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「影」のデザイン | 岡部友彦
"Shadow" Design | Okabe Tomohiko
掲載『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) pp.95-101

横浜寿町

神奈川県横浜市。日本で第二位の人口を抱えているこの都市は、東京湾に面した西区、中区に主な機能が集中しており、湾岸には、みなとみらい21地区、関内、中華街、元町と、横浜を代表する観光地が連なっている。
現在の湾岸高速線上に、かつて堀と関所が存在しており、その内部という意味で関内と呼ばれたのに対して、堀の外側の部分は関外地区と呼ばれ、飲み屋=野毛、歓楽街=黄金町、日ノ出町、買い物=伊勢佐木町、食材=横浜橋などのように、地域ごとに明確な特色を持っており、それぞれが横浜の一角を担っていた。寿町もそのひとつにあたる。
寿町は、日本三大寄場として知られる日雇い労働者の街である。もともとは、周辺と変わらぬ普通の街であったのだが、第二次世界大戦後、米軍に接収され、数年資材置き場として使用されていた関係で、返還後は、戦前の地権者との関係が遮断され、当時横浜港での荷積み仕事などを行なっていた労働者のための宿場として、現在の骨格がつくられていった。ゆえに、二〇〇×三〇〇メートルといった明確な区画をもっており、現在では、簡易宿泊所が一一〇件、およそ八〇〇〇もの部屋が存在している。各部屋は、決まってほぼ三畳と、法で定められた最小単位で作られている。高度成長期などピーク時には家族連れも多く、約一万人もの人々が高密度に居住していたが、現在では、約六〇〇〇人が居住しており、その九五パーセントが単身の男性と、かなり偏った人口構成になっている。仕事柄か、血の気の多い者も多いため、周囲の住民からは、“危険な地域”とのレッテルを貼られ、今でもその記憶は根強く残っている。バブルを過ぎた頃から不景気とともに港湾労働の機械化、コンテナ化も始まり、日雇い需要が減少、そして現在、住民たちも高齢化し、人口の約五〇パーセントが六〇歳以上で、八〇パーセントが生活保護受給者といった、高齢で生産性のない街へと変わり果ててしまった。
このような地区は、どのような都市に行っても、必ずと言っていいほど存在している。日の当たる地域の周囲には、それを支える、または支えていた影ともいえる部分が存在するのだ。光の部分も、影の部分もどちらも積み上げられてきた歴史が存在する。影の地域を無理矢理光に変えようとすれば、他の地域に新たな影が創られることになるだろう。影の地域は、影としてデザインしていくことが重要なのだろう。
NPO法人さなぎ達は、その影としての積み上げ方をデザインしているチームのひとつだ★一。その活動は、住民たちの総合的なケアという点では、それほど特殊には見えないのだが、このチームの特徴は、組織体系にある。
医・衣・食・職・住という五つの分野を軸とする活動に対し、このNPOは、ミッションを掲げる存在として中心に位置し、それを取り囲むかたちで、複数の企業体が活動の一部を担い、そのミッションを共有しながら相互に連携活動を行なっている。
医を担うのは、住民の健康状態の管理と、極めて高い結核感染率の低減、孤独死と呼ばれる不審死の防止など、この地区特有の問題に対応する医療として、クリニックが設立されている。
衣は、唯一NPOが直接行なう非営利の部分である。日本中から集められた衣類の寄付を、街の住民たちに提供する窓口になったり、また、行政との協働のもと、住民たちの生活相談やメンタルチェックなど、住民と社会機関との掛け渡しを行なっている。
食は、食堂の運営であり、住民の食環境改善を目的とし、三〇〇円という低価格で通常の定食を提供し、またパン券と呼ばれる、行政が生活保護受給者以外に発行するある種の地域通貨を利用して食事を提供する仕組みを作るなど、地域の条件に即した運営体系がとられている。
さらには、大手コンビニエンス・ストアのローソンとの提携により、工場から出荷されない余剰食品などを、食材として食堂で有効活用するネットワークも形成され、寿での問題だけでなく一般社会の問題とも結びついた活動が行なわれている。
職は、前述の食堂や、後述する介護ヘルパーなどのように、寿町という地域に向けて行なわれているビジネスに対して、住民の雇用機会を提供するしくみが創られている。通常、生活保護法は労働を行なえない者に対して適用されるものであるが、その状況から通常の職業へと復帰する過程には、かなりの障壁があるのが実情である。そこで、この地域では、定職に就くためのトレーニングとして、住民が職業トレーニングというかたちで参加できるよう、地域内循環が創られている。
最後の住は、高齢化した住民のための介護ヘルパーである。寿町の人口は、現在九五パーセントが男性の単身者である。そのため、身体が不自由など、身の回りのことを満足に行なえない人が多く、部屋の中で、そのまま亡くなるケースも多い。しかし、通常の介護ヘルパーでは、手に負えない利用者が多かったことから、数年前までは、ニーズはあるものの、供給が存在しない状況であった。
その街に介護のサービスが生まれたのは、住民のなかでも比較的健康な人たちをヘルパーとして育成し、年老いた住民たちを介護する体系が創られたことにある。この仕組みにより、かつては手に負えなかった人たちが、高齢化した手に負えない人たちの介護をすることができ、さらには、雇用創出にもつながる仕組みとなった。実際に生活保護を断ち切り、社会復帰したメンバーも多数存在している。
このように、NPOを中心に据え、各企業が独自に活動するのではなく、相互に連結をとりあっていくことによって安定し、持続可能な環境を創り出している。
これらの話は、都市のソフト面に当てたものであり、一般に福祉の分野として語られがちであるが、これらの活動を支えるシステムの構築にこそ、地域や建築にまで結びつく原点のようなものが隠されているのではないかと考えている。

