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抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム | 石岡良治
From Abstraction to Territories: Gilles Deleuze and the Frame of Architecture | Yoshiharu Ishioka
掲載『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) pp.184-191

1 ヴァーチュアル・ハウスと襞の形象

インターネット環境がパーソナルなレヴェルで普及していった一九九〇年代に、さまざまな分野で「ヴァーチュアル・リアリティ(VR)」をめぐる議論が交わされていたことは記憶に新しい。もちろん厳密に考えるならば、ウェブの普及と、諸感覚のシミュレーションをめざす狭義のVR技術が直接関係を持つわけではない。だがこの時期に、音楽や映像などの分野で長い間進行し続けていた「デジタル化」が一定の閾に達したこと、そして「ダウンサイジング」と呼ばれた動きによって、コンピュータをめぐる集合表象が中枢モデルから分散モデルへと大きく移行したことなどが、広い意味におけるVRの議論を方向づけていたことは疑いない。つまり実際に問われていたのはパーソナル・コンピュータの利用可能性であったように思われる。新技術によって時代変動の説明を試みる議論の常として、これら言説の多くは否応なしに折衷的性格を帯びることになるが、だからこそ逆に、VR技術によっていったい何がもたらされたのかについての一貫した理論的解明がそこでは求められていたのである。
事態は建築においても同様である。パーソナル・コンピュータの利用可能性が拡大したことに伴うCADの普及は、それまで以上に構造の可塑性を増大させた。だがその反面、プレゼンテーション環境が標準化されたために、良くも悪くも一定の、それとわかるクオリティによって特徴づけられる意匠を生み出すことになったといえるかもしれない。構造計算の結果がそのままディスプレイ上の画像として視覚化され、そこでさまざまなシミュレーションを行なうことができるという条件。これは新たな可能性を生み出すとともに、それ自体が新たな制約条件として課せられもする。もちろんあらゆる技術体系にこうした二重性はつきものであるが、コンピュータによるシミュレーションおよび画像技術に特有の問題として、設計のあらゆるプロセスにおいて、考慮すべき「可能性」のオーダーが膨大になったことが指摘できるだろう。
こうして現われたのが、建築図面それ自体をひとつのヴァーチュアル・リアリティとみなす試みである。ここでも単なる折衷的解決にはとどまらない何らかのトータルな理論が求められていたのであり、この文脈で注目されたのが、ジル・ドゥルーズの著作、とりわけ『襞─ライプニッツとバロック』(一九八八)における「ヴァーチュアリティ」すなわち「潜在性」についての議論であった。『襞』では、二進法原理に基づく計算機の理論や微分記号の発案などによってデカルトの「普遍数学」をより柔軟な形で推し進めたライプニッツが、すぐれて建築的であったバロック芸術との関係において考察されている。一九九七年にAnyone corporationが主催した設計競技「ヴァーチュアル・ハウス」が★一、明示的にドゥルーズを参照していた背景には、以上のような文脈を想定することができるだろう。その「説明文」でジョン・ライクマンが強調していたのは、出来合いの与件から遡行的に定立される「可能性」の増大ではなく、予見不可能な新しいものの創造をもたらすような「潜在性」の力能であった★二。こうしてVRについての折衷的言説の批判がドゥルーズ哲学の読解という形で提示され、ヴァーチュアルな建築設計がむしろ理念的であるがゆえに持つであろう創造性のポテンシャルを、そこから引き出すことが期待されたのである。
だがその企図とは裏腹に、設計競技「ヴァーチュアル・ハウス」は主として二つの問題点を残したように思われる。まず第一に、VR言説の折衷性こそ回避されたものの、「まだ設計されていない」状態で言説の一貫性を確保したためか、作品の決定プロセスについての一貫した解明が回避されてしまっている。田中純はその問題点を以下のように指摘している。「無限の選択可能性という実際上の選択不可能性を避けるために、そこでは最適解を決定する機構のプログラミングが夢見られている。とするならば、ヴァーチュアル・ハウスの設計競技が図らずも明らかにしているのは、決定の審級に位置することを回避しようとする建築家の隠された欲望ではないのだろうか。あるいはそれは、アイゼンマンにおけるように、決定を独占する主権者としての建築家という存在を隠蔽する偽装工作なのだろうか」★三。建築理念としてのユートピア主義を「否定神学」として退ける身振りによって、決定行為が不可避にはらむ政治的次元そのものが取り逃がされる。そしてこのことが同時に、否定性の思考の代わりに打ち立てられるべきであった創造行為の意味づけをも曖昧にしてしまっているのだ。
もうひとつの問題点は、ドゥルーズ哲学と「流体的建築」との連想を強める結果に終わったことである。ポストモダニズム以後の建築意匠のひとつとして、一九八〇年代にジャック・デリダの哲学が「デコンストラクショニズム」として受容されたのと同様の運命を辿ったのだ。ベルナール・チュミやピーター・アイゼンマンなどに代表される建築のディコンストラクショニズムでは、「亀裂」が特権的な形象としてシンボル化されていたが、今度はグレッグ・リンやfoaに現われる「襞」状の構築物が、ドゥルーズの非デカルト主義と結びつけられた。折り返される曲線形態の可塑性が、それを可能にしている技術的手段とともに強調されることになるのだ。すなわちデジタル化された表現主義としての「ネオ・バロック」である。しかしここでもまた、襞はもっぱら視覚的な形象として受け取られていたように思われる。
そもそもドゥルーズの援用自体が、デコンストラクショニズムの代替物を求める動きと不可分であった。ジョン・ライクマンが否定神学に言及したとき、おそらく念頭に置かれていたのはマーク・テイラーのような形でのデリダの援用であろう。そこでは脱構築されるべきシステムの亀裂が、格好の「プレゼンテーション」の対象となることによって、しばしば現前するシンボルと化してしまっていたのだ。だが「デリダからドゥルーズへ」という形で捉えられる限り、「襞」もまたシンボル化を蒙らざるをえない。事態が思考の深化によってではなく、モードの変化として把握されたからである。VR言説の折衷性に一貫性を与えつつ、視覚的に説得力ある形態を生み出すための触媒としてドゥルーズが用いられた。いまや「ドゥルーズと建築」といえば、ただちに襞状構築物が連想されるほどである。こうして「潜在性」の哲学は、CADの可能性を説明するプレゼンテーション資料となり、そこで自身のポテンシャリティを使い尽くしてしまったのだろうか。

