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一回性の建築 | 山本理顕+中西泰人 聞き手+本江正茂 聞き手
Architecture as Single | Yamamoto Riken, Yasuto Nakanishi, Motoe Masashige
掲載『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) pp.75-82

1    伽藍とバザール

中西──山本理顕さんはあらかじめ決められたかたちで建築を作るのではなく、建築をどのように使うかをユーザーとともに考えながら作り、また作った後にはユーザーに見せるといったスパイラル的な作り方をされている。山本さんがユーザーという言葉を使われていることを興味深く思っています。
今回の特集「建築と情報の新しいかたち」ということと関連させると、最近のコンピュータのソフトウェアにはユーザーの意見を取り入れながらヴァージョンアップをする、オープンソース・ソフトウェアという流れがあります。その際「伽藍とバザール」という有名な言葉があり、「伽藍」は決められたものをそのまま作ることで、「バザール」とは場を提供し、バザールに入ってきたものに対してコミュニケーションも提供するということです。このような流れに対して、山本さんのこれまでの建築の作り方を含め、どのように思われますか。
山本──今、建築には猛烈な勢いで変化が起きていて、まったく新しい状況が登場していると感じています。つまり、建築を作るときこれまでのようにオブジェを作るようなやり方ではうまくいかないという実感があります。だからといって建築家の主体性を消してしまうやり方も違うと思う。しかし、それが「伽藍とバザール」やLinuxのように完全にオープンになることを指すのかはまだわからない。どういうことかと言うと、イスタンブールのバザールと吉祥寺のフリーマーケットではまったく違うように、バザールも何らかのかたちで空間と関わっていると思うのです。ユーザーにすべてが委ねられ自由になっているとは思えません。空間が何らかの働きをしているらしいというのはわかるのですが、どういう働き方をしているのかはまだわからないところがある。
さらに僕の体験から言うと、建築をこういう方向で作るとこちらにいくという確信をなかなか持てなくなってきています。今設計しているものがどこに行くかまったくわからなくて、これまでの前提が役に立たなくなっている。だから群馬県の《邑楽おうら町役場庁舎》[図1]でやっていることと《横須賀市美術館》(仮称)でやっていることでは全然違います。しかしいろいろな建築家がいて、例えばフランク・ゲーリーのように自分のかたちがあり、どこでも判を押したように同じかたちでゲーリーの作品だとはっきりわかるという建築家もいます。他方僕のように迷いながら、その都度違うことが起きてしまうというタイプの建築家もいます。つまりゲーリーに代表されるような建築家とその都度違う手法になっていくような建築家とに分かれてしまっているという感じがあります。

