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動物化するグラフィティ/タトゥー 都市/身体の表面への偏執 | 南後由和
Animalizing Graffiti / Tattoos: Paranoia on the Urban / Body Surface | Yoshikazu Nango
掲載『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) pp.144-155

1 背景

日本では、九〇年前後から横浜市中区、旧東急東横線の桜木町駅─高島町駅間約一・四キロメートルに及ぶ高架下の壁面に多くの若者が競い合って「グラフィティ(graffiti)」を描くようになり、桜木町はグラフィティの「聖地」とまで言われるようになった[図1]★一。九〇年代半ば以降は、同所に限らず、鉄道・車道沿線、看板、電柱、道路標識、住宅などに描かれたグラフィティが各地で増殖し、それらはもはや都市の「風景」の一部となっている。例えば渋谷や原宿の映像を撮る際、グラフィティが入り込まない風景を撮ることのほうが難しいと言っても過言ではない。グラフィティは「ヴァンダリズム(vandalism)」(公共物破壊)として軽犯罪法に抵触し、「落書き」として自治体による駆除対象となっている一方で、現代美術や服飾デザインなどに幅広く適用されるという、一見相容れない二面性を併せもった視覚的表現として定着している。また「タトゥー(tattoo)」も「見られる」ことを目的として、タトゥー・アーティスト(彫師)がデザインを追求し、身体に針を入れることなく気軽に衣服の変種として楽しむことができるヘナアート・タトゥーやフェイク・タトゥーなどが登場している一方で、「見られる」ことを一義的な目的とはせず、個人的な儀式として受容されているという二面性をもっている。
ここでグラフィティとタトゥーというそれぞれのサブカルチャーの構成員の属性の差異を論じることはしない★二。上野俊哉が「アーバン・トライブ(都市の部族)」という概念を「複数のトライブに横断的に帰属しつつ、固定した一個のアイデンティティ(身元証明=同一性)だけにしばられないサブカルチャー当時者のあり方」(上野[二〇〇五:二五])を説明する際に用いたように、今や多くの若者がグラフィティ、タトゥー、スケートボーディングといったサブカルチャーを越境して渡り歩いている。なお、グラフィティとタトゥーの日本における受容と展開に関しては、雑誌メディアやそれと連動したイヴェントが重要な役割を果たしている★三。そのほかにも、グラフィティはヒップホップと連動して日本に取り入れられた経緯がある一方で、タトゥーは七〇年代のパンクの隆盛と連動して反社会的メッセージや自由の象徴として認知されるようになった経緯があるように、音楽の選好が媒介作用のひとつとなっている。例えば外資系の大型CD・レコード店のブック・コーナーの書棚では、グラフィティ、タトゥーやスケートボーディングのコーナーは隣接している。また二〇〇〇年前後から相次いで創刊されているグラフィティ・ライターの自主製作による雑誌(インディ・マガジン)である『Doller or Ink』などではグラフィティのみならず、タトゥーのページが割かれている。ライターのなかにはタトゥーを入れている者が少なくないうえ、タトゥー・アーティストへと転身してグラフィティをタトゥーのデザイン・モチーフとして取り入れている者がいるなど、絵画的な嗜好にも共通性が見られる[図2]。
さしあたり、グラフィティとは身体から都市へヴェクトルが向かう都市の加工=都市の表面への偏執であり、タトゥーは逆に身体へと向かう身体加工=身体の表面への偏執と言えるが、両者に絵画的な嗜好以外の共通性はないのだろうか。それぞれの表面で一体、何が生じているというのであろうか。また、なぜ若者は危険を冒してまで都市へ繰り出してはグラフィティに興じ、強烈な痛みをともなってまでタトゥーを身体に刻み込むのであろうか。

1──桜木町の高架下 筆者撮影(横浜市中区桜木町、2004年9月)

1──桜木町の高架下
筆者撮影(横浜市中区桜木町、2004年9月)

2──グラフィティ・タトゥー 引用出典=『TATTOO BURST』2003年11月号(コアマガジン)

2──グラフィティ・タトゥー
引用出典=『TATTOO BURST』2003年11月号(コアマガジン)

