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東京ファンタスマゴリー クラブ・カルチャーと都市 | 秋元健太郎
TOKYO Fantasmagorie: Club Culture and City | Kentaro Akimoto
掲載『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) pp.92-99

東京にクラブとよばれる空間が、都市に穿たれた穴のように点在している。
一九八九年、現在に直接つながるクラブ、芝浦GOLDが出現した。九〇年代前半、バブル最後の仮象をはなったジュリアナ東京などの大型ディスコと入れ替わるようにして、クラブは増殖していく。その後、ハウス、テクノ、ヒップ・ホップ、トランス、レゲエなどへ細分化しながら、クラブは東京から各地に拡がり、定着していった★一。あるクラブ検索ウェブサイトによれば、二〇〇五年現在東京のクラブ登録数は約二〇〇、全国では五〇〇あるという★二。
日本のみならず、都市の夜に定着した観のあるクラブだが、それをどのように位置づけるかについては諸説ある。その上演形態、つまり生演奏ではなく、DJ(=Disc Jockey)が複製メディアを次々つなげるかたちに注目して、六〇年代にはじまるディスコティークからの変遷を見ようとするメディア史の観点がある★ 三。あるいは、そこでかかる音楽の特徴から、六〇年代のソウル、ジャズ、七〇年代のファンク、レゲエなどのブラック・ミュージックのなかに位置づけようとする音楽史の見方もある★四。さらには、ドラッグとともに若年層へ急激に広まった文化的・政治的形態から六〇年代後半の運動の再来を見ようとする社会運動史的な見方★五、逆にそれがアメリカ起源の文化であることから、そこに文化帝国主義を読みとろうとする文化研究の見方まである。
クラブという現象をこうしたなんらかの歴史的文脈のなかに置くことはできよう。しかしクラブを論じる場合、それが八〇年代中頃、アメリカの都市で生まれたヒップ・ホップ、ハウス、テクノという音楽とともに、劇的にひろがっていった現象であることを見落とすべきではないだろう。つまりクラブをどんな歴史的文脈に置くにせよ、こうした音楽が過去のそれとどのような関係にあるかを評価したうえで、クラブを位置づける必要があろう。クラブという現象はクラブ・ミュージックの誕生と不可分である。
東京のクラブを考察する場合も同様で、まずヒップ・ホップ、ハウス、テクノなどの音楽がもっていた意味を理解しておかなければならない。考察を「クラブ・ミュージック」という曖昧な音楽ジャンルの分析からはじめ、まずは東京のクラブを世界の都市と共通する線分から定めてみよう★六。

1|ヴォイドとしてのクラブ・ミュージック

不定形なジャンル

現在、外資系レコード店の多くで、「クラブ」という商品棚がある。それは多くの場合、ヒップ・ホップを除いたクラブでかかる音楽、テクノ、ハウス、トランス、トリップ・ホップ、ドラムンベース、ビッグ・ビート等を意味する。こうしたヒップ・ホップと「クラブ」の区分は、おもにヒップ・ホップの市場規模やその出自によるものだろう。しかし、ヒップ・ホップをクラブでかかる音楽という観点で考えるとき、両者を区分する必然性は乏しい。クラブでは、ヒップ・ホップ・ムーヴメントのもつ政治性やライムのもつ闘争性も、ビートの流れのなかに消えてしまうからである。ここではヒップ・ホップ、近年のレゲエも含めたクラブでかかる音楽を、クラブ・ミュージックと捉えてみよう。
クラブ・ミュージックのなかの、ヒップ・ホップ、テクノ、ハウス、ドラムンベース、ツーステップなどのジャンルは、それぞれ異なるリズム・パターン、曲調をもっている。また、もともとの受容層が異なっていたこともあり、それぞれのリスナーがファッション、ライフスタイルなどでそれぞれの独自性を主張しがちである★七。クラブ・ミュージックの内部には、複数のジャンルの対立がありそうである。
しかしこの対立は、音楽とは別のところから来ているように思われる。クラブ・ミュージックは、そうした対立を無化する性格をもつからである。この性格はクラブ・ミュージックの原理であり、クラブDJの最も基本的なテクニックでもある、「ミックス」あるいは「リミックス」という方法に現われている。ミックスとは、複数の曲を、再生速度を調整しながら、混ぜ合わせて、ひとつのひろがりのある音楽をつくる方法である。一方リミックスとは、ある曲の旋律、リズム・パターン、音色などに操作を加え、ときには原曲が識別できなくなるほど、編集し直す方法をいう。
この二つの方法に現われているのは、ひとつの曲を、独立し完結した楽曲としてではなく、ほかの曲と結びつくための、あるいはまったく別の曲になるための、素材として捉える視点である。この視点からすれば、ヒップ・ホップとハウスの違い、テクノとハウスの違いは幾つかのパラメーター上の違い、いくつかの操作で超えられる相対的な違いにすぎない。クラブ・ミュージックを音楽の形式として扱う際は、細分化してきたカテゴリーを額面通りとるのではなく、そうしたカテゴリーを包括するひとつのジャンルと見るべきだろう★八。
しかしクラブ・ミュージックは、それをひとつのジャンルと見ても、なお定まらない感じが残る。というのも、ミックスやリミックスの視点をとれば、どんな音楽、あるいは音楽ですらない音も、テンポさえ同定できれば、ビートにのせ、クラブ・ミュージックにつくり変えることができるからである★九。また、その視点が一度確立すると、ほかのジャンルにもその視点が浸透していき、内部からそのジャンルを変容させていくからである★一〇。クラブ・ミュージックはジャンルとしても、その性格上、不定形なものである。
クラブ・ミュージックは、ほかのジャンルを吸収したり、ほかのジャンルに浸透したりしながら、音楽そのものを歪める磁場を形成するジャンルだといえよう★一一。
 

