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現代都市の境界線──包装(ラップ)される都市と身体 | 若林幹夫
The Border of the Present City: The Wrapped City and the Body | Wakabayashi Mikio
掲載『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) pp.142-150

1 境界と領域

よく知られているように、クロード・レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』や『構造人類学』のなかで、南米のボロロ族をはじめとするいくつかの部族社会の村落空間の構造と社会の構造の関係を分析している★一。それらの分析を通じて示される村落空間の構造と社会の構造の関係は、次の言葉にほぼ集約されている。

ところで、社会関係を、それらに共通の環境──それは、社会関係にとって参照の体系の役目をしている──から切りはなして思いうかべることは不可能である。空間と時間は、社会関係を、まとめてであれ、ばらばらにであれ、考えることを可能にする二つの参照の体系である。これらの空間と時間の次元は、他の科学で用いられる空間と時間の次元と混同されてはならない。それらは「社会的」空間と「社会的」時間から成りたっている。このことは、ここで問題にされる空間と時間が、それらをみたしている社会現象の含む特質以上の特質をもたないということを意味している★二。


ここで言われる「社会現象の含む特質」とは、社会的に分節化された意味や価値の範疇ということだ。たとえば、母方居住であるボロロ族では、村落の中心部に「男性の家」が位置し、周縁部には女性と子供たちが暮らす住居が位置している。それは村落の空間の「中心/周縁」が、「男/女・子供」という成員の社会的な範疇の構造に対応して分節化され、構造化されているということだ。また男の家に隣接した村落の中心には祭のための舞踊場が位置しており、それに対して女性や子供たちが暮らす周縁部では日々の日常的な活動が行なわれているので、「中心/周縁」の構造は同時にまた「聖/俗」という価値に対応している。また、周縁に位置する住居群は八つの氏族に分節され、さらに集落の中心を走る東西軸によって、それぞれ四つの氏族からなる外婚的な半族に分割されている。それは、この村落の空間構造が、人類学者が言う「双分組織」という社会の構成原理に対応するかたちで分節化され、構造化されているということである。そして、このように意味論的かつ社会学的な範疇に分節され、構造化された村落の内部領域全体は、その外側に広がる「野生の空間」や「非─社会の空間」に対して、「ボロロ族の社会」という範疇に属する領域として分節されているのである★三[図1]。
このようにボロロ族の村落では、村落の空間的な構造と社会構造が緊密に対応しており、空間構造は社会構造が射影された見取り図のようなものとして存在している。そこでは、村落の空間的な境界は同時に社会的な範疇の境界なのであり、その内部の諸領域は社会的に異なる範疇に属する空間なのだ。こうした社会的空間の範疇の間には、外婚的な半族のように意味上の差異はあってもその評価に優劣のない場合もあれば、「聖/俗」や「男/女・子供」のように優位さの順序づけのある非対称な範疇に分節される場合もある★四。
ボロロ族の社会だけでなく、多くの部族社会の村落に見出される村落の空間のこうしたあり方は、近代化以前の社会の都市においてのみならず、現代の都市においても「境界」ないし「境界線」を考えようとする時、依然として採用される境界観や領域観を簡潔なかたちで示している。
歴史学や都市民俗学、都市人類学等が主として対象にしてきた、城壁や象徴的な結界をもち、その内部領域も神話的な伝承や信仰共同体、ギルド的な同業組織等に基づく街区や地域集団によって分節された構造をもつ近代化以前の多くの都市や、近代化以前に起源をもつそうした地域集団が祭礼等において今日でも機能しているタイプの現代の都市において、社会と空間に関する構造主義的なモデルが一定の有効性をもつことは言うまでもない★五。他方、シカゴ学派の都市研究に寄せた期待とその後にやってきた失望をレヴィ=ストロースが表明していることからもわかるように、近代化以降の都市における空間を、構造主義的な視点から分析することは難しい★六。
近代以降の都市の内外を区切る行政上の区分は、伝統的な村落や都市における境界や領域のような強度の規範性や象徴的な意味によって人々を捉え、空間を媒介として社会的な諸関係の織り目へと編成してゆくものではない。また、シカゴ学派の都市研究が見出した、都市内部の階層やエスニック・グループの棲み分けによる「自然発生的地区」は、都市への人々の移入と社会移動のなかで形成され、時の経過のなかで変化してゆくものであるという点で、部族的な村落に見られるような社会的に共有され、構造化された範疇としての領域とは異なっている。それは、近代以前の社会と、近代化以降の社会とでは、空間と社会の関係の構造に原理的に異なる部分があるということだ★七。
にもかかわらず、現代の都市における行政的な区画、町内会や商店会の領域区分、社会学者がその内部に見出す社会的な地区の区分等もまた、都市やその内外の領域区分を社会的に異なる範疇に属する二次元平面上の分節として対象化しているという点では、部族社会の村落の分析において見出されるのと同一の境界観、領域観に立っている。
都市であるか村落であるかを問わず、今日の社会でも行政的な区分が土地空間上の領域区分としてなされ、町内会や地区自治会などが〈地域社会〉の組織として一定の機能を果たしている。都市計画や社会学的な調査等がそうした行政や地域社会の区分を基本的な枠組みとして受け入れることも多い。シカゴ学派の「自然発生的地区」のような都市内の社会的な地区の分析は、地理学のみならず、社会学でも、都市工学でも、都市を理解しようとする時に用いられる有力なフレームのひとつである。行政の報告書や計画書、都市社会学や都市工学等の調査研究報告や論文等のなかに、人は、そうした領域観・境界観に基づく図や記述を無数に見出すことができる。それは、こうした領域観、境界観が現代でも空間を対象化し、取り扱う際の基本的な構図となっているということだ★八。部族社会における神話や氏族、聖/俗や男/女といった象徴的な範疇に対して、そこでは「エスニック・グループ」や「階級」や、住居が隣接していて地域集団を作るうえで便宜があるといった世俗的で非象徴的な「意味」によって、都市の内部空間が異なる領域へと分節されたものとして見出されているのである★九。

