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素材・エンジニアリング・構法──あるいは建築のヴィジョンをめぐって | 難波和彦+松村秀一
Material, Engineering, and Systems: Concerning the Vision of Architecture | Namba Kazuhiko, Matsumura Shuichi
掲載『10+1』 No.28 (現代住宅の条件, 2002年06月発行) pp.58-73

素材/エンジニアリング

難波和彦──今日の対談のテーマは、素材がどう建築を変えるかという問題なんだけども、実を言えば素材が建築を変える時代はもう終わっているというのが一般的な結論で、これから建築を変えていくのは素材よりもエネルギーというか室内気候のような条件なのではないかと言われている。つまり目に見える条件よりも、目に見えない条件が建築を変えていく時代になったということですね。最初にこんなことを言ってしまうと元も子もありませんが、そういう状況を前提にしたうえで話すべきでしょうね。
松村秀──そう、結論は出ていて、素材が建築を変えるなどという単純なことはもうないと思います。二年位前『Glass & Architecture』(旭硝子)で二〇世紀の素材の特集をしたのですが、材料に関して年表をつくってみると材料の開発は一九世紀でほとんど終わっていて、二〇世紀では何も起こっていません。スティールが出てRCが続き、アルミも一九世紀の終わりに登場する。「では二〇世紀は何をやっていたのですか」と建築のコンクリートやスティールの専門家たちに聞いたのですが、彼らも何をやっていたのだろうと不思議がっていました。そして結局「生産性です」ということでした。それぞれの素材が普及していく段階で、例えばRCなら、生コンや合板型枠が出てきたり、ワーカビリティを上げるためにAE剤などが使われるようになる、あるいはスティールだとリベット接合がボルト接合に変わったり、溶接がなくなる。二〇世紀は結局そういう話で、すごく寂しい気持ちで対談が終わったことがありました(笑)。
難波──なるほど。二〇世紀では、モノそのものとしての素材よりも、むしろそれがいかに加工され組み合わされているかという条件のほうが重要になったということですね。言い換えると、素材がストレートに建築に結びつくのではなくて、労働を集約し付加価値を高めた部品や構法を通じて建築を変えてきたわけだ。もちろん出発点は素材なんだけど、それが加工され複合化されていくプロセス、つまり工業化の問題としてとらえないと素材の可能性は見えてこないということになる。だから素材そのものを通じて建築の流れを変えるというのは難しいけれども、ただ建築家が住宅を設計するときは、そういった大きな流れよりも、むしろそこから外れた支流というか隙間を狙っていることは確かです。だから建築家にとっての素材の問題は、いまだに大きいとも言える。松村さんは以前、建築家が選びたがる素材──標準化されていない素材など──の傾向があるという話をされましたね。そういった条件は現在も残っているわけですから、それが素材の可能性を引き出せるかどうかという問題は、依然としてありますね。
松村──ガラスが典型的で、例えばDPGなど工法と関係した商品が出てきてから突然普及していますけれど、ガラスは歴史的に素材として板のまま、つまりあまりディテールまで含めた形で製品化されていなかったから、建築を設計する人からすればどのようにでも使えそうに見える。例えばこれに対してアルミはサッシュという形で断面が決まっているし、色なども含めて既製品化されているけれど、ガラスやパンチングメタルを好んで使う傾向があるのはたんに形が板で、あまりディテールまで決まっていないからということが理由だと思う。打ち放しコンクリートも同じです。
難波──最近の若い建築家は、中空ポリカやFRPのグレーチングをよく使いますね。それに似た材料で、最近見た材料のなかでは、これも素材というより部品に近いんだけれど、プラスチック・ハニカムという材料に興味をもちました。無垢のプラスチック板を両側から挟み真空吸引すると、六角模様の立体トラスになるんです。昔、内田研究室がつくっていたスチール・ハニカムみたいな材料です。いろんなプラスチックを使って、軽くて強度のあるパネルをつくっています。中空ポリカに似た半透明なパネルで、面白い材料ですが、なかなか使い途が発見できない。家具とか間仕切りとしてなら使われているんだけど、もっと有効な使い方がありそうな気がしています。アルミも同様で、性能規定になって構造材として認定されましたが、素材はそういう隙間の部分で面白いことはたくさんあります。でも、それが建築を大きく変えるとは思えませんが。
僕の事務所には、何に使ってよいのかわからない素材が出てきたときなどに専門家が相談に来ます。そういう隙間の部分で素材を考えるということが多いですね。坂茂さんの建築も隙間を狙っているけれど、彼の場合は、逆に、普通の材料を誰も考えなかったような使い方で使っている。紙管の柱とか、合板の梁とか、木材による耐火被覆とか、プラスチックの外装とか、みんなそうですね。
松村──そのように素材レベルで流通しているものを建築に取り入れようとするとき、設備とのからみもあるのですが、本来はエンジニアリングが大事だと思います。けれども住宅の世界では設計者とエンジニアとが組むことに対する経済的な保証はないわけです。大きなビルになって、ダブル・スキンのようにガラスを二重にして間に空気を通す場合などは空調のエンジニアと設備に関して決めながら設計して、換気のとり方や制御の仕方と連動してガラスの表面が決まっていく。それがいわゆる設計者にできるかというと、エンジニアリングがわからないとできないし、アルミを構造で使う場合でも普通の構造事務所ではできません。結局エンジニアリングの能力をどうやってカバーするかという問題になると思います。
難波──たしかにエンジニアリングの問題を排除して、素材の問題を論じてもほとんど意味がないでしょうね。それは、さっき言った、部品化とか構法化の問題とも関係していて、素材を建築全体の条件に組み入れるには、構造や設備環境のエンジニアリングに結びつける必要がある。つまりシステムとしてとらえないと、仕上げや建築要素といった部分的な話で終わってしまう。
松村──手すりとか、エンジニアリング上どうでもいいようなところにすごい素材を使いました、という話で終わったのでは悲しいですからね。
難波──パソコンの性能が急激に上がってきたのと、いろんな解析ソフトが開発されたためだと思うんですが、最近の若い建築家たちは、小さな住宅でも構造的にかなり高度なことをやっていますね。素材の一部として構造材があるとしたら、現在、僕はいろいろな種類の集成材に興味をもっていますが、初期の「箱の家」シリーズでは鉄骨造でつくっていました。鉄骨というと大体大きな部材で大スパンを飛ばすというイメージですが、僕の場合は小さな部材を組み合わせて、住宅スケールにあった繊細な構造をつくるように心掛けていました。熱の問題に興味をもつようになって、熱性能の面で不利な鉄骨造は一時期避けていたのですが、最近、解決法がわかりかけてきたので、もう一度トライアルしようと思っています。それで最近の動きをあらためて見直してみたのですが、構造体を繊細化する傾向は、さらに進んでいるようです。例えば細いスチール・バーやプレートを組み合わせてクモの巣のような構造体をつくっている建築家がいます。複雑な構造モデルを解く必要があるのですが、それを簡単に解析できるほどパソコンのパワーがアップしてきた。構造家のほうでも、そういう問題に興味をもつ人がだんだん増えてきました。とても面白い傾向だと思うけれど、僕はもうそういう時代ではないように思うんです。江戸時代の安定期に大工の技術がレベルアップし、それに匹敵するだけの建築的なヴィジョンが見えなくなったときに、繊細な数寄屋造りが生まれたと言っている建築史家がいますが、それと同じ現象じゃないか。まさに鉄骨造の数寄屋造りじゃないかと思うのです。技術は限りなくレベルアップしているんだけど、それに見合うだけの建築的ヴィジョンがない。確かに表現としては面白いけれど、僕は現代のテーマではないと思います。先ほども言ったように、むしろこれからは環境やエネルギーの問題、つまりサステイナブル・デザインに取り組むべきで、構造の問題も、その視点から見直すべきでしょう。

