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万博と国民国家──「もう一つの万博 ネーション・ステートの彼方へ」のために | 渡辺真也
EXPO and the Nation-State: For the Exhibition"Another Expo-Beyond the Nation-States" | Shinya Watanabe
掲載『10+1』 No.36 (万博の遠近法) pp.116-124

私の目的は、万博の根本原理である国民国家に囚われない、自由な美術展を創造することにある。

万博と国民国家
アメリカの参加が意味するもの

クレオール文学者のモーリス・ロッシュは、一九世紀に始まった万博は、西欧の都市国家から国民国家へ、そして市場経済形成へと近代化していく変遷の過程の産物であったとしている★一。一八七〇年のドイツの統一に代表される国民国家の形成のプロセスの中で、歴史上万博はアンダーソンの言う「想像の共同体」やハバーマスの言う「公共圏」において、ナショナル・カルチャーという概念を作り出す機能をしたという。また彼は、万博はエリートに文化的政治形成、すなわち大衆のまわりに組み立てられつつある新しい政治的、経済的形成に対しての積極的な魅力と忠誠を促進させるものとして提供され、市民権、社会的メンバーシップなどをツーリスト的消費主義と都市コスモポリタニズムの中にもたらしたが、同時に大規模な社会的、階級的、性的、人種的分断をもたらしたと分析している★二。
特にアメリカにおいて万博は歴史的に、国家戦略上のものとして考えられた点が重要である。新しき国家アメリカは、その求心力として強烈なナショナリズムを必要としていた。万博史家のロバート・ライデルは、アメリカは自国の進歩を他の国家と比較する場として、万博を用いたが、万博におけるこういった技術的、そして国家の発展の比較は、科学的人種主義(ソーシャル・ダーウィニズム)へと結び付けられていったと述べ★三、アメリカ知識人、政治家、そしてビジネスマンの間の発展、人種的優越、経済発展におけるヴィジョンのコンセンサスさらにはイデオロギーの生成のために利用されたとしている★四。

それでは、アメリカにおける万博の例を具体的に見ていこう。一八九八年オマハ万博では、ネイティヴ・アメリカンのバンドに「星条旗よ永遠なれ」を演奏させ、また米西戦争の発端となった(アメリカ自身が爆破したとの説もある)メイン号の模型を"Remember the Maine"というメッセージと共に展示した★五[図1]。その次にバッファローで行なわれたパン・アメリカ博では、植民地化したばかりのフィリピンの文物を堂々と展示したが、この二つの博覧会を開いた当時の共和党大統領マッキンリーが、万博は進歩の象徴だ、と演説した矢先、オマハの万博会場で無政府主義者に射殺された史実は興味深い★六。一九〇四年に行なわれたルイジアナ購入一〇〇年記念セントルイス万博では、アフリカからピグミー族が、アルゼンチンからパタゴニアの巨人が、日本からはアイヌが、さらにはジェロニモ周辺のネイティヴ・アメリカンの重要人物と一〇〇〇人にも及ぶフィリピン人が「生きた見世物」として展示された★七。さらに一九二六年に行なわれた独立一五〇年記念フィラデルフィア万博では、クー・クラックス・クランが万博のイヴェントとして集会をし、そこで巨大な十字架を焼くという提案を主催者が受け入れているが、その後黒人の不満が爆発し、結局この企画は見送られた★八。

今回の愛知万博へのアメリカのぎりぎりになっての参加は、万博の深層に眠る国民国家的枠組みを考えるうえで象徴的な出来事である。小泉純一郎が首相に再選され、自衛隊のイラク派兵を決定した直後の二〇〇三年一一月一八日、アメリカ合州国が参加を表明した。冷戦終了後、アメリカはアメリカ的ライフスタイルを世界に宣伝する場としての万博の意義を評価しなくなり、一九八八年にした法律で、国際博覧会条約に基づく国際博覧会への政府資金の支出を禁止しており、二〇〇〇年にドイツのハノーヴァーで開かれた万博も再三の要請にもかかわらず参加を拒否した。しかし今回、ブッシュはイラクおよびテロ対策で、日本の協力を必要としていたのだ。アメリカのユニラテラリズムが行き詰まってきている今、愛知万博参加はアメリカ政府にとって、安く、しかも効果的な国際協力政策推進の象徴としての意味を持っている。
Remember the Maine, Remember Pearl Harbor, Remember September 11とまるでコンドラチェフの周期のごとく、アメリカは約五〇年おきに危機をあおり、戦争を仕掛け、領土を拡大してきた。Remember September 11から派生したイラク戦争は、パールハーバーの国へと帰還し、藤井フミヤ制作のタワーの元で、ツーリスト消費主義とスペクタクルを撒き散らすのだ。

