このところ東京都心部では、「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」等、大規模再開発による大型商業施設が続々とオープンしている。経済構造改革と連動した「都市再生」と呼ばれる一連の政策によって、東京都心では二〇〇〇年以降の七年間で二〇〇棟もの超高層建築物が建設されたという★一。かつてはランドマークとして機能していた東京タワーも、林立する超高層ビルのなかに埋もれてしまった[図1]。
「都市再生」の動きそのものは、八〇年代から全世界で同時多発的に進んできた。一九七〇年代、イギリスでは、急成長した日本企業との競争など、経済の国際化が進んだ結果、リバプール、マンチェスター、バーミンガムといった伝統的な工業都市では産業の空洞化が進み、人口が四割減少する等の打撃を受け、中心市街地の荒廃が進んだ(インナーエリア問題)。同様の動きはドイツ、アメリカ、オランダ等においても進行する。
一九八〇年代に入ると、合理化を進めるためにコンピュータ導入を図ろうとする民間企業のニーズに合わせ、新たなオフィスビル群の建設が進み、特にアメリカのサンフランシスコ、ボストン、ニューヨーク、シカゴといった大都市ではオフィスビルを中心とした都心回帰傾向が進んだ。各国の政府は、こうした合理化によって力をつけた民間企業の資本と公共の利益を、規制緩和等によって積極的に交差させる政策を採り、「アーバン・ルネッサンス」と呼ばれる都市再生政策を推進した。
日本では、九〇年代初頭のバブル経済の崩壊を経て、大都市集中と地方都市の衰退が進んだ二〇〇〇年以降、「都市再生」を掲げたさまざまな政策が、経済構造改革と連動するかたちで次々と導入されることとなる。それは世界に類を見ない建設ラッシュを生み、「経済構造改革」という政策上の観点からは一定の成果を上げたといえるが、同時に都市空間を、過去に例を見ないほどにあまりにも急激に変容させてしまった。
1──超高層ビルが林立し、埋もれるように建つ東京タワー
筆者撮影
1|2 「表層」と「深層」の乖離=「六本木イズム」
都市スケールではそのようにたどることのできる都市空間の変容は、建築スケールではどのように見ることができるだろうか。一例を挙げるならば、「東京ミッドタウン」のインテリアのほとんどは、「ダイノック・シート」と呼ばれる木目調等の柄が印刷された塩ビシートによって覆われている[図2]。それに対して、著名な建築家やインテリアデザイナーが内装設計を手がけた店舗や美術館では、こうしたフェイクなイメージに被覆された空間に対して、異なる試みが行なわれている。例えば《サントリー・ミュージアム》(隈研吾)[図3]では、アルミパイプに桐の突板が練付けられた一五ミリのルーバーによって覆われている。ここでは、アルミの角パイプに桐を貼ることで、純粋な木ルーバーでは構造的に成立しない一五ミリという繊細さを実現したのだという。同様に《虎屋》(内藤廣)では、穴開きブロックを用いた多孔質なスクリーンが、《MUJI》(杉本貴志)では枕木を用いた壁面が、それぞれ生み出されている。
素材の選択やディテールの処理において工夫をこらしたそれらの試みは、一見多様に見える。しかし、その意図は「ダイノック・シートだらけの商業空間に、いかに『素材感』を導入するか」というただ一点に集中している。構造スパンや全体の容積ヴォリュームなど、全体の枠組を決定しているSOMや日建設計に比較すると、アトリエ派の建築家が参加している領域は極めて限定されている★二。
かつてレム・コールハースは『錯乱のニューヨーク』(一九七九)で、都市空間の上部構造としての「摩天楼」と、下部構造としての「マンハッタン・グリッド」の対立を指摘し、そうした二層構造によって駆動される一九三〇年代のマンハッタンの都市空間の原理を「マンハッタニズム」と呼んだ。「東京ミッドタウン」に観察されるように、二〇〇〇年代の東京の都市再生のムーブメントにおいては、素材という「表層」を決定する「アトリエ設計事務所」と、全体のヴォリュームの配置や構造スパンという「深層」を決定する「組織設計事務所」が対比される★三。「マンハッタニズム」においては「摩天楼」も「グリッド」も、ともに可視的であった。対して「素材」と「構造」が乖離しつつ、前者は過剰に可視化、並列化され、後者は徹底的に不可視化、巨大化される「六本木イズム」が徐々に顕在化している。