2 動物化するグラフィティ

グラフィティに関する先行研究ではしばしば、都市を管理、抑圧しようとする権力(行政や市民社会など)や消費社会への対抗的な身ぶりとしてグラフィティを評価し、六〇年代の対抗文化の図式を援用した語りが展開されてきた★四。もちろん、グラフィティの増殖は監視社会化する都市の動向と無縁ではないが、そのような都市の管理/抵抗という二項対立に収斂するような枠組みからではライターの「動機」はもちろん、近年のグラフィティの増殖理由を十分に説明することができない。
筆者は別のところで、首都圏で活動するライタ ーたちへの聞き取り調査を通じて、彼らの行動様式を踏まえながら、「ストリート」に残すグラフィティの技術、量、描く場所(高所)などによってトライブ内で序列化が生じていること、彼らのステータスは「ストリート」でのヴァンダリズムの活動のほかにも、メディアや職業化、制度化といった外部要因によって動態的かつ多元的に決定されており、トライブとは自律的なものではないことなどを論じた(南後・飯田[二〇〇五])。そこから得られた知見は、既存社会に対するグラフィティ・ライターの批判意識の希薄さであり★五、また「グラフィティにもいろいろあるし、自分はその一部。俺はこう思ってグラフィティをやっているということ。グラフィティを肯定したり、素晴らしいもの、人生に必要なものだとかは表立って言いたくない。自分なりの美意識でやっているし、そういった思いは胸にとっておきたい。グラフィティがこれですって言うのは難しい。いつ、言えるようになるのかはわからない」(二〇〇四年七月二八日、「O」:二六歳男性、東京都出身・在住)、「グラフィティって一括りにしたり、そこに何か特別なものを見出そうとするけど、みんな目指していく方向はバラバラだし、人それぞれ」(二〇〇四年九月二七日、「L」:二八歳男性、神奈川県海老名市出身・在住)、「もうグラフィティって言葉が多様化しすぎているというか、死語。括弧つきの言葉」(二〇〇四年八月二三日、「S」:二七歳男性、神奈川県厚木市出身・在住)というライターたちの発言に端的に示されるような、グラフィティの「本物性(authenticity)」の不在である。グラフィティの意味づけという最終審級を空洞にしている、あるいは必要としないからこそ多くの若者の参入が促進され、新たな表現や試みを生み出す余地を保持することができている。このようにライターたちには同一化やレッテル化を拒むこと、グラフィティの向き合い方には個人主義的な性格を看取することができる。
ここで聞き取り調査にもとづく解釈学的かつ内在的な立場から距離をとり、彼らの行動原理に照準を設定するならば、グラフィティの増殖は東浩紀がアレクサンドル・コジェーヴに依拠しながら「動物化」と呼ぶ現象と類似していると言えるのではないだろうか。東は九〇年代半ば以降、「オタク」に限らず、若者文化一般が、作品の物語やその解釈ではなく、断片を集積する欲求に突き動かされている現象を「動物化」と呼んだ(東[二〇〇一])。そこでは「大きな物語」、ひいては「島宇宙化」する小集団内で共有される世界観としての「小さな物語」でさえ必要とされなくなっていると言う。
この東の指摘はグラフィティにも当てはまる。グラフィティ・ライターはグラフィティに関する蘊蓄や己の世界観を披露しあうことを忌み嫌う。むしろ、グラフィティに関する知識を開陳することはダサイ。グラフィティのメッセージという「内容」が重要なのではなく、「ストリート」でヴァンダリズムに傾倒するという「形式」を履行することがカッコイイのである。ちなみに不定期に刊行される『kazemagazine』や『drawamok』などのインディ・マガジンには言説は掲載されておらず、世界・全国各地に描かれたグラフィティが淡々とページを埋め尽くす「データベース」と化した誌面構成になっている。そして壁の色や肌理、グラフィティのスタイルやデザインに「萌え」る。このような動物化の側面は、ライターたちの都市でのコミュニケーション様式にも表われている。
それを典型的に示しているのが、九〇年前後から桜木町に描かれたグラフィティの表現様式と、九〇年代半ば以降から例えば渋谷などで急速に増殖したグラフィティの表現様式との違いである。グラフィティの基本的な表現様式は、通常アルファベットを組み合わせたものである行為者の呼称や彼らのクルー・ネーム★六をスプレーやマーカーで手短に描き付ける「タグ(tag)」、一色ないし二色で描かれることが多い「スロー・アップ(throw up)」、原則として三色以上の色数が用いられ、多くの時間と高度な技術を要する「ピース(piece)」に大別できる[図3─5]★七。そして桜木町が「聖地」たる所以のひとつは、高架下の壁面に連なって描かれた「ピース」の多さにあった。一方、渋谷には凄まじい数の「タグ」が氾濫している。タグは、短時間で描くことができる容易さと監視の目につきにくいという点から初心者が参入しやすい表現様式でもあり、渋谷に限らず、日本の都心ではタグが増殖している。このようなピース中心の桜木町からタグ中心の渋谷への変容を、単に桜木町の壁がピースで埋まり、物理的な空間許容量を超えたために周辺地域へ溢れ出たと、あるいは渋谷はピースに適した壁が少ないからだと片付けるのではなく、そこに生じているであろう、コミュニケーション様式や他者の眼差しに対する欲望の差異に着目してみたい★八。
具体的に渋谷を見てみよう。例えば公園通りと井の頭通りに東西を挟まれ、パルコや東急ハンズが並ぶ通り(オルガン坂)の北一帯の宇田川町では、数多くのレコード・楽器店が軒を連ねており、そこには夥しい数のタグが建物の壁、シャッター、看板、電柱などを埋め尽くしている[図6・7]。公園通りを東に逸れた神南一丁目一帯にも同様の光景が広がっている。最近ではスペイン坂、センター街、渋谷駅前をはじめ、至る所にタグは遍在している。北田暁大は「ポスト八〇年代」の渋谷について、ケータイなどの浮上によるメディアと身体を取り巻く環境の変化によって「イマ─ココにある空間の脱舞台化」が進行し、西武資本のパルコに代表される空間演出が機能しにくくなったと指摘している(北田[二〇〇二])。ケータイなどによるメディアと身体の環境の変化があったからこそ、グラフィティが増殖したという因果関係を論証することはここではできないのであるが、タグの増殖は「イマ─ココにある空間の脱舞台化」と併行現象ではある。なるほどライターは、資本に媒介された空間演出を嘲け笑うかのように、都市を徘徊しながら壁、シャッター、看板という都市の表面にフェティッシュな眼差しを注いでいる。

──普段、街を歩いている時からここにグラフしようとかというように見ているのですか?
──普段から見ているよ。錆びている壁とか、この色の壁にはこのスロー・アップとか、このピースとか。この電車にはこの色とか。
二〇〇四年八月二三日、「S」


隣接する原宿、恵比寿、代官山、中目黒といった地域には渋谷と同一人物であるライターが描いたタグを頻繁に目にする。彼らにとって都市はシームレスなものとして立ち上がってきており、例えば渋谷でグラフィティをするという行為は特別な意味をなさない。むしろ、彼らは壁の高さや色、グラフィティがより目立つ所や監視の目に付きにくい所といった即物的な理由によって場所を選ぶのであり、リゾーム化されたグラフィティをもとにたえず各々の心理地図を再構築しているのである。