2 バロック・ハウスと二つの抽象

だが当然のことながら、ドゥルーズの建築理論のポテンシャルは、VRの存在論や、襞状構築物のような「ドゥルーズ的な」特定の形態に尽きるわけではない。これまで概観してきたドゥルーズの援用は、抽象的すぎるか(VRの理論)、あるいは具体的すぎるか(非デカルト的な幾何形態)のいずれかであったが、その最大の原因は、端的に言って『襞』という書物のアレゴリー的次元が誤読されたことにあるように思われる。「ヴァーチュアル・ハウス」のモデルは、おそらくドゥルーズが『襞』の冒頭に自ら描いた「バロック・ハウス」[図1]であるが、このデッサンは、ライプニッツ「と」バロックの関係についてのアレゴリーとして呈示されていた。この二階建ての屋敷は、同時にライプニッツ哲学における心身関係のアレゴリーとしても描かれており、「物質の折り目」である一階と、「魂の中の襞」である二階からなる。そして身体における可能性の実在化(物質)と、モナドにおける潜在性の現働化(魂)という二つの過程が、ひとつの体系をなすことが示されていた★四。
しかし「ヴァーチュアル・ハウス」の説明文では、あらゆる現象に妥当するはずのこの二つの過程のうち、「潜在性の現働化」だけが取り上げられ、そこに肯定的な価値付与が行なわれた。そして体系において不可分なもうひとつの過程である「可能性の実在化」は、否定的な媒介としてのみ扱われたのだ。そうなった理由はおそらく、ベルクソンに由来する「可能性」概念の批判がそこに読みこまれたためであろう★五。もちろんこうした批評的介入それ自体は、テクストの祖述だけではけっして不可能な生産的読解をもたらしうるものである。しかしながら、「ハウス」という形象が維持されたままであったために、そこからアレゴリーという契機が脱落し、「ヴァーチュアル・ハウス」が体系のアレゴリーではなく、その部分過程についてのシンボルになってしまったのだ。もしも「ハウス」が問われ続けるのであれば、二つの過程は体系的に把握されるべきだったし、また反対に「潜在性の現働化」の射程を掘り下げるのならば、それを「ハウス」という形象に直接結びつけるのではなく、その構成要素を検討すべきだっただろう。いずれにせよ、そこでは概念と形象の短絡が生じていたのである。
したがって、こうした一連の事態を新たに捉え直すためには、「バロック・ハウス」から考察を始めるのではなく、まずドゥルーズの建築論の構成要素が検討されるべきではないだろうか。例えばジョン・ライクマンも、抽象芸術を扱ったテクストでは「可能性の実在化」と「潜在性の現働化」に由来する「二つの抽象」の不可分性を強調しており、上述したような短絡は避けられている★六。もっともここでも抽象形態に関わる前者が「Nots」として否定性の下で捉えられ、肯定的な抽象機械であるところの「Ands」と対置されることになってはいる。しかし抽象への着目は、ドゥルーズの建築論をより広汎な形で問うことを可能にしている。ここで注目する必要があるように思われるのが、ガタリとの共著である『千のプラトー』以来、ドゥルーズの芸術論のひとつの常数をなしている、二〇世紀初頭のドイツ語圏における芸術学の著作への参照である★七。例えばルネサンス芸術に対置される様式としてバロックを取り上げたヴェルフリンは、ライプニッツとバロックの関係を問う『襞』の冒頭において引用されていた。ほかにも、触覚性─視覚性という軸から「造形芸術の歴史文法」を企てたリーグルや、『抽象と感情移入』のヴォリンガーが、絵画論である『感覚の論理』のみならず、大著『シネマ』の随所で引き合いに出されている。ときに様式論として総称される彼らのうち、特にリーグルやヴォリンガーが問題にしていたのは、技術的な要因に還元不可能な「芸術意志」であるが、ここで検討してみたいのは、ヴォリンガーにおける「抽象」という芸術意志の問題である。
