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アウト・オブ・コントロール・スペース──変動するインフォ・ジオグラフィ | 四方幸子
Out of Ctrl _ Space: Modulating Info-geography | Shikata Yukiko
掲載『10+1』 No.27 (建築的/アート的) pp.73-101

新しい技術的—経済的パラダイムは、経済的、機能的組織の不可逆的空間論理としてフローの空間をもたらす。そこで問題は、いかにして場所の意味を新しい機能的空間に接合するかということになる。場所にもとづく社会的意味の再建には、社会的、空間的オルタナティブ・プロジェクトの、文化的レベル、経済的レベルそして政治的レベルの三水準における同時的接合が必要となる。
マニュエル・カステル★一


現在わたしたちが「都市」や「建築」について語る場合、もはや実体的単位のコンストラクトのみを意味することはない。都市や建築は、それぞれが単発的な存在としてではなく、交通空間やテレコミュニケーション・テクノロジーなどによって複雑にネットワーク化された〈状態〉としてあり、人間と情報、つまるところ経済、交通、生態環境に至るまでさまざまな情報のフローがつねに重なりダイナミックに作動しあうものとしてとらえられる。世界をスタティックなものでなく、可視的なものと不可視なものの関係の強度の作動として見る方向は、二〇世紀後半においては、たとえばドゥルーズ=ガタリ—マヌエル・デ・ランダに至る諸理論が提出した〈機械〉──〈情動機械〉〈戦争機械〉など──の諸概念に遡ることが可能だが、とりわけ九〇年代以降において進展した電子ネットワークによるグローバルな情報化は、さまざまなフローの作動による生成変化としての世界観をたちまちリアルなものにしたと言えるだろう。
マニュエル・カステルは、九〇年代半ば以降〈フローの空間〉という概念によって、現在の社会構造を分析してきた社会学者である。彼の言う「フロー」とは、「われわれの経済的、政治的、象徴的生活を支配する過程の機能的表現」★二であり、具体的には資本のフロー、情報のフロー、技術のフロー、組織的なインタラクションのフロー、イメージや音のフローなどとして示される。ネットワーク社会を形成する新たな空間形態の特徴である〈フローの空間〉を構成する三つの層としてカステルが挙げるのは、「電子工学的衝動(マイクロエレクトロニクス+テレコミュニケーション)、コンピュータ・プロセシング、高速輸送」、「その結節点および中心点(nodes and hubs)」、そして「(階級よりむしろ)支配的エリートの空間的組織化」である★三。
これら三つの層が促進する〈フローの空間〉において、カステルはグローバル経済の意志決定機能をもっとも可視的なネットワークの型として挙げている。冒頭の引用は、そのような状況を踏まえて新しい機能的空間=〈フローの空間〉が各地域のローカリティへと接合することの重要性を切実に述べたものと言える。カステルは「文化、経済、政治的レヴェル」を接合する「社会的・空間的オルタナティブ・プロジェクト」の必要性を述べているが、それはいかなる作動や契機によって可能なのだろうか。そのために考えられるのは、いかなる特定のポジションにも留まらず、複数の視点をもちつつ移動することで、既存の諸概念を新しく読み替え再布置していく諸力だろう。そしてその能動力を秘めたものとして、広義のアートを導入してみたい。
ここでの「アート」とは、近代的な概念としてのアート──たとえば作品の唯一性や自律性、客体性──からは離れ、可視、不可視にかかわらず諸分野を超えてコミュニケートし、コラボレーションを行なう遍在的なプロジェクトとして想定される。つまりグローバル経済が支配的な〈フローの空間〉を再考しそれに対抗するための、諸フローの再ネットワーク化を促進しうる活動であり、「アーティスト」とは、コンラート・ベッカーが述べているように「変化のためのエージェント」★四──変化を起こす契機を投げかけ、変化に介入する存在──としてとらえられる。そしてそのような動きが発揮されるのは、公共的な社会空間、特にフローの結節点としての都市空間においてだろう。
アートの社会空間への進出は、もちろん今にはじまったことではない。すでに二〇世紀初頭には諸々の前衛芸術運動が、六〇—七〇年代にはパフォーマンスやハプニングが欧米においてさかんに行なわれている。それはつねに同時代のメディア・テクノロジーおよび経済システムと密接に関係し、世界が新たなフローの層で覆われはじめた時に現われたと言っていい。前者においては交通機関や複製技術を得た大都市が、後者においては交通・通信手段、マスメディアによるグローバル化が、都市において時間や空間の位相を劇的に変容させている。アーティストたちは、社会、人間に急激な同一化を要請する状況を臨界的なものと即座に感知して、自らを都市や社会空間へと送り出したのである。そして現在。情報フローの空間はそれまでになく断片化、多層化し、つかみどころのない権力の空間を生み出しつつある。このような状況においてどのような戦略が可能であり、実際何がなされつつあるのだろうか。それを検討するために、ひとまず過去を少し振り返り、社会や空間、そしてそれらを支配してきた権力空間──おもに視覚および表象のシステム──を確認するこ
とは無駄ではないだろう。

一 スペクタクルの撹乱

シチュアシオニスムを先導し、スペクタクル批判を続けたギー・ドゥボールが、「心理地理学サイコジオグラフイ」「漂流デリーヴ」といった、都市を撹乱するための新たな地理学の導入を試みたことはよく知られている。ドゥボールにおける「都市」とは、マスメディアに代表される大衆消費社会を表象する空間装置であり、そのまま日常生活に蔓延するスペクタクルへとつながるものとしてある。アンリ・ルフェーヴルは、すでに四五年に「日常生活批判としてのマルクス主義」★五を提唱しているが、ドゥボールの日常生活批判がルフェーヴルの概念を転用して展開されたことは明らかである。また「スペクタクル」は、空間的な問題にとどまるものではない。ドゥボール自ら「世界的スペクタクルの時間」と述べているように、スペクタクルの撹乱は、「心理地理学」や「漂流」という移動のプロセスをもつことで、必然的に時間的側面をともなっている。
イジドール・イズーが率いる実験芸術運動レトリスムとの接触をきっかけにパリに出てきた経緯をもち、アスガー・ヨルンやコンスタントらによる芸術運動コブラと接点をもちながら、ドゥボールは六〇年代にはシチュアシオニスト・インターナショナルからアート的な側面を切り離し、求心的な政治活動へと向かっている。その中でドゥボールは、断続的に映像の転用とテキスト断片を組み合わせた実験的な映画作品を発表しているが、それは芸術としてではなく、あくまで映画というスペクタクル・メディアを裏返した徹底的なスペクタクル批判としてあった★六。これらシチュアシオニスムが行なった数々の批判的実践は、同時代およびその後の欧米のアートシーン──フルクサス、ヌーヴォー・レアリスム、エクスパンデッド・シネマなど──に大きな影響を与えていく。
たとえばニューヨークでは、六〇年代以降アーティストや音楽家、詩人、ダンサーらによる都市空間での偶然性や日常性、反復性をとり入れたパフォーマンスやハプニングがさかんに繰り広げられている。都市の日常性に亀裂をいれるこれらの行為は、デュシャンやダダイスムの精神を受け継ぎつつ、同時代の社会を揺るがすきわめて政治的な試みでもあった。六二年にはジョン・ケージやマース・カニングハムの影響を受けたトリシャ・ブラウンやデボラ・ヘイ、スティーヴ・パクストンら多数のダンサーが、ジャドスン記念教会で行なったダンスの饗宴を皮切りにジャドスン・シアター・グループが誕生、トリシャ・ブラウンの《ビルの側面を歩いて降りるウオーキング・ダウン・ザ・サイド・オブ・ア・ビルデイング》(一九七〇)など、都市空間がアートのステージとして変貌していく。また六〇年代にはニューヨークの建築連盟アーキテクチユラル・リーグがアーティストにニューヨークの路上を使った約一カ月間のパフォーマンス《ストリート・ワークス》を依頼、その時実施された作品にヴィト・アコンチの《追跡フオローイング・ピース》(一九六九)がある。
ここでアコンチが選択したのは、自らが追跡者となることだった。二三日間、毎日任意の時間に路上にいる任意の人間の後を密かに追跡し、当人が自分の家やオフィスなどプライベートな場所=アコンチが入れない場所に入るまで見届け、その記録を友人に郵送で報告するというものである。追跡者という(見えざる)エージェントに自ら扮し、都市というアノニマスな空間で人をつけるというこのプロジェクトは、プライヴェートとパブリックの境界の存在を可視化することで、個々人の領域および地理学を明らかにしている。またプロジェクトとして記録を特定の人物に郵送するというプロセスをもつことで、受け取った者を〈観察者〉(エージェントの依頼人)として事後的に定位させている。エージェントが主体を形成するのである。

1──トリシャ・ブラウン《ビルの側面を歩いて降りる》1970 出典=Rose Lee Goldberg, Performance: Live Art Since 1960, Harry N. Abrams, 1998.

1──トリシャ・ブラウン《ビルの側面を歩いて降りる》1970
出典=Rose Lee Goldberg, Performance: Live Art Since 1960, Harry N. Abrams, 1998.

2、3──ヴィト・アコンチ《追跡》1969, New York 出典=Gloria Moure, Vito Acconci: Writings, Works, Projects, Ediciones Polígrafa, 2001.

2、3──ヴィト・アコンチ《追跡》1969, New York
出典=Gloria Moure, Vito Acconci: Writings, Works, Projects, Ediciones Polígrafa, 2001.

そしてダン・グレアム。アーティストとしてスタートし始めたばかりの彼が、アメリカ郊外の木造住宅を撮影した《アメリカのための家ホームズ・フォー・アメリカ》を発表したのは六六年である。大衆消費社会において、画一・量産化された住宅が郊外独特の風景を構成し始めた時代に、グレアムはそれらを一種ミニマリズムの反復的なオブジェとして再発見したと言える★七。ロバート・スミッソンはこの作品に対して「『建造物ビルデイング』の言語を読む行為」と述べているが★八、日常的な社会の構造化──建物やサバービアが資本主義の論理によって形成され、その空間性が人々に見えざる規範を植え付けている事実──を明らかにするきわめて批評的な行為と言えるだろう。グレアムはまた、この作品をスライド・プロジェクターによる展示だけでなく、『アート・マガジン』誌上にテキストとともに掲載しているが、メディアにより異なって現われる表象の情報フローを意図的に利用した試みとして注目される。

4──ダン・グレアム《Homes for America: Row of Tract Houses》1966, Bayonne

4──ダン・グレアム《Homes for America: Row of Tract Houses》1966, Bayonne

5──ダン・グレアム《Homes for America: Two Entrance Doorways, 'Two Home Houses'》1965-70, Jersey City

5──ダン・グレアム《Homes for America: Two Entrance Doorways, 'Two Home Houses'》1965-70, Jersey City

6──ダン・グレアム《Homes for America: First Day Opening of Highway Restaurant》1967, Jersey City

6──ダン・グレアム《Homes for America: First Day Opening of Highway Restaurant》1967, Jersey City

7──ダン・グレアム《Homes for America: Row of Houses》1966, Jersey City いずれも出典=Dan Graham: Works 1965-2000, Richter Verlag, 2001.

