RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.09>ARTICLE

>
大地を刻む──ランドスケープからランドスクレイプへ | 五十嵐太郎
Carving the Earth: From Landscape to Landscrape | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) pp.88-99

down, down, down...
「もうどれだけ落ちたのかしら?」
兎を追っかけて、大地の穴に飛び込んだアリスは言いました。

母胎の亀裂

アルファベットの第一八番目の文字、Rを挿入してみること。その単語の六番目の文字と七番目の文字のあいだを切り裂きながら。すなわちランドスケープ landscape を、ランドスクレイプ landscRape に変形してしまうこと。そもそもオランダ語の landschap に由来するランドスケープは、大地 land の状態 scape のことであり、さらには風景、景観、眺め、見晴らしなどを意味するものだった。「風景」のフランス語、ペイザージュ paysage は、語源から言えば、田舎 pays の眺めにしか過ぎない[図1]。要するに、ランドスケープにしろ、ペイザージュにしろ、いずれも状態や性質の記述であり、ただ見ているという受動的なニュアンスを強く持つ。けれども、ここで一文字を加えて、能動的な概念に変えてみるのはどうだろうか。それゆえに大地 land を削る scRape、ランドスクレイプ。これは空を切り裂く、スカイスクレーパーの摩天楼とは反対に、われわれの足元をめざして大地を刻むものだ。あるいは landsc-RAPE とも読めるから、それは大地の略奪であり、母なる大地を犯すことかもしれない。ともあれ、ランドスクレイプとは、鋭いナイフを持った巨人化した「ジャック・ザ・リパー」が、大地というキャンバスに描いた作品なのだ(フォンタナによるエロティックな裂け目のように?[図2])。
本来、現代美術におけるアースワークの実験も、その幾つかは大地を刻むことを志向していたのではなかったか★一。R・クラウスが『反美学』に寄稿した論文の最初で紹介したメアリー・スミスの《周辺/屋内/仕掛け》(一九八七)も、大地に穿たれた四角形の穴が彫刻作品だったのである。最も有名なマイケル・ハイザーの《ダブル・ネガティヴ》(一九六九─七◯)は、アメリカ西部の荒涼とした大地から二四万トンの岩盤を削り、深さ一五メートル、幅九メートル、長さ四五七メートルの巨大な空洞をつくるものだった。ほかにも彼は大地のうえに、ジグザグに疾走する引っ掻き傷のような《リフト》(一九六八)や、結び目のような《孤立したマス/曲折》(一九六八)を制作している[図3・4]。そして砂漠に四・八キロメートルの線が薄く抉られたウォルター・デ・マリアの《ラス・ヴェガス・ピース》(一九六九)や、W・ベネットの《逆さのピラミッド》案。これらを想起しつつ、われわれのまわりの風景をもう一度、目を凝らして観察したならば、地球には実に無数の傷跡があり、無数の穴が穿たれていることに気づくだろう。いたるところに大地の切り裂きジャックは出没しているのだ。ゆえに本稿はランドスクレイプの思想を考察し、ここで造語したランドスクレイプがいかなる造景を生むものなのかを見ていきたい。あるインディアンの予言者は大地を刻むことについて強い禁忌を述べている。「母なる大地を畑仕事によって、傷つけ、切り、引き裂き、ひっかく、といったことは罪なのだ。……あなたは私に大地を耕してくれというのか? いったいこの私が小刀をとって、母の胸を傷つけるというのか? そんなことをすれば、私が死んだとき、母はその胸に私を抱いて、憩わせてはくれないだろう? あなたは私に石を掘りだせというのか? どうして私が骨に達するまで、母の皮膚の下を掘れようか? そうしたら、私が死んでから、母の体内に入って再び生まれかわることができないではないか?」