RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.09>ARTICLE

>
地図、統計、写真──大都市の相貌 | 若林幹夫
Map, Statistic, Photograph | Wakabayashi Mikio
掲載『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) pp.196-206

1『東京─大都会の顔─』

一九五二年に岩波写真文庫の一冊として刊行された『東京─大都会の顔─』の冒頭には、「この本の読みかた」として次の文章が掲げられている。

東京に関して、その歴史的懐古、首都的性格、或いは戦災の報告は、また別の課題になるであろう。ここでは大都会のもつ一般的な容貌を、東京に代表させて説明する。読者はまず東京の地図を用意されたい。カメラは地図上の各地点で、ほとんど二十四時間とは違わぬ間に見られる現実を把える。一見すればきわめて無秩序なその各様相は、綜合して一種の秩序、大都会の秩序を暗示する。写真説明はみな統計資料によっている。その信憑性については特に注意を払ったが、統計の価値は、読者がその中からどれだけの意味を汲みとるかにある。我々は地図と写真と統計とを拠り所に、複雑な人口集団である大都会の内奥を探ってみよう[図1]★一。


「この本の読みかた」を、ここではそのまま「大都会の読みかた」と読み換えることができる。大都会という巨大な人口集団が、地図と写真、そして統計を媒体とすることによって、「一種の秩序」をもつものとして現われてくる。その「一種の秩序」のうちに、東京に代表される「大都会のもつ一般的な容貌」を読みとること。それがこの書物が提示する「大都会の読みかた」である。
ここで示された都市解読の方法は、現在においても依然としてきわめて「普通」のものだ。「普通」というのは、私たちの社会において、地図と写真、統計によって都市を解読し、語ることがごく当たり前のこととして行なわれており、また、そのようにして語られた「都市論」がしごく当然のものとしてこの社会を流通しているということだ。たとえばこうした表現は、自治体のパンフレットや新聞の特集記事などに、ごく普通に見出される。この意味で、『東京─大都会の顔─』が採用した方法は、四○年近く以前に刊行されたものにもかかわらず、現代において都市を解読し、語る方法の一つの「典型」を示していると言ってよい。
ここではこうした典型的な方法の「普通さ」を、凡庸さとして非難しようというのではない。ここで考えたいのは、私たちの社会において「都市」について一般的な形で語ろうとする時に、地図と写真、統計による表現がとりあえず妥当なものとして現われてしまうことの意味である。「一般的な形で」とは、ある対象に関する記述を、特定の話者に帰属するというよりも、大多数の人びとにとって通約可能な一般性をもった記述として語ろうとする態度のことを意味している。この時、解読と語りの「普通さ」、その「凡庸さ」と「一般性」とは、そうした解読と語りの方法が、特定の個人の思考や実践を超えた社会(学)的な事実性を帯びたものとして存在していることを暗示している。ここでは、地図と写真、統計による都市の解読と記述という手法を、今日の社会におけるそうした「社会的事実」として考察してみたいのである。そのような方法を、都市を語る「普通の方法」として可能にしている現在の都市の存在に、それを語る方法の側から迫ること。そのような語りを当然のこととする現在の都市とは、どのような社会として存在しているのかを考えること。それがこの論考における差し当たりの問題である。

