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都市の解剖学 剥離・切断・露出 | 小澤京子
Urban Anatomy: Exfoliation, Amputation, and Exposure | Kyoko Ozawa
掲載『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) pp.218-224

1 皮を剥がれた建築

建築物をひとつの身体に喩えるならば、皮膚にあたるのは外壁である。建築物が時間の手に晒され続ける限り、傷や病、あるいは老いは、不断にその皮膚を脅かし続けることとなる。しかし、この建築の外皮へ、あるいは内部と外部との境界を巡る病理へととりわけ執拗な眼差しが注がれたのが、一八世紀の「紙上建築」という分野なのではないだろうか。それは、廃墟表象における崩れゆく皮膚であり、また幻想じみた建築図面における開口部への窃視欲動である。
例えばベルナルド・ベロットによる《ドレスデン─クロイツキルヒェの廃墟》。これは、一七六〇年のプロシア軍の砲撃によって崩壊した、ドレスデン最古の教会の姿を描いたものだ(ちなみに砲撃前のこの教会を描いたのが《ドレスデンのクロイツキルヒェ》である)。ドレスデンの名所的な建築物であった教会は、いまや壁も天井も崩れ去り、中央の教会塔のみが垂直に聳え立つ。ベロットの冷たく硬質な筆致は、積み重なった瓦礫の一つひとつや、外壁のざらざらとした質感、右側の壁面に垂れ下がった魚の骨のような梯子までを、偏執的なまでの精密さで描き出している。なかでもひときわ目を引くのは、かろうじて崩落を免れて、あたかも身を開かれた魚のような姿で聳え立つ教会塔の壁面であろう。表面を滑らかに覆っていた煉瓦は剥落し、扉や窓という開口部を塞いでいた木戸も吹き飛んで、各階に設けられたニッチや窓による階層構造が露わになっている。煤けだった石壁に穿たれたアーチからは内陣の様子が垣間見え、上層部の三連窓からは向こう側の空が覗く。これは、戦争による爆撃という瞬間的な災厄によって裸体にされた、否、表皮を剥がれてその内部を露出させた建築物の姿なのである。
美術史研究者ヤン・ペーテルス(Jan Peeters)は、一六世紀オランダ絵画がベロットに与えた影響を指摘する★一。例えば、ウィーンの美術史美術館に納められたブリューゲルの《バベルの塔》や、ドレスデンのスタールホフに展示されていたマルテン・ファン・ファルケンボルフ(Maerten van Valckenborgh)の同主題の作品から、ベロットは構図やモチーフの着想を得たというのである。確かに、画面を二分する地平線や俯瞰構図、中央に配された塔、壁面のアーチ窓や階段、地面に積み上げられた瓦礫、建築物の巨大さを強調する小さな人物像など、両者の共通項は多い。ペーテルスの言う通り、ドレスデンやウィーンの宮廷で庇護されたベロットがブリューゲルらの作品を目にしていた可能性は、十分にあるだろう。しかし現実の影響関係の有無という以前に、一六世紀に描かれたバベルの塔とベロットによる廃墟化した教会塔には、奇妙なまでの形態的類似性がある。建設途中であるがゆえにところどころ内部構造が剥き出しとなったバベルの塔と、破壊によって外壁を剥がされたクロイツキルヒェとでは、その時間性が真逆であるにもかかわらず。奇しくもベロットは、建築工事の途上にある建物の姿も描いている。例えば《ドレスデンの眺望─エルベ川右岸からアウグストゥス橋を臨む》である。ここでは、画面右端に建設中のカトリック宮廷教会が描かれている。工事はほとんどが終了し、外壁も滑らかに完成されているが、教会塔の周囲にはまだ撤去されない足場が、あたかも外部化された骨格のように残っている。
人為的な威力によって瞬時に破壊させられるか、時間の経過によって徐々に崩壊するかの別はあるにせよ、ベロットによるクロイツキルヒェの廃墟は、この時代に興隆をみた廃墟画の系譜に酷似している。そこでは、建築物の外壁がところどころ引き剥がされ穴が穿たれ、その隙間からわずかに内部が姿を見せるのだ。一八世紀イギリスの芸術理論家ウィリアム・ギルピンは、その『ピクチャレスクな美、ピクチャレスクな旅、および風景素描についての三論文』(一七九二)で、「ピクチャレスク」の要件として「荒粗」であることを挙げている。それは例えば、半分は打ち壊され、半分は表面を傷付けられ、破片が周囲に放り出されたパラディオ風の建築物であり、またあるいは老人の顔である★二。彼の言う「ピクチャレスク」は、エドマンド・バークが『崇高と美の起源についての哲学的考察』(一七五七)で提唱した、かの著名な「崇高」概念と重複する部分も多いのだが、それはともかく、この時代の「ピクチャレスク」をもっとも顕著に体現していたのが廃墟画という絵画ジャンルなのである。
理論家ギルピンは廃墟の表面の質感と老いた皮膚のそれとを並置するが、このような建築物の外皮の老いという問題にもっとも鋭敏だ ったのが、同時代のローマで活躍した廃墟画家、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージであった。完成に至った建築作品は《サンタ・マリア・デル・プリオラート聖堂》ただ一点のみであるにもかかわらず、終生「ヴェネツィアの建築家(architectus venetianus)」を名乗ったこの画工は、エッチング(腐蝕銅版画)による建築表象を、その生涯の間に数多く世に問うている。ローマで師事した都市景観と廃墟の画家、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの影響の下に制作された《牢獄の幻想的デザイン(Invenzioni capric di carceri)》(一七四五)、ローマの景観を描き出した《ローマ風景(Vedute di Roma)》(一七四八年頃─七八)や《ローマの壮麗(Le magnificenza di Roma)》(一七五一)、古代ローマの遺跡をときには想像も交えて描いた《ローマの古代遺跡(Le antichitàromane)》(一七五六)、《古代ローマのカンプス・マルティウス(Il Campo Marzio dellantica Roma)》(一七六二)などの作品群である。
建築の身体を描き出す際のピラネージの手つきに関してマルグリット・ユルスナールは、解剖学、そして死せる身体の比喩を用いる。

