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不連続性の問題と密度の問題 | 松田達
On Noncontinuity and Density | Matsuda Tatsu
掲載『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) pp.120-128

構成、形態、機能という条件を超えて

不連続統一体

八王子の丘陵地帯の一角、野猿峠の西側にあたる約二万坪の敷地に、吉阪隆正とU研究室によって設計された大学セミナーハウス(一九六五─一九七八)の施設群が広がっている。大学セミナーハウスは、本館、講堂、図書館、セミナー館、交友館、クラスター状に群をなす宿舎などからなる一連の宿泊研修施設であり、これらの施設は、さまざまな大学の学生が共通して使用することを目的として構想され、当時はプログラムとしても革新的なものであった。起伏のある丘陵地の中に、緑に埋もれるようにしてさまざまな施設が点在しており、それらをつなぐ小道を一周してくることで、ランドスケープと建築群が一体化した関係をとりつつも、それぞれの建築が独自の形態を持っており、全体の計画のなかで個別の建築が埋もれ込まずに次々と新しいシークエンスを展開していくような体験が得られた。そのなかでもっとも有名なのは、大地に楔を打ち込んだかのような逆四角錐台の《セミナーハウス本館》(一九六五)であろう。
この本館は、平面的にはほぼ正方形であるが、上部にいくにつれ面積が大きくなり、最上階の面積は一階の二倍以上ある(一階一九九・〇四平方メートル、四階四二六・四八平方メートル)。実際に近寄るにしたがって、コンクリートの外壁のせり出しが予想以上に異様な迫力を持っていることに気づく。それほどの高さではないにもかかわらず、周囲に対して圧倒的な存在感を帯びている。内部は、スキップフロアを登るようにして上部に昇っていくと、一階は事務室、二階は半分が吹抜、三階はラウンジ、四階は食堂となっているが、実際は三フロアーの間に中二階、中三階があるといった印象に近いだろう。その中三階のロビーからは、隣接した丘に接続するブリッジがでており、立体的にかなり複雑な構成となっている。
大学セミナーハウスの施設全体をめぐる体験と本館をめぐる体験は、ある意味似ていた。全体が一〇年以上の時間をかけてつくられたということ以上に、それぞれの建築はまったく別々の特徴をもってランドスケープのなかから立ち現われる。けれども、同時にその全体をまとめている何かというものも感じさせる。それはル・コルビュジエ的な造形言語かもしれないし、プランニング上の全体構成かもしれない。《セミナーハウス本館》は、それぞれの階が異なる平面的広がりを持つということもあるのだろうが、単純な楔形の形態のなかに、いくつもの異なる空間がおさめられているという印象を受ける。階を昇るにしたがって、新しい空間が開けてくるという感じだ。吉阪の「不連続統一体」という有名な言葉は、このような状況を指しているのだろうと思う。それぞれの建築や空間は別々のものとしてあるのだが、同時にそれらを統一する全体性のようなものがあり、その矛盾した両者の緊張関係が伝わってくるような状況、それがその言葉に込められているような気がする。全体性のようなものは「遅れて」やってくる。空間をめぐっているときにはその空間を構成する全体像のようなものはまったく気づかないが、よく分からないままに全体を一周してくると、ようやく全体を貫く原理のようなものが見えてくる。この場合、建築を見る限定された視点というものはない。どの場所からも、その全体像を見ることはできないし、そういうものは想定されてもいない。それぞれの場面において、建築や空間がその都度立ち現われてくるという言い方が最も的確なのではないかと思う。

1──吉阪隆正+U研究室 《セミナーハウス本館》プラン 出典=『建築文化』1979年9月号(彰国社)

1──吉阪隆正+U研究室
《セミナーハウス本館》プラン
出典=『建築文化』1979年9月号(彰国社)

2──吉阪隆正+U研究室 《セミナーハウス本館》東西断面図 出典=『現代日本建築家全集 15』(三一書房、1971)

2──吉阪隆正+U研究室
《セミナーハウス本館》東西断面図
出典=『現代日本建築家全集 15』(三一書房、1971)