1──上方から見るた寿町。 ほぼすべてが“ドヤ”と呼ばれる簡易宿泊所 筆者撮影

1──上方から見るた寿町。
ほぼすべてが“ドヤ”と呼ばれる簡易宿泊所
筆者撮影

2──寿町の外部空間。昭和40年代の建物が多い。 以前までは、不法投棄された廃棄物が 道路脇に積み上げられていた 筆者撮影

2──寿町の外部空間。昭和40年代の建物が多い。
以前までは、不法投棄された廃棄物が
道路脇に積み上げられていた
筆者撮影

世界における活動

このような寿町での活動体系は、海外においても同じように行なわれている。イギリス、ロンドンの郊外に位置するBromley by bowでの取り組みが、世界的に有名である。
Bromley by bowは、ロンドンの東側、地下鉄でいうzone3の縁に位置する地域である。
ここは、かつてから戦争や紛争で、東欧や中東、アフリカなどから逃れてきた難民が暮らしている地域であったため、約五〇種類もの言語が話される多民族地域へと変わり、失業率も高く、さらには高密化した住環境から、病気や結核などを患う住民が多かった。ここへ移り住んできた人々の多くは、言語の違いが大きな障害となることから、特に親が、引きこもりになってしまうケースが多い。子供たちのなかには、戦争など悲惨な状況を目の前にした特殊とも言える環境で生活していたこともあり、人を傷つける度合いがわからない者も多く、そのため、治安の悪化が深刻な問題となっていた。
一九八〇年代、ある牧師がこの地に赴任してくる。彼は、アンドリュー・モーソンといい、赴任した教会と、隣接している荒れ果てた公園を利用し、コミュニティ再生のための拠点として、Bromley by Bow Centre(以下BBBC)を設立した★二。
このセンターがとてもユニークなのは、単なるボランティアとして構成された組織ではなく、地域環境の改善というミッションのもとで、経済的仕組みを取り込んでいるかたちにある。BBBCでは子供たちの学童保育的な機能や、カルチャー教室、セラピーなどの福祉サービスが、住民に提供されるとともに、六つのビジネスサイクルが形成されている。
ストリート、地域、校庭などのランドスケープデザインを行なうのがGreen dream。ストリートファニチャーや家具など、質の高い製品を作成、販売を行なっているのがthe furniture group。グラフィックデザインを手がけるのがLekker Design。センターに併設され、地域住民へ開放されているカフェテリアのPIE IN THE SKY。遊具のデザインや、パブリックアートなどを、子供とともにデザインするsign of life。そして最後が、tour & seminars。BBBCで行なわれている上記のようなビジネスを通して、その収益の一部が、センターの運営資金にまわされるため、安定したかたちで活動が行なわれている。その体系が珍しいことから、国内外のメディアや他地域の行政の視察など、さまざまな人がこの活動に興味を持ちここを訪れる。そこで、ここの取り組みをツアーやセミナーのかたちで紹介して料金を徴収し、ここでの収入も活動資金にまわしている。
これらの企業活動は、センターで行なわれている学童保育や、カルチャー教室とも連動して子供たちを引き込んだり、また、地域住民の雇用の機会としても利用されている。さらに、チームの吸引力として、アーティストの存在が欠かせない存在となっており、センターに併設されたアトリエを廉価に提供するかわりに、カルチャー教室の先生や、デザインなどの指導をしてもらうことにより、制作するものの質を商品として販売できる状態に高めている。
このような取り組みは、通常社会福祉の分野とみられがちであるが、そもそも地域環境改善のためのソフト的アプローチと見ることができるだろう。はじめは一人の思いから活動など“コト”が始まり、時間の経過とともに徐々に、物質的な“モノ”の整備へと活動が移行していく。その変化の過程を支えていく経済的サイクルを作り出すことが、継続的で発展可能な運営体系を創り出すことができ、街の環境にも大きな影響を及ぼす。