建築家としてのピラネージの研鑽は、均衡、重量、漆喰、土台、骨組といった建築用語によって、たえず持続的に反省熟慮することを彼に教えた。しかも骨董商としての探究を通じて、彼は古代遺跡の断片のひとつひとつに、特異性と種類別とを認識することに熟練していた。そうした研鑽は彼にとって、裸体画家にとっての屍体解剖に相当するものであった★三。


このひそかな形而上詩は、アルチンボルドの同郷人であるこの人においては、ときとして、機智の遊び以上に幻視の強烈な眼差しの力によって、一つの基本的なダブル・イメージに達する。カノプスの穴のあいた丸屋根やバイアエのディアナ神殿の崩れかけた丸屋根は、はり裂けた頭蓋骨、糸のような草の垂れさがった骨壷となる。(…中略…)バルベリーニ宮殿のかたわらに、胴切りにされて横たわるオベリスクは、いずれかの「勇者ども」に切りさいなまれた屍体である★四。


ミシェル・フーコーによれば、一八世紀は屍体解剖学という身体への眼差しををめぐる知の体系が整備された世紀である★五。解剖学とは畢竟、屍体という半ば冷たく硬い物質と化した身体に対して向けられた、表層を切り裂き、剥ぎ取り、そして内部を覗き見たいという欲望の眼差しであるだろう。バーバラ・スタフォードは、隠された深層を暴こうとする解剖学を啓蒙主義の基本精神と位置づけたうえで、ピラネージのエッチングと解剖図との相同性をより精緻に捉えようとする。解剖学標本や解剖図が廃墟画に与えた技法的な影響関係を指摘したうえで、スタフォードは言う。

エッチング用の尖筆を外科医のメスのように巧みに用いつつ、ピラネージは医学用図版の外科手術的な手続きを応用し、建築物のまだ生命のある皮膚組織を裏返しにしたのである。(…中略…)ピラネージが建築物の屍体をエコルシェ(皮剥ぎ標本)として用いることを学んだのは、おそらくカウパーが改訂したヴェザリウスの解剖図集からであろう。皮を剥がれた身体は、大理石を剥がれた聖堂と類似した存在となる。ひとたび外皮が剥ぎ取られてしまうならば、聖堂はその皮下の煉瓦構造に走る亀裂や溝を露わにすることとなるのだ★六。


ピラネージの「外科的」手法のひとつとして、スタフォードは次の点を挙げる。すなわち、風化した石造建築の壁面に偶然穿たれた穴、もしくは「傷口」を利用することで、建築物において通常は隠されている内部構造を、閲覧者に瞥見させるというのだ★七。たしかに、尖筆とメス、銅板上の防蝕剤(グランド)の層と皮膚のアナロジーや、柱と肢体(英語ではともにmember)の解体と陳列における相同性などとも相俟って、解剖図と廃墟図の間にある種の相関関係が存在するという指摘はその通りであろう。しかし、解剖学が表皮の下の内部組織を腑分けし、諸器官やその病理のメカニズムを解明し、そして臨床医学という秩序だった知識システムのなかへと位置づけていくのに対して、ピラネージが建築へと向けた「解剖学的眼差し」は、必ずしも整序的な体系へと収束するものではなかった。彼が建築物に加えた操作は、一定の規則に基づいて皮膚を切り開き、そして内部構造を隈なく露わにするような類のものではないのである。重力や経年劣化という物理的要因による作用によって建築の表層に加えられるのは、不規則な崩れや剥落や裂傷であり、そこから覆い隠されていた内部が唐突にその一部を現わす。防蝕剤(グランド)の膜をニードルで引っ掻き、切りつけ、彫り刻むことでローマの廃墟を描き出すピラネージの手は、建築物の表層を風化させ、剥落や裂開を生ぜしめる時間の手と共振していただろう。
ピラネージはまた、表層を引き剥がすこと、建築物の皮剥ぎに取り憑かれた建築画家であった。それは、イマジナリーな次元で建築物の外壁を引き剥がすことや、物理的な意味で銅板上の防蝕剤を引き剥がすことにとどまらない。例えば、彼の描く図面には、入れ子構造をなすイメージが散見される。そこでは、地図やカルトリーノ(文字情報を記した小紙片)が、トロンプ・ルイユのように別のイメージ上に貼り付けられているのだが、これらの地図やカルトリーノは、しばしばその端が捲れ上がって(つまり基底面から剥げかかって)いるのだ★八。さらに、インクを塗った銅板上に紙を押し当て、そしてまたその紙を引き剥がす(このとき銅板の彫られた溝に詰められていたインクも、紙とともに板から剥がれる)という版画刷りの過程も、層の剥離というテマティックに関わってくるだろう★九。そもそも彼にとっては、「層」という概念自体が重要であったと言うべきかもしれない。ローマにおける古代形象の発掘は、なかんずく「地層」をめぐる問題である。またピラネージは腐蝕銅版画というメディウムにおいて、たびたび原版に加刻し、ときには構図やモチーフを大胆に変更することもあった。そこで生じているのは、古代神殿や古遺物がローマの地中に層をなして堆積していくのとは逆向きの、層を巡るプロセスだ。ローマの地中では、その上方へと新たな遺物が積み重なっていくが、銅版画の加刻においては上層が削り取られ、その下方へと新たなイメージの層が作られてゆくのである。
ピラネージが建築物を描く際の態度は、たしかにスタフォードが指摘するごとく解剖学との共振性を有するにせよ、それは臨床医学のような明晰な知を志向するものではなかった。表層を引き裂き、あるいは建築物の肢体を解体するという破壊的な作業のうちには、むしろある種の嗜虐性が含まれているであろう。それは例えば二〇世紀の人形作家ハンス・ベルメールの、少女自身の手を借りてなされる身体の皮剥ぎ《夜咲く薔薇》や、四肢をもがれ腐敗が進行しつつある女性の胴体《煉瓦の小部屋の中の人形》★一〇、あるいは関節単位で分解された(そしてときには解剖学を無視して再接合される)人形たちにおいて体現される加虐趣味を連想させはしないだろうか。ピラネージの描く廃墟は、建築の解剖模型であると同時に、あるいはそれ以上に、傷つき病める皮膚を持つ身体、朽ち崩れゆく建築的身体なのである。ピラネージこそは、過去の記憶が死せる建築断片として残存するローマにおける、稀代のネクロサディストであったのかもしれない。

