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「美術館都市」は可能か? | 暮沢剛巳
Is the "Art Museum City" Possible? | Kuresawa Takemi
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.132-133

Q──最近、六本木アート・トライアングルってよく聞くけど、あれって何のことなの?
A──ここ数年、六本木には立て続けに大きな美術館が開館したじゃない? そのなかでも、六本木ヒルズの森美術館、乃木坂の国立新美術館、それに東京ミッドタウンのサントリー美術館の三館を結んだネットワークのことだよ。それぞれ運営母胎が違うので、今はまだPR程度の段階だけど、将来的には三館合同での企画展開催とかも視野に入れているらしいよ。
Q──なるほど。でも六本木って長いこと美術館のない街だったよね。
A──美術館を建てるのって広い敷地がいるからね。だから東京で美術館のある場所っていったら上野公園などに限られていたし、民間の美術館だと百貨店に入居していることが多いよね。でも六本木には大きな公園も百貨店もないから、美術館はなくても当然だった。
Q──それが何で、最近になって建設ラッシュを迎えているの?
A──一番のキーワードは都市再開発だろうね。それも、官民両方のレヴェルで考える必要がある。まず民のほうからだけど、これは森ビルの主導によるものなんだ。森ビルが今六本木ヒルズの建っている六本木六丁目一帯の地権を手に入れたのが一九八六年、ほどなくして「六六再開発」と呼ばれる再開発計画がスタートしたんだけど、その計画を詰めているときに生まれてきたのが「アーテリジェント・シティ」というコンセプトだった。言うまでもなく、アートとインテリジェントを組み合わせた造語で、アートを活かした街づくりを推進しようという意味。美術館はそのための中核施設として位置付けられていたんだよ。
Q──でも森ビルの再開発って、バブル期にはあまり評判がよくなかったよね。都心にビルばかり建てて、文化的インフラには大して貢献しないとか言われていたし。
A──確かにそう言われていたね。でも実際には、原宿や赤坂のラフォーレでは現代美術の展覧会やパフォーマンスをよく催していたり、アート関連の実績も残していたんだ。美術館と展望台を組み合わせるディヴェロッパー的な発想も、当時の活動の延長線上で生まれてきたんじゃないかな。ちなみにその頃はセゾングループの文化戦略が注目されていたけど、今の森美術館には当時のセゾンのスタッフも関わっているし、それに今メトロハットが建っているのはかつて六本木WAVEがあった場所。この流れって、どこか示唆的に感じるよ。
Q──森ビルがアートを都市再開発の基軸に据えていたって話はとりあえずわかったけど、じゃあさっきの民と官の対比で言うと、官のほうはどういうふうに関わっているの?
A──国立新美術館のことだね。あの館は、団体展のメッカとして知られてきた上野の東京都美術館が随分老朽化して手狭になってしまったので、それに代わる新しい美術館としてできたものなんだ。各美術団体の意を受けた平山郁夫らが陳情して、村山内閣のときに建設が決まったんだよ。場所が乃木坂になったのは、前にあの敷地に所在していた東大の生産技術研究所(生研)が駒場に移転することになって、偶々都合よく空いたかららしいよ。
Q──すると、厳密な都市計画の産物ってわけでもないんだね。
A──そういうことになるかな。ただあの敷地には戦前に陸軍の歩兵連隊兵舎が建っていて、生研もその施設を流用していた。結局はプロポーザルで黒川紀章案が選ばれたけど、美術館建設に当たっても、当初はもともとの施設を転用できないかって話もあったみたいだ。それはそれで、記憶をつかさどる美術にとってはふさわしい逸話かも。そういえば団体展の関係者は、上野から六本木への移転は観客動員の面からも不安があったらしいんだけど、いざ蓋を開けてみたらそれは杞憂だったみたい。会場の賃借料もかなり割安に設定されているようだし。
Q──東京ミッドタウンの場合はどうだろう?
A──あの敷地ももともとは防衛庁(現防衛省)があったところだね。その市ヶ谷移転後、二〇〇一年に三井不動産や安田生命など六社のコンソーシアムが地権を取得して再開発を進めてきた場所だから、来歴としては半官半民かな。「アーテリジェント・シティ」を掲げる六本木ヒルズに対して、こちらは周囲に緑地を増やしたり、エコロジーを前面に押し出しているね。赤坂から移転してきたサントリー美術館は古美術のコレクションが中心で、隈研吾のデザインもそれを尊重した作りになっているし、ほかにも日本産業デザイン振興会(産デ振)を誘致したり、安藤忠雄が設計し、三宅一生や深澤直人が運営に関わっている21_21 DESIGN SIGHTがオープンするなど、デザインというコンセプトも重視されているみたいだね。施設内の各所にパブリックアートを配置した「ユビキタス・アートツアー」を実施しているそうだから、今度参加してみようかな。いずれにせよ、この三館が競合することで、六本木は新しいアートやデザインの発信拠点としてますますプレゼンスを増してくるだろうね。
Q──六本木というと、ヒルズ族に代表されるセレブの街っていうイメージが強かったんだけど、最近は少し変わってきたのかも。このアート・トライアングルが定着すると、今後はアートの街と呼ばれるようになるかのかな?
A──アートを嗜好する人々にはもともと富裕層が多いから、多くのセレブが住む六本木の都市空間と美術館のあいだには一定の親和性があることは確かだろうね。でもパリのルーヴル、オルセー、ポンピドゥーの三点配置然り、ニューヨークのメトロポリタンとMoMAの関係然りで、美術館建設には本来ゾーニング事業としての側面があるんだ。それこそ、ル・コルビュジエムンダネウム計画を思い出してみればいいさ。鈴木都政の頃だからもうずいぶん前の話だけど、東京都現代美術館と東京国際フォーラムの建設が決定されたときには、お互いの場所が逆だったらという声が絶えなかったよ。美術館によるゾーニング事業というと、日本では上野公園のようなミュージアム・パークが真っ先に思い浮かぶけど、美術館をコンパクト・シティの中枢部に位置付けるような事業があってもいいんじゃないかな。今世界の大美術館はこぞって拡張プログラムや新館・分館の建設に乗り出しているけど、それらはすべからくグローバル・シティにふさわしい美術館の模索なんだと思うね。六本木アート・トライアングルもその一翼を担っているんだよ。

1──六本木ヒルズ。53階が森美術館 引用出典=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/9/93/Moritower.JPG

1──六本木ヒルズ。53階が森美術館
引用出典=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/9/93/Moritower.JPG

2──国立新美術館 引用出典=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/37/Nac_tokyo.jpg

2──国立新美術館
引用出典=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/37/Nac_tokyo.jpg

>暮沢剛巳(クレサワ・タケミ)

1966年生
東京工科大学デザイン学部。東京工科大学デザイン学部准教授/美術批評、文化批評。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>黒川紀章(クロカワ・キショウ)

1934年 - 2007年
建築家。黒川紀章建築都市設計事務所。

>隈研吾(クマ・ケンゴ)

1954年 -
建築家。東京大学教授。

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。