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「最後の啓蒙」「啓蒙の最後」──コーリン・ロウ『コラージュ・シティ』をめぐって | 丸山洋志
The Enlightenment of End, The End of Enligtenment: On Colin Rowe's Collage City | Maruyama Hiroshi
掲載『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) pp.158-168

建築における、その理論と実践(現実)の乖離——このような傾向が露になってきたのは一九世紀半ばからの建築を含めた美学に起因するであろう——を嘆く者。いや、理論が現実から剥離したというよりも、理論そのものが消滅したのでありそのこと自体を建築の「新たなパースペクティヴ」として歓迎する者。筆者自身の立場を正直に告白するならば? 哲学を基本にしようと、科学を基本にしようと建築の「学」なるものがもしあるとすれば、当然その目指す方向は理論と実践の収束であるはずだが、端からそれを放棄し、芸術としての建築といった「美学的範疇」の容認と、そんな態度への自己幻滅をもっともらしい「感想」として吐露してきた自己の振舞いを「反省」するならば、疑いなく前者に属するであろう。建築の理論と実践の乖離とは、建築が有するであろうところの何らかの規定能力が失効したことを意味するが、ここで、そもそも建築に課せられた規定能力そのものが、「反省」によってしか特定できないこと、さらにはその反省の反省の産物こそが「建築の美学」であることを明確に示すことにいまさらどれほどの意義があるだろう。このような身も蓋もないこと——歴史的ヴォキャブラリーによる表面上の「言語ゲーム」はさておき、建築における「ポストモダン」の本性はこれであろう——を言い続けても埒があかないにせよ、この袋小路をひとつの「経験」として記述することによって、何かしらの使命が終わるとするならば止むを得まい。そんな「経験」を語るうえでも、それなりの(希望に充ちた)入口が必要だ。ならば、もっとも遠くにあるものを入口として選択してみよう。一九六〇年代後半から「ネオ・アヴァンギャルド」(エリート・テロリスト)として位置づけられてきたアメリカの建築家ピーター・アイゼンマンの「コンセプチュアル」建築である。

私の作品は、通常、構造と呼び慣らされている建築形式のなかで、環境形成の一助となりうる問題点だけをとり出そうという試みである(…中略…)完全な建築の構造から結果する「何もない」空間は住むという行為に対して、背景や引き立て役として、いや、起爆装置として働くだろう。しかし、こうした破壊感覚の引き金を引いたのは、この環境における日常性不在であって、建築家の提示した形式の構造のもつ完全性などではないのだ。そうして、この破壊感覚は弁証法的に持ち主をしてデザインへ新たに参加させるように作用するのだ★一。


世界と人間の「無規定性」を回復しようとするペシミスティックな「テロリズム」を「学」によって中和するなら、アイゼンマンは「構想力」(ここでは、住み手のデザイン参加として語られている)と「形式」を付与する能力(ただしくは「悟性」であるが、ここでは建築家の能力として語られている)が共働するひとつの水準を建築において/建築のために/建築によって定めようとしているだけである。中和ついでに述べるならば、アイゼンマン自身が意識していなかったにせよ、このようなプロセス全体が、カントの「目的なき合目性」すなわち趣味判断によって説明可能なものである(あるいは、「崇高」によって)★二。
カントの時代にあっては、純粋な趣味判断は〈目的をもたない〉「自然」もしくは端から〈内容など問題にならない〉「構図」「壁紙」に適用されるものであって、〈目的にがんじがらめにされた〉「建築」とは距離があった。しかしながら、カント自身、「ある建物がもし教会でなければならぬというのでさえなければ」「ある形姿が人間を表わすものでさえなければ」★三と、人間中心主義さえ払拭してしまえば、それが建築へと拡張されることを予言していたとも言える。そのような反—人間主義的立場が建築言語においては二〇世紀アヴァンギャルドによって、思想的文脈においては構造主義哲学によって用意され、建築における「趣味判断」が二〇世紀後半に復活したことは、いまとなっては驚きに値しないであろう。「カードボード・アーキテクチャー」とは、その意味でまったく的を射た表現である。もはやこれ以上、入口の解説は必要あるまい。