2 切断面と開口部

建築的身体の切断面や開口部というテマティックに、廃墟画と姉妹芸術の関係をなす建築図面の分野において取り組んだのが、ピラネージより一世代下のフランス人ジャン=ジャック・ルクーである。若き日にはジャック=ジェルマン・スフロやジュリアン=ダヴィッド・ル・ロワといった面々に師事し、王立アカデミーの正統な教育を受けたルクーは、革命後の嫌疑による投獄の後は文官として渡世しつつ、けっして実現されることのない奇妙な建築図面を描き続けた。彼は『市民的建築(architecture civile)』といった建築計画図面のほかにも、『猥褻な人物像(figures lascives)』や『人物と建築(figures et architecuture)』と題された図版集を残している。そこでは、ルクー特有の古典的でどこか硬直したような体つきの人物が、なんとも奇妙なポーズで描かれる。ルクーの関心は、身体のポーズや顔の表情における「感情表現(expression)」の問題にあるのだろうが、そこに並べられた図像のいくつかからは、人体の内部と外部の境目に穿たれた開口部に対するルクーの執着を見て取ることができる。例えば大口を開けた男の顔や、几帳面にも発達の諸段階を追って描かれている女性外性器の図版などだ。
そしてまた建築図面においても、開口部というテーマ系は連続している。例えば、《ゴシック住宅の地下》や《マルセイユのカプチン会女子修道院》のごとく、ドールハウスのように壁面の一部を切り取り、外面と内部を同時に見られるようにした「切断立面図(élévtion coupée)」である。この形式による建築図面は、同じ一八世紀の後半に活躍したエティエンヌ=ルイ・ブレやウィリアム・チェンバース、ロバート・アダムらも広く用いている。すなわちこのような空間の表現形態そのものは、別段ルクーの創出物ではない。しかしながら、外部の表層とそこに穿たれた内部へと通ずる開口部へと向けられた彼の執着も、このような形態の建築図面をとりわけ選好した背景にあるのではないだろうか。ただしこの切断立面図では、ひとつの壁面全体がすっぱりと断ち切られて、内部構造が完全に見えるようになっている。透視図法で描かれた立面図において、外壁の開口部から建築の内部構造を見させるという技法は、ほぼ同世代の廃墟画家たちによる建築的身体の解剖学、例えばピラネージの《アントニウス帝の浴場の廃墟》やジョセフ・マイケル・ガンディの《イングランド銀行鳥瞰図》とも通底する面もあるが、内部を完全に露出させるか、それとも瞥見させるにとどまるかという点では両者は大きく隔たっている。また、後述するような内部へと通ずる狭い通路とも、この正中線で割られた建築物は異なっているのである。
ルクーはまた、閉ざされた場所への入り口というモチーフにも取り憑かれていたようだ。例を挙げるなら、《地獄の洞窟─中国風庭園の地獄の洞窟の入り口》や《プルトンの住み処への入り口》などの図面である。もちろんこのような「地底」への志向は、当時の建築思想におけるヘルメス主義の反映でもある。例えば同時代の建築理論家ヴィエル・ド・サン・モーは、古代エジプトにおいて神を祀る場として地下の祭場があったと説いている。三宅理一によれば、ルクーはかかるエジプト的な観念に加えて、ユダヤ=キリスト教的な観点からも地下空間を解釈する★一一。すなわち、イエス・キリストの生誕という出来事が生起する場としての洞窟(聖母マリアと聖ヨゼフの住居であるナザレトの洞窟)という概念である。彼は古代エジプトやユダヤ=キリスト教、そして古代ギリシアにおける地下空間のイメージを重ね合わせ、建築が発生する初源的な場として洞窟を捉えていたという。しかし「建築の起源」のさまざまな形象が重なり合う場、また神秘思想における象徴的な場として機能するのみならず、洞窟や地下空間という形象には、一種の胎内回帰願望も投影されているのではないだろうか。そして、ルクーが人物表現の一環として描いた叫ぶ男の大きく開いた口腔や、画中に描かれてはいないがおそらくは医療用の機器によって襞を広げられた女性外性器もまた、内部へ、下方へ、あるいは深部へと入り込むための入り口なのである。それは、その奥に存在する空間を示唆はするけれども、けっして内部を曝け出すことはしない。男の喉も、誰ともわからない女性の外陰部も、その奥は黒々とした闇のなかに飲み込まれている。
ルクーが建築物へ、そして人体へと向けた眼差しを、あるいは窃視欲動と名づけることもできるだろう。事実彼は、《フェリックス谷の泉水の眺め》と題された作品を残している。そこでは五人の女性が水浴する情景を、貴族風のコートと鬘を身につけた男が植え込みの陰から覗き見るさまが描かれる。泉水を円形に取り巻く、不自然なまでに整然と刈り込まれた木立は鑑賞者の正面で切り開かれている。近景の左側に、こちら側に背中を向けて立つ若い男は、観者の視線の誘導者であり代理人として機能しているのだろう。ここでのルク ーの願望は、一部分のみ覆いが切り開かれた箇所から、その内側を覗き見ようとするものであり、すべてを白日のもとに曝け出そうというものではない。これはまた、尼僧の衣装をまとった女性のポートレートにも通底するだろう。「身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を開けている所ではなかろうか」★一二というロラン・バルトの言そのままに、頬から胸までを覆う白布と胴着の間から、乳房の上半分が覗いている。奇妙なのは、乳房や外性器のような直截的なモチーフにおいてすら、ルクーの図像はけっして扇情的ではないことだ。彼の描く女性器は、左右対称のスタティックな構図や独特の硬質な筆致、医療用解剖図のようなフレーミングとも相俟って、暖炉や扉口の装飾デザインを連想させるし、うつろな眼差しを観者へと向けながら乳房の一部を露わにしてみせる尼僧は、その冷感症じみた無表情さや、肌や衣服の襞の冷たく硬い質感のせいか、大理石でできているかのような印象を与える。彼の描く人物像は無機的で堅硬な建築物を思わせるし、一方で不規則な曲線や不定形の形象を多用した建築物は、どこか有機的な身体に類似しているのである。
こうした開口部、あるいは深奥への通路へと向けられたオブセッションはまた、一九世紀人ジークムント・フロイトの「イルマへの注射の夢」を想起させる。フロイトはある日、若い女性患者イルマが客人の集まる大きなホールにいる夢を見る。その夢のなかでイルマは、頸や腹部の痛みを彼に訴えるのだ。