7──ダン・グレアム《Homes for America: Row of Houses》1966, Jersey City
いずれも出典=Dan Graham: Works 1965-2000, Richter Verlag, 2001.

「家」や「家庭」など、日常的に無意識化された社会的規範への攻撃がより直接的になされたたのは、ゴードン・マッタ=クラークのプロジェクト《分割スプリツテイング》(一九七三)である。ニュージャージー州の古い住宅を真っ二つに分断したこの衝撃的な「建  築アーキテクチヤー」ならぬ「アナーキテクチャー」(マッタ=クラーク)は★九、スペクタクル的行為によるスペクタクル批判と言える。逆にスペクタクルを生産しかねない危険を冒しながらもこのプロジェクトは、平凡バナルな風景に差し込まれる亀裂の抽象性によってスペクタクル化をぎりぎりのところで回避しているように思われる。彼の父親であるシュルレアリスムの画家ロベルト・マッタは、四九年にヨーロッパに戻ってコブラに参加しシチュアシオニスト・インターナショナルに連なる人物であるが、マッタ=クラークにその影響を見るのは不自然ではないだろう。

8──ゴードン・マッタ=クラーク 《分割》1973, Englewood, New Jersey 出典=Dan Graham: Pavillons, Kunstverein München, 1988.

8──ゴードン・マッタ=クラーク 《分割》1973, Englewood, New Jersey 出典=Dan Graham: Pavillons, Kunstverein München, 1988.

ドゥボールの「スペクタクルの社会」モデルに対してミシェル・フーコーが、ジェレミー・ベンサムが一八世紀末に考案した「パノプティコン」に象徴される監視社会のモデルを提示しているのはあまりに有名だ★一〇。中央に設置された監視塔から周囲に放射状に置かれた独房を一望するこのシステムは、監視者が不在であってもつねに監視される〈可能性〉によって機能する。空間の構造が視覚システムを決定し、それによって権力の行使が実現される、つまり空間—視覚—権力という緊密な連携がこの均質平面では成立している。加えて光が重要な要素として介在し、超越論的な存在として監視側は暗闇に想定されており、光の中にいる対象がその視線にさらされることになる。近代的な権力モデルであるパノプティコンの構造が、カメラ・オブスキュラの構造と似通っているのは偶然ではない。
ジョナサン・クレーリーによれば、一八世紀末までの約二〇〇年間、観察者の立場を規定していたカメラ・オブスキュラのモデルが一八二〇年代に崩壊し、人間の身体が導入されることで主観的な視覚モデルが成立したという。そしてそれを推進したものとして、ステレオスコープをはじめとする一九世紀の視覚装置──人間の錯覚を利用して、実際には存在しない映像を体験させる一種の視覚矯正装置──が挙げられている★一一。もちろんルネサンスの遠近法の基点にカメラ・オブスキュラがあったように、いずれの時代においても装置が視覚と権力の関係や相互依存を規定していることに変わりはない。フーコーが監視とスペクタクルを二項対立と見なしているのに対し、クレーリーはこれらがいずれも観察者の「正常化=規範化」として機能することを指摘しながら、ステレオスコープ・モデルへの転換以降二〇世紀半ばまでを「スペクタクル」前史としている★一二。
「パノプティコン」、そしてそれに代わるものとしての「スペクタクル」。異なった規範化を持つこれらのモデルは、六〇—七〇年代においては競合しながらも共存し、共犯関係にあったとは言えないだろうか。情報・文化産業の成熟と露出化、都市との同一化におけるスペクタクル的な事象に並行して、ジョージ・オーウェルの『一九八四』(一九四九)、マクルーハンの「グローバル・ヴィレッジ」などのモデルがひしめきあっていた頃である。この時代、アートにおいてはまさに当時のパーソナル・メディアとしてのヴィデオカメラを使用した実験的なパフォーマンスやインスタレーションが数多く開始されている。そこでは〈監視〉を監視するという二重化したモチーフが扱われているが、時間の経過による自己言及的なフィードバック・ループやそこに生じる新たな空間性を取り入れることで、主体/客体、内/外という分離が撹乱され曖昧化されるプロセスとして示されている。また観客が作品にとり込まれることで、観者と対象というモダニズム的な分離も取り払われることになる。
ブルース・ナウマンは六九年に、「監視サーヴエイランス」という言葉をタイトルにもつヴィデオ・インスタレーション《ヴィデオ・サーヴェイランス・ピース(パブリック・ルーム、プライヴェート・ルーム)》を発表している。ここでは空間(パブリック・ルーム)に入った観客がヴィデオカメラで撮影され、その映像が別の空間(プライヴェート・ルーム)のモニターで流されるのをその空間にあるカメラがとらえ、その映像を自身がいる空間のモニターで見るという構造になっている。観客は、時間と空間がねじれたクラインの壷のようなシステムにとらえられ、フィードバック・ループの内に存在し始めることになる。自分のいる空間(パブリック)と入ることのできない空間(プライヴェート)を、カメラが反転しリンクしていくことで、カメラは〈監視〉から一種のインターフェイスへと機能を変えている。
ダン・グレアムも七〇年代初頭から、連作の《タイム・ディレイ・ルーム》をはじめヴィデオカメラや鏡、モニターを使った空間で、フィードバック・ループによる無限連鎖など自己言及的な作品を制作している。七八年にショーウィンドウにおいて行なわれた《アーケードにあるショップ・ウィンドウのためのヴィデオ・ピース》では、向かい合ったショーウィンドウにそれぞれ鏡が張られ、外に向けてカメラとモニターが一台ずつ設置されている。その前に立つと、ウィンドウのガラスおよび鏡の自分の姿とモニターに映される反対側の人物が、相互に無限反転することになる。ショーウィンドウという日常の空間のスペクタクルが増幅され、見る主体と客体、自己と他者が多重に交錯するプロセス空間に変貌すること、それは視覚的および空間的権力の撹乱にほかならない。

9──ダン・グレアム《アーケードにあるショップ・ウインドウのためのヴィデオ・ピース》1978 出典=Birgit Pelzer, Mark Francis and Beatriz Colombia, Dan Graham, Phaidon, 2001 Richter Verlag, 2001.

9──ダン・グレアム《アーケードにあるショップ・ウインドウのためのヴィデオ・ピース》1978
出典=Birgit Pelzer, Mark Francis and Beatriz Colombia, Dan Graham, Phaidon, 2001 Richter Verlag, 2001.

10──ダン・グレアム《タイム・ディレイ・ルーム》1974 Video installation, dimensions variable Courtesy Dan Graham, Photo: Jens Preusse, ZKM CTRL[SPACE] exhibition URL=http://hosting.zkm.de /ctrlspace/d/works/18©ZKM

10──ダン・グレアム《タイム・ディレイ・ルーム》1974
Video installation, dimensions variable
Courtesy Dan Graham, Photo: Jens Preusse, ZKM CTRL[SPACE] exhibition
URL=http://hosting.zkm.de /ctrlspace/d/works/18©ZKM

二 インフォ・ジオグラフィの位相

シチュアシオニスムに先行したルフェーヴルの日常生活批判は、シュルレアリスムに影響を受けたものである。またシチュアシオニスムに関わったロベルト・マッタや、ドゥボールが影響を受けたレトリスム運動の主導者イズーもシュルレアリストであった。それに先行して、都市における「遊歩者フラヌール」の推称者でもあったヴァルター・ベンヤミンはパリについて以下のように書いている。「どんな顔もひとつの都市の真の顔ほど、シュルレアリスティックではない。キリコやマクス・エルンストのどんな絵も、都市内部の砦のするどい見取図とはくらべものにならないが、これらの砦がその運命のなかで、また大衆の運命のなかで独自なものを習得するためには、まず征服され、占領されなければならない」★一三。ベンヤミンは、シュルレアリスムにバクーニン以来の自由な遊動とラディカルな概念を見出しているが、日常の何気ない風景に潜む無意識的状況を浮き彫りにしていくシュルレアリストたちは、当時すでにスペクタクル化が進行していたパリという街の表象を救済するアナーキーな可能性としてとらえられたのである。
そして現在、シチュアシオニスムに連なりながらアナーキーな活動を続けるある種の伝説的存在として、ハキム・ベイが挙げられる。彼は八〇年代以降挑発的なテキストをアンダーグラウンドの『ジーン』を中心に発表してきたが、特に重要な概念として注目された「TAZ(テンポラリー・オートノマス・ゾーン)」は、九〇年にラジオなどで朗読された後、九一年にアウトノミア運動に連なるニューヨークの左翼系出版社アウトノメディアからアンチコピーライトで出版、メディア・アクティヴィストのバイブル的書物となっている。「TAZはゲリラ的な存在論者の陣地のようなものであって、それはつまり、一撃を加えたら逃げろ、ということである。部族トライブ全体を移動し続けるのだ──たとえそれが、『ウェブ』の中のデータにすぎないとしても」★一四。
ハキム・ベイの「TAZ」は、つねに脱中心的・可能的に遍在しながら状勢に応じて顕在化する一種の自律的状態であり、またそれを生み出す原動力である。「海賊のユートピア」、「アート・サボタージュ」などと挑発的かつポエティックなキーワードとともに放たれるベイのプロパガンダは、、紙媒体やデータなどで勝手にコピー、転載され世界中に瞬く間に流通した。「TAZ」の構想やあり方は、インターネットというメディアを先駆けるものであり、インターネットを得た九〇年代前半において、ネットアートをはじめとするネット・アクティヴィズムを各地で生み出すことになった。それこそ数を挙げればきりのない当時のネットアートについてここで触れる余裕はないが、TAZを実際の都市空間にゲリラ的に出没させるアート・アクティヴィティとして、アメリカのIAA(インスティテュート・フォー・アプライド・オートノミー[応用自律研究所])に触れておきたい。
「個人的かつ集団的な自己決定を主眼とするテクノロジカルな研究開発組織」として九八年に成立したIAAのなかでも、TAZ精神を体現していると思われるのが、ロボット工学その他の技術的知識を生かして開発された「グラフィティライター」による路上プロジェクトである。スプレー缶を何本も搭載したこの車型ロボットは突如現われ、時速一五キロメートルで路上にテキスト・メッセージを発射しながら逃走する「走るライティング・マシン」である。メッセージの送信もロボットの操作も遠隔的に行なわれるため、主犯者はその場にいる必要がない。《グラフィティライター》は、目撃した人々の隠れた攻撃心を目覚めさせるための「戦略兵器」でもあり、ベイ言うところの「自律の地理学ジオオートノミー」を各地で生産している★一五。
IAAは、ピッツバーグのカーネギーメロン大学をベースとするアーティストグループ、クリティカル・アート・アンサンブル(CAE)の学生らによって構成されているという。CAEと言えば、九〇年代以降『TAZ』の出版社でもあるアウトノメディアから、やはりアンチコピーライトでメディア・アクティヴィズムをターバンス理論的に先導した「市民による電子的抵抗エレクトロニック・シヴィル・デイス」やバイオ・テクノロジーにおける優生学批判などの本を出版しているだけでなく、それらのトピックをアート・プロジェクトとして展開していることで知られている。CAEとIAAの活動は、アメリカにおいてメディア理論とアクティヴィズムが、アートとテクノロジーによって緊密に結びつき成果をあげている数少ない例と言える。