ここの裏にはあいつのがあるなと思って見たら、たいがいある。街を歩いて、グラフィティを見ていたら、会ってないけど、そいつのことがわかる。こいつ元気にしてるのかなとか。見かけなくなると、どこか行ったのかなとか、何かほかのことしてるのかなとか。俺のあれがここにあって、あいつのあれがあそこにあってと、すぐに目に浮かぶ。
二〇〇四年八月二三日、「O」


しかし一方で、ライターたちは「イマ─ココ」を共有せずとも、都市の表面を作り変えていく営みを通じて、固有の舞台装置を築き上げてもいるのだ。というのも、ライターたちは時空を共有せずとも、都市を舞台に眼差しの相互作用に基づくコミュニケーシ ョンを図っているからである★九。例えばグラフィテ ィのなかには「ゴーイング・オーバー(going over)」と呼ばれる行為がある。これは技術面で劣るグラフィティやほかのライターに対する挑戦として、上塗りをする行為であり、場合によってはゴーイング・オ ーバーの応酬という抗争に発展することがある。いわば痕跡として残されているグラフィティに対して、つまりは都市において姿が見えないライターに対して事後的に攻撃する行為である。そこでは匿名のライターたちの間で時空を共有しない相互作用が生じている★一〇。
ただし、ピースの場合は「芸術」をめぐる職業化や制度化との折衝を強く伴うために、「とにかく立ち止まって見てもらえる絵を描きたい。グラフィティもアートのひとつというのを主張して、もっと街にグラフィティを送り出したいな」★一一という文言のようにトライブ外の人々の眼差しをも意識する度合いが高いのに比べて、タグの場合はトライブ内の眼差しを意識する傾向にある。というのも、タグを介した相互作用、いわば匿名性に基づくコミュニケーション様式には「儀礼的」側面が強いからである。彼らは既知のライター(会ったことがあるとは限らない)のタグが描かれた壁には挨拶代わりに、つまりは「儀礼」として自らもタグを残していくことがあるという。それゆえ大量のタグが描きつけられた壁やシャッターが存在する(図 6・7参照)★一二。またあるライターのタグが特定の地域に大量に出現するとトライブ内の目をひき、Web上のBBSでも話題になる。
彼らは都市に共時的に身体を共在させることなく、タイムラグを生じさせながら、しかしピンポイント的に場所(site)を共有することによって「つながり」を楽しんでいる。トライブの外の人々にとっては無秩序でデコード不可能な記号の戯れにしか映らないタグを通じて、ライターたちの間では儀礼的なコミュニケーションが交わされている。それゆえ安易に、グラフィティの増殖を既存の消費社会や監視社会の抑圧に対する批判的メッセージや「抵抗」の身ぶりとして理解することはできないのである。奇しくも、それは北田をはじめ、多くのメディア論者がケータイを介したコミュニケーションに対して指摘する、「なにかを伝達しようとしてコミュニケーションを開始する(意味伝達指向)のではなく、見られること=接続されること自体をめざす(接続指向)」(北田[二〇〇二:一四三])行為や機械的なコミュニケーションとしての側面を持ち合わせているように思われる。
またタグのなかにはトライブの「ハードコア」を形成する者による行為ではもちろんなく、便乗犯とでも言うべき者によるものが多く、それらは表現というよりは表出行為に近い。そこでは「他者なしに満たされる」動物的欲求が発露しているのであり、「他者の欲望を欲望する」という回路が抜け落ちている(東[二〇〇一:一二六│一二七])。タグの増殖は愚直なまでの〈私〉の氾濫、いわば「現れの遍在化」(東・大澤[二〇〇三:二〇九])とも言えよう。構造的には、ケータイやインターネットなどに見られる、メディア用の表現に加工された〈私〉語りの肥大化と酷似している(大塚[二〇〇一=二〇〇五:二一三│二一四])★一三。それは伝えるべき自己や内面の反映としての〈私〉ではない。むしろ、加工された都市の表面に散逸したグラフィティこそが〈私〉なのである(このような現象は次節で検討する身体加工としてのタトゥーにも見られる)。
このように、九〇年代半ば以降のタグの増殖は、東が九〇年代半ば以降の「オタク」文化に対して指摘した動物化と時期的にも見事に符合しており、一見、室内を連想させる「オタク」文化とかけ離れた「ストリート系」サブカルチャーであるグラフィティにも動物化が生じていることを示している。
ところで動物化の時代とは、東の議論を踏まえて北田が指摘するように、〈私〉の固有性への信憑という「人間化」への希求が逆説的に浮上する局面でもある(北田[二〇〇三:一五九])。つまり、機械的なコミュニケーションがもつ形式による拘束があると同時に、そのような「つながり」に還元されない〈私〉への指向が高まる。それはすでに述べたようなグラフィティの個人主義的な性格にも反映されているのであるが、グラフィティのヴァンダリズムがもつ身体感覚とも呼応しているように思われる。
かつて都市は家、学校、地域社会の関係から切り離された匿名的な存在として浮遊できる場であった。そのような「軽い」存在になれることが都市がもつ魅力のひとつであった。確かに、ライターたちは都市を移動し、匿名性に身を包みながら軽やかにグラフィティに興じているかのように思える。しかし、ケータイやインターネットの普及によって、家にいながらにして「軽い」存在になれるようになった現在、さらに言えば、家でさえ「透明な存在」であるかもしれない現在、ライターたちにとって都市は自らの「重さ」(直接的な身体感覚、実存の感覚)とでも言うべきものを確認するために繰り出す場へと反転しているのではないだろうか。
というのも、タグという呼称をもつことによって彼らはシミュラークルの世界(グラフィティというトライブ)のなかで位置を確認することができるのであるが、それは「ストリート」でスリルを体感しながら、身体感覚に直接働きかけるヴァンダリズムと結びつくことによって担保されているからである★一四。ライターたちからは、「自分が描く動機としては、自分の存在を残したいということ。自分の名前を残すことは根源的な欲求だから」(二〇〇四年九月二日、「E」:二 五歳男性、東京都渋谷区出身・在住)といった声が聞かれることがある。存在証明ともいえる、都市に自らの痕跡を残すというグラフィティの行為は、自らの拡張された身体を暴力的に都市に帰着させる行為でもあると言えるのではないだろうか。彼らはヴァンダリズムに傾倒することを通じて、「重さ」を獲得しようと試みているように思われてならない。このような指向はタトゥーのほうに、より顕著である。