窓際に連れて行って、喉を診る。(…中略…)イルマはちょっといやがる。(…中略…)しかしやがて口を大きく開いた。右側に大きな斑点が見つかる。別の場所にははっきりと、鼻甲介状をした、妙な、縮れた形のもの、広く伸びた白灰色の結痂が見られる★一三。


この奇妙な夢のエピソードを、ジャック・ラカンは次のように分析する。

このことはもっと先まで進みます。イルマに口を開けさせた後─彼女が口を開かないということが現実においてはまさに問題となっていたことですが─彼がその奥に見たもの、白い膜に覆われた鼻甲介状のもの、それはぞっとするような光景でした。この口には、等価に並ぶすべての意味、ありとあらゆる圧縮があります。口から女性性器に至るすべてが、この像の中で混じり合い、連結しています。(…中略…)そこには恐ろしい発見があります。一度も見たことのない肉の発見、物事の奥底、表面とか顔の裏側、すぐれて秘密のもの、神秘の最も深いところですべてがそこから出てくる肉、苦しんでいる肉、形のない肉、形があったとしてもその形がまさに不安を引き起こすような肉★一四。


この夢の分析は、三人の女性の「圧縮」や、トリメチラミンの化学構造式(そこには三対構造が頻出する)へと進んでいき、ラカンはここに「想像的なものの解体」を見る。しかしここで注目したいのは、開かれた口腔の内部から不定形のぞっとするような形象が姿を覗かせるという、夢のなかのイメージである。ルクーによる、閉ざされた空間へと穿たれた開口部は、人体におけるものであれ建築上のものであれ、その奥にあるものを明示しないが、それでもどこか不気味なものの到来を感じさせはしないだろうか。それは例えば解剖学模型の、あからさまに開かれて内臓を露出させるような類の不気味さとは異なるだろう。そこにあるのは得体の知れない不安さ、捉えどころのない不穏な予感なのである。

3 外部と内部の弁証法

上述の議論は、しかしあまりにも安直に、内部と外部を相対立する二項として措定してしまっているかもしれない。その実、この二項は連続的なものであり、また容易く反転しうるものでもある。ユルスナールはピラネージの描く建築物の一類型について、次のように述べている。

もう一つのカテゴリーに入るのは、当時すでに一五〇〇年ほど年古りた廃墟、裂けた岩、ぼろぼろに砕けた煉瓦、光の侵入に都合のよい崩れかけた円天井、(…中略…)時と人間の破壊によって開かれ、いわば裏返されて内部が一種の外部となり、建物が水に浸されるようにしていたるところから空間に侵されている神殿やバジリカ会堂★一五。


彼女のいわんとするのは、建築物の部分的な崩壊によって本来は閉じられていた内部空間が外の空気に晒され、新たな「外部」となっているということである。マンフレッド・タフーリは、ユルスナールとは逆向きのヴェクトルで、ピラネージにおける外部と内部の弁証法について語る。

『牢獄(carceri)』の第一版のなかにピラネージは、その後の彼の創作コンポジションから見ると全く異例な一枚の図版(…中略…)を収録している。この版画の上半分は巨大な楕円の開口部が、画面枠で切りとられた形で描かれており、そこから例によって足場の台と謎めいた拷問機械が姿をのぞかせている。(…中略…)しかし、よく見てみると、(…中略…)基準となっている構造体に斜めに落ちている影や第一の面に絞首台があらわれてきている─第一版では見られなかった─ところを見ると、一見「外部」と見えたものが実は「内部」であり、見ている者もまた直列に配された楕円群によって形成された構造の中に浸りこんでしまっているのだということに気づかされる★一六。