本論文は、「ポストモダニズム」という袋小路の〈経験〉を語るために、ひとつの建築書だけを取り上げる。一般的には、「近代主義の袋小路から脱却するための指針」となる「ポストモダニズム」時代の啓蒙書として歓迎された、イギリス生まれの建築史家コーリン・ロウによる『コラージュ・シティ』だ。ただし、袋小路すなわち何らかの空虚を反省的思考において問題にするのであるから、この著書の歴史的・建築的価値を客観的に判定しながら建築における「ポストモダン」の意義なり本質を導き出すことを企図——ロウの場合、その任に相応しい自称・他称を含めた弟子に事欠かない——しているわけではなく、自己を徹底的に凝視する過程において、この著書が果たしている役割を語ろうとしているだけだ。

こと建築の「設計」に限るなら、このロウの『コラージュ・シティ』ほど直接的・間接的に参照された著書はあるまい。筆者の場合、単に「コラージュが好きだった」——ロウの常套句「ソレガドウシタ?」という声が聞こえてきそうだ——わけであるが、同時に、ロウの不肖の弟子であるピーター・アイゼンマンによって、ロウが築き上げようとしたこの「足場」から「距離をとること」——おそらく、このような説明が、ポストモダンと並行して叫ばれた建築の〈脱構築〉の本質を言い当てているだろう——を命じられていたことも深く影響している★四。

ロウの『コラージュ・シティ』における主張は、難解な部分に対して「眼をつぶる」なら、単純明快である。オブジェクトとしての近代建築は「精神」の自由を獲得する戦いであったがゆえに、個体としての孤立、共同的な都市組織の崩壊を招いた。それに対して、伝統的な建築—都市組織は「抑圧」にかかわらず価値・出来事の多様性を許容している。そんな近代主義(理念的実証)と古典主義(慣習的実践)を架構することが、二〇世紀後半の建築—都市の苦境に対する処方箋となろう。ロウはこのような方向性のもとに、建築や都市の歴史的事例をゲシュタルト(図—地の関係)によって比較しているだけである。

「精神」の自由を獲得する戦いがヘーゲルの弁証法を召喚するように、『コラージュ・シティ』の思想的要諦はアンチ・ヘーゲルすなわち「特定の経路を経て特定の終末に至る」といったヘーゲル的「歴史主義」に対する反駁である。だからこそ、そこで問題となっているのは、建築や都市といった枕詞を外すならば、個人の自由と、その個人の共同体に果たすべき責任であり、単なる「近代的都市」と「伝統的都市」のコラージュ(=イイトコドリ)的実践をこえて、そのような理念(例えば「自由」)と建築なり都市との原理的な関わりを問題にしなければならない。さらには、「未完のままにとどまっている近代の計画」すなわち「啓蒙」を擁護すべきか、放棄すべきか、そんな難題にいきつくはずだ。このことを吟味するのが本論文の目的であるにしても、ヘーゲルついでに、彼の『美学』における建築の位置づけをここで確かめておくことは無駄ではあるまい。ヘーゲルによれば「(芸術としての)建築」はピラミッドなりオべリスク——目的も本性も「内部」に持たない象徴的建築——から始まって、人間的なるものの媒介において「外部」としての物質性を克服することによって終わりを告げる。ヘーゲルにおける「終わり」の建築は「ロマン主義建築」であるが、「形式(外)」に対する「内容(内)」の、「物質」に対する「精神」の勝利と見るならば近代建築こそ、その位置に相応しいことになる★五。

ここから、コーリン・ロウの真意を確かめるべく、『コラージュ・シティ』の詳細に踏み込んでみたい。もちろん、彼一流の建築や都市(の歴史)に関する純文学的な記述に関してはひとまず距離を置き、直観的に理解しやすいそのゲシュタルト比較に言及していく。彼は、実際、ル・コルビュジエのサン・ディエ計画案[図1]を引き合いに出しながら、近代都市計画全般を批判している。コルブのこの計画案は、初期のサヴォア邸やユニテ・ダビタシオンといった単体オブジェクトとは異なり、極めて「都市」が意識されていた。だからこそ、ロウは辛辣になっている。