視点の問題

吉阪はル・コルビュジエの弟子であるが、同じくル・コルビュジエに強く影響を受けた丹下健三の例を挙げておこう。丹下健三チームの案をもとに計画された広島平和記念公園は、《広島平和記念資料館西館》(一九五二)、原爆死没者慰霊碑、平和の灯火、原爆ドームが公園の中心を通る軸線上に一直線に配置されている。ピロティによって持ち上げられた中央の西館は、単純な箱型であり、そこからブリッジで結ばれて右側に広島平和記念資料館東館がある。また、
《広島国際会議場》(一九八九)が西館の左側に東館と向き合うように建てられたことによって、ピースセンター全体の対称性はより強められている。この祈りのための空間は、厳粛で抽象的な緊張感のある場をつくりだしている。ここでは逆に、建築を見るべき視点のようなものがいくつかあるような気がする。公園の中央を貫く軸線上の視点、全体の計画を見ることができる視点、あるいはフォトジェニックな構成が見えてくる視点。このつくりあげられた美しい空間は、全体がひとつの芸術作品のようであり、完成された全体像のなかに、それぞれの建築や空間がぴったりとおさまっているという印象がある。実際、国際会議場が建てられたことで、はじめて計画の全体が完成したといえるだろう。

3──丹下健三《広島平和公園》 出典=丹下健三・都市・建築設計研究所HP(URL=http://www.ktaweb.com/)より

3──丹下健三《広島平和公園》
出典=丹下健三・都市・建築設計研究所HP(URL=http://www.ktaweb.com/)より

さらにまたル・コルビュジエの弟子である坂倉準三が設計した《神奈川県立近代美術館》(一九五一)は、鶴岡八幡宮の境内の中に、平家池にせりだすようにして建っている。建物は中央の四角い中庭を取り囲むようにして展示室などが配置されており、主要部分はほぼ二階に集められ、一階はピロティとして中庭と外部を結ぶ半屋外的な開放的空間となっている。ここで特に目立つのは階段ではないかと思う。正面入り口のエントランスとなっている階段、池に面した一階のテラスと二階部分とを結ぶ階段。ピロティの上に空間が積み重ねられ、四角い、直交するいくつかのボリュームのなかで、斜めに空間を切る階段は、空間を特徴づけるアクセントになっているだけではなく、そこを通過することで、空間のシークエンスがダイナミックに展開される場所である。
ル・コルビュジエを受け継いだ三人の建築家の作品を挙げてみたのだが、視点という点から考えると、それぞれの明確な特徴が抽出できるのではないかと思う。吉阪の《大学セミナーハウス》は、空間が不連続であり、見るべき視点が限定されていない。丹下のピースセンターは、明確な全体像があり、それを見るためのいくつかの視点が浮かび上がってくる。坂倉の《神奈川県近代美術館》は、点的な視点ではなく移動する視点、つまり連続的な空間を通るシークエンスの展開のようなものから建築が見えてくる。視点がないもの、点的な視点、線的な視点。この抽出された三つの特性は、各建築家とは無関係に、建築的空間の特徴として取り上げることができるのではないかと思う。ここから逆に、この三つの特性をあわせもつル・コルビュジエの複雑さに焦点をあわせることもできるかもしれないが、異なる角度から視点の問題を考えてみよう。

4──坂倉準三《神奈川県立近代美術館》 出典=神奈川県立近代美術館HP (URL=http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kinbi.htm)より

4──坂倉準三《神奈川県立近代美術館》
出典=神奈川県立近代美術館HP
(URL=http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kinbi.htm)より

5──坂倉準三《神奈川県立近代美術館》 出典=神奈川県立近代美術館HP (URL=http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kinbi.htm)より

5──坂倉準三《神奈川県立近代美術館》
出典=神奈川県立近代美術館HP
(URL=http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kinbi.htm)より