1──『東京─大都会の顔─』表紙

1──『東京─大都会の顔─』表紙

2表象としての都市

『東京─大都会の顔─』は、地図と写真と統計によって、大都会の見えない秩序を把握し、可視化しようとする。当時の日本を代表する社会学者の一人であり、この書物の監修者である清水幾太郎の言葉を借りれば、こうした手法を通じて巨大な「機械」であり「生物」でもある都会の秩序あるいは構造を、書物のページの上に浮かび上がらせようとするのが、地図と統計と写真の組み合わせなのだ。
少なからぬ数の論者によって直接・間接に指摘されているように、近・現代の都市論の多く、とりわけ地図や統計、写真によって都市を語ろうとする都市論の多くは、「見えない都市」を何らかの形で把握し、可視化しようとする欲望に導かれている。都市がそうした欲望を喚起するのは、近・現代の都市における人口の急増と社会秩序の変容、社会的な変化の加速とショック体験によるのだという、やはりしばしば繰り返される説明は間違いではない★二。清水幾太郎が『東京─大都会の顔─』に寄せた「都会とは何か」という小文で述べているように「都会は大きい」。そこでは「おびただしい数の人間が、狭い土地の上に、一つの塊になって、ひしめきあって、生きて」おり、「それに必要な物資や施設も、いきおい、大きくならないわけにはゆかぬ」のであり、したがって「彼らが生きることの結果も、働くことの結果も、自ら、大きいものにならざるを得ない」★三。地図と写真と統計という方法は、そうした「大量、高密度、高異質的な人口集団」──ルイス・ワースによる「都市」の古典的な社会学的定義★四 ──からなる定住社会の全体にかかわる属性や状態、様相や形態を把握し、あるいは可視化するための方法である。そこで志向されているのは、都市という巨大な社会の全域的なリアリティの把握であり、可視化である。
人間にとっての社会の現われには、基本的に「局所」と「全域」の二つの、相互に還元不可能なリアリティの位相がある★五。局所的リアリティとは、個体の身体に準拠した時に、その身体の近傍の広がりとして直接に経験されるリアリティの位相である。複数の身体が同時に同一の地点を占めることができない以上、社会の局所的な現われは個々の身体に固有のものであり、複数の身体の間の通約性をもたない。私たちは誰もが、そうした局所的なリアリティを自らの世界経験として生きている。だが、私たちは同時にまた、そうした個体の身体に準拠するのではなく、複数の身体に対して通約性をもつ共通のリアリティの位相、全域的なリアリティの位相をもっている。それは社会に内在する身体に準拠するリアリティではなく、あたかも社会の外側からその全体を見たり、測定したりする時に現われるような、社会の全体性にかかわるリアリティである。ここで取り上げている地図や統計のリアリティは、この全域的なリアリティを表現している。全域的なリアリティは個々の身体によって直接に経験することは不可能だが、そうした「全域」としての社会や世界の存在を人は想像的に了解しており、地図や統計などの表象されたテクストを通じてならば、それを把握し、あるいは可視的なものとして捉えることもできる。全域的なリアリティは、複数の身体の協働連関としての社会の全体的な広がりのイメージないし図式であり、そうしたイメージや図式の共有を通じて人は、直接経験不可能な「社会」という広がりの上に自らを位置づけるのである。この意味で全域的なリアリティを表象するイメージや図式は、間身体的な協働連関としての「社会」の存立を支える想念である★六。
社会における局所と全域の二つのリアリティの関係が右に述べたようなものであるとすれば、都市の全域を把握し、あるいは可視化しようとする欲望を喚起するのは、何も近代の都市に限らないということになるだろう。少なくとも、都市の全域の把握や可視化への欲望を近代社会に固有のものと考えたり、古代・中世においては「見えていた」都市が、近代に入って突然「見えなくなった」と考えることは、いささか議論を単純化していることになるはずだ。なるほど、古代帝国における都市は、アジアでもヨーロッパでも、アフリカやアメリカ大陸においても、中心─周縁の図式や神話的な体系に基づいて分節化された象徴的な秩序に則って建造されることが多く、したがってそうした象徴的な秩序の体系によって都市の全域を了解することが可能であった。象徴的な体系を明確にもたない場合であっても、古代や中世の都市は、街区、広場などの要素を単位として、城壁に囲まれた領域を構造化された有限な内部空間として秩序化するという点で、きわめて高い読解可能性レジビリテイ想像可能性イメージアビリテイをもっている★七・八。この意味で、それらの都市が「見えていた」というのは間違いではない。だがそれは、都市がそれ自体として「見える」ということではない。そこでも都市は、象徴的な体系や構造的な図式を通じて表象され、読み取られているのであって、「都市そのもの」などいささかも把握されたり可視化されたりはしていないのである[図2]。
古代であれ中世であれ、巨大な人口の集積である都市を一望の視界の下に収めることなど不可能なのであり、それゆえ都市は、いかなる社会においても常に何らかの形でその全域を可視化する欲望を喚起する存在で在りつづけてきた。都市に限らず、いかなる社会もその全域を直接に可視化し、あるいは把握することなど不可能であるのだが、小規模で限定的な成員からなる比較的安定した構造をもつ村落的な社会に比べて、社会的諸交通に対して開かれた大量の人口と物財の集合体である都市の方が、その全域を可視化する欲望をより強く喚起するものであるとは言えるだろう★九。この時、都市の全域の秩序は具体的な経験としてではなく、何らかの表象という形をとることなしには了解不可能である。古代・中世の「見える都市」に近代以降の「見えない都市」を対立させることは、こうした都市全般に共通する「見えなさ」を忘れさせる。問題はむしろ、ある社会において都市の「見えなさ」がどのような「可視性」に回収されるか(あるいはされないか)ということであり、そこで「都市」という存在が、その可視性と不可視性の向こう側にどのように触知されているのかということなのである。