。エリアーデも指摘するように、これは感動的なまでに大地の原形象が母であることを教えてくれるものだ★二。西欧でもそうした母なる大地に畏怖を覚え、中世までは鉱山の掘り始めには宗教的な儀式が開かれたらしい。だが、やがて鉱山業は自然の人工化を最も推進する役割を果たすことになる。またアースワークの作家たちは、しばしば母なる大地への回帰を唱えるが、その行為は彼らの意に反して乱暴なものと見えなくもない。そこではじめに、削られる対象となる大地の概念について一瞥をあたえよう。
古来、大地は母なる存在として語られてきた[図5・6]。それは大地が人間を含むほとんどの生命体を養い育ててきたからにほかならない。しかし、古代の地母神的な信仰はキリスト教の時代になって、かなり抑圧されるようになった★三。『創世記』によれば、三日目に神の一声で大地が出来てしまうのだから、キリスト教に地母神的な存在が似合わないのもうなずけよう。それゆえ最近の地母神に対する見直しは一部のフェミニストを喜ばせているようだが、さしあたってはジェンダー的な役割が大地に刻印されていることに留意しておこう。例えば、ヘシオドスの語るギリシア神話によれば、初めにカオスがあって、次に大地の母である胸幅の広いガイアが誕生し、彼女は独力で大きな山々や荒涼とした海のポントス、また自らと等しい大きさの天空である男性神ウラノスを生む(ちなみに日本の『古事記』では、伊邪那美命が次々と国土を生み落とす)★四。そしてガイアとウラノスは最初の聖婚を行ない、諸々の神々を生みだした。ギリシア人は世界の中心を示す卵型の石をデルフォイに置いているが、彼らはこれを世界のへそと考え、大地の女神ガイアの身体と結びつけていたのである。おそらく大地母神を重視する起源神話は、農耕にたずさわる地域を中心として世界中にあまねく流布している。
幾つかの伝承や物語を挙げてみよう★五。インドの『リグ・ヴェーダ』によれば、天空が父であるのに対し、大地は広いものを意味するプリティヴィー(女性)と呼ばれる。マオリ人やナヴァホ人も天空の男神と大地の女神を信仰している[図7]。ナイジェリアのイボ人は、母なる大地を大きなナイフを持った姿で描く。豊饒な生命力と死の両方を象徴するからだ。またカナダのトンプソン人は大地の女性が変容し、彼女の髪が木と草に、肉が大地に、骨が岩に、血は水になって世界が出来たと説明している。バビロニアの叙事詩では、混沌の象徴である女神ティアマトは殺害後に二つに割かれ、上半身がアーチ状に曲げられて空の屋根に、下半身が大地に変化した(北欧神話では、反対に男性の巨人神を殺して大地や海・空を創る)。古代人が天─地の垂直軸を重視したことをY・F・トゥアンは指摘しているが、これは大航海時代以降に水平方向の運動が重視されるようになって弱まったという。また人間が大地の子孫であるという考えも世界各地でみられる。例えば、紀元前一七世紀頃のメソポタミアにおいて、粘土版に刻まれた『アトラハーシスの物語』には「(女神マミは)呪文を終えると、(粘土を)一四片ちぎり取り、七片を右に七片を左に、真ん中には泥レンガを一個(置いた)。……呼び出された賢明で博識な子宮の女神たちは、七柱と七柱。七柱は男を創造し、七柱は女を創造した」とある。つまりメソポタミアでは、最初の人間は大地の泥や粘土でつくられていて、泥レンガの家や建築と同じ材料から生まれたことが連想されるだろう。が、やはり建築は自然と異質のものであると認識されることの方が多い。例えば、チベットでも女の地神を信仰するが、そこに違うシステムを持つ建物を建てる(挿入する?)ためには、風水思想にしたがって、可能なかぎり自然に祝福を受けながら同化を目指すのである★六。さて、ここまでの議論から次のようなことが言えるかもしれない。すなわちスカイスクレーパーが父なる天空を殺すものならば、(人工的な)ランドスクレイプは母なる大地を犯すものである、と。

