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虚体バンクとしての路地──課題「軒切りサバイバルハウス」で見えてきたもの | 中谷礼仁
The Possibility of the Passageway in the Results of the "Noki-Giri Survival House" Challenge | Nakatani Norihito
掲載『10+1』 No.34 (街路, 2004年03月発行) pp.113-118

「軒切り」という言葉を耳にして、どういうイメージを抱かれるだろうか。筆者自身の場合は、近代大阪の都市計画事業を調べているときに初めて知った言葉なのであった。それはどうやら、市電の敷設や道路の拡幅事業に伴う家屋正面の削減や後退のことを意味していたらしい。それら事業の激しかった大正時代に、街中から自然に生まれた言葉であったという。なるほどそこには、家がギリギリとギロチンにかけられていくかのような、生理的な圧迫感がつきまとっている。自分の家の正面が切られていく様子を見て、誰ともなくそうつぶやいたのであろう。
さて、軒切り(=道路拡幅事業)が近代都市の家屋、建築デザインに与えた影響はかなり大きかったと推測される。というのも、大阪のみならず、各地の多少なりとも歴史のある大都市を歩いていると、軒切りと同じような行為が働いた街並みをよく目にするからである。たとえば家が正面道路に対して、その奥行きが角度を傾けて延びている場合がある。ちょうど上から見ると、敷地、建物のかたちが台形になっているのである。もとの長方形の敷地が、角度の異なった計画道路の敷設によって間口面を斜めに切られたのだ。通りに面した敷地がほとんどそういう場合もある。あるいは大通りに面して、ほとんど奥行きのない刃先のような平面を持った商店が我慢比べのように残っている場合もある。これらのような事例はまず十中八九、「軒切り」が原因である。ここまできて、読者の方にもピンとくるものがあったであろう。軒切りは現在の都市内部において散見される、いびつな敷地(ヘタ地)が発生した主要因のひとつなのである[図1]。つまり軒切りこそ、不調和でノイズだらけの日本の現代都市を象徴するかのような建物のたたずまいを生んだものなのである。それは近代以前においてはさまざまな都市的要素がそれなりに調和的に計画されてきたところに、市電や車道などの全く未知の要素がほとんど強引に割り込んでしまった状態と考えればわかりやすいであろう。その結果のほとんどは、見事なぐらい殺伐とした街並みを作り出すことに成功した。特に大道路の両側隅に、全く不釣り合いに小さいスケールのみすぼらしい家屋がぽつんと残っているような例が象徴的であろう。以前の道路を媒介として両側の街で保たれてきたコミュニティもとっくの昔に消散しており、あとは取り壊しを待つのみのような状態である。
しかしなかには、そのような不調和を受け入れながら、まれに、なんとも言いようのない魅力的なランダムさを醸し出している場合がある。不調和を前提とした、新しいピクチャレスクな風景(別種の調和状態)を作り出すことは、おそらくデザイナーにとっては魅力的なテーマのひとつであろう。ではこのような万にひとつの積極的な状態は、一体どのようなパラメーターを設定した場合に起こりやすく、またそれはいかなる要素が活躍することによって達成されるのであろうか。それを見極めたくなってしまうのは人情というものだろう。軒切りという設計以前の前提問題を意識的に扱うことで、それを検討してみようと思ったのが、大阪市立大学建築学科の設計演習課題「軒切りサバイバルハウス」であった。建築設計教育を開始したてのまだ「うぶ」な建築学科の三年生を対象として、彼らが軒切りという困難な条件にどう対処するかを見ようとしたのである。筆者は実は、軒切りに伴って街区コミュニティ全体がじわっと移動して生き残った事例を調査済みであった。当時の市井の人々の営為のように、彼らが学科学生以前に街に生息する人間として、このような問題に回答を出せるかどうかも、きちんと見極めておきたかったのである。

1——ヘタ地の例 出典=映画「軒切りサバイバルハウス」より

1——ヘタ地の例 出典=映画「軒切りサバイバルハウス」より

課題の説明

以下がその課題の概要である。なお指導にあたっては、「環境ノイズエレメント」の提唱者である宮本佳明氏を協力講師に得た★一 。

はじめに
大阪は古くから続く都市である。昔の都市のかたちの上に、時代とともに新しいかたちが付け加えられてきた。その新しいかたちとこれまでのかたちが、たまに大きな矛盾を引き起こすときがある。
計画道路はその一つである。これまで住んでいた街区に新しく車を通すための道路が引かれることになった。もちろんそこに住んでいた人は移動を余儀なくさせられる。
しかしもし、その人があくまでもここに住みつづけたいと願ったら、昔から同じ街で住んでいたあなたたちは、どうやってこの難問をみんなで解決するだろうか。これが軒切りサバイバルハウスである。