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インターナショナリズムの崩壊と
国民国家の限界

パブロ・ピカソが一九三七年のパリ万博にて《ゲルニカ》を展示したのはスペイン共和国パヴィリオン(人民戦線側)であったが[図2]、そのパヴィリオンのファサードには内戦で戦う戦士の顔と、アサーニャ大統領のメッセージが描かれていた[図3]。またこのパリ万博では、アルベルト・シュペーアが設計した鷹を据えたナチ・パヴィリオンと、労働者のモニュメントを上部に据えたソヴィエト・パヴィリオンがエッフェル塔の前で向かい合っていた★九。
愛知万博の国連パヴィリオンには、ニューヨークの安保理ホールに飾られている《ゲルニカ》の織物の複製を映像化し、展示するという★一〇。この安保理ホールに飾られている《ゲルニカ》は、イラク戦争の直前に国連安全保障理事会前で行なわれたコリン・パウエルのスピーチの際に、青い布で隠されてしまった代物だ★一一。当時、反戦運動で国連ビル前の1stアヴェニューを他のコロンビア大学やニューヨーク大学の学生と封鎖するなど必死だった私は、このニュースを聞いて愕然としたのを覚えている。
わたしが企画する美術展「もう一つの万博」には旧ユーゴのアーティストが二人含まれるが、NATOのユーゴ空爆は私にとってインターナショナリズムの終焉を意味する。ユーゴでは、国連安全保障理事会というインターナショナリズムの最高意思決定機関が何度も空爆の即時停止を発動したにもかかわらず、アメリカ率いるNATOは人道介入を名目に空爆という非対称的でてっとり早い手段に出たのだ。日本はこのNATOの空爆を事実上支持したが、この瞬間、国連を中心としたインターナショナリズムは崩壊し、アメリカがイラク戦争を行なう下地が完成した。さらにイラク戦争では、日本は国連を無視したアメリカを支持している。戦後五〇年以上一貫してきた日本の外交政策、すなわち国連安全保障理事会入り、という原則の目的が崩壊したのだが、さらにはアーミテージ米国務副長官が憲法九条改正を日本の国連安保理常任理事国入りの条件とするなど★一二、日本はアメリカの属国と成り下がった。
一方では、国連の機能麻痺と同時にインターナショナリズムがもろくも崩壊し、スペインでのアスナール政権打倒に見られる左翼テロによる、反アメリカとしてのニューリージョナリズムがヨーロッパで広まっていくことになる。しかし、こういった問題が日本において十分議論されていない感が否めない。
インターナショナリズムの最大組織である国連の枠組みがアメリカと日本自らの手により崩壊してしまった現在、今回の万博のように国民国家のレヴェルで世界について語るだけでは、コロニアリズムの問題から先へ進むことができない。わたしたちが考えなければならないのは、先進国の利権ではなく、国の内部と外部、つまり国益という概念を解体し、さらに二〇世紀後半に表面化したポスト・コロニアリズムとグローバル・キャピタリズムの問題をどう解決していくか、地球規模で考えることではないだろうか。

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日本における万博と私たちの美術展
「もう一つの万博  ネーション・ステートの彼方へ」