ここでタフーリの念頭にあるのは、『牢獄の幻想的デザイン(Invenzioni capric de carceri)』(一七四五)の改訂版である『幻想の牢獄(Carceri d’in- venzione)』(一七六〇)の図版IXだ。タフーリはここに形態の解体というポレミカルな現象を見て取るのであるが、ピラネージの描く建築物にはほかにも、内部と外部が反転しあう構造のものがいくつかある。建築において、さらには人体においても、内部と外部という対立項は、つまるところ連続的なものである。なんらかの開口部を通じて、外部は滑らかに内部へと接続する。解剖や外科手術における切開や、建築における破壊作業は、本来は内部に属していた空間を、直ちに(第二の)外部へと変換してしまう。
ここで思い起こされるのは、フィレンツェのラ・スペコラ博物館(一 七七五年開設)の腹を開かれたヴィーナス、クレメンテ・スジーニの手による蝋製解剖学模型(一七八一─八二)である。彩色された蝋による、この過剰に迫真的なヴィーナスの腹部は、何層にも及んでその「表面」を開くことができるようになっている。最初の滑らかな表皮を剥がすと、真皮組織と肋骨の一部が現われる。それをも剥がすと内臓組織が、体の前面に配されたものから順に現われ、最後には子宮の中の胎児が暴かれる。表層部の下に存在するのは「内部」ないし「深部」であるが、それは容易に次の「表層」へと反転する。濡れたように艶やかな質感をもつヴィーナスの蝋製の内臓は、開かれたその瞬間に表面となり、それまで内部であったものが直ちに外部になるのである。
解剖図の伝統は一六世紀(例えばヴェザリウス)以来のものであるし、静物画の分野では、表皮を剥がれ、あるいは真二つに切断されてその内部を露わにする果物のモチーフが、すでに一七世紀のオランダ絵画においてしばしば描かれてきた。そして、廃墟画と奇想の紙上建築が隆盛をみた一八世紀こそは、建築の外皮の堅固さという、また外部空間と内部空間の厳密な峻別という自明性が崩れた時代、本来は内部に属していた空間が露出する表層の裂開への、そして未だ見ぬ深奥へと穿たれた開口部への、偏愛と固執が明らかになった時代であったのかもしれない。



★一──Bernard Aikema and Boudewijn Bakker, eds., Painters of Venice: The Story of the Venetian  “Veduta,” Rijksmuseum & Gary Schwartz, 1990. pp.209-210.
★二──William Gilpin, ”Three Essays: on Pictureresque Beauty; on Pictureresque Travel; and on Sketching Landscape,” Aesthetics and the Pictureresque 1795-1840, vol.1, edited and introduced by Gavin Budge, Bristol: Thoemmes Press, 2001. pp.7-11.
★三──マルグリット・ユルスナール『ピラネージの黒い脳髄』(多田智満子訳、白水社、一九八五)二四頁。
★四──同書、二四──二五頁。
★五──ミシェル・フーコー「第八章  屍体解剖」(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房、一九六九)。
★六──Barbara Maria Stafford, Body Criticism: Imaging the Unseen in Enlightenment Art and Medicine, MIT Press, 1991, pp.59-61. 引用部は筆者による訳出。
★七──op. cit., p.64.
★八──高山宏はその著作の図版キャプションにおいて、ピラネージのマテリアリティやテクスチャーへの執着を如実に示す例として、「めくれる紙」として描かれたメタ・イメージに注目している。(高山宏『カステロフィリア──記憶・建築・ピラネージ』作品社、一九九六、二二〇──二二三頁)。
★九──もっともここでは剥離の前段階として、密着の過程も問題となる。層と層の接着と剥離といえば、直ちにフロイトのマジックメモ(ヴンダーブロック)が想起されるであろう。上部の二枚のシート(透明なセルロイドの保護膜と不透明のパラフィン紙)と下部の蝋板の三層構造をもつこの子供用玩具は、フロイトにとって無意識の記憶という心的機構のメタファーであったが、同時にまた、多層的な記憶が地下に眠るピラネージにとってのローマという地のメタフ ァーでもある(田中純「メモリー・クラッシュ──都市の死の欲動(ドライヴ)」[『都市表象分析I』INAX出版、二〇〇〇]参照)。なお中谷礼仁は、エッチングの加刻と重版のプロセスを、マジック・メモの痕跡の唯物的実現とみている(中谷礼仁「ピラネージ、都市の人間」[『10+1』No.34、INAX 出版、二〇〇四、一二──二五頁])。
★一〇──ベルメールはこの作品が描かれる二年前の一九三二年に、コルマールを訪れマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画を目にしている。この磔刑図──ユイスマンスのいう破傷風のキリスト──のいたるところが剥け、抉られ、爛れた、病める皮膚というモチーフは、おそらく一九三四年に描かれたこの作品にも影響を及ぼしているであろう。
★一一──三宅理一「第四章第六節『地底の建築』」(『エピキュリアンたちの首都』學藝書林、一九八九)。
★一二──ロラン・バルト『テクストの快楽』(沢崎浩平訳、みすず書房、一九七七)一八頁。
★ 一三──ジャック・ラカン『フロイト理論と精神分析技法における自我:一九五四──一九五五』上巻(ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之ほか訳、岩波書店、一九九八)二五八頁。
★一四──ジグムンド・フロイト『フロイト著作集2  夢判断』(高橋義孝訳、人文書院、一九六八)九三頁。
★一五──マルグリット・ユルスナール、前掲書、一九頁。
★一六──マンフレッド・タフーリ『球と迷宮──ピラネージからアヴァンギャルドへ』(八束はじめ+石田壽一+鵜沢隆訳、PARCO 出版、一九八九)三六頁。