1──ボロロ族の村落の平面構造 出典=『構造人類学』、p.157

1──ボロロ族の村落の平面構造 出典=『構造人類学』、p.157

2 街/都市

だが、現代の都市で経験される境界や領域は、このような領域観・境界観によるものだけではない。たしかに、地図上に落とすことができる空間のこうした社会的な区分は、空間的な広がりをもつ社会の全体的な見取り図を、誰にでもわかるかたちで示してはいる。それは、私たちが生きる社会的な現実のひとつのあり方を示している。だが、現代の都市において人びとが生きる空間と社会のリアリティは、それだけではない。
内田隆三は、「……僕は正直言って、都市とは一体何なのか、わからないんです。僕の小説を思い浮かべてもらえばわかると思うんですけど、例えば主人公が歩いていくのは、僕が書く場合、都市じゃなくて街なんですね。小さな銀行があって、郵便局があって、酒屋と米屋と本屋と靴屋がある。日用雑貨品を売る店があって、おばさんたちがいて、子供が遊んでいる。なにかそういう街しかイメージとして想い浮かべられないから、わからないから、都市というものから受ける何がどうした、というようなことは、むしろ僕自身は問題にしないようにしている」という村上龍の発言や、放火が犯人の自宅のある場所から抵抗なく歩いて行ける範囲を越えた場所の外れにあたる距離帯でなされることが多いことを示す統計などを導きの糸に、「抵抗なく歩ける距離」である〈街〉と、その外側の領域である〈都市〉を、現代の都市空間を構成する二つの社会学的な範疇として指摘している★一〇。内田によれば、〈街〉と〈都市〉の間には「身体の世界への埋め込まれ方」、身体をめぐる 編 成 原 理 フォルマリンザシオンに関する質的な差異が存在しており、その結果両者の間には同一の編 成 原 理上の「遠さ/近さ」とは異なる、位相論的トポロジカルな対立とカタストロフィックな切断が存在している。この位相論的対立をコントロールしているのは、(a)メディアによる身体の代補の程度と、(b)自宅からの距離の増大に伴う身体空間のコミュニカティヴな隣接性、重層性の度合いという、二つの媒介変数である[図2]。
〈街〉と〈都市〉というこの二つの対立する位相を、ここでの関心にしたがって解釈・敷衍すれば、次のようになるだろう。内田の言う〈街〉は単に自宅の近くや、自宅が位置する地区という意味での「近隣」のことではない。それは地下鉄やバス、地図やカーナビなどのメディアを媒介しなくとも、不安や抵抗を感じることなく自己の身体だけで歩き、活動することができる場として人びとが埋め込まれている範囲のことだ。とすれば、典型的にはそれは自宅の周囲ということになろうが、そうでなくとも盛り場や駅の近辺で無理なく歩ける範囲は、ここで言う〈街〉に相当する。駅前や盛り場には、交番があり、銀行があり、たばこ屋があるというような一定のパターンがあり、そうした場所にある程度馴染んでいる場合には、初めての場所でもさほど抵抗や不安を感じることなく歩いてゆくことができるからだ。それに対して〈都市〉は、そうした範囲の外側の、無媒介な身体だけでは抵抗や不安を感じてしまうような領域であり、そこでは地下鉄やバス、自動車などの交通メディア、地図やカーナビ、ウォークマンや携帯電話等の情報メディアが身体の世界への埋め込みを媒介している。たとえば自宅で電話をかけたり、近隣を自動車で走ることによっても、その身体が関係をもちうる空間の広がりや隣接関係等の世界への埋め込まれ方が変わるから、そうした場合には〈都市〉が自宅やその周辺にまで入り込んでくるということになる。また、一戸建ての住宅に居住するか、木賃アパートに居住するか、あるいはオートロック付きのマンションに居住するかというように、「自宅」を構成する住居のメディアとしての形態が異なる場合でも、〈街〉や〈都市〉の広がりや関係の構造は変化するだろう。