3──タグ 筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)

3──タグ
筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)

4──スロー・アップ 筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)

4──スロー・アップ
筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)


5──ピース 筆者撮影(2004年9月、横浜市中区桜木町)

5──ピース
筆者撮影(2004年9月、横浜市中区桜木町)

6──渋谷におけるタグの増殖 1 筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)

6──渋谷におけるタグの増殖 1
筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)

7──渋谷におけるタグの増殖 2 筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)

7──渋谷におけるタグの増殖 2
筆者撮影(2004年8月、東京都渋谷区宇田川町)

3 動物化するタトゥー

九〇年代後半からタトゥーの専門誌が相次いで創刊され、そこでは「アメリカン・スタイル」、「ニュー・スクール」、「ブラック&グレイ」、「ポートレート」、「トライバル」、「ハイダ」、「バイオメカ」、「アブストラクト」、「ジャパニーズ・スタイル」、「ファインライン」といった細分化されたスタイルの紹介が次々となされている。いわば、歴史性を捨象しながら並列する「データベース」の構築とでも言うべき誌面構成がなされているのである。また九九年と二〇〇〇年には東京で国際的なタトゥー・コンベンションが開催されるとともに、各地では彫師によるライブ・イヴェントやクラブ・イヴェントが開催されるなどして「たまり場」が形成されている★一五。

茶髪もボディーピアスもタトゥーも、自己表現や反抗ではなく、都市を構成する「軽い」記号たちとの共振にすぎない。過去の履歴や、家・学校・地域での関係を引きずった「名前をもった自分」を忘れ、「軽い」身体となって錯雑な都市的現実をスケボーで滑るように泳ぎ、浮遊する。    宮台(一九九七=二〇〇〇:一四四)


宮台真司の指摘からも読み取れるように、もはやサブカルチャーの表層的なスタイルに対抗文化としての批判的メッセージや世代的、階級的同一性を先験的に読み取ることへの懐疑は文化研究の分野では半ば常識化しつつある。これはグラフィティのヴァンダリズムが必ずしも既存社会に対する「抵抗」の意味を積極的には持ち合わせていないと指摘したことと通底している。
ほかにもポール・スウィートマンは、現代のタトゥーをはじめとする身体加工がその人の階級、ジェンダー、セクシュアリティを明白には指示していないことは疑いないものの、それを「空虚」な記号として捉えることは誤りであると述べている(Sweetman[2000: 66-71])。なるほど、ヘナアート・タトゥー、フェイク・タトゥーなどは容易に着脱可能な衣服やアクセサリーの延長であり、商品化された記号である。しかし、実際に針を使って身体にタトゥーを入れる若者が増えた現在、上記の宮台の指摘では、なぜ「痛み」や社会的制約を伴ってまでタトゥーに興じるのかを説明することができない。スウィートマンが示唆するように、タトゥーが集団への同一化でもなく、空虚な記号でもないとするならば、一体、九〇年代後半以降、タトゥーはどのように受容されているのであろうか。さしあたり、大澤真幸の仕事が参考になる。
かつて大澤は前近代的な原始共同体における身体加工は、「痛み」が当事者のみならず、それを見ている他者の身体たち(立ち会い人など)の眼差しをも巻き込むことを通じて、規範性を帯びた形式へと純化する、つまりは「第三者の審級」(超越的な規範)を生成する操作となっていたと述べていた(大澤[一九九二:五八│六二])。刺青などの身体加工は、「身体を自然的な水準から文化的な水準へと上向させるため」、「共同体に受容されるため」の儀式として不可欠な過程を構成していたのであり、身体への直接の書き込みを、「文字」や「規律訓練型の権力」が代補したとき、身体加工の不可欠性は失われたという(大澤[二〇〇四:一〇八])。
そして、大澤は別の論考で、そのような身体加工の必要性が解除された後に浮上してきている現在の身体加工が流行する理由を「第三者の審級の支配の弱体化と対応」したものだとし、その第三者の審級の不在を埋め合わせるために、「痛み」にともなう実存の感覚の獲得に若者が向かっていると指摘している★一六。「生々しい直接の痛みを通じて、『ここの私がまさにここにいること』が、瞬間的に、否定しようもなく実感されるのである」(大澤[二〇〇三:一三七])と──補足すれば、「第三者の審級」の不在を埋め合わせるものは「痛み」による実存の感覚だけではない。例えばタトゥーの専門誌でしばしば目にするのは、「日本のカルチャーを身体に刻みたい」とい った言葉、日本人であることの誇りや大和魂を強調する文言であ る★一七。またタトゥーの技法やデザインの追求から伝統的な日本の刺青や浮世絵へ関心が向けられることは至極当然の流れであるとしても、その延長線で日本各地の祭りが度々特集されていることは興味深い★一八。このように、タトゥーを入れることによる〈私〉と「日本」との短絡的な接続を見て取ることができる(香山[二〇〇四]、北田[二〇〇五])。「第三者の審級」の空所に「ナショナリズム」が滑り込んでいるのである──。大澤による「痛み」の指摘に呼応するように、タトゥーの専門誌に「No Pains, no gains.」という文言が見られることは興味深い★一九。また度々目に留まるのは、タトゥーをめぐる「重さ」や「人間」という言葉である。