一九〇六年に学位論文として執筆され、一九〇八年に出版されたヴォリンガーの『抽象と感情移入』は、学術論文の範囲を超えて広く読まれた書物である。学問的な観点からはしばしばその方法論的性急さが批判されているが、本書が関心を集めた理由は、同時代に登場した抽象芸術との関連がそこに見出されたことにあった★八。抽象絵画の創始者のひとりであるカンディンスキーが一九一一年に出版した『芸術における精神的なもの』は、彼自身の絵画制作のマニフェストとみなしうるが、この二つの書物にはしばしば同時代的な影響関係が指摘されてきた。だがここには、ライクマンとは別の意味における「二つの抽象」があるのだ。『抽象と感情移入』フランス語版の序論「ヴォリンガーを読む」において★九、ドラ・ヴァリエは両者の抽象理解の差異を分析している。ヴォリンガーが念頭に置いていた「抽象」は、テオドール・リップスの感情移入美学を相対化するようなもうひとつの芸術意志である。感情移入は、有機的なものとの調和に基づく「客観化された自己享受」であり、あらゆる芸術活動の根源である自然模倣の基礎にあるとされていた。しかし、ヴォリンガーによれば、すべての芸術が有機的な自然の模倣に基づくわけではない。もはや感情移入が不可能であるような圧倒的な自然を前にした人間は、空間恐怖を克服するために、幾何形態が反復される装飾文様や、巨大な結晶体であるピラミッドを制作するだろう。これこそが非有機的なものに関わる「抽象」という芸術意志であり、そこでは身体から切断された「自己抛棄」が問われていたのだ。
他方、カンディンスキーの『芸術における精神的なもの』は、色彩と音楽の共感覚的な関係を自然表象から解き放ち、「精神的なもの」を観想するような「内的必然性」を目指している。ここでも自然模倣に依拠しない芸術理解が求められていたわけだが、非西洋芸術を扱っていたヴォリンガーとは異なり、カンディンスキーの場合、自身の絵画実践を外界のモデルなしで導くための原理として、内的必然性が要請されていた。ドラ・ヴァリエによると、このことはむしろリップス美学の拡張とみなしうる。シェーンベルクに触発されたカンディンスキーは、色彩の単なる調和関係にはとどまらず、「不協和音」をも含むような共感覚性を描こうとしていたが、彼にとって抽象は、身体という場における経験と関連づけられていたからである。こうしてリップスの心理学的美学ではつねに外界のモデルに関連づけられていた「芸術衝動」が、身体器官を通して色彩のハーモニーの内的必然性を抽象的に洞察する、精神の力として再定義されたのである。
したがって、ヴォリンガーとカンディンスキーによる「二つの抽象」は、リップスに対する相異なる応答であったことが明らかになる。ここで、前者が美術史に関わり、後者が画家であったことに基づく対象の違いよりも重要なのは、抽象芸術とそれを経験する身体との間にある関係の違いである。抽象芸術の有名な区分の例としては「キュビスムと抽象芸術」展(MoMA、一九三六)で提示されたチャート図に現われる「幾何学的抽象芸術」と「非─幾何学的抽象芸術」が挙げられる。だが二〇世紀芸術における抽象概念を、造形芸術だけでなく建築を含めた形で考察するためには、そうした形態上の分類以上に、「感情移入」との関連で現われてくる「抽象」における、身体関与のあり方が問われるべきではないだろうか。そして同時にこの問いは、ドゥルーズの芸術論における建築の位置づけを捉え直すための出発点になるだろう。なぜなら、一九八〇年の『千のプラトー』では無文字社会における「抽象線」が芸術の始まりとして考察されていたが★一〇、一九九一年の『哲学とは何か』では、家とテリトリーの構築によって芸術が始まると言われているからだ★一一。ドゥルーズの芸術論において、抽象と建築はどちらも芸術の始まりに位置づけられており、そこから身体関与の問題へと導かれていく。以下では、二〇世紀の芸術実践における抽象の転換点であるロバート・スミッソンおよびミニマル・アートが提起するテリトリーの問題を、ドゥルーズの建築論に関連づけることを試みたい。