触覚的な受容

クラブ・ミュージックは、距離をとってみれば、人工的で安っぽい音色、幾つかのシークエンスの機械的な反復を特徴とする音楽である。それは、クラブ・ミュージックが、音源も記憶容量も少ない機材で組まれたプログラムであるという技術的条件からくる。こうした特徴から、クラブ・ミュージックは、電気が供給されるかぎり、冷たい音で延々と同じループを正確に繰り返す、人間とはどこか相容れない音楽に聞こえる。
こうした耳で聴くだけでは、どこか空々しいクラブ・ミュージックに対し、人々はDJを介して接してきた。DJはその草創期から現在に至るまで、音が体を震わせるような音響設備を組み立て、単調なビートに緩急をつけ、ミックスによってグルーヴを引き出し、聴衆をクラブ・ミュージックで踊らせる役割を担ってきたのである。クラブ・ミュージックは、DJを媒介に、体感的な音とダンスという触覚性のなかで受容されてきた。
それではクラブ・ミュージックと直接渡り合うDJは、どんなアプローチをしているのだろうか。 DJが行なっていることを見ると、ある曲がかかっている最中に次の曲を直感的に選び出し、再生速度を調整し、出だしの箇所をみつけ、タイミングをみはからって前とつなぐことである。一連の作業としてみれば単純に見えるかもしれないが、クラブ・ミュージックはかなりのアップテンポでつくられているため、それぞれを速やかに行なわなくてはならず、またビートが機械的に正確なため、調整はかなりの精度を要する。DJは聴衆を踊らせる流れをつくりだすのに、軽業師的な技能を要求されるのである。
そうしたDJたちに好まれるのが、長時間録音が可能な12インチレコードというメディアである★一二。この趣向はDJたちのアナログ・メディアへのノスタルジーやルーツに対する忠誠心からのみくるのではなかろう。DJはプレイの最中、耳から入る音をからだに共鳴させることで再生速度や頭出しの位置を定め、指先で微調整する。そこで見られるのは、触覚の助けを借りた、音への正確なアプローチである。ここから考えると、DJはクラブ・ミュージックの要求する技術的精度に応じるべく、表面に溝が刻まれ、適度な重さや厚みのある、触覚を刺激する12インチレコードを好むのではなかろうか★一三。DJもまた、新しい技術がひらいた世界の受容を、触覚を通して行なうのである。
しかし触覚性は、音楽の一方的な受容にのみ向けられるわけではない。聴衆がダンスを発展させるなかで、ビートとの多様な関わり方を見つけていくように、DJのテクニックのなかにも触覚的な遊びが見られる。ターンテーブル上でレコードを前後させ針でこするスクラッチ、再生中のレコードを高速で逆回転させて特殊な効果音を得るバック・スピン、デジタル機材のパラメーターを変化させて音質全体を変化させるツマミの操作などのテクニックは、からだのなかにビートを響かせ、手先を鋭敏にしなければ不可能なものである。
こうしたテクニックは、放っておけばそのまま進んでいってしまう音の流れに、触覚を頼りに介入するものである。それは一音一音の操作というよりは、音楽の展開する空間そのものをたわめ、亀裂を入れる試みではなかろうか。DJは、人間に関わりなく進行する空間を、触覚を通して、活用しようとしているのではなかろうか★一四。
新しい技術によってひらかれた、ともすれば人間のほうが振り回されかねないクラブ・ミュージックは、原始的にすら見える方法で、受容され、変容されてきたのである。