これらの事例は、ただ建物や設備など“モノ”を新しく再生していくのではなく、本来の意味での地域コミュニティの回復、そして地域環境の改善ということに成功した代表例である。
寿町やBBBCをみてみると、連携した組織体系とともに、ボランティアではなく、地域改善に経済活動を組み込むスタンスが、これからの地域活動には必須の条件のようにみえてくる。問題の多い地域だから、このような体系がとれているのではなく、このような地域の方が、問題点は明確に見えやすく、活動も特徴的なものが多いようだ。New YorkのCommon Ground Community(以下コモングラウンド)もそのひとつだ★三。
この組織も NPO法人ではあるのだが、その活動内容は、ディヴェロッパーともいえるものである。コモングウランドは、年末のカウントダウンでにぎわうタイムズスクエア周辺の一角にあるタイムズスクエアホテルを購入、改装し、ホームレスの社会復帰を目的として、宿泊機能、健康管理施設、カウンセリング室などを持つ総合的な施設へと変貌させた。このホテルは、かつては、高級ホテルであったものだが、八〇年以降荒廃し、閉鎖後ホームレスのたまり場となっており、周辺環境へも大きな影響を及ぼしていた。
九〇年代のニューヨークは不況のまっただ中であり、失業率の上昇から、治安の悪化が問題となっていた。ニューヨーク市は、この状況を打開するべく、「ロウアーマンハッタン経済再活性化計画」など、地域経済を救済するさまざまな政策を行なっていた。
そのひとつにBID(Business Improvement District)というものがある。BIDとは、ある区域内の不動産所有者からアセスメントと呼ばれる負担金を税金とともに行政が徴収し、その資金を BIDと呼ばれる、その地域につくられた組合に全額流入し、地域活性化のために直接活用するという制度である。その主な使われ方は、地区の清掃、警備、プロモーション等、地区改善が代表的なものであり、そのほかに地区によって特有の活用例も存在している。コモングウランドがホテルを復興させた後、地域の BIDが、地域の清掃・警備等の仕事を、ホテルに住む住民たちの雇用の場として委託したことにより、以前悪化を引きおこしていた当人たちに環境整備を任せることで、環境改善がなされた。また報酬の一部をホテルの居住費にあてることができるため、活動資金を捻出する環境を創り出すことができている。
コモングウランドで特徴的なのは、地域循環の仕組みに活動の一角を組み込むこと、そして、地域外にも活動を展開していることだ。大手アイスクリームチェーンのベン&ジェリーから店舗を借りて、雇用を創出したり、チェーンホテルのマリオットホテルへ従業員の提供を行なったりと、人材を資源とみなし、派遣会社さながらの活動も行なうことで、宿泊費や店舗の売り上げなどから活動資金を得ることができ、継続した運営とともに、現在では、同じような荒廃したホテルを買収し、三軒のホテルを運営するまでになっている。

3──BBBCの建物の一部。 公園、教会、センターが一体となっている 筆者撮影

3──BBBCの建物の一部。
公園、教会、センターが一体となっている
筆者撮影

4──BBBC内のカフェテリア。 テーブルや椅子は、このセンターで製作されたもの 筆者撮影

4──BBBC内のカフェテリア。
テーブルや椅子は、このセンターで製作されたもの
筆者撮影

5──タイムズスクエア。 現在は観光名所のひとつ 引用出典=http://www.wirednewyork.com/hotels/hilton_times_square_hotel/images/hilton_times_square_night.jpg

