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Where the Streets Have No Name | 石川初
Where the Streets Have No Name | Ishikawa Hajime
掲載『10+1』 No.34 (街路) pp.86-88

失われた街路の名

よく言われることだが、街路の名前がそのまま住所になっている欧米の都市地図は、基本的に「ストリート・マップ」である。多くの市販の地図には、すべての街路・道路の名前が記載され、欄外にはしばしば街路の名前の一覧があり、地図は「街路の関係を参照するインデックス」として使えるようになっている。一方、日本の都市地図は、土地の区画が色分けされた、いわば「ゾーン・スポット・マップ」である。街路の名前がない代わりに、位置関係を把握するための目標となる大きな施設や公園、交差点の名が細かく書き込まれている。街を歩くとき、位置を特定するためには行政区画はほとんど役に立たない。だから精度を上げた親切な地図ほど、実際の街の形状を正確にトレースしようとして、航空写真に似てくる。
「この都会の道路には、名前がない」と、かつてロラン・バルト氏を驚かせた(というか喜ばせた)この事態はしかし、伝統的なものではない。江戸の切絵図を見ると、地区の名前のなかった武家地などには、坂や通りの名が割と細かく記載されているし、町人の住む地区ではそれぞれの「町」が通りを挟んでまとまっていて、町の名がそのまま「通りの名」として通用したことを窺わせる。たとえば、一八三○年代に発行された『東都歳時記』には神田明神の祭礼の「道筋」が記載されているが、「湯島横町坂を下り、神田旅籠町・仲町・加賀原の通り、筋違橋御門を入りて、須田町・新石町左へ、同町と鍋町の間、馬の鞍横町を直に紺屋町三丁目代地より左へ曲がり、九軒町より引き返して平永町へ入り……」と、ほとんど町名の羅列である。
いま、似たようなルートを説明しようとすると「本郷通りを都心方向へ、二つ目の信号を左に曲がって万世橋を渡り、最初の信号を右へ曲がってJRのガードをくぐり、首都高と交差するあたりで引き返し……」という、苦しくも無粋なディレクションになる。これが「独特のエクリチュール」かどうかはともかく、たしかに日本の都市における「移動を伴う位置の特定」には独特の語り口が必要ではある。
現在の町名が道行きに使えないのは、住居表示法によって、区画単位が街区方式になっているためである。昭和三七年に施行されたこの法律は、「合理的な区域」と「できるだけ読みやすく、かつ、簡明な名称」を目指し、町界の引き直しが行なわれ、町名が統廃合された。住居表示法には、道路に面した建物に番号を振り分ける「道路方式」も提示されていたのだが、東京都も含めてほとんどの自治体は「街区方式」を採用した。これには、地名そのものの簡略化と、当時進められつつあった市町村のデータの電算処理のために、住区の単位を揃えたいという事情もあったようだ。このため、多くの街区は似たような大きさのブロックに区分けされ、街路は街区の「境界線」、オフィシャルな空白となった。
街区方式による町界の変更は、農村の圃場整備に似ている。土地の面の量を均等に割り付け、連番を付するのは、「土地の広がりが何かを生産する」という、農地の発想である。農地では、道(農道や用水路)はあくまでユーティリティである。もともと、住居表示以前に住所として利用されていた「地番」は、明治初期に新政府の税収基盤のために、土地の所有区分を明確にする目的で戸籍制度とともに行なわれた地租改正以来のシステムであった。未熟なタクシーの運転手に行き先を説くとき、私たちは、農地の論理を都市の道行きに翻訳しているのである。