前節で見たような部族社会から現代社会までを貫通する領域観・境界観が、地図のような二次元平面上の分節によって社会と空間の構造を、その平面に外在する視点から対象化しているのに対して、内田が指摘する〈街/都市〉の対は、その都市に内在する個々の身体に準拠することなしには記述できず、その領域区分は準拠する身体や、それが接続するメディアによって異なっている。どこまでが〈街〉でどこからが〈都市〉であるのかは、居住地や勤務地、馴染みの盛り場等がどこであるのかによって異なっているし、同じ町内に住む人びとの間でも、居住年数や生活様式、自転車や自動車や情報メディアなどの利用の有無によって、〈街〉と〈都市〉との関係のかたちは変化する。また、同一の人物でもその時々で使用するメディアによって、〈街〉と〈都市〉の境界も、〈都市〉と身体との関係のかたちも変容する。地図平面上の空間の分節として示される領域や空間が一般的で全域的なものであるのに対して、〈街/都市〉の区分は個別的で局所的な視点のなかにのみ現われるのである★一一。
また、通常の領域観・境界観では、都市は地理的な境界線をもつ閉じた領域として対象化されるが、〈街/都市〉というこの対では、〈街〉と〈都市〉の間は「抵抗なく歩いてゆける範囲」で境界づけられるけれども、〈都市〉は外延を閉じた境界線によって画定することができない。というのも、ここでは〈都市〉は境界づけられた領域として対象化できるようなものではなく「一体何なのか、わからない」領域、メディアを介してさまざまなかたちで接続し、切り取り、経験のなかに織り込んでゆくことができるとしても、その外延をそれとして経験することができないような多様で多層的な空間の整序されない広がりとして現われてくるからだ。
〈街〉と〈都市〉の間に見られるような、身体の社会への埋め込みの様式による領域性や境界性は、現代の都市にのみ存在するわけではない。社会という場が身体としての人間を他の身体や物財と関係づけ編成する場である以上、その編成の様態の差異による領域や境界の経験は、どのような社会にも存在しうるからだ。
小規模な集落や近代以前の都市のように、そこでの社会的な諸活動が基本的に徒歩交通による場合には、都市空間の広がりは徒歩で無理なく行き来できる程度の広がりの範囲内で構成されており、その内部と外部では異なる社会形式が、異なる様式で人びとの身体を捉えている。こうした場合、内田の言う〈街/都市〉の区分は都市の内部領域に関して見出されるのではなく、都市の〈内部/外部〉の分節として、しかも都市居住者のすべてに関して一致するものとして、現われてくることになる★一二。それは、伝統的な境界観・領域観が、内田が指摘するような身体の社会への埋め込みのモードによる境界性や領域性の、土地という単一のメディアを媒介にして複数の身体が同一の社会的な場へと埋め込まれるという条件の下でのあり方であるということだ。
けれども、近代化の過程で都市の内外にさまざまな交通・通信メディアが組み込まれ、人びとの活動がこうしたメディアに媒介されてなされるようになると、それまでであれば都市の内部と外部の間にあった空間の分節が都市の内部に、個々の身体に準拠するようなかたちで析出してくる。そこでは、人びとがどのようなメディアを用いてどのような活動を行なうかによって、同じ都市の内部にあっても身体の編成の様式が変わり、それに応じて〈街〉や〈都市〉の領域性が変わってくる。鉄道で移動する時の〈都市〉と自動車で移動する時の〈都市〉とでは、空間の広がりや構造が異なるし、同じ自動車でも高速道路を走る時と一般の幹線を走る時、住宅地の生活道路を走る時とでは、身体の都市への埋め込みの様式が異なっている。それは、〈都市〉という場がそこで暮らす人びとのすべてに関して一致する領域性や境界性をもつのではなく、人それぞれに応じて、そしてまた同じ人でも用いるメディアによって異なる領域性や境界性をもつということである。
だがそれは、都市における領域性や境界性が、〈社会的なもの〉から〈個人的なもの〉に移行したということではない。個々人の身体に準拠する〈街/都市〉の対立は、ここで述べたように都市や社会へのメディアの埋め込み──あるいは都市や社会のメディアへの埋め込み──という社会的な過程を通じて、そこに暮らす人びとに共有される集合現象として見出されるものであるという意味で〈個人的〉ではなく〈社会的〉である。そうした領域性や境界性の多様性と多層性、そして個別性が集合的な現象として生じる、明確な外延を境界づけることのできない領域。それが現代の都市なのである。

