる仕事)として実際に行なった、ということである。ダンスはこのとき、美しさや強さや軽さといった理想的な運動をイリュージョンとして見る者に提供することから、むしろそうしたイリュージョンを最小限にして、いまここで黙々と働いている身体の有様をダンサー自身も見る者もともに知覚するものへと移行したのである。
シンプルな日常的動作を彼らが採用したのは、そうしたタスクの状態を引き出すためであったというべきかもしれない。そして、彼らは短くシンプルな動作を多数収集したうえで、サイコロや占いにしたがうチャンス・オペレーションによって無作為に並べるか、本番中に突然動作に対応する記号をダンサーに呼びかけることによって、ダンスをゲーム化した。
このゲーム化は、ダンサー=プレイヤーの勝敗を決めるために用意するのではない(この点はやはりDDRと異なる)。むしろダンサー=プレイヤーの身体がゲームに没頭している様を新しいダンスとして享受するためであって、即興する身体の充実こそが狙いであった。ジャドソン・ダンス・シアターのトリシャ・ブラウンは、自らの方法を「ストラクチャード・インプロヴィゼイション(構造化された即興)」と呼んで、この傾向を一層促進した。例えば、自分の背丈よりやや長い棒の端を両隣のダンサーの棒に接触させたままで身体を移動させる、などといったストラクチャーを設定した。ブラウンはこうしたストラクチャーが作りだすものを「ルール・ゲームズ」と呼んだ。
ブラウンには、他に、地面と並行の姿勢でビルの壁を歩いて降りてくる《建物の側面を歩いて降りるひと》(一九七〇)[図5]のように、日常と非日常が交差するきわめてシュルレアリスム的な作品もある。彼女とグループは、しばしばスタジオから出て、ニューヨークの路上や屋根の上で踊ってもいた。
こうした傾向があったとはいえ、ブラウンのストラクチャーへの意識が、一七世紀のフランスのように、さらに都市空間と並行するようなダンスのストラクチャーを見出すといった展開にまで至ることはなかった。その代わりブラウンのアイディアは、「イマジナリー・キューブ(架空の立方体)」[図6]という特殊で魅力的なストラクチャーの構想へと高まっていった。このキューブはダンサーを取り囲むものとして想定された。またキューブには、多様なポイントに二七個の番号が記してあり、ダンサーはその番号を手や足を使って次々と触っていく。番号にはアルファベット(と単語間のスペース)が対応している。さらに、あらかじめ書かれた文章があって、ダンサーはその文章の文字と単語間のスペースをなぞるように、それらに対応した空間上に位置する番号を触る。この新しいストラクチャーによって《ローカス》(一九七五)やその発展形とされる傑作《ウォーター・モーター》(一九七八)が生まれた。
ストラクチャーのなかで遊ぶゲームとしてダンスを捉える新しい発想は、新しいダンスの運動性を顕在化した。それは、振付からの指示を、技巧的な身体によって理想的なフォルムを形成しイリュージョン化するかつてのダンス観から脱して、その指示をタスクとみなすという思考の転換によって可能となるものであった。

4──「DanceDanceRevolution SuperNOVA」より ©1999 2006 Konami Digital Entertainment Co., Ltd.

4──「DanceDanceRevolution SuperNOVA」より
©1999 2006 Konami Digital Entertainment Co., Ltd.


5──《建物の側面を歩いて降りるひと》 引用出典=TRISHA BROWN: DANCE AND ART IN DIALOGUE, 1961-2001, The MIT Press, 2002.

5──《建物の側面を歩いて降りるひと》
引用出典=TRISHA BROWN: DANCE AND ART IN DIALOGUE, 1961-2001, The MIT Press, 2002.

6──「イマジナリー・キューブ (架空の立方体)」 引用出典=TRISHA BROWN: DANCE AND ART IN DIALOGUE, 1961-2001, The MIT Press, 2002.