松村秀一氏

松村秀一氏

難波和彦氏

難波和彦氏

自然素材/職人仕事

難波──ところで、サステイナブル・デザインというか、エコロジカルなテーマに関連した材料となると、最近では自然素材が注目されていますね。土や木材、それからシックハウス問題などの健康面を考慮した素材です。これらについてはどう思われますか。僕ははっきり言って苦手です。目地のない左官などは、ちょっとついていけないところがある(笑)。
松村──それは趣味の問題で、嫌いということを説得する理屈がないのではないでしょうか(笑)。
難波──屁理屈になるかもしれないけれど、あえて言うなら、左官工事は水を使うので汚いし、ほとんどが現場作業なので品質にばらつきが多すぎる。もう少し工場での作業を多くして、現場作業を少なくし、工業化仕様にして品質を確保できるようになれば、僕としても納得して使えます。工場でつくった左官パネルを現場に取り付ける方法だと、必ず目地が出てくるし、それを寸法調整するのが、僕にとってはデザインの醍醐味なわけです。そうでないと、左官工事は逃げのない安易な仕上げになってしまう。もちろんシームレスな左官仕上げの面白さを否定するわけじゃありません。要するに将来への展開の可能性が見えないだけなんです。
松村──それは難しい話ですね。生産性や工業化の流れのほうが大事だという住宅のつくり方もあるけれど、着工量が少なくなってくると、そうではないものが相当数出てきてもおかしくない。つまり、今までは着工量が増えていたから生産性や工業化の方向に向かったけれど、現在は減ってしまったから労力をかけて現場でつくるというやり方になるのではないですか。
難波──伊東豊雄さんも《せんだいメディアテーク》について同じようなことを言っていますね(笑)。あえて工事が難しくてこみ入った設計をすれば、仕事量も増えるし、皆が苦労するから、やり甲斐が出てきて、完成した建物に愛着が湧くという論理ですね。確かにそういう面もあると思うけど、一歩間違うと設計者の独りよがりになりかねない。だから松村さんが、どうやってそういう方向にリードしようとしているかが問題です。
松村──実際は僕もあまりそういうの好きではない。ここまで工業化でやってきて、いきなり時代がそうなったからといって、以前と同じ自然素材に戻るだけというのは、いかにも芸がない感じですから。
難波──しかし、今はそういう自然素材とか、職人仕事とかが流行でもあるでしょ。
松村──珪藻土と左官仕上げについて自分たちなりのレシピをもっている設計事務所もありますよね。自然相手だからよくわからなくて、クラックが入ってしまったりなど何度か失敗して勘で決めていく。このあたりがやり始めると面白いのではないですか。
難波──その技術を単独に取り出してみれば、確かにいい仕上がりだということはわかるんだけど、どうもその先が見えない。自己完結しているんです。どんな技術でもそうだと思うんですが、ひとつの技術をひとつの設計のなかで完結させないで、その次の仕事につなげていくことが大切で、それは自分の仕事だけじゃなくて、他の人や次の時代の仕事にもつなげていく展望がないとつまらないと思うんです。それに、最初からいいとわかっている技術を使うのは、ちょっとカッコ悪いと思いませんか。僕はいいか悪いかわからないような技術に挑戦するのが建築家の役割だと思っています。
松村──難波さんは、集成材は好きだけれど、無垢は嫌いなのではないですか。無垢の木は強度もわからないからエンジニアリングできない。昔の大工が木のクセを見て、これはこういうものだという知識を個人のなかに蓄積してゆく喜びが、その世界にはありますよね。
難波──エンジニアリングがさらに高度になれば、無垢の木も制御できるようになるのでしょうか。だとすれば、僕もやってみたいですね。だってそのほうが技術としてはずっと高度だし、展開の可能性がありますから。そうなる可能性はあるのでしょうか。
松村──木は一品一品違いますから一般的な展開を期待すると、なかなか難しいのではないでしょうか。
難波──右肩下がりの時代に、小さなものでも、みんなが集まってつくることによって──単に人手がたくさん集まるというわけではなく──さっき言ったような繊細な解析技術によって、無垢の木や自然素材にどんどん付加価値が見出せる、あるいは実際にその建物の性能も上がってゆくという方向に行くんじゃなくて、現在の無垢神話は別の方向を向いている。無垢の木は「見立て」といった変な情報価値がつくので、それが僕は苦手です。実際の性能をレベルアップし、実質的な情報量と付加価値が増えていくという方向ならいいのだけれども、変な神話が残っているので、どうも近づく気になれない。これは単なる趣味の問題を超えていると思います。そういう神話にこだわっていると、建築の本質的な問題から離れていくと思う。だから僕は無垢材よりも集成材に惹かれるんです。そういう意味で言えば、今いちばん興味をもっているのはLVL(Laminated Veneer Lumber)かもしれない。木更津のキーテックというLVLの製造工場を見に行ったことがあるのですが、原料は紙みたいにペラペラに加工した三ミリ厚の木材で、これを接着剤で所定の厚さに貼り合わせたのがLVLです。原材料の木材は同一サイズに加工され、完全乾燥によって軽量化され、真空パックされ、コンテナにきっちりと詰めて運ばれてくる。理想的な運搬法だと思います。輸入先はニュージーランドやチリやスウェーデンですが、この方法であれば、現地加工のレベルが高いから輸出国にとっても付加価値が出てくる。輸入国の単純な搾取ではなくなるわけです。だから先進国からも輸入できる。東南アジアからラワン合板用の丸太を輸入するのとは大違いです。同じ工場で海に浸けた丸太からラワン合板をつくっていましたが、工場の雰囲気がまったく違いました。LVLのほうが断然未来的です。残念ながら、製造機械はフィンランド製でしたけど。
LVLの強度は集成材よりも強くて、性能も安定しています。現在ではハウスメーカーの木質住宅にも本格的に使われているらしくて、柱や梁だけでなく間柱や根太にもLVLを使っていると聞きました。実際に、見学した工場のストックヤードには、全国のハウスメーカーに配送されるLVL部品がセットで並べられていましたね。
松村──今は工務店も集成材を使っているし、横架材までかなり入り込んで使われています。自然素材に対して個人がもっている高度な技能に期待してつくるやり方は、高度な技術が生まれる大きな世界、高度な技術を保つ仕組みがないと利用できないわけです。すべての職人が高度な左官の技をもっているかというとそうではなくて、下手な連中のなかから高度な技術をもった左官が生まれてくるわけで、そういう仕組みが現在は脆弱になっています。高度に加工された集成材などの普及はそういうことに対する直感的な反応ではないですか。中村外二のような人間国宝級の職人だけなどということはあり得ないわけで、滅茶苦茶な大工もたくさんいるけれど中村外二もいるという世界が昔はあったから、そういう技術を利用できたのです。建築家が自然素材を使うためには、一般的な職人の世界でものをつくる仕組みが成立していないと、宙ぶらりんな位置付けのない技術になるという感じがします。
難波──僕のクライアントには、そういう特殊な技術を求める人はいませんが、世の中にはそういうことにこだわる人はたくさんいますね。
松村──設計者でもいますよね。
難波──そうですね。設計者の立場から言えば、そういう特殊な技術に魅力を感じる気持ちもわからなくはありませんが、現在は、もう少し一般的な技術に目を向ける時代ではないかと思います。技術のグローバル化は否が応でも進んでいるわけで、木造や左官の技術も、そういう視野でとらえるべきです。そのためにはローカルな技術も労働生産性を上げて、付加価値を高める方向で改良していかないと、外国から入ってくる技術とは勝負にならないでしょう。
それから、これこそ趣味の問題と言われても仕方がないんですが、インテリアが節だらけの木材で仕上げられているのは苦手ですね。木の節は「ここに自然がある」と叫んでいるように見えるし、じっと睨まれているようでコワイです(笑)。それに木材はエコロジカルな視点から見れば優等生的な材料で、正義の味方みたいなところがある。そういう最初から正しいとわかっている材料を使うことへの抵抗があります。つまり、それは本当にクリエーションなのかという疑問です。僕がアルミにこだわるのは、その裏返しで、木に比べればアルミはクエスチョンマークだらけの材料です。だから木を使う場合も、無垢材ではなくて、工業化された集成材やLVLを使っているのです。ところが集成材をつくっている人たちは、自分たちは「木の外道」だという気持ちをもっている。実際に、先ほどのLVLの工場では、ストックヤードの構造体をLVLでつくっているのですが、それにペンキを塗っている。「こんなにキレイな材料なのに、なぜペンキを塗ったのですか」と訊いたら、「社長が嫌いだから塗れと言われた」という。つくっている人たち自身がLVLに後ろめたい思いをもっているので驚きました。アルミにもそういうところがあります。アルミ産業の人たちは、鉄に対するコンプレックスがある。鉄鋼業が日本の近代化を支えてきたのに対して、アルミは傍流という意識です。アルミエコハウスを設計したとき、僕はアルミが大好きだから、徹底して使いましょうと提案したら、「アルミのコンテナみたいな家になるんじゃないか」と怪訝な顔をされた。でも、アルミにはアルマイト仕上げという素材を生かした仕上げがあるけど、鉄だとそのまま仕上げには使えない。コルテン鋼という例外もありますが、基本的にはペンキを塗らなくてはいけない。要するに、僕はそういう少し不遇で問題含みの材料を使いたいんです。