2──内田による〈街/都市〉の対立図式 出典=「都市のトポロジー序説──メディアのなかの都市」 『現代思想』1982年7月号、pp.153-154

2──内田による〈街/都市〉の対立図式
出典=「都市のトポロジー序説──メディアのなかの都市」
『現代思想』1982年7月号、pp.153-154

3 イメージのラッピング

都市とは、そもそも複数の社会の間にあって、それらの社会が出会う場に存在する定住であるという意味で、いわば「境界上の定住」である★一三。それは、都市という場がその〈起源〉においては、都市を通じて出会う集団や社会にとっての〈外部〉であったということ、したがってそれは個々の集団や社会に対して〈外部〉であるという以上の領域性をもたない、それ自体は境界づけることのできない場であったということだ[図3]。ここでは〈街〉と〈都市〉との間にあったのと同様の位相論的な対立が、都市を通じて出会う集団や社会と、定住としての都市が成立する以前の〈原─都市〉とも言うべき場との間に存在している。
定住としての都市は、この〈原─都市〉的な境界づけられない外部が、城壁や象徴的な結界等の境界によって区切られ、その外部性=交通性を維持したまま定住することが可能になるような社会形式によって、その境界線の内側が編成されるところに成立する。先に述べたように、この時、都市に内在する視点からすれば、定住としての都市の内部が〈街〉に対応するような内部領域となり、その外側の、都市と他の集団や社会の間の領域が境界づけられない〈外部〉となる[図4]。だが、それが外部性=交通性を維持したままで定住化する以上──そうでなければそれは「都市」ではなく、もうひとつの村落であるにすぎない──、他の集団や社会に帰属する視点からすれば、都市自体もまた依然として境界づけられない外部に属しており、それゆえ都市の内外を区切る境界線の強度は、それを通じて関係する多くの集団や社会の内外を区切る境界線の強度程には強くはない。こうして都市は、帰属する視点に応じて外部的でも内部的でもありえ、閉じた領域であると同時に開かれた領域でもあるという、両義的な位相をもつ場として、社会の大域的な広がりのなかに現われてくる。古代や中世の都市が、しばしばきわめて堅固な城壁をもつのは、都市の境界線が社会的には開かれており、境界づけられない外部と都市の間にきわめて強い親近性があるために、それらの間の分節を物理的な強度によって補強しなくてはならないからである。
開放性やアジール性をもつと同時に、時に強度の共同体的な団結や排他性をもつという、都市という場がその起源からもちつづけてきた、時に両立不可能であるような背反する相貌は、外部であると同時に内部であり、開かれた領域であると同時に閉じた領域でもあるという、都市のこのようなあり方に由来している。それは、外部性と内部性、開放性と閉鎖性を併せもつ領域であることが、都市が都市として存在するための基本的な条件であったということである。だが、前節で見たように都市に多様なメディアが組み込まれ、都市的な場そのものが諸メディアに媒介された活動の広がりになってゆくと、都市の不定型なスプロールとも相まって内部性や閉鎖性が希薄になり、外部性や開放性の側が全面にせりだしてくる。「都市とは一体何なのか、わからない」という感覚は、都市に対する普遍的な感覚ではなく、外部性や開放性が全面にせりだしてくる近代以降の都市の下で芽生える、きわめて歴史的な感覚なのである。