1──「バロック・ハウス」 引用出典=ジル・ドゥルーズ『襞』

1──「バロック・ハウス」
引用出典=ジル・ドゥルーズ『襞』

3 テリトリーの構築と建築のフレーム

「感情移入」には還元できない芸術意志である「抽象」を見出しつつも、ヴォリンガー自身は同時代の表現主義美術にもっぱら関与していたため、二〇世紀美術史における抽象芸術の実践との関連はそれほど密接ではなかったように思われる。そして表現主義に対する関心は、抽象と感情移入のどちらにも還元不可能であるような、ゴシックの形式問題へと彼を導いていった。他方カンディンスキーは、バウハウスの講義に基づいた次の著作『点と線から面へ』において、絵画の構成要素の分類に取り組んでいる。MoMAのチャート図をはじめとする形態上の分類に基づく抽象理解の多くは、この著作の影響を大きく受けている。例えばアメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグの抽象理解も、基本的にはこのラインで理解することができるだろう。抽象表現主義からカラーフィールド・ペインティングに至る展開に関与したグリーンバーグの批評において、抽象は、物語的かつ再現的な「内容」と対置される意味での形態への関心と結びつく。そして「フォーマリズム」と言われる彼の絵画論は、絵画の二次元的な平面性においてのみ成立するような視覚的イリュージョンの抽象性を強調していたのである★一二。
一九六六年にロバート・スミッソンは図版構成によるエッセイ「準─無限と空間の衰退」において、このようなグリーンバーグの抽象理解が不十分であるとして、ヴォリンガーの意味における抽象をそこに対置した★一三。スミッソンによると、いかに再現的なものとの関係が断たれていても、観者の身体が空間に立ち戻るような関係に置かれている限り、アンソロポモルフィズムは残存し続け、真の抽象とは言えないことになるだろう。つまり人間の身体を対象に移し入れることに由来する「感傷の虚偽」が残っているために、フォーマリズム批評には生物学的メタファーが再導入されてしまうというのだ。これは事実上、フォーマリズムが「感情移入」に基づいているという指摘である。
ここに現われている生物学的メタファー批判は、『時のかたち』において様式論を捉え直した美術史家ジョージ・キューブラーに由来する★一四。だがそれ以上に興味深いのは、スミッソンがヴォリンガー的な抽象を実作において実践しようとしていたことであろう。事実、同時代のミニマル・アートと関連づけられることの多いスミッソンの彫刻作品には、結晶状の構築物が数多く現われている。しかしアンソロポモルフィズムから解き放たれた作品を目指すスミッソンが、真の意味でヴォリンガー的な抽象に接近したのは、野外に設置された鏡の写真による記録を作品として展示している一連の《Mirror Displacement》、そして彼の代表作である一九七〇年の《Spiral Jetty》[図2]においてであるように思われる。これら作品は現在「アースワークス」と呼ばれるが、スミッソンにとって重要だったのは、美術館を超え出ていく作品の空間的なスケールだけではなかった。それ自体が作品として制作されている《Spiral Jetty》の記録映画に明瞭に現われているように、作品の設置面であるソルトレイクの地図に始まり、塩が結晶化する現実の地層、恐竜の化石が出てくる先史的な地層、そして空想科学的な伝承の層など、さまざまなレヴェルの記述の層が、制作進行についてのドキュメンタリーに重ね合わされていく。そしてさらにこの「螺旋の突堤」を走るスミッソン自身の姿を空撮することによって、作品経験が持ちうるさまざまな時間が、身体知覚のスケールを超えた形で呈示されているのである★一五。