11──IAA《グラフィティライター》1999- URL=http://www.appliedautonomy.com ©Institute for Applied Autonomy

11──IAA《グラフィティライター》1999-
URL=http://www.appliedautonomy.com
©Institute for Applied Autonomy

IAAとは異なった社会・政治状況においてメディアと権力の関係に鋭く切り込んでいるのが、association Apsolutno(aA)である。九三年のユーゴ紛争下にミロシェヴィッチ体制のセルビア(ノヴィサド)で結成されたこのグループは、強靭な批評精神をもちながら都市や建築空間を中心に、メディア横断的な活動を数々行なってきた。そのひとつ、ユーゴ紛争中の九五年にウィーンの街路をブロックして行なわれた《A36YKA absolute in Wien》は、オーストリアとセルビアの深い歴史的関係から現在を照射したものである。標準セルビア語および文学を創設したセルビア人により編纂された、AZBUKA(セルビア語のキリル文字)の初の辞書が一八一八年にこの都市で印刷された史実から発し、aAはウィーンの地図にAZBUKAの三〇の文字を順番に通りに沿ってマーク、それに基づきウィーン市警の協力を得て通りの交通をブロックし、AZBUKA文字がある家や建物すべてに「この家は絶対的に文字の中に生きている」とドイツ語で書かれたラベル(ウィーンの街路表示プレートと同じ仕様)がつけられた。交通の遮断、AZBUKA文字の消去という象徴的な行為は、二国の緊密な関係と九五年当時の断絶状態を鮮やかに対比させ、またこのプロジェクトの記録パンフの印刷をくだんの印刷所で行なうことによって、サイトスペシフィックな歴史の層が巧妙に取り込まれている。

12──《A36YKA absolute in Wien》 signature: 1995 APSOLUTNO 0005

12──《A36YKA absolute in Wien》
signature: 1995 APSOLUTNO 0005


13──《NEWS[papers]》 signature: 1995 APSOLUTNO 0005 旧ユーゴ紛争中、経済制裁や国家的なメディア検閲がなされていた1995年7月、ノヴィサドの魚市場で実施。キヨスクの窓口にNEWS(PAPER)の文字を出すことで「再活性化」されたかに見えるが、検閲に関する辞書(1966年ザグレブで発行)からの引用テキストを添付することで新聞というメディアの体制側との緊密な関係を想起させた。

13──《NEWS[papers]》
signature: 1995 APSOLUTNO 0005
旧ユーゴ紛争中、経済制裁や国家的なメディア検閲がなされていた1995年7月、ノヴィサドの魚市場で実施。キヨスクの窓口にNEWS(PAPER)の文字を出すことで「再活性化」されたかに見えるが、検閲に関する辞書(1966年ザグレブで発行)からの引用テキストを添付することで新聞というメディアの体制側との緊密な関係を想起させた。

14──《STREET A HEAD》 signature: 1995 APSOLUTNO 0005 ユーゴ紛争時、ナショナリズムが激化するなか、政府が社会主義革命の英雄の名前がついた通りを国家的英雄の名前に変更したことに対抗して展開。32の撤去された通りのプレートを空間に並べること(右がキリル、左がアルファベット文字)で、ユーゴの全体主義が批判された。 いずれも©Association Apsolutno URL=http://www.apsolutno.org

14──《STREET A HEAD》
signature: 1995 APSOLUTNO 0005
ユーゴ紛争時、ナショナリズムが激化するなか、政府が社会主義革命の英雄の名前がついた通りを国家的英雄の名前に変更したことに対抗して展開。32の撤去された通りのプレートを空間に並べること(右がキリル、左がアルファベット文字)で、ユーゴの全体主義が批判された。
いずれも©Association Apsolutno
URL=http://www.apsolutno.org

リチャード・バーブルックは、新左翼によるラディカルな無政府共産主義(anarcho-communism)が六八年五月以降九〇年代末まで継続され、そのユートピア的ヴィジョンがつねにメディアおよびDIY文化を触発してきたとしている。またこれに加えてバーブルックは、新左翼においては相容れないものと見なされてきた贈与と商品の対立が、ネット上ではハイブリッドな折衷状態としてのみ存在すると述べ、例としてLinux OSのディストリビューションを挙げている★一六。ユーザーは、Linuxコミュニティのサイトから無料でダウンロード(贈与)ができるとともに、ドットコム企業からCD-ROM(商品)で購入することも可能である。後者においてはソフトウェアそのものでなく、CD-ROMという形態およびサーヴィスという付加的なものが商品価値と見なされている。それだけでなく彼はデジタル化と密接不可分な経済においては、無政府共産主義が国家と共生しうるとまで述べている★一七。これこそ贈与のユートピア的覚醒ととらえられなくもないが、はからずもそのような方向をリアルに実践しているかに見えるアーティスト・グループとしてスーパーフレックスを挙げてみたい。
九三年以来コペンハーゲンを拠点にするスーパーフレックスの活動は、経済、国家、地域社会を結ぶゆるやかな環境形成のためのツール開発や社会・経済的活動である。プロジェクトは多岐にわたっているが、代表的なものとしてバイオガス発生ユニット《スーパーガス》の開発と普及、地域ラジオ局の活動(インターネットTVとしても配信)する《スーパーチャンネル》や、手を乗せ軽く押すと脳内物質エンドルフィンを発生させるデヴァイス《スーパーツール》など、通底して流れているのは人々を巻き込んだコミュニケーションの誘発、そして化学的、精神的にかかわらず潜在的なエネルギーの発現と流通の促進である。
デンマークとアフリカのエンジニアのコラボレーションによって開発された「スーパーガス」は、特に発展途上国の家庭用のサステイナブルなエネルギー・システムとして九七年以降タンザニアやカンボジアで展開され、九八年末には株式会社が設立されている。このシステムは、グローバル経済に立ち向かうミクロかつパーソナルなテクノロジーであり、開発側の「倫理」(NGOなど)と「利益」(企業)の間のギャップを克服し、地域の人々が自律的な生活を始めるための強力なヴィークルとなっている。このような社会・環境における新たな循環の始まりは、たとえばフェリックス・ガタリが晩年に提唱した「三つのエコロジー」の概念へと接続されるように思われる。

結論として言えば、三つのエコロジーは、それぞれを特徴づける実践という観点からは互いに区別されるけれども、ひとつの共通の美的—倫理的な領域に属するもの、いわばひとつにつながりあったものとして構想されねばならないということである。三つのエコロジーの作用領域レジスターは私が異種発生性と名づけたもの、すなわち再特異化の持続的過程に依存する。諸個人は他者に対して連帯的であると同時に、他者とますます異なった存在にならねばならない。 フェリックス・ガタリ★一八


ガタリは「三つのエコロジー」を、環境のエコロジー、精神のエコロジー、社会のエコロジーと位置づけ、それらが単独で稼動するのではなく接合される状態を構想している。接合とは、たんに分離していた要素がつながれることを意味するのではない。三つの要素はひとつの連結的なコネクテイブ〈機械〉として作動するのであり、そこにはインフォ・ジオグラフィの新たな層および位相が生成する。スーパーフレックスのプロジェクトも、人々が自主的に関わり始める場の生成、時間的なプロセス、開かれた変化、異なるものとの共存など、潜在的な力が作動しうる余白を残しておくことによって、予測していなかった出来事をとり入れることが可能となる。プロジェクト全体がオートポイエティックな〈機械〉のように、つねに新たな創発と境界設定が交互に起こり続けることを許容すること。ガタリの言う「エコゾフィー」が、空間と時間が連結されたダイナミックなプロセスにおいて浮上するのである。

15、16、17、18──スーパーフレックス《スーパーフレックス/スーパーチャンネル/スーパーティーンズ 2001》2001 URL=http://www.superchannel.org ©superflex

15、16、17、18──スーパーフレックス《スーパーフレックス/スーパーチャンネル/スーパーティーンズ 2001》2001
URL=http://www.superchannel.org ©superflex