大条件
既存街区に新しい計画道路が引かれるという与件で、その街区に住んでいた人々が、一人も移転することなく、快適に、仲良く暮らせる街区の計画方法ならびに各自の家を造る。
・街区ごとのサバイバル方法の提示(チーム全体で)
・各自の住まい
を提示しなさい。
*三チームに別れ、与条件が異なっている。
*敷地は架空のものとするが、大阪の都市の代表的な地割を踏襲している[図2]。

チーム決め(自らが所属する街区とそこでの位置決定)と各街区の与条件
・チーム決めはくじ引きとする[図3]。
・計画道路にのった人は、当面は土地がないか削られる。みんなに理解を求め土地を獲得しなければならない。
・自分の土地を削られなかった人は、彼に理解を示しつつ、なるべく自分の資産である土地を温存させねばならない。
・不在地主(演習放棄者)の場所はそのままにしなくてはならない。公園などでの利用は可とする。
・道路(路地含む)に建物を建ててはならない。
・T.A.がその街区の町会長、議長、進行役である。


各街区はいずれも計画道路が通ることは同じであるが、街区Bは街のほぼ真ん中が分断されるという、一体のコミュニティを保持するには難しい条件となった点が異なっている。
また各街区にはサブ・パラメーターとして、隣地間で約一メートル離れていないと開口部設置不可という協定(めくら壁禁止)(街区A)、街区全体で学生下宿を経営する協定(街区B)、以前の長屋形式の裏庭を保全する協定(街区C)という、互いに異なる与条件を付け加えておいた。

2——全体敷地図 S=1/600

2——全体敷地図 S=1/600

3——チーム決めくじ引き 出典=映画「軒切りサバイバルハウス」より

3——チーム決めくじ引き
出典=映画「軒切りサバイバルハウス」より

その結果

苦節約一カ月半後に彼らから提案された計三街区は、結果としてそれぞれにまったく異なったかたちを獲得していた。
街区Aは、かなり入り組んだ配置計画を伴ったイスラム都市を彷彿させる中庭型住宅の集積となった[図4]。全体の配置計画は成員間のコンペとなり、もとの敷地割りの角度と斜めに通る計画道路から導き出される角度を重層させた案が基本となった。これに以前の各戸の位置、面積配分を加味して新敷地が決定されたという。また中庭は各戸にあるのではなく、面する二戸の壁面のくぼみを合わせて中庭状にしたものである。これは敷地一杯に建物を建てつつなお「めくら壁禁止」というサブ・パラメーターを遵守しようとしたときに出てきた苦肉の策らしい。
街区Bは、端的に言って成員間の共同作業に失敗し、それぞれが対象街区全体を用いた集合住宅建設案の提示になってしまった[図5]。各成員の説明によれば、コミュニティのちょうど真ん中が計画道路によって分断されてしまっては、もはやいかなる方法においても、昔の雰囲気を継承するのはナンセンスであったということである。ただしそれぞれの案においては計画道路を両側の学生下宿の疑似的コリドーとして取り込むような操作がなされ、それなりの一体感は達成されていた。ただしそれはすべてをリセットしたうえでである。
街区Cは、各戸の裏庭を保全するのみならず塀をすべて取り払い、視覚上は全体としての公共性を持たせるという協定を新たに追加していた[図6]。これによって街区の真ん中に太い緑地帯が縦断し、その結果計画道路が逆に裏路地のような存在として相対化されてしまったような逆転現象をもたらしていた。
さて、これらの結果からどのようなことを学ぶべきだろうか。さまざまなことを引き出せそうであるが、基本的なことからいくつか挙げてみたい。
第一にこれらの各街区の差異が予想以上のものであったことである。それらの要因には、サブ・パラメーターが大きく働いたことは明らかなことである。しかしながら人間はモルモットではない。このような多様性が生み出されたのは単なる与条件の差異のみならず、その困難な条件に際しての成員側の反応の経路の違いが大きいはずである。それらは偶然を伴い、また恣意的でもあるが、それがかたちとして成立したときには、事後的に妥当性を持ち始めるのである。おそらく解はさらにいくつもあったはずである。
また最終案の全体を見てみると、街区Bの「破綻」(あくまでも与条件に対してであり、できた成果には優れた提案力を持つものがあった)からは、コミュニティが自然に保たれるうえでのかたちの限界が見て取れるだろう[図7]。
そしていちばん興味深かったのは、ほぼ条件設定が同じの街区Aと街区Cとの結果上の大きな相違であった。

4——街区A。イスラム都市のような中庭型住居の集積

4——街区A。イスラム都市のような中庭型住居の集積

5——街区B。集合住宅案が提案された(米田沙知子案)

5——街区B。集合住宅案が提案された(米田沙知子案)

6——街区C。道・庭・建物がはっきりと分かれている

6——街区C。道・庭・建物がはっきりと分かれている

7——最終案全体図。各街区の違いが歴然と見てとれる(奥から街区A、B、C)