6──「イマジナリー・キューブ
(架空の立方体)」
引用出典=TRISHA BROWN: DANCE AND ART IN DIALOGUE, 1961-2001, The MIT Press, 2002.

都市・東京とダンス

以上のように西洋のダンス・ヒストリーの一端を概観してみると、ダンスには、人工空間をコレオグラフィとしてストラクチャー化する側面があることが、明らかになった。ここからは、この考察を踏まえたうえで、東京という都市空間のもつストラクチャーと今日のダンスとの関係へと眼差しを移すことにしたい。
とはいえ、率直なところ、都市としての東京が、ダンスを含めた今日のシアター・アーツのなかで魅力的な素材とみなされているとは必ずしもいえない。例えば、一九一六年のバレエ・リュスの作品《パラード》[図7]でピカソが制作したキュビスム的な衣裳(アメリカの支配人やフランスの支配人をアレゴリカルに表現する、ビルディングなどを背負い込んだ衣裳)のように、戯画的に、都市化した身体を都市になぞらえて踊るというなどという表現方法は、当時の素朴な機械礼賛、産業礼賛のムードのなかではともかく、今日ではもはや少しのリアリティももっていない。あるいは、先に触れた、バレエの黎明期に庭園とダンスとの間にあった緊密な関係のような、都市・東京が身体に課してくる運動に連動する何かをダンスの内に顕在させるような試みも皆無に等しい。
とはいえ、都市・東京とダンス・パフォーマンスとがまったく交差しないわけではない。注目に値するのは、振付の矢内原美邦を含むアーティスト集団Nibrollが、最初期の二つの作品《東京第一市営プール》(一九九九)と《駐車禁止》(二〇〇〇)のなかで東京をテーマにしていることである。《駐車禁止》では、都心の道路と東京湾を浸食する埋め立てが象徴的なイメージとして取り上げられる。また《東京第一市営プール》では、東京は「プール」としてみたてられている。《東京第一市営プール》について、DVDに収録されたインタヴューのなかで、矢内原は「海だとおぼれちゃうけれど、膝くらいまでしかないと絶対的に安全じゃん、そういうぬるま湯に浸かっている私たち」が登場人物だと説明する★八。そこに別のメンバーが語る「インスタントな街」「情報過多」といったモチーフが重なると、この作品はあたかもある種ステレオタイプ化した都市・東京のイメージを単になぞっているだけのものに思われてくるが、そうではない。確かに、華奢ないかにも今時の若者たちであるダンサーが、ダンスというよりも痙攣的にひっかいたり叩いたり叫んだりする舞台は、今日の都市・東京が示すとりとめのない状況を、単に戯画的に表現しているような印象を与えがちではある[図8]。
ただし、冒頭で、最初にあらわれた女性ダンサーが仰向けに寝そべったかと思うと不意に「二回目のお産だよ!」と謎めいた言葉を二度繰り返すシーンに典型的にあらわれる何かこそ重要である。インタヴューで矢内原は、この言葉について、当時、アルバイトをしていた都心の養老施設で出会った老婆がしばしば発していたものであると告白している。痴呆の老婆は、毎日、朝になると服を脱ぎながら彼女にとって最も輝かしい瞬間だった二人目の子供の出産を反復しようとしていたのだという。その場面にアルバイターとして接しながら、老婆が東京の真ん中にある養老施設で生き、死んでいく事実に気づいた矢内原は、この老婆の生と死こそ自分たちの現実を反映しているのではないかと考えた。
先に述べたように、いま、都市・東京をステレオタイプ化したイメージのもとに統合しその象徴的記号を舞台上で遊戯的に使用することは、舞台芸術の分野において、ほとんど価値がない。代わりに登場したのは、東京を微視的に見つめる視点から生まれてくる表現であった。その視点に映るのは、都市の無機的な空間のなかにある生と死、そこになお生きている個々の身体の現実である。ダンサーの身体が表象するべきイメージを、矢内原はそうした現実の内に見出し、それを非理性的に見える独特の短気な運動へと昇華させたのである。