吉阪隆正から青木淳

建築における視点は、構成や形態の問題と強くかかわっているのではないだろうか。建築において、構成や形態、それに機能といったものは、つねにそれを規定する条件として現われる。建築が巨大になればなるほど、その構成の分かりやすさが求められるだろうし、建築が構造を必要とするという面から考えても、構造的に成立させるための構成は非常に重要だ。形態は、目に見えて現われる建築の特徴である。地中にでも埋められない限り、形のない建築というものはない。ザエラ・ポロ&ファッシド・ムサヴィによる《横浜客船ターミナル》(二〇〇二)のように、「形のない形式」フォームレスフォームをとる建築はあるけれども、だからといって形態が消えているというわけではけっしてない。また機能は、特にモダニズムにおいて、建築を規定する重要な条件であった。もっとも純粋なモダニズムの原理は、「形態は機能にしたがう」であったし、あるいは「住宅は住むための機械である」であった。つまり、建築はいくつかの機能を持っており、その機能を満たすための空間をつくっていくことによって、機能にしたがった完全な建築ができあがっていくというわけだ。現代の建築計画学は、モダニズムの機能主義を引き継いでいる。建築が満たすべき機能と必要諸室、そういったものを条件に設計がなされる。こういった構成、形態、機能といったものは、確かに建築の基本的な特徴ともなっている。逆にいえば、建築はそれらによってかなりの部分、規定されてしまっているということである。ある空間について言葉で的確な説明を加えることは難しいが、建築は構成や形態や機能を定めてやることで、その輪郭がはっきりとしてくる。
丹下のピースセンターも坂倉の《神奈川県立近代美術館》も、明快な構成と形態を持った計画である。一方、吉阪の《大学セミナーハウス》はそのようなものはあるかもしれないが、明快であるとはいえない。ル・コルビュジエの弟子のうち、吉阪はそれらのある種の言葉にならない空間の問題を積極的に引き受けているように思える。ところで、この吉阪の引き受けた問題意識は、青木淳が抱えるそれと似ているように思われる。青木淳は、構成や形態や機能といった建築を既定する条件に対して、それらの重要性を認めつつも、その条件に支配されないような空間をつくっているように思えるのだ。

文章と対話

青木淳の建築について考えるとき、文章と対話の違いについて考えてみたくなる。〈伝えたいこと〉は何か、そしてそれをどのようにして伝えるのかという問題は、構成や形態といった手段をどのように用いながら、どのような空間をつくっていくのかという問題と似ているからだ。
文章というのはそもそも圧縮されたものだ。〈伝えたいこと〉の内容というのは、文章にすると長くも短くもなる。文章にいろいろな情報を詰め込もうとすると、圧縮率を高くするしかない。けれどもあまりに圧縮してしまうと、それを解凍することが大変になってくる。文章を書くときに使った圧縮ソフトに対応した解凍ソフトが必要となるわけだ。読みにくい文章というのは、読むための解凍ソフトが見つからないような文章であって、誰にでも読める文章とは、圧縮されていないか、もしくは自己解凍ができる文章なのではないかと思う。文章はその圧縮の程度と解凍のしやすさにより、それぞれ固有の速度を持っている。
それに対し、対話というのは、つねにリアルタイムの時間でなされる行為だ。そこには話す相手との共有された時間が流れている。だから、話しながら、相手の思考の動きと自分の思考の動きを頭のなかで調整することができて、もしかしたら相手にとってスピードが速すぎるかなと思えば話す速度を緩めたり、逆にいけるかなと思えばスピードをどんどん上げたりもできる。ギアチェンジが可能なのである。以前、ある対談のテープ起こしのアルバイトをしたことがあるが、これは面白い体験だった。対談というのはものすごく早い速度で会話がなされているわけだが、それを文字化するには十倍くらいの時間がかかってしまう。逆にいうと、一〇分の一の速度で対談をスロー再生しているようなものだ。そうすると、そこには実は文字化されないさまざまなディテールあることが見えてくる。声の大きさが変わったり、話す速度が変わったり、相手が話している間にも相槌を打ったり、話しはじめるきっかけの間投詞のようなものが入ったり。それらは聞き取れたり聞き取れなかったり、むしろ〈息づかい〉ともいうべきものである。

〈書かれたもの〉と〈話されたもの〉

〈書かれたもの〉と〈話されたもの〉は決して一対一に対応しない。〈話されたもの〉のなかには文字化できない見えないディテールがたくさんあるのだが、〈書かれたもの〉の場合、そういう揺れのようなものが許されない。つまりディテールが消えてしまっていて、それらは想像するしかない。もちろん〈息づかい〉が浮かんでくるような文章もあると思うのだが、〈書かれたもの〉の場合、基本的には〈伝えたいこと〉がまず先にあって、それを送り手がいったん文字に託し、その後、受け手が受け取った文字を再構成して〈伝えられること〉を読み取るという仕組みになっているのだと思う。もちろん、それが正確に伝わるかどうかは別の話なのだが、受け手が〈伝えられること〉を再構成しようとするのは、そこに〈伝えたいこと〉があらかじめ先にあるということが前提になっているからだ。
あらためて対話のことを考えると、そこでは〈伝えたいこと〉など最初は何もなく、会話をしていくなかで次第におぼろげな輪郭が明確になっていくという場合がよくある。むしろ〈伝えたいこと〉など最後まではっきりしなかったり、また〈伝えたいこと〉をたとえ伝えたとしても、すぐにまた別のことを伝えたくなったり、対話自体が目的であったり、とにかく終わりがなく、目的が絶えずはっきりしないのが対話であると思う。しかし対話がなされる空間が、〈書かれたもの〉による伝達の空間と決定的に違うのは、そこに共有されたリアルタイムの時間があるということではないかと思う。会話をしていて、無意識にすごくよく出てくる言葉は「その」、「そういう」、「なんか」といった何を指しているのか非常に曖昧な言葉である。英語でいう形式主語のように、先にまず何か言葉を出して、それで相手の気をひきながら同時に自分でも考えながらしゃべっていくという、話すときにはいつも当たり前にしていることだけれども、書くときにはめったに現われない言葉の使い方、そこが決定的に違うと思う。「なんか……」と相手が切り出した瞬間、そこには相手と自分との共有された時間と〈なにか〉が発生しており、それは言葉になる前からその場に存在してしまっている。