5──タイムズスクエア。
現在は観光名所のひとつ
引用出典=http://www.wirednewyork.com/hotels/hilton_times_square_hotel/images/hilton_times_square_night.jpg

金融的視点から

上述したような地域の資金を収集するBIDのように、世界で行なわれている地域活動では、さまざまな枠組みによって、活動が持続、発展していくことのできるよう資本供給の仕組みが作られている。そのほかにも金融面からその枠組みをみてみたい。
世界では、コミュニティバンクやソーシャルバンクという普通の銀行とは異なるものが存在している。日本でも市民バンクが存在してはいるが、その規模はそれほど大きくない。
コミュニティバンクとは、ある限られた地域社会を拠点とし、その地域の企業や事業に融資などを行ない、その地域で資金循環を行なう小銀行のことをいう。
アメリカでは多く存在しているが、もともとそのような目的で創られたわけではない。アメリカには、人種差別があるということ、約八〇〇〇行もの銀行が存在するなかで、大手が一〇行、中堅が九〇行と、この一〇〇行が全米人口の約八〇パーセントのシェアを占めており、残り二〇パーセントのシェアを国中に点在している残りの七九〇〇行で分け合うことになるため、多くの銀行が、非常に弱小であり、国の援助なしでは存続できない状態にあること、などが背景として存在している。
コミュニティバンクの前身となるものが現われたのは、不況であった一九六〇代であり、当時アメリカンドリームといえば、自邸を持つことであったなかで、黒人というだけで、住宅の販売を拒否されたり、住宅ローンを取り扱わないなど、人種差別による制約が多く存在していた時代であった。この状況に対して国政により差別を禁止する対策が打ち出され、黒人を始め、少数民族や低所得者に対しての制約の撤回、すべての人に平等なサービスを提供する流れが生まれてきた。九〇年代以降になると、ようやく差別問題も落ち着くことになり、国政の流れが地域へ向けられることとなる。一九九四年には、CDFI Fund(Community Development Financial Institution Fund)が財務省内に設立され、各地域に存在する銀行で、衰退地域に貢献するものに対しては、国策によりサポートを行なう試みが行なわれた。これが地域銀行の救済であり、また地域活動が銀行を介して国と繋がった瞬間でもあった。裏を返せば、アメリカの地域銀行は、地域で行なわれているNPOなどの活動なしには存続できない状態になったわけである。
このように、人種差別の問題から地域活動、銀行の存続という経緯により、国策のかさのもと、地域活動を支えるしくみが結果としてできあがったわけであり、ここが日本の地域活動の背景とは大きく異なる点ではないかと思われる。
次にヨーロッパにおいてだが、こちらには、ソーシャルバンクないしは、ソーシャルファイナンスという考え方が存在する。
日本でもそうだが、通常の銀行では、預金者は、自分の預金がどのようなかたちでどのような企業に融資されているのか関与することもできなければ、知ることさえできない。
この状態を変えるべく、一九六八年オランダで、社会的に流用できる仕組みを考える研究会が発足した。この研究会がのちに、トリオドス銀行というソーシャルバンクの先駆けとなり、預金者から集めた預金を、社会的、環境的に意義のある活動を行なっている企業、組織に限定して融資を行ない、さらには、預金者自らが、融資先を選んで預金をすることができるような仕組みを作り上げた。
このような形態の銀行をソーシャルバンクといい、現在ヨーロッパには多数存在してる。さらに、このソーシャルバンクを含め、社会的意義のある活動や企業に資金供給する仕組みをまとめてソーシャルファイナンスと呼んでいる。
このような組織が形作られた背景には、もともと宗教や文化の基盤から、社会問題に対する関心が、多くの市民のなかに存在していることのほかに、統廃合により、過疎地、貧困地などへの銀行サービスが制限されるなど、金融的排除が顕在化したこと、NPOなど社会的企業の資金需要が発生したこと、従来から続く社会的な資金ルートの伝統があること、EUの失業対策、社会的統合などの対策などが存在する。
このように背景は異なるものの、欧米ともに資金面での基盤がしっかりと築かれていることが日本との大きな違いだろう。