矢内原のように微視的にわれわれの生を見つめると、普遍的な身体や人間同士の関係が浮彫になってくる。その一方で、東京という記号は求心力を失い、輪郭を欠いて必然的に液状化する。宮沢章夫が『「80年代地下文化論」講義』(白夜書房、二〇〇六)で整理したような「波」(六本木WAVEを代表とする西武セゾン文化)にも「丘」(六本木ヒルズを代表とする森ビル文化)にも、自分たちの日常生活にあらわれる様相ほどには、さしたる興味が湧かなくなる。事実、東京という都市自体、東浩紀北田暁大が『東京から考える』(NHK出版、二〇〇七)のなかで「ジャスコ化」などのキーワードを用いて指摘するように、生活圏化、郊外化してしまっている現状がある。本論の趣旨から外れるが、演劇の分野を一瞥するならば、今日、注目を浴びているチェルフィッチュ(《三月の5日間》や《エンジョイ》など)やポツドール(《夢の城》《愛の渦》など)が舞台を東京に設定しながらマンガ喫茶やラブホテル、ワン・ルームのアパートなど、公衆の視線から隔離された一室を舞台にしているのは、この点で興味深い。そこからは、都市がもっているエネルギーの余韻は漂ってくるものの、象徴化された都市・東京のどんなイメージもとりたてて見いだすことはできない。
それでも、都市で過ごす時間によって新しい認識が喚起されるといった物語を今日の演劇の分野からみつけることはできる。岡田利規(チェルフィッチュ)の《三月の5日間》である。その物語の中心は、ミノベくん(男)とユッキー(女)が、六本木のライヴ・ハウスで盛り上がって、出会った最初の夜から渋谷・円山町のラブホテルに籠もって五日間セックスをし続け、名前も明かさないまま別れるという話である。「なんか、すごい渋谷なのに、なんか、旅行に来たみたいで楽しいんだけど」とユッキーが口にしたと(語り部となった役者が告げる)セリフにみられるように、五日間の籠城によって二人は、渋谷を日常とは違う異国のように感じる。とはいえ「旅行」というに相応しい観光もデパート・ショッピングも散歩もしない。食事と買い出し以外は、ホテルに「帰る」だけ。そして、二人は、同じ部屋でセックスを再開する。都市の中心でホテルの一室に潜り込み獣と化す、というゲームが、この五日間を「超スペシャルな五日間」にする。匿名なままで獣のように性を貪る時間のなか、二人は自分が一体人間といえる存在なのかどうか、不安になってくる。
この不安が極まるのは、終幕にさしかかった当たり、ミノベくんと別れたユッキーが、五日間の余韻に浸ろうとあらためてホテル街に向かう場面、そこで、電信柱の脇に脱糞をしていた浮浪者の男を犬と見間違えてしまう、という瞬間に不意に訪れる。「その人、だっていちおー人間なのに動物だと思って自分が見てたんだっていうその数秒があったってことがすごい、人間のことを本気で犬かなんか動物だと思って見てたんだっていうことがあったんだっていうことが信じられなくて」★九とユッキーはショックを受け、それで道ばたでおう吐してしまったと男性の役者が語る。このシーンによって、それまで、ほとんど描かれていなかった渋谷の街(ただし、この舞台にはホテルの二人とは別にデモ行進をする二人の男の子が登場するシーンもある)が、シャープなイメージで浮かび上がってくる。
吐くほどの生理的嫌悪感は、単に浮浪者を犬と思ってしまったということ以上に人間を動物だと思って見てしまったこと、そして自分もまたそのような動物と見間違えられうる存在かも知れないという不安が引き起こしたものである。自分は人間は人間(理性的な存在者)ではないかも知れないという理性的な不安が、時折二人が話題とすることで通奏低音として響き続けたイラク戦争開戦という海の向こうの出来事と絡まり、増幅していく。
このアンチ・クライマックスは、しかし、都市という人工空間のなかで人間と共生している自然に不意に接触してしまうという痛快といってもいい瞬間の始まりとして描かれる可能性もあったかも知れない──。