《L》

青木淳の《L》(一九九九)は、藤沢にある鉄筋コンクリート造二階建ての住宅である。延床面積にして約一六〇平方メートル、特別に広いとはいえない住宅の内部は、しかし驚くような広がりを感じさせる空間である。奥のバス・ルームからFRPを通して淡く洩れる青い光が印象的な駐車場の左脇に、壁と同じ色をしたエントランスがあり、入ってすぐに左が大きな鏡となっていて無いはずの空間の広がりを感じさせると同時に、その奥がトイレとなっていることにまず驚かされる。また、すぐ正面には白いカーテンがあり、こちらも奥に空間の広がりがあるのかと思わせるが実際には浅い奥行きであり、収納が隠されている。艶のあるエマルジョンペイントの白色で塗られた壁が全体的に白い空間を単なる無色透明の白い空間とは別の匂いをもった空間へと変質させている。入って右側の一階奥には客間と浴室を経てドライエリアがあるのだが、北側の道路から建物をみて駐車場よりずっと右側の垣根のあるあたりからやや傾斜する土手のような別の入り口を緩やかにのぼって敷地を回り込んでくるとちょうど建物の裏側で二階部分の高さに達するため、そこから逆にドライエリアを見下ろすことができる。いったんエントランスホールに戻って階段を上っていくと手すりが途中で何やらボックスのようなものの中に消えていくのでおかしいと思って登っていくと、そこで衝撃の事実が発覚する。二階の床レヴェルより頭一つとちょっと突き出した高さのあたりにまでボックスのようなものが垂れ下がっており、それは床とは数十センチの距離を保ったまま一切接していないのでそのボックスの向こう側を通る人の足やガラスを通して差し込む光が入ってくる。そのまま階段を上っていくと、左側にキッチンが見え、それは右手のリビングと連続した空間をなしており、ようやく台形型の空間の中央にボックスが天井から吊られて宙に浮かんでいることが分かってくる。リビングに面した西側の外周部は床から天井までの全面ガラスの開口部が採られており、その奥の、ボックスの左手の通路からボックスの中を覗いてみると、内部はシナベニアで覆われた三つの寝室となっている。通路のさらに奥から壁づたいに右手にぐるっと廻り込んでくると、階段の上あたりに位置する行き止まりの空間には、鉤型のデスクが低い位置に走ってボックスに突きささっており、もう一度その向こう側にキッチンが見えてくる。ここに至り、連続した空間の各部が連続しているにもかかわらずまったく別の空間としてそれぞれ立ち現れてきていたことと、にもかかわらずそれらが物理的にはやはり連続しているためにつねに視覚と他の感覚が齟齬を起こしてしまうことの不思議さが次第にはっきりとしてくるのである。