これまで日本の建築家たちは「住宅」と「公共(建築)」の差異を問題にしてきた。「住宅作家」と「(公共)建築家」という二種類の建築家がいて、「住宅は芸術である」★四とか、「住宅に批評性はない」★五といった議論を繰り返してきた。ところが、二〇〇〇年以降の東京で展開されている急激な都市再生プロセス=「六本木イズム」が席巻する現代社会においては、「住宅」と「公共」の対立よりも、「表層」と「深層」の対立のほうがよりクリティカルであると思われる。こうした状況と呼応するように、建築家や批評家による建築・都市空間についての議論と、政治家やディヴェロッパーによる建築・都市政策についての議論もまた、乖離していると言わざるをえない。私たちが生きる「空間」についての議論よりも「政策」が先行する昨今の状況に歯止めを掛けるためにも、現代の都市を捉え直す共通の批評軸を新たに見出すことはできないだろうか。
2──ダイノック・シートに覆われたミッドタウン
筆者撮影
3──《サントリー・ミュージアム》
筆者撮影
1|3 時間軸上で見出せる空間的実践
既存の建築・都市空間論に目を向け、建築と都市の関係を問題にするならば、アルド・ロッシの『都市の建築』(大島哲蔵+福田晴虔訳、大龍堂書店、一九九一)が想起される。ロッシは、具体的与件としての形態と結びついた具体的経験が集約して現われた構築物を「都市の建築」と呼び、機能を超え、歴史を超えて存続する領域を「都市的創成物」と呼んで、一方で建築の形態と人々の具体的経験を結びつけ、他方で機能をそこから切り離して建築を評価しようとした。ここでは、パドヴァの《パラッツォ・デッラ・ラジオーネ》とグラナダの《アラムブラ宮》(アルハンブラ宮殿)が対比される。過去の形態のみが残り、異なる機能を引き受け、都市環境を制御し続ける前者は「推進的要素」としてポジティヴに評価され、都市のなかで孤立し、もはや改変できないほどに本質的な体験を作ってしまっている後者は「病的要素」としてネガティヴに評価された。
ロッシの議論は、素朴機能主義が行き詰まった一九七〇年代初頭のヨーロッパのコンテクストにおいて熱狂的に支持されたが、永続的な形態が支配的な、ヨーロッパの都市空間を念頭においたものであるがゆえに、歴史が浅く、流動的な都市のコンテクストにおいては応用できないと思われてきた。
ロバート・ヴェンチューリは、『ラスベガス』(石井和紘+伊藤公文訳、SD選書、一九七八)のなかで、建築計画において使用されている既存の表現技術は、「動的なものを静的に、開放系のものを閉鎖系に、三次元のものを二次元にしか表現できない」として批判した。ここでは例えば、ショッピングセンター、教会、レンタカー業、食料品店、結婚式用教会などの施設配置を同一の地図上に並列的に示して比較したもの、「内部の使われ方」「照度」「道から見える全ての文字」など、認知できるものを自由な形式で表わしたもの、縦軸に異なる店舗名、横軸に「前面」「側面」「部分」「サイン」などの写真を並列的に並べ、ホテル、モーテル、ガソリンスタンドなどを並列的に比較したものなど、「古いもの、異なったものと比較すること」や「慎重な描写を行ない、分析をし、街をあるがままに把握すること」によって、ラスベガスの新しい形態や空間を理解するさまざまな方法が提示された[図4]。
