RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.35>ARTICLE

>
3:鈴木了二《神宮前の住宅》──物質・技術・コラージュ | 今村創平
Ryoji Suzuki, "House in JINGUMAE": Material, Technology and Collage | Imamura Sohei
掲載『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) pp.96-99

「素材」と「物質」はよく似ているし、普段はあまり区別されずに使用されているが、実はその根本で微妙に違うように思う。その違いはマターとサブスタンスとマテリアルの違いともまたニュアンスが大分異なるように思われる。その違いをいうなら第一に、「物質」のほうは人間の理性や感覚では計りかねる「得体の知れなさ」がどこかにあり、いっぽうそれとは対照的に「素材」のほうは、すべてが人間の手のうち、とまではいわないにしても少なくとも人間のコントロールできる範囲にまで近寄ってきた「親近感」がある★一。
鈴木了二


物質。建築という行為が、ある目的をもった空間を出現させるために、手元にある材料をうまく使いこなして組み立てることだとしたら、そこで用いられるのは「素材」にほかならない。鈴木了二という建築家は、そのキャリアの初めから一貫して「物質試行」というタイトルを彼の営みに付けてきた。鈴木了二の試みイコール「物質」。建築家が、素材を手なずけて飼い馴らすのを、その生業とするのならば、では鈴木は何をしようというのか。「物質」は建築になれるのか。

「技術」とは、定義上、自然を支配しようという延長された腕である★二。
鈴木了二


「物質試行」のことを長い間僕は、字面では「試行」とわかっていても、「物質思考」だと思っていた。ハードな思考をする建築家。彼の文体には、ある心地よい強度があり、それもまた「物質」的だと思われた。「物質試行」は、Experience in Material と訳されているが、materialだとどうも「物質」ではなく「素材」だと受け取られがちだし、「試行」や誤読の「思考」というニュアンスがなく、大いに不満だ。逆に言うと、「物質試行」とは、極めて的確なネーミングであるといえる。

鈴木了二設計の《麻布エッジ》。ファサード一階コンクリート部分の一部が削り取られたようになっていて、ざらざらの断面を露出している。打ち放しコンクリートという今では見慣れた素材が、コンクリートの本性を剥き出しにしているかのように。この直截な表現は、その荒々しさでわれわれを怯ませるだけではなく、見るものの意識を揺さぶり不安にさせる。

椅子の籐張りの部分は本物でも描かれたものでもなく、本当は油布オイルクロスの複製をキャンバスに貼りつけたものに一部絵具を塗ったものである。ここでは一枚の絵画の中でピカソは写実と抽象を二つのメディアを用いながら四つの異なるレベルあるいは比例で取り扱うという曲芸を見せてくれる。[したがって]われわれがどれが一番《本物リアル》かという考えを止めるなら、美学から形而上的な思索へと歩みを進めたことになる。なぜなら、いちばん本物らしく見えるものがいちばん偽者であって、日常生活の現実からは最もかけ離れているように見えるものが、それがいちばん模倣でないという点で、いちばん本物に近いということになるからである★三。
アルフレッド・バー


ピカソは、コラージュの画面の中に新聞を貼り付けることによって、われわれは画面を見ているのみならず、それを構成する物質そのものに向かい合っていることを明らかにした。それまで油絵の風景画を見るときには、風景についてや描かれ方について感想を述べたものだが、われわれが見ているのは絵の具であるとは誰も言わなかった(TVで映画を観ているとき、われわれはガラスのモニターを見ているとは思わないように)。しかし、画面に新聞の切れ端という、日常的に見慣れたものが貼られると、それは急に「モノ」のレヴェルになる。同様に、セザンヌの油絵にはよく塗り残しがあることが指摘されるが、それもまたキャンバス地と認められることで、ひとつの「モノ」であることが明らかになる(という意味では、しばし絶賛される日本画にあるあの余白は、ここでの話とはまったく別物である)。こうした操作により、われわれが見ているのは、画面に映し出された対象なのか、それともひとつの立体的なオブジェなのかという疑問のなかを彷徨うことになる。よって、セザンヌは、キュビスムだけではなく、絵画の持つ物質性においても、ピカソたちに先んじていたわけだが、鈴木了二に話を戻すならば、荒々しく削り取られたコンクリートは、建築から物質を取り戻す試みであり、と同時にわれわれを不安にする仕掛けでもある。