構成、形態を超えて

おそらく、建築にも〈書かれたもの〉としてつくられた建築と、〈話されたもの〉としてつくられた建築がある。〈書かれたもの〉としてつくられた建築というのは、そこにあらかじめ〈伝えたいこと〉があるような建築だ。〈伝えたいこと〉がまず先にあって、それが建築に圧縮されている。解凍すると言葉やキーワードや概念が出てくるような建築。あるいは何か先に完成像のようなものがあって、それを実現するような形でつくられている建築。だから使い手は建築の完成像というものに規定されてしまう。それに対し〈話されたもの〉としてつくられた建築というのは、あらかじめ〈伝えたいこと〉が明確にあるわけではなく、〈なにか〉が先にあるけれどもそれは使っているうちに次第に形が見えてきたり違う形をとったりするものであり、またつくり手からの一方的な伝達ではなくて、つかい手と共有されたリアルタイムの時間が流れているような建築である。あるいは〈息づかい〉が感じられる建築といえばいいかもしれない。そこには〈書かれたもの〉にはない、見えないディテールが充満している。この区別は必ずしもはっきりしているわけではない。建築を分類するのではなく、ある場面における空間が〈書かれたもの〉としてあるのか〈話されたもの〉としてあるかということだけがいいえるのかもしれない。しかしまた、両者が混じり込んでいる場合もあるだろう。小説のように書かれ、〈伝えたいこと〉がはっきりしないが〈息づかい〉を感じる建築もあるだろうし、レクチャーのように話され、〈伝えたいこと〉を伝達するための建築もあるだろう。だから、必ずしも〈書かれたもの〉としてつくられた建築よりも〈話されたもの〉としてつくられた建築のほうがいいと言おうとしているわけではない。
とはいえ《L》は、この文脈で言えば、間違いなく〈話されたもの〉としてつくられた建築だ。《L》は連続的に不連続な〈場面〉が立ち現われる建築だ。その各〈場面〉において、そこにはまず〈なにか〉があって、それは言葉にならないけれども、それは確かに周りの空間の構成によって実現されていて、次第にかたちをとって現われる。けれどもかたちに表われたそれは、ある〈場面〉を通過する瞬間において立ち現われたもので、言葉にならないだけでなく〈場面〉が変わればまた消えて違うかたちをとっていくような形にならないものである。その〈なにか〉は青木の言葉でいえば〈その場の質〉ということになるだろう。〈なにか〉をつくりだしている空間の形態や構成や形式のようなものはあるのだが、それらはその〈なにか〉の実現のためにある。けれども青木の建築においては形態や構成や形式自体が非常に興味深いものであるために、そこにも目がいってしまうことも事実である。青木は作品ごとにつねに〈なにか〉のクオリティを高めていると思うのだが、そこで新しい形態や構成や形式が出てきたとしても、それはそのクオリティの追求のためでしかない。話し方を変えたり、言葉を変えることで、新しい〈なにか〉を言おうとしているようなものである。

連続的な不連続

青木の建築を言葉で説明することの難しさと意味のなさはそこにある。青木は構成や形態だけでは説明しきれない〈なにか〉を実現させているのだ。けれども、青木の建築はさらにそれ以上の複雑さのようなものを持っている。《L》をはじめ、青木の建築でもうひとつ感じることは、そこにリアルタイムの時間だけではなく複数の時間が流れているように感じることである。青木の建築は許容度が非常に高い。ある空間がそこでのある人の行為を規定しないだけではなく、複数の人物の別々の行為をそのまま包み込んで成立させているかのようである。それは複数の不連続な〈場面〉が連続的に展開していることに起因しているのではないかと思う。ある〈場面〉において〈なにか〉を感じさせる建築は少なくない。しかしそれらはある注視点を要請するような限定的な〈場面〉を持つ建築であったり、あるいは空間の連続的移動が要請されることによって〈場面〉を経験させる建築であったりする。前者は不連続な〈場面〉が不連続にしか続かない、いわば写真的な建築であり、それは冒頭に挙げた〈点的な視点をもつ建築〉といってもよい。また後者は連続的な〈場面〉が使い手が通るたびに展開する、いわば映画的な建築であり、これも先に挙げた〈線的な視点を持つ建築〉と言い換えてもよい。では、青木の建築は何かというと、空間の移動という、建築だけが持ちうる特性の可能性を最大限に引き出すことによって生み出された、建築的な建築としか言いようのないものである。複数の人物は空間的に同じ位置をとりえないため、それぞれの人物はそれぞれの〈場面〉を持つ。自らのリアルタイムの時間が流れると同時に、それぞれの人物がもつそれぞれの時間が流れることが許容されている。ひとつの建築の中に流れる複数の時間。本来、空間は複数の人物の別々の行為を許容している。ひとつの空間というものはない。空間とはひとつでありながら複数であるものだ。青木は、空間の持つ本来の特性に忠実に建築をつくり上げているのだ。