レム・コールハースは、こうした方法をさらに進化させ、商業施設の歴史や都市に与える影響を描いた『The Harvard Design School Guide to Shopping: Harvard Design School Project on the City』(Rem Koolhaas et al., Taschen, 2001)や、中国の揚子江の河口地域における急激な都市開発を描いたリサーチ『Great Leap Forward』(Rem Koolhaas et al., Taschen, 2001)等、経済活動のグローバル化や情報技術の発展などで複雑化し、不可視化したといわれる一九九〇年代以降の現代社会の状況を、数々の写真やダイヤグラムによって可視化した[図5]。そこで特徴的なのは、都市空間の状況を、歴史、建築的装置、言説等の年表を駆使し、流れの複合物として理解するということと同時に、新たな造語によってそこに形態的な特徴を見出すということである。そして、《シアトル州立図書館》(二〇〇四)や《カーサ・デ・ムジカ》(二〇〇五)などの近年の作品は、そうした状況に対する理解を、建築の形態を説明する言語に直接的に置換する方法を提示している。
議論の対象が一九七〇年代から二〇〇〇年代へ、ヨーロッパからアメリカ、アジアへと移行し、時間に対する感覚が加速を続けているなかで、ロッシもヴェンチューリもコールハースも、それぞれのコンテクストにおける都市空間の変容を、建築単体のタイポロジーで相対的に考えるよりも、時間軸上で見出せる空間的実践に注目することでより関係的に捉えようと試みてきた。そうした試みを現代の東京の都市空間において引き継ぎ、時間軸を導入することで空間的実践を描くことはできるだろうか。
4──ラスベガスの新しい形態や空間を理解するさまざまな方法
引用出典=Robert Venturi et al., Learning from Las Vegas.
5──都市化したエリア(1995)を示した航空写真
引用出典=Rem Koolhaas et al., Great Leap Forward
1|4 「東京の都市空間はもともと戸建て住宅でできていた」という仮説
再び東京の現在へ目を向けてみよう。「六本木ヒルズ」や「東京ミッドタウン」等の巨大な再開発によって相対的に浮かび上がってきたことのひとつは、それらの周辺に広がる既存の住宅地の広がりであった。グローバル・キャピタリズムに後押しされた無数のタワーの存在は象徴的というより環境的であるが、そうしたタワー群を包囲する存在として住宅地が存在する[図6]。それをただ相対的に意味を持つものとして位置づけるか、都市空間の価値を創造するプログラムとして位置づけ直すかによって、その意味は違ってくる。
そこでここでは、「住宅」と「公共(建築)」という区別を捨て、「東京の都市空間はもともと戸建て住宅でできていた」と仮説を立ててみよう★六。住宅地では、商店を含むペンシルビル、共同住宅といった住宅の用途に限らないもの、あるいは学校、公民館といった公共施設も含めて小規模な建築物が無数に建てられ、個別の状況に応じて建替えが無数に繰り返されている[図7]。それぞれの場所にどういう空間が生まれるかは、それぞれの建築物の建て主に委ねられているわけだが、そうした同時多発的な動きをマクロレヴェルで捉えれば、住宅地の存在を、東京の都市空間を新陳代謝させてきた原動力であると位置づけることもできる。
「東京の都市空間はもともと戸建て住宅でできていた」という仮説は、都市空間の形態を、本来同じものから徐々に変化したものであると想像力を膨らませることで、そこで行なわれてきた空間的な実践のあり方を時間軸上で検討しようとするものである。
かつてメタボリズム・グループは、設備や構造の基幹となる部分を「メガ・ストラクチャー」として集約し、個別の居室をカプセルによって更新する建築や、スラブでネットワーク状に連続させていくイメージを提案した。それは資本や権力が都市開発において集約されうると考えられていた一九六〇年代の日本社会における建築による都市のダイナミズムの表象であったといえる。しかし、経済活動のグローバル化や情報技術の進展によって、権力も資本も「表層」と「深層」に分解されてしまった現代社会において都市のダイナミズムを捉えようとするならば、「表層」において具体的、即物的に介入し、「深層」において緩い方向性を与える「新たなメタボリズム」のコンセプトを導入する必要があると思われる。