今はメイク感覚で、本当は入れる必要のない人まで入れてもいいって気持ちになるのは間違っていると思う。本当にタトゥーの重さがケアできる人だけじゃないと(傍点は引用者)★二〇。


あなたは自分の身体をリアルに感じることができるだろうか。もし「本来あるはずのなにか」が欠けているように感じるのなら、そのなにかを形にし、肌へ刻み込もう。「人間」とは自身の存在をリアルに感じることができるものだ。タトゥーを彫ることによって、あなたは「人間」になる★二一。


グラフィティ・ライターにとって都市に繰り出し、ヴァンダリズムに興じることは直接的な身体感覚に訴えかける行為であると同時に自らの「重さ」を獲得するための行為であった。同様にタトゥーも、自らに痛みや社会的制約という「重さ」をかけることによって逆説的に「軽く」なろうとする試みだと言える。このような心理は、例えば羽根や蝶をモチーフとしたタトゥーのデザインに端的に表われている[図8・9]。さらに言えば、タトゥーに用いられる「重さ」という言葉は、単にプールや温泉への立ち入りや生命保険の加入拒否といった社会的制約、家族が悲しむといった通俗的な次元のみならず、タトゥーが自己の軌跡となって統一的感覚をつなぎとめる時間のプロセスが含意されていると思われる。つまり、タトゥーを刻むという非日常性や祝祭性のみならず、身体に記憶が可視的に刻印されて自己の軌跡となることや個人的時間が紡ぎ出されることも押さえておく必要がある。例えば、タトゥーを入れる「動機」には次のようなものがある。

(a)
・タトゥーを入れることで、もっと綺麗になった自分を好きになりたい★二二。
・コンプレックスがタトゥーによって一番好きな場所に変わる★二三。
・今までは、嫌なことがあったら逃げてきたけど、でも、もう逃げられない。これは自分への戒めでもある★二四。
・絶対に後戻りできないように最初から大胆な選択をしてみたかった★二五。
(b)
・初めてのタトゥーには、父と母への素直な感謝の気持ちも一緒に刻み込んだ。自分を今まで大切に育ててくれたことへの敬意。それと同時に、今後自分のことは自分で責任をもつという決意が込められているメモリアル・タトゥー★二六。
・お父さんが死んだから。(…中略…)胸の十字架は、死体の意味。背中には、死体を吸って生きる黒死蝶を心臓の真裏に。そして、太股の牡丹と薔薇は、父の棺桶に入れた花です★二七。

(a)のように、過去の嫌な思い出や自らのコンプレックスを消去して新しい〈私〉に生まれ変わりたいという声がある一方で、(b)のように、二〇歳になった記念や家族や恋人への思いを込めてといった個人的な「儀式」として刻み込む例がある。一見、前者は過去との時間的断絶であり、後者は過去の時間的保存を示していて異なる指向であるかのように映るが、過去を活用している点、そこから自己を再帰的に構築しようとしている点は通底している。ほかに、例えば恋人のイニシャルをかたどったタトゥーにはアンソニー・ギデンズの言葉を借りれば、外的根拠を持たない「純粋な関係性(pure relationship)」の維持のあり様をうかがうことができる(Giddens[一九九一=二〇〇五])。持続的な「つながり」の希求とも言えるかもしれない。
欧米でも、タトゥーなどの身体加工を身体、とりわけその表面に留意することを通して、首尾一貫し、存立可能な自己アイデンティティを構築し維持する行為として捉えるという理解は先述のスウィートマン以外にも、マイク・フェザーストン、マーゴ・デメローなど多くの論者によって共有されている(Featherstone[1991]、DeMello[2000])。例えばデメローは、近年のアメリカ、とりわけ中産階級におけるタトゥーのリヴァイヴァルがスピリチュアリティ、身体の神聖性への関心と連動しているとともに(Modern Primitives)、個人主義的な側面や個人的な成長の軌跡としての性格をもっていることを指摘している(DeMello[2000: 159-172])★二八。
しかし、ここで注目しておきたいことは、「首尾一貫した個人的な物語の確立を通して、自己アイデンティティの感覚をつなぎとめ、安定させる試み」(Sweetman[2000: 53])としての機能とは別に、タトゥーの一回性がもつ「重さ」と解離した現象が進んでいるということである。
というのも、最近では「カバー・アップ(cover up)」という、一度彫ったタトゥーを消したり、気に入らなくなったタトゥーの上から新しいタトゥーを被せる技術が定着してきている。また、例えば九九年に雑誌『BURST』から独立して創刊されるようになった『TATTOO BURST』では、「タトゥー・コレクター図鑑」と題して、読者の「ファ ースト・タトゥー──最新作」を披露するコーナーを設けて投稿を募っている。「もっともっと自分らしいと思える姿があるんだと求めてしまう。人に注目されたり見られたりするとますますもっと格好いい自分に変わっていきたくなってしまう。だから、きっともっとやってしまいそうです」という発言があるように、タトゥーを入れ直したり、複数のタトゥーを際限なく入れ続けていく若者が顕著になってきているのである★二八。そこでは「ファースト・タトゥー」をめぐる「動機」や時間のプロセスにともなう「重さ」は形骸化しつつある。ひいては相互の脈絡を保つことがないタトゥーが身体の表面に並列されたり、数多くのタトゥー=痛みに耐えるという「形式」を履行することがカッコイイとされるケースが生じてきている。つまり、断片化する自己に対する反動として出てきたであろうタトゥーが、身体の表面で散逸してしまっているのだ。彼ら/彼女らは、もはや「イマ─ココ」の〈私〉を感じさせる「痛み」でさえ〈私〉を統合してくれはしないことに気づいているのかもしれない。
この点に関して、香山リカが示唆的な話をしている。香山は、自傷行為などに見られる「痛み」の追求が身体の実感を取り戻そうとする動機と結び付いていることを認めながらも、「痛み」は必ずしも〈私〉を統合化してくれるとは限らないのではないかと言う。そして香山は、皮膚が内面的なメッセージを包む袋としてではなく、それ自体が自律した存在として機能している状態、つまりは身体の表面=皮膚こそが〈私〉となっていることを「表皮的自己」と呼んでいる(香山[二〇〇一:二二四│二二五])。
筆者なりにタトゥーの文脈に引き寄せて解釈すれば、「表皮的自己」とは〈私〉を統合できずに露になった亀裂が身体の表面へせり出し、タトゥーがもはや統一した「物語」を形成することもなくなっている状態を指すのではないだろうか。そして、場合によっては自らの過去やトラウマでさえ物象化した「データ」に置換してコレクションにしていく。
では、「痛み」を享受することによってのみでは〈私〉が統合されないのならば、ほかに何が〈私〉を安心させ、傷を癒してくれるのだろうか。それは、タトゥーが都市に晒されること、つまりは不特定多数の人々に見られる=接続されることによってである。たとえ彼ら/彼女らにタトゥーに込めた意味や「物語」がある場合でも、それを他者と共有しようとは思わないし、踏み込まれたくもないのかもしれない。彼ら/彼女らは、内面的なメッセージが反映されたタトゥーではなくて、身体への表面へとせり出した「表皮的自己」=断片的な「データ」をもった端末となり、他者に見られること=接続されることによって社会的な存在としての〈私〉へと昇華することができる。それゆえ、より多くの他者に恒常的に見られる=接続されるために、まるで自らの「データ」を更新するかのごとく、新しいタトゥーを入れることに「萌え」る。
以上のように、グラフィティと同様、タトゥーにも直接的な身体感覚に訴えかけて〈私〉の固有性を追求する側面と、断片化された記号の集積に駆られるという側面が併存する「動物化」という現象を確認することができる。
「痛み」によって「イマ─ココ」の〈私〉を追求しても、他者と接続されていない〈私〉は不安を覚えてしまう。その点、タトゥーとは一方では直接的な身体感覚に基づく〈私〉の追求を可能にしつつも、他方でそれとは切り離したかたちで表層的かつ機械的な「つながり」を生成させるために開発された装置のひとつと言えよう。そしてそのような装置が機能する場を都市が提供している。
否、タトゥーは(グラフィティと同様)都市/身体の分節をトポロジカルに析出する営みであると同時に、都市に晒されることでその[風景]を形づくる営みでもある。そうであるならば、冒頭で述べたようにグラフィティとは都市の加工であり、タトゥーとは身体の加工であると単純に区分することはできないであろう。