機能を越えて

〈視点のない建築〉。あるいは視点を限定しない建築。その意味で、青木と吉阪の空間は似ている。不連続性と連続性が同居している。けれども、青木はさらに機能という条件にも疑問を突きつける。
《潟博物館》は新潟の福島潟をのぞみ、潟と人の関わりの歴史などを紹介する博物館であり、らせん状の空間が特徴的な建物である。このらせん型の空間で、実現させたかった場のイメージを青木は「同じ場所に居ながら、別々のことを考え、別々のことをしていて、そばに他の人がいるのにそれが邪魔じゃなく、むしろそれが居心地がいい、という感覚」と言う。このような曖昧な行為を許容する空間というのは、機能主義のように明確な言葉によって機能を定義していては、けっしてつくれないだろう。例えば、講義をするための講義室、団欒をするための居間、部屋と部屋をつなげる廊下。こういった「明確な集団」の「明確な行為」を条件に建築をつくることができるのだという前提が機能主義にはあった。限りなく細かく人間の行為を分解していき、それを建物の機能として再構成するような形で建物をつくってやれば、機能的な建物ができあがるという前提。けれども、そこには「曖昧な機能」ともいうべきものが抜けている。青木が言うイメージは「曖昧な集団」の「曖昧な行為」のようなものだ。何をするわけでもなく、そこに居ることができるという空間。実際、《潟博物館》はそのように非常に気持ちがよく、居心地のよい空間であった。
機能は確かに建築を規定する非常に重要な条件である。けれども、「居心地のよさ」といったものは、これまで機能という概念に含まれていなかった、曖昧な機能のようなものが考慮されてはじめて感じられるものだ。空間をひとつの機能と対応させないこと。明確な行為と対応させないこと。そのような自由度も、空間の持つ本来の特性である。

7──青木淳《潟博物館》 (c)青木淳

7──青木淳《潟博物館》
(c)青木淳

コンパクト化する都市

過密な開発/軽い開発

「オランダはグレー過ぎる」。密度制限のために、国全体が飽和したような印象があるという意味を込めて、MVRDVのヤコブ・ファン・リースは、国の低密度な開発政策を批判した。この言葉は、レム・コールハースが一九九三年に発表した、「ポイント・シティ/サウス・シティ」というコンセプトを踏まえてのものだろう。レムのコンセプトはダイアグラムにそのまま現われている。ポイント・シティはマンハッタンくらいの高密な人口密度(二万五〇〇〇人/平方キロメートル)にすれば、オランダのほとんどは自然になるというものだし、サウス・シティはロサンゼルスくらいの人口密度(二五〇〇人/平方キロメートル)にすれば、南部の一部におさまるというものだ。
MVRDVは、コンパクトな開発とライトな開発を提唱する。この二つは対になるものだ。都市をよりいっそう高密化し、コンパクトにする一方で、都市近郊の開発は、インフラなしの開発=ライトな開発にするべきだと。実際彼らは、アムステルダムやロッテルダムで三次元的な高密度都市を提案する一方、ノルウェーのオスロや、オランダのブラバントといった周縁的な地域において、変化に対応できるライト・アーバニズムを提唱している。インフラのない都市。従来の都市計画にはなかった言葉だ。「いったん道路が敷かれ、ケーブルや下水管が埋設されれば、その土地のファンクションは永遠に固定されてしまう」。彼らは「都市」という、場所に固定されたものとして考えられてきた言葉をより軽いものへと取りかえようとする。アーキグラム的なウォーキング・シティの実現。それは、実は過密化されたコンパクトな都市と相補的な関係になっている。
ところでコンパクトな都市もライトな都市も、MVRDVのオリジナルなアイディアというわけではない。特にコンパクト・シティは、ヨーロッパ各国において、特にイギリス、オランダ、ドイツにおいて、現在、都市計画におけるキータームとなっている言葉だ。若干、背景を補足しておく。一九九二年にブラジルのリオデジャネイロで「持続可能な開発」をキーワードに地球環境問題と開発問題を取り上げた史上最大規模での環境会議、リオ・サミットが開かれたことをきっかけに、九〇年代、ヨーロッパ各国は、環境政策を重視し、地域政策の一環として、サスティナブル・シティを目指してきた。サスティナブル・シティとは、持続可能な発展ができる都市のことであり、いわば開発と環境を両立するような都市のことである。コンパクト・シティは、そのサスティナブル・シティの具体的な空間モデルとして使われることになった概念であり、そこでは人口増加、アーバニゼーション、中心市街地の活性化、建物のフレキシビリティ、マルチユース、省エネルギー、交通問題、空地の確保など、さまざまな都市的問題が関連付けられる。