昭和一五年に行なわれる予定であった日本万国博覧会(大東亜共栄博覧会)では、戦時中にもかかわらず、「東西両文化の融合」を謳っていた。この万博では秩父宮殿下を総裁とし、入場券には「紀元二千六百年」と記されていた。また、当初の万博予定地には明治天皇の死去に伴い明治神宮が建立されたため、予定地は月島となった。なお、この万博は幻に終わってしまった為、この入場券を持っていた者は大阪万博の入場に利用できたという★一三。
また、大阪万博では、ハンパク・アートが発生したが、大阪万博で太陽の塔にむかって一五メートル疾走したところで機動隊に取り押さえられた全裸男ことダダカンが一九九六年の正月に竹熊健太郎に宛てて「皇紀二千六百年」と書かれた昭和一五年の年賀状を送ったのは興味深い[図4]。ダダが発生したのは第一次世界大戦さなかのスイスであったが、日本のダダと万博史もこんなところでつながってくる★一四。
日本の主催者側は今回の愛・地球博に参加する国のうち、ひとりあたりGNPが二九七五ドルに満たない国には支援金を出すと表明している★一五。「もう一つの万博」に参加するアーティスト、ミリツァ・シモノヴィッチの母国であるセルビア・モンテネグロのひとりあたりのGDPは約一〇二〇ドルであり、同じく旧ユーゴから万博に参加するスロヴェニアの九四四〇ドルの九分の一に満たない。支援金の申し出にもかかわらず、セルビア共和国は今回の万博に参加を表明していないが、これには長引く戦後復興の影響が考えられる。
このように、今回の万博は愛・地球を謳っていながら、戦争や多くの問題を隠蔽している感がある。そこで、わたしは、「もう一つの万博 ネーション・ステートの彼方へ」という美術展を企画し、万博の基盤となっている国民国家への疑問を投げかけているアーティストや、国民国家の構造そのものによって直接的な被害を受けたアーティスト、またグローバル資本主義に対して疑問を抱いているアーティストを集めてみた。この「もう一つの万博」はギャラリー会場での展示と、万博会場内でのゲリラ活動にて完結する。

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照屋勇賢

一九七二年に日本に返還された沖縄にとって、今回の愛知万博は日本の一員として初めて参加する万博である。しかし、沖縄を巡る状態は改善されていないのが現状だ。七三年に沖縄に生まれ、現在ニューヨークで活動しているアーティスト照屋勇賢は、すべてのプロジェクトにおいて、彼が暮らしている環境に対し鋭い洞察力をもってアプローチしている。

 《結ーい、結ーい》[図5]は、二〇〇二年に東京で行なわれたVOCA展にて奨励賞を受賞した作品である。
この混成作品では、照屋氏は伝統工芸として沖縄に伝わる紅型を利用し、着物を作成している。作品をよく見てみると、パラシュートや米軍の戦闘機が、菊の花や水しぶきとともに並行して配置されており、現代の沖縄における政治的緊張と沖縄の伝統を作品のなかで上手く融合しているのがわかる。またジュゴンの周りを飛んでいるヘリコプターは、辺野古に建造される新しいヘリポートが沖縄に今なお生きているジュゴンの生息地域を侵食するのではないかという作者の思いが反映している。
わたしはこの作品のままでは沖縄のナショナリズムが前面に出ることになってしまうのではないか、と危険を感じた。日本やアメリカのナショナリズムにナショナリズムで対抗してしまったら、水掛け論になってしまう。そこで、この「もう一つの万博」では、ネーネーズがカヴァーしたボブ・マーリーの「ノーウーマン・ノークライ」のウチナ口バージョンに合わせ、「結ーい、結ーい」を着た男性ダンサーが琉球舞踊である女踊りを、万博会場内の広場で踊ることにした。ちなみにボブ・マーリーは「ノーウーマン・ノークライ」をパトワ語で歌っているが、標準的な英国語で「ノーウーマン・ノークライ」を理解しようとすると、二重否定になってしまい、意味を持ちえないという構造になっている。つまり、ノーウーマン・ノークライはクレオール言語であるパトワ語で理解した時に初めて「女の子泣かないで」という意味を持ちうるのだ。また、ウチナ口で歌われる「ノーウーマン・ノークライ」は、ウチナンチュー以外には理解できないが、ボブ・マーリーの「ノーウーマン・ノークライ」を歌っている、ということだけは世界規模で理解されるはずである。日本という国家を解体することを、わたしはクレオール的な、そしてどっちつかずの否定的表現を万博の会場内で交差させることで行ないたかった。ダンサーが踊っている間、見物人はただひたすら作品の美しさに息を呑むだろう。しかし、見物人のうちの何人かはこの着物の首の部分に描かれているのが米軍の戦闘機だと気づき、作品の深遠さを理解することになる。

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旧ユーゴより
セイラ・カメリッチ、ミリツァ・シモノヴィッチ