7──《パラード》 引用出典=ローズリー・ゴールド『パフォーマンス』 (リブロポート、1982)

7──《パラード》
引用出典=ローズリー・ゴールド『パフォーマンス』
(リブロポート、1982)


8──Nibroll《東京第一市営プール》

8──Nibroll《東京第一市営プール》

東京・ONジアース


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Chim↑Pomの痛快さは、まさにそうした自然との不意なる接触を理性的に畏れるどころか、ひとつのお祭り騒ぎへと──しかも「スーパー☆ラット」といったネーミングが代表するようにアート・ワールドとの境界線上で──グループ名に含まれた「↑」のように最大限に盛り上げてしまおうとするところにある。彼らは、いわば都市の遊歩者として正真正銘の渋谷の一員でありながら、そのアイデンティティを最も先鋭的なかたちで美術作品というフォーマットのなかに反映させようとする。
彼らを念頭に置いて、美術ライターの楠見清は「アーティストのアウトドア志向は案外、印象派にも通じている」★一一と興味深い指摘をしている。どの作品にも共通するのは、見慣れた街並みへと身をもって分け入り、自分と街との境界面を確認しようとする行動力である。そうした一例として、彼らが制作したDVD作品《Chim↑Pom-P.T.A.》(P.T.A.はピンク・タッチ・アクションの略)(二〇〇六)の冒頭に収められた「Love Information」を挙げることができる。メンバー紅一点のエリイは、デパートの受付嬢に、迷子になった異国の友人の名前と偽って館内放送で「チンポム」(「〜お客様のお呼び出しを申し上げます。ピーティー・エー・チンポム様、一階のライオン口までお越しくださいませ〜」)と連呼させる。隠し撮り風の映像として記録されたのは、印象派における光のあたった諸対象とその対象に反射した光に反応する画家の目との出会いと同様に、突然一種のゲームに参加されられた受付嬢とそれを促したエリイとが、口にするのが憚れる「チンポム」という言葉を通して生々しく出会っているその眩しい瞬間なのである。
「スーパー☆ラット」におけるネズミは、「Love Information」の「チンポム」と同様の機能をもっている。すなわち、それは、捕獲を企てるメンバーと街──のみならずその暗部である自然と──とを交差させる、ゲームのツールなのである。
彼らの追うのは、近年、ドブネズミを凌駕し都市を席巻しているクマネズミ、東南アジアの森林地帯を原産とする樹上生活者である。屋根ネズミともいわれるこの動物は、都市ではビルのなかに巣を作り、通常の殺鼠剤では死なない異常な生命力と強靱な運動能力からスーパー・ラットとも呼ばれている。メンバーの卯城竜太は、筆者とのインタヴューのなかで、ネズミと人間が渋谷の街で共生している姿に注目して、こう話していた。「殺そう殺そうとしても人間社会に順応してくるんですよ。人間にとって迷惑な話かも知れないけれど、ネズミにとってはまったく悪気はないし、地上に都市を作りだしたのは人間社会だし、そこに順応しよう順応しようとしているネズミが嫌われるっていう」。
人間社会に順応しようと努力して人間社会に殺されてしまうクマネズミを自分たちの同志と考えるChim↑Pomに、《三月の5日間》の内に描かれたような人間(自分)を動物と錯覚するところに生じる生理的な嫌悪感は無縁である。別のメンバー・林靖高は「ひとが一杯いるところにネズミも沢山いて、ひとのセンター街はネズミのセンター街でもあるって感じがすごくあって、なかば共生しているなあ」と漏らした。なるほど、ネズミの荒らすゴミ袋はまた路上生活者の食料でもあるのだ。ネズミの皮の上にアニメのキャラを描いた奇怪なポップ・アートであるリアルなピカチュウは、祝祭的といっていいような快活さをもって自然と人間との出会いを象徴化した。
ただし、これが渋谷を生きるネズミと渋谷で遊ぶ若者との間で交わしたゲームの結果であることを映像によって紹介していなければ、不十分であったに違いない。メンバーが振り返って「釣りに似ていた」といっていたように、この捕獲劇は街をフィールドにしたリアルなゲームであり、しかも思いもかけず出現した、ゲーム化したダンスでもあった。リアルなピカチュウが踊った姿で静止しているのは、そのキャラクターに相応しい愛嬌の表象であるばかりか、ネズミの逃走に踊らされたメンバーたちのドキュメントであると想像することもできる。
先に記したNibrollが施設の老婆といった都市の細部へ眼差しを向けることで、東京のイメージを個人的でありかつリアルな仕方で舞台に表象したとすれば、Chim↑Pomは、都市そのものを舞台とし、そこで、ゲームとしてのダンスを図らずも踊っていた、ということができる。舞台上のダンスが個人へと内向し、それに由来するイメージの提示に勤しむのと対照的に、ゲーム場と化した路上で、不意に出現する都市の自然という外部へ積極的に接続を試み、その衝突を作品化するChim↑Pomのアプローチは、野蛮でシンプルで明るい。ドン・キホーテで購入した捕虫網を手に、恐怖と興奮で身もだえする。捕獲というタスクを遂行するそうしたアクションは、都市・東京をいわばコレオグラフィとみたてているようでもあって、だから、古の舞踊譜が踊り手に課したインストラクションのように、あるいはDDRの矢印のように、人間と共生する野生(クマネズミ)の逃走の軌跡をスコアにしたダンスであるとあえて言ってみたくなる。しかもそれは、コンクリートの隙間に広がる大地へ(「ONジアース」)と突き抜けるダイナミズムを秘めた何かなのである。