だが、この「一体何なのか、わからない」領域は、〈外部性〉という言葉が想起させる消極性や残余性、〈開放性〉という言葉が想起させる希薄さや透明さを特徴とするのではなく、産業化とテクノロジーの高度化が生み出した、大量の人口と物財と情報が集積しかつ流通する場としての、圧倒的な存在と活動の強度によって与えられる不定型な領域性として存在している。こうした活動や強度を何らかの統計的な指標によって測定し、それらが覆う範囲を地図上で境界づけられた閉じた領域として近似的に示すことは、必ずしも不可能ではない。実際、都市社会学や都市地理学でしばしばなされるのは、そのような試みである。だが、そのように空間や社会に対して外在する視点から俯瞰された土地空間上の閉域として記述された時、そこからは〈都市〉が〈街〉に対してもつあの位相論的な対立や、そこに生きる身体にとってもつ「わからなさ」という、現代の都市において人びとの社会的な経験を身体的な水準で捉え、規定する構造や属性は抜け落ちてしまう。
〈都市〉を前にして身体を捉えるこの「わからなさ」を埋め合わせるように、近代以降の都市では、多様な記号やイメージが資本の活動を通じて生産・消費されてきた★一四。一九世紀のパサージュに始まり、デパートやショー・ウィンドウ、ポスターやネオンサイン、商業的な建築や街頭の表層を覆うさまざまなデザインや記号や表象が、「わからない都市」の表層を芝居の書き割りのように覆い、都市の「わからなさ」を記号やイメージの水準で代補しようとしている。そこでは、ケヴィン・リンチの言うような現実の都市を表象する「都市のイメージ」ではなく、物質的な世界に表象すべき参照物をもたない「イメージの都市」が生産されて都市の表層に張りつき、人びとの身体を捉えており、都市と人びとの身体の関係を媒介して、大量の身体をイメージの都市へと埋め込んでいるのである。東京の場合、渋谷や原宿、代官山やお台場等、一九八〇年代以降にこうしたイメージの都市化が集中的に行なわれた場所では、そうしたイメージがそれらの地域に他の地域とは異なる領域性を与えている。同じ時期に進められたニュータウンや郊外住宅地の開発でも、ポストモダニズムの建築言語と設計手法を仲立ちとして建物や地区のデザイン化が進み、それまでの団地や住宅地とは異なる「個性的な街並み」を謳うニュータウンや住宅地が、大都市郊外に生み出されていった。
こうした展開は一見すると、記号やイメージの操作を通じて「わからない都市」の内部に、他の領域からデザイン上も意味論的にも差異化された領域が形成されていったようにも見える。だが、そうした場所では建物の表層や内部空間それ自体が資本や自治体等の操作に基づいて生産される記号やイメージを伝達するメディアとなっており、そこで伝達される記号やイメージが資本や自治体のイメージ戦略を通じて容易に書き換えられるものであることを考えるならば、それはメディア化した建築空間による「イメージの街」や「イメージの都市」の代補なのだと言うべきだろう。「イメージの街」や「イメージの都市」は、ある地理的な領域を一定の社会的な範疇に対応するものとして意味付け、分節するのではなく、さまざまなメディアを通じて生産され、流通し、消費される記号やイメージによって都市空間の表層を包装ラッピングし、ラッピングされた記号やイメージを媒介にして、人びとの身体を「イメージの空間」へと誘導している。埋め立て地に作られたテーマ・パークのように、そこでは地理的な空間はイメージを投影する真っ白なスクリーンのようなものなのであり、そのイメージは条件さえ整えば別の場所に投影することも可能なのである★一五。こうした現象が郊外の住宅地やニュータウンにまで広がっていることは、自宅を中心として抵抗なく歩いてゆける範囲である〈街〉の領域にまで、都市空間へのメディアの組み込みと、布置された諸メディアへの都市生活の組み込み、そして都市空間自体のメディア化を通じて、メディアに代補された身体の編成の原理の場である〈都市〉が浸透していったことを示している。