九〇年代の日本におけるグラフィティ、タトゥーの伝播にはメディアの選好が大きく作用し、それを媒介として緩やかなトライブが生じている。しかし、そこには個人化された経験と商品化された経験のねじれが孕まれており、何らかの同一的かつ強固な「物語」が共有されているわけではない。同一化なき集団性あるいは異質性に基づく共感とでも言うべき、「きわめて個人的な快楽主義に結びついているが、(…中略…)他方では個々の欲望を肯定しあうような集団性、連帯、共同性」(上野[二〇〇五:一五四])を見て取ることができる。
動物化するサブカルチャーとしてのグラフィティ、タトゥーに共通して指摘できることは、「イマ─ココ」の〈私〉を感じさせるヴァンダリズムや痛みの享受に見られるような直接的な身体感覚にもとづく個人主義的な要素と、デザインやスタイルなどの「萌え」要素の集積および形式(「つながり」など)への関心を併存させているということである。そして都市の表面に〈私〉を散逸させるグラフィティも、身体の表面に〈私〉を散逸させるタトゥーも、ともに都市に晒され、組み込まれることにより、都市の皮膚と呼ぶべきものを形成している。

8──羽根のタトゥー 引用出典=『TATTOO BURST』 2002年5月号(コアマガジン)

8──羽根のタトゥー
引用出典=『TATTOO BURST』
2002年5月号(コアマガジン)

9──蝶のタトゥー 引用出典=長吉秀夫『TATTOO AGE』

9──蝶のタトゥー
引用出典=長吉秀夫『TATTOO AGE』


10──トライバル・タトゥー 引用出典=長吉秀夫『TATTOO AGE』

10──トライバル・タトゥー
引用出典=長吉秀夫『TATTOO AGE』

付記
本稿におけるグラフィティ・ライターの記述に関しては、二〇〇四年度の東京大学大学院学際情報学府の講義(吉見俊哉教授、北田暁大助教授)を通じて主に飯田豊氏と共同で実施した聞き取り調査を反映させている。