木材と林業

松村──木も不遇ですけれど。
難波──確かに現在は、木材は不遇だけれど、日本の伝統的な大工技術を背景にして燦然と輝く伝統を背負っていますね。かつて林業は国策的な産業だった。それに比べて集成材にはそういう伝統がない。それが先ほど言った、隙間の素材を狙う建築家の話とつながってくるわけです。ほとんどの住宅素材はすでに工業製品化されているわけですが、建築家はそういう既製品はあまり使いたがらないでしょう。
松村──工務店や材木屋では何のこだわりなく間伐材を利用したパネルやフィンランド産の集成材をそのまま使っています。何のこだわりもなく、時流に任せていると結局そこに行き着くわけです。昔はそれがベイマツで、アメリカやカナダの木材を地元の木材より安いという理由で使っていたけれど、現在はフィンランドやオーストリア、あるいはニュージーランドから集成材やLVLが入ってくる。そんな経緯もあって、自然に任せているままの木造業界でいいのかというそういう感覚が起こるのではないですか。「グローバリゼーションに何となく身を委ねていると駄目になる」ということで、国産材をどのように利用するかと考えている人たちの位置は、フランスあたりから反グローバリズムのNGOが広がっていくという流れに似ていると思う。
難波──彼らは時代の流れに対して批判的なのでしょうか。
松村──時代の流れに身を任せている人と対抗する人の両方が時代的だと思うから、僕はどちらに価値があるかということは言えない。対抗する側に勝利する展望があれば別ですけれども、あまりないですよね。
難波──日本の林業が再生するのに、集成材化、人工木材化という方向に可能性はあるのでしょうか?
松村──ほとんど杉ですからね。杉は弱いし、くせもあるうえ、乾燥しにくい。だから、地元の愛すべき素材だけど意外に金がかかる。
難波──やはりコスト的には勝負にならないんでしょうかね。
松村──もともと林業自体が近代化していない。フィンランドやニュージーランド、北米の林業、あるいはそれに関わる木材製造業はものすごい設備をもって、巨大な生産性でつくっています。木も林ではなくて田んぼのようなところに生えていて、機械もガチャッと木に抱きついて枝を一気に払って運んでくるようなスグレモノを使っている。フィンランドの集成材の工場というのは、びっくりするほど誰もいないらしいのですが、それでもバンバン集成材はできる。日本の林業は山が険しいという問題もあるけれど、そもそも国際競争力がない。勝利する予感がないと言ったけれど、日本の木がフィンランドに売れるかと考えれば非常に簡単で、フィンランドに売れるものをつくることができれば国内でも展望が開けます。しかしこれだけものが流通しているときに、ほかの国との競争を回避して、さらに住宅のような価格の安いものに使っていこうという方針自体が間違っているように感じます。