1──《邑楽町役場庁舎》(2005、群馬県邑楽町)全体模型写真

1──《邑楽町役場庁舎》(2005、群馬県邑楽町)全体模型写真

2    システムと作家性

本江──その都度違う手法をとる理由はやむをえずそうなっているのか、それとも違うことに反応したいということなのでしょうか。
山本──例えば、僕が提案した《邑楽町》のシステムはいろいろなプロセスがあってまとまったものですが、そのシステムとプロセスがほかの地域でも有効かというと難しい。近代建築の概念からすれば、普遍的なシステムの提案は建築家の役割でもあり、世界中で有効でした。例えばミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサル・スペースはニューヨークでもシカゴでも有効です。ミースはゲーリーと違ってシステムを提案したかったからです。しかし、《邑楽町》のシステムとプロセスはあの地域でしか有効でない、というものになっている気がします。他にあれを適用しようとすると非常に使いにくいし、やりづらい。
中西──《邑楽町》のような例が何度も繰り返され、そこに共通するシステムを抽出して普遍的なものを作りたいと思われるのか、そうでなく一般解は作る気がなく、その場その場で新しいことをやりたいと思われているのでしょうか。
山本──あるシステムはその場でしか有効ではないと思っています。建築というのはその場所を占有するわけだから、その場の固有性、特性との関わりでしか建築はできないのではないか。建築はそういう一回性から抜けきれないと思っています。だからその都度違う建築にならざるをえない。あるシステムを提案したとしてもその場において初めて有効なので、システムは本来そのようにしか働かないのではないかと思っています。
それともうひとつ、なかなか整理が難しい問題なのですが、建築家の作家性という問題があると思います。システムが有効かどうかということは別に、システムを提案すること自体が作家性であり、だから次にまた同じことを繰り返してよいのか、という思いがあります。ゲーリーのようにあるかたちのヴァリエーションで決めてしまえばよいのだけれど、システムを提案した途端ヴァリエーションを含めてシステムですから、システムをもう一度採用するのはすごく難しい。
本江──それはユーザーが嫌がるのか、それとも山本さんに躊躇する気持ちがあるのでしょうか。一般的には場の違いによって適用できないのはシステムに不備があるからで、リファインしてどこでも使えるのが優れたシステムだということになりますが、それとは違いますか。
山本──あるシステムの有効性を確認しようとすれば、今回は役場でやったけど、次は公衆便所というような繰り返しで、今までのファンクションと建築の対応関係と全然違う、ファンクションからもっと自由になっている建築だったら試してみたいと思うかもしれません。別の言い方をすれば、アーカイヴのような建築の歴史の伝達機構があり、そこに登録しておきたいという気持ちもあります。建築のアーカイヴには重要な役割があって、そこに登録されているものが突然ある重要な役割を果たすかもしれないと思っています。だから、今の建築業界の評価基準や歴史的に伝達していくシステムはある意味で重要だと思っています。現在システムと言われているものが、近代建築のなかでどのように評価されるかは正直に言えば気になります。
本江──ソフトウェアでは再利用ということがよく言われます。山本さんはシステム開発からやっていますが、別の町で役場を作るとき、前と同じシステムでよいから設計料は三分の一、工期も四分の一でよいはずだ(笑)といった依頼があったら、それを断るロジックはないのではないでしょうか。
山本──ないですね。
本江──そういう場合はどのように対応されますか。
