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建築保存はなぜ悩ましいのですか? | 横手義洋
Why is Building Conservation Difficult? | Yoshihiro Yokote
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) pp.112-113

現代の建築保存は実に多様なあり方を示している。厳格に現状を維持しようとする保存修理から、移築、再建、復元まで、その手法は幅広い。また、保存すべき対象も、建物の種類、建てられた年代、ともに拡大の一途をたどる。
修復や保存が建築の大きな主題としてクローズアップされはじめたのはおよそ二世紀前のことである。一九世紀の建築家たちは、中世建築の荒廃を目の当たりにして、建築物が永久不変の恒久的な存在ではありえないことを認識した。以来、物質の宿命である経年劣化はもちろん、場合によっては、うち捨てられた建築、未完のままの建築、革命や戦争で半壊した建築に対しても、どのような策を講ずるかについて熱い議論が展開した。過去のある瞬間をそのまま凍結しようとするロマン主義的な態度、過去をかつてあったように復元する方法、現代的な表現で過去を生かす手法……見解はいまだ一様ではない。
ところで、文化遺産の価値を示す基準としてオーセンティシティという用語がある。世界遺産制度や日本の文化財制度のなかで必ず言及される本用語は、「真正であること」、「本物であること」などと訳され、保存計画においては価値ある部分がどれだけ保持されたかを検証する際に持ち出される。現状では、〈形状、意匠〉〈材料、材質〉〈用途、機能〉〈伝統、技能、管理体制〉〈位置、立地〉〈言語その他の無形遺産〉〈精神、感性〉〈その他の内部要素、外部要素〉といった項目について検討がなされる★一。このように列挙するとなんとも複雑な印象を受けるが、もともと西洋世界では古くから聖遺物や古美術に対する鑑定・評価に本用語が用いられていた。要するに、紛い物との区別が必要だったわけである。建築保存の場合では、過ぎ去った時間につながる確かな情報であることが求められる。情報の確からしさをオーセンティシティは問題とするのである。
さて、オーセンティシティについては、昨今さまざまなところで論じられているように感じる。建築保存が社会問題として脚光を浴びるようになり、ちょっとした流行り言葉のようでもある。用語の普及とともに、ときにオリジナリティとの混同や、古い物にしか使えないといった誤解も生じているようだ。理論的に言えば、オーセンティシティは新築の建物にも論じうる。正論を述べるなら、刷新された部分にも将来文化遺産として扱われる可能性はあるのだ★二。だが、そうは言っても、通常は残された部分のオーセンティシティを問題にするのであり、講じられる現代的な造作にまでオーセンティシティがあると言っても問題は混乱するばかりだ。
幸い、保存の志ある実務家にそのような混乱を起こそうとする人はいないようだけれど、それでもオーセンティシティの議論はきわめて教条主義的だと不満が発せられることがある。その一方で、建築保存を学問として扱う研究者は結果をなるべく客観的に評価し、理想を固持することさえある。となると、ますます両者の間の溝は深まる。かく言う自分は……実際に計画に関わったことはないからどちらかと言えば後者になるのだろうが、さまざまな現実を考えればドライな姿勢ではいられなくなってくる。あれこれと考えるうちに、どうも歯切れが悪くなるのだ。
オーセンティシティによって保存問題を考える悩ましさにはさまざまな要因があるだろうが、もっとも大きいのは建築が美術品ではないことだろう。まず、建築は作家が生み出したという点で美術品と同じだが、圧倒的に規模が大きく、風雨にさらされ、原則、動かすことができない。屋外という過酷な環境では経年劣化を逃れられないが、だからといって、美術品のように保管ケースに入れるのは困難だし、仮にできたとしても建築の佇まいが著しく変わってしまう。さらに、建築は美術品と違って鑑賞されるだけでは駄目で、使用されなければ意味がない、という言い方もある。もし、使用や機能が建築を美術品と区別する最大の特徴だとすれば、活用し続けることが建物らしさを保つ要点なのかもしれない。この場合、たとえ当初の用途が変更されたとしても、それが同じ場所に同じように建ち続けるための最良の手段となることがある。さらに、建築家がより積極的な介入を果たし、既存の建物にあらたな刺激と魅力をもたらすことがある。こうした見方に従えば、活用はいよいよ保存の一環として捉えなければいけなくなる。
しかしながら、いまひとつの悩ましさは、活用と保存が鶏と卵のようなパラドックス関係にあることだ。〈保存するには活用が必要である〉〈活用するから保存が可能となる〉、どちらの言い分も真であるが重点の置き方によって結局話が噛み合わない。そして、相変わらず保存と活用の間で押し問答を繰り返すのである。ここに流行りのオーセンティシティを持ち出したとしても、オーセンティシティという基準自体が保存と活用のうまい落としどころを教えてくれるわけではない。文化遺産の価値を評価するオーセンティシティが保存手法を評価する基準として用いられることに異論はないが、過剰に期待するのは禁物であろう。基準はあくまで基準であって、妥協点を模索し最終的に判断を下すべきは人間である。
最後にもうひとつ、オーセンティシティにまつわる勘違いを指摘しておきたい。ユネスコや文化庁がオーセンティシティについて検証すべき項目を出していることはすでに指摘したとおりだが、個々の文化遺産についてすべての項目があまねく均等に該当するわけではない。だから、すべての項目を均等に満足させたからといって適切な保存手法になるともかぎらない。たまにこうした見当違いに出くわすことがある。そんな人に限って、すべての項目のオーセンティシティを比較しようとし、その度合いをグラフにでもしそうな勢いである。これもオーセンティシティ神話の一人歩きだろうか。あるいは、科学的判断への期待だろうか。そもそも文化遺産の継承が、“過ぎ去った時間は取り戻せない”という単純にして自明の困難に立ち向かう以上、パーフェクトな解答などありえないし、オートマティックな科学的分析は通用しない。したがって結局、建築保存は悩ましさを抱えつつ、それでもベターを目指すしかないのである。

1──《バシリカ》ヴィチェンツァ 中世建築を増改築したパラーディオの名作 筆者撮影

1──《バシリカ》ヴィチェンツァ
中世建築を増改築したパラーディオの名作
筆者撮影


2──《ブロレット・ヌォーヴォ》ミラノ 14世紀の建築に軽快な現代の階段が取り付く 筆者撮影

2──《ブロレット・ヌォーヴォ》ミラノ
14世紀の建築に軽快な現代の階段が取り付く
筆者撮影

3──《旧台徳院惣門》東京 立地を日比谷通り沿いに移し、ホテル敷地のゲートとして活用 筆者撮影

3──《旧台徳院惣門》東京
立地を日比谷通り沿いに移し、ホテル敷地のゲートとして活用
筆者撮影


★一──「世界遺産条約履行のための作業指針」そのものが時代とともに見直されており、オーセンティシティの検討項目も精緻化し拡大されている。
★二──例えば、パラーディオによるバシリカ。中世建築に対する一六世紀の増改築だが、既存部分よりは増改築部分に込められたパラーディオの作家性によって広く知られる。

>横手義洋(ヨコテ・ヨシヒロ)

1970年生
東京大学大学院工学系研究科助教。西洋建築史、近代建築史。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32