2──figuredな都市、象徴的な都市 (図左=若桑みどり『都市のイコノロジー』青土社、1990年

2──figuredな都市、象徴的な都市
(図左=若桑みどり『都市のイコノロジー』青土社、1990年

3数字の都市、区画の都市

古代や中世のようにたとえば都市が象徴的な秩序や分節化された構造として建設され、読み取られる時、都市の「全域」は、一つの完結した、あるいは完結可能な全体であることが前提とされている。象徴的な秩序や構造的な分節は、神話的であれ世俗的であれ、一つの統一された「全体」としての都市の存在をあらかじめ前提としており、その全体を象徴的な秩序や構造が分節するのである(あるいは逆に、都市を構成する個々の要素が、その相互関係において完結した全体を形作るのである)。この時、都市の全域は「全体」と「部分」の安定した秩序として思考され、了解される★一○。神話的な体系や中心─周縁のような分節構造は、こうした部分─全体関係を読み取り、想像することを可能にする記号論的なコードであるということができる。M・C・ボイヤーの言葉を借りれば、こうした都市は〈figured〉な都市、つまり形取られ、想像され、象徴化された都市として了解されており、また、そうした形象=想念フイギユアに導かれ、それを体現するものとして建設されている★一一。
『東京─大都会の顔─』におけるような、地図と写真、統計による都市の解読において欠如しているのは、こうした「全体」と「部分」として記述されるような象徴的な体系や構造を通じて現われる形象=想念としての都市の全域である[図3]。
統計とは、「現象に一定の単位的均質性を与え、その前提の上で値の比較を可能にする技術」★一二である。統計は、ある全体の属性を、その内部の測定可能な「数量」として把握する。たとえば『東京─大都会の顔─』では、一九五一年度に約一○四万戸の世帯が吐き出すゴミが一日に一六二二トン、同年の一月二四日の七時から一九時の間に京浜国道の品川区役所前を通過した自動車が一二一○二台、自転車が一五九○台、荷牛馬車が三三○台、歩行者が五八九八人、一九五○年一月一日から一○月一日までの間の人口の自然増加が八一五三人、流入人口が一六五五四人であるというように、東京という都市の全域にかかわる様相が、集計ないし計測された数字という形で示されるのである★一三。「実証的」な物言いにおいて、こうした統計ないし数字による記述は〈具体的なデータによっている〉と言われたりもする。なるほど、それはたとえば「膨大な量のゴミ」とか「大量の人口」といった表現と比べれば、確かに「具体的」であるということはできるだろう。だが、一○四万戸の世帯から吐き出される一六二二トンのゴミや、九カ月の間に生まれた八一五三人の赤ん坊や都市に流入した一六五五四人の人びとが、こうした「統計」や「数字」を通して具体的に眼に見えてくるわけではない。それだけの量のゴミや赤ん坊、都市流入者を頭の中で具体的にイメージすることなど、不可能なことなのだ。統計や数字が示すのは、集計された「数量」としての赤ん坊、都市流入者等の都市の諸属性なのであって、それらは決して「具体的」でなどなく、徹底的に「抽象的」である。数量による記述は、それゆえ 形象フイギユア としてイメージされるものを欠いている★一四。統計は、都市の属性を非形象的=非想念的に把握し、〈可視化〉しようとする(だが、それを私たちは依然として「可視化」という言葉で呼ぶことができるのだろうか?)。
では、地図の方はどうなのだろうか。
地図は、古代や中世においてもしばしば都市の形象=想念を表象するものとして用いられてきた。地図は、都市の象徴的な体系や分節化された構造を全域的な像として示すための、きわめて有効なメディアとして機能してきたのである。だが、近代の地図はもはやそのような形象的=想念的な機能を担わない。近代の地図が表現しようとするのは、象徴的な全体性や共同体化された意味の深層などではなく、ひたすら表層的な土地や街路の形象であり、世俗化された行政的な区画である。地図に引かれた境界線は、確かに都県境や区の境界を示してはいる。けれどもこの「線」は、そこで人びとによって生きられる「大都会」という社会において、地図上に描かれているような確固たる実定性を主張しているわけではない。古代や中世、近世において都市を取り囲んでいた「城壁」が、実際に都市を土地空間上の領域や平面として区画しており、都市の形象化に積極的に係わっていたのに対して、今日の都県境や区の境界線は、行政体としての「都」や「区」「市」にとってはきわめて強い意味をもっているとしても、「都市」の全域を形象化し想像するためのものとしては、きわめて微弱な実定性しかもってはいない。地図は行政区画としての「都市」の外延を表象してはいるけれども、それは必ずしも「都市」としてイメージされる全域の外延を表象しているのではない。『東京─大都会の顔─』に統計と組み合わされて示された何枚かの地図の中に、人はどのようにしてもそうした体系や構造を見出すことはない。それは、都市の諸属性を統計的な数値として計測する際に、その「全体」を操作的に確定するためのいわば「空の箱」として機能するのがせいぜいなのである★一五。
このように、統計と地図という方法による都市の全域の把握の試みは、神話的な体系や分節化された構造とは異なり、都市の全域を徹底的に非形象的で非想像的な表象によって把握しようとする。再びボイヤーの言葉を借りれば、こうした表象による把握は、都市の〈disfigured〉なあり方、形の崩れた、想像することの困難な、非象徴的なあり方に対応しており、さらにいえばそうした都市における全体性〈totality〉ないし全体的実体〈total entity〉の不在という認識に対応している★一六。そうであるとすれば『東京─大都会の顔─』が示そうとするような「統計の都市」や「地図の都市」は、もはや全体性や全体的実体が存在しない都市の全域を表象しようとする、いささかパラドクシカルとも思える試みということになるだろう。それは、表象的=想念的な都市において都市の全域としてイメージされ、その存立を支えている観念の全体性を欠いたものとして都市の全域を表象しようとする試みである。そこに表現されるのは、「全体性なき全域性」としての都市の相貌である。