2──MVRDV 「KM3/3D city」 出典=『10+1』No.19

2──MVRDV
「KM3/3D city」
出典=『10+1』No.19

コンパクト・シティ

コンパクト・シティと呼ばれる最初のものは、一九七五年にオペレーションズ・リサーチの専門家であるダンツィヒらが提案した、人口二五万人が住む、直径二・六五キロメートルの円形をした八階建ての高密度人工空間である。この高効率主義的なイメージのために、コンパクト・シティは非人間的なものと考えられがちだったが、現在その言葉は咀嚼されて新たな可能性を持ち始めている。
二〇〇一年に出版された『コンパクトシティ──持続可能な社会の都市像を求めて』(海道清信、学芸出版社)が、おそらく日本における初めての本格的なコンパクト・シティ論であろう。先日、イギリスにおけるコンパクト・シティの主要な推進者であるリチャード・ロジャースが来日して講演した。ロジャースが講演で、建築のことはほとんど話さず、都市について語っていたことに驚いた人も多かったかもしれない。また、自治体での取り組みも、近年神戸市や青森市などで始まっている。
コンパクト・シティは、サスティナブル・シティを実現するための、さまざまな提案からなる理想的な都市モデルを漠然と指しているキーワード的概念であり、その名の通り、都市の過密化を原則とする。これは、都市の消費エネルギーの総和を減らすには、郊外へと人口が流出するよりも、都心に集まって住むほうが効率がいいからである。もちろん、さまざまな議論があるが、ここでは概要にだけ触れよう。過密化は渋滞や事故などの交通問題を発生させる。交通量が増えれば化石燃料がより多く消費される。持続可能な都市のためには、自動車交通を極力減らす必要がある。パーク・アンド・ライドなどにより、都心中心部での自動車の使用を制限し、バスやトラムあるいは自転車、徒歩への転換を図る。すると道路混雑が緩和され、環境負荷が低減されるだけではなく、自動車のための空間も減少する。都市のコンパクト化によって、単一機能なゾーニングではなく複合的な土地利用が促進されるため、結果的に多様な施設へのアクセシビリティも改善される。また、郊外に住むか都心に住むか、すなわち分散か集中かという問題に対し、コンパクト・シティは分散的集中を目指す。局所的に集中して住むことで、多心的=ポリセントリックなネットワークを形成していくというわけだ。

3──海道清信『コンパクトシティ』

3──海道清信『コンパクトシティ』

可能的未来と強制的未来

リチャード・ロジャースの上海のマスタープラン(一九九一)は、まさに「コンパクト・シティ」と名づけられている。ロジャースたちの計画は、中央に公園を配置して、その周囲に円形に六つの近隣住区を配置するというものだ。各住区は、それぞれ独自の性格を持った人口八万人の居住区であり、中央の公園から徒歩一〇分圏内に位置する。中央公園からの放射状のブールヴァールが、三本の同心円状のアヴェニューと交差して交通網を形成しており、外側のアヴェニューが歩行者用、中心がバス、トラム用、内側が車両用となっている。ビルの高さが変えられていることにより、高密度であるが、建物からの眺めと内部の日照が最適化されているという。オブ・アラップの試算によると、複合的な土地利用と公共交通の強化によって、車両交通が六〇パーセント削減されるという。形態的にはハワードの田園都市の現代ヴァージョン。中央に公園を配置するということは、実はこれは裏返された田園都市でもある。ハワードの田園都市は中央の都市の周りに六つの田園都市を計画したものだったのだが、ロジャースはそれをちょうど逆転させている。イギリスの文脈で考えれば、コンパクト・シティとは、田園都市に対する反動として現われたものとして考えることもできるだろう。
MVRDVによる《シロダム》Silodam(二〇〇二)は、水上に建てられた一〇層の巨大な船のような集合住宅である。商業スペースやパブリックスペースをともなったコンプレックスであり、可能な限り多様な住戸タイプが収められ、そのプログラムの違いがファサードに現われている。当初の計画で予定されていたようには、機能の混合は実現されなかったというが、四戸から八戸を単位とした互いに異なる「ミニ近隣」によって、建物が構成されているという。つまり、ここではコンパクト化によって生み出される多様な居住環境の同居が成立している。強制的なコンパクト・シティ。彼らはコンパクト・シティの問題を先取りしてここで実現させようとしている。もちろんこれはひとつの実験的な試みかもしれない。けれども、ここには正統派のロジャースとは全く別の可能性を感じることも確かである。ロジャースのそれが実現はともかく可能なる未来だとすれば、ここでは強制的な未来が現在のうえに無理やり引きずり下ろされている。

4──リチャード・ロジャース 上海マスタープラン(「コンパクト・シティ」) 出典=Richard Rogers and Philip Gumnchdjian,  Cities for a Small Planet, Westview, 1997