そこではアテネ憲章に基づく仕様書の標準的なエレメントが修正された上でゆるやかに配置されていて、(空間の)中心性やヒエラルキーといった概念がほのめかされ、〈タウン・センター〉あるいは構造化された容器らしきものが模されている。もし、サン・ディエが建設されていたなら、おそらく作者の名声にそむいた失敗作だったことだろう。サン・ディエ計画案にはっきりと描きだされているのは、独立した単体建築という、〈空間を占有しているもの(space occupier)〉が〈空間を限定するもの(space definer)〉になろうとするという、ディレンマではないだろうか? というのは、もしこの《センター》が都市の合流点を促進するかどうかは疑問だとすると、そういった効果が望ましいものであることは事実であるにしても、ここに見られるのは満たされることのない精神分裂症のようなもの[アゴラ的なものを演じようとしているまがいもののアクロポリス!]ということになる★六。


ロウはル・コルビュジエのこの大戦後の計画案——このような計画所作は、今日の都市プロジェクトにおいても、そっくり引き継がれている——が、その期待の正当性にもかかわらず、実効力あるいは建築的善し悪しに関係なく、決定的に過ちを犯していると指摘しているのだ。単体としての建築—オブジェクトが問題なのではなく、その建築—オブジェクトが自ら都市組織へと変貌することこそ「諸悪の根源」であると指摘していることに注目してみよう。

〈空間を占有する〉〈空間を規定する〉。ある意味で、このような問題を意識するときには、好むと好まざるとにかかわらずカント的な難題に直面する。われわれは対象としての事物を認識するために〈地〉としての空間を必要とする。そのような意味で、〈空間〉は経験的認識の先行的条件であるわけだが、対象としての事物を捨象することによって、〈地〉としての空間が〈空間〉として把握されるわけではない。〈対象としての事物を捨象する〉ことは同時に認識主体の消失でもあるからだ。だから、単に〈思惟〉において〈空間が認識—経験に先行する〉ものと想定されているだけで、〈経験〉においては〈認識—像が空間に先行する〉のである。しかしながら、近代都市としてのサン・ディエに確認できることはあくまで〈空間は認識—経験に先行する〉というわれわれの主観的な〈思惟〉だけなのだ。ロウはそのことを「批判」しているのである。

もちろん、われわれは(おそらく建築家でなくとも)、サン・ディエの〈地〉を〈先行条件としての空間〉としてやり過ごすはずもない。〈図〉としての建築から何らかの空間的意味を確定しようとするはずである。例えば、〈コミュニケーション〉の合流点、都市の核といった、客観的認識・客観的価値を与えることである。〈経験〉と〈空間〉に関係の拘泥——すなわち、認識—像しだいで空間はいくらでも姿をかえる——ひとつの観念として空間が実在化することなど論理的矛盾なのである。それでも、このような説明・解釈が正当性を得るとするならば、考えられる事態はひとつである。空間を占めている建築—オブジェクトが理性的思考の対象であることを「十全に体現」していることによって、〈イマ—ココ〉〈ワタシ—アナタ〉といった主観性が完全に克服されている状態である——もはや主観的な〈経験〉など問題ではなく、〈ソレ〉をいかに〈ハッピー・エンド〉として理解するかだけである★七。ロウのレトリックに倣うならば、ここでル・コルビュジエのサン・ディエ計画そのものがこのようなヘーゲル的な〈歴史主義〉のレッテルに相応しいかどうかなど問題にならない。そこから垣間見ることができる理性固有の振舞いを問題にしているのだ。

ロウはサン・ディエをゲシュタルトとして、すなわち現象の直接的な知覚に限定して問題にしているのだから、それにあれこれと推測をくわえる筆者の態度自体、カントが言うところの理性的「仮象」にすぎないと、訝る者もいるであろう。しかし、筆者はロウのゲシュタルトに何ら推測的なことを付け加えようとしていない。むしろ彼に習って、理性に基づいた推測—思考(近代都市計画の理念である、光・空気・眺望・移動・解放性等々)そのものが直接的に知覚されているとする建築家の慣習的悪癖=錯覚を持ち込むべきではないことをカントに即して言い換えただけである。そして、理性の性格上そんなことが不可能であることも。それに対して、「欠点はいわずもがな」としての伝統的都市のゲシュタルト[図2]をロウはどのように〈判断〉しているのだろうか。