また、「もう一つの万博」には二人の旧ユーゴスラヴィアの女性アーティストが参加する。ひとりはサラエヴォ出身のボスニアン・ムスリムのセイラ・カメリッチ、もうひとりはベオグラード出身のセルビア人のミリツァ・シモノヴィッチだ。一九九〇年代のユーゴスラヴィアほど、国民国家の枠組みの問題に直面した地域はないだろう。ボスニア紛争はとても複雑な戦争であり、左翼知識人の間でもボスニア紛争は内戦かどうかで議論が割れる程であった。この二七歳になる二人の女性は、同じ戦争における国民国家の問題を捉えている。ユーゴスラヴィアについて考えることは、ポスト国民国家の世界について考えるヒントを与えてくれる。
セルビア軍によるサラエヴォ包囲を経験したセイラ・カメリッチは、「スレブレニツァの悲劇」をテーマに作品を作っている。残念なことに、セイラ・カメリッチは父親をボスニア紛争で亡くしているが、戦争問題の難しさに直面した多くのアーティストは、ナショナリストになってしまったり、またアドルノが言ったように本当に作品を作ることを辞めてしまっていた。しかし、多くの男性アーティストが作品作りの困難さに直面している間に、カメリッチはそのトラウマを自らを被写体とした美しい作品《Bosnian Girl》[図6]へと軽やかに昇華してみせる。

一九九三年の春、国連はムスリムのために六つの安全地域、すなわち国連平和維持軍が保護を担当する町を設立した。これらの町はサラエヴォ、ビハチ、ツズラ、ゴラジデ、スレブレニツァとゼパであった。一九九五年五月、再開されたセルビア側によるサラエヴォ空爆は、NATOによるセルビア軍への空爆という報復に遭う。その後、セルビア側は三五〇人以上の国連平和維持軍の兵隊を人質に取るが、彼らは長期間の交渉の末、解放される。七月にはセルビア軍はスレブレニツァとゼパを侵略するが、スレブレニツァにおいては、セルビア軍はNATOの空爆援護を求める(この時、空爆は実現しなかった)四五〇人のオランダ兵の目の前で、約七〇〇〇人のムスリム男性や子供などを虐殺した。この事件以降、国連とNATOはこういった事件が発生した際に、紛争を終わらせるためにより力に頼った解決を選択していくことになる。この作品《Bosnian Girl》は「スレブレニツァの悲劇」をモチーフとしたパブリック・アート・プロジェクトであり、このイメージはこのように雑誌や新聞に掲載され、またポストカードとして町に出回る。
一方、セルビアのカウンターカルチャーに浸り続けたミリツァ・シモノヴィッチは、パンクロッカーの仲間をミロシェヴィッチの体制側に殺されている。その後、精神的疾患や大手術を潜り抜けたシモノヴィッチは、NATO空爆をテーマにした作品《NATO Air》[図7]を制作する。
この作品は三つのプラスチックバッグとNATOが空爆の際に新ユーゴスラヴィア(現在のセルビア・モンテネグロ)に空中から散布したビラによって成立している。NATO軍は三〇〇〇〜五〇〇〇発の劣化ウラン弾をセルビア南部とモンテネグロに投下したが、NATOが劣化ウラン弾を使用した地域では兵士や地元の市民が被爆し、白血病や癌などの発症が報告されている。シモノヴィッチはNATOの空爆がある度に現地を訪れ、空爆を受けた地域の空気を採取していた。この閉じ込められた空気の中にはウラニウムが含まれている可能性があるが、ウラニウムは目に見えないため、わたしたちにはこの空気が本当に安全なものなのかどうか見分けることができない。また、NATOは空爆開始時に、巡航ミサイルの命中率を九九・六パーセントと公式発表したが、『ニューズウィーク』が行なった調査の結果、実際はNATOの公式発表の一〇分の一の確率であったことが暴露されている。

6 セイラ・カメリッチ《ボスニアン・ガール》2003 落書き「歯がない? ヒゲ面?ウンコくさい?それってボスニアン・ガールだ!」は、あるオランダ人兵士によって94年から95年にかけてスレブレニツァ地方のポトツァリにある兵舎の壁に書かれたものです。オランダ王室陸軍は、国連平和維持軍UNPROFORの一部として、1992年から1995年まで、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ安全地帯の保護を任されていました。

6 セイラ・カメリッチ《ボスニアン・ガール》2003 落書き「歯がない? ヒゲ面?ウンコくさい?それってボスニアン・ガールだ!」は、あるオランダ人兵士によって94年から95年にかけてスレブレニツァ地方のポトツァリにある兵舎の壁に書かれたものです。オランダ王室陸軍は、国連平和維持軍UNPROFORの一部として、1992年から1995年まで、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ安全地帯の保護を任されていました。

