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車道の論理 | 石川初
Logic of the Roadways | Ishikawa Hajime
掲載『10+1』 No.34 (街路) pp.79-81

街路と道路

東京の湾岸線はどこも、江戸時代から続く埋め立ての歴史が年輪のように、街の形に刻み込まれている。この年輪を横断するように歩くと、それぞれの時代の街や路の規模の変遷(の残滓)を追って見ることができる。
品川区の東品川から八潮にかけてのあたりは、もともと丘陵地と海岸が近く接する細長い地形のうえに、東京から横浜方面へ続く鉄道や道路が束になっていて、「年輪」がより圧縮されている。京浜急行の青物横丁駅あたりから東へ歩くと、ほんの一・五キロメートルくらいのあいだに、旧東海道、「元なぎさ通り」、「海岸通り」(このへんの道路の通称名にも埋め立ての歴史が窺える)、首都高羽田線、モノレール、湾岸道路、京浜運河、JR貨物線、コンテナターミナル、と、「道」のヴァリエーションをひととおり見ることができる。
旧東海道は、両側にところどころ軒の深い商家の建物が残り、路地には鉢物の植物が溢れている。最近改修されたらしい、ウォームカラーの媚びたような舗装がいささか興ざめではあるけれども、もともと歩行空間であっただろう道と建物の大きさの関係は心地よい。海岸へ近づくほど、道や建物の規模が大きくなってくる。「元なぎさ通り」や「海岸通り」は、名前はロマンチックだが、車輌の行き交う、「向こう岸」の歩道を歩く人との会話も困難な四車線道路は「道路」であって、これを「街路」と呼ぶのはためらわれる。
さらに運河を越え、北部陸橋を過ぎて国道三五七号線(日本で最も幅の広い国道である)のあたりに到達すると、辺りの光景は俄然、非日常的な雰囲気を帯びてくる。白線が描かれたアスファルト道路が、まるで地平線のように広がっている。しかし、意外にもと言うべきか、これはこれで納得できる、腑に落ちる風景である。物流を担う大型車輌に最適化された道路やストックヤードは、曲率も勾配も緩やかで、標識はわかりやすく、全体にどこかのびのびしている。この明解さはたぶん、この場所に交通・物流のエンジニアリングの都合、いわば「道路の論理」が透徹しているからである。何しろ歩行者なんて気にする必要がない場所だ。歩行者たる自分が「不純物」のような気持ちになる。自動車がその本来の性能を発揮できる環境である。
そういう意味で、むしろ憂鬱に感じたのは、限られた道幅の中で狭い歩道が作られ、車道を自動車が行き来しているような、街路と道路の中間状態にある多くの道だった。
自動車はそれだけ取り出してみれば、じつに、限定された環境のみに特化した、融通の利かない機械である。乾いた、平滑な固い地面の上でしか移動することができず、視野も狭窄で、回転にも制限がある(しかも、それを操る運転者が正気であるかどうかは外からは窺い知れない)。小さく収納することができないから保管場所には台数分の「乾いた平面」が必要になる。そして、操作を誤ったときの「破壊力」は深刻である。
自動車の進入は「街路」を損なうものとしてとらえられ、自動車の交通を捌きつつ、「人間のための街路」をどのように確保するかはつねに計画上の大きな課題になるが、それは、自動車が「車輌—道路系」の一部として、道路と相互関係を持ちながら発達してきた技術だからであり、もはやその「系」は基本的に歩行者を排除しないと成立しないものだからだ。その運動性能と物体的強度において、著しく劣勢である歩行者が、「車輌—道路系」と同じ平面を共有するのは、そもそも無理のある、きわめて危険な事態なのである。「歩車共存」をうたう道路や街路に施されるのは、いわば摩擦抵抗を上げて車両の通行を阻害し限定する工夫でしかなく、それは「共存」ではないだろう。歩行者が皆モビルスーツのようなものを着用していて、事故の際には車輌も大きくダメージを受けるような公平な状況であれば「共存」と言えるかも知れないが。

国土地理院5万分の1地形図 「東京西南部」と「東京東南部」を合成。 左から:平成8年(1996)、昭和45年(1970)、明治42年(1909)

国土地理院5万分の1地形図
「東京西南部」と「東京東南部」を合成。
左から:平成8年(1996)、昭和45年(1970)、明治42年(1909)

仮設の地面

「車輌—道路系」の「乾いた、平滑な固い地面」を確保する技術が「舗装」である。交通(主に車輌)や自然(主に雨水)に対して、耐性を持つ平面を保持し、加重を路面下の基盤に転移させる。これは古代エジプト以来、変わらず求められる舗装の基本的な性能である。現在、たとえば東京二三区内の道路の面積を全て合わせると、一一三・一平方キロメートルになる。山手線に囲まれた面積の約一・八倍の広さが道路として「舗装」されているわけである。
舗装のほとんどはアスファルト(アスファルトコンクリート)で行なわれる。だから私たちが街を歩くとき、、もっとも頻繁に接する「面」はアスファルトである。アスファルトはもともと、道路の埃を鎮める被覆材として使用されはじめ、のちに砂利の表層の散乱を防止する結合材として使用されるようになったものである。アスファルトが多用されるのは、安価であることと、その施工性の良さによる。熱して軟化させ、敷き均したアスファルトは、常温になると硬化し、「できたて」をすぐに交通に開放することができる。部分的な補修も容易で、しかも溶かしてまた使うことができる。均質な走行環境を供する、大量生産技術として、アスファルトは「車輌—道路系」を支えている。
アスファルト舗装の寿命は、交通量によっても異なるが、一○年から二○年前後とされている。しかし、国道や幹線道路以外の街路、いわゆる生活道路の多くは、砂利の路床の上にアスファルトを薄く敷いた、簡易舗装と呼ばれるもので、これの寿命は五年である。五年というと、街のハードウェアとしてはほとんど「仮設」である。アスファルトが何か素材として成熟しない、不安定な感じがするのはおそらく、この仮設っぽさのゆえであり、それは私たちが抱く街路の、街のイメージにも大きく作用しているだろう。車道の隙間に設けられる「歩道」が、ほとんど反・アスファルト的に(せめてアスコンじゃないもので)「あたたかみのある素材」で舗装されるのも、アスファルトのこの頼りなさへの、ネガティヴな反応でもあるのだろう。
でも私自身は、そんな風にデザインが施されたインターロッキングブロックや石やレンガで「濃く」された街路を時に疎ましく感じ、アスファルトのとりとめのなさに惹かれてしまう、こともある。
(図版協力:新川藍+都甲能里子)


参考資料
バーナード・ルドルフスキー『人間のための街路』(平良敬一+岡野一宇訳、鹿島研究所出版会、一九七三)。
東京都都市計画局地域計画部土地利用計画課編『東京の土地利用』(同課、一九九六)。
浅井建爾『道と路がわかる事典——読む・知る・愉しむ』(日本実業出版社、二〇〇一)。
日本道路協会編『舗装設計施工指針』(日本道路協会、二〇〇一)。
『平成一四年東京都道路現況調書』(東京都建設局道路管理部、二〇〇二)。

>石川初(イシカワ・ハジメ)

1964年生
株式会社ランドスケープデザイン勤務、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)、関東学院非常勤講師。ランドスケープデザイナー。

>『10+1』 No.34

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