山本──部品開発者としての提供ならありえるような気がします。僕が再度利用するかはわかりませんが、他の人が再度利用することに関しては抵抗ないですね。自分が再使用するほうが抵抗あります。

山本理顕氏

山本理顕氏

3    建築の新しいユーザーたち

中西──一回性という話と関係があるのかもしれませんが、建築もそこで人が出会うコミュニケーションのツールであると同時に建てるプロセス自体もコミュニケーションだと言われます。建築の与条件として、作りながら考えるという新しいユーザーが出てきているのではないでしょうか。与条件としてユーザーがいるのかあるいは共同制作者としてユーザーがいるのでしょうか、そこにはスタンスの違いがあると思いますが。
山本──《公立はこだて未来大学》[図2]の場合は、ユーザーであると同時に、われわれが提案する空間を最初に、そして最も高く評価してくれる人々だったわけです。建築を単なる手段として使いやすさを追求し、建築家にはそれを作ってくれることだけを期待するユーザーとは違う人たちだと思います。そういう個性、意志をはっきりともったユーザーが非常に深く関わったということがあるから、《公立はこだて未来大学》はできました。建築は単なる手段で、その目的に応じて作ってくれというユーザーも一方にはいるんです。住民参加型のユーザーの多くはそちら側で、自分たちが使うのだから建築はただの手段だと言う。建築をリスペクトする姿勢がまるでないから、そういう考え方をする人たちとの建築はうまくいかないと思います。特に今までの行政が考えるユーザー像がそういう人たちだったと思います。その上非常に抽象化されていると同時に、何も考えていないような人たちを想定しているように思う。理念は行政が考えればよいというものでした。
本江──ユーザーの問題は建築家の側にも責任があります。歴史的にも建築は手段なのか目的なのかという問題がある。例えばCIAMでのハンネス・マイヤーとル・コルビュジエの違いのようなことは古くからあり、いまだにあると思います。
山本──僕の気持ちとしては建築は手段であるという側に少し寄っています。しかし、だからといって完全に主体性を消して何もかも奉仕しているわけでもないと思う。僕らが作ったシステムがそこに強く表われないと、建築の社会的な役割は機能しない。そういう意味でも、《公立はこだて未来大学》で会ったユーザーにはものすごく期待しています。そもそも抽象的なユーザーというものはいなくて、必ずあるキャラクターをもったユーザーが目の前にいるはずです。住民参加という意味でも邑楽町では多くの人たちと話しましたが、すべての人たちにキャラクターがはっきりとある。それを理解するとお互いに仕事がやりやすくなるわけです。今までの住民参加ではその住民とは抽象的な住民でしかなかった。
またどういう建築を作るかによって、住民参加の仕方が変わってくるのだと思います。非常に強い個性のある空間があると、その空間をめぐってコミュニケーションができる。だから建築は手段でもあるけれど、同時に非常に強い個性を持っているべきものだと思います。
本江──ユーザーや会った人の種類や数などによってプロジェクトの質が変わったということはありますか。
山本──《埼玉県立大学》のときは会う相手が限られていました。特に公共建築は行政側の建築担当者と頻繁に会ってほとんどの話をして決めていくわけです。行政側だけと話しているとユーザーはこう思うはずだ、いや、そんなこと思わないはずだ、と言い合うだけになってしまいます。
中西──ダイレクトに話ができるようになって、話す回数は増えたけれども、トータルでは非常にロスが少なくなったかもしれないですね。
本江──ユーザーが変わってきたのか、それとも山本さんからユーザーに直接会わせろと言って広げてきたのか、どのように変化を引き起こしたのですか。
山本──もちろんユーザー側の変化もあるし、行政側でも直接関わっていかなければと考える人が増えてきています。