7——最終案全体図。各街区の違いが歴然と見てとれる(奥から街区A、B、C)

道路と路地

まずは街区Cを見てみよう。前述したように、彼らの解決法は実現性もあり、かつ裏庭の共有化によって今まで潜在していた緩衝帯をうかび上がらせていたことは評価点だろう。しかしながらでき上がった街並みは、デザイナーが腕を競った住宅博覧会のように妙にしらじらしいものとなっている。これはなぜだろうか。おそらくそれは共有化された裏庭と各戸の単一的な関係性に求められる。きちっとした意味、機能を付与されたもと裏庭は、実はここで計画道路と同じようなきわめて単一的な存在になってしまっている。そしてきれいに分節化された各戸の敷地も同じように単なる「敷地」なのである。この関係においてはいくら住宅のデザインを頑張っても、個別的ヴァリエーションとしてのデザインにしかならなさそうである。
それに比べて街区Aの展開力は、出題者も予想しなかった状態になっていた。コンペで選ばれた基本配置計画案(宮本治君による)[図8]の力もあるが、のみならず各戸のデザインの過程では、隣と境界線を調整したり、空間をトレードしたり、はたまた各階をシェアしたりと、さらに展開していったようである。おそらくこのような詳細に至るまでも、かたちの規定を左右するようなコードが街区Aのプロセスには潜在しており、それが成員間の設計能力を必要以上に刺激したようなのである。おそらくそれが、出題者の知りたい興味の中心であったような気がする。
それは何であったのだろうか。それは本誌No.32「都市はたたる」で提出した試論「先行形態論ノート」における「弱い土地」の存在であったと、事後的には総括できそうな気がする。つまり先に規定されたかたちの余白(それは路地で象徴される)が持つ、その時点以降のデザイン行為への働きかけ能力の存在である。
つまり街区Cにおけるもと裏庭は、共有庭という密実な機能を持った物体に転化してしまった。それは実体性を持ってはいないが建物が建っていることと同じである。これは車を通す道としての計画道路も同じことである。ここでは道は道、庭は庭、建物は建物なのである。その関係のあり方はかなり厳密に固定的である。
一方で街区Aを見てみよう。ここに現われた裏道は、そのような単一な機能を持っていないのである。それは二重の配置計画、そのうえめくら壁を回避するための仕方なく設置された中庭様のヴォイドが重なってでき上がった偶発的なかたちなのである。その意味で街区Cの共有庭とは全く異なっている。その細い道のようなものは、自らの機能は定まりえず、宮本佳明の言葉を用いれば、すべては他者からの転写、その重なりあいによって消極的に規定された空白なのである。それは明確な単一の意味を与えられてはおらず、今から、たとえばそこに隣接する人間との要求関係によってその用法が定められるのだ。この非—道としての経路を路地というのだ[図9・10]。
つまり路地は、つねに近傍者にその意味の非実在によって、容易にそのかたちの転写をうながす虚体のかたちバンクなのである。この見えないバンクがおそらく成員間のデザインプロセスを細かいところにまで導いていったものと推測されるのであった。

「軒切りサバイバルハウス」の概要は、「軒切りサバイバルハウス・ザ・ムービー」として学生の有志によって映画化された。その短縮版は、大阪市立大学中谷ゼミナールのホームページからダウンロードできる。
http://harch.arch.eng.osaka-cu.ac.jp/~design/nakatani/


★一——二〇〇三設計演習=住宅の設計「軒切りサバイバルハウス」(二〇〇三年四月一〇日)。担当=中谷礼仁、宮本佳明(大阪芸大)、T.A.=岡田愛、福島ちあき、前川歩(中谷ゼミナール)。

8——街区A敷地割図 左:もとの敷地の境界線の上に、それにあわせたグリッドと、計画道路にあわせたグリッドを重ねあわせる 中:1階平面敷地割図 右:2、3階の区画割図。度重なるコンバートの結果、敷地割とずれている。ハッチ部分は採光、通風用の中庭部

8——街区A敷地割図
左:もとの敷地の境界線の上に、それにあわせたグリッドと、計画道路にあわせたグリッドを重ねあわせる
中:1階平面敷地割図
右:2、3階の区画割図。度重なるコンバートの結果、敷地割とずれている。ハッチ部分は採光、通風用の中庭部


9——不在地主の土地が 非合法的な公園にかわった例

9——不在地主の土地が
非合法的な公園にかわった例

10——不規則に現われる街区Aの中庭群

10——不規則に現われる街区Aの中庭群

>中谷礼仁(ナカタニ・ノリヒト)

1965年生
早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。歴史工学家。

>『10+1』 No.34

特集=街路

>宮本佳明(ミヤモト・カツヒロ)

1961年 -
建築家。宮本佳明建築設計事務所主宰、大阪市立大学大学院建築都市系専攻兼都市研究プラザ教授。