難波──そういう視点で見た場合、鉄はどうなんでしょうか。
松村──鉄はリサイクルという意味ではたいへん優等生的な素材ですが、木材は駄目です。木材は炭素を固定してはいるけれど、実際には廃棄物問題ではまったく解決がついていない。木材はリサイクルされるとなんとなく思っていますけれど、廃棄するときには処理できずにゴミのままで、結局燃やすことになる。燃やすと炭素ガスが出るから固定していると言っても意味がない。それに比べると鉄は相当リサイクルしています。だから建築の分野で鉄を研究している人たちは、最近全員「地球」環境問題ということを言います。
難波──僕もここしばらくは鉄を使ってこなかったのですが、最近はちょっと考え方を変えました。「箱の家」シリーズの最初の頃は、木造と鉄骨造の二本立てでやっていたけれど、同じ床面積の住宅で比べた場合、鉄骨造の方が消費電力が大きいことがわかった。鉄は木より熱伝導率が大きいので、その影響が消費エネルギーの違いとして出たわけです。それで鉄骨造を集成材造に変えて、しばらく集成材造シリーズを続けてきました。でも、最近また鉄骨造をやり始めているんです。その理由は、省エネルギー的な解決法が少し見えてきたからですが、それ以上にやはり鉄骨造は面白いんですね。さっきも言ったように、構造の解析ソフトが繊細になってきたから、鉄骨造でも木造スケールの部材で細やかな空間ができるようになっています。だからアルミと同じくらいに興味をもち始めました。
松村──資源的には鉄もアルミも無尽蔵にありますからね。
難波──アルミは精練するのに大量の電気が必要ですけれど、鉄はそれほどでもないし。
松村──ただ鉄もアルミも熱伝導率が高いから、結露のことを考えると、熱橋(ヒートブリッジ)になる部分の処理が、単体だけではどうしても無理です。
難波──そう、鉄とアルミは熱橋をどう解決するかが一番の問題ですね。数年前に、建築家がつくった鉄骨住宅を取材したジャーナリストが、結露だらけで、夏暑くて冬寒い住宅ばかりだと怒っていました。僕の師匠の池辺陽が設計した鉄骨住宅も、夏は熱射病になりそうなほど暑かった。皆、鉄骨を露出して、断熱性能やヒートブリッジを無視した住宅をつくったからです。しかし最近になって、そういう問題を解決できる構法が出てきた。以前は、そういう熱性能を確保しようとすると、断熱材、下地、仕上げ、防水と何重にも重ね合わせる必要があったのですが、それを一枚の高性能な複合断熱パネルで解決できるようになったので、もう一度鉄骨造をやってみようと思い始めているところです。
松村──五、六年前ですか、自動車部品の国内生産比率の取り決めができて、アメリカで売る車にはアメリカ産の鋼板を何割使わなくてはならないと決められるようになりました。そうなったとき日本の鋼材の需要が減る見通しが出た。そのときに鉄鋼メーカーは、ツー・バイ・フォーのスタッドの代わりに一ミリ強の薄い軽鉄スタッドを使ったスティール・ハウスを、アメリカにならって突然始めたことがあります。現在は新日鉄などがやっているみたいです。そのスティール・ハウスの時に先ず問題視されたのが熱橋、冷橋の問題。どう断熱するかという話になる。それで外側に断熱パネルをつけようとする訳ですが、下手をすると、スティールのスタッドがなくても、そのパネルだけで建つくらいになる(笑)。つまり、面材にいいものを使うとパネル工法で建ってしまい、鉄を使っている意味がなくなる。そのあたりのバランスがすごく難しいことがある。現在、木造住宅でも集成材で軸組をつくっていますけれど、結局間に入れるのは断熱パネルのようになり、中にはツー・バイ・フォー材みたいなものが入って、耐力壁にするために構造用合板があるというようになる。そうするとなぜ柱があるのかという話になるんです。つまり、断熱性能を良くしようと考えていくと、元々の構法の合理性とバッティングするようになることがあるということです。
難波──確かに、パネルだけで構造的に成立しているけれど、それを解析するモデルがないのと、法的な制約があるので、過剰な構造になっていると思います。比較的箱っぽい、壁の多い家の場合は、パネルだけで構造的にもつでしょうね。僕が集成材造シリーズで使っている断熱パネルは、両面が構造用合板ですから、外壁に張った場合は間違いなく耐力壁になっているはずだけど、そうとは見なされない。同じパネルを屋根に使った場合は構造的に認められる。屋根のほうが荷重条件は厳しいのに、そうなってしまうのは、認定時に屋根パネルだけ申請したからで、壁に同じものを使用することを想定しなかったからにすぎません。そういう矛盾はいろんなところで生じていますね。
松村──昔、内田先生は建築のエンジニアリングは駄目だと言われた。なぜ駄目かというと、例えばある種の実大の防火実験では何分後にこういうことが起き、一時間後にはこういうことが起きて、そして一時間半後には実験が終わるというシナリオが完全に初めからできていて、その通りになるかどうかを確かめているだけというふうに見えるものがある。そのために何億という金を使って実際に建物を建てて燃やすわけです。そしてその通りになるのを見て安心する。そんなことは他の工学分野ではあり得ない。飛ぶか飛ばないかギリギリのところでエンジニアリングして、その結果飛ばなかったということを繰り返しながら、極限に薄い、あるいは軽い状態で、飛べる瞬間を捕まえるというのがエンジニアリングの課題です。しかし建築の場合は安全率がものすごくあるので、本当はある水準で成立するものを別の水準で実験している。内田先生は「これではだめだよ」とおっしゃっていました。
難波──その話しを聞いて思い出したことがあります。アルミエコハウスで偏心ブレースを使いましたが、構造計算上は問題がなかった。しかし一応実験で確かめようということで、鹿島建設研究所で同じモックアップをつくって耐震実験したことがあります。それで阪神大震災レベルの地震力の後に、関東大震災レベルの地震力を加えたら、偏心ブレースのボルトが巨大な音を立ててズレました。構造的にそれほど大きな問題じゃなかったんだけど、それを機会にブレースのジョイント方法を改良することになって、図らずもクリティカルな実験になったことがあります。そういうのが本来の実験ですよね。
松村──そういうエンジニアリングができてくると面白いと思う。設計するほうも限界までいくことができますから、材料の選び方にも多様性が出てくる。ガチガチに安全率をかけるという従来のアプローチだと、鉄骨むき出しは心配だから断熱パネルを付けようとか、いろいろな性能が重なり合ってすっきりしない。なにか性能がだぶつき気味で、それぞれの素材の良さがシャープに表現できないことになってしまう。
難波──木造だとそうだけれど、鉄骨造だとすっきりする傾向にあって、技術が成熟してきたと思います。よく言われることですが、大スパンの骨組をスリムな部材で構成して、後でサッシュを付けたらサッシュの方が太かったという笑い話があります。そういうチグハグな設計がなくなって、構造体とサッシュがほとんど同じレベルでアプローチできるようになってきました。ただ環境・設備設計では、まだそこまでいっていませんね。それがこれからのテーマだと思うけれど、それに関連して言うと、断熱材や仕上げ材の問題が追求されてくれば、もう少し面白い状況が起こる可能性があると思います。それは素材の問題というよりも、やはり構法の問題で、単一の素材をあれこれ議論してもしょうがないでしょうが。
ところで松村さんは、ガラスについてどうお考えでしょうか。