3──外部としての原─都市

3──外部としての原─都市

4──外部における内部領域化としての都市の成立 3、4著者作成

4──外部における内部領域化としての都市の成立
3、4著者作成

4 遍在する外部、蒸発する社会

こうして都市が「わからなさ」とそれを代補する記号やイメージの領域になるということは、「境界上の定住」としての都市から、異質な他者との出会いや交流という意味での境界性が消えてゆくということを意味している。先に述べたように、都市の「わからなさ」や「イメージ化」は、都市に多様なメディアが組み込まれ、都市を土地空間上の単一の領域性として捉えることが困難になり、その外部性と開放性が全面にせりだしてくるところに現われるのであった。そこでは、図3に示した原─都市がそうであったような限定されない外部性が存在するが、そのなかにある個々の身体の周りには「わからなさ」を代補する多様なイメージや記号の層が薄い膜のように張りついており、都市の内部に存在する多様な存在や場所も、そうした場を内包した混成的な領域としての都市も、そうしたイメージ+記号の膜に遮蔽されて、人びとの了解の外部に置かれてしまうのである。言ってみればそれは、個々人の身体の体表面に〈街〉と〈都市〉の位相論的対立に対応する境界面があって、身体の外側は了解不可能な外部的な領域か、記号とイメージによって代補された「イメージの都市」や「イメージの街」になってしまっているということである。
別の言い方をすれば、そこでは都市という場やその内部の領域から、複数の身体からなる集団や組織という意味での社会が〈蒸発〉しており、その隙間を種々のメディア・テクノロジーのシステムや、記号やイメージの戯れが埋めているのである。それは個々の身体の間に領域化されない〈外部〉が遍在しているという意味では、あの原─都市の図式と同様にきわめて都市的な状況ではある。だが同時にまた、互いに異和的な身体が出会う場が失われ、〈街〉や自身の身体のごく近傍やその内部のみが了解可能な世界の境界の内部をなすという意味では、きわめて非─都市的な状況でもある。たとえばそこでは、寄せ場や被差別地区、階級や産業による棲み分け等、都市のなかに確実に存在するさまざまな境界線や領域も、「わからない都市」と「イメージの都市」や「イメージの街」のなかで、多くの人びとの視線から覆い隠されてしまう。都市計画や福祉政策等の行政が対象とする都市内の社会的な諸領域の分節や、そうした境界線と領域を内部に含んだヘテロトピックな場としての都市が、多くの都市住民にとっては対自的に認識されないままに生きられている。それは都市への諸メディアの組み込みと都市の諸メディアへの組み込みが、都市の内部に存在する多様な差異を覆い隠すイデオロギー的な効果をもつ境界あるいは障壁として機能しているということである★一六。

