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32:岡田哲史:「行為としての思考」の到来 | 丸山洋志
Satoshi Okada: An Advent of Thoughts as Actions | Maruyama Hiroshi
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) pp.158-159

1962年兵庫県生まれ。1994年、建築都市計画研究所ateliera+a設立。現在、岡田哲史建築都市計画研究所代表。主な作品=《上麻生の家》《冨士山麓の家》《松原の家》《和田の家》《代田の家》《荻窪の家》ほか。
主な著書=『ピラネージと「カンプス・マルティス」』(共著、本の友社、1993)、『ピラネージの世界』(丸善、1993)ほか

危機を自覚的に生きる建築家

 
ある意味で、われわれの理性は、外側に現われている自然(実自然)を前提に成立していると言ってよい。その基礎になっているのがアリストテレスだ。基本的に、彼は「思考」が人間に先天的に備わったものであると見なした。その思考における所与の感覚(内容)の捨象プロセスにおいて、「理性」「知性」「認識」を導き出している。単純化するならば、すべての感覚内容を自然界に見出せるものに(比喩によって)置き換え、その仕組みを解明することによって「理性」的存在としての人間を確認する、となる。しかし、感覚が所与であると言いえても実在する肉体を根拠におくかぎり、その肉体が消滅したら感覚も消えていくであろう。そこで、感覚の捨象から霊魂の抽象化(もちろん「理性」「知性」「認識」のこと)へと至るには、徹底的に実在的なモデルが必要となる。それが建築と呼ばれてきたものであろう。建築は、「不確かさ」から「確かさ」へのプロセスの説明原理となる「確かなモデル」として機能してきたのだ。
外側にある自然がモデルになったとはいえ、このプロセスの始まりに想定されているものは根源的自然状態からの分離、すなわち「否定」である。このことは、われわれが理性的であるためにいまだ弁証法(否定性の発動)を駆使せざるをえないことからも了解されるであろう。それにしても、人間は否定という感覚を、いかにして最初に身につけたのであろうか(もちろん「思考」が先天的なものであると信じる者は、こんな問いなど発しなくてよい)。このような素朴な疑問は、一挙に理性=自然といった内的問題設定を招聘することになる。なぜならば、外側に現われている自然をどれほど分析・観察しようとも「否定という感覚」のモデルになるものなどないからだ。この理性=自然は、「否定」に基づく外的自然の克服の確固たるモデルであった建築の地位を失墜させることになる。いや、建築が建築であるためには、われわれの内面における理性と自然の照合性を「肯定」するモデルへと変容せざるをえない。しかし、この問題設定の「始まり」は「否定という感覚を、いかにして最初に身につけたのか」であり、それも外的自然の排除において問うことであった──確かな答えなどあるはずもない。そこで、建築は「確かさのモデル」どころかわれわれの根源にまつわる曖昧性・不可知性を担う「不確かさのモデル」であることを露呈する。
おそらく、G・B・ピラネージはこのような「危機」を自覚的に生きた最初の建築家であろう。形而上学に対する自然科学的解明が人間的思考の本質とは無縁であると指摘した哲学者ヴィーコ(当時の自然科学的展開だけではなく、アリストテレス的伝統を批判の射程にしている)。そのヴィーコの考えに触発されたであろうピラネージを二〇世紀の後半において(博士論文の一環として)真摯に研究した建築家ならば、一九七〇年代後半からの建築的変遷すなわちポストモダン的折衷主義─脱構築的理性解体主義─モダン回帰的ライトコンストラクション─システムコミュニケーション的プログラム主義が決してスタイル的な変遷ではなく、それこそピラネージの生きた時代に通底する「危機」(理性の危機と捉えてもよいし、近代的自我の宿命と敷衍してもかまわない)のエントロピー的増大を反映するものと自覚するはずだ。