《箱の家─3》、外観、偏心ブレース

《箱の家─3》、外観、偏心ブレース

同2階、インテリア

同2階、インテリア

ガラス/瓦

松村──ガラスは特に外装用としては結構理想的な材料です。耐候性が圧倒的にありますし、面内方向の衝撃性に弱いということを除けば、外装に使うにはほぼ完璧な材料です。ただ輻射の問題でダブルスキンになったりすることはありますが。
難波──断熱性能のよい家をつくりました、というふれこみで、壁はヘビーデューティに断熱していても、大きなガラス面があると、たとえペア・ガラスであっても熱的な性能はガクンと落ちますね。通常の壁の断熱性能とガラスの断熱性能とでは一桁くらいの違いがあるから、注意を要します。真空ガラスにしたとしても、部分的には改良はされるけど、冷輻射や熱輻射があってトータルに見ると大きくは変わりません。かといってガラス面を小さくしていけば、性能は上がるけど、宇宙船や棺桶みたいな住宅になっていく。それに冬期の直射日光によるダイレクト・ゲインを期待できるから、必ずしもディメリットばかりではない。ガラスの開放性は生活様式や表現にもかかわる大きな条件ではあるのですが、ガラス面の使い方が住宅の熱性能を大きく決定づけているわけで、壁だけの条件ではないことは意外と知られていないのは問題だと思います。
ガラスに近い材料で、瓦などはどうでしょうか。
松村──阪神大震災以後、瓦は厳しい市場環境にありますが、屋根に使うにはいい材料です。歴史的にも長いあいだ使われてきたし、第一安い。
難波──僕はまだ一度も使ったことがないけれども、異常に安いらしいですね。
松村──そんなに安くしてよく企業として成立しますねと言っていたんですが、この間三州や淡路でもメーカーは随分減ってしまいました。瓦は台風で吹き飛ぶくらいで止めつけ方もしっかりした工法がある。ただ屋根に使う場合、屋根面が大きいからデザイン的には瓦で決まってしまいます。
難波──建築家は屋根仕上げにガルバリウム鋼板やステンレス鋼板などは使うけど、瓦はあまり使いませんね。そもそも屋根をつくろうとしない傾向が強い。先日、関西の建築家のレクチャーを聞いたのですが、瓦でいろいろな試みをしていました。黒い瓦だけではなくて、色や形を変えて瓦屋根を近代化しようとしているのですが、結局のところ異国情緒というかオリエンタルな表現になってしまうので、僕にはちょっとついていけない。
松村──東京では瓦を使っている人はあまりいませんけれども、関西では結構多い。集合住宅でも瓦を載せたりしていますよね。
難波──正直な話をすると、僕は瓦を載せるだけで、犯罪を犯しているような気がするんです(笑)。
松村──資源的には若干問題があるのかもしれないけれど、瓦はかなり完成した材料です。
難波──なるほど。完成した材料だから僕は使わないのかな。性能としても記号としても完結している。屋根瓦をつければ、それですべて「和風」となってしまう。スペイン瓦を使う建築家もいますが、それだと地中海風でもっと性質が悪い。どちらにしても、瓦を使うと性能、工法、デザインなどすべてが一気に決まってしまうというところがある。それを避けたいという気持ちが強いのかもしれませんね。
松村──プレハブ住宅の歴史を見ると、はじめはほとんど長尺亜鉛鍍鉄板瓦棒葺で、昭和四〇年代中頃になると着色石綿セメント板になる。しばらくしてアスベスト問題が出て、従来の着色石綿セメント板が駄目になってから切り替える材料を探すわけです。そうするとノン・アスベスト着色セメント板か瓦かという選択になる。十数年前から住宅メーカーも瓦を使い始めましたが、工務店みたいになってしまうからと普通の桟瓦は使わず、平板瓦を使うわけです。平板瓦は瓦だけれどフラットで少し大判、葺いても瓦屋根には見えなくて、石屋根のように見える。今では工務店も平板瓦をよく使うようになっています。
難波──最近は太陽電池をそのまま屋根仕上げにする構法も見られますね。ミサワホームが試みています。通常は屋根を葺いた上に太陽電池を載せるわけですが、それだとコスト的には太陽電池分が丸々プラスになってしまう。屋根材と太陽電池を兼用すれば屋根材のコストを太陽電池に吸収できるので、コストダウンできるし太陽電池の償却年限も短くなる。太陽電池のカバーは強化ガラスだからメンテナンスも楽だし、屋根材としてはきわめて高性能なわけで、面白いアイディアだと思います。瓦もガラスの瓦やトップライト用の瓦、太陽電池瓦など、いろいろなかたちで展開できるし、実際そういう製品も出てきているけど、形だけが生き残っていくというのが僕は嫌なんです。そこまでやるなら別のデザインを試みたらどうだと考えてしまう。どちらにしても勾配屋根になるわけですから、僕は抵抗がありますが。
松村──趣味の幅が少し狭すぎだと思うのですが(笑)。瓦は造形性があるから面白くて、押し出すときの形でまだまだいくらでも生み出せるものがあるかもしれません。
難波──今回の特集のようなテーマで僕が話をすると、伝統的な構法はすべて敵になってしまいそうですね。意外と自分の趣味の幅が狭いことを自覚しました(笑)。

《箱の家─22》、インテリア

《箱の家─22》、インテリア

コンクリート

松村──難波さんに話を合わせていると、あいつは結局敵だったのかと後にいろいろな方面からものすごく怒られます(笑)。
さて最後にコンクリートがありますが、熱容量の再評価の問題ですか。
難波──ある時まで僕はコンクリートは基礎か地下室以外には使わないと決めていたのですが、やむを得ず鉄筋コンクリート造で住宅をつくることになって、それならと考えて、徹底した外断熱を試みました。そうすると室内環境が安定するうえに、予想以上に省エネで快適な住宅になって、自分でも驚いたことがあります。鉄筋コンクリート造は、内断熱にすると外気の影響をモロに受けて、夏暑く冬寒い住宅になるけれど、外断熱にすると逆に非常に性能のいい住宅になることがわかりました。そういう経験をしたので、それ以後は考え直して、ことあるたびに鉄筋コンクリート造の住宅にトライアルしているのですが、コスト的に難しくて何度も挫折しています。外断熱構法がまだ普及していないので、競合する製品がなくてコストが下がらないのと、もうひとつはコンクリートの現場打ち構法には限界があるのかもしれません。
松村──型枠大工も鉄筋工も職人がどんどんいなくなっているので、コンクリート現場打ちには豊かな未来は描きにくいと思います。コンクリートというのは、現在建築を形作っているものの中で最も不思議な生き残り方をしていて、現場ですべての品質が決まる。かぶり厚からコンクリートの質、鉄筋の組み方まですべてがそうです。このつくり方は、しっかりした施工管理者や熟練した職人がいるという状況で成立するわけです。しかし職人がいなくなり、まともに見られる施工管理者も現場からいなくなっているようで、そうすると成立させるのは難しい。
難波──「箱の家」はみんな同じ設計だから、現場監理はほとんど必要ではないだろうと言われることがありますが、とんでもありません。僕たちはかなり頻繁に現場監理に行きます。現場監理をしないと、「箱の家」のように単純な住宅は破綻してしまうでしょう。確かに図面上は標準化されてはいても、決して同じものはできないのです。なぜかというと、事務所の担当者が違うし、現場監督や職人も違うし、材料もロットによって違うので、同じ図面でも大きな違いが出てくる。僕は誰がつくっても構わないというつもりで設計していますけれど、放っておくと決して緊張感のある空間にはなりません。現場ごとに対応の仕方も違います。それでも結果的には「箱の家」としてできてしまうわけですが。
松村──そう考えると全国の施工体制を同じものをつくるかたちに編成しているわけだから、住宅メーカーはすごい。まったく仕組みが違うわけです。だから住宅メーカーと違うことをやろうしたら、在来工法が一番いいわけです。在来工法は安定しているから、細かくコンクリート施工用の図面まで書かなくても、ほとんど同じ内容でつくることができてしまう。
難波──逆に言えば、ハウスメーカーが全国ネットでやっても施工のレベルで大きな問題を起こして、制御しきれずに裏目に出ているところがたくさんありますね。現場に任せれば任せるほど、クライアントは同じものを買っているつもりなのに、担当者や職人によって大きな違いが出てくる。そうしないために工業化があるわけですが、現場作業が残るかぎり、この問題は消えないでしょう。
話をコンクリートに戻すと、確かにコンクリート住宅は最近少なくなりましたね。でもコンクリートは熱性能的にはすごくいいので、何かうまい方法はないでしょうか。
松村──PCにすればいいのですけれども、高い。
難波──僕が鉄筋コンクリート造で「箱の家」をつくったのは、大きな部材が運び込めないほど狭い道路しかなくて、小さな部材でつくらざるを得なかった。材木も鉄骨も運び込めないから、それより細かな鉄筋とポンプ車で運んでくる流体のコンクリートでつくるしかなかった。だからまったく逆行している。PCにしたら二トンくらいの部品を運ぶ必要があるから、集合住宅のように部材の反復性があり、なおかつまわりの敷地に余裕がある場合でないと使えませんね。でも日本の住宅事情を考えると、鉄筋コンクリート造は残っていく気がします。最近注目されているスケルトン・インフィル・システムも、寿命の長いスケルトンは高強度のコンクリートでつくるしかないでしょう。
松村──コンクリートは現代の瓦のようなものですから、世界中のどこでも使っています。鉄骨で住宅をつくっている国は少ないですけれど、RCは必ずどこにでもある。コンクリートというのはセメントさえあればあとは砂と水とでこねてつくれるので、どこでも簡単につくれます。かなり原始的で普及しやすい素材です。
難波──コンクリートの原材料のセメントは、ローマ時代からある材料ですからね。ローマのパンテオンや水道橋では、すでにセメントが使われていたわけだし。
松村──固まるようしてバケツに流し込めばつくれてしまう。どこにでもあって不思議に一般化した材料です。余談ですが、アフリカでコンクリートブロックを踏んだら崩れたことがあります。アフリカの、コンクリートブロック造の学校の現場で、あまったコンクリートブロックで花壇をつくっていた。それを踏んでみたら、ザーッと砂になりました(笑)。セメントが少なかったので、表面から見ただけでは区別がつかない。超高層ビルで使っているコンクリートも同じように見えるけれども調合次第でまったく違う性能のものになってしまう。仕上がりの上っ面を見ると同じように見えますから、万一施工上手を抜かれるとなかなかわからない。コンクリートはそれが恐ろしい。
難波──コンクリートの建築は安藤忠雄さんが極められたから、よほどのことでないとやらないほうがいいと思います。安藤さんを越えるのは難しいでしょう。僕がコンクリートを使わなかった最大の理由は、そこにありました。でも外断熱の問題が出てきて、事情が少し変わってきたかもしれません。
松村──最近は、若い建築家で打放しコンクリートをやる人は少ないのですか?
難波──たまにいますが、時代のフィーリングに合わないのではないでしょうか。現在は軽くて透明な空間が流行ですが、コンクリートの空間は暗くて陰気な感じがしますから。六〇年代から七〇年代にかけては、強さと重厚さを求める時代の流れが、粗っぽい打放しコンクリート仕上げとシンクロしていたけれど、現在の感覚とは合わないでしょう。コンクリートでも打ち放し仕上げより、真っ白に塗装したりする。
松村──軽さでしょうね。