4──リチャード・ロジャース
上海マスタープラン(「コンパクト・シティ」)
出典=Richard Rogers and Philip Gumnchdjian,
Cities for a Small Planet, Westview, 1997

5──MVRDV《シロダム》 出典=MVRDV HP (URL=http://www.mvrdv.archined.nl/)より

5──MVRDV《シロダム》
出典=MVRDV HP
(URL=http://www.mvrdv.archined.nl/)より

過密化という条件

コンパクト・シティと呼ばれるものが、居住環境にどのような可能性をもたらすかはまだわからない。あるいは逆にライト・アーバニズムといったものに新しい可能性が見出せるのかもしれない。いずれにしろ過密化という条件は、住むということに影響を与えるには違いないだろう。
統計データを出しておこう。ヨーロッパでもっとも人口密度が高いといわれるオランダは、一平方キロメートルあたり約三七〇人程度である。日本のそれが一平方キロメートルあたり三三〇人であるので、確かに日本よりも過密だ。とはいえオランダは山地が少なく、日本ほど都市に人口が集中しているわけではないため、例えば東京から見て過密だという印象はないだろう。逆にオランダから見れば、オランダ国内はグレーであり、さらなる過密さを受け入れて残りの国土を森林に戻そうという考え方も出てくるのだろう。香港の人口密度は一平方キロメートルあたり約六〇〇〇人である。東京都は一平方キロメートルあたり約五五〇〇人だから、それほど違いがないように見えるが、香港島、九龍などの市街地の人口密度は一平方キロメートルあたり二万五〇〇〇人以上、旧市街地では一平方キロメートルあたり五万人を超えるという。東京二三区全体の人口密度は一平方キロメートルあたり約一万三〇〇〇人、二三区でもっとも人口密度が高い中野区でも一平方キロメートルあたり約二万人、また、ニューヨーク市の人口密度は一平方キロメートルあたり約九〇〇〇人、マンハッタンは一平方キロメートルあたり約二万四〇〇〇人であるので、香港は過密さでは東京やニューヨークより上回っているといえるが、もっとも過密なところを比べる限りでは、香港が東京やニューヨークの二倍程度に過ぎないともいえる。
こうやって数字を挙げてみると、実はオランダから見た未来のコンパクト・シティは、実はすでに香港や東京やニューヨークで実現されているとも言えなくはない。未来に向けて過密な居住形態について考えるというよりも、われわれはすでに未来にいる、そういう認識のほうが正しいのかもしれない。例えば東京に住むわれわれは、過密さというものを十分実感できている。ならば、コンパクト・シティに関して、より冷静な判断をすることもできよう。実はわれわれこそが過密化によって引き起こされる居住の変化と可能性について、もっともよく知っているかもしれないのだ。
以前、ワンルームの部屋で鍋パーティを開いたとき、同時に三〇人が部屋に入ったことがあった。部屋の大きさも約三〇平方メートルであったので、一平方メートルに一人である。つまり、一平方キロメートルあたり一〇〇万人。香港のなかでももっとも過密な地区の、さらに二〇倍である。このときはさすがに、自分の立つ場所と座る場所をつねに考えなければならないくらいだったが、しかしこういった過密さはわれわれはさまざまな場所で日常的に体験していることでもある。過密さについて考えることは、なにも難しいことではないはずだ。

追記:コンパクト・シティに関しては、現在、アトリエ・アンプレックスの南泰裕氏、デザイン・ヌーブの太田浩史氏、樫原徹氏をはじめ、数人の有志によって定期的に研究会が行なわれており、そこから多大な知見を得ていることをここに付記しておく。

>松田達(マツダ・タツ)

1975年生
松田達建築設計事務所主宰、建築系ラジオ共同主宰。建築家。

>『10+1』 No.28

特集=現代住宅の条件

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>丹下健三(タンゲ・ケンゾウ)

1913年 - 2005年
建築家。東京大学名誉教授。

>青木淳(アオキ・ジュン)

1956年 -
建築家。青木淳建築計画事務所主宰。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>南泰裕(ミナミ・ヤスヒロ)

1967年 -
建築家。アトリエ・アンプレックス主宰、国士舘大学理工学部准教授。

>太田浩史(オオタ・ヒロシ)

1968年 -
建築家。東京大学生産技術研究所講師、デザイン・ヌーブ共同主宰。

>樫原徹(カシハラ・トオル)

1972年 -
建築家。樫原徹建築設計事務所主宰。