三 再ネットワーク化される〈記憶〉

〈フローの空間〉は、さまざまなフローが複層的に交差していく動的なプロセスとして想定されるが、そこでは人間や事物がフローを形成するとともに、フローが人間や事物を形成するというインタラクションが続いている。それは始まりも終わりもない、原因と結果や時間と空間が不可分に延長されるような状態と言える。そこでは、グローバルとローカルやパブリックとプライヴェートなどの既存の分岐を再検討する必要性があるだろう。このような状態は、しかし都市空間においてどのような形態として現われうるのだろうか。またそれは、電子ネットワークに接続された新しい意味での〈公共圏〉の概念にどのような地平を開きうるのか。それを検討する前に、日常生活批判を都市における空間生成の可能性へと延長したルフェーヴル後年の概念、「空間の生産」について俯瞰してみたい。
七三年の『空間の生産』において、ルフェーヴルが空間の生産のための方法として挙げているのが、「空間的実践」、「空間の諸表象」、「表象の諸空間」──それぞれ「感受される空間」、「構想される空間」、「生きられる空間」に対応する──である★一九。「空間的実践」は、建築様式の生産や地域の創造など、それぞれの空間の解読を通して発見されるものであり、「空間の表象」は、科学者、都市計画家など専門家による、空間に関する言説と結びついた支配的空間、「表象の空間」は、映像や象徴の連合を通して直接に生きられる住民やユーザー、また芸術家や哲学者の空間を意味している。三つのなかでは「空間的実践」のみが無意識的な方法であり、意識的に行なわれる「空間の諸表象」と「表象の諸空間」は互いに相反する運動とされるが、これら異なったヴェクトルが互いに作用を及ぼし合うことこそが、「空間の生産」の契機とされる。ルフェーヴルは「それは三項であって、二項ではない」と強調しているが★二〇、二元論的な対立および弁証法的統合という方法論の乗り超えが重要な要素として設定されている。そして三つのなかでは、「表象の空間」の次元こそが、社会と空間を生産する本質的な契機と見なされている。
ここで想起されるのが、コーリン・ロウとフレッド・コッターによる「コラージュ」という概念である。彼らは『コラージュ・シティ』(一九七八)において、一九二〇年代にはうまく機能していた建築家の二つの絶望的な《義務》──《科学》と《大衆》──がますます不可避なものになり、この二つの間の共生関係が揺らぎ始めたため、これら相異なる傾向が融通性を失い、共生の意義を否定するに至ったと述べ、それに向かう戦略として「コラージュ」を挙げている★二一。コラージュは、既存のあらゆるものをリソースと見なし、すでに存在する何らかの物質やイメージの意味や使用法をオリジナルの文脈=表層から引き剥がし、異質の断片を重ね合わせ構成することで意味の再ネットワークをもたらす二次的な生産物である。ここでは少なくとも二つ以上の層が生み出される。各断片に貼りついた〈記憶〉による雑多なざわめき、連結されるものや全体の構造によってつねに更新される新たな意味、そしてこれらの断層を行き来する意味の動的ネットワークである。ベンヤミンの「引用」概念の復権へもつながっていくコラージュ、生のコラージュとしての都市という手法を、たとえば科学と大衆に加え第三の可能性と見なすことはできないだろうか(余談だが、コラージュと近代建築という相反するヴェクトルが二〇世紀初頭においてほぼ同時に生まれた事実は興味深い)。
コラージュが建築や都市において想定される場合は、その場所にまつわる人々の記憶や歴史なども再ネットワーク化され新たな意味へと開かれることになるだろう。そのようなコラージュを試みることができるのは、科学とも大衆とも利害を共有しない「第三の可能性」としてのアートの介入においてではないか。
都市や建築空間においてサイト・スペシフィックなプロジェクトを行なうアーティストとして、ミシャ・クバルが挙げられる。ドイツ、ケルン近郊のユダヤ教会堂ユダヤ教会堂(一九九四、図22)やデッサウのバウハウス校舎(一九九二、図21)、ウィーンのウィトゲンシュタイン・ハウス(ヴィレム・フルッサーとのコラボレーション、一九九一)など、それぞれの建築が経た歴史や現在における人々との関わりを見すえながら光による一時的な〈介入〉を行なうことで、日常的な風景に亀裂を入れるとともに、そのプロジェクト自体が新たな記憶のネットワークを形成することが意図されている。宗教や政治における崇高性を表象するなど、光はその現前性によって歴史的につねに視覚と権力との関係を規定してきた。とりわけ近代以降の権力空間を建築、都市空間において決定してきたことは前述したが、クバルが非物質としての光によってそのような権力空間の均質性を撹乱しようとしていることは明らかである。彼がおもに使用するのは人工光──直接光(ライト)と間接光(プロジェクター)──であるが★二二、ふだん表象されない空間をさまざまなパースペクティヴによって照射することで、その地域が抱えている問題──アンダー・ジオグラフィ──を可視化する契機として機能することになる。
〈プロジェクト〉という概念は、ヴィレム・フルッサーが『サブジェクトからプロジェクトへ』で述べる〈投企〉としてあり、それは光の概念とともにクバルが多用するプロジェクションという方法に二重の意味でつながっている。多様な投げかけという方法が複数のプロジェクターによって実現されたのが、一九九九年に東京国立博物館において初の現代美術プロジェクトとして実現された《パワー・オブ・コード──対話のスペース》である★二三。日本初の帝冠様式建築である本館・第一展示室(日本陶磁)をレディメイドと見なし、展示ケースの上に三六〇度に回転移動する複数のスライド・プロジェクターを設置、アルファベット文字や幾何学形を空間上部に投影することで、並存する対立項──東洋と西洋、物質と非物質、静止と移動、歴史的展示物と機器(プロジェクター)など──の諸層の関係の相互参照、再ネットワーク化が試みられている。
ここではプロジェクションされる映像や文字(都市を走査しサインのイニシャルをサンプリングしたもの)がつねに動きの中で変形し続け、同じ形態におさまることがない。それらはまた、時たま交差することによって瞬間瞬間に、観客の記憶に応じて何らかの意味へと変換される可能性をもっている。見る側それぞれの記憶のインデックスが開示され、再ネットワーク化が起こるのである。それは空間においても同様で、文字や映像の光が展示ケースを通過し、時には空間内を多重に反射/リンクしていくことで、映像と光が攪拌され多層に交錯する空間が立ち現われる。観客は空間内を動き回ることでその交錯を体験するだけではない。自身の存在もガラスに反射/リンクされ空間のネットワークの一部として現われることになる。九〇年代後半以降クバルは、各地域において人々とのコミュニケーションやフィードバックをとり入れた建築、都市プロジェクトを以前に増して進めているが、展開の多様性を受け入れるこれらのプロジェクトを、時間・空間における「動的なコラージュ」──生きられた都市──ととらえることも可能だろう。

19──ミシャ・クバル《Peep out’ Leipzig》1994. Photo: punctum B. Kober ライプツィヒにおいて、ドイツ統一後空家が増加した通りにおいて展開。空室から空家へとサーチライトを連鎖的に照射することにより、都市のヴォイドを社会的な問題として浮上させた。このプロジェクトがきっかけとなり、地域住民が街のあり方についてコミュニケーションを始めたという。

19──ミシャ・クバル《Peep out’ Leipzig》1994. Photo: punctum B. Kober
ライプツィヒにおいて、ドイツ統一後空家が増加した通りにおいて展開。空室から空家へとサーチライトを連鎖的に照射することにより、都市のヴォイドを社会的な問題として浮上させた。このプロジェクトがきっかけとなり、地域住民が街のあり方についてコミュニケーションを始めたという。

20──ミシャ・クバル《パワー・オブ・コード──対話のスペース》1999、東京国立博物館. Photo: Archive Kuball

20──ミシャ・クバル《パワー・オブ・コード──対話のスペース》1999、東京国立博物館. Photo: Archive Kuball


21──ミシャ・クバル《refraction house》1994. Photo: Hubertus Birkner, Cologne.  ふだん地域の人々から存在を忘れさられているユダヤ教会堂の内から外へ向けて強烈な光が 放たれることで、周りの空間が反射・省察(リフレクション)体となって浮上した。ドイツ統一後のネオナチが台頭し始めていた時期に実施されている。

21──ミシャ・クバル《refraction house》1994. Photo: Hubertus Birkner, Cologne.
ふだん地域の人々から存在を忘れさられているユダヤ教会堂の内から外へ向けて強烈な光が 放たれることで、周りの空間が反射・省察(リフレクション)体となって浮上した。ドイツ統一後のネオナチが台頭し始めていた時期に実施されている。

22──ミシャ・クバル《lightbridge》1992, Bauhaus Dessau. Photo: Kelly Kellerhoff, Berlin. ドイツ統一直後に行なわれたこのプロジェクトでは、バウハウス校舎の、屋外だけでなく階段部分、オフィスなど建物内のさまざまな空間が、各場所の過去の記憶と現在を参照しながらスライド・プロジェクションで構成的に照射された。モダニズムの再考、そしてバウハウスおよびこの建物の歴史へのオマージュとも言 える。

22──ミシャ・クバル《lightbridge》1992, Bauhaus Dessau. Photo: Kelly Kellerhoff, Berlin.
ドイツ統一直後に行なわれたこのプロジェクトでは、バウハウス校舎の、屋外だけでなく階段部分、オフィスなど建物内のさまざまな空間が、各場所の過去の記憶と現在を参照しながらスライド・プロジェクションで構成的に照射された。モダニズムの再考、そしてバウハウスおよびこの建物の歴史へのオマージュとも言
える。

23──ミシャ・クバル《Megasign VI》1990, (one of six signs in total) ★25参照。Photo: Ulrich Schiller  URL=http://www.kuball-art.de

23──ミシャ・クバル《Megasign VI》1990, (one of six signs in total) ★25参照。Photo: Ulrich Schiller  URL=http://www.kuball-art.de

一方インターネットのインターフェイス上で都市に関するプロジェクトを不特定多数のインタラクションへと開いたのは、ノウボティック・リサーチ(KR+cF)の《IO_denciesテンデンシーズ》(一九九七—九九)である。それまでのプロジェクトにおいても、つねに現実の社会や文化、政治的文脈を起点としつつ、それらを彼らが「パブリック・ナレッジ・スペース」と呼ぶ〈非—場所ノン・ロケーションズ〉としてのサイバー空間に解放し、エージェントを介したオープンなインタラクションを推進してきた。このグループが、都市のあり方を問い直すために行なったこのプロジェクトでは、都市を情報フロー傾向、強度の複合体(リアルタイム操作とデータベースとの再編集の多重露出化)と見なし、東京をはじめ数都市で行なったリサーチをもとに、インターネット上のインターフェイスとして作品を制作している。なかでも九八年のサンパウロ・ヴァージョンでは、この都市に生きる建築家や哲学者など一〇人の人物に個人の記憶や体験をもとにした心理地理学サイコジオグラフイとしてのサンパウロを言語の写像として描いてもらうことで、ユーザーはこのインターフェイスを通じてミクロな断片の連鎖としてこの都市を体験するとともに、複数の人物の記憶へとリンクしている経路を徘徊することができた。パーソナルな記憶、ローカルな記憶──大文字の歴史には組み込まれない情報体としての都市を、グローバルにネットワークされたユーザーに開いていくこと。それは他者によって体験されたミクロな記憶を、ユーザーが自ら体験した記憶へと連結していくプロセスの系であり、自己の中に他者を創造していく試みではないだろうか。