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柴田ジュン

六年間に及ぶベルリンでのアーティスト活動を終えて日本へ帰ってきた柴田ジュンは、一貫して目に見えないもの、霊的なものを作品のテーマにしているアーティストである。今回、彼が制作するのは、アメリカ合州国の工作によって消されようとしている太平洋に浮かぶ小さな島、ナウル共和国の「もう一つの万博」のためのパヴィリオンである。
ナウル共和国は、太平洋の赤道の南に位置する小さな島国であり、五八パーセントのナウル人を含む約一万二千人の人間が暮らしていた。ナウルは一九八〇年代半ばにはリンの輸出により、国民の平均年収は五〇〇万円にまで上昇、世界でもっともひとりあたりの収入の高い国のひとつとなった。また実際の労働は外国からの労働者によって成立しており、島民は鉱山による収入を配分されていたので、職業は公務員か無職がほとんどという国であった。しかし、このリン鉱山が一九九九年あたりで枯渇するという困難な状況に直面した。
国からの配当がなくなった国民たちは、新しい収入を得るために産業育成をしたのだが、そこで取り組んだのが金融であった。しかし、まったくの素人集団がやろうとした金融業は、結局はロシア・マフィアやテロリストたちのマネーロンダリングに利用され、また見通しが甘かった故、国は事実上の破産にまで追い込まれていく。さらに国はお金を払えばほぼ無審査でパスポートを交付していたのだが、これがテロリストたちに利用され、アメリカなどで捕まるテロリストのほとんどがこのナウル共和国のパスポートを所持していたという結果を招いた。さらにオーストラリアはアフガニスタンからの難民を、借金の肩代りにナウル共和国に押し付けるなど、まさにやりたい放題。小さな島が難民で溢れかえってしまった。
アメリカには、イラクを攻略する前にテロリストの資金の流れを止めて活動に制限を与えるという裏の戦略があった。そのため、まずFBIが今年の初め頃からナウル共和国の電話回線を破壊。また船舶、航空などの交通手段をすべて破壊または借金などの理由で差し押さえた。このことによりナウル共和国は二〇〇三年の一月初旬から数カ月にわたり完全な孤島となり、一切の連絡が途絶える。丁度その頃オーストラリアの電話会社が電話網の修理のためにナウルに向かったのだが、衛星電話をもっているのにもかかわらず、その後連絡がとれなくなっている★一六。さらに時を同じくしてナウル共和国大統領が心臓病の治療のためにアメリカに亡命するのだが、直後の二月頃には突然死亡。国家元首すら消えてしまった。
島国で食料の大半を輸入にたよっていた国であるナウルはどうなったかというと、未確認情報だが、大統領官邸が焼き払われたり、難民たちが暴動を起こすなどの地獄絵図が展開していた模様である。つまり、イラク戦争が始まる前に、もうナウルにおいて戦争は始まっていたのだ。
ナウル共和国パヴィリオンは、食べ物、特産品、現地通貨などナウル共和国ゆかりの品を展示する。またイングランド、ドイツの統治時代の写真や、日本の占領時代の写真、アメリカによる第二次世界大戦中の空爆の様子[図8]、さらにはナウル原住民による不発弾処理の様子などの写真展も予定されている。なお、ナウル共和国パヴィリオンは改造バンの後部で展示を行なうが、この改造バンを利用し、万博会場の駐車場、または周辺の駐車場でのゲリラ展示を予定している。

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イネス・パイス

リスボン出身のイネス・パイスは、フランスとドイツで教育を受け、ベルリンとリスボンにてアーティストとして活動しているまさにユーロ統合の時代を感じさせるアーティストだ。彼女の代表作は、「チクアニア」と呼ばれる想像上の国家を作るという、イメージすることがすべての存在の一部であることを証明しようとするプロジェクトだ[図9]。彼女は世界を旅していく過程で、他者と出会い、そこで個人的な面、そして文化、社会的な面において、自身の能力の限界と新しい地平が開けていくのを感じたと言う。
彼女は道中、誰も彼女の名前を覚えられないにもかかわらず、皆が彼女をポルトガル人として記憶していることに驚き、そして苛立つ。国籍というのは、未だに何らかの共同幻想を強化する方法として使われているのだ。しかし、彼女の興味は、国籍というのはそんなに重要な問題なのか、そして、どうして国籍を尋ねるのが名前を聞くのと同じくらいありふれた質問になってしまったか、ということである。その時わたしたちは、他者が自身をカテゴライズするという事態に対抗する可能性を持っていないのだろうか、またわたしたちはわたしたちの国籍に対する自立性を断言できないのだろうか?