ところで、冒頭で見たボロロ族の社会では、村落の周縁部に円周状に配列した八つの氏族は、その内部が上・中・下の三つのグループに別れ、各々の氏族の上の成員は他の氏族の上の成員と、中の成員は中の成員と、下の成員は下の成員と婚姻することになっているのだという。この時、上・中・下を分かつ分節の線は各氏族の内部を三つに区切っているが、それによってこの社会は、村落の空間にはそれとして描くことのできない二本の線によって、親族関係においては決して交わる点のない三つの部分領域に区切られていることになる。ボロロ族の個々の氏族を三つに分割し、結局のところボロロ族の社会全体を三つに分節しているクラス間の境界線は、村落空間上にそれにして物質化しているわけでもなく、また、ボロロ族の人びとにも対自的に意識されていない。それは、ボロロ族の人びとの婚姻関係において確かに存在しながらも、人類学者という外部からの分析者の視点に立った時にはじめて対象化されうるような境界線なのである。
ボロロ族の社会を彼ら自身の目にも見えないかたちで三つに分断する境界について、レヴィ=ストロースは次のように述べている。

つまり、友好的な協調関係の上に成り立っているような諸制度の装いを纏ってはいるが、ボロロ族の村は結局、分析してゆけば三つの、互いにその中だけで結婚し合う組になってしまうのである。三つの社会は、それと知らずに永遠に区別され、偽りの制度によって自分にさえ見えなくなった尊大さのうちに閉じ込められて、存続するのであろう。それゆえ各社会は、それと知らずに、もはや目的を失った策略の犠牲になっているのである。ボロロ族は、彼らの組織を真しやかな擬人法のうちに拡げてみせはしたが、他の種族以上には、あの真理を打ち消すことに成功しなかったようだ。その真理とは──或る社会が生者と死者のあいだの関係について自らのために作る表象は、結局のところ、生者のあいだで優勢な規定の諸関係を宗教的思考の面で隠蔽し、美化し、正当化する努力に他ならないということである★一七[図5]。


私たちの都市において現実の差異や落差を覆い隠すのは、生者と死者の間の関係の表象ではない。そこでは人びとの身体を個別的かつ集合的に編成するメディア・テクノロジーと、資本を仲立ちとして人びとの身体と意識を捉える欲望の記号や表象が都市と人びとの身体の表層をラッピングして、都市の中に現実に存在する境界や領域の間の差異や落差を覆い隠している。あるいは、そのような落差と隠蔽の場であることが、現代都市という領域を境界づけ、特徴づける社会学的な属性のひとつなのである。