都市の音楽

クラブ・ミュージックでは、あるトラックの発表をもって、ひとつのカテゴリーの成立とみなすのが通例である。つまりヒップ・ホップでは、一九八二年ブロンクスでつくられたアフリカ・バンバータの「Planet Rock」、ハウスでは八四年、シカゴのジェシー・サンダースによる「On & On」、テクノでは八五年デトロイトで発表されたホアン・アトキンス「No UFO's」ないしはデリック・メイの「Strings of Life」が、それぞれの誕生の指標と見なされている。
こうしたトラックは、天才的なミュージシャンが突然出現して生み出されたわけではない。そこには、それぞれのトラックを生み出した都市が背景にある。それを文化史的にいえば、ブロンクスにはジャマイカのDJカルチャーとニューヨーク・アンダーグラウンド・ディスコの、シカゴにはニューヨーク・ディスコのブラック・ゲイ・カルチャーとシカゴの白人ストレート・カルチャーの、そしてデトロイトにはブラック・カルチャーとヨーロッパの白人文化との融合があった。つまり、それぞれのトラックの背景には、世界の文化を交錯させるアメリカの都市の存在が認められるのである。前掲のトラックが画期的だったのは、そうした都市の文化的交錯を、ひとつのトラックのうえで実現して見せたからだと言えよう。
この画期となったトラックは、それぞれ、ジャンル草創期の音楽がもつ、さまざまな要素が未分化なまま凝集した魅力を備えている。それゆえここから、ヒップ・ホップ、ハウス、テクノがのちに一〇年あまりをかけて展開する特徴を聴きとることもできよう。しかしそこで、まず印象に残るのは、それぞれのトラックから受ける質感の類似性である。それは、独特の音色のはかない旋律と力強いビートがつくりだす切迫感である。
こうした質感の類似はどのトラックもごく限られた種類の機材を使ってつくられたことにもよろう★一五[図1]。あるいは互いの音楽的背景の近接性も考えられよう★一六。しかしトラックの類似した質感を、こうした技術的基盤や背景の近接に還元することは難しい。それだけであれば、それぞれがもっと異なった質感をもつ可能性は十分考えられるからである。それゆえトラックのもつ質感の類似は、それを生んだ当時の状況からみなおす必要があるだろう。音楽も、言語化されない感情をかたちにする、ひとつの方法だからである。

1──Roland「TB-303」と「TR-808」 引用図版=田中雄二『電子音楽 in JAPAN』(アスペクト、2001)

1──Roland「TB-303」と「TR-808」
引用図版=田中雄二『電子音楽 in JAPAN』(アスペクト、2001)

こうしたトラックを生んだ頃のブロンクス、シカゴ、デトロイトは、それぞれ街の再開発による荒廃、大都市のなかの人種隔離、自動車産業の衰退によるコミュニティの崩壊と事情こそ異なれ、刻々と変転する資本主義のなかで、野蛮なものが都市にふきだした時期である。それはローカルな努力だけでは根本的な解決が見出せない、資本主義の都市で生きることの問題が表面化した時期であると言ってもよかろう★一七。
このとき、状況を解決することも、諦観しきることもできない若い世代が、安価で出回りはじめた非人間的な音色と機械的なビートを簡単につくりだすことのできる工業製品を手にする。そしてやり場のない感情を注ぎ込む場として、それ自体は歴史の干渉から自由に見える、デジタルな空間を見出したのではなかろうか。クラブ・ミュージックは、都市が資本主義のなかで閉塞したとき傍らに見出された空洞ヴォイドでのみ、生み出された音楽ではなかろうか。
その後、クラブ・ミュージックは、資本主義の渦の中に巻き込まれ、見通しを失った都市に根付いていく。サッチャー政権下のロンドン、マンチェスター、壁崩壊後のベルリン、バブル崩壊後の東京。さらにクラブ・ミュージックは、東欧、通貨危機後の東南アジア、現在は中国の上海、北京に飛び火しつつある。クラブ・ミュージックは、予期できないかたちで動く都市で生きる人々に見出されてきたのである。
クラブ・ミュージックというジャンルを創始したトラックは、空虚な空間に漂う音の粒子がよりあつまって、はかなげな旋律とそれを貫く強靱なビートを形成するという形式を共通してもっている。こうしたジャンルを規定する形式は、はかなくくずれやすい秩序を冷たい音色ともの悲しい旋律で、またともかくも前につき進むことで乗り越えようとする焦燥感を動き出すと止まらない機械的ビートというかたちで、表現しているのではなかろうか。
クラブ・ミュージックは、資本主義経済に固有の危機に直面した若者たちが、人間の痕跡を消した空洞のなかで、かろうじて未来に希望をみようとした音楽である。それは、人間が歴史的制約を免れた空間で、生のリズムを模索し始めたという歴史性において、ひとつの時代を画する音楽ジャンルだと言えよう。

