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Any会議とは何であったか? | 日埜直彦
What was the Any Conference? | Hino Naohiko
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.150-151

その問いに取りかかる前に、次の問いについて考えてみて欲しい。「バブル建築」の横行した二〇年前と現在とでは、はたしてどちらがマトモな建築の時代といえるだろうか?
この問いに、もちろん現在のほうがマトモだ、と自信を持って答えられるだろうか。バブル期の建築にずいぶんひどい建築があることは皆知っている。だが今ウケている建築を冷静に眺めたとき、負けず劣らずどこかタガが外れたものがあるのではないか。単にいくつかひどい建築があるというだけではない。問題はより状況的である。例えば、あらゆる建築のパヴィリオン化、見た目のにぎやかさとはうらはらの多様性のやせ細り、概念的空間と経験的空間との安直な混同と齟齬、技術的解決に過度に依存したサーカスまがいのアクロバット、そしてこれらの傾向の帰結としての一種のエキセントリシズムの横行。見方によってはかなり病的なものをわれわれは結構平気でおもしろがっているのではないだろうか。現代建築の世界的なトレンドにバブル的な状況を見て取ることは容易だろうが、国内においてもその程度こそずいぶんかわいらしいものの平行する状況があるのではないか。一般論としてこうしたバブルは長持ちするはずのないものだ。
「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」というあの古いマルクスの警句は『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の冒頭にあるのだが、少し長くなるがここで引用しておこう。

人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである。死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとしてこわごわ過去の亡霊をよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語ス ロ ー ガ ンと衣装を借り、この由緒ある扮装と借物のせりふで世界史の新しい場面を演じようとするのである★一。


「Any」で始まるタイトルを持つ一連の会議はこうした荒廃への予見とともに一九九〇年に始まった。同時代的な思想にリンクして古典的な建築概念の徹底的な解体を指向した八〇年代のポストモダニズムの勢いに翳りが見え始めるとともに、ある意味で素朴なポジションへと後退する「ミニマリズム」やモダン・リヴァイヴァルといった揺り戻しが当時現われていた。それまで有力だった世界的な建築メディアが退潮し、よりプラクティカルなメディアが台頭してくる端境期だったこととも相まって、建築の議論に集中した場を立ち上げる必要性が感じられていたのだろう★二。
各会議のテーマとなった「Any」とは決定不可能性を象徴している。誰が建築を作っているのか?(=『Anyone』)、何処において建築は成立するのか?(=『Anywhere』)、云々。そうした問いを立てることで、浮かび上がるのは結局のところ建築の古典性にほかならない。建築家という古典的なアイデンティティ、建築における固有性と普遍性の意味、といったように。その意味でこうした問題設定自体がかなり強く八〇年代のポストモダニズムの枠組みを引きずっている。

今世紀末の十年間に、毎年一回、世界のいずれかの場所で会議をひらく。その全記録を残すために出版する。そして、来世紀の最初の年、二〇〇一年に、その総まとめの会議を行って、役目を終わらせる。(…中略…)最初はいま六〇歳前後の参加者の数の割合が多くなるかもしれない。だが三分の一ぐらいが毎回、更新されていくと、結果として、若い世代が増え、二〇世紀的なものが消滅するはずである。ピーターや私の世代にとってその事実を遺言にすることが出来るだろう★三。


第一回の会議にあたり磯崎新がこう述べているように、この会議には若い世代へ議論のバトンを渡すための舞台をしつらえる意図もあった。そもそも八〇年代の文脈を引きずる舞台に若い世代が敢えて上るはずがなかったのではないかという気もするのだが、それでも過去の議論を受け継ぎ乗り越えたところに次の方向性が現われるはずだ、というおぼろげな期待の共有によってこの枠組みは成立していたはずだ。
一〇年にわたる議論にしては、その構図は案外単純だったと言えるかもしれない。建築それ自体の自律的論理こそが建築の批評的ポテンシャルの中核をなすと主張するピーター・アイゼンマンに対して、資本主義のダイナミクスの過激さはそんな屁理屈を吹き飛ばすと主張するレム・コールハースがその対極にあり、そこから一歩引いて超然と磯崎新と浅田彰が毎回掘り下げた問いを提起する。この三つの立場が一貫して会議の基調をなし、そのほかは細かい論点があるばかりで今後の芽になりそうなめぼしいアイディアは見当たらない。敢えて言うならソフィスティケートされたCADを用いて複雑な形態を生成するブロッブ建築がそのなかで目立ったトピックとなるはずだったが、Any会議においては共有できる論点を提示することさえできず消化不良に終わっている。世紀末から次世紀につなぐ建築の議論を目指す狙いからすればこれは流産と言うべきだろう。先の引用で予告されていた二〇〇一年の総まとめの会議が行なわれなかったことが収拾不能に陥った会議の分裂をなによりも象徴的に物語っている。
会議が始まった当初は共有されていたはずの議論と批評への期待が、一〇年後には形式的にさえ維持できなかった。しかしこれはAny会議に限られた問題ではない。これがおそらく建築の現在なのだ。冷戦構造の解体に象徴された宙吊りの時代から9・11に象徴されるむき出しの原理主義の時代(宗教的原理主義vs.市場原理主義)に至るこの時期の状況がAny会議には如実に現われている。議論からあるヴェクトルを紡ぎだすよりも先に現実が否応なく問いを突きつけ、建築の内部にはそれに答えるべき論理がない、そういう困難な時代なのだ。
Any会議が終わってはや七年、最近磯崎新は韜晦気味に建築家のプロフェッションが「コンセプトなしのアイコン」を提供することに成り下がったと語っている。アイコンに求められているのは結局のところスペクタクルである。建築がスペクタクルに還元されようとするとき、それに抵抗する論理をどこに見出すことができるだろうか。残された一〇冊のAny会議の記録には手持ちのカードの分の悪さがいやというほど現われている。ここで先にマルクスの引用をもう一度見て欲しい。一〇冊の記録に見えているのは召還された過去の亡霊どもがことごとくアナクロニズムと断罪され退けられる無惨な光景なのである。シャボン玉のようなバブルを舞い上げる追い風が止む日がくれば、いずれにせよ後退戦は避けられないだろう。そのときどこに陣地を築きうるか。よくよく考えてみる必要があるのではないだろうか。

1──『Anyone』 (福武書店、1992)

1──『Anyone』
(福武書店、1992)

2──『Anywhere』 (NTT出版、1994)

2──『Anywhere』
(NTT出版、1994)


★一──カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊東新一+北条元一訳、岩波文庫、一九五四)。
★二──もちろん日本の建築メディアにおいて、それは、まさに現在の問題である。
★三──「Anyoneへの招待」(『Anyone』[『批評空間』臨時増刊]福武書店、一九九二)。

>日埜直彦(ヒノ・ナオヒコ)

1971年生
日埜建築設計事務所主宰。建築家。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

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1960年代のアメリカで主流を占めた美術運動。美術・建築などの芸術分野において必...

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。