《まんぼう》

 
建築家岡田哲史の初作(処女作ではない)《まんぼう》の支持体は急勾配という敷地与件が要請したものとはいえ、明らかにドミノである。ある意味で、自然状態としての敷地と理性の体現とも言える純粋幾何学的な建築本体との媒介性を剥き出しにしているがゆえに、ドミノ以上にドミノ的象徴性が高い。通常、ドミノとともに語られる自由(『自由な平面』)とは、自由そのものあるいは自由を行為的に確認すること(カントの「構成的原理」)でもなく、経験的な感情を自律的な理性の目的的自己承認によって客体を克服する、すなわち自由の「本性」は何かを理性的に問うことである。ドミノは、そのための「統制的原理」として作用するものと言える。つまり、ドミノは、外的拘束=形而上学(ドミノに古典的秩序を読み込むことなどはこれである)から先験的な理性の内的拘束への転化を経験する場としての「平面」を支持しているのである。
しかし、その楕円球がある程度予測させていたとはいえ、《まんぼう》の内部に闖入するや、この理性的期待は見事に裏切られる。かろうじての足場でしかない玄関レヴェル、そしてドミノに支持される水周りが収まる一階とリビング・スペースの二階。しかしながら、内部空間があくまで楕円球の内側面に属していることは、そこかしこにある隙間(階段室、吹き抜け)から容易に確認できよう。ここではドミノも、それが支持する床面も同じように闖入者にすぎないのだ。実際、《まんぼう》のドミノはなんら理性的実効を果たすことなく、楕円球の内部でむなしく中断しながら、空間の無用物と化している。ある意味で、ここでのドミノの「垂直線」や楕円球面のうがたれた開口がつくりだす「曲線」は、岡田が周到に参照したであろうあのピラネージの《牢獄》シリーズにおける振り子の垂直糸や滑車の綱と同じであると言えるかもしれない。ピラネージにおいてはこの機械からくりと拷問用具の近似性がその後の近代的疎外を予兆するものとしてアレゴリカルにあるいはイデオロジカルに語られるが、冷静に彼の《牢獄》空間を検証していくと、これらの要素が残骸化した古典建築のオーダーに代わって知覚的な統制的原理をもたらしていることに気がつくはずだ。そのかぎりにおいて、ピラネージの《牢獄》を特徴づけている浮遊する楕円の空間そのものは「内」と「外」との境界活動を予期させながらも、あくまで統制的原理の「彼岸」(古典的建築の廃墟)に留まっていると言えよう。
ここまで述べれば、岡田哲史が《まんぼう》で試みていること、あるいは建築という機能体に何を期待しているかおぼろげに了解できるであろう。ピラネージ的空白を埋めるもの、あるいは空白に現出する「行為としての思考」──「肯定」的なこの表現が(形容矛盾でなく)成立するのは、思考について思考するのみにおいてだ。それを、知覚における単なる「構成的原理」と「統制的原理」のモンタージュであると言うことは避けよう。モンタージュこそ、その両原理の識別不可能性のもとに現出するものなのだから。再び、「行為としての思考」──われわれ人間がかつてそのような「行為」をおこさなかったら「知覚」どころか「感覚」すらも獲得できなかったはずのもの(「前感覚」に留まる)。そして、そうでありながら、われわれがもはや「そのこと」をひとつの「構成された虚構」(=「仮象」)においてしか問えない「存在」であることヘの自覚。闖入者を受け入れることによって「此岸」であることを告げる「まんぼう」の楕円。それに従うように超越論的効果を頓挫させ、行為としての思考を創造する「構成」へと向かうドミノ。もちろん、それは「始まり」の思考の到来、「思考」の始まりの到来でもある。
そして、岡田哲史のこのような建築的所作は、言うまでもないことだが理性的啓蒙というよりも「別な」啓蒙である。

1──《まんぼう》外観 撮影=平井広行

1──《まんぼう》外観
撮影=平井広行

2──同上、2階内観 撮影=平井広行

2──同上、2階内観
撮影=平井広行

3──同上、3階内観 撮影=平井広行

3──同上、3階内観
撮影=平井広行

4──ピラネージ《牢獄》第2版、1761 出典=『武蔵野美術』No.101

4──ピラネージ《牢獄》第2版、1761
出典=『武蔵野美術』No.101

>丸山洋志(マルヤマ・ヒロシ)

1951年生
丸山アトリエ主宰、国士舘大学非常勤講師。建築家。

>『10+1』 No.22

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1962年 -
建築家。岡田哲史建築設計事務所主宰、千葉大学大学院工学研究科准教授。