2|東京ファンタスマゴリー

ここまで、クラブ・ミュージックを対象化して、分析的な視点から見てきた。しかし、クラブ・カルチャーについて理解しようとするならば、もう少し具体的な場面に踏み込んで、可能な距離をさぐりながら記述するしか方法がなかろう。ここでは東京のクラブ・カルチャーを対象にしながら、その意味を探ってみよう。
すでに見たように、東京のクラブ・カルチャーは自然発生的なものではない。またそこにはなんらかの解放や闘争がかけられていたわけではなく、バブル崩壊の混乱のなかでディスコに代わる選択肢として提供されたにすぎない。その後も東京のクラブは、小金を持つ者ならすぐに手が届く、用途に応じたヴァリエーションとして断絶もなくひろがってきた。
こうした純粋な芸術性も、明確な政治性も欠いた東京のクラブのような現象は、とるにたらない現象に見えるかもしれない。しかしそこには一〇年以上にもわたり、東京という都市の膨大なエネルギーが注ぎ込まれてきた以上、現在起こっている不可解なこと、さらには起こりつつあることの意味を認識するための契機が潜んでいるかもしれないのである。
東京のクラブとは、どんな空間で、人々は何を行ない、それは総体として何を示しているのだろうか。

空間の転位

クラブ・ミュージックがかかる空間は、建築物として見ると、貧しいものが多い。それは別の用途で建てられたものを流用したものや、新築する場合でも建設費を削ろうとする傾向からくるのだろう。しかし、それに比して、装飾や音響装置、照明、バーなどのインテリアは整っている。この建築とインテリアの不均衡は経費の観点からだけでは説明できない。それはクラブのどのような性格を示しているのだろうか★一八。
クラブに足を踏み入れると、まず襲ってくるのは、闇という印象である。そこに照明がないわけではないが、クラブ以前のディスコと異なり、光の交錯を演出するためではなく、闇そのものを演出するために設えてあることに気づく★一九。またその種類はブラックライトやストロボライト、色はブルーやオレンジなど非日常的なものが多いが、それは自らを闇のなかで際立たせるコンビニの照明とは反対に、夜の都会を室内にそのまま取りこんだような、闇と調和するような色彩である。ただ、クラブの空間が都会と異なるのは、時の移り変わりがなく、夜が明けないということである★二〇。クラブ建築は、都会の一瞬を切り取って囲い込んだあと、それを時間的に延長することを、根源とするようである。
こうしたクラブの空間の中でも、もっとも闇が深いのは、ダンス・フロアである。そこは大音量でも音が割れない音響設備が整えられた、クラブ・ミュージックで満たされる空間である。ダンス・フロアは、人々の目を闇で覆い、大音量でクラブ・ミュージック以外の音を遮断する。そこでは周りの人と視線や言葉を交わすことはできず、ひとり音楽に集中するしかない。
つまりフロアという空間は、いくら周りにたくさんの人がいても、ともに時間をすごすための場所ではない。そこはむしろ、人間の痕跡を消したクラブ・ミュージックが展開する際限のないひろがり、歴史とは関わりのないリズムが規整する場ではなかろうか。フロアの闇のなか、人は未知のひろがりのなかに個々別々に置かれ、音楽と対峙させられるのである。
そこに闇を際立たせる照明、アルコール、たばこ、ときにはドラッグ等が加わる。未知のひろがりのなかに運ばれた人々は、こうした小道具によって日常的な意識から引き離され、ダンス・ミュージックの旋律に、奥底の感情を引き出される。そして皮膚の周辺まで感じられる不安な感情を振り払うべく、無機質で規則的なビートを受け入れる。人々はクラブという空間を、都市の暮らしのなかで刻まれた歴史の痕跡を曖昧なまま引き出し、機械的なテンポに自ら同調することで消し去るのに利用しているのかもしれない。
クラブにおいて空間は、人々にさまざまな作用を及ぼす建築物としての性格を後退させ、人々が歴史とは関わりのないリズム、起伏もなく続く時の流れのなかに入るための触媒になるのではなかろうか。クラブにおける建築とインテリアの不均衡、建築のみじめさは、東京という都市における、このような空間の転位を示しているのではなかろうか。