2──《公立はこだて未来大学》(2000、北海道函館市) 平面図(1F─RF)

2──《公立はこだて未来大学》(2000、北海道函館市)
平面図(1F─RF)

4    情報の後ろにある風景

本江──最初にお話しした「バザール」の考え方は、ソフトのソースを全部公開して多くの人に見てもらう結果、間違いも見つけやすくなり、解決の仕方を知っている人がたくさん集まってくるというものです。「伽藍」ではあらかじめ建築が決まっていて、「俺の言ったとおりにレンガを詰め」という作り方になる。そこにはプロセスの違いや人との関わり方の比喩的な違いがあると思います。
山本──「伽藍」では作るものが決まっていてそこに向かっているから、作っている職人たちはただの機械ですよね。中央集権的なかたちで建築を作っている。確かにその状況とはかなり違ってきています。違ってはきているけれども、バザールのようなアクティヴィティだけがあって、空間なんかいらないということとは違うんです。
本江──「バザール」のように作っていく場合、狙いどおりにいくケースと、なんでこんなふうになってしまったのかというケースがあるのでしょうが、その分岐点は何でしょうか。「伽藍」と違うわけですから、いろいろなことが起きて思惑通りにいかないことはありますよね。逆に言えば、思惑は持たない、つまりなすがままにするという言い方もできる。
山本──いやいや、それはないです。やはりわれわれの側に強い意志がないとコミュニケーションが成り立たないですから。ただ、はじめからこちらがいつでも変わりたいと思っていて、変わることが物を作ることだ、それが面白いんだと思っていないとだめです。建築が変わって「あれっ」と思うよりも、こういう建築もあるんだと思うほうが実際に面白い。
本江──そういうプロセスを経て、ひとりでは思いつかないようなことになったという体験はありますか。
山本──たくさんあります。《東雲キャナルコートCODAN》[図3]でも伊東豊雄さんと一緒にやり、非常に刺激されました。もし伊東さんがいなくてひとりで設計していたら違うものになっていたと思います。またそこのサイン・デザインに廣村正彰さんに参加してもらいました。廣村さんは玄関ポストにグラデーションで色を塗ったらどうかということだったので、その色をストライプ状にして建物の壁に塗ってみたのです。そうしたらまったく違う建築に見えてきた。お互いに考えていることが全然違うんですけど、それがまた結果として予期しないものになっていった。そういうのは面白いと思います。
中西──役割分担はしているけど、コミュニケーションをとりながら、一+一=二でなく三になるというイメージですか。
山本──それを期待してコラボレーションしています。
中西──これだけ情報技術が普及しているなかで、山本さんは《横須賀市美術館》を作る際には最初にホームページから立ち上げられたというお話がありました。建築はコミュニケーションであり、ある意味で手段であるとも言えるでしょう。情報技術も違うかたちのコミュニケーション、手段だと思います。今、僕や本江さんが一緒にやっているプロジェクトでは、空間と情報技術を役割分担させながら、トータルでアクティヴィティを支えることができるようなツールはないのか、ということを探っています。コミュニケーションのための情報技術と建築を融合させるということについてはどのようにお考えでしょうか。
山本──情報ということに関して言えば、ヴァーチュアルな空間で単純に情報がデータ化され、相手に送れれば情報が伝達されたことになるのか。また、映像はモノクロよりカラーがいいとか、音声はクリアなほうがいいというような生身の交流に近づくことが情報伝達の最終目的なのか。そうすると、実際に人が出会わなくてもいいということになってしまい、空間はいらなくなってきてしまう。そうではないだろう、そうはいかないだろうという思いはあります。情報が生身に近づけば近づくほど、生身の重要性がさらに増すという気がします。そうすると、空間の果たす役割というのは重要になってくる。情報技術と建築の問題というのは、単純に情報や空間がそれぞれ別個にあって、それらの中で人がどう動くかということではないと思います。
例えば、ある特定の空間がないとイスタンブールのバザールが成り立たないように、ある情報が伝達されるとき、抽象的ではない特異な空間を媒介しているに違いないと思います。ある情報の中には後ろに映っている風景もあるし、さまざまな空間と一緒に情報が伝達されているはずです。ニュートンの空間のようにまったく均質な空間を想定して、そこで情報が行き交っていると考えるのは変だと思う、それは嘘ではないか。情報の一番信用できないのがそのあたりです。
本江──ニュートラルな空間を前提にして、なるべくノイズをなくして伝達したいという志向が広くありますね。
山本──技術が発達していけば、より無機的でクリアなものになると思っているのでしょう。それは僕は嘘ではないかと思っています。
中西──われわれは普段コミュニケーションをとっているなかで、メール、web、FAX、手紙、実際に会うなど、いろいろなメディアをそのときどきで使い分けて生活をしていると思います。電子メールはリアルタイムではなく、非同期的な時間を使った遠隔のコミュニケーション・ツールですよね。そのように新しいメディアの登場とともにわれわれは時間と空間をうまく使い分けているのではないか。
僕が学生の頃は大学が一番優れたネット環境だったので、ネット環境を使いに学校に行っていたという部分もあったのですが、今は大学よりも速いスピードで自宅でネットができてしまうこともあるせいか、大学生がより大学に来なくなっているようです。そうすると、空間が気持ちがよいとか、情緒的なものを掻き立てる何かがあるなりしないと大学に来ないかもしれません。例えば役場でも、昔はカウンターに行って書類をもらっていたけれど、今はネットで受け取ることができる。そのときに役場が気持ちのよい空間であれば直に取りに行くかもしれません。このように使い分けるという意識とともに、建築の持つ意味が変わってくるのではないかと思います。
山本──情報技術と建築を融合させるというよりも、情報技術そのものが建築という空間と非常に深く関係して開発されているのではないでしょうか。だからそれぞれ別個のものが融合されるのではなくて、情報技術のなかに、それを保障している建築、あるいは空間がもうすでに入り込んでいるのではないかと思うのです。自宅のコンピュータのほうが性能が良いというお話でしたが、コンピュータ・モニターのシステムやインターネットという通信手段そのものが、個人的な、ある閉鎖的な空間を前提としているのかもしれない。だから個人的な空間で間に合ってしまい、そのほうが快適なのではないでしょうか。つまり情報は空間と密接な関わり合いをしていて、特異な空間の様式とともに伝達されているように思うのです。