こうしてスミッソンは、ヴォリンガー的な抽象理解を先鋭化させることによって、さまざまな層を備えた作品を制作した。《Spiral Jetty》における各々の記述の層は、設置面との関係を保ちつつも、そこに従属するのではないような自律した領野を切り開く。すなわち彼のアンソロポモルフィズム批判は、抽象の問題を、仮想上のものを含めたさまざまな「テリトリー」の構築へと結びつけているのである。ここに現われている抽象とテリトリー構築との関係は、ヴォリンガーに対する関心において、ドゥルーズの芸術論のプロブレマティックと一致している。だがヴォリンガーは、ゴシック芸術の抽象線に、純粋な抽象でも感情移入でもないような「非─有機的な生命」を見出していた。そしてスミッソンのアンソロポモルフィズム批判においてもまた、作品の身体的な次元は、単に抹消されているのではなく、むしろ外在的かつ上空飛行(survol)的な視点から再び提起されていたのではないだろうか。したがって、これまで見てきた「二つの抽象」の問題を、単なる二極性を超えた形で展開する必要があるように思われるのだ。
この問いをドゥルーズの芸術論に接続するうえで、ベルナール・カッシュの『柔らかい大地』はきわめて重要な位置を占めている★一六。カッシュは芸術意志を、屈折、ヴェクトル、フレームという、イメージの三要素の 配  備 アジャンスマンから読み解いている。これら三要素を巻き込む形で展開される、自然を前にした人間の「生命的態度」の類型学によって、様式論の可能性を、その「精神史的」読解の陥穽である民族本質主義を超えて展開しているのだ。こうして得られたのが、退却、感情移入、直面という三つの生命的態度である。「直面」に対応するゴシック芸術の抽象線は、ケルトの動物装飾に見られるように、事物の描写と幾何学的形態の両者を貫いて繰り広げられていた★一七。そしてソルトレイクの湖面に反射するヘリコプターの機影とともに、自身の走る姿を突堤の線に沿ってフィルムに記録したスミッソンの作品にも、直面という生命的態度を認めることができるだろう。
ドゥルーズが芸術の始まりに見出していた抽象線は、なによりもまずゴシック的なものであった★一八。そしてその非─有機的な生命性が、「器官なき身体」に結びつけられていたのである。だからこそ「芸術は肉とともに始まるのではなく、家とともに始まる」と言われているのだ★一九。諸芸術のなかで建築が第一のものとみなされているが、ここで「肉」の代わりに問われているのは「器官なき身体」として現われるような機械の物体性=身体性であり、これこそがジョン・ライクマンが「Ands」として取り上げた抽象機械である。それでは芸術の始まりである「家」は、どのようにしてテリトリーを構成するのだろうか。「襞」のヴェクトルが屈折させられ、フレーミングされることによってである。ドゥルーズは「襞」を形象ではなく、あくまでも概念として提示しているが、その際にカッシュのテクストが引用されているのはこのためである★二。〇テリトリーの構築、すなわち建築に始まるあらゆる芸術活動では、ヴェクトルとその屈折によって任意の形態が描き出されうるが、そこには常に「フレーミング」の操作が伴われているのだ。
したがってフレーミングが施される「襞」の形象それ自体は、必ずしも滑らかな曲線である必要はないことになる。幾何学的形態のみから成り立つミニマル・アートの作品が範例として取り上げられるのはこのためである。カッシュによれば、トニー・スミスの黒いキューブは、作品の凹凸を折り曲げる屈折として機能する★二一。この箱はそれ自体が「エクステリアとインテリア」の関係を屈折させる建築的フレームとみなしうる。建築がフレームの芸術であるということは、すなわち、建物だけでなく、絵画であれ彫刻であれフレーミングが問われるあらゆる場面で、建築の問題を提起できるということを意味しているのだ。このことを示す例として、ドゥルーズは『襞』において、トニー・スミスによる、ニュージャージーの完成前の高速道路におけるドライヴ経験の記述の「ライプニッツ的状況」を指摘している★二二。この経験はマイケル・フリードによって、悪しき非芸術である客体性の徴候とみなされた★二三。だがフロントガラス上をアスファルトが全速力で過ぎていくのが見られるとき、この景観は外部にあるアスファルトとの関係を断ち切り、限界を持たない空間となる。この経験をフレーミングする方法はない、とトニー・スミスは語っているが、ここでは自動車によってフレーミングがなされているのだ。これはまさに建築的な状況である。そして自動車というフレームは外の空間を 捕 獲 キャプチャーして、その内側には「脱フレーミング」された「モナド」が構成されるのだ。