アルミエコハウス/「箱の家」

難波──そうなんでしょうね。軽さの話で思い出しましたが、アルミエコハウスをつくったときに、熱の条件は何とか解決できたけれど、遮音性能がまったく駄目でした。アルミが軽い材料だからです。それでアルミ建築の最大の問題は、熱ではなくて音だということがわかりました。街の中に住宅をつくるときには、遮音性は重要な条件ですが、そのためには建物を重くしなければならない。しかしアルミの魅力は軽さにあります。僕が好きな最大の理由もアルミの軽さです。これは自己矛盾以外の何ものでもない。
松村──解決するためにはアルミでつくっても、壁にコンクリートを使ったりして重くしなければならない(笑)。
難波──そうすると、何のためにアルミを使うのかわからなくなる(笑)。だから現在では、アルミだけでつくる建物を目指すのではなく、スケルトン・インフィル・システムの中のインフィルの材料として生き残るのがいいのではないかと思っています。要するに、大きな家具のようなものです。
松村──実際、建築界での普及を目指したアルミの始まりは家具からです。一九二〇年代、アメリカ・ピッツバーグのアルコア社が市場拡大のために建築の世界に売り込もうとして最初に手がけたのがアルミの家具です。軽くて艶があり、近代的だということでインテリアから始まったわけです。
難波──そういえば、アルミが初めて本格的に使われたのは、ウィーンにあるオットー・ワグナー設計の郵便貯金局ホールのインテリアでしたね。松村──アルミの構造はもうやらないのですか?
難波──やりたいけれど、国土交通省の告示が出ないと本格的にはつくれません(註:二〇〇二年五月一四日付でアルミ建築構造に関する告示が公布された)。ただ、さっきも言った音の問題があるし、すべての部位をアルミでつくるのは難しいので、フレームと床スラブをアルミでつくり、外壁は別の材料で考えています。それに、つくばにあるアルミエコハウスの解体移築プロジェクトも正式にスタートしそうですから、また新しい展開があるかもしれません。これは、まだ正式決定ではありませんが、アルミエコハウスを解体し、移築して、別の建物につくりかえる実験プロジェクトです。移築先は柏に新しくできる東京大学のキャンパスになると思います。
松村──東大のことなので少々解説すると、柏に環境学研究科というのができるのですけれど、そこにキャンパスがある。校舎はいつできるかわからないのだけれども、そこにつくばに建っていたアルミ住宅をもっていって再建するという話です。
「箱の家」で使われている素材は、どんな選択基準で選ばれているのですか。素材のヴァリエーションはあるのでしょうか。
難波──「箱の家」の素材に関しては、ひとつは外壁の問題があります。耐候性やコストを比較して、最初はセメント板とガルバリウムを使っていましたけれど、遮音の問題でセメントがいいということになって成型セメント板に決めました。内装はシナベニアという節の少ない、おとなしい木が材料ですが、デザインアイテムになってしまったから、最近はやめようかどうか迷っています。断熱パネルをそのまま内装に使うようになったところで、外装もガルバリウムを復活させました。断熱と遮音の問題をその二つで解決できそうなので、鉄骨をまた復活させるというように少しずつシフトしながらやっています。材料を単独で選択するのではなく、住宅全体の性能との関係で選んでいます。床は最近はフレキシブルボードで、普通は床には使わないけれども熱容量とコスト、目地が少ないという理由で使っています。モルタルに目地を入れるというのが好きなんですけれど、それに似ている。そこはだから左官のイメージなんです。セメントの床みたいですが、お客さんによっては拒否反応もありますね。
松村──ALC版は駄目ですか?
難波──ALC版は素地仕上げができなくて、最終的に塗装しなくてはいけない点にひっかります。ALC版が輸入された六〇年代には、師匠の池辺さんがよく使っていたから、僕も知らないわけではないんですが、最近のALC版製品を見ていると、タイルや石模様にしたり装飾的なリブを入れたり、変なことばかりやっている。性能とはあまり関係のないイメージだけの発想が嫌ですね。使ってみたいとも思いますけれど、断熱性能が中途半端で、今の時代には性能レベルが低すぎるような気がします。だからALC版を使う場合は、それ以外にも断熱が必要になるので、ALC版を外装に張って内側を断熱すると、今度は結露の問題が発生する。でも外側にALC版があるから結露水の逃げ場がないということで構法的には破綻してしまう。唯一の解決法はALC版を厚くするしかないんですが、日本のALC版の歴史は、ひたすら薄くする方向で進んできた。僕が池辺研究室でALC版を使っていた頃は、最低でも一五〇ミリ厚で、二五〇ミリ厚のパネルを使ったこともあります。それくらいあれば断熱性能も何とかなるんだけど、今では一〇〇ミリ厚が標準で、五〇ミリ厚のパネルも出ている。これでは使う気にはなれません。
松村──たしかにALC版は他の国だと二〇〇から二五〇ミリの厚さのブロックですよね。それが日本に来ると五〇ミリになってしまう。あんな不思議なALC版の使い方をしているのは日本だけです。
難波──ハウスメーカーがよく使うセラミックはどういう材料ですか、焼成しているのですか?
松村──あるハウスメーカーが言うセラミックはALC版みたいなものですが、完全に陶板を外壁の一部に使っているメーカーもあり、その場合は当然焼成です。土を固めたようなものはみな一括りにセラミックと呼んでしまっているのが現状でしょう。
難波──ALC版はパネル自体が大きいから魅力的なんだけど、僕たちにはなかなか手を出す気になれない。
松村──結構いい素材だと思うのですが。ちまたにやたらと建っていますけれど、どこか品がない(笑)。
難波──時代の流れは小さな部品に高い付加価値を与えることを求めているのに、ALC版やセラミックパネルは、工事の仕方に必要以上に逃げが多くて、現場打ちコンクリートとまた別の意味で雑に思えます。そういう意味ではアスロックのほうが素地で使えるし、エッジがカチッとしていて魅力的です。だから「箱の家」にはアスロックを使いたいのだけれど、コストが高いので手が出ない。そこでアスロックに近い中空成型セメント板を使っているわけです。
松村──少し変わったところでは竹があります。竹もすぐ育ってしまうから、素材としては結構面白いですよ。
難波──竹のようにヴァナキュラーな素材を使うときは、微細なエンジニアリングが必要になるから、一般的な技術より高度ですね。たとえばレンゾ・ピアノがニューカレドニアにつくった文化センターは、集成材をはじめとして、その土地の素材と気候をデザインのモチーフに使っている。彼には竹を使った移動式建築のプロジェクトもありました。ノーマン・フォスターの香港上海銀行では、外部足場に徹底して竹が使われていましたが、竹は意外と品質がしっかりしているんですよね。
松村──均一にできています。しかし竹そのもので純粋に構造をつくるのは難しいですね。ローザンヌ大学で教鞭を執っている網野禎昭君が、無垢の木の上と下に竹を張って、それで強度をコントロールする方法の研究をやっています。これなど竹の新しい使い方かなと思います。