3──『東京─大都会の顔─』における地図と統計

3──『東京─大都会の顔─』における地図と統計

4写真の都市

写真による都市の全域の表象の試みは、地図と統計が「区画」と「集計」によって把握し、表象しようとするのとは別の仕方で、都市のリアリティを捉えようとしているのだと、とりあえずは言うことができる。
写真は、統計が集計によって都市の全域的な状態を数量として把握したり、地図が平面的な広がりとその上の区画として都市の全域を可視化しようとするように、都市の全域を可視化することはない。『東京─大都会の顔─』のテクストを構成する個々の写真に写し込まれているのは、一九五二年頃の特定の時点、特定の場所における出来事であり、風景である。一枚の写真に写されている風景そのものは、ある場所で撮影者によってもたれ、あるいは設置された写真機のレンズを通してフィルムに定着させられた、都市の風景の局所的な「断片」なのであって、そこにはいささかも都市の全域など表象されていない。だが、「この本の読みかた」に示されているように、「地図上の各地点で、ほとんど二十四時間とは違わぬ間に見られる現実を把える」とされるこうした写真を集め、配置し、それを地図と統計、そして説明文と組み合わせることによって、この書物は「一見すればきわめて無秩序なその各様相」を、「綜合して一種の秩序、大都会の秩序を暗示する」ものへと変換しようとする★一七。それは、地図・統計・説明文と組み合わされた一種の「フォトコラージュ」なのであり、そのコラージュによって都市の全域の秩序を「暗示」しようとする。芸術表現におけるフォトコラージュが、一般に一枚の紙の上に複数の写真の断片を組み合わせることによって都市の全体的なイメージを表現しようとするのに対して、『東京─大都会の顔─』は、見開きのページの写真と統計、説明文の組み合わせが一種のフォトコラージュを構成していると同時に、そのテクスト全体が一つのフォトコラージュとして都市の全域的なイメージを表象しようとしているのである[図4]。
そもそも写真とは、イコン(類似記号)のように対象との見かけの上の類似性に依拠して記号になるのでもなければ、シンボル(象徴記号)のように文化的コードの媒介によって対象と関係づけられているのでもなく、そこに定着した像が「かつて─そこに─あった」ことを示す光学的な痕跡であることによってかろうじて記号として機能するインデックス(指標記号)である。フォトコラージュは、そもそもいかなる文化的コードによっても意味付けられないこの写真というインデックスを複数組み合わせ、あるいはそれらを説明文と結び付けることによって、そこに「一定の意味」を作りだそうとする★一八。
ヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」の中で、一九○○年頃にアジェによって撮影されたパリの街路の写真に触れながら、写真と説明文、あるいは組み合わされる写真相互の関係を通じて「意味」を表象しようとする試みについて述べている。