こうして明らかになるのは、フレーミングの操作が、ときにそこから切り離しえないような「脱フレーミング」を遂行するという事実である。前述したスミッソンのアースワークスでは、複数の層の重ね合わせが、脱フレーミングの操作によって可能になっていた。そして作品上で構築されたテリトリーが、フレームを媒介にすることで脱テリトリー化の運動へと入り込んでいくのだ。それゆえフレームによる脱フレーミングの遂行は、建築が作品になるための条件である。芸術は、身体的な知覚や情動を超えて、非物体的な出来事としての作品創造によって、ペルセプトとアフェクトからなる「感覚のブロック」を構成する★二四。このことは物質的マテリアルな条件から美的=感性的エステティックなレヴェルへの移行を意味している。作品が構成する時空間は、まさにカントの「超越論的感性論」の意味に従って、感性的なものと呼ばれうるからである。
特定のマテリアルや物理的なテリトリーをフレーミングすることが、同時に脱フレーミングされた時空間の創造となること、これこそがフレームの芸術である建築の務めである。マテリアルの被覆の原則を追求した、「装飾家」アドルフ・ロースのラウムプランにおける室内空間の分節によるテリトリーの操作、あるいはドミノ・システムをはじめとした、「住むための機械」の発明家ル・コルビュジエの《サヴォワ邸》における水平窓による屋外空間のフレーミング★二五。これら近代建築の重要なモメントを、以上のような観点から考察することは、建築におけるヴァーチュアルなものの再定義を促すことになるだろう。つまり作品が決定されることなしには、その潜在性も存立しないのだ。なぜならヴァーチュアルなもののリアリティは、たとえ未分化(indifférencié)だとしても差異(différentié)を持つこと、すなわち「規定」されていることに由来しているからである。
したがって、例えばfoaによる《横浜大さん橋国際客船ターミナル》[図3]のような襞状構築物も、CADによって生み出された狭義の「表現主義的な」意匠としてではなく、フレームとテリトリーの問題から捉えられなければならない。すでに見たように、技術的な装置であるコンピュータが、即自的にヴァーチュアルな作品を創造することはありえない。「情報」が作品に取り入れられるためには、ドゥルーズもしばしば引用するレオ・スタインバーグが「他の批評基準」★二六で述べていたように、まずはじめに情報のマトリクスとなるような「平台型絵画面」が構成されなければならないからだ。それゆえ、foaの構築物における実際の「屈折」は、「サーキュレーション・ダイアグラム」と周囲の地形という与件から場の「連続性」を最大限得るべく導かれた襞状の形態にあるのではない★二七。むしろ彼らが主張している「強度的な空間」は、それでもなお周囲の空間との非連続性を保つ建物のフレームが、景観についての利用者の身体的経験に屈折を導き入れることによって得られるのだ。
こうして、概念としての「襞」の経験についてのアレゴリーが、実際にはミニマル・アートによって与えられていることが判明する。そしてこの状況こそが「ネオ・バロック」であり、ドゥルーズの建築論の出発点をなしているのだ。彼はベンヤミンを引用して次のように言っていた。「シンボルは、ほとんど世界の中心で永遠的なものと瞬間的なものとを結合するが、アレゴリーは時間の秩序に従って自然と歴史を発見し、もはや中心をもたない世界において、自然を歴史にし、歴史を自然に変えるのである」★二八。ゆえにドゥルーズ哲学と建築の関係を、「バロック・ハウス」のアレゴリーに閉じこめてはならない。それではドゥルーズとライプニッツの関係に中心が与えられてしまうことが、すでに明らかになっているからだ。そうではなく、むしろ『哲学とは何か』において「抽象線」で描かれたドゥルーズのデッサンが、デカルトのコギトをオジーブとして示し★二九、あるいはカントの体系をティンゲリー的な「機械」[図4]として把握している事態に注目すべきである。ここにあるのは自身の体系と一致しない哲学者たちのアレゴリーであって、それらをフレーミングする操作こそが、ドゥルーズにおける思考の建築術である。こうして建築のフレームが、もはや調和を持たない世界において、脱フレーミングによって得られるような時空間の潜在性を構築するのだ。