24──KR+cF《Mental imMigration》2001, project sketch ゲーム形式でプレイ ヤーがアヴァター環境に入ることで自分とまったく異なった社会・文化的論理を体験する、「精神移民」プロジェクト。IT時代におけるテレワーカーやディジ タル・ディヴァイドの問題が背景となっている。

24──KR+cF《Mental imMigration》2001, project sketch
ゲーム形式でプレイ ヤーがアヴァター環境に入ることで自分とまったく異なった社会・文化的論理を体験する、「精神移民」プロジェクト。IT時代におけるテレワーカーやディジ タル・ディヴァイドの問題が背景となっている。

25──KR+cF《IO_dencies》1998, são paulo, installation view + forcefeedback table (technology by ZKM) ©knowbotic research  URL=http://www.krcf.org

25──KR+cF《IO_dencies》1998, são paulo, installation view + forcefeedback table (technology by ZKM)
©knowbotic research 
URL=http://www.krcf.org

移動することによって生成される情報上の〈建築〉を実験的に探求しているのが、double Negativesである。市川創太を中心に九八年に結成されたこのグループは、既存の建築の概念自体を問い直す空間表記法のリサーチから活動を開始、自作の空間表記ソフトの開発やインタラクティヴな音により体験される〈建築〉作品《dqpb(dynamic quadruple phonic building)》★二四を経てインターネット上で不可視のインフラ・ルート──目的のサーバーにつながるまでに経由するサーバー・コンピュータのIPアドレス──を〈建築〉として立体的に可視化する作品《鎖漠値帯》を発表している。今年発表された《plaNet Former》においては、インターネット上に広がるウェブページのリンク──それ自体つねに変容する膨大な〈記憶〉と見なすこともできるだろう──をエージェントがランダムにたどることで、3D状の球体plaNet(マッピング惑星)の形成が試みられている。ユーザーが任意のURLを打ちこみplaNetのサイズや占有率を設定するだけで、あとはエージェントが延々とリンクをたどるプロセスが開始される。エージェント自体が軌跡を記憶していることで、リンクがない場合は戻って新たなリンクへとつながっていく。膨大な〈記憶〉の宇宙を徘徊していくエージェントのリアルタイムの移動が、オープンエンドの〈建築〉プロセスとして開口しているのである。

26

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26、27──doubleNegatives《pF/plaNet Former》2002©doubleNegatives 資生堂CyGnetの新作として公開。 URL=http://www.shiseido.co.jp/cygnet

26、27──doubleNegatives《pF/plaNet Former》2002©doubleNegatives
資生堂CyGnetの新作として公開。
URL=http://www.shiseido.co.jp/cygnet

四 コネクテッド・シティスケープ

「動的なコラージュ」、情報の移動やムーヴメントとして〈都市〉や〈記憶〉を再ネットワーク化することは、現実の都市空間においても重要な側面として浮上してきている。九〇年代以降のインターネットの普及とともに、それは現実とサイバー空間を連結した〈公共圏〉の可能性として、特にヨーロッパのメディア関係者によって検討されている。そこではユルゲン・ハーバーマスやハンナ・アーレントの〈公共圏〉の概念を比較検討しながら、さらにそれらのいずれにも属さない電子ネットワークに連結された公共圏が模索されている。
ハーバーマスが『公共性の構造転換』(一九六二)において提示した〈市民的公共圏〉は、フランクフルト学派的啓蒙主義に根ざした普遍的な市民のコンセンサスへの信頼に基づくものであり、読書する市民という近代的主体およびマスメディアを基盤にした情報システムが想定されていた。その四年前に刊行されたアーレントの『人間の条件』において〈公共性〉は、古代ギリシアのポリスをモデルとした自由な複数の個人による開かれた公的・政治領域的言説・闘争アゴーンの空間として展開されている。しかしそれは家政=経済オイコスやプライヴェートな側面から分離された一部の者による人工的な空間として、現在においては成立しえないものでしかない(これこそヴァーチュアル空間であるという論点も存在するが)。ハーバーマスの言う「市民」という主体も西欧の知識人という狭いサークルにおけるものであり、また「コンセンサス」自体がポストモダニズム以降不可能なものとなっている。その中でアーレントの「アゴーン」という方法が注目されているのは、現代ではメーリングリストやチャットなどで誰もが意見を発信可能な環境にあるからだろう。
〈公共圏〉をめぐる議論がなされるなか、都市空間とサイバー空間を結びパブリックなインタラクションに開くことで、都市の風景を参加者が変えていくプロジェクトが近年いくつか試みられている。最近成功をおさめたのは、カオス・コンピュータ・クラブ(CCC)が設立二〇周年記念にベルリンのアレクサンダー広場で行なった《点滅するライトブリンケン・ライツ》(二〇〇一年九月—二〇〇二年二月)である。ここでは「教職員の家」ビルの窓全体が一八×八ピクセルのディスプレイ装置に変貌し、パブリックな個人表現パーソナル・デイスプレイの場となった。CCCが準備したのは、ソフトおよびハードのシステムと会期中のオペレーションだけで、ディスプレイに現われる動き—表現はすべて、ユーザーが自主的に関わることで生み出されたものである。次々とビルから放たれるコミカルかつシニカルなアニメやメッセージは、巨大な広場を生きた都市空間へと大きく変貌させた★二五。

28──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Die Autobahn》 Author: Dick Kobow

28──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Die Autobahn》
Author: Dick Kobow

29──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Kreise》Author: Philipp Richter

29──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Kreise》Author: Philipp Richter

30──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Manifesto 5》Author: Julio Fernandez Ostolaza

30──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Manifesto 5》Author: Julio Fernandez Ostolaza

31──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Nerd TLAs Part 4》Author: Bjo¨rn Barnekow ©Chaos Computer Club URL=http://www.blinkenlights.de/

31──カオス・コンピュータ・クラブ《Blinkenlights: Nerd TLAs Part 4》Author: Bjo¨rn Barnekow
©Chaos Computer Club
URL=http://www.blinkenlights.de/

都市そのものをテーマに、現実とヴァーチュアルの連結をインターフェイスを介して行なったプロジェクトにKR+cF(前述)の《アノニマス・データボーイ・ムッタリング》がある。九六年にロッテルダムのNAI(オランダ建築研究所)の屋外で実施されたこのプロジェクトでは、都市をヴァーチュアルおよび実物のインターフェイス〈被 膜〉によって連結し、サイバーおよび現実空間双方からの介入に開いている。現場および市内のクラブでDJがプレイするサウンドが、リアルな〈被膜メンブレーン〉(シリコン製。自由に手に持ち曲げることが可能)とインターネット上にロッテルダムの都市の映像と重なったヴァーチュアルな〈被膜〉として可視化される。不特定多数の人々が自由に折り曲げ操作することで、リアルタイムに変形された強烈なサウンドが都市に放たれていく。ノイズとストロボ光が均質な時間・空間を瞬時瞬時に切り刻み、一種のヴァーチュアル空間にいるような錯覚へと人々を誘うことになる。

32、33、34──KR + cF《アノニマス・データボーイ・ムッタリング》2001,Art Fair Basel 2001 ©knowbotic research URL=http://www.krcf.org

32、33、34──KR + cF《アノニマス・データボーイ・ムッタリング》2001,Art Fair Basel 2001
©knowbotic research
URL=http://www.krcf.org

ラファエル・ロサノ=へメルが、九〇年代後半から展開しているシリーズ「リレーショナル・アーキテクチャー」では、都市空間において身体が積極的に環境と関わることでインタラクティヴに生み出される複層的な〈関係性〉のネットワークが重要なテーマとなっている。昨年秋にロッテルダムで実現された最新プロジェクト《Body Movies》は、シネマコンプレックスの建物の壁面に強力なプロジェクターとサーチライトによって広場の人々の影が影絵のように映し出される大規模なパブリック・プロジェクトであった。動くことで影の大きさがダイナミックに変わるため、人々は影と無邪気に遊び始めるが、そのプロセスで影の内部に映る複数の人物(この都市の人々をあらかじめ撮影した静止画)が可視化されることになる。壁全体にプロジェクションされながら、強烈な光で見えにくかったヴァーチュアルな人々が、影によって浮かびあがるのだ。一六世紀オランダの影絵劇の分析や市民の姿の可視化など、地 域ヴアナキユラーの記憶や潜在性をとり込みつつ、このプロジェクトは、影を通して他者とコミュニケートすることで、その場を共有する人々どうしの関係を生み出すことになる。存在しながら光に隠され見えないものを自身の影で可視化するというこの方法は、表象とそこから逃れるもの(表象しえないもの)の実質的そして概念的に重要なメタファーとなっている。と同時に、都市や場を共有しながら接触しない人々が関係し、記憶やアイデンティティを共有し、新たに創造していく〈場〉にもなっている。
花田達朗は、『メディアと公共圏のポリティックス』において、ルフェーヴルの言う「空間の生産」を公共圏の問題(公共空間の生産)としてとらえ、公共圏を「可能態であって同時に現実態ないし実在である、という二重性の認識」によってとらえることで、ハーバーマス的な〈公共圏〉からの離脱を試みている★二六。光と影、現実とヴァーチュアル、ミクロとマクロなど対立的なものを連結し、都市の記憶・歴史、そして現在を関係づけていくロサノ=へメルの試みは、「リレーショナル」なものによる〈公共圏〉の生産として位置づけられよう。

35──ラファエル・ロサノ=へメル《Body Movies》, Relational Architecture #6, 2001. (photo by Arie Kievit)

35──ラファエル・ロサノ=へメル《Body Movies》, Relational Architecture #6, 2001. (photo by Arie Kievit)

