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28:I.C.U.:クロノスの奪回 | 大島哲蔵
I.C.U: Recapturing Khronos | Oshima Tetsuzo
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) pp.148-149

長田直之 Naoyuki Nagata:1968年生まれ。90─94年安藤忠雄建築研究所勤務後、94年I.C.U.開設。大阪芸術大学、大阪市立大学非常勤講師。95、96、99年SDレビュー展入選。中部建築賞、JCDデザイン優秀賞など受賞。主な作品=《HIYOCOHOUSE》《九門邸》《邯鄲─HOUSE》《Nishino office》《Ig》《Na》《Nishino Annex》など

個性的な匿名作家

I.C.U.とはIntensive Care Unitの略語で「集中治療室」の意味だそうだから、「みかんぐみ」や「建築少年」のごとき牧歌的ネーミングとは対照的だが、おそらく互いに共通した気分を反映していると思われる。つまり危機の意識がそのまま言表されたタイプと裏返ったそれだが、略記されることで意味は消えるのだから「建築への埋没」を避ける構え(実際はそうはいかないが)では一致している。組織形態から言うと、これらは「非中心化された」設計主体を表わしており、同人によるチーム編成──OMAレム・コールハース)をモデルにしているのだろう──を旨としている。すなわち、彼らが学生時代を終えようとする時期、先行したモダニズムは背景へ後退しポストモダンが主導権を握るが、その操作主義的レトリックにも同様に赤信号が点灯していた。そして「肥大化した作家性」という意味では両者とも選ぶところはなかった。とくに安藤忠雄というグロテスクなまでの中心性を実体験した長田直之は、その反動として集団化された錬成、対話的な関係構築としてのプランニングに活路を見出そうとしたものだろう。
しかし何人かのパートナーが長田の女房役として触媒作用を果たしたとしても、今のところI.C.U.は長田以外のものではなく、今後もそうである公算が大きい。ただし幻の共働体をめざすのも悪くはなく、最初から所与の「個人事務所」──ア・プリオリな「主体性」──に自足するより期待がもてる。現代的な匿名性という概念が、確かにありうるのだ。それでもなおI.C.U.の過去の作品傾向のうちに、ある明快な党派性を見ることが可能で、評者の興味もその一点に集中している。
何年か前に発表された《九門邸》(兵庫県芦屋市)は、震災に見舞われて液状化を起こした埋立地に建っていた。それは老夫妻の隠居スペース(ご両人とも趣味人らしい)だったが、むしろ若いカップル向きのモダンデザインで押し切った思い切りのよさが印象に残った。周囲に建つ既存の住宅が不等沈下を起こすなかで、水平線が互いにズレて見えるシュールな状況が再生のイメージを(意外な形で)喚起していた。それは独立後二年目の事実上の処女作だったが、「誰に習ったのか」と言いたくなるほど世慣れていた。「流行りもの」に敏感なのはまずもってよいことである。ましてそれをスマートに再現できる能力(「SDレビュー」の常連である)を当初から備えていたのは心強い。しかしモダニズムの言語を器用に操った者、ポストモダンを無難に翻案した者、「都市住宅」風のコンクリート打ち放し住居に安住した者は単なる流行作家に終わった。
写真で見る限り次作《邯鄲─HOUSE》でも流通力のある表現を難なくこなしていたが、この段階になると「器用貧乏」とか「フルパターン」というレッテル貼りが頭をもたげていた。つまりアンドー的ワンパターンへの反動が持前の流暢なヴォキャブラリーをフル駆動している印象である。それから《Nishino Annex》(大阪府吹田市)を見学したのだが、この時点で私はI.C.U.がなかなか隅には置けないことを確信した。この作品自体は小パヴィリオン/事務室といったささやかな空間なのだが、コンクリートの箱が層状にズレ──かなりトリッキーな構造である──を起こしていて外部との関係も陳腐ではなく、部分的にカットアウトされた天井からの光をテフロンテントで調光するなど、遊戯的なミニマル空間が成立していた。そこでは現代美術とのちょっとしたコラボレーションも試みられていて、こうした意欲的な活動もいずれ外延的な展開につながるだろう。