照明のなかのユートピア

クラブのダンス・フロアで、人々はそれぞれビートへの同調に専心する。そのなかで互いを知覚するのは、闇のなかで先鋭化される嗅覚と、そしてときおり照明装置が浮かび上がらせる視覚像を通してである。つまりクラブにおいて人のイメージは、さまざまな匂いと、照明の効果で切りとられる映像からつくられるのである。
匂いについては、まわりを身近に感じさせるという形式性だけが共通したものだろうが、視覚像については、照明装置の種類に応じて次の二つの具体像が挙げられよう。ひとつはDJのセットの最中、ストロボライトとブラックライトで切り取られる、ビートに同調しようと必死に体を揺する人々の静止画像である。もうひとつはDJのセットが最高潮を迎えたとき、スポットライトに照らし出される、天井を仰ぎ、DJブースに手を差し伸べる、群衆が動く姿である。
クラブの闇のなかで与えられる二種類の映像が、嗅覚と合わさって生み出すイメージは、つぎのようなクラブの店名やイヴェント名に見出すことができよう。「womb(子宮)」、「love」、「unit」、「Asia」、「planet」、「world」、「star」、「space」などがそれである。つまりそこには生物学的、性的、地域的、惑星的、宇宙論的と、比喩こそ異なれ、あいまいなひろがりのなかですべてが一体になるユートピアのイメージが現われているのである★二一。闇の中に一瞬浮かびあがる人々は自分の似姿のイメージに、煌々と照らし出された群衆は統一へ向かう集団のイメージへと美化されるのである。
こうしたユートピアは、想像上のものにとどまらない場合もある★二二。しかしそのユートピア的な宥和は、音楽が鳴っているあいだ、あるいはアルコールやドラッグの作用が続くあいだに限られる。つまり、それは持続するイメージではなく、クラブ・ミュージックのテンポに身を委ねたときにのみ見られるイメージなのである。クラブで見られる一体感は、歴史を忘れさせるリズムのなかでのみ実現を見るユートピアであると言えよう。
クラブの中の集団は、ときにDJブースの高みとして物象化される、クラブ・ミュージックが誘う、日常性から遊離した陶酔の高みを目指す。しかしその高みは、自分の分身たちと葛藤もなく一体になるという、どこか不気味なコミュニティが待っている場である。クラブのなかのユートピアのイメージは、東京という都市の、個別性を剥奪した同一化による一挙の統合という、ファシズムの願望が異なったかたちで回帰しつつあることを示しているのだろうか。