アルミエコハウス、全景

アルミエコハウス、全景

《箱の家─1》、道路からの全景

《箱の家─1》、道路からの全景

素材と建築のヴィジョン

松村──難波さんは鋭敏に素材に関して考えていますが、住宅の設計をしているほかの建築家は素材の使い方にポリシーをもっているのですか?
難波──建築家は新しいことに挑戦し、変わり続けることを信条にしているから、同じ素材を使いたくないという気持ちを無意識にもっていると思います。僕はそういう考え方に抵抗して、同じ素材を使い続けている。それは明確なコスト・コントロールをするためです。これは松村さんに教わったことだけど、材料から最終的な空間までの決定権が与えられているから、建築家にはコスト・コントロールが可能な条件がそろっているはずなんですが、実際にそれをやっている建築家はほとんどいません。そのひとつの理由は、素材や構法を次々と変えていくからです。コスト・コントロールをすることよりも、新しいことを試みることの方を優先している。たしかにそういう役割もあるけれど、でも同じことを二、三回やると、どのような仕様でやれば、どのくらいコストがかかるかということはだいたいわかる。だから、新しい試みについてもコスト・コントロールは可能なはずです。
松村──よく変えるという点ではハウスメーカーも同じです。例えば最近では、リサイクル木材のような環境に優しい材料を一部使っているみたいですけど、ほかの場所に塩ビを使っていたりする(笑)。それではポリシーは何なんだということです。例えばこの壁は珪藻土で健康に配慮しましたと言うけれど、それは一部分で全体の材料の使い方に対する設計思想がない。建築家も同じように新しい技術に飛びついて、全体として材料的に主張していることが、それと結びついていないことがあるのではないか。今日の対談ではそのことについて言おうと思って来ました。新しい技術は大抵きわめて部分的なものです。素材の組み合わせ方は設計全体のポリシーの問題なので、一点目立つ新しい材料を使ったからと主張されても、それは誇大広告みたいなものにすぎません。全体としてどうなのかということに応えられる設計かどうかが問題ですが、建築家の行動様式からするとそうはなりにくいと思ったりもします。
難波──そのことに関して言うと、僕は住宅全体としてみれば、これからは素材よりも設備の方向に向かうと考えています。つまり目に見えない環境装置のようなものになるということです。そのために素材や設備を組み上げていく。その結果が周辺環境から切り離された宇宙船のようになってはいけないけれど。一九六〇年代のアーキグラムや日本のメタボリズムも同じようなことを唱えていましたが、それに見合う技術がなかった。というか大量生産・大量消費的な環境装置だった。現在は逆で、もっと柔らかで環境にセンシティヴに応答する省エネルギー的な制御装置になっている。
たとえば「箱の家」のシステムを例にとると、今使っている暖房システムはアクアレイヤー・システム(水蓄熱式床暖房)で、目に見える仕上げには直接関係ないけれど、建築空間のあり方と決定的に結びついています。深夜電力のシートヒーターでアクアセルに封入した水を暖めることによって蓄熱し、自然対流によって熱を拡散させる。直射日光が当たれば、その熱も蓄熱・拡散されます。その熱を昼間の間に放熱させることで輻射暖房する。機械設備はまったく使いません。完全に建築化されたシステムで、一室空間的な住宅には有効ですが、間仕切り壁の多いこれまでの住宅には使うことはできない。だから「箱の家」にもっとも相応しい床暖房システムです。水の温度は三〇─三五度くらいで、通常の温水床暖房よりかなり低い。ガンガン暖めるのではなく、室内の面温度が床、壁、天井とも二二、二三度くらいになるとてもソフトで自然な輻射暖房です。仕上げ材料も性能優先で、コスト・パフォーマンスを比較検討した結果、外壁は断熱パネル+中空セメント板に収斂しました。ときには若いクライアント向けにガルバリウム鋼板の波板を張ったりしますが、基本的にフォトジェニックな仕上げには興味がないんです。それでも写真は恐いですね。OSB板は木のチップを固めたもので、直接目で見ると大して気にはならないんだけど、写真にとると室内全体がかさぶたで覆われたような仕上げに見えてしまう。雑誌に掲載された写真を見たクライアントからは、あれだけはやめてくださいと言われました(笑)。
松村──以前、旭化成スクラムハウスで、「パララム」という、エンジニアリング的に突き詰めていくと一番よいと言われたエンジニア・ウッドを柱に使ったことがありました。旭化成としてもメーカーの威信にかけて、無垢材や集成材のようにどこでも使われているものはいやなので「パララム」に行き着いたわけです。これはOSBに表面が似ているのでかさぶたのようなものが現場でバーッと立つ。見に行ったのですが、見た目がグロテスクなのでこれを喜ぶ施主は誰もいないだろうなと思ったのを思い出しました、いまのお話で(笑)。
難波──坂茂さんが四、五年前、パララムでかっこいい別荘をつくっていましたね。丸いコアと四角いコアの間にパララムの大梁を二本かけて、その上に軽い屋根を載せていました。それを見て、パララムが気に入ったので一回だけ使ったことがあります。集成材やLVLに比べると、接着剤のプラスチックの含有率がさらに高くて面白い素材ですが、最近はあまりパララムのことは聞きませんね。
松村──木でつくっている人たちにはそういうことを嫌がる人がたくさんいます。つまり環境問題をやっている人にとっては、複合材料はリサイクルできない素材なのです。接着剤が入っているため、チップにもできないのでもう扱えないわけです。だから、無垢の木をそのまま使いながらエンジニアリングする方法を研究している人は、エンジニアリングが目指すべきことはそちらだと言うわけです。製造の段階で問題を簡単にしてしまうと、すでにそこで素材になっているので、建築に使うときにはエンジニアリング的なクリエイテヴィティはないから、そうではない方法を編み出したいと思っている人たちが結構いると思います。
難波──そういう主張をするのは、材料を研究している人たちですか?
松村──木構造をやっている人たちです。
難波──リサイクルを考えると、材料を複合させるのはあまり好ましくない。接着しないでルーズに重ね合わせるほうがいいんですね。工業化とは方向が逆になるわけだ。難しい問題だな。