いつも口から出まかせに思い付きを喋っては忘れてしまう私は、すぐには思い出せなかったが、言われて思い出した。セザンヌの画面の塗り残しは、あれはいろいろ理屈をつけてむつかしく考えられているけれども、ほんとうは、セザンヌが、そこをどうしたらいいかわからなくて、塗らないままで残しておいたのではないか、というようなことを言ったような気がする★四。
洲之内徹

階段。《神宮前の住宅》では、通りからグレーのスチール製の門扉を入ると正面に玄関があるのだが、しかしその右手には圧倒的な存在感の階段があり、それは一階分まっすぐ上るとその後、左に九〇度まわり込み、またまっすぐにもう一階分上る。通常階段とは、異なるレヴェルの床をつなぐ建築的仕掛けであり、つまり階段は何かほかのために供するというのがその使命なのであるが、鈴木了二が偏愛する階段というのは、階段そのものというか、階段という役割を放棄した後にも残る絶対階段なのである。

「階段」に関心がある。しかしちょっと考えてみると「階段」は建築のごく一般的な要素のひとつにすぎず、本来非常に匿名的なものだから、「壁」や「柱」に関心があるというのと同じようにあまり面白い話のようにも思えないが、でもこれが少し違うようである。
何が違うのかまだうまく言えないが、ひとつには、マラパルテの別荘が端的に示しているように、階段がふたつの違う世界を結びつけるからではないか。例えば小津安二郎の日本家屋に出てくる一階と二階をつなぐ階段もそうだ★五。
鈴木了二


1──《神宮前の住宅》外観

1──《神宮前の住宅》外観

2──《神宮前の住宅》外観

2──《神宮前の住宅》外観

鈴木了二の建物では、これまでも階段が主要なモチーフとして現われてきたが、例えば《麻布エッジ》の階段は、その建物の重要な要素とはいえ、少し巡った後にその存在に気付くような、そういった位置に置かれていた。一方、《神宮前の住宅》では、まさに階段がこの建物全体を規定しているのだが、しかしこの無用な階段を、玄関を通るたびに横切る住民の心持はいかに。

そして、もしこの階段が床をつなぐことを放棄していたとしても、少なくともどこかへとわれわれを運んでくれるはずであるが、それでは、この大きな階段はどこへ向っているであろうか。《麻布エッジ》の北西を向いた大階段は、非常に不思議な終わり方をしている。コンクリートの階段をどんどん上っていくと、その先にはコンクリートの塊が迫ってきて、ついにはそのマッスの下面に突き当たるかのようにして階段は終わってしまう。なんて絶望的な階段。一方、《神宮前の住宅》の階段は、途中踊り場のような溜まりがあり、そして最後には申し訳程度の広がりがあるが、まさかこのちっぽけな場所が、この大仕掛けな階段の最終目的とはいかないだろう。それでは、空に向っているのだろうか。僕が訪れた日は、雲ひとつない快晴で、そのような気もするし、自然と鈴木了二がたびたび話題にする《マラパルテ邸》の、イタリア南部の空も連想された。しかし、《マラパルテ邸》つながりでいくならば、この階段の果てにあるのはきっと水平線だ。東京の街並みでは望めない水平線。その水平線を取り戻す試みとしての階段。

ところでこの「階段」は、決して外部に対するばかりではない。それは内部をも同時に規定する。というのも、この「階段」は実は無垢のマッスではなく、蟹の甲羅や人間の頭蓋骨のような、いわば薄い殻なのである。構造的には鉄筋コンクリートによる「階段状モノコック」と呼ぶ★六。
鈴木了二


3──《神宮前の住宅》階段

3──《神宮前の住宅》階段

4──《神宮前の住宅》階段

4──《神宮前の住宅》階段

5──《神宮前の住宅》階段

5──《神宮前の住宅》階段

物質建築家の鈴木了二の建築には、何か塊なり、塊を切り出してできた物体、そういったイメージがつきまとうが、この《神宮前の住宅》は蟹の甲羅なのだという。そう言われてみれば、壁面に埋め込まれた細かい無数の透明アクリル、これは蟹の甲羅に生えた刺状の毛なのか。本人の言葉にあるように、階段はそのまま反転して、内部空間を象っており、内部には途中で折れた階段の段々が天井に延びている。これまでも、《原宿のギャラリー》などで、室内に階段の裏側が見えることは試みられていたが、ここまで全面的なのは初めてだ。