実を結ばない性

クラブ・カルチャーは、一般に性的なものと結びつけられることが多い。それは、かつて性的刺激を売る産業が「クラブ」と呼ばれていたことにもよるだろうし、あるいはダンスが伝統的にもってきた性的なものとの関連にもよろう。しかし、クラブ・カルチャーのなかでは、こうした連想からくる通念とはちがったかたちで、性的なことが起こる★二三。
二〇〇二年、『凶気の桜』という映画が公開された。この映画は、渋谷を舞台に「ネオ・トージョー」を名乗り、略奪、暴行、性行為を繰り返す三人の若者が、次第に街の闇に絡めとられ、身を滅ぼしていく小説を原作にしている。映画では、そこに渋谷の街とヒップ・ホップとの連関が加えられる点がユニークである。つまり主人公たちを、渋谷に不釣り合いな白い制服に身を包み、国粋主義的な理論で武装する特異な若者として描く一方で、携帯片手にヒップ・ホップを鳴らしながらRV車で渋谷を流す、日本のクラブ文化によく見られる典型的な若者として描いていたのである。
映画のなかで極端さと平凡さが同居する若者として造形された主人公たちは、その暴力的なあり方とともに、独特な性のあり方が注目される。理論武装したリーダー格の少年は、潔癖性で、ヒップ・ホップが流れるRV車の中で少女と言葉を交わすことくらいしかできない。一方、肉体的鍛錬だけが日常となったもうひとりの少年は、ヘッドホンから流れるヒップ・ホップのリズムにのりながら、攻撃性をむき出しにして、見知らぬ少女に行為を強要する。そこに描かれるのは、街のなかで自己を防衛するため、なにかに偏執的になってしまった少年たちが、機械的なビートにのることで、かろうじて性的衝動の出口をもとうとする様だと言えよう★二四。つまりそこで性愛は経験を共有し、積み重ねていくような関係ではなく、互いを受け容れることなく空間を共にするか、暴力を伴って自慰に等しい行為にふけるかの、孤独な結びつきである。
映画『凶気の桜』の描く光景は、極端に見えるかもしれない。しかし、自分にも相手にも属さないリズムにのって性的なものが現われるクラブの中では、それほどめずらしいものではない。そうした性のあり方は、二者が関係を結ぼうとすれば避けられない不安や葛藤、あるいは得られるかもしれない希望を、その瞬間の刺激として凝集して享受するものである。それは、自分からも相手からも離れた場で営まれるため、なにかを生み出すことのない性的な結びつきである。
クラブの中で性愛は、経験が成熟をもたらす時間性とは異なる、さまざまな過去が刺激として一瞬に凝集する時間性のなかに、現われる。クラブの中のどこかいたましい性は、東京という都市の性愛が、なにも生み出すことのない不妊性の刻印を帯びていることを示しているのかもしれない。

陶酔のなかの覚醒

クラブには、歴史に関わりのないリズムの展開するひろがり、美化されたユートピア、不妊性を運命づけられた性愛が凝集している。こうしたものがつくりだす渦の中で、人々は「トランス」と呼ばれる状態を経験する。それは、自分を覆いつつあった不安な感情が霧消し、周りに対する防衛が解かれて、DJがコントロールするどんな音にも瞬時に反応できる状態を意味する。音量が徐々に絞られれば、体の動きは小刻みになり、音楽がかすかな響きとなれば、遠方に手を伸ばし、音を召還しようと叫び声をあげる。一瞬の沈黙のあと、DJが次の曲を爆発的な音量でカット・インすると、なにかに感謝するような歓声をあげ、新たなビートに瞬時に同調する。
このような陶酔状態に至ると、人々は同じタイミングで、同じように反射的に反応する自分たちを、ある集団として認識するようになる ★二五。それは、どんな新奇なビートにも、どんな微細な変化にも反射的に反応できる、時代の先端、進歩の頂点にいる集団かもしれない★二六。あるいは、音楽が鳴っている限りいつまでも踊り続ける無限の活力に満ちた集団かもしれないし、ダンスという共通の言語をもったコスモポリタンの集団かもしれない★二七。自分を捨て、周りのものへの順応性を極度に高めた人々は、クラブの中で、集団的な覚醒感を覚えると言ってよいだろう。
この覚醒感は、日常を遮断した闇の中で、日常的な意識から引き離す小道具の助けを借りて、デジタル・ミュージックのテンポに同調することでもたらされる。それは、自らの経験性を離れた陶酔のなかでもたらされる覚醒の感覚である。つまりこの覚醒感は、現在という瞬間を、過去をはらんだ重みのある瞬間ととらえ、それなりの時間とエネルギーを使って生きるときにのみ生じる覚醒ではない。それは酔いのなかの活性化状態、あるいは覚醒の夢であると言ってよかろう。
クラブが終わり、外に出た人々は、いつでもだれとでもつながるという携帯電話を握り、あるいは耳にヘッドホンをつけて、あるいはファッションやインテリアを買い集め、あるいは薬物を用いて、集団への帰属感、クラブの覚醒感を日常に引き延ばそうとする★二八。彼らの眼に映るクラブの外の東京という都市は、実現されるべき覚醒になぜか至ろうとしない、できそこないとしてひろがっているのかもしれない。クラブ・カルチャーは、覚醒のファンタスマゴリーである★二九。
クラブの中で見られた覚醒感を日常のなかに引き延ばそうとする努力は、陶酔を深め、目の前の日常から眼を覆い、触れることのできる現在から身を遠ざける。クラブという空間の中で見られた夢は、こうした現在に対する疎外感を媒介に、その空間的な枠を超えて、東京という都市に流出しつつあるのかもしれない。