(伝統的都市においては)〈密〉あるいは連続的な母体または都市組織が相互扶助的な状況である特定の空間にエネルギーをあたえていることであり、またその結果として生じる広場や通りが一種の公共的な安全弁として機能していて都市構造を読み取るキッカケを与えていること。さらに、同様に重要なものとして、それを支える〈地〉または都市組織が融通性に富んでいる(…中略…)ここには自己完結または機能の明快な表現を要求する強力な圧力は全く影も形も見られない。そして、公共のファサードが統一/安定といった効果をもっているために、局部的な刺激に反応したり緊急の必要からの要求に対応することは比較的自由である★八。


伝統的な都市(のゲシュタルト)に関するロウの解釈は狡猾である。ここで指摘されている伝統的都市の利点(ロウ自身述べているように、いまさらながらの指摘である)を実体的に吟味していくならば、むしろ伝統的な都市の欠点、より哲学的に言うならば主観的〈経験〉の「外なる敵」すなわち物質的制限あるいはその象徴化がもたらす専制体制に帰着する。ロウは、そんな理念的長所・短所を云々する以前に、むしろ伝統的な都市のゲシュタルトをゲシュタルトとして肯定的に受け入れよと述べているようだ。「悟性」に基づいて「形式」を与えることの不可能性、「理性」が強要する「推測」の不可知性。〈主観〉はそのことによって、物質を物質として受容するだけの直観すなわち「感性」をひとつの能力として有している(いた)ことを反省的に自覚するであろう。ロウが伝統的都市のゲシュタルトに托していることとは、おそらくこれ以上でもなければ、これ以下でもない。もちろんこのことは単なる習慣的なモノとの出会いを意味をするものではない。「モノ」を受動する能力としての「感性」という水準を、主観の反省回路において、あらためて設定することに他ならない。

もしサン・ディエ計画のゲシュタルトに都市的意味・価値を求めない——おそらく、ヘーゲルならばそのような態度を、現象を無視して(永遠に解り得ない)「モノ」の本質などにいつまでもしがみつこうとする、愚か者と言うであろう——ならば、そこから浮上するものは「形式」を能動的に与えようとするわれわれの「悟性」能力だけであり、逆に、伝統的都市のゲシュタルトが証明していることは「物質」を受動的に受け止めるだけのわれわれの「感性」能力である。もちろん、コーリン・ロウがこんなことを確認する背後には近代(建築)の「感性」に対する「悟性」の優位性を実践する「理性中心主義」に対する批判があるにせよ、古来からの「形式」と「質量」の二元論(形而上学)を復活させる意図があったわけではあるまい。承知のように、カントはあくまで主観の〈経験〉に拘泥しながら、両者を媒介するものとして「構想力」と「図式」を想定した——筆者の見解によるならば、コーリン・ロウのアンソロジー『マニエリスムと近代建築』はこの問題を建築的に敷衍したものである★九。ところが、『コラージュ・シティ』においては、ゲシュタルトの比較によって浮き彫りになった「形式」と「質量」の問題を通して二様の都市のありかたを〈判断〉の俎上にあげてくる。その対象となっている都市が、一七世紀の庭園都市ヴェルサイユ宮殿[図3]と古代ローマの疑似都市ヴィラ・ハドリアヌス[図4]だ。

ヴェルサイユには曖昧さ、当惑がない。その倫理は高らかに宣言され、その宣伝は、フランス製品の多くがそうであるように、およそ拒みがたい。これこそトータル・コントロールであり、そのまばゆいばかりの電飾看板である。それは一般性の勝利であり、全体を支配する観念の細部への徹底であり、例外の拒絶である。ルイ一四世によるこの単眼的な演出と比べて、われわれはハドリアヌス帝に好奇心をいだく。ハドリアヌス帝はみるからに雑然としている上に気まぐれで、あらゆる《全体の統一性ト ー タ リ テ ィ》を反転したものを提案している(…中略…)しかし、もしヴェルサイユが完全なる一元的モデルであり、ヴィラ・アドリアーナが互いに無関係の情熱が全く未調整のままアマルガム化したものだとすると、そしてもしヴェルサイユのもつ粉砕された観念性はティヴォリ(ヴィラ・アドリアーナ)の相対主義的に生み出された《断片の集合》と比較されるべきものだとすると、この比較には一体どういったうまい解釈を与えることができるだろうか?★一〇