写真はアジェにおいて、歴史のプロセス〔過程=訴訟〕の証拠物件となりはじめる。このことが写真の隠れた政治的意義となる。こうした写真はすでに、一定の意味で受け取られることを求めている。心の赴くままに観想をめぐらすことは、それらにはもはやふさわしくない。それらは見る者を不安にする。見る者は、それらに近づくにはある一定の道を探さなくてはならないと感じる。そうした者のためにこの同じ時期に、道しるべを立てはじめるのが写真入り新聞である。正しい道しるべであったかそれとも間違っていたか──それはどうでもよい。ともかくここではじめて写真には説明文が不可欠となった。そしてこの説明文が、絵画の題とはまったく違う性格のものであることは明らかである。グラフ雑誌の写真を眺める人は、説明文から理解上の方向づけを与えられる。そうした方向づけは、その後まもなく現われた映画においては、いっそう精密かつ強制的なものになる。映画では、個々の映像をどう理解するかは、先行するすべての映像のつながりによってあらかじめ指示されているように思われる★一九。


説明文と写真との関係のみならず、ベンヤミンが映画についてここで述べていることも、先行し、あるいは後続する他の写真との繋がりにおいて個々の写真の解釈が方向づけられるフォトコラージュとしての『東京─大都会の顔─』の表現に当てはまる。説明文や統計、地図と組み合わされたテクストとして織り上げられる時、『東京─大都会の顔─』に収められた一枚一枚の写真は、一九五○年代初めの東京の特定の時刻の特定の場所の風景や出来事を写し取ったものとしてではなく、「一九五○年代初めの東京」の全域的な状態の一つの「例」であり、そこでの社会のあり方を示す一つの「譬え」としての相貌を帯びはじめる。複数の写真と説明文、地図、統計が一冊のテクストとして構成されることを通じて、組み合わされた写真の全体が、大都会の一見すると無秩序な様相と、その総体としての秩序を暗示する「譬え話アレゴリー」として機能しはじめる。
フォトコラージュは、そのようなアレゴリーとして都市の全域性を「暗示」するのである。