3──《東雲キャナルコートCODAN 1街区》 (2003、東京都江東区) すべて写真提供=山本理顕設計工場

3──《東雲キャナルコートCODAN 1街区》
(2003、東京都江東区)
すべて写真提供=山本理顕設計工場

5    個人的な体験を社会に開く

本江──最近の傾向として、空間とのより能動的な関り方は逆に弱まっていて、特に若い人々は個室的な空間を建築なしで、路上でもレストランでも実現しているという見方も同時に可能だと思います。そうした状況で携帯電話がシンボリックな存在になっている。そのようななかで、ユーザーが公共の空間に能動的に関わっていく方法に変化はあるでしょうか。また、情報との関わり方、人と何かをやりとりする方法が変わってきたとお気づきになる点はあるでしょうか。
山本──邑楽町の建設委員会でも個人的なことを言ってもよいという雰囲気はありますね。少し前だと役所の行政システムが前提にあったので、行政側の、かつての役所の姿をよく知っている人の発言権が大きかった。今ミーティングに集まるのはそういうことについて知らない人たちですから、今までの行政システムの概念を壊したところで話すことができる。そして自分の意見は個人的な話だけれども、公共に貢献するはずだと思っている。その点が以前とはまったく違います。それが面白いですね。
例えば《邑楽町役場庁舎》では、ステージを広場側に向けるか、ホワイエを広場側に向けるかでかなりもめました。僕はステージの前面を開けられるようにしてそれを広場に面するようにしたらどうかという提案をしたのですが、専門家はそのようなステージは劇場としてはうまく働かないと反論する。その時、あるおばさんが自分の息子は和太鼓をやっていて、和太鼓のコンサートというのは、屋外を使って、ステージと客席が一体となるのでこのようなオープンなステージの方がいいと言うのです。その意見にはものすごく説得力がありました。実際のおばさんの体験のほうがはるかに迫力ある。そういうことが平気で言える。こういうことがすごく大切なのではないか。
中西──これまで信じられていた「普通は」とか「客観的に」といったレヴェルを信じてはおらず、個人的、主観的な体験を広げて集合体を作り上げようという意識があるのでしょうか。
山本──そうだと思います。自分の体験は共感してもらえるのだという前提がそこにあるのだと思う。共感してもらえるということは自分の個人的な経験は伝えることができると思っている。今までは、あらかじめ社会性のようなものが前提とされていて、その前提に準じているものは伝わるけれど、個人的な体験は伝えられないと思っていた。そこは相当違いますね。
中西──これまでのパブリック、コモン、パーソナル、という概念が情報技術の出現で変動しているのだと思います。それと関連して、山本さんは『つくりながら考える/使いながらつくる』(TOTO出版、二〇〇三)で、これまで国家の秩序を作る単位であった〈地域〉〈学校〉〈会社〉〈家族〉などのフレームの揺らぎについて触れていらっしゃいますね。
山本──ええ。やはり情報の伝達の仕方が変化しているのだと思います。インターネットもそうですけど個人からも十分発信できるという体験を実際にしてきた。先ほどの和太鼓のおばさんのパーソナルな意見が十分伝達可能になってきたというのもそうですが、そういうものが社会性を獲得してきているんだなと思い始めています。今までのように個人に先だって社会性のようなものがあるという考え方はここ何年間かで明らかに逆転してきていると思います。例えば、住宅を作るときに家族を単位として住宅を作るというようなことはほとんど意味がなくなりつつある。多くの人が個人に集約可能であると信じ始めている。
本江──特異な体験でも伝達が可能だというのは面白いお話だと思いました。〈地域〉〈学校〉〈会社〉〈家族〉というヒエラルキーとは違う別種のつながりができるということです。
山本──以前は、例えば国家やコミュニティといった、社会性の概念が個人に先立ってあらかじめある社会で、その社会性に対して個人がどう働きかけるか、というような構図でした。でも今は自分の個人的な体験、個人的な考えが他の人に対して共感を得る、伝達可能である、むしろその伝達可能であるということが社会性というものの中心にあると考えられるようになってきた。伝達できると思った瞬間に個人的な体験は社会化されるわけです。それは情報がこれだけパーソナルになってきたおかげではないかと思う。つまり社会性はあらかじめあるものでなく、自分たちで作っていると感じる自由があり、それはすごくいいことだと思う。
中西──新しく作る建物でも他人事でなく、自分たちの建物だという意識をもっている人が増え、能動的なユーザーとなるのではないでしょうか。
山本──だから邑楽町の人たちは自分たちの建物を作っているんだと考えてると思いますね。今まで出会った「住民」という人たちとは意気込みが全然違います。