ここで表面的な比較に留まろうとするかぎり、さほど苦労はいらない。実際、ロウ自身もこの比較を「比喩的に把握し、かつあまり厳密に限定しない」ように、かの有名な〈キツネ(たくさんのことを知るもの)〉と〈ハリネズミ(ひとつの大きなことを知るもの)〉といった「心理学的性向」でやり過ごそうとしている。もちろん、アドリアーナ帝(そして、アリストテレス、シェークスピア、ジュリオ・ロマーノ、エドウィン・ラッチェンズ)は〈キツネ〉であり、ルイ一四世(そして、プラトン、ダンテ、パラーディオ、ミース、グロピウス)は〈ハリネズミ〉だ。しかし、筆者ならずとも、この比較をより精緻に展開したくなるであろう。

ロウは、ヴェルサイユが一見すると「理性」にかなった道徳的な実践——その表面的な形式は、あきらかに真善美や崇高を謳歌している——を装いながら、その主体の〈経験〉を支配するはずの形式そのものが質量との関わりから離れて無際限に肥大化した(自由になった)自我と一体になることによって、そこにトータル・デザインとしてのインテリアが出現していることを見逃さない。このようなプラトニズムが「趣味的な関心」のもとでは理想から享楽の追求へと反転すること、さらにはそのことを「客観的」に増幅してくれる媒介(科学的、合理的理念)が必要——責任を押しつけるものを、一応担保せねばならない——なことは言うまでもあるまい。従来的な「質量の価値」すなわち「形式」は、主観の「内なる関心」の徹底によって「外なる敵」どころか「無能な外部」そのものに切り下げられているのがヴェルサイユなのだ。ロウは、ヴェルサイユをディズニー・ワールドと同質のキッチュと〈判断〉している★一一。

それに対して、ヴィラ・アドリアーナはどのように〈判断〉されるべきか。ロウは、そこになんらの価値も体現していない結果としてのイメージの集積があるだけで、「何もあきらかにならない」と指摘しているだけである。おそらく〈主観〉の心理状況の説明としてはこれでよしとしても、これだけではあまりに腑甲斐無い。「イメージの集積」(われわれの構想力)と、「異種の理想型の断片」(時間規定の図式に媒介された形式)を結びつけようとする、すなわち、あらかじめの規則を現象にあてはめていくのではなく、現象の根底において多様性(自由なイメージ)と規則なり目的なりが共同で作動している理性を超えた水準を想定「しなければならない」「するしかない」。ロウのヴィラ・アドリアーナに対する「(無)関心」を空回りさせないためには、このように振舞うしかないだろう。そう、ロウはここでカントが「美」に関して用意した趣味判断を要請しているのだ。もちろん、このことは筆者の無謀な拡大解釈ではない。ロウ自身、「〈趣味〉はもはや真剣な考慮に与するような充実した内容のものではない」と断ったうえで、「われわれの今日的美意識は(ヴェルサイユよりも)ティヴォリのもつ、不連続な構造や断片化された刺激素の集積の方に傾くであろう」と〈判断〉を下しているのである。その理由として、彼は単純に「すべての要素が〈つじつまが合っている〉——カントなら「合目的的」という用語を使うであろう——から」だとする。単なる断片的なイメージの集積に何らかの概念的目的など求めようがない。ただし、それが形式を与えようとするわれわれの能力すなわち「悟性」を触発するかぎり、この「構想力」と「悟性」の「戯れ」そのものが(建築の)「何か」に役立っているはずだ。そんなひとつの能力としての(カント的)「趣味判断」(における主観的普遍性)を「美」としての建築、「芸術」としての建築を越えて、建築における「形式」「知覚」「道徳」「法」に拡大して適用すべきだ(カントが望んだように)。ロウが著書『コラージュ・シティ』で主張していることは、結局のところこのことに辿り着く。コラージュ(あるいはブリコール)とは、実践的手法というよりも、そのような近代以降における「趣味判断」の「範例性」の質を文化的・政治的に正当化する「概念」なのだ。