36、37──ラファエル・ロサノ=へメル《33 Questions Per Minute》,その言語の言葉や文法を取り込み開発されたソフトウェアにより、21の液晶ディスプレイに1分間に33の質問が表示される。訪れた者が質問を入力することも可能だが、現われる質問がソフトによるのか人間によるのか判別がつかない。写真はキューバ・ビエンナーレで発表されたスペイン語ヴァージョン。英語版を第7回イスタンブール・ビエンナーレで発表。 URL=http://www.lozano-hemmer.com

36、37──ラファエル・ロサノ=へメル《33 Questions Per Minute》,その言語の言葉や文法を取り込み開発されたソフトウェアにより、21の液晶ディスプレイに1分間に33の質問が表示される。訪れた者が質問を入力することも可能だが、現われる質問がソフトによるのか人間によるのか判別がつかない。写真はキューバ・ビエンナーレで発表されたスペイン語ヴァージョン。英語版を第7回イスタンブール・ビエンナーレで発表。
URL=http://www.lozano-hemmer.com

38、39──ラファエル・ロサノ=へメル+ウィル・バウアー《Re:Positioning Fear》, Relational Architecture #3, 1997.  (ともにphoto by Jeorg Mohr) オーストリアのグラーツの武器博物館(元武器庫)で行なわれたこのプロジェクトでは、人々の影の内部に「恐怖」に関するテキスト(インターネットを通して世界各地から送信されたもの)が現われる。人々は3Dトラッカーを装着することで影を操作することができた。武器庫は、中世においてオスマントルコの侵入を恐れていたこの都市における「物質化した恐怖」とも言える。http://rhizome.org/object.rhiz?2398

38、39──ラファエル・ロサノ=へメル+ウィル・バウアー《Re:Positioning Fear》, Relational Architecture #3, 1997.  (ともにphoto by Jeorg Mohr)
オーストリアのグラーツの武器博物館(元武器庫)で行なわれたこのプロジェクトでは、人々の影の内部に「恐怖」に関するテキスト(インターネットを通して世界各地から送信されたもの)が現われる。人々は3Dトラッカーを装着することで影を操作することができた。武器庫は、中世においてオスマントルコの侵入を恐れていたこの都市における「物質化した恐怖」とも言える。http://rhizome.org/object.rhiz?2398

40──ラファエル・ロサノ=へメル《Vectorial Elevation》, Relational Architecture #4, 2000.  (photo by Martin Vargas) 2000年へ向かうミレニアム・イヴェントとしてメキシコ・シティの巨大な広場ソカロで約2週間開催。インターネット・ユーザーが18本のサーチライトのパターンを送信することで、刻々と変化する光の〈建築〉がコラボレーティヴに実現され、現実空間とサイバー空間、グローバルとローカルなどが連結された多層な空間が出現した。 URL=http://www.alzado.net.

40──ラファエル・ロサノ=へメル《Vectorial Elevation》, Relational Architecture #4, 2000.  (photo by Martin Vargas)
2000年へ向かうミレニアム・イヴェントとしてメキシコ・シティの巨大な広場ソカロで約2週間開催。インターネット・ユーザーが18本のサーチライトのパターンを送信することで、刻々と変化する光の〈建築〉がコラボレーティヴに実現され、現実空間とサイバー空間、グローバルとローカルなどが連結された多層な空間が出現した。
URL=http://www.alzado.net.

五 トラックド・セルフ、シェアド・セルフ

ドゥボールは、東西の冷戦体制が崩壊する直前の八八年に刊行された『「スペクタクルの社会」に関する注釈』において、『スペクタクルの社会』で述べた資本主義国の「拡散したスペクタクル」と社会主義国の「集中したスペクタクル」が、いまや一体となって「統合されたスペクタクル」へと変貌し、日常生活から政治までのすべての領域を支配するようになり、国家が資本と結びついて情報を独占し「国家テロリズム」に代表される秘密の政治を行なう一方、肥大したマスメディアが世論を支配する状況を告発している。東西両体制いずれの体制もが国家と資本との緊密な関係によって保持されていたこと、またそれぞれが互いを敵として想定し(鏡像とイデオロギーの崇高なる対象[ジジェク])、マスメディアがそれを補強することで体制を保持していたことは明らかである。
現在、国家と資本の結びつきは依然としてあるものの、サスキア・サッセンが言うようにグローバル経済の席捲が国民国家の崩壊を招いている。そうした状況のなか、国境を超えた新たな監視のシステムが出現している。なかでも象徴的なのは、四〇年代以降、英語圏の諜報機関によって世界中にはりめぐらされた情報監視システム、エシュロンが、冷戦後は軍事だけでなく犯罪摘発や産業スパイを目的に利用されているという事実である。現在エシュロンは、世界中に点在する基地から通信衛星によるコミュニケーションを盗聴するだけでなく、電話、ファックス、電子メール、無線など一般市民も含むコミュニケーション全般を盗聴しデータ解析を行なっているとされる★二七。またFBIはカニヴォー(情報エージェントがキーワードによりインターネット上のデータを捜索するシステム)において、犯罪対策の名目でプロヴァイダーから個人情報を得ることもできるという。オンラインに留まらない、脱空間的=空間遍在的な新たなパノプティコンが稼動を始めているのである。
都市空間においても、遠隔的に監視される可能性はますます増大している。すでに日常が一種の戦闘状態にある。たとえば街中に設置された監視カメラは、すでにひとつの都市風景とさえなっているが、世界で監視カメラが最も多く設置されているであろう都市ニューヨークにおいては、九〇年代末以降アート・プロジェクトやアクティヴィティがさかんに展開されている。九八年にサーヴェイランス・カメラ・プレイヤーズが、街頭の監視カメラをパフォーマンスの舞台へと転じ、《ジョージ・オーウェルの『一九八四』に捧げるパフォーマンス》を実施している。また同年には、ニューヨーク市民自由連合(NYCLU)のヴォランティアが「NYC監視カメラプロジェクト」を組織、ニューヨーカーの自由を守るための活動が展開されている。後者は監視に対するプロテスト、市民によるプライヴァシー保護のためのアクティヴィティとしてあるが、前者は監視カメラの権力システムをボトムアップ的に突き上げることで、見る側と見られる側のヴェクトルを逆転させている。

41──《ジョージ・オーウェルの『1984』に捧げるパフォーマンス》1998/1999 Video Courtesy Surveillance Camera Players Photo: Videostill ZKM CTRL[SPACE] exhibition

41──《ジョージ・オーウェルの『1984』に捧げるパフォーマンス》1998/1999
Video Courtesy Surveillance Camera Players Photo: Videostill
ZKM CTRL[SPACE] exhibition

パノプティコンは、監視されていることに気づかれない状態でこそ機能するが、いつどのような情報がモニターされているかが確定できないメモリー状態は、監視されている可能性自体をユーザーが利用するという現象をも生み出している。そのような状況を批評的に作品化するのがジョーダン・クランダルである。複数のトラックにおいて構成されたDVDインスタレーション《ドライヴ》(一九九八—九九)では、軍事技術の日常への浸透、機械やシステムと人間との一体化、ネットワーク化されつねに監視されている可能性、データベースとして登録され欲望や攻撃性をコントロールされる人間、オブセッシヴな機械や都市のリズムの身体への影響などが示される。ここでの「ドライヴ」とは人間からではなく、機械やシステムから人間へ向かうものとしてとらえられている。8ミリフィルムや監視カメラ、DV、CGなどさまざまな映像メディアを駆使し、またナイト・ヴィジョンなど新たな視覚化技術をとり入れた映像は、視る欲望がテクノロジーによりドライヴされてきた権力の歴史を含んでいる。クランダルはフロイト、ラカン以降の人間の欲望分析を踏まえつつ、ネットワーク化されデータ化された現代における錯綜した人間の身体と意識を浮き彫りにし、さらにそのリアクション・ループから進化の陶酔へと身を投げ出していく。


42、43、44、45──ジョーダン・クランダル《ドライヴ》右上から時計回りにTrack 2, 1, 6, 3

42、43、44、45──ジョーダン・クランダル《ドライヴ》右上から時計回りにTrack 2, 1, 6, 3


46、47──ジョーダン・クランダル《ドライヴ》1999 いずれも写真提供=キヤノン・アートラボ URL=http://www.canon.co.jp /cast/artlab/pros4/index.html

46、47──ジョーダン・クランダル《ドライヴ》1999
いずれも写真提供=キヤノン・アートラボ
URL=http://www.canon.co.jp /cast/artlab/pros4/index.html

ストローブ=ユイレのドキュメンタリーを撮ったことでも知られる映画監督のハールン・ファロッキの《眼/機械》(二〇〇一)では、探知しながらターゲットに向かいそこに突入するミサイルの弾頭に搭載されたカメラ(これはナチスによって最初に発案された)や、工場の生産ラインのカメラ、戦闘シミュレーションなど、カメラの眼=機械眼や仮想の眼による映像が編集され提示される。人間不在の現場から遠隔的に送信されるこれらのオートマティックな映像は、特定の個人のパースペクティヴを超えたパノプティックな権力を表象している。近代以降の産業化は、機械による自動化とともに、システムをネットワークすることで均質化された時間による中央集権的なコントロールを推進した。遠隔的な眼による距離の喪失である。ファロッキはそのような映像システムを即物的に提示することで、それがすでにわたしたちの日常──身体および欲望──にリアルタイムで組み込まれている事実を突きつけている★二八。軍事技術や大量生産においては、ターゲットをいかに感知・分析し、効率よくリアルタイムに事態をシミュレートし処理するかが問題となる。また戦闘においては、敵をいかに撹乱するか(=自らを不可視にするか)が重要である。C3I(コマンド、コミュニケーション、コントロール、インテリジェンス)という戦略用語は、現在日常生活においてきわめてアクチュアルなものとなっている。

48、49──ハールン・ファロッキ《Eye/Machine》2001 video double projection 25 mins ZKM Video Art Collection videostill ©Harun Farocki and ZKM

48、49──ハールン・ファロッキ《Eye/Machine》2001 video double projection 25 mins ZKM Video Art Collection videostill ©Harun Farocki and ZKM

日常の都市をサヴァイヴァル空間と見なし、見られないための〈武器〉として開発されたのが、IAA(前述)による監視カメラ回避用ウェブ・アプリケーション《iSee》である。現在公開されているマンハッタン・ヴァージョンでは、街に設置されたCC(クロース・サーキット)TVにつながった監視カメラの位置が地図上にすべてマークされており、自分のいる地点(出発点)と目的地を指定することで、カメラに捕らえられず目的地へ到達できる最短(=速)経路を一種ゲーム感覚で知ることができる。自分の映像を都市の光景から「消去」するだけでなく、逆に監視カメラを利用して意図的にふるまうためのツールとしても有効である。IAAは《iSee》において、監視される側が監視する側を「監視」するという逆転した発想で、情報戦の鉄則をシニカルに提示している。

