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29:アトリエ・ワン:〈状況〉との距離 | 山中新太郎
Atelier Bow-Wow: Distance from "the Situations" | Yamanaka Shintaro
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション, 2000年12月発行) pp.150-151

塚本由晴 Yoshiharu Tsukamoto:1965年生まれ。東京工業大学大学院助教授。92年、貝島桃代とアトリエ・ワンを共同設立。
貝島桃代 Momoyo Kaijima:1969年生まれ。筑波大学芸術学系専任講師。主な作品=《田園に佇むキオスク》《ハスネ・ワールド・アパートメント》《アニ・ハウス》《ミニ・ハウス》(99年東京建築士会住宅建築賞金賞および第16回吉岡賞受賞)、《川西町営コテージB》《モカ・ハウス》。プロジェクト=「メイド・イン・トーキョー」

色褪せる〈都市〉


建築家は、周囲の環境をありのままに受け入れることには不慣れである。それというのも正統な近代建築は、革命的とは言えずとも進歩的であり、ユートピア志向であり、非常に純粋だからである。だから彼らは既存の状態に不満足なのであり、それゆえに近代建築は包容力を欠いているのである。建築家はすでにあるものを愛するよりは、既存の環境を変えることを好んだ★一。


九〇年代後半の都市論には、いくつかの共通認識がある。そのひとつは、都市的なものが自分たちのまわりに離れがたく存在しているという認識である。この離れがたく存在しているものが〈都市〉であるという実感はないが、さりとてそれを〈都市〉ではないと言い切ることもできない。われわれが住む場所から、都市的ではない風景が急速に姿を消していることは疑いようがないとしても、それが即〈都市〉に反転していると言い切ることはできない。むしろ、非都市の消失によって〈都市〉そのものの概念が希薄になり、自分たちの周りには、〈都市〉でもなく、非都市でもない、断片的で混然とした風景だけが残ったというほうが正しいのかもしれない。いまやわれわれの前には、〈都市〉の概念からこぼれ落ちたような、それでいてやはり〈都市的〉としか言いようのない、ある種の〈状況〉だけが広がっている。善悪の問題ではなく、こうした〈状況〉が自分たちにとってもっともリアルな環境になっているということを認めないわけにはいかない。
まず〈状況〉を観察しなければならないと彼等は言う。今まで議論されてきた都市の概念や都市の計画はいよいよ色褪せていき、身近で具体的な〈状況〉だけがわれわれの目の前に浮かび上がっているのである。

近接する風景とアトリエ・ワンの住宅

一九九二年、塚本由晴貝島桃代によって活動を開始したアトリエ・ワンは、こうした色褪せる〈都市〉の申し子かもしれない。竹内昌義と共同した《ハスネ・ワールド・アパートメント》(一九九五)は、都心でも郊外でもない雑然とした町並みの中に立っている。東京的としか言いようのない中途半端な風景の中に(これまた中途半端なスケールの)賃貸アパート+事務所を建てる。この与条件に対して、アトリエ・ワン+竹内昌義は、ビルディング・タイプを観察することから設計をはじめている。「館名板」、「鉄骨階段」、「受水槽」、「フローリング」、「家具」という賃貸アパートのアイテムを拾いだし、それぞれのデザインを即物的に判断する。その際には複数の価値観や認識が反映される。そこでは、周囲との関わりも、設備も内装も同列に扱われる。アパートメントハウスというビルディング・タイプを標的に、そのビルディング・タイプをそうたらしめている個々の属性から問い直し、再構成する。ややもすると、凡庸さのなかに落ち込んでしまいそうな条件のなかで、その凡庸さの観察から問題を探り当て、それを反転したのである。
このプロセスは《アニ・ハウス》(塚本由晴+貝島桃代/アトリエ・ワン、一九九七)にも共通する。「住宅地の四角い敷地に両親と子供ふたりのための専用住宅をつくるという普通さ」★二が、敷地に対する住宅の建ち方に目を向けさせたと彼らは言う。四角い敷地の真ん中に建物を建てることは、当たり前に思えるかもしれないが、住宅地にあってはまったくあたりまえではない。通常、敷地が与えられてヴォリュームが決まるまでの間に、建物はさまざまな条件とさまざまな思惑によってじりじりと敷地の中を移動し、形を歪めていく。住宅地の違和感はこうした設計プロセスの結果であると彼らは考える。こうした不可解な共犯関係が敷地と建物の間にあるということを、この住宅は敷地の真ん中に建つことで批判している。
一方、《ミニ・ハウス》(東京工業大学塚本研究室+貝島桃代、一九九八)も隣接する建物に対して際立った違いを見せている。それは驚くほど小さい。現行の法規では斜線制限の影響で原則的に敷地が小さくなれば建物も小さくなる。だから、《ミニ・ハウス》の小ささは当然の帰結ともいえるが、通常は建物を制限一杯に大きくすることが求められるため、建物は単純に小さくならず、いびつになる。この建物は小ささというネガティヴな条件を逆手にとって、周りの建物のいびつさを、あるいはそのいびつさが建物の内容と無関係に決められてしまうことへの無関心さを批判している。《ミニ・ハウス》は、環状八号線の予定地が生んだ絶好の「引き」を計算に入れながら、建ち方ひとつでこのメッセージを伝えている。