★一──八〇年代前後から東急電鉄の黙認のもと、地元の美術家ロコ・サトシたちによって(グラフィティではない)壁画が描かれていたが、彼らの行為は、意図せざるかたちで九〇年代のグラフィティ・ライターたちへの誘因となった。二〇〇四年秋以降、桜木町では横浜市やロコ・サトシらの市民グループが中心となってグラフィティ/落書きを除去し、その上から新しい壁画を描くプロジェクト「Art-16 2004」が進行している。
★二──グラフィティの当事者には男性が多いのに比べて、タト ゥーでは女性も多くを占めることをジェンダー論の観点から論じることは興味深いトピックである。なお、タトゥーの場合は彫師(tattooer)と彫られる人(tattooee)に分かれることは言うまでもない。また彫師とグラフィティ・ライターの場合、職業化の問題を考慮する必要がある。グラフィティのトライブの構成員は、オリジネーターは三〇代だが、大半は一〇代後半から二〇代(ポスト団塊ジュニア)が占め、アルバイトをしている者が多い。本稿では、当事者が置かれている経済的、文化的状況が孕む問題は捨象してしまっているが、若年層を取り巻く労働市場などを視野に入れながら若者文化の日常性を捉えようとする仕事として、田中研之輔によるスケートボーダーの「たまり場」の参与観察が参考になる(田中[二〇〇五])。彫師への聞き取りを踏まえた文献としては、(斎藤[一九九九])を参照。
★三──日本における雑誌メディアを中心としたグラフィティ文化の受容と展開に関しては、(飯田・南後[二〇〇五])を参照。とりわけ九〇年代初頭の日本におけるグラフィティ文化の伝播に大きな役割を果たした雑誌『Fine』(日乃出出版)では、グラフィティの発祥の地とされるニューヨークではなく、サーフィンやスケートボーディングが盛んなアメリカ西海岸のファッションと交配したグラフ ィティの動向が紹介された。日本のグラフィティ文化には当初からTシャツやキャップのデザインなどファッションの側面が強かった。
★四──すべての論考ではないが、『現代思想』二〇〇三年一〇月号(青土社)のグラフィティ特集にはこのような論調が散見される。
★五──もちろん、社会批判的なメッセージ性を携えて活動しているライターの存在は否定しない。いかに「抵抗」が難しくなっているかを論じることも重要であろう。
★六──グラフィティ・ライターのなかには、単独での活動を好む者がいる一方で、「クルー(crew)」という数名から十数名で構成される集団を組んで活動する者たちがいる。九〇年代初頭、各地で頭角を表わしてきたクルーの結成には当初、居住地や学校の友人関係という制約が強く働いていた。だが、暴走族をはじめとするかつての「族」文化では地元意識や縄張り意識が強く、結束力が強固であったのに対して、グラフィティの場合、クルーの拘束力は弱く、メンバーの入れ替わりもフレキシブルである。また近年では、海外のグラフィティ・ライターとクルーを組むライターが増えてきている。
★七──ピースは「キャラクター」と「レタリング」に大別される。また文字が重なり合い、連結し、その先端が矢印のようになっている「ワイルド・スタイル(wild style)」と呼ばれるものもある。多くの若者がタグ、スロー・アップ、ピースのすべてを使い分けており、ピースとタグの行為者の層が断絶しているわけではないが、なかにはタグしかしない者がいて、彼らのことは「タガー(tagger)」と呼ばれている。ただし、ピースであれタグであれ、その技術やデザインが重視されていることは言うまでもない。
★八──ピースで埋められた壁もその上から新しいピースが描かれ、更新されていく場合がある。なお、最近ではNPOの仲介によって渋谷の「落書き」を消したうえで、その上からライターがピースを合法的に描くことができる壁として「リーガル・ウォール」が出現しはじめているものの、ピースを描くことができる壁はまだまだ少ない。
★九──ライターのなかには大別して、トライブ内からの眼差しのみを意識している者と、トライブ外の一般の人々の眼差しをも意識している者とに区分される。
★一〇──東が言うように、「オタク」文化では特定の有益な情報をめぐっては社交性が発揮される(東[二〇〇一:一三七])。それと同様にグラフィティ文化においても身体を共在させる場としてクラブなどの「たまり場」が形成されており、完全なる匿名性が確保されているわけではない。しかし、そこでもお互いをタグ・ネームで呼び合い、本名や職業などの属性に関してはあまり興味を示さない。
★一一──『Fine』一九九五年六月号(日乃出出版)一一〇頁。
★一二──すでにタグが描かれた壁には抵抗なくグラフィティをしやすいという側面もある。
★一三──今後は、「芸術」としてのグラフィティの制度化や職業化が一層進むことが予想されるが、現在のところ、「現れの遍在化」のなかにおいて、送り手(グラフィティ・ライター)と受け手(商店会などの地元住民)とのバランスは取れていない。リーガル・ウォールは、「現れの遍在化」を肯定し、活用する試みであるとは言えるのであるが。
★一四──大澤真幸は、九七年の神戸市須磨区児童殺傷事件に言及しながら、「ヴァーチャルな名前を経由して、世界に根をおろし、存在の透明性を克服する操作が、身体への、凄惨なまでの剥き出しの暴力だったということになる」、そして「ヴァーチャルな名前を媒介にしてシミュラークルの世界やデータベースの体系のなかに位置を占めるということは、自己や他者の身体に痛みを直接与える操作と深く結びついているのではないか」(東・大澤[二〇〇三:一〇五──一〇六])と指摘している。
★一五──世界各地で開催されるコンヴェンションやエキスポといったイヴェントは、「萌え」要素であるデザイン、色彩、技術などに関心を寄せる者同士が集まる場(site)である。しかし、そこで「物語」が共有されているわけではない。
★一六──しかし、大澤による「第三者の審級の支配の弱体化」という説明のみでは、九〇年代後半というタトゥーの現在性を説明することができないように思われる。「第三者の審級」の歴史性が問われなければならない。
★一七──同様の趣旨の発言はグラフィティ・ライターからも聞かれる。「外国からも日本をグラフィティのスポットとしてライターが来るけど、どこかでショーをやったからといって、外タレさまさまってわけにはいかない。自分なりのルールがあるし、自分の国だし、つぶされたくない。国境を越えてバトルも増えていくと思う」(二〇〇四年八月二三日、「O」)。
★一八──近年、東京では地方からの単身上京者が自らの居住地近隣で行なわれる祭りに参加し、「地元」と積極的に「つながり」を持とうとする傾向が強まっているという。
★一九──『TATTOO BURST』二〇〇三年一月号(コアマガジン)四頁。
★二〇──『1st TATTOO』vol.1(『TATTOO BURST』二〇〇三年八月号増刊、コアマガジン)一七頁。
★二一──造事務所編『TATTOO Style Book』(情報センター出版局、一九九九)一頁。
★二二──完全ボディピアスマニュアル編集部編『コンプリートピアス&タトゥーマニュアルvol.2』(コアマガジン、一九九九)五九頁。
★二三──『1st TATTOO』vol.1、六頁。
★二四──完全ボディピアスマニュアル編集部編、前掲書、五七頁。
★二五──同、五七頁。
★二六──『TATTOO BURST』二〇〇二年七月号、三一頁。
★ 二七──完全ボディピアスマニュアル編集部編、前掲書、五六頁。
★二八──ヴィクトリア・ピッツは「後期モダニティ」における身体加工を、従来の規範や制約から解き放たれたかに見える女性が経験する矛盾としてジェンダーやフェミニズムの観点から論じている(Pitts[2003])。
★二八── 完全ボディピアスマニュアル編集部編『コンプリートピアス&タトゥーマニュアル』(コアマガジン、一九九七)九一頁。