松村──素材の素性がわかるから、純粋であればあるほど次に使いやすいわけです。素材の問題に関して、例えば近代建築の保存をするドコモモ(The International organization for the Documents and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement)の機関誌に紹介されている建物を見ても、その時代にしか現われない非常に特殊な材料が使われているので、検査をしないと特定ができないし、つくった方法が想像できない。あるいは再生するのに莫大なコストがかかるという例が近代建築ではたくさんあります。近代建築以前は、現在でもあるあたり前の材料を使っているので再生も修理もある程度できます。そう考えると、現在のように進歩した技術を瞬間的に取り入れて、それを積み重ねていくと長期的には回らないという問題があって、その考え方からすると今あたり前に使っている材料を使うことがよいことになってしまう。
難波──近代建築では、鉄も、鋳鉄、錬鉄、鋼鉄と次々に改良されていったから、その都度、過渡的な材を使っていることになる。今となっては、当時の製法を復元するのは難しいから、元の材料に戻すこともできないわけですね。
松村──現在ではその組成のものはないわけです。例えばジャン・プルーヴェの作品も、手で曲げたりしてつくっていたので復元は難しい。今はそんなつくり方はないわけです。それでも復元しようとすると機械からつくらなければならない。現代のやり方でつくると、図面は同じなのに取り付けると違う。ジャン・プルーヴェが好きで、作品を見るたびに泣いているようなおじさんたちがオリジナルと違うと怒り狂うわけです。ほんの数十年前なのにもう復元できなくなっている。
難波──松村さんがいつも言われている「構法は歴史である」ということですね。
松村──そう、歴史的に鍛えられ、残るものは残っていく。今風に言えばデファクトスタンダード化ということですね。その一方で、華々しく登場した後消えていく構法もある。だから後の時代のメンテなどの対応が難しくなる。
難波──そうなったのは近代になってからで、それ以前は普遍的で法隆寺は今でも直せます。
松村──象徴的なことだと思うけれど、プルーヴェの娘は四〇年前に設計された外装が全面アルミの家に住んでいるのですが、「父は、建築というのは三〇年くらいで壊して建てかえるべきだと申しておりました」と言っていました。プルーヴェは近代建築は永続的に残って法隆寺やパルテノンになると思ってはおらず、技術が変わると建築は建て替わると考えていた。それだと整合が取れ、現在使っている材料でいいということになります。最先端の技術や材料を常に使い続けることと建築の寿命を短くすることでストーリーとしてはうまく納まるけれど、建築は長持ちしなければいけないと言われている現在では難しい。
難波──集成材の技術もこれからどんどん変わっていくし、新しい接着剤が開発されたらすぐに変わってしまう。だとすると保存や再生といった問題はますます難しくなるでしょうね。
僕は今、一九世紀以来の鉄骨造の歴史を見直しているんですが、鋳鉄から始まった鉄骨造が建築家のデザインに反映されるのに、常に時間的なズレがあります。それに建築家は新しい素材を、最初のうちは必ず既存のデザインに当てはめようとする。素材だけでなく、すべての新しい技術はいったん既存のスタイルに当てはめられた後に、独自の発展を遂げるというプロセスをとるようです。これはマルクスが言っていることですが、機関車は馬をモデルにし、自動車は馬車をモデルにし、飛行機は鳥をモデルにした。つまり新しい技術がそれに相応しいデザインを生むには、その前にさまざまなフィルターがあるということです。近代建築は鉄とコンクリートとガラスを、そのような技術として展開してきたわけだけど、今後、それと同じような素材が出現するかというと、かなり難しいような気がします。たしかに鉄やコンクリートに代わって人工木材、カーボンファイバー、レアメタルといった材料が、あるいはガラスに代わって多様なプラスチックが出現しつつあるけれど、近代建築における鉄、コンクリート、ガラスのような決定的な素材になるとは思えない。最初にも言ったように、素材よりもむしろ環境制御装置の発展が建築を変えていく可能性のほうが大きいんじゃないかというのが僕の予感です。もちろん環境制御装置とはいっても、かつてのような目に見える機械設備ではなくて、構法化され、建築化された素材と言ったほうがいいかもしれません。要するに、素材と設備が一体になったような部品の開発が、これからは建築を変えていくのだと思います。
松村──いずれにせよ、新しい素材に頼って建築上の表現を考えようとする二〇世紀的なやり方はぼちぼち終わりにして、すでにある素材をうまく使い切るエンジニアリングを進めていくのが望ましいと思います。その際、エンジニアリングの観点は、従来の構造工学的なことだけでなく、環境問題に深く係わる各種の観点などを取り込んでいくことになるでしょう。
[二〇〇二年四月二五日 都内にて]

《箱の家─2》、吹抜ブリッジ

《箱の家─2》、吹抜ブリッジ

*この原稿は加筆訂正を施し、『箱の家 エコハウスを目指して』として単行本化されています。

>難波和彦(ナンバ・カズヒコ)

1947年生
東京大学名誉教授。(株)難波和彦・界工作舍主宰。建築家。

>松村秀一(マツムラ・シュウイチ)

1957年生
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。建築構法、建築生産。

>『10+1』 No.28

特集=現代住宅の条件

>坂茂(バン・シゲル)

1957年 -
建築家。坂茂建築設計主宰、慶応義塾大学環境情報学部教授。

>サステイナブル

現在の環境を維持すると同時に、人や環境に対する負荷を押さえ、将来の環境や次世代の...

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...

>池辺陽(イケベ・キヨシ)

1920年 - 1979年
建築家。

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>レンゾ・ピアノ

1937年 -
建築家。レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ主宰。

>ノーマン・フォスター

1935年 -
建築家。フォスター+パートナーズ代表。

>網野禎昭(アミノ・ヨシアキ)

1967年 -
木構法。スイス連邦ローザンヌ工科大学助手を経て、ウィーン工科大学建築学部アシスタント・プロフェッサー。

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>メタボリズム

「新陳代謝(metabolism)」を理念として1960年代に展開された建築運動...