6──YHVのフロント兼サロンスペース。 東京工芸大学生により完成 筆者撮影

6──YHVのフロント兼サロンスペース。
東京工芸大学生により完成
筆者撮影

7──YHV客室。3畳AC、TV付き。一泊3000円 筆者撮影

7──YHV客室。3畳AC、TV付き。一泊3000円
筆者撮影

YOKOHAMA KOTOBUKI STYLE

再び寿町に話題を戻すと、寿町にはNPOを中心に、住民のトータルケアを目的としたネットワークのほかに、一〇年後の寿町を見据えた活動も行なわれている。 YOKOHAMA KOTOBUKI STYLEというプロジェクトがそのひとつで、高齢化、非生産性、不法投棄、街の孤立化などの問題をふまえ、十数年先を見据えて街のヴィジョンを考えていくものである。

若者を取り戻す/雇用を生み出す

寿町には現時点でさえ、すでに一五〇〇室もの空き部屋が存在しており、今後高齢化の結果、さらに空き部屋が多く出てくることになる。そのまま放置してしまえば環境悪化に結びついてしまうし、かといって麻薬中毒者など問題を抱えた人々が全国から流れ着くのを待つべきなのかといえば、それこそ本当のスラムになりかねない。まさにこの街は、どのように変わっていくのかという岐路に立たされている。
そのなかで、この空き部屋をそのままにせず、もう一度“ドヤ”を“やど”へと転換させるプロジェクトとして YOKOHAMA HOSTEL VILLAGE(http://yokohama.hostelvillage.com、以下YHV)という世界中のツーリスト、学生、ビジネスマンなど街の外の人たちに焦点を当てた安宿事業が誕生した。
この街にとって、空き部屋は重要な資源であるのだが、今まで日雇い労働者や生活保護者しか対象としていなかったため、彼らが入居しなくなると、そのまま放置される状況が多く見られた。そこで使われなくなった資源を、街の外の人に対して安宿として提供することで、今まで入ってこなかった若い人たちが訪れるようになり、街の印象も少しずつ変わりだした。さらには、今まで出費でしかなかった街に、雇用が創出されることになった。
どやと呼ばれる簡易宿泊所は、客室面積が三畳程度で、トイレ、洗面所のほかには、ラウンジやフロントなどの共有スペースはなく、寝ること以外のあらゆるものがそぎ落とされた究極の寝床といえる。そのため、労働者から旅行客へと顧客対象を替えるに際して、建築単体では補えない空間を、地域を単位として補っていく必要性が出てきた。そこで、街全体をひとつのホステルと見なすことで、宿とは独立するかたちでフロントやサロンスペースなどを、共有施設として街の中に形作っていく。
二〇〇五年から始まり、現在まで、約二〇〇〇人もの人たちがこの街を訪れた。なかには、昨年行なわれた横浜トリエンナーレのアーティストや、高校生の部活動の遠征など幅広い客層がみられている。今後は、二〇〇九年の横浜開港一五〇周年記念や羽田空港の国際化に向けて、提携宿を増やし、部屋数の拡大と、共用設備の充実を図る。
寿町にかつてのイメージを抱いている人間にとっては、考えられない事態かもしれないが、世界各国から訪れる人々によって、街が再活性化されることにより、周囲の人たちの既成概念をも塗り替えられれば、本当の意味で、寿町が横浜の一部に戻ることになるのだろう。

8──住民の部屋。 長期生活の空間としては狭すぎる 撮影=福島慶介

8──住民の部屋。
長期生活の空間としては狭すぎる
撮影=福島慶介

快適な外部空間へ

寿町では昼間、多くの住人たちが街路に出てきては、いたる所でたむろしている。この状況を初めて目にする人にとっては、異様に写るかもしれない。外へと出てくる大きな要因は、三畳という生活空間の狭さと、居室以外に居場所を持たない建物自体にあるように思われる。住人にとっての街路は、交通の空間というより、三畳の居室と並んで、仲間と交流する“居間”のような生活空間なのである。
それにもかかわらず、不法投棄された廃棄物や廃車が、街の外から運び込まれたり、座る設備もないため地面にそのまま座り込む姿も見られたりと、生活スタイルと街の現状に大きな隔たりが感じられる。
良くも悪くも、この街の建築は、単体では通常の要求が満たされない。その要求の改善策が、街の中に求められている状況にある。
現在、不法投棄された廃棄物や廃車の撤去が進められており、再発防止のために撤去後、置かれていた部分にプランターが敷き詰められ、モノトーンだった街並みに彩りが生まれ始めている。そして、この緑化運動を皮切りに、横浜市、自治会、住人を交え、縁台の設置や、街灯の整備など、交通の場としての街路から、住人の憩いの場としての街路へと、変わり始めている。