しかし、コンクリートそのものをもって住居のための箱とすることは性能的に難しい。試しにコンクリートの薄板を作りそこに赤インクをたらすと、いくらコンクリートが密実であっても、暫くすると裏側に赤いシミを見ることができるだろう。コンクリートは、水を通す材料である。安藤忠雄のコンクリート打ち放しは、無垢のコンクリートのように見える仕上げの発明であって、コンクリートを外部の風雨に晒して使うには、防水なり、撥水材なりを施す必要がある。また、内部の環境を快適に保つには断熱材も必要で、安藤忠雄の《シカゴの住宅》では、コンクリートの壁の中に断熱材を挟み込み、内外部ともに打ち放しの表現を実現している。

6──《神宮前の住宅》アイソメトリック 1-6提供=鈴木了二建築設計事務所

6──《神宮前の住宅》アイソメトリック
1-6提供=鈴木了二建築設計事務所

《神宮前の住宅》の外部階段は、一見躯体そのものに見えるし、しかもその階段に、手すりのフラットバーの縦桟が約一〇センチの等間隔で突き刺さっている。手すりを先に固定し、それから階段のコンクリートを打設すれば、手すり廻りの金ごて押さえが困難で、等ピッチで開けておいた大きめの穴に後から手すりを差し込めば、その穴を塞いだモルタルが後日割れてくる。いずれにせよ、この部分の防水はどうなるのか? 内部においても同様に、十字型のスチールの柱が、直接コンクリートの天井にぶつかっているが、先にこの柱を固定すれば、型枠をこの柱の形に合わせて正確に作るのは困難であるし、後からコンクリートにカッターを入れて柱を差し込んだなら、柱の頂部の躯体との固定は不十分であろう。いずれも実際にできているから、これらは施工の能力でカバーしているのであるが、なぜそうまでして鉄とコンクリートをぶつけるのか。途中にジョイントを入れればずっと楽だが、往々にして建築ではシンプルな収まりは合理的ではない。

ふたたびコラージュ。コラージュのもうひとつの作用として、さまざまな断片がひとつの画面に集められることによって、個々の断片では持ちえなかった効果が生まれる。ロートレアモンの有名なフレーズにある、「手術台の上のミシンとこうもり傘の出会い」のように。そこでは文脈を失った断片が暴力的に隣り合うことが美しい。お互いを都合よく馴染ませようとはけっしてしないこと。そしてそれはまた逆説的に、それぞれの要素の属性をくっきりと際立たせる。鈴木了二の建築における物質と物質のぶつかり合い。意図的になされた偶然。

何故なら、これは驚くべきことだが、「建築」の語源は「アルシ・テクネー」、すなわち「技術」の前身である「起源的技法」なのである。もっとも遠くに離れていると思われた「建築」の名称に「技術」の起源がはっきりと刻印されているのだ。ならば「技術」の止まらない「解放」衝動は、そこでは一体どうなっているのか★七。
鈴木了二


あとがき。冒頭で確認したように、鈴木了二がモチーフとしている「物質」が根本的に解釈を許さない性質を持つのであれば、このように彼の試みを文章に置き換えたりいじくり回したりする行為は、彼から遠ざかることしか意味しないのだろうか。


★一──鈴木了二「『物質』から遠く離れて」(『建築零年』、筑摩書房、、二〇〇一、一九〇頁)。
★二──同書、「テクノニヒリズム」(一三二頁)。
★三──C・ロウ+F・コッター『コラージュ・シティ』(渡辺真理訳、SD選書、一九九二)二二〇頁。
★四──洲之内徹「セザンヌの塗り残し」(『セザンヌの塗り残し──気まぐれ美術館』(新潮社、一九八三、六九頁)。
★五──鈴木了二「佐木島プロジェクトと映画」(『建築文化』一九九八年一二月号、彰国社)。
★六──同「ところで『階段』とはなにか?」(『住宅特集』二〇〇三年一一月号、新建築社)。
★七──★二に同じ。

>今村創平(イマムラ・ソウヘイ)

1966年生
atelier imamu主宰、ブリティッシュ・コロンビア大学大学院非常勤講師、芝浦工業大学非常勤講師、工学院大学非常勤講師、桑沢デザイン研究所非常勤講師。建築家。

>『10+1』 No.35

特集=建築の技法──19の建築的冒険

>鈴木了二(スズキ・リョウジ)

1944年 -
建築家。早稲田大学教授(芸術学校校長)。鈴木了二建築計画事務所主宰。

>麻布エッジ

東京都港区 商業施設 1987年

>神宮前の住宅

東京都渋谷区 住宅 2003年

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>建築零年

2001年

>コラージュ・シティ

1992年4月1日