1──《九門邸》

1──《九門邸》

2──《邯鄲―HOUSE》

2──《邯鄲―HOUSE》


3──《Nishino Annex》

3──《Nishino Annex》

危機管理のプロ

コンクリートボックスをアイロニカルに扱ってみせる所作──コールハースに導かれて──が何を意味するのかは指摘するまでもないだろう。彼の強みは危機意識──情況を批判的に見る目──を持つことだろう。それはまだ、それを持っていなければ話にならないという自己認識のかたちをとるが、若くしてそれを持っている建築家は稀で、そうした意識だけがやがて、一般的成就を「危機」ととらえうるのだ。またそれは今や遍在する「外部の危機」を内部のそれとして捉え返す能力でもある。彼のパートナーが今のところ長続きしないのは、技量やその他の問題ではなく、危機の意識化で拮抗できないからだと推察する。
《Na》(岐阜県多治見市)という作品に付された文章で長田は「ピンボケ写真」に言及している。彼が言うには生活像というのはつねにぼやけていて、プランニングの解像度を上昇させて「完結」させるよりも、許容度の高いアーティキュレーションでブレを生じさせたいという話──むろん山本理顕らへの反論である──なのだが、私はこの作品に接してみて、これまでの作品も含めて、別の意味で彼の作品は「ピンボケ」なのではないかと思うようになった。つまり彼の空間計画は過剰とか残余が発生していないという意味であくまで明快で論理的なのだが、では改めて「それで何をしたいのか」と問うた瞬間に像がぼやけてしまう。彼は半ば意図的にそうした状態を引き延ばしており、私が先に触れた「明快な党派性」とはまさにその遅延のもどかしさなのだった。これは主題を見出すことができない焦燥感などではなく、さし当たりそれがないことを受認したうえで「ピンボケ」を明示するという裏腹な意識である。それは「なすべきこと」が自ずから起動する前段的な膠着状態にほかならない。

4──《Na》

4──《Na》

《Ig》(福井県武生市)で試みられたのは、輻輳した時間の流れをいかに調停するのかだった。多くの別々の時間性が刻印された棟を新規付加のアトリエ(クライアントはアーティストである)を介して再編するのである。長田はクロノスのアレンジャーとして「失われた時を求めて」(プルースト)彷徨する。軸線や
動線、開口の枠組みが念入りに配列されることで、視覚像の連続的な交替が果たされている。建築的現象を美学的に切り分ける技巧は彼の最も得意とするところなのだ。ただ彼の言う「タイムラグのコンフリクト」が表現されてはいるものの、実際には生起していないのが惜しまれる。面白いのは構内をパサージュ(旧農道だが内部通路でもある)が貫いていることで、それが小ギャラリーとコートに接続されたセミパブリック空間を形作っている。地方都市で個人が主宰するアート関連スペースとして、これだけのライヴ感覚が表現できれば文句のつけようがない。しかしほかならぬ長田自身がこれにも不満足なのではないか。彼は建築の包含するポテンシャルを設計行為に定着したからといって満足するタイプではない。「引き渡し」が済んでからが問題なのだ──と彼も考えている。《Ig》の出現が画家や当地に何をもたらし、メディア空間はいかにレスポンスしたのか。はっきり言えるのは「好意的な反応」よりも反発や熱烈な共感を引き出す投げ掛けこそが必要だということで、ヘルツォークの《ゲーツギャラリー》を持ち出すまでもなく、品のよい(病理的ではない)板張りや白塗りの壁にパフォーマティヴな展開力は望めない。彼が表現したかったのは「時間の矛盾律」のようなものだったはずである。

5──《Ig》

5──《Ig》

I.C.U.は結成されてから七年目だが、実作、コンペ、各種のコーディネイト、教育活動と幅広い分野でかなりの成果を収めてきた。それだけに、活動は全体として転機にさしかかっていると思われる。今のI.C.U.に必要なのは多くのことではなく、ひとつの言葉とか概念、あるいは何事かとの出会いなのではないか。それを料理する腕前は実証済みであり、その新しい要素と絡んで、旗は高く掲げられるに違いない。

>大島哲蔵(オオシマ・テツゾウ)

1948年生
スクウォッター(建築情報)主宰。批評家。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション

>みかんぐみ(ミカングミ)

1995年 -
建築設計事務所。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...