1─ベルナルド・ベロット 《ドレスデンのクロイツキルヒェ》(1751─52) 引用出典=exh. cat. Bernaldo Bellotto, 1722─1780,  Museo Correr & The Museum of Fine Arts, 2001. 完全な姿の教会。 精巧な筆致で描き出される石造りの表面の滑らかさ

1─ベルナルド・ベロット
《ドレスデンのクロイツキルヒェ》(1751─52)
引用出典=exh. cat. Bernaldo Bellotto, 1722─1780,
Museo Correr & The Museum of Fine Arts, 2001.
完全な姿の教会。
精巧な筆致で描き出される石造りの表面の滑らかさ

2─ベルナルド・ベロット 《ドレスデン:ピルナイ郊外の廃墟》(1762─63) 引用出典=Bernard Aikema and Boudewijn Bakker, eds.,  Painters of Venice: The Story of the Venetian “Veduta.“ プロイセン軍によって破壊されたドレスデンの街並み。 一部分の外壁のみ残った建築物は、廃墟神殿のようでもある

2─ベルナルド・ベロット
《ドレスデン:ピルナイ郊外の廃墟》(1762─63)
引用出典=Bernard Aikema and Boudewijn Bakker, eds.,
Painters of Venice: The Story of the Venetian “Veduta.“
プロイセン軍によって破壊されたドレスデンの街並み。
一部分の外壁のみ残った建築物は、廃墟神殿のようでもある

3─ベルナルド・ベロット《ドレスデンの眺望:エルベ川右岸から アウグストゥス橋を臨む(部分)》(1747) 引用出典=exh. cat. Bernaldo Bellotto, 1722─1780. 右端に建設中のカトリック宮廷教会。 教会塔を取り巻く白く細い足場は、外部化された骨格のようだ

3─ベルナルド・ベロット《ドレスデンの眺望:エルベ川右岸から
アウグストゥス橋を臨む(部分)》(1747)
引用出典=exh. cat. Bernaldo Bellotto, 1722─1780.
右端に建設中のカトリック宮廷教会。
教会塔を取り巻く白く細い足場は、外部化された骨格のようだ

4─ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》(1563) Web Gallery of Art, URL= http://www.wga.hu/index.html 建設中の光景が崩落しつつある廃墟のようにも見える矛盾

4─ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》(1563)
Web Gallery of Art, URL= http://www.wga.hu/index.html
建設中の光景が崩落しつつある廃墟のようにも見える矛盾

5─マルテン・ファン・ファルケンボルフ《バベルの塔》 引用出典=Bernard Aikema and Boudewijn Bakker, eds.,  Painters of Venice: The Story of the Venetian ”Veduta.“ Rijksmuseum & Gary Schwartz, 1990.

5─マルテン・ファン・ファルケンボルフ《バベルの塔》
引用出典=Bernard Aikema and Boudewijn Bakker, eds.,
Painters of Venice: The Story of the Venetian ”Veduta.“
Rijksmuseum & Gary Schwartz, 1990.

6─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《ミネルヴァ・メディカ寺院の遺跡》『ローマの古代遺跡』(1756) 剥ぎ取られ、穿たれた壁面から内部空間が覗く

6─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《ミネルヴァ・メディカ寺院の遺跡》『ローマの古代遺跡』(1756)
剥ぎ取られ、穿たれた壁面から内部空間が覗く

7─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《ポルタ・マッジョーレ界隈のミネルヴァ・メディカ寺院》 『ローマの古代遺跡』(1756)

7─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《ポルタ・マッジョーレ界隈のミネルヴァ・メディカ寺院》
『ローマの古代遺跡』(1756)

8─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《スペランツァ・ヴェッキア寺院の遺跡》 『ローマの古代遺跡』(1756)

8─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《スペランツァ・ヴェッキア寺院の遺跡》
『ローマの古代遺跡』(1756)

9─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《カステッロ・デッラークア・ジューリアの遺跡》(1761) 6─9引用出典=Luigi Ficacci, Giovanni Battista Piranesi:  The Complete Etchings, Benedikt Taschen Verlag, 2000.

9─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《カステッロ・デッラークア・ジューリアの遺跡》(1761)
6─9引用出典=Luigi Ficacci, Giovanni Battista Piranesi:
The Complete Etchings, Benedikt Taschen Verlag, 2000.

10─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《フォルム・ロマヌムの景観》『ローマ風景』(1748頃─78)

10─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《フォルム・ロマヌムの景観》『ローマ風景』(1748頃─78)

11─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《カンプス・マルティスウスの3枚の地図》 『古代ローマのカンプス・マルティウス』(1762) 端の捲れ上がった地図や小紙片。接合と剥離 10、11引用出典=Luigi Ficacci, Giovanni Battista Piranesi:  The Complete Etchings.

11─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《カンプス・マルティスウスの3枚の地図》
『古代ローマのカンプス・マルティウス』(1762)
端の捲れ上がった地図や小紙片。接合と剥離
10、11引用出典=Luigi Ficacci, Giovanni Battista Piranesi:
The Complete Etchings.