50──IAA《iSee》2001 URL=www.appliedautonomy.com ©Insitute for Applied Autonomy URL=http://www.appliedautonomy.com

50──IAA《iSee》2001
URL=www.appliedautonomy.com
©Insitute for Applied Autonomy
URL=http://www.appliedautonomy.com

支配体制下における日常生活、それは二重の意味での戦闘が繰り広げられる戦場と言えるだろう。たとえば九〇年代末のベオグラードという、政府の情報統制下にある都市においてB92(独立系ラジオ、インターネット局)とRex(メディアセンター)の協力により制作されたのが、ゾラン・トドロヴィッチのヴィデオ・ドキュメント《ノイズ(サム)》(一九九八—九九)である。道端にヴィデオカメラを一台設置し、通りがかった人々に一定の期間解放するというきわめてシンプルなシステムだが、カメラに向かって自由に振る舞い、時にはブラックユーモアを放つ人々のパフォーマンスは圧巻である(なかにはカメラのフレーミングやレンズなどメタ的な存在をとり込む人も多い)。一台のカメラが、人々を見られるのではなくポジティヴに見せる側へと一瞬のうちに転換させるとともに、マスメディアでは流されない(=情報的には存在しない)人々から世界に向けた「窓」として機能したと言える。
データがモニターされる可能性を逆手にとったプロジェクトとして現在進行中なのが、アンチコピーライトを実践する「0100101110101101. ORG」という二人組のネットアーティストによる「File_sharing」ならぬ《Life_sharing》(二〇〇〇—)である。プロジェクトは、彼らのサーバー内に記憶・蓄積される「ファイル」──すべての送受信メール、各種ファイル──を自らの「ライフ」と見なし、データを実際にアクセス可能にすることで、現代におけるプライヴァシーや知的所有権の問題を実践的に問うものとなっている。しかしそれは単に彼らのプライヴァシーだけでなく、関わる者のプライヴァシーにまで及んでいく(たとえばメールの公開は、彼らが受信した人々の情報まで露わにしてしまう)。《Life_sharing》の最新作として発表される《VOPOS》★二九では、二人それぞれがGPSを会期中装着し、身体の移動や電話、会話、メールなど一挙一動がすべてトラッキングされウェブ上でも公開される。現代において隅々にまで張りめぐらされたデジタル・パノプティコンのターゲットを自ら引き受けることで、パブリックな身体=露出されたデータとしての個人をつなげる試みと言える。〈パブリック〉と〈プライヴェート〉が連結し、循環するアイデンティティ──あえて言うなら「我シェアされるゆえに我あり」──とパラフレーズすることもできるだろう。

51──ゾラン・トドロヴィッチ《ノイズ(サム)》1998/1999 Video Courtesy Zoran Todorovic Photo: Videostill, ZKM CTRL[SPACE] exhibition

51──ゾラン・トドロヴィッチ《ノイズ(サム)》1998/1999 Video Courtesy Zoran Todorovic
Photo: Videostill, ZKM CTRL[SPACE] exhibition

52──0100101110101101.ORG《VOPOS》January 2001. URL=http://www.0100101110101101.org

52──0100101110101101.ORG《VOPOS》January 2001.
URL=http://www.0100101110101101.org

六 パイラシーからコモンズへ

0100101110101101.ORGの行動は、ネットアートのハッキングによるハイブリッドの公開など、ネットアーティストをも大いに挑発してきた。このようなふるまいは、デジタル・メディアの地平をあくまで突きつめることで、既存のシステムや諸概念──知的所有権、アート、創造性など──との断層を露わにし、論争をあおるための挑戦と言える。昨年のヴェネツィア・ビエンナーレで彼らが発表した《biennale.py》は、pythonというコードで書かれたソフトに侵入するコンピュータ・ウィルスである。初日にソースコードが公開され対処法がアナウンスされたことからも、目的が破壊ではなく「ウィルス」と「アート」との境界を問うことであることは明らかだが、まさに違法ぎりぎりの行為と言える。また同時に《biennale.py》は、ウィルスのソースコードをひとつの言語、ダダ的エクリチュールとして提示する行為としてもとらえられる。ティエリー・ド・デューヴが指摘するように、デュシャン以降「アート」は言語によって規定されてきたが、ここでは「アートである」という同義反復的な言い回しに加え、ソースコードという言語が「アート」として機能しうるかという問いが投げかけられているのである。
インターネットにおいて、そもそも情報を得るという行為自体、情報がコピーされることを意味している。つまり知的所有物は、ネットワークを通じて容易にコピー、シェアされ広がっていく。知的所有物が物に搭載されることで守られていた既存の著作権概念やシステムとは、まったく異なるシステムである。しかしそもそも著作権自体、印刷メディアを念頭においた、著者の保護を目的に西欧近代に成立したものであり、現在のデジタル社会においてそれを維持することが困難なのは明らかだろう。しかし近年、アメリカでのDMCA(デジタル・ミレニアム・コピーライト・アクト)可決(一九九八)をはじめ、世界的に法整備と情報管理が、企業を巻き込み急激に推進されつつある。

53、54──0100101110101101.ORG《biennale.py》、ウィ ルス・ソースコード、2001 URL=http://www.0100101110101101.org

53、54──0100101110101101.ORG《biennale.py》、ウィ ルス・ソースコード、2001
URL=http://www.0100101110101101.org


55──0100101110101101.ORG《FTPermutationx》2001 URL=http://www.0100101110101101.org

55──0100101110101101.ORG《FTPermutationx》2001
URL=http://www.0100101110101101.org

そのようななか、あらためて著作権や知的所有権の問題をとりあげ、アートからその可能性を探求するオンライン・プロジェクト「キングダム・オブ・パイラシー(KOP)」★三〇が展開されている。「海賊行為パイラシー」は、「TAZ」を参照しつつ、領土化から逃れる自由な情報の流通、能動性(DIY)を意味し、またスポンサーのコンピュータ企業が拠点とする台湾──海賊コピーの天国でもある──という地域への参照もなされている。しかしそもそも著作権という概念はアジアには存在していなかったはずである。また言語、科学的真理などは欧米においても人類の共有財コモンズと見なされ、著作権が適用されることはない。「著作権」というシステムで利益を得る側がそれを根拠に正当化し、各時代のテクノロジーを駆使して管理に回るのだ。
仲正昌樹は、『〈法〉と〈法外〉なもの』において、デリダの『法の力』を引き合いに出しながら、はじめは現実的行為にすぎないものが、どこかの時点で事後的に起源としてその存在を正当化し始めるという法のパラドックスについて述べている。「近代の法は、倫理から逸脱して、自己完結したオートポイエーシス的なシステムを構成する。法システムの中では、法的な形式合理性に合致するもののみが〈法〉なのである(メRecht ist Rechtモ)」★三一。現象が現われると、それを扱うためのコンセンサスとしての法が必要となる。暫定的現在性を決定する法が、「法的な形式合理性に合致するものとしての〈法〉」というトートロジーにおいて自己の起源を正当化し、維持し続ける。そしてそこから排除されるもの、〈法外〉なもの──それが「空間の表象」を逆転した「表象の空間」の産物なのかは結論づけられないが──が、この悪循環から逃れるためのひとつの切断点としてあるだろう。「KOP」
は、ますます世界を覆いつくす均質性──帝国エンパイア──に対して、多様な地域の雑多な声を発し続ける。
クラッキングを一種のオルタナティヴなアクションと見なし、都市における介入として実現されたのが、KR+cFの「《Crack it! (Connective Force Attack - Open Way to Public)》(二〇〇〇)である。ハンブルクの地下鉄の構内やコンピュータ雑誌を通してクラック用ソフトの入ったCD-ROMが配付され、特定のサーバーのオンライン・パスワードを不特定多数のユーザーが連携してクラックすることが試みられた。特定の日時を決め一〇〇人以上で同時に攻撃することが必要条件で、クラックに成功すると、地下鉄の液晶ディスプレイなどの公共空間に検閲なしでメッセージが表示されたという。タイトルにあるようにこのプロジェクトでは、クラックというアノニマスな行為を広くパブリックへ連結するものとしてある。ここでの「パブリック」とは、ソフトウェアのシェアやディストリビューション、コラボレーション、そして都市空間への侵入と、多重の層をなしている。

56──キングダム・オブ・パイラシー、2002 ©Acer Digital Art Center URL=http://kop.adac.com.tw

56──キングダム・オブ・パイラシー、2002 ©Acer Digital Art Center
URL=http://kop.adac.com.tw

57──KR+cF《Crack it!(Connective Force Attack -Open Way to Public》2000 ©knowbotic research URL=http://www.krcf.org

57──KR+cF《Crack it!(Connective Force Attack -Open Way to Public》2000 ©knowbotic research
URL=http://www.krcf.org

上述したプロジェクトは、「ウィルス」、「パイラシー」、「クラック」などという挑発的な言葉を掲げることで、いずれも情報のシェアと自由な流通をアートという場所から実践的に提起するものである。これらのアーティストは社会的存在として、社会的、空間的なプロジェクトを行なうことで電子ネットワーク時代の〈公共圏〉を開こうとしていると言えるだろう。そのための情報の場は、現在「(デジタル・)コモンズ」という言葉で表わされている。フェリックス・スタッドラーは、「コモンズ」を所有権ではなく、アクセス権により定義されるオープンなリソースとしながらも、国家と企業の情報管理によってその領域が狭められる危険性を示唆している★三二。ローレンス・レッシグによれば、「コモンズ」が保存されるか否かはサイバー空間の設計いかんにかかっているという。それを踏まえてレッシグは、「われわれは、コモンズを残すようサイバー空間を構築すべきだ」と述べている★三三。まさに現在、わたしたちは〈公共圏〉の問題に直面しているのだ。
オープンなリソース・シェアのための「コモンズ」は、現在世界中のコミュニティで実践されつつあるが、そのひとつとしてニューデリーのメディア組織サライで昨秋から始まったプロジェクト「OPUS (Open Platform for Unlimited Signification)」に最後に言及しておきたい。このプロジェクトは、「人や機械やコードが共同して稼動することのできるオンライン空間」として、デジタルメディアを通した新しい生産および情報共有を実験的に実践しようとしている。「OPUS」は、誰もが自分の作品──イメージ、音、ヴィデオ、テキストなど──をアップロードできる場であり、同時に作品をめぐる意見交換の場ともなっている。しかしそれ以上に重要なのは、リソースとしての情報がさまざまな人々によってサンプリングされ変形され、新たな結節として生産されていくことだろう。