コーリン・ロウが近代都市と伝統都市のゲシュタルト比較によって提示した問題は、例えばウィーンの都市計画家カミロ・ジッテ★一二と共通点をもっており、別段目新しさはない。そもそも、カントが空間を概念や実在ではなく、そのイメージ(=現象)を可能にする先行的な条件と見なしたときから、「空間」を内部に抱えた建築は矛盾に曝されていた。カントに従うなら、「形式」とは「悟性」の能動的能力によって与えられるものであり、あくまで「外」——カント自身なら「外官」というわけの解らない用語を使う——に属するものである。それに対して、建築的自然性のもとに何らかの「内」
——それを内部と呼ぼうと、空間と呼ぼうと——を要請するならば、「形式」に内と外が生まれることになる。それは「形式」の定義に反するゆえに、「内」はそのまま主観的内面に重ねあわされ「内容」と呼ばれ——おそらく、その主観の生理学的解明が進んだとはいえ★一三、一九世紀の建築美学(特にドイツ語圏)の展開はこの図式のもとに展開されただけである——ながら、「空間としての建築」に接続されることになる。ここまで説明してきたように、コーリン・ロウはその「内」を〈自律した主観の〉「内」として言語化することを、あるいは空間として知覚することを回避しようとしている。だが、「内容」による「形式」の克服——「内容」はその理念を媒介に(主観の)精神と一体化するのがヘーゲル哲学であるから——のために、建築を利用したのがヘーゲルの「美学」なのだ。くりかえすことになるが、ヘーゲルによれば「低級な芸術」である建築はそもそも「内」などなく(建築の自然的な内部など芸術の対象にならない)、「外」としての「形式」を「象徴」するだけのものであり、もしそこにおいて「内」すなわち「内容」が語られるとすれば、それは建築の使命の終焉によってのみ、正当化される。「内面(精神)」をもった人間の登場と共に「芸術としての」建築の使命は終わるのである。もちろん建築そのものが終わるわけではなく、「芸術としての」建築は自己完結的な存在として〈歴史〉の外に位置づけられ、「歴史としての」建築は、自らを克服した〈ハッピー・ストーリー〉を語らなければならない。そんな「虚無」と、活性化した「生」の気分で満たそうとする「信仰」を共役するものとして、建築は自らの「空間」を語るはめに陥ったのだ。

構想力がもたらすひとつの心理学的能力として「像」の「知覚」(印象と概念の結合)があるならば、そして空間や時間がその「知覚」の対象でないとするならば、建築に纏わる内と外の問題を「知覚」に還元してやり過ごすことが可能であろう。コーリン・ロウの有名な〈実の透明性〉〈虚の透明性〉がそれである★一四。バウハウスに代表される近代の「ガラスの箱」は、単にその透明な物理的印象によって「形式」(悟性)の存在を忘却するのみであり、物理的不透明さを印象づけるガルシエ邸(ル・コルビュジエ)は、その多様な印象を形式(悟性)と関連させるかぎりにおいて、多様な「像」の「結合」として「知覚」される。〈実の透明性〉と〈虚の透明性〉のどちらが、美学的に高級であるかといったことが問題になっているわけではない。〈実の透明性〉とは形式内部が感覚内容としての空間(内)であることを「外」から保証する「正しい」イリュージョンのことである。それに従う主観にとって、後の残された問題はその「内」を占有・所有するか否かだけだ。逆に〈虚の透明性〉は、形式と構想力の戯れを「知覚」という心理状況において引き受けることである。ある意味で、〈虚の透明性〉は「コラージュ・シティ」と同質なのだ。但し、ロウの〈虚の透明性〉は形式と構想力の関係(比)すなわち〈趣味判断〉というよりも、両者を媒介している「図式」(カントに従うならば、先験的時間規定にしたがった純粋悟性の図式)の超越論性が主題になっていると指摘できよう。そのような図式機能を建築形態の「発生機」としての「平面(図)」に托する態度は、内部としての「空間」の美学的意義をまったく認めなかったル・コルビュジエの初期の建築所作の美学的翻訳と言える。