〈状況〉との距離

《ハスネ・ワールド・アパートメント》でビルディング・タイプを属性から問い直したことも、《アニ・ハウス》や《ミニ・ハウス》で敷地と建物を問い直したことも、どちらも目の前にある〈状況〉を観察することから生まれている。「メイド・イン・トーキョー」(Team Made inTokyo)でも、この姿勢は変わらない。〈アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー一九九六〉に出展されたこの作品は、ビルディング・タイプの特異な混在例を収集し、東京のハイブリッド性を鮮やかに見せた。取り上げられた題材の新鮮さや名づけ方の軽妙さも、この展示が近年になく冴えたものであったことを感じさせる。さらに、Tシャツという媒体が彼らのメッセージを明確にしている。都市的な〈状況〉が生んだ奇妙なビルディング・タイプを身につけて歩く。そこには、こうした〈状況〉を身体的な延長として認め、それをポジティヴに楽しむという彼らのメッセージが表われている。《住吉の長家》が目の前の〈都市〉に背を向けたことと、なんとも対照的な姿である。
アトリエ・ワンが観察する対象を「コンテクスト」と呼ぶのは誤りであろう。彼等はコンテクスチュアリ
ズムとは一線を画している。彼等が目をつけるところは「コンテクスト」の範疇を超えた〈状況〉である。〈状況〉はよりリアルであり、具体的であり、広範である。彼等は都市の文脈に興味を示しているのではない。目の前にある〈状況〉を見ているのである。それは、俯瞰的な視点でも抽象的な視点でもない。自らに近接した〈状況〉を問い直し、さらにその先の建築的な可能性を探っているのである。これが、アトリエ・ワンの〈状況〉に対する「立ち方」である。アトリエ・ワンの作品は、ごく身近にあって見過ごしてしまっているような状況、あるいは理想主義者が目を背けるような状況、あるいは計画者が手をつけられないほど入り組んだ状況のなかに、建築的な可能性があるということをわれわれに示しているのである。


★一──R・ヴェンチューリほか『ラスベガス』(石井和紘+伊藤公文訳、SD選書、一九七八)二四頁。
★二──塚本由晴「住宅の建ち方」(『住宅特集』一九九八年二月号、新建築社)。

1──ハスネ・ワールド・アパートメント 写真提供=アトリエ・ワン

1──ハスネ・ワールド・アパートメント
写真提供=アトリエ・ワン

2──アニ・ハウス 写真提供=アトリエ・ワン

2──アニ・ハウス
写真提供=アトリエ・ワン

3──ミニ・ハウス 写真提供=アトリエ・ワン

3──ミニ・ハウス
写真提供=アトリエ・ワン

4──メイド・イン・トーキョー 撮影=大高隆

4──メイド・イン・トーキョー
撮影=大高隆

>山中新太郎(ヤマナカ・シンタロウ)

1968年生
山中新太郎建築設計事務所主宰、日本大学理工学部助教。建築家。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション

>アトリエ・ワン

1991年 -
建築設計事務所。

>塚本由晴(ツカモト・ヨシハル)

1965年 -
建築家。アトリエ・ワン共同主宰、東京工業大学大学院准教授、UCLA客員准教授。

>貝島桃代(カイジマ・モモヨ)

1969年 -
建築家。筑波大学芸術学専任講師。塚本由晴とアトリエ・ワンを共同主宰。

>竹内昌義(タケウチ・マサヨシ)

1962年 -
建築家。みかんぐみ共同主宰、東北芸術工科大学環境デザイン学科教授。

>アニ・ハウス

神奈川県茅ケ崎市 住宅 1998年

>ミニ・ハウス

東京都練馬区 住宅 1999年