58、59──OPUS conceived by Raqs Media Collective at Sarai URL=http://www.sarai.org[cc]OPUS

58、59──OPUS
conceived by Raqs Media Collective at Sarai
URL=http://www.sarai.org[cc]OPUS

それゆえ近い将来において重要となるのは、可能性をとことんつきつめて、人類の空間を人類の集合的(類的)な作品として生産することである。    アンリ・ルフェーヴル★三四


ルフェーヴルは、『空間の生産』をしめくくるにあたって、空間の生産を人類の集合的(類的)な作品と見なしている。その前提として、直前の文において、「主体」の刻印を帯びた唯一のものとしての「作品」と、反復される複製可能な「生産物」──それこそが社会的諸関係の自動的な再生産へゆきつくとされる──の区別と分離の乗り越えを述べている。ここでの「集合的(類的)な作品」という概念は、現在においてはむしろフレキシブルなデータベース空間として発想される「コモンズ」としてとらえることができるかもしれない。物質/非物質であれ、グローバル/ローカルであれ、どのような形態であれ共有されそこから新たに生産されるもの、そして未来においても生産される可能性をもつ次元としての「コモンズ」。開かれたコラボレーティヴかつコミュニケーティヴな〈場〉が、オルタナティヴなフローを生み出し現実の都市空間、社会的空間と連携することが求められている。そのプロセスが、電子ネットワーク時代の新たな自由の空間=〈公共圏〉として生産されるのではないか。


★一──マニュエル・カステル『都市・情報・グローバル経済』(大澤善信訳・解説、青木書店、一九九九)二七五頁。
★二──同書、二五六頁。
★三──同書、二五七—二六五頁。.
★四──二〇〇一年秋にミュンヘンで開催されたメディア・コンフェレンス「make-world」での発言。コンラート・ベッカーはアーティストでありウィーンのメディアセンターPublic Netbaseのディレクターでもある。
★五──アンリ・ルフェーヴル『日常生活批判 序説』(田中仁彦訳、現代思潮社、一九七八)八五頁。
★六──スペクタクルの支持体が都市自体であり、都市を散開的手法で撹乱するドゥボールの映画の実験的手法は、支持体としてのフィルムおよび映像空間に鉾先が向けられる。何もシューティングしない画面の連続などドゥボールにとっての映画はあくまで状況構築のための手段であり、ジガ・ヴェルトフ集団期のゴダールの手法とも比較対照されるが、両者のプロパガンダは根本的に異なるものである。
★七──グレアムは35ミリスライドというミニマルな透過物を作品と見なしているが、それは後の鏡やヴィデオ、ハーフミラーの使用へとつながるものである。
★八──スミッソンが六八年に『Art International』誌に寄稿した文章。
★九──「アナーキテクチャー」は概念だけでなく、マッタ=クラークを中心とした芸術運動としても存在した。
★一〇──ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(田村俶訳、新潮社、一九七七)二一七頁、およびジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』(遠藤知巳訳、十月社、一九九七)三七頁。
★一一──クレーリー同書、二四頁。
★一二──フーコー同書、三八頁。
★一三──ヴァルター・ベンヤミン『シュルレアリスム』(針生一郎訳、晶文社、一九八一)二〇—二一頁。
★一四──ハキム・ベイ『T.A.Z.一時的自律ゾーン』(箕輪裕著、インパクト出版会、一九九七)一九七頁。
★一五──ニ〇〇〇年のアルス・エレクトロニカ賞の授賞式(オーストリア、リンツ)に参加した「グラフィティライター」は、生放送においてPublic Net base(★四参照)のメッセージを出力してその威力を見せつけた。Public Net baseは、当時この国で台頭していた自由党のハイダー率いる極右政権が圧力をかけていた文化団体のひとつである。
★一六──Richard Barbrook, The High-Tech Gift Economy .
http://www.firstmonday.dk/issues/issue3_ 12/barbrook/
★一七──ibid.
★一八──フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』(杉村昌明訳・解説、大村書店、一九九一)七〇頁。
★一九──アンリ・ルフェーヴル『空間の生産』(斎藤日出治訳・解説、青木書店、二〇〇〇)八二—八三頁。
★二〇──同書、八三頁。
★二一──コーリン・ロウ、フレッド・コッター『コラージュ・シティ』(渡辺真理訳、鹿島出版会、一九九二)一七頁、コラージュについては例えば二三〇頁参照。
★二二──プロジェクターは、光を投げかける主体であり、カメラ・オブスキュラの逆転でもある。クバルは使用するスライド・プロジェクター、Carrouselの物質性をレディメードのオブジェとして扱っており、プロジェクターのディティールを即物的に撮影した作品もある。またクバルはダン・グレアムが同型プロジェクターを使用していた事実を参照している。両アーティストは、ヴィデオやスライド・プロジェクターによって光による多元反射、撹乱、移動を都市や建築空間で行なう点で共通している。
★二三──筆者がキュレーターとして関わった。東京国立博物館は一八七二年に設立された日本初の博物館であり、日本における近代(建築、文化)の受容の象徴的存在でもある。本館は、渡辺仁設計(一九三七年竣工)。ほぼ三〇年おきに新館が別様式で追加建設された、複合様式総合施設としても稀な存在であろう。
★二四──「dqpb」は、宮城県岩出山町に二〇〇〇年に開館した《感覚ミュージアム》(設計=六角鬼丈)に常設展示されている。www.kankaku.org
★二五──ビル全体を光のコンポジションによるオブジェとしたプロジェクトとして、ミシャ・クバルの「Megasign」(一九九〇)を追記しておく。デュッセルドルフのモダンな高層ビル(マンネスマン社)で約二カ月間、静止的な光によるコンポジションとして実験的に展開、都市空間を変貌させた(光のコンポジションは隔週変更)。八五頁図版23参照。
★二六──花田達朗『メディアと公共圏のポリティクス』(東京大学出版会、一九九九)四五頁。
★二七──二〇〇〇年には欧州議会もその存在を認めて、対抗する強力システム、エンフォポルの導入を検討しているとされ、現在問題になっている。
★二八──比較として、ポータブルな撮影機器によって可能となったジガ・ヴェルトフのドキュメンタリー映画『カメラを持った男』(一九二九)を挙げておく。ヴェルトフの「Kino Graz(映画眼)」(人間とカメラの眼の一体化)は、ファロッキの《眼/機械》においても保たれているが、その一体化は遠隔的なものである。『カメラを持った男』が映像による近代都市論とすれば、《眼/機械》はネットワーク化された都市論と言えよう。
★二九──「VOPOS」は三月二二日—二八日にZKMカールスルーエおよびラジオやオンライン放送で開催されるメディア・フェスティバルIntermedium2で展開。www.zkm.de
★三〇──台湾のコンピュータ企業Acer付属のAcer Digital Art Centerの主催。コ・キュレーターは、シューリー・チェン(メディア・アーティスト)、アルミン・メドッシュ(『Telepolis』編集者)、および筆者。約一五の新作ネット・プロジェクトほかテキスト、リンクなどで構成。四月末までワーク・イン・プログレスでその後はAcerのサーバーに常設の予定。
http://kop.adac.com.tw
★三一──仲正昌樹『〈法〉と〈法外なもの〉』(御茶ノ水書房、二〇〇一)一三頁。
★三二──Felix Stadler, The Excess of Control - Review of Lawrence Lessig's Future of Ideas.
http://felix.openflows.org/html/lessig_future.html
★三三──ローレンス・レッシグ『CODE──インターネットの違法・合法・プライバシー』(山形浩生・柏木亮二訳、翔泳社、二〇〇一)二五三頁。
★三四──アンリ・ルフェーヴル『空間の生産』六〇二頁。

参考文献
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』(木下誠訳、平凡社、一九九三)。
『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト一 状況の構築へ──シチュアシオニスト・インターナショナルの創設』(一九九四)、二『迷宮としての世界──余暇と労働をめぐる闘争』(一九九五)、五『スペクタクルの政治──第三世界の階級闘争』(一九九八)、いずれも木下誠監訳、インパクト出版会。
野々村文宏『トレーシン──ポスト・ミニマリズムの作家』(オオタファインアーツ、一九九八)。
ハンナ・アレント『人間の条件』(志水速雄訳、ちくま学芸文庫、一九九四)。
Felix Stalder, The Space of Flows: notes on emergence, characteristics and possible impact on physical space.
http://felix.openflows.org/html/space _of_flows.html
Richard Barbrook, The Regulation of Liberty.
http://www.constantvzw.com/copy.cult/texts/reg_liberty.html
「ctrl_space - Rhetoric of Surveillance」展。ZKMカールスルーエにおいて開催(二〇〇一年一〇月一三日—二〇〇二年二月二四日。キュレーターはトーマス・レヴィン)。
http:// ctrlspace.zkm.de/

>四方幸子(シカタ・ユキコ)

東京造形大学特任教授、多摩美術大学客員教授、IAMAS(国際情報科学アカデミー)非常勤講師。キュレーティング、批評。

>『10+1』 No.27

特集=建築的/アート的

>ミニマリズム

1960年代のアメリカで主流を占めた美術運動。美術・建築などの芸術分野において必...

>ロバート・スミッソン

1938年 - 1973年
芸術家。

>ミシェル・フーコー

1926年 - 1984年
フランスの哲学者。

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>サステイナブル

現在の環境を維持すると同時に、人や環境に対する負荷を押さえ、将来の環境や次世代の...

>コーリン・ロウ

1920年 - 1999年
建築批評。コーネル大学教授。

>コラージュ・シティ

1992年4月1日

>オートポイエーシス

自己自身の要素を自ら生み出し、自己を再生産する自己組織化型のシステム。神経生物学...

>Code

2001年3月1日

>野々村文宏(ノノムラ・フミヒロ)

1961年 -
美術批評、マルチメディア研究。和光大学准教授。