もう一度、『コラージュ・シティ』にもどって、整理しよう。そこでのロウの真意は、先行する様式あるいはその要素を「理念なし」に「再使用」——現象としての「ポストモダン」とはこれであった——することではない。「自由」という存在論的理想を、主観的構想力——ロウに従うならば「ユートピアの政治学」ではなく「ユートピアの詩学」であり、「われわれは自由なるものを思惟することができたとしても、具体的に指示することはできない」としたカントの道徳論に呼応する——に限定しながら、その普遍性と共感性を確認することによって、集合体としての都市(共同体)と建築(個人)のいわば〈共和制〉を目論むことである。もちろん、それは「合理」が要請する「進歩」と「潜勢的な否定能力」としての「自由」が結託した「空間」という「全体主義」を批判するためである。ロウが問題にしていることは、彼が一貫してそうであったように、主観に対する「形式」の役割だけである。しかし、その「内側」がひとたび「感覚内容—空間」として承認されるや、形式はわれわれの〈経験〉における提示能力(再現—表象)から切り離され単なる素材でしかなくなる。つまり、われわれは個人としての責任から解放されると共に、細分化された政治・経済・宗教等の価値規則からなる「言語ゲーム」に「判断能力」を譲渡することを意味する。自由を許容する「空間としての建築」とは、そんな「怠惰で無力化した個人」と「建築と呼べるもの」を探して右往左往する「トータル・デザイナー」の出会いの場でしかないのである。

ここまで述べれば、『コラージュ・シティ』の正体も明確になろう。コーリン・ロウは〈建築〉あるいは〈構築〉を主観の(判断)能力に訴えるという意味で、「建築とは何か」を問う、すなわち「啓蒙」を企図している——「近代」という未完のプロジェクト。しかし、その必要性を正当化すればするほど、そのような「啓蒙」から解放された全体状況だけが浮き上がってくるだけなのだ。それとも、いまだそんな啓蒙を必要とする「高貴なる野蛮人」を生成する近代装置——ル・コルビュジエにそれを托しているという意味で、ロウ自身は生っ粋のコルビュジエアンであろう——が正常に「機能」しているとでも言うのだろうか? さらには、建築における「カントにもどれ!」は単なるノスタルジーだけで終わらない。カントの理論に厳密であろうとすればするほど、「床」を建築的実体から分離させることによって「建築の根拠」として神聖化しながら、その表象機能によって構築物を定義しようとしたアルベルティ的建築観★一五——古典主義建築——を、そっくり温存することになるからだ。そのような「建築術」こそがカントをして「批判」に向かわせたのだから。

「空間」を媒介に「あらゆるものを受け入れる」「知覚の市場原理」によってのみ活性化される否応なしの「全体劇場」。「共同体を癒す責任」を不可能・不必要においてしか確認できない、ある種の「終末感」。ここから建築の「ポストモダン」の本質が露になったとするならば、それ以後の建築界におけるキーワード——「他者」「外部」「無根拠」「非決定性」さらには「空間の時間化」——をいまさら説明する必要などないであろう。

ヘーゲル的な「建築の終焉」とカント的な趣味判断との間で繰り返される「反省」。筆者が本論の冒頭に、コーリン・ロウではなくピーター・アイゼンマンのいささか彼にしてはナイーブな建築観を紹介したのは、そこに何かの希望なり、「未来」なりが開かれていることを示唆するためではない。逆で、「これとはまったく異なる入口を見出さないかぎり、埒があかない」ことを示すためである。本論では、いささか強引にヘーゲル的な「形式」に対する「内容」の勝利として、「空間としての建築」「空間としての都市」を位置づけてきた。しかし、例えば、建築を「空間創造」と最初に位置づけたチェコ出身の美学者アウグスト・シュマルゾーの見解——残念ながら、彼の真意はゼンパーとリーグルの狭間に埋没したままである——の基本になっているものは「理性」や「精神」などではなく、自らの「身体」を理解することであり、そのプロセスとしての建築つまり身体の行為としての建築であり「空間」であった——その意味で、身体を「外」からだけ理解しようとするゼンパーとも、身体を「心理」と「知覚」に還元するリーグルともまったく異なる。ここで、一九世紀の美学的問題をぶり返すのはよそう。しかし、たとえ「形而上学」の克服が別の形而上学によってしかなされないにしても、このようにして抵抗するしかないほどに「知覚の自由」の現前化が科学(テクノ・サイエンスがくりだす「仮想現実」の承認)、経済(資本のグローバリズム化)、政治(強制的な民主化)に呼応するように、建築においても進行しているのが現状だから……。

