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コルビュジエのまなざしと絵画、そして透明性へ──ピュリスム | 米田明
Purism: Toward Transparency in the Paintings and Expressions of Le Corbusier | Yoneda Akira
掲載『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) pp.77-94

1:「初めての」絵画

発端となる絵画[図1]では、画面を水平に二分するような明暗の中にいくつかの物が配されている。表面の艶やかな水平面に置かれた一つの白いキューブ、それに寄り添うような二枚の板のようなもの、左下にも何か白っぽいモチーフ。たとえその題名が「暖炉」と告げられようとも、依然中央の白いキューブだけは一体何であるか不明のまま、あたかも主題のように投げ出されている。この「主題」としての「空白」は、もう一つの絵画でも反復される。「本とパイプ」と名づけられたこの絵画[図2]では、テーブルの上に、パイプ、グラス、本が置かれている。しかし、その本の開かれたページには、何も書かれていない。そこに我々は、一体何を読み取ればよいのだろうか。これらの「空白」を主題とする絵画は、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレが、一九一八年に描いた「初めての」絵画とそれに続く絵画である。後のコルビュジエによるこの「初めての」といった形容は、我々に奇異な思いを抱かせる。なぜなら、ジャンヌレがその時点までに絵を描かなかったわけではなく、むしろ画家をめざして美術学校時代より人一倍絵画に励み、母校のデッサン教授資格すら得ていたことは、よく知られているからだ。従ってこの形容が示唆することは、単に最初の油彩画といったような意味なのだろうか。
実は、これらに先立つ一九一六年にジャンヌレは建築そのものに既に「空白」を持ち込んでいる。ヴィラ・シュウォッブの有名な「空白」のファサードである。コーリン・ロウは、パラッディオなどの作品に現われる同様の白いパネルをこのファサードと並置させ、近代建築と後期ルネサンスのマニエリスムとの関係について微妙な言い回しで言及する。コルビュジエが直接パラッディオなどの過去の例に従ったはずはないとしながらも、後期マニエリストの試みの中に見出される「古典的な正確さを外見として保ちつつ、同時に古典的な一貫性という内的核心を打破せざるを得ない曖昧さ」★一を、二〇世紀初頭のモダン・ムーヴメントが一九世紀から相続する遺産と重ね合わせる。すなわちそれらは、一九世紀前半にロマン主義芸術と自由主義思想が推進してきた個人の感性の解放と、その反動として一九世紀後半に行なわれるロマン主義的経験の体系化あるいは「科学的」公式化との間にもたらされる弁証性である。そしてそれは、「単に規則性を破るという欲求ではなく、精神の避け難い状態としてブラマンテによって確立された古典的な盛期ルネサンスの規範を意識的に転倒しようとする」★二一六世紀マニエリスムの中に見出される拮抗と同位相のものとされるわけである。

1──ル・コルビュジエ、La Cheminé、1918

1──ル・コルビュジエ、La Cheminé、1918

2──ル・コルビュジエ、Nature morte avec verre, livre, pipe et dé、1918

2──ル・コルビュジエ、Nature morte avec verre, livre, pipe et dé、1918

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>米田明(ヨネダ・アキラ)

1959年生
アーキテクトン主宰。京都工芸繊維大学准教授。建築家。

>『10+1』 No.10

特集=ル・コルビュジエを発見する

>コーリン・ロウ

1920年 - 1999年
建築批評。コーネル大学教授。

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...