チクアニアはIPファンデーションによって作られた想像上の国です。それは全個人のユニークさ、そして全個人のある程度のプライバシーを象徴化します。チクアニアには形がありません。それは自由な場所なのです。それは中立であり、中立であり続けるはずです。それはどんな国にも位置しており、話されている言葉はあなたの母語です。それはそれを知っているすべての人に属しています。だれでも皆、個人的な経験、好み、恐怖や彼ら自身の個人的なヴィジョンにおいてチクアニアと関係することができます。チクアニアはまた歴史、習慣、家族の態度、氏族、文化などとリンクしたままどれだけ個人は独立したアイデンティティを宿すことで自由になるか、という心理学的、文化人類学的なリサーチの手段でもあります。


とイネス・パイスは語る★一七。

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勝間陵駕

参加アーティストの勝間陵賀氏は異色の経験を持つ画家である。故郷の高知県片島から家出をした当時まだ十代の勝間氏は、大阪の路上でホームレスとして生活し始めたのだが、飯を食うお金すらなかった。そこで彼は、どうやったら収入を得て生き延びることができるのかを真剣に考えた末、ペンとノートブックを手にいれて、通行人の似顔絵を書き始めることになる。当初、彼のドローイングはひどいものだったのだが、通行人は勝間氏のキャラクターにひかれ、彼の作品を買ったり、食事をあげたりしはじめた。次第に彼もドローイングが楽しくなり、その時からプロの画家を志し始める。
この「もう一つの万博」では、勝間氏が展示会場に住み、訪問者の似顔絵を描く。もしも訪問者が勝間氏のドローイング[図10]を気に入ったのなら、彼らはドローイングと交換にアーティストに食べ物をあげなければならない。また、例えば勝間氏がシャンプーを切らしているのなら、アーティストはドローイングと交換にシャンプーを要求するだろう。展示期間中、勝間氏はお店で何かを買ったりするなどの個人的な出費を一切してはならない。このプロジェクトでは、勝間氏は彼のドローイングのテクニックと物乞いのテクニックだけで暮らしていくのだ。ホームレスやグローバル・キャピタリズムについて語ったアート作品がつまらないもので終わってしまっている今日に、ホームレスやトヨタの工場での組み立て作業を経験してきた勝間氏が制作するドローイングやペインティングには、特別のエネルギーが込められている。

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★一──Maurice Roche, Mega-Events Modernity: Olym-pics and Expos in the Growth of Global Culture, Routledge, London, 2000, p.27.
★二──Maurice Roche, p.71.
★三──Robert W Rydell, All the World's a Fair: Visions of Empire at American International Expositions, 1876-1916, University of Chicago Press, 1984, p.5.
★四──Robert W Rydell, p.8.
★五──Robert W Rydell, pp.108-114.
★六──Robert W Rydell, p.46.
★七──Robert W Rydell, p.163.
★八──Maurice Roche, p.86.
★九──Erik Mattie, World's Fairs, Princeton Architectural Press, New York 1998, p.184.
★一〇──愛知万博の国連パヴィリオン。『読売新聞』二〇〇四年七月二二日。
★一一──U.N. Security Council Anti-War Mural Hidden - covered-up for Powell speech, by T. Reason Thursday February 06, 2003 SF Indymedia.org.
★一二──平田崇浩、中澤雄大「アーミテージ発言」国連戦略に衝撃 改憲押し付けに反発も」(『毎日新聞』二〇〇四年七月二二日)。
★一三──串間努『まぼろし万国博覧会』(小学館、一九九八)三三頁。
★一四──竹熊健太郎『箆棒な人々──戦後サブカルチャー偉人伝』(太田出版、一九九八)三二一頁。
★一五──Aichi expo organizer to support nations from 3rd world NAGOYA, July 24, Japan Economic Newswire.
★一六──Nauru loses contact with the world, BBC News, February 21, 2003.
★一七──"Ines Pais: Chixuania" Vector>>> Virose. December, 2003.
http://www.virose.pt/vector/

>渡辺真也(ワタナベシンヤ)

1980年生
インディペンデント・キュレーター。

>『10+1』 No.36

特集=万博の遠近法