12─ベルナルド・ベロット《ドレスデン:クロイツキルヒェの廃墟》(1765) 引用出典=Bernard Aikema and Boudewijn Bakker, eds., Painters of Venice:  The Story of the Venetian ”Veduta.“ 外皮を剥がれて聳え立つ教会塔の身体

12─ベルナルド・ベロット《ドレスデン:クロイツキルヒェの廃墟》(1765)
引用出典=Bernard Aikema and Boudewijn Bakker, eds., Painters of Venice:
The Story of the Venetian ”Veduta.“
外皮を剥がれて聳え立つ教会塔の身体

13─シメオン・バティスト・ジャン・シャルダン《赤えい》(1728) 引用出典=高階秀爾監修『NHKルーブル美術館  Ⅵ』(日本放送出版協会、1986) 一部分の皮を剥かれた赤えい。赤身と骨が露わとなる

13─シメオン・バティスト・ジャン・シャルダン《赤えい》(1728)
引用出典=高階秀爾監修『NHKルーブル美術館  Ⅵ』(日本放送出版協会、1986)
一部分の皮を剥かれた赤えい。赤身と骨が露わとなる

14─ハンス・ベルメール《夜咲く薔薇》(1935─36) 薄い皮膚を切り開き内臓を露わにする少女

14─ハンス・ベルメール《夜咲く薔薇》(1935─36)
薄い皮膚を切り開き内臓を露わにする少女

15─ハンス・ベルメール《煉瓦の小部屋の中の人形》(1934)

15─ハンス・ベルメール《煉瓦の小部屋の中の人形》(1934)

16─ハンス・ベルメール《無題》(1935) ばらばらにされ再び繋ぎ直された身体 14─16引用出典=Sue Taylor, Hans Bellmer: The Anatomy of Anxiety, MIT Press, 2000.

16─ハンス・ベルメール《無題》(1935)
ばらばらにされ再び繋ぎ直された身体
14─16引用出典=Sue Taylor, Hans Bellmer: The Anatomy of Anxiety, MIT Press, 2000.

17─ジャン=ジャック・ルクー 《処女の純粋さの見られる思春期の少女の第二の噴火口》ほか 内部への通路。入り口からその奥を見通すことはできない

17─ジャン=ジャック・ルクー
《処女の純粋さの見られる思春期の少女の第二の噴火口》ほか
内部への通路。入り口からその奥を見通すことはできない

18─ジャン=ジャック・ルクー《結婚適齢期、妊娠適齢期》ほか 17、18引用出典=Philippe Duboy, Jean Jacques Lequeu: Une Enigme, Fernand Hazan, 1987.

18─ジャン=ジャック・ルクー《結婚適齢期、妊娠適齢期》ほか
17、18引用出典=Philippe Duboy, Jean Jacques Lequeu: Une Enigme, Fernand Hazan, 1987.

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24 19─24─クレメンテ・スジーニ《医師たちのヴィーナス》(1781─82) 引用出典=Monika v. Düring, Georges Didi-Huberman,  Marta Poggesti, Encyclopedia Anatomica. 身体を開かれるヴィーナス

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19─24─クレメンテ・スジーニ《医師たちのヴィーナス》(1781─82)
引用出典=Monika v. Düring, Georges Didi-Huberman,
Marta Poggesti, Encyclopedia Anatomica.
身体を開かれるヴィーナス

25─マティアス・グリューネヴァルト 《イーゼンハイム祭壇画第一扉─キリストの磔刑》(1515年頃) 引用出典=勝國興責任編集『世界美術大全集  第14巻  北方ルネサンス』小学館、1995年 壮絶なまでの病める皮膚

25─マティアス・グリューネヴァルト
《イーゼンハイム祭壇画第一扉─キリストの磔刑》(1515年頃)
引用出典=勝國興責任編集『世界美術大全集  第14巻  北方ルネサンス』小学館、1995年
壮絶なまでの病める皮膚

26─ジャン=ジャック・ルクー 《Et nous aussi nous serons meres; car...》(1793─94) 引用出典=Philippe Duboy,  Jean Jacques Lequeu: Une Enigme. 衣服の間隙から露わになるエロティックな身体

26─ジャン=ジャック・ルクー
《Et nous aussi nous serons meres; car...》(1793─94)
引用出典=Philippe Duboy,
Jean Jacques Lequeu: Une Enigme.
衣服の間隙から露わになるエロティックな身体

27─ジャン=ジャック・ルクー 《カプチン会女子修道院  側面切断立面図》 引用出典=Philippe Duboy, Jean Jacques Lequeu: Une Enigme. 真っ二つに断ち割られた建築物

27─ジャン=ジャック・ルクー
《カプチン会女子修道院  側面切断立面図》
引用出典=Philippe Duboy, Jean Jacques Lequeu: Une Enigme.
真っ二つに断ち割られた建築物

28─エティエンヌ=ルイ・ブレ 《カルーセルのオペ  切断立面図》(1781) 引用出典=Gallica

28─エティエンヌ=ルイ・ブレ
《カルーセルのオペ  切断立面図》(1781)
引用出典=Gallica

29─ウィリアム・チェンバース 《フレデリック王のための墓》(1751) 引用出典=『SD』第198号「特集=新古典主義」(1981)

29─ウィリアム・チェンバース
《フレデリック王のための墓》(1751)
引用出典=『SD』第198号「特集=新古典主義」(1981)

30─ジャック・ゴーティエ・ダゴティ 《自分の髑髏をみつめる骨格人間(部分)》 『人体構造解剖図集』(1759) 引用出典=荒俣宏『解剖の美学』 リブロポート、1991 正中線で真っ二つに断ち切られた人体

30─ジャック・ゴーティエ・ダゴティ
《自分の髑髏をみつめる骨格人間(部分)》
『人体構造解剖図集』(1759)
引用出典=荒俣宏『解剖の美学』
リブロポート、1991
正中線で真っ二つに断ち切られた人体

31─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《アントニウス帝の浴場の遺跡》『ローマ風景』(1748頃─78) 引用出典=Luigi Ficacci, Giovanni Battista Piranesi:  The Complete Etchings.