2──ロバート・スミッソン《Spiral Jetty》 引用出典=Edward Lucie-Smith, Artoday,Phaidon, 1995.

2──ロバート・スミッソン《Spiral Jetty》
引用出典=Edward Lucie-Smith, Artoday,Phaidon, 1995.

3──foa《横浜大さん橋国際客船ターミナル》 引用出典=foa, The Yokohama Project,  Actar, 2002

3──foa《横浜大さん橋国際客船ターミナル》
引用出典=foa, The Yokohama Project,
Actar, 2002


4──カント体系の「機械」 引用出典=ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』

4──カント体系の「機械」
引用出典=ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』


★一──『InterCommunication』No.24(NTT出版、一九九八)一八──五一頁。
★二──ジョン・ライクマン「ヴァーチュアル・ハウス──ある説明文」(篠儀直子訳、同誌、一八──二一頁)。
★三──田中純「建築の哀悼劇──ヴァーチュアル・ハウスをめぐって」(『都市表象分析IINAX出版、二〇〇〇、一六八──一七〇頁)。
★ 四──ジル・ドゥルーズ『襞──ライプニッツとバロック』(宇野邦一訳、河出書房新社、一九九八)、第八章「二つの階」、特に一七九頁の図を参照。
★ 五──アンリ・ベルクソン「可能性と事象性」(河野與一訳、『思考と動くもの』岩波文庫、一九八八、一三五──一六一頁)。
★六──John Rajchman, Construction, MIT Press, 1998, pp.55-76.
★七──なお、本稿では共著におけるフェリックス・ガタリの役割についての検討は行なわないが、ドゥルーズの単独著作には現われない重要なモチーフとして、芸術学における様式区分がしばしば国家を単位としており、「遊牧民」が看過されがちであることに対する留保が挙げられる。ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「一四四〇年──平滑と条理」(宇野邦一ほか訳、『千のプラトー──資本主義と分裂症』河出書房新社、一九九四、五五一──五五二頁)。
★八──ヴィルヘルム・ヴォリンゲル『抽象と感情移入──東洋芸術と西洋芸術』(草薙正夫訳、岩波文庫、一九五三)。また、本書の受容および現代的意義については、Neil H. Donahue ed., Invisible Cathedrals: The Expressionist Art History of Wilhelm Worringer, Pennsylvania State University Press, 1995. 所収の論文を参照。
★九 ──Dora Vallier,  “Lire Worringer,” Wilhelm Worringer, Abstraction et Einfu¨hlung, Klinksieck, 1978, pp.5-32.
★一〇──『千のプラトー』五五二──五五五頁。
★一一──ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「被知覚態、変様態、そして概念」(財津理訳、『哲学とは何か』河出書房新社、一九九七、二六〇頁)。
★一二──クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」(『モダニズムのハード・コア』川田都樹子+藤枝晃雄訳、太田出版、一九九五、四四──五一頁)。
★一三──Robert Smithson,  “Quasi-Infinities and the Waning of Space,” The Collected Writings, University of California Press, 1996, pp.34-37.
★ 一四──George Kubler, The Shape of Time: Remarks on the History of Things, Yale University Press, 1962. また、スミッソンとキューブラーの関係については、Pamela M. Lee, Chronophobia: On Time in the Art of the 1960s, MIT Press, 2004, pp.218-256. を参照。