1——ル・コルビュジエ「サン・ディエ計画」〈図—地〉図 出典=『コラージュ・シティ』(SD選書、1992)

1——ル・コルビュジエ「サン・ディエ計画」〈図—地〉図
出典=『コラージュ・シティ』(SD選書、1992)

2——パルマ〈図—地〉図 出典=『コラージュ・シティ』

2——パルマ〈図—地〉図
出典=『コラージュ・シティ』

3——ヴェルサイユ、全体配置図

3——ヴェルサイユ、全体配置図

4——ヴィラ・アドリアーナ。ルイジ・カニーナによる復元平面図 2点とも出典=『コラージュ・シティ』

4——ヴィラ・アドリアーナ。ルイジ・カニーナによる復元平面図
2点とも出典=『コラージュ・シティ』


★一——ピーター・アイゼンマン『アドルフ・ロース、ベルトルト・ブレヒトに』(『a+u』一九七五年四月号)。訳文は、若干変更している。
★二——実際、アイゼンマン自身が意識していた一九六〇年代の「コンセプチュアル・アート」の批評的基盤をなすものも、これである。
★三——エマニュエル・カント『判断力批判』(坂田徳男訳、河出書房新社、一九八九)二六八頁。
★四——筆者は一九八四年から八九年までアイゼンマン事務所にスタッフとして働いていたが、「スケーリング」「Weak  Form」といったアイゼンマンの手法の根底にあったのがコーリン・ロウ『コラージュ・シティ』への反駁である。
★五——例えば空間を視覚の純粋な「内容」と見なしたディ・スティールのファン・ドゥースブルクの態度が、代表的である。コーリン・ロウ自身も、そのような態度を批判するために(ディ・スティールと袂を分けた)モンドリアンに言及することもある(「The Present Urban Predicament」)。
★六——コーリン・ロウ+フレッド・コッター『コラージュ・シティ』(渡辺真理訳、鹿島出版、一九九二)一〇〇頁
★七——このような「ポストモダン」的状況をロウ自身は『コラージュ・シティ』が最初に書かれた一九七〇年代初頭において、既に自覚していたことになる。「この事物は皆〈理性〉と〈精神〉を備えており、そのすべてが要求(自由)を満たされることを主張して止まない」(五〇頁)ことは、その後のテクノサイエンス時代に主体の制御の終焉を見たJ・F・リオタールの「ポストモダン」に接続されよう。
★八——コーリン・ロウ+フレッド・コッター、前掲書、一〇六頁
★九——これに関しては筆者の拙稿「『透明性』の内部」(『批評空間』臨時増刊号「モダニズムのハード・コア」、太田出版、一九九五)で、詳細に論じている。
★一〇——コーリン・ロウ+フレッド・コッター、前掲書、一四四—一四六頁
★一一——ロウ自身「ヴェルサイユ宮の庭園が貴族社会のディズニー・ワールドだったか定かでないが」と曖昧に撤しているが、ヘーゲル美学が達成された後での、大衆の「美的関心」が「崇高」と「キッチュ意識」によって構造化されることは、『コラージュ・シティ』前半で指摘されている。もちろん、「正しい歴史」からは、ロウが指摘しているように、ルイ一四世——ヴェルサイユそのものがヘーゲルと重なるわけではない(一五一頁)。
★一二——カミロ・ジッテ『芸術的原理に即した都市計画』(一八八九、邦訳『広場の造形』、SD選書、一九八三)。
★一三——そのような生理学と美学を結びつけることによって、一九世紀の美学的枠組みを最初に提示したのはアントゥール・ショーペンハウアーである。
★一四——コーリン・ロウ「透明性——実と虚」(伊東豊雄+松永安光訳、『マニエリスムと近代建築』、彰国社、一九八一年)所収。
★一五——L・Bアルベルティ『建築論』(相川浩訳、中央公論美術出版、一九八二)、第一章の「輪郭線の働きと特性」九頁、「建築の起源と基本要因」一〇頁において、このことが述べられている。

>丸山洋志(マルヤマ・ヒロシ)

1951年生
丸山アトリエ主宰、国士舘大学非常勤講師。建築家。

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特集=80年代建築/可能性としてのポストモダン

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建築科、法政大学デザイン工学部建築学科教授。設計組織ADH代表。

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建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。