5──ボロロ族の村落に埋め込まれた内婚的な三つの階級 出典=『構造人類学』、p.144

5──ボロロ族の村落に埋め込まれた内婚的な三つの階級
出典=『構造人類学』、p.144

註 
★一──Claude Lévi-Strauss, Tristes tropiques, Plon, 1955.[邦訳=『悲しき熱帯』下(川田順造訳、中央公論社、一九七七)第六部]。Anthropologie structurale, Plon, 1958.[邦訳=『構造人類学』(荒川幾男+生松敬三+川田順造+佐々木章+田島節夫訳、みすず書房、一九七二)第七・八章]。
★二──『構造人類学』三一六頁。
★三──『構造人類学』一五七─一五八頁を参照。
★四──こうした事例については、『構造人類学』第八章「双分組織は実在するか」で詳細な分析が行なわれている。
★五──私はこれまで、近代化以降の都市とそれ以前の都市の間に見出されるこうした意味論上の差異に注目した考察を行なってきた(拙著『熱い都市 冷たい都市』[弘文堂、一九九二]、同「都市空間と社会形態──熱い空間と冷たい空間」『岩波講座現代社会学18 時間と空間の社会学』[岩波書店、一九九六]、同『都市のアレゴリー』[INAX出版、一九九九]、同『都市の比較社会学──都市はなぜ都市であるのか』[岩波書店、二〇〇〇]等)。
★六──『構造人類学』三一八頁。
★七──簡潔に言えば、近代以前の社会では「空間の中に社会がある」のに対して、近代化以降の社会では「社会の中に空間がある」のである。この点については、拙論「都市空間と社会形態」等を参照。
★八──新都市社会学がシカゴ学派を批判する際にときおり用いる言葉を使えば、現代の社会もまた依然として〈空間フェティシズム〉の社会なのだ。
★九──「意味」という言葉の意味を、ここで確認しておく必要があるかもしれない。要するに、異なる二つの事物の間に弁別的な差異が見出される時、その二つの事物の間には異なる「意味」が見出されているのである。
★一〇──内田隆三「都市のトポロジー序説──メディアのなかの都市」『現代思想』一九八二年七月号(青土社)一五一─一五四頁。
★一一──「局所/全域」については、拙著『地図の想像力』(講談社選書メチエ、一九九五)を参照。
★一二──ただしこの場合でも、京都における御所や江戸における城中のように、身分に応じて立入りを禁止された空間がある場合が多い。また、盛り場や色町などのように、普段着ではなく、余所行きや化粧などの〈メディア〉を身にまとうことが要請されるような場も存在する。
★一三──拙著『熱い都市 冷たい都市』、「都市空間と社会形態──熱い空間と冷たい空間」、『都市のアレゴリー』、『都市の比較社会学』等を参照。
★一四──この点については、『都市のアレゴリー』第六章、『都市の比較社会学』第五章─3で、より詳細に論じている。
★一五──現代におけるこうした開発手法については、M. Christine Boyer, “The Great Frame-Up: Fantastic Appearances in Contemporary Spatial Politics”, Hellen Liggett & David C. Perry, eds., Spatial Practices: Critical Explorations in Social/ Spatial Theory, Sage Publications, 1995, pp.81-109. も参照。また、日本におけるこうした手法による都市開発事例の分析としては、難波功士「広告化する都市空間の現在──西武流通(セゾン)グループの軌跡を事例として」吉見俊哉編『21世紀の都市社会学4 都市の空間 都市の身体』(勁草書房、一九九六)第八章等を参照。
★一六──こうした「隠蔽」の過程のより詳細な分析としては、西澤晃彦『隠蔽された外部──都市下層のエスノグラフィ』(彩流社、一九九五)、同「外部の隠蔽──寄せ場・山谷 一九四五─一九七五」吉見俊哉編『21世紀の都市社会学4 都市の空間 都市の身体』(勁草書房、一九九六)第七章、等を参照。
★一七──『悲しき熱帯』前掲訳書、八〇頁。

>若林幹夫(ワカバヤシ・ミキオ)

1962年生
早稲田大学教育・総合科学学術院教授。社会学。

>『10+1』 No.25

特集=都市の境界/建築の境界

>内田隆三(ウチダ・リュウゾウ)

1949年 -
社会理論、現代社会論、マスコミ論。東京大学大学院総合文化研究科教授。

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>吉見俊哉(ヨシミ・シュンヤ)

1957年 -
都市論、文化社会学。東京大学大学院学際情報学府学際情報学教授。