6    都市の新しいモデルづくり

中西──これまで建築のビルディング・タイプは、社会においてある単位とされた組織に対応して存在してきましたが、その単位と思われていたフレームが崩れていくということは、ビルディング・タイプが今後もはや存在しなくなるということにつながるでしょうか。
山本──図書館、学校などのビルディング・タイプは国家的枠組みで決められているから、簡単には変わらないと思いますけど、でも国家の秩序を作るときに必要だったから現在のようなビルディング・タイプを作っただけで、枠組み自体が変化しようとしていることも確かです。こちら側から従来とは違う提案をすることが重要なんだと思いますね。常に変わっているのではないでしょうか。
中西──ユビキタス・コンピューティングという概念は様々なかたちのコンピュータが日常空間の中に遍在するという考え方です。しかし、僕はこの言葉をもう少し広い意味で考えたいと思っています。これまで会社、学校、図書館といった特定の行動や社会の単位と対応していた場所があります。でも、公園でノートパソコンから業務のメールを打つとすると、そこはオフィスなのかもしれない。現在、学会にはデジタル・ライブラリーがあるので会員は無料で論文をダウンロードできたりしますが、ネットで繋がった自宅のパソコンはある意味で図書館でしょう。今は血液検査も病院で採血しなければならないけれど、ミクロ単位の針とチップが一体化したものからパソコンにデータを送るようなものが出来てくれば、注射針を打たなくても血液検査ができます。そのデータをパソコンから病院に送ることができたら、その針もある意味で病院と呼べるかもしれない。また山本さんは《東雲》で団地という従来のビルディング・タイプとはまったく違う集合住宅を作られていますが、先ほど話があったパーソナルな部分の揺らぎが《東雲》の団地に表われていると思います。次に壊してみたいビルディング・タイプや、違う可能性があるのではないかと思われている分野などはあるのでしょうか。
山本──本来のユビキタス・コンピューティングとは違うと思いますが、小さな子供や一人では動けなくなった人たち、その人たちがどんなかたちで都市に登場したらよいかというのが一番難しい問題です。ユビキタス・コンピューティングがそういう問題の解決に貢献できるのかどうかはわからないですが、現在は良いモデルもなく、うまくいっていない。やはり一人で自分のことができない人たちには身体的なケアも必要だと思う。情報だけでは解決しないことがたくさんあると思います。極端なことを言えば、一人で自分のことができる人は実はなんでもよいのではないかと思っています。それができない人も含めて、空間、情報の面で都市はどのようなモデルをつくっていけばよいのか。そのことに強い関心をもっています。
[二〇〇三年一一月六日 横浜にて]

>山本理顕(ヤマモト・リケン)

1945年生
山本理顕設計工場 代表。横浜国立大学大学院教授/建築家。

>中西泰人(ナカニシ・ヤスト)

1970年生
慶應義塾大学環境情報学部准教授。

>本江正茂(モトエ・マサシゲ)

1966年生
東北大学大学院。東北大学大学院准教授/都市・建築デザイン、環境情報デザイン。

>『10+1』 No.33

特集=建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア

>ミース・ファン・デル・ローエ

1886年 - 1969年
建築家。

>CIAM

シアム(Congrès International d'Architecture...

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...