★一──二〇〇五年に結成したアーティスト集団。メンバーは、エリイ、卯城竜太、林靖高、岡田将孝、水野俊紀、稲岡求。
★二──William Hogarth, The Analysis of Beauty, Yale University Press, 1997, pp. 159-160.
★三──高山宏『ふたつの世紀末』(青土社、一九九八)一三二頁。
★四──Sarah R. Cohen, Art, Dance, and the Body in French Culture of the Ancien Régime, Cambridge University Press, 2000, p. 90.
★五──Ibid., p.89.
★六──とはいえ、振付の全容を共有するダンサー同士であれば──また、一七世紀のバレエ界において一部の振付は、宮廷的社会のなかに生きる者が習得すべき必須事項として共有されていた事実を鑑みれば──、次にどんな動作が待っているかが予測できる状況で、あたかもゲームセンターでプレーヤーを後ろから観戦するような側面がダンス鑑賞の内になかったとはいえない。
★七──Roger Copeland and Marshall Cohen ed., What Is Dance: Readings in Theory and Criticism, Oxford, 1983, p.328.
★八──「Nibroll 1997-2004」(DVD)。
★九──岡田利規『三月の5日間』(白水社、二〇〇五)九二頁。
★一〇──特集「日本の新世代アーティスト一〇八人」でのChim↑Pomによる自己紹介文。『美術手帖』七月号(美術出版社、二〇〇六)五七頁。
★一一──『美術手帖』二月号(美術出版社、二〇〇七)七〇頁。

>木村覚(キムラ・サトル)

1971年生
日本女子大学専任講師。美学、パフォーマンス批評。

>『10+1』 No.47

特集=東京をどのように記述するか?

>東浩紀(アズマ ヒロキ)

1971年 -
哲学者、批評家/現代思想、表象文化論、情報社会論。

>北田暁大(キタダアキヒロ)

1971年 -
東京大学大学院情報学環准教授/社会学。