31─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《アントニウス帝の浴場の遺跡》『ローマ風景』(1748頃─78)
引用出典=Luigi Ficacci, Giovanni Battista Piranesi:
The Complete Etchings.

32─ジョセフ・マイケル・ガンディ 『イングランド銀行鳥瞰図』(1830) 引用出典=artnet.com, URL=http://www.artnet.com/ ジョン・ソーンの弟子による、イングランド銀行の設計図。 天井や壁の剥ぎ取りは内部を見せるための工夫でもあるが、 形態的にはピラネージの描く廃墟と酷似している

32─ジョセフ・マイケル・ガンディ
『イングランド銀行鳥瞰図』(1830)
引用出典=artnet.com, URL=http://www.artnet.com/
ジョン・ソーンの弟子による、イングランド銀行の設計図。
天井や壁の剥ぎ取りは内部を見せるための工夫でもあるが、
形態的にはピラネージの描く廃墟と酷似している

33─ジャン=ジャック・ルクー《le grand baailleur(sic.) 》 叫ぶ男の口腔内の黒々とした闇

33─ジャン=ジャック・ルクー《le grand baailleur(sic.) 》
叫ぶ男の口腔内の黒々とした闇

34─ジャン=ジャック・ルクー《フェリックス谷の泉水の眺め》 ディアナやバテシバなど、女性の水浴の窃視は絵画の典型的なモチーフでもある

34─ジャン=ジャック・ルクー《フェリックス谷の泉水の眺め》
ディアナやバテシバなど、女性の水浴の窃視は絵画の典型的なモチーフでもある

35─ジャン=ジャック・ルクー《地獄の洞窟:中国風庭園の地獄の洞窟の入り口》

35─ジャン=ジャック・ルクー《地獄の洞窟:中国風庭園の地獄の洞窟の入り口》

36─ジャン=ジャック・ルクー《プルトンの住み処への入り口》 地下へと穿たれた通路の入り口。内奥の空間を覗き見ることはできない

36─ジャン=ジャック・ルクー《プルトンの住み処への入り口》
地下へと穿たれた通路の入り口。内奥の空間を覗き見ることはできない

37─ジャン=ジャック・ルクー《ゴシック住宅の地下》 地下という空間への志向。フリーメイソンの入会儀式を表わしており、 左側から地底、火炎、水盤、風、賢智の部屋となっている 33─37引用出典=Philippe Duboy, Jean Jacques Lequeu: Une Enigme.

37─ジャン=ジャック・ルクー《ゴシック住宅の地下》
地下という空間への志向。フリーメイソンの入会儀式を表わしており、
左側から地底、火炎、水盤、風、賢智の部屋となっている
33─37引用出典=Philippe Duboy, Jean Jacques Lequeu: Une Enigme.

38─ジャン=ジャック・ルクー《カプチン会女子修道院  正面立面図》 引用出典=Philippe Duboy, Jean Jaques Lequeu: Une Enigme.

38─ジャン=ジャック・ルクー《カプチン会女子修道院  正面立面図》
引用出典=Philippe Duboy, Jean Jaques Lequeu: Une Enigme.

39─エティエンヌ=ルイ・ブレ《カルーセルのオペラ  立面図》(1781) 引用出典=Gallica, URL=http://gallica.bnf.fr/

39─エティエンヌ=ルイ・ブレ《カルーセルのオペラ  立面図》(1781)
引用出典=Gallica, URL=http://gallica.bnf.fr/

40─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《幻想の牢獄》図版IX(1760) 引用出典=マンフレッド・タフーリ『球と迷宮』 (PARCO出版、1992) 一見「外部」と見えたものが実は「内部」であり、 見ている者もまた直列に配された楕円群によって 形成された構造の中に浸りこんでしまっているのだということに気づかされる

40─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《幻想の牢獄》図版IX(1760)
引用出典=マンフレッド・タフーリ『球と迷宮』
(PARCO出版、1992)
一見「外部」と見えたものが実は「内部」であり、
見ている者もまた直列に配された楕円群によって
形成された構造の中に浸りこんでしまっているのだということに気づかされる

41─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《巨大墓所の廃墟》『ローマの古代遺跡』(1756)

41─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《巨大墓所の廃墟》『ローマの古代遺跡』(1756)

42─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《ヴィッラ・バルベリーニの廃墟》『アルバーノおよびカステル・ガンドルフォの古代遺跡』(1762) 41、42引用出典=Luigi Ficacci,  Giovanni Battista Piranesi: The Complete Etchings.

42─ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《ヴィッラ・バルベリーニの廃墟》『アルバーノおよびカステル・ガンドルフォの古代遺跡』(1762)
41、42引用出典=Luigi Ficacci,
Giovanni Battista Piranesi: The Complete Etchings.

43─クレメンテ・スジーニ 《医師たちのヴィーナス》(1781─82) 引用出典=Monika v. Düring, Georges Didi-Huberman, Marta Poggesti, Encyclopedia Anatomica,  Benedikt Taschen Verlag, 1999. 閉じられたヴィーナス

43─クレメンテ・スジーニ
《医師たちのヴィーナス》(1781─82)
引用出典=Monika v. Düring, Georges Didi-Huberman, Marta Poggesti, Encyclopedia Anatomica,
Benedikt Taschen Verlag, 1999.
閉じられたヴィーナス

>小澤京子(オザワキョウコ)

1976年生
東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。表象文化論、美術史美術理論。

>『10+1』 No.40

特集=神経系都市論 身体・都市・クライシス