3|クラブのあとに

クラブあるいはクラブ・ミュージックは、おそらく九〇年代中頃を境に、それ自体がモードであり、新しさであることはやめた★三〇。しかし、その次があったわけではない。ファッションのコレクションがあらゆる文化を消費し尽くし、想像力を枯渇させたのと同様に、クラブ・カルチャーも力を失ったのだ。
このことは、新しさこそが価値であり、自分の経験と関わりなく随意に過去のものを利用できると思いこむモードというあり方が、終わりを迎えつつあることを示しているのでなかろうか。それは同時にモードの先端、新しさの空間としての都市のあり方の終焉も意味しよう。新しさという基準もなく、あらゆる過去がひしめきあう都市のあり方が、課題のように、わたしたちの前にひろがりつつある。


★一──各々が出身地域の代表であることを主張する特性をもつヒップ・ホップシーンをたどると、九〇年代に日本のクラブ・カルチャーがおおよそどのようにひろまっていったか、わかるだろう。
★二──Clubberia-Dance Music Archives.
 URL=http://www.clubberia.com /top.php
★三──Sarah Thornton, Club Culture: Music, Media and Subcultural Capital, Wesleyan University Press, 1996.
★四──こうした観点からの記述は、ヒップ・ホップでは、Jeff Chang and DJ Kool Herc, Can't Stop Won't Stop:  A History of Hip-Hop Generation, St. Martins Press, 2005. デトロイトのテクノ、シカゴのハウスでは、野田努『ブラック・マシン・ミュージック──ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ』(河出書房新社、二〇〇一)が挙げられよう。
★五──イギリスでは、一九八七年に急激な盛り上がりを見せたダンス・カルチャーを、一九六七年の「サマー・オブ・ラブ」の再来という意味で、「ニュー・サマーオブ・ラブ」あるいは「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼んでいる。
★六──クラブ・カルチャーにおいて、東京は世界の都市と共通の平面に置かれている。東京は各国のDJにとってツアーの主要な場所であり、世界でも類を見ないクラブ・レコードの集積地である。あるいは各地で聴衆を踊らせることのできるDJを産出する場所でもあり、遡れば、デトロイト・テクノ誕生の一要素となったYMOや、テクノに視覚的イメージを与えたアニメーション『AKIRA』の想像力を育んだ街でもある。
★七──クラブ・カルチャーの初期には、厳しいドレス・コードが存在し、それぞれの基準で入場が厳しく制限された。
★八──地域的なコミュニティを超えてクラブ・ミュージックがひろがるには、イギリスのアシッド・ハウス・ムーヴメントを経る必要があった。イギリスのDJは、スペインのイビサのクラブでDJが行なっていた、ロックからハウスまで、あらゆるジャンルをミックスする方法を採り入れ、クラブ・ミュージックの魅力を認知させたのである。
★九──実際クラブ・ミュージックにはクラシック音楽から、CM、話し声、街中の喧噪までさまざまな音が使われている。例えば、その雑食性は、のちにNINJA TUNEを創設するCOLDCUT「Say Kids (Wha Time Is It?) 」にひとつの極限を見ることができる。
★一〇──この視点は目下のところ、ジャズ(クラブ・ジャズ)、ロック(デジタル・ロック)、ニュー・ミュージックとよばれる実験的な音楽に顕著に現われている。
★一一──現在、ケージやシュトックハウゼンら音楽と音の境界を問うた現代音楽のアーティストが再び注目されているのも、こうした文脈があるからだろう。
★一二──サラ・ソーントンは、CDを使ってターン・テーブルと同じ効果を上げる、CDJと呼ばれる機器が現在は主要なメディアであると主張する(op.cit., pp.63-64)が、ジェイソン・トインビーが主張するように、今日でもクラブDJには12インチレコードのほうが好まれているように思われる(Jason Toynbee, Making Popular Music: Musicians, Creativity and Institutions, Edward Arnold, 2000. 邦訳=『ポピュラー音楽をつくる──ミュージシャン・創造性・制度』[安田昌弘訳、みすず書房、二〇〇四]三五二頁)。