4──『東京─大都会の顔─』における都市のフォトコラージュ

4──『東京─大都会の顔─』における都市のフォトコラージュ

芸術作品としての都市のフォトコラージュ

芸術作品としての都市のフォトコラージュ

5都市のアレゴリー

アレゴリーとは、全体的な連関や一体性を欠いた世界における表象のあり方である。ポール・ド・マンによれば、シンボル的な表現が、五感に訴えるイメージとそれが暗示する超感覚的な全体との間の親密な一体化に基礎を置き、それが表象する「全体」との同一化あるいは一体化の可能性を前提としているのに対して、アレゴリー的な表現は、それ自身と起源との間にへだたりがあることを明らかにし、その起源へのノスタルジーやそれと一体化しようとする欲望を断念する表現であり、そこでの記号は一つの特定の意味を指示するのみで、いったん解読されるやその暗示的潜在力を枯渇させてしまうのだという★二○。また、ベンヤミンは「ドイツ悲劇の根源」のなかで、「象徴を、理念の、自己完結した、圧縮された、たえず自己のうちにとどまり続ける記号として捉え、これに対してアレゴリーを、理念の、継起的に進行してゆく、時間そのものとともに動き始めた、演劇的に活動する、流動的な 写像アプビルト と認める」というクロイツァーの指摘を引用している★二一。
そうであるならば、フォトコラージュによる都市の全域の「暗示」と、地図と統計による都市の全域の表象とが、一冊の書物の中で遭遇していることは偶然ではない。都市のアレゴリカルなイメージ化の試みもまた、統計と地図による都市の全域の表象の試みと同じく、イメージ可能な全体性や全体的実体をもたない〈disfigured〉な都市の全域を、非形象的=非想念的に把握しようとする試みとして理解することができるからだ。
都市がアレゴリー的な表現によって把握されること。それは、単に都市とその全域性の表象との関係が、象徴的な体系や構造においてそうであったような親密な一体化の可能性を絶たれているということを意味しているだけではない。それは、人びとによって想像される都市が全体性を欠いたアレゴリカルなものになっているというだけではなく、都市という存在がもはや人びとの共同性に基盤を置く象徴的な体系や全体性によって支えられなくなったこと、それによって都市という巨大な人口集団からなる社会的協働連関の広がりが、象徴的な体系や構造によって意味づけられ、現実化されるような広がりではなくなったということを意味している。都市が非形象的=想念的な存在になったというのは、都市を一つの社会として想像し、構想し、集合的な生の協働連関として作りだすあり方が変容したということなのだ★二二。
都市のあり方のこのような変容は、都市に内在する時間性の問題として考えると、より理解しやすいかもしれない。都市の全域が象徴的な体系や全体的な構造によってイメージされ、把握される時、そこでは都市の全域を支えている体系や構造は、現実の時間を貫通して都市の中に保持される超時間的なもの、永遠にその都市の存在を支え続ける根源的な像として了解されている。現実の都市とは、そうした超時間的・根源的な都市のイメージの現前であり、現実化である。象徴とアレゴリーの区別として先に述べたように、こうしたイメージの超時間的・根源的なあり方は、象徴的な表現の前提である。都市が象徴的な意味の体系として読み取られるのは、そこでの都市の全域性が、超時間的・根源的な、つまり現実の時間の「外部」のイメージとして担保されているからなのである。それに対して、フォトコラージュによる都市のアレゴリー的な把握や、地図と統計による都市の全域の把握においては、そうした超時間性や根源性が徹底的に欠如している。そこに存在するのは、移り行く時間の流れからはぎ取られた一瞬の光学的な痕跡(=写真)であり、流動的な変動の特定の時点での集計(=統計)であり、象徴的な深みや全体的な構造を欠いた表層的な平面(=地図)なのだ。そこで捉えられる都市とは、ベンヤミンが引くクロイツァーの言葉のような「流動的な写像」でしかない。この非形象的=非想念的な把握において、都市は移ろいゆく「現在」の継起という時間性をもつものとして現われるのである。
都市が象徴的な表現によってではなく、アレゴリカルな表現によって把握されるということは、そこに存在する都市における「社会」のあり方の違いをも、意味しているだろう。象徴的な表現によって把握される都市においては、そこでの社会の共同性が超時間的・根源的な体系との関係において了解され、そうした「全体」との関係において人びとの社会的協働連関が支えられていたのに対して、アレゴリカルな表現によって把握される都市においては、そのような「共同性」などあらかじめ見込まれず、全体的な連関への見通しを欠いた関係の集積が、時間の移ろいの中で不断に変化し続ける全域性を、その瞬間瞬間に生み出し続ける。この時、都市という社会の全域は、形象的=想念的フイギユアドな都市と対比すればそれが不格好であるという点でも、また時間の継起と共に動き続けるという点でもイメージしがたい非形象的=非想念的デイスフイギユアドな広がりとして現われる。地図と統計、そして写真からなるフォトコラージュは、象徴的な深みも全体的な構造ももたないこうした都市の非形象的な変転の瞬間を、表層的な平面と数字、そして光学的な痕跡によって捉えようとする。『東京─大都会の顔─』における都市解読の方法の「普通さ」が示しているのは、私たちの生きる都市=社会のこのようなあり方なのだ。