イメージの改善へ

YHVもそうだが、どのプロジェクトにおいても、街の問題解決とイメージの改善が表裏一体となっている。二〇年前のイメージが今なお多くの人々のなかに色濃く残っていることは事実。しかし、街が変わろうとしているのも事実。このことをどのように示していくのか、企業が商品のブランド戦略を立てるように、地域のステレオタイプのイメージを取り除くための戦略もいくつか行なっている。そのひとつの試みとして二〇〇五年、街の状況とプロジェクトを幅広い人々に認知してもらうために、プロモーションビデオ『KOBOBUKI Promotion』の作成を行なった。この手法は、ヨーロッパでは、地域再生でよく用いられる手法であり、一般市民へ向けて、理解と認知を深めるために作られている。
ここでは、プロジェクトの理解と認知のほかに、過去と現在の状況の違いや、横浜にこのような地域が存在することを紹介する意義もある。作品として制作されたこともあり、展覧会や、イヴェントなどでも上映されるなど、多くの人々に発信する媒体となっている。
ほかにも、さまざまなものをプロモーションの媒体とすることができる。例えば、横浜市長選挙。生活保護を受給するための条件に住民票をその地域におくことが必須条件となっているため、この小さな地区に約六〇〇〇もの票が埋もれていることになるのだが、そのことを政治家はおろか、住民たちも気づいていない。そこで、区の選挙管理委員と協働で、住民の意識転換を行なうために、選挙啓発キャンペーンを行なった。単にポスターを貼ったりするだけでなく、キャンペーン自体が街のイメージ変革の一端を担うように、選挙情報が記載された色とりどりの矢印型ポスターを六〇〇枚作成し、街中に設置、当日矢印通りに進んでいくと、投票所までたどり着くような状況を創り出した。その状況が新聞各社に掲載されたおかげで、一時的ではあるが、周辺の住民たちが街を訪れた。そして、投票率も横浜市全体では、前回と比べると三パーセントも減少していたのに対して、寿地区では、四パーセント増加させることができた。
地域を活性化するのに建物や特産物など“モノ”を再生することは第一義的な課題ではないだろうということは、寿町でのプロジェクトや前述でのプロジェクトを通じての印象である。地域の現状に対し、まず何が“資源”となりえるかを再発見することにより、その地域特有のビジネスやしくみなどの“コト”を創り出し、無理なく継続できる環境作りをすることで、その地域に活力を取り戻すことが大切なのではないか。そして、その“コト”が、継続して行なわれることにより、物質的な“モノ”が築き上げられていく。このように元来の街やコミュニティの形成過程とも考えられる一連の流れを、地域や建築に再投入することによりデザインしていくことが必要なのではないか。分野を超えた連携、三位一体となる体系、コトづくりとモノづくりとの融合のかたちをこれからも追求していきたい。

9──寿町の現状と、プロジェクトを納めた プロモーションムービー 制作=岡部友彦+福島慶介+川瀬浩介

9──寿町の現状と、プロジェクトを納めた
プロモーションムービー
制作=岡部友彦+福島慶介+川瀬浩介

10──KOTOBUKI選挙へ行こうキャンペーン 制作=岡部友彦+田中陽輔

10──KOTOBUKI選挙へ行こうキャンペーン
制作=岡部友彦+田中陽輔


★一──http://www.sanagitachi.com/wiki/
★二──http://www.bbbc.org.uk/
★三──http://www.commonground.org/

参考文献
●渡邊奈々『チェンジメーカー──社会起業家が世の中を変える』(日経BP、二〇〇五)。
●財団法人トラスト60編『ソーシャル・ファイナンス──ヨーロッパの事例に学ぶ“草の根金融”の挑戦』(金融財政事情研究会、二〇〇六)。
●ブリティッシュ・カウンシル『英国の市民社会』(二〇〇一)。

>岡部友彦(オカベ・トモヒコ)

1977年生
コトラボ合同会社代表。建築家。

>『10+1』 No.45

特集=都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?