参考文献
・東浩紀『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、二〇〇一)。
・東浩紀+大澤真幸『自由を考える──9・11以降の現代思想』(NH Kブックス、二〇〇三)。
・DeMello, Margo, Bodies of Inscription: A Cultural History of the Modern Tattoo Community, Duke University Press, 2000.
・Featherstone, Mike, ”The Body in Consumer Culture,” Mike Featherstone, Mike Hepworth and Bryan S. Turner eds., The Body: Social Process and Cultural Theory, Sage Publications, 1991.
・Giddens, Anthony, Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age, Blackwell Publishing, 1991. 邦訳=『モダニティと自己アイデンティティ──後期近代における自己と社会』(秋吉美都+安藤太郎+筒井淳也訳、ハーベスト社、二〇〇五)。
・飯田豊+南後由和「メディア文化としてのグラフィティ──サブカルチャーを構成するメディアのシンパシー(仮)」(『東京大学大学院情報学環紀要  情報学研究』二〇〇五[近刊])。
・香山リカ「ウェアラブル・セルフ〈着脱可能な私〉をめぐって」(『文藝』二〇〇一年秋、河出書房新社、二〇〇一)。
・香山リカ『ぷちナショナリズム症候群──若者たちのニッポン主義』(中公新書ラクレ、二〇〇二)。
・北田暁大『広告都市・東京──その誕生と死』(廣済堂出版、二〇〇二)。
・北田暁大「『届かなさ』の修辞学──監視社会(論)と動物化」(『10+1』No.33、INAX出版、二〇〇三)。
・北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス、二〇〇五)。
・宮台真司『まぼろしの郊外──成熟社会を生きる若者たちの行方』(朝日新聞社、一九九七/朝日文庫、二〇〇〇)。
・南後由和+飯田豊「首都圏におけるグラフィティ文化の諸相──グラフィティ・ライターのネットワークとステータス」(『日本都市社会学会年報』二三号、二〇〇五)。
・大澤真幸『身体の比較社会学II』(勁草書房、一九九二)。
・大澤真幸「生権力の変容」(見田宗介+内田隆三+市野川容孝編『ライブラリ相関社会科学8 〈身体〉は何を語るのか──20世紀を考える(II)』新世社、二〇〇三)。
・大澤真幸「身体加工の逆説的回帰」(『大航海』No.53、新書館、二〇〇四)。
大塚英志『戦後民主主義のリハビリテーション──論壇でぼくは何を語ったか』(角川書店、二〇〇一/角川文庫、二〇〇五)。
・Pitts, Victoria, In the Flesh: The Cultural Politics of Body Modification, Palgrave Macmillan, 2003.
・Sweetman, Paul, ”Anchoring the (Postmodern) Self?: Body Modification, Fashion and Identity,” Mike Featherstone ed., Body Modification, Sage Publications, 2000.
・斎藤卓志『刺青  TATTOO』(岩田書院、一九九九)
・田中研之輔「新宿ストリート・スケートボーディング──都市下位文化の日常性」(吉見俊哉+若林幹夫編『東京スタディーズ』紀伊國屋書店、二〇〇五)。
・上野俊哉『アーバン・トライバル・スタディーズ──パーティ、クラブ文化の社会学』(月曜社、二〇〇五)。

>南後由和(ナンゴ・ヨシカズ)

1979年生
東京大学大学院。東京大学大学院情報学環助教/社会学、都市・建築論。

>『10+1』 No.40

特集=神経系都市論 身体・都市・クライシス

>上野俊哉(ウエノ・トシヤ)

1962年 -
社会思想史、メディア研究。和光大学教授。

>東浩紀(アズマ ヒロキ)

1971年 -
哲学者、批評家/現代思想、表象文化論、情報社会論。

>北田暁大(キタダアキヒロ)

1971年 -
東京大学大学院情報学環准教授/社会学。

>大澤真幸(オオサワ・マサチ)

1958年 -
社会学。京都大学大学院人間・環境学研究科。

>香山リカ(カヤマリカ)

1960年 -
精神科医、評論家、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。立教大学現代心理学部。

>吉見俊哉(ヨシミ・シュンヤ)

1957年 -
都市論、文化社会学。東京大学大学院学際情報学府学際情報学教授。

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>内田隆三(ウチダ・リュウゾウ)

1949年 -
社会理論、現代社会論、マスコミ論。東京大学大学院総合文化研究科教授。

>大塚英志(オオツカ・エイジ)

1958年 -
日本民俗学。

>若林幹夫(ワカバヤシ・ミキオ)

1962年 -
社会学。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。