★一──岩波書店編集部編、清水幾太郎監修『東京─大都会の顔─』(岩波写真文庫、一九五二年)一頁。
★二──たとえば、F. Choay, The Modern City: Planning in the 19th Century, George Braziller, 1969. =彦坂裕訳『近代都市──一九世紀のプランニング』(井上書院、一九八三年)、佐藤健二「都市社会学の社会史」、倉沢進・町村敬志編『都市社会学のフロンティア1 構造・空間・方法』(日本評論社、一九九二年)一六三─一九四頁、田中純「〈光の皮膚〉の肌理──都市写真という寓意」(『10+1』No.6 一九九六年)一六─二一頁等における指摘を参照。
★三──清水幾太郎「都会とは何か」『東京─大都会の顔─』、三頁。
★四──L. Wirth, "Urbanism as a way of life", American Journal of Sociology, 44, 1938. =高橋勇悦訳「生活様式としてのアーバニズム」鈴木広編『都市化の社会学〔増補〕』(誠信書房、一九七八年)、一二九─一三三頁。
★五──若林幹夫『地図の想像力』(講談社選書メチエ、一九九五年)、同「地図としての社会」、筑波大学社会科学グループ『社会知のフロンティア』(新曜社、一九九七年刊行予定)を参照。
★六──Castoriadis, C. L'Institution imaginaire de la societe: 2emepartie: L'imaginaire social et l'institution, Editions du Seuil, 1975.=江口幹訳『想念が社会を創る──社会的想念と制度』(法政大学出版局、一九九四年)。
★七──レジビリティ、イメージアビリティは共に、K・リンチの概念である。K. Lynch, The Image of the City, The M. I. T. Press, 1960. =丹下健三・富田玲子訳『都市のイメージ』(岩波書店、一九六八年)三─七頁、一二─一六頁。
★八──江戸のように城壁をもたない近世日本の城下町においても、同様のことは指摘できる。この点については、若林幹夫『熱い都市 冷たい都市』(弘文堂、一九九二年)第三章一節を参照。
★九──歴史的に見れば、都市の全域を可視化する欲望は、その全域を政治的に支配する権力への欲望とその組織化と結びついていたということができる。
★一○──別の場所でも論じたように、このことは、都市という社会そのものが、こうした象徴的な秩序や構造に回収されてしまうということを意味するわけではない。この点については、若林『熱い都市 冷たい都市』(前掲★八)第二章参照。
★一一──M. C. Boyer, "The Great Frame-Up: Fantastic Appearances in Contemporary Spatial Politics", H. Liggett & D. C. Perry (eds), Spatial Practices, Sage, 1995, p. 82.
★一二──佐藤健二「都市社会学の社会史」(前掲★二)一六六頁。
★一三──ただし、『東京─大都会の顔─』では、様々な地域の土地価格なども示されているから、そこで提示されているのは厳密な意味での「統計」だけではない。
★一四──蓮實重彦は、近代的な都市論のさきがけであるマクシム・デュ・カンの都市論のなかに、こうした「数字の都市」を見出している。(蓮實『凡庸な芸術家の肖像──マクシム・デュ・カン論』青土社、一九八八年)四二七─四五一頁。
★一五──佐藤健二「都市社会学の社会史」(前掲★二)一七一頁。
★一六──M. C. Boyer, "The Great Frame-Up: Fantastic Appearances in Contemporary Spatial Politics",(前掲★一一)p. 82.
★一七──『東京─大都会の顔─』(前掲★一)一頁。
★一八──田中純「〈光の皮膚〉の肌理」(前掲★二)、一九─二○頁。そこで田中は、複数の写真の組み合わせであるフォトコラージュについてではなく、複数の写真を合成して製作するフォトモンタージュについて述べているが、ここでは両者を同列に置いて論じることが許されるだろう。田中によれば、フォトモンタージュによる都市表象の試みとは、「徹底して意味を欠いた写真という記号に文化的コードを導入する技法にほかならず」、それは「大都市のショック経験をイメージとして表現しようとし」ながら、「同時に大都市を読み解くコードを提供する」ことによって、そうしたショック経験を解読可能な意味の世界へと回収してしまうものである。
★一九──W. Benjamin, "Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reprodukzierbarkeit", 1936. =浅井健二郎・久保哲司訳「複製技術時代の芸術作品」、浅井編訳・久保田訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』(ちくま学芸文庫、一九九五年)六○○頁。
★二○──P. de Man, "The Rhetoric of Temporality", Bindness and Insight, The University of Minnesota Press, 1983. =保坂嘉恵美訳「時間性の修辞学(1)アレゴリーとシンボル」(『批評空間』1、太田出版、一九九三年)一一四頁。
★二一──W. Benjamin, "Allegorie und Trauerspiel", Ursprung des deutschen Trauerspiels, 1938. =浅井健二郎・久保哲司訳「アレゴリーとバロック悲劇」、前掲『ベンヤミン・コレクション1』、一九九頁。ド・マンもまた前掲の論文で、ベンヤミンのこの論考について言及している。
★二二──この点については、若林幹夫「都市空間と社会形態──熱い空間と冷たい空間」、見田宗介他編『岩波講座現代社会学6 時間と空間の社会学』(岩波書店、一九九六年)も参照。2009.06.05

>若林幹夫(ワカバヤシ・ミキオ)

1962年生
早稲田大学教育・総合科学学術院教授。社会学。

>『10+1』 No.09

特集=風景/ランドスケープ

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年 -
表象文化論、思想史。東京大学大学院総合文化研究科教授。

>丹下健三(タンゲ・ケンゾウ)

1913年 - 2005年
建築家。東京大学名誉教授。