★一五──スミッソンの映画をドゥルーズの『シネマ』と接続する試みとしては、Andrew V. Uroskie,  “La Jete´e en Spirale: Robert Smithson’s Stratigraphic Cinema,” Grey Room No.19, 2005, pp.54-79.
★一六──Bernard Cache, Terre Meuble, HYX, 1997.
★一七──ウイルヘルム・ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』(中野勇訳、岩崎美術社、一九六八)、とりわけ四九──八四頁。ヴォリンガーは「ゴシック」という名称によって、広くヨーロッパ北方芸術を指し示していた。
★一八──『千のプラトー』五五二──五五五頁。
★一九──『哲学とは何か』二六四──二六五頁。
★二〇──『襞』二七──三一頁。
★二一──Bernard Cache, Terre Meuble, p.122. なお、ここでカッシュはジョルジュ・ディディ=ユベルマンのトニー・スミス論、Ce Que Nous Voyons, Ce Qui Nous Regarde, Minuit, 1992.を引用している。ディディ=ユベルマンはアンソロポモルフィズムの問題を「人類学的」考察にもたらし、キューブと墓の関係について指摘している。
★二二──『襞』二一四頁、註四。
★二三──Samuel Wagstaff, Jr.,  “Talking with Tony Smith,” Gregory Battcock ed., Minimal Art, University of California Press, 1995, p.386. マイケル・フリード「芸術と客体性」(『モダニズムのハード・コア』川田都樹子+藤枝晃雄訳、七五──七八頁)。
★ 二四──『哲学とは何か』二三一──二三八頁。
★二五──Bernard Cache, Terre Meuble, pp.83-94.(ロースと装飾について)、 pp.23-29.(ル・コルビュジエの五原則について)。また、ビアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』(松畑強訳、鹿島出版会、一九九六)の「室内」(ロースについて)、一五〇──一七五頁、および「窓」(ル・コルビュジエについて)、一七六──二〇三頁。
★二六──レオ・スタインバーグ「他の批評基準」(林卓行訳、『美術手帖』一九九七年一──三月号、一八四──二〇一、一八二──一九三、一七四──一九一頁)。(Leo Steinberg,  “Other Criteria”, Other Criteria: Confrontations with Twentieth-Century Art, Oxford University Press, 1972, pp.55-91.)
★二七──foreign office architects, Phylogenesis: foa‘s Ark, Actar, 2004, pp.226-257.
★二八──『襞』二一七頁。
★二九──『哲学とは何か』三七──四〇頁。

>石岡良治(イシオカヨシハル)

1972年生
表象文化論。

>『10+1』 No.40

特集=神経系都市論 身体・都市・クライシス

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年 -
表象文化論、思想史。東京大学大学院総合文化研究科教授。

>foa(エフ・オー・アーキテクチャー)

1995年 -
建築設計事務所。

>脱構築

Deconstruction(ディコンストラクション/デコンストラクション)。フ...

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>ロバート・スミッソン

1938年 - 1973年
芸術家。

>バウハウス

1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グ...

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>横浜大さん橋国際客船ターミナル

神奈川県横浜市 客船ターミナル 2002年

>篠儀直子(シノギ・ナオコ)

翻訳者。表象文化論、アメリカ史。

>松畑強(マツハタ・ツヨシ)

1961年 -
建築家。千葉大学、明治大学非常勤講師。