6──超高層ビルの周りに広がる広大な住宅地
筆者撮影
7──「東京の都市空間は戸建て住宅でできている」
筆者撮影
1|5 東京の「タイポ・モルフォロジー」へ
ここではまず、東京の住宅地を集合的に眺め、特徴的なパタンが出現していると思われるサンプルを抽出し、それぞれのパタンから遡って建築の類型=「タイポロジー」と、都市の形態=「モルフォロジー」の関係を見出していく。
例えば、世田谷区奥沢。東京郊外の優良な住宅地として知られる同地区は、生け垣によって形成された水平方向の連続性が分割され、一見雑多な街並が形成されているが、世代ごとに各住宅の構えのタイプを比較すると敷地の細分化と自動車保有という都市形態の変化と呼応していることが理解される。こうした状況を「サブディバーバン subdivurban」と名付けてみる。あるいは新宿区西新宿。区画整理がなされず、建築物の更新がままならないために低層建築物が立ち並んでいる領域の周囲を防災道路に指定された幹線道路沿いの中高層建築物が城壁のように取り囲んでいる。こうした状況を「アーバン・ヴィレッジ urban village」と名付けてみる。あるいは住宅地のなかにぽっかりと現われ、寺社や公園、駐車場として維持されている空地を「ポケット・ブロック pocket block」と名付けてみる。あるいは、渋谷区神宮前の、複数の年代と複数の用途(住宅/商業施設)の建築物が類似したスケールで混在する地域を「コマージデンス commersidence」と名付けてみる。
これらは、そこにみられる空間の構成を相対的に分析しようとするものというよりも、それらが形成された過程で働いた歴史的要因、政治的要因、経済的要因、物理的要因の関係を分析し、建築の生態系のようなものとして位置づけることで、個々の建築単体のレヴェルでは捉えられない共同性、創発性によってもたらされるそれぞれの地域固有の質、価値を評価しようとする。建築単体の分析では「タイポロジーの崩壊」としてネガティヴに捉えられることもある都市空間の変容は、「建築のタイポロジーの変容による都市のモルフォロジーへの応答」と捉えることで、ミクロレヴェルでの流動性を肯定し、かつマクロレヴェルでの固有性を発見することができる。
以下に示すものは、最近われわれが着手し始めた、タイポ・モルフォロジーを東京において見出すためのリサーチである。より多くの具体的事例が示されれば、都市のダイナミズムと呼応しつつ、個別の空間の質を取り込み拡張する、新たな風景への想像力を開く言語となるだろう。そしてそれは、「表層」と「深層」が乖離した「六本木イズム」が席巻する現代都市において、建築が「表層」側から「深層」へアプローチするためのひとつの有効な手段となりうるはずだ。
註
★一──建築基準法施行令第三六条に定める建築の構造に関するものに限定しては、「高さ六〇メートルを超える建築物」と定義されているが、一般的には一〇〇メートルを超える建築物として理解されている。「超高層データベース」(http://www.eonet.ne.jp/~building-pc/)によれば、東京二三区内で二〇〇〇年から二〇〇七年までの七年間で一八六棟の超高層建築物が竣工したという。
★二──SOMは「マスター・アーキテクト」、日建設計は「コア・アーキテクト」とクレジットされている(『新建築』二〇〇七年五月号、新建築社)。
★三──擬似例として《国立新美術館》における黒川紀章+日本設計、《21_21 DESIGN SIGHT》における安藤忠雄+日建設計などが見られる。
★四──篠原一男「住宅は芸術である」(『新建築』一九六二年五月号、新建築社)。
★五──伊東豊雄「脱近代的身体像──批評性のない住宅は可能か」(『住宅特集』一九九八年九月号、新建築社)。
★六──ここでいう「戸建て住宅」とは、周囲から独立して建てられている建築の全体を指し、住宅に限らず、店舗、オフィス、集合住宅などを含む。