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「シームレス」化に抗するために | 柿本昭人
Resisting the Seamless | Kakimoto Akihito
掲載『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) pp.132-141

一、 複数文化主義の帰結

どうしてこんなことになってしまったのだろうか。「リゾームには始まりも終わりもない。リゾームは常に中間に、ものの間に、存在の間にある、つまりインテルメッゾである」のではなかったのか。「あいだ」とは、「と……と……」の論理によって存在論を転覆する流れではなかったのか★一。「と……と……」の論理は、その両岸にあるものの存在論を強化する最悪の複数文化主義に成り下がってしまった。それだけではない。「あいだ」はあらゆる多様性をヴァリアントに変換する、倒錯的な同一性というコンテナの役割まで担わされている。「あいだ」は、対立する二者関係をヴァリアントでしかない多様性に置換する「シームレス」な世界の保証人となってしまった★二。

ところで、現代のわれわれを取り囲む社会が、「シームレス」なものへと向かっていると考えたことはないだろうか。つまり、さまざまな水準でボーダーレス、フラットネス、ユニセックスな方向へと進んでいるということだ。インターネットがもたらした越境型ネットワークの形成、派閥政治が崩壊して出来たワイドショー国会、旧財閥系の都市銀行が合併して出来たメガバンクというようにボーダーレスな社会的状況を挙げればきりがない。デザインの世界でも、たとえばイッセイ・ミヤケが発表した《A─POC》は「継ぎ目がない」という意味で文字どおりシームレスだし、カルヴァン・クラインとしては初めてとなる男女兼用香水《CK─one》もある。また「アイコラ」と呼ばれるアイドルタレントの合成写真も、顔と身体のミスマッチ感が、逆に「シームレス」であることで増幅されるといった具合だ。近年、建築界にも同様な流れがある。おもにアムステルダムで活躍する建築家ベン・ファン・ベルケルは著書『ムーヴ』(一九九九)のなかで、「コラージュ」と対峙する概念として「ハイブリッド」を掲げ、これを継ぎ目がない「コラージュ」状態だと定義しこれからの時代を先読みする。つまり「コラージュ」を、文脈から切り離された異質な諸要素が、同一平面上に並置されることによって生じる意味自体を探るものだったとすれば、「シームレス」はそれらが連続的に繋がることで逆に本来あるべき姿を連想させ、繋がれたもの同士の差異を強調するというわけだ★三。

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>柿本昭人(カキモト・アキヒト)

1961年生
同志社大学政策学部教授。社会思想史。

>『10+1』 No.25

特集=都市の境界/建築の境界