生きている街路の名

地名と境界の改変は全国で行なわれ、大阪や名古屋、博多など伝統的な街の、おびただしい「街路的町名」が失われたが、ほとんど例外的に、街路の名前が公然と生きている都市がある。それは京都である。
住居表示法のコンセプトを無視して、京都市は五○○○を超える細かい町名を現存させている(京都府全体の町名数の半数が京都市内にあるという)が、郵便物の表書きには通常、「通りの名」が使われる。たとえば京都市役所の「住所」は「京都市中京区寺町通御池上る」と書かれている。これは「寺町通りと御池通りの交差点を北上せよ」という、ディレクションである。相対的な方角だから、同じ位置を特定するために、違う交差点を選んで「押小路御池下る」とか「河原町御池西入る」と表記することも原理としては可能であるし(実際にどういう基準で最寄りの交差点が選ばれるのかは知らないが)、逆に、ひとつの交差点はいくつもの「住所」の可能性を抱える。「河原町三条」という交差点が関係する「住所」には、「河原町通三条上る」から「河原町通三条一筋目上る東入」まで、二○種類がある。Yahoo!の住所・郵便番号検索は、律儀にもこの京都独特の「住所」を網羅しているため、検索すると京都市内だけで一万二八一五件をヒットする。
煩雑にも見えるこの「住所」のシステムはしかし、実際に京都の街に身を置いてみると、違和感がない。街にいるとき、私たちは常に移動している。街で、私たちが欲するのは、自分がどこにいて、どこに向かっているか、という実感である。この「固有名詞をもった座標系」は、その場所が「固有」のものである、という認知が、そこに住む人や訪れる人に共有されていることを示している。街路の名によって私たちは、現在位置の取得の容易さばかりではなく(そんなのはGPSで充分である)、地図上の位置と、自分が身を置いているその場所とを接続して、街への共感の回路を手に入れる。
「空白」である東京の街路が、しばしば「命名」されることで「魅力的な場所」のしるしを打たれるのはおそらくこのためである。特に、街路に人々が溢れていることが利益に結びつく商業施設や商工会と、実施する事業が正しいものであることを喧伝する必要のある自治体が熱心である。彼らは往々にして、街路が自然に呼び名を獲得するまで待ってくれない。
たとえば渋谷の「公園通り」や「スペイン坂」の命名が、西武による、街のイメージを喚起するためのマーケティングであったことはよく知られている。渋谷区役所のウェブサイトには二○あまりの「街路の名」が記載されているが、そのなかには、道玄坂、宮益坂、といった「伝統的な」名前以外に、「ハンズ通り」とか、「ファイヤー通り」、「プチ公園通り」、「無国籍通り」といった思わせぶりな名前が並んでいる。六本木ヒルズの「六本木けやき坂通り」という比較的穏当なネーミングは長持ちがしそうな感じもするけれども、自由が丘の「マリ・クレール通り」、「カトレア通り」というようなアグレッシヴな名前に接すると、「駅の南にある、あのマリ・クレール通りと呼ばれているらしい路の……」と、これはこれで実感と乖離した「独特のエクリチュール」の要請がありそうだ。
自治体はしばしば「市民に親しまれ、誰からも愛される道路にすることを目指し」て道路の「愛称」を募集し、「けやき通り」とか「こぶし通り」(いずれも小平市)というような命名を行なう。新宿の都庁の第一本庁舎と第二本庁舎の間を通る道路には「ふれあい通り」という名前がついているが、高層ビルに挟まれた、立体交差する四車線道路を誰もそんな名前で呼ばないだろうし、命名する側も「ふれあい」の生成なんて期待はしていないに違いない。
     (図版協力:酒井直子)


参考資料
竹山実『街路の意味』(SD選書、一九七七)。
イーフー・トゥアン『空間の経験』(山本浩訳、ちくま学芸文庫、一九九三)。
ロラン・バルト『表徴の帝国』(宗左近訳、ちくま学芸文庫、一九九六)。
篭瀬良明『地図読解入門』二〇〇〇年増補版(古今書院、二〇〇〇)。
斎藤月岑編著、市古夏生+鈴木健一校訂『新訂東都歳時記』(ちくま学芸文庫、二〇〇一)。
今尾恵介『地名の謎』(新潮社、二〇〇一)。



1——神宮前1丁目

1——神宮前1丁目

2——赤坂通り

2——赤坂通り

3——山王下付近

3——山王下付近

4——GPS: GARMIN eTrex (WGS84)

4——GPS: GARMIN eTrex (WGS84)

5——一ツ木通り

5——一ツ木通り

6——竹下通り

6——竹下通り

7——表参道

7——表参道

8——スペイン坂

8——スペイン坂

>石川初(イシカワ・ハジメ)

1964年生
株式会社ランドスケープデザイン勤務、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)、関東学院非常勤講師。ランドスケープデザイナー。

>『10+1』 No.34

特集=街路