★一三──徹底的に寸断した音を素材にトラックを組み立てることで名高いDJプレミアは、ここぞという時に、指先を舐めてからレコードをこすっていた。こうしたしぐさは、レーザーが情報を読む滑らかな表面を持つCDでは考えづらい。
★一四──トインビーは、DJの際に見られる触覚的なアプローチは、デジタル機材を使った曲の制作にも見られることを指摘している。詳しくは、トインビー、前掲訳書、二三九─二四一頁を参照。
★一五──例えば、ローランド社製のドラム・マシーン、ベース・シーケンサー、ヤマハ/コルグ社製のキーボード、AKAIのサンプラー、テスコムのレコーダーなどの手軽で比較的安価な機材である。
★一六──ヒップ・ホップとハウスはディスコを挟んだ音楽的バックボーンが、ハウスとテクノはシカゴとデトロイトとの地理近接性による相互浸透性が、ヒップ・ホップとテクノはそれぞれブラック・ミュージックを変容させる触媒としてクラフトワークを見出している点が、それぞれを近づけるのである。
★一七──六〇年代末から八〇年代にかけてのブロンクスに関してはJeff Chang前掲書、七〇年代末のシカゴについてはSean Bidder, Pump up the Volume: A History of House Music, Channel 4 Books, 2001. 、七〇年代から八〇年代中頃のデトロイトに関しては野田努の前掲書が詳しい。
★一八──この設備を、快適さを演出する「アメニティ」と呼ぶこともできよう。クラブの内装、設備の具体的なありようについては、例えば『バー&居酒屋のデザイン』(『別冊商店建築』71、商店建築社、一九九五)に見ることができる。
★一九──クラブでは、ディスコを特徴づけていたダンス・フロア全体を回る光で包みこむミラー・ボールが、ほとんど照明のアクセント程度にしか使われなくなった。
★二〇──クラブは、深夜から明け方の時間に最高潮を迎える。この時間を翌日の昼まで延長しようとする試みが、明け方から始める「アフター・アワーズ」の形態である。
★二一──アメリカの店名には 「Paradise」、「Church」、「Sanctu-ary」 など、キリスト教にかかわるものが多い。
★二二──すでに見たクラブ・ミュージック草創期の諸都市で起こったムーヴメントとしての一体化に加え、八〇年代後半イギリスのアシッド・ハウスムーヴメントで起こったゲイと労働者階級、あるいはフーリガン同士の友愛がある(Simon Reynolds, Energy Flash, Picador, 1998, pp.44-46.)。また東西ドイツ統一後、参加者が数百万の単位にまで膨れあがった「ラブ・パレード」をそこに数え上げることもできよう。
★二三──アメリカやイギリスのクラブについては、さまざまな証言がある。たとえば八〇年代中頃にシカゴにあったクラブ「ミュージック・ボックス」では、巨大なスピーカーが性行為のための場所となり、トイレには枕が置かれてあったという(野田、前掲書、一〇一頁)。
★二四──小説『凶気の桜』のなかで、少年たちの性行為のことを「排泄」と自称させている(ヒキタクニオ『凶気の桜』[新潮社、二〇〇〇/二〇〇二]、一五頁)。
★二五──クラブ・カルチャーにおいては、こうした自らが属する集団を、近代社会では自らの属する集団を指す名称としてあまり使われることのなかった「トライブ(部族)」と呼ぶ傾向がある。ここには新しさと原始的なものの相互浸透がみられる。
★二六──クラブ・ミュージックでは、「new」のつくトラック名やアルバムタイトルがたいへん多い。
★二七──性的なものとの結びつきがとくに強いハウスでは、「energy」、「pump」、「body」、「move」など、活力を連想させる語を用いた曲名がよくみられる。
★二八──八〇年代後半のイギリスのアシッド・ムーヴメントでは、クラブに行ったまま、どこかへ旅立ってしまうという若者たちが見られたという。
★二九──ベンヤミンは『パサージュ論』(X13a)のなかで、「ファンタスマゴリー」という概念を資本主義における商品の物象的性格と照応するもの捉えている(Walter Behjamin, Das Passagen Werk: Gesammelt Schriften Band IV, Suhrkamp, 1983,  p.822)。それは、対象を、歴史を欠いた、ただそこにあるものとして生きることだと言ってよかろう。
★三〇──クラブ・ミュージックのあとに、エレクトロニカとよばれる電子音楽が起こったが、それはさしあたり等間隔のビートをなくしたクラブ・ミュージックか、音色づくりに偏執的になったそれである。

>秋元健太郎(アキモトケンタロウ)

1972年生
東海大学非常勤講師。歴史分析、現代社会論。

>『10+1』 No.39

特集=生きられる東京 都市の経験、都市の時間