thump! thump!
アリスは暗くて深いトンネルの墜落を終えました。
でも、小さな通路の先には見たことのない泉の園が続いています。

1──R・マグリット《風景の魅惑》(1928) 「風景」が額縁を呼びこむのではない。額縁が「風景」を 生成するという逆説のあらわれ?

1──R・マグリット《風景の魅惑》(1928)
「風景」が額縁を呼びこむのではない。額縁が「風景」を
生成するという逆説のあらわれ?

2──フォンタナ《空間概念》(1961)

2──フォンタナ《空間概念》(1961)

3──M・ハイザー《孤立したマス/曲折》(1968)

3──M・ハイザー《孤立したマス/曲折》(1968)

4──サウス・ウォストンのミステリー・サークル(1987) 真偽はともかくとして、宇宙からのランドスクレイプ?

4──サウス・ウォストンのミステリー・サークル(1987)
真偽はともかくとして、宇宙からのランドスクレイプ?

5──奥山民枝《山胎》(1983)

5──奥山民枝《山胎》(1983)

6──J・ピアス《大地の女》(1976-77) 夏至の方角を向き、その日は臀部の割れ目より太陽が昇る

6──J・ピアス《大地の女》(1976-77)
夏至の方角を向き、その日は臀部の割れ目より太陽が昇る

7──ナヴァホ人の砂絵。母なる大地と父なる天空

7──ナヴァホ人の砂絵。母なる大地と父なる天空

洞窟の思想─反構築

かの有名なラスコーの洞窟は、一九四◯年九月一二日に一万七千年もの眠りから覚めて、世に知られることになった[図8]。狩りに出かけた少年が兎を追って穴に入り発見したというのは少し尾ひれがついた話らしいが、彼らが倒された一本の木の跡の割れ目を探検したのがきっかけになったのは事実のようだ。こうして後に、大地の粘膜に描かれた夥しい絵をめぐって様々な解釈のゲームが繰り広げられることになろう。ともあれ、おそらく洞窟は人類にとって最初の住まいのひとつだった。それゆえに洞窟は形態のアナロジーも手伝って、懐かしさと恐ろしさをかねそなえた子宮を連想させるのかもしれない。数々の神話がそれを例証する。ホピ人によれば、母なる大地の穴シパプを通って人間は生まれた。またヒンドゥー教のカクマヤ・デヴィ寺院にある岩の裂け目は女神の腟と信じられている。アフリカのアニャンジャ人はすべての人間と動物がニアサ湖東の地面の穴から出てきたという。ナワ人は七つの洞窟を、インカ人は三つの洞窟を人類発祥の地と考えている。アステカ人の伝説では、最初に洞窟で生まれた人間は大地の精の乳を飲んで育ったという。しばしば、洞窟が胎内回帰の願望を表わすものとして語られるのも故なきことではない。それはルネサンス以降の庭園で流行した人工洞窟のグロッタにも引き継がれていよう。ちなみに洋の東西を問わず、洞窟が神々の住まいとして考えられることも少なくない。
自然の洞窟は人の造りしものではないとはいえ、シェルターとしては機能しており、建築の役割を果たしているのだが、必ずしもすべての建築史の教科書がとりあげているわけではない(西洋の構築中心主義という偏向をかなり減らしたS・コストフの『建築全史』は、「洞窟と蒼穹」の章で記述しているが)。なぜか。『驚異の工匠たち』においてB・ルドフスキーが言うように、洞窟は野蛮人のものだとする強い偏見もあろう。そして重要なのは、大地の裂け目から奥深く展開する自然の建築が、古代のモニュメンタルな建築やギリシア以降の古典主義が誇る人為的な構築性とは、およそかけ離れた存在であるということだ。「私たちが今後話題とすべきなのは、ギリシアの奇蹟というよりも、まさにラスコーの奇蹟なのである」と、バタイユは言う★七。なるほど、ここでバタイユは原始絵画のことを語っているわけだが、空間についても、この比較は正鵠を得ているといえよう。ギリシアが構築の神殿であるならば、ラスコーは反構築の神殿なのだから。またバタイユは「私たちがどれほど困惑しようとも、ラスコー洞窟が引き起す強烈な感情は、この判断停止という特性につながっている」と、その説明の困難さを述べている。たぶん彼の驚きは反構築のなかの豊饒さが引き起こしたものなのだ。隈研吾は「建築」から排除され続けてきた洞窟の特質として次の三点を挙げている★八。内部空間のみで構成されているために、構築された「形態」を持たないこと。分節や秩序を拒否しており、迷路性を持つこと。そして特定の時間を表象するモニュメントではないがゆえの、時間の非分節である。また彼は垂直という概念の登場をもって、モノリス的な巨石のメンヒルを洞窟と対比しつつ最初の構築物と位置づける。これをキューブリックの『2001年宇宙の旅』風に展開させれば、メンヒルは大空を背景に変容し、次の瞬間には二◯世紀のスカイスクレーパーとなろう。逆に言えば、ランドスクレイプの一様態である洞窟とは、きわめて反構築的なものなのだ。
バタイユは「ギリシアもまた、たしかに私たちに奇蹟という実感を恵んではくれる。しかし、ギリシアから発する光は真昼の光である。真昼の光はむしろ捉えにくいものなのだ。ただしそれは、一瞬の閃光のうちに、より強く私たちの目をくらませもするのである」とも述べている。反対に洞窟とは光の届かない闇の世界にほかならない。もはや電気以降の時代を生きるわれわれには想像しにくいが、先史時代の人々はここで光源があったとしても、わずかな光量で暮らしていたのである。よく知られたプラトンの『国家』における洞窟の比喩は、奥の壁に映された影絵だけを世界と思い込む囚われの人間を批判し、太陽(=真理)の光のもとに抜け出てくることを説いたものだった[図9]。つまり、闇のなかで形態を溶かしてしまう不定形な洞窟は、イデアからはほど遠い悪しき対象である。「でも……」と、ここでドゥルーズ/蓮實重彦にならってつぶやいてみよう★九。彼らの言説をアクロバティックに接続しつつ異議を唱えるのだ。そこで明るい戸外の思考に郷愁を覚えるのではなく、洞窟のなかで輪郭の失われた怪物がじっとこちらを見つめている気配を感じること。一切の光を失い、暗闇で不意に立ちすくみ、言葉を失うこと。その怪物を奇形と断じて抑圧するのではなく。これを引き受けたとき、表象される風景なるものは溶解し、遠近法的な知覚のフレームも崩れるだろう。かくして風景は微小に振動する抽象的な線や点に解体し(例えば、『バーチャル・ウォーズ』のワン・シーンのように)、「風景の力と呼ぶべきものが変容しつくしたのである」。思えば、「建築」の歴史とは冒険者を気取って、同一の単位を反復させながら、晴れた戸外に陰影のはっきりとした構築物を建てることではなかったか。だから、反構築としての洞窟は、ゆっくりと建築の位相をずらしていく。しかし、洞窟の内部を説明する際にわれわれは「階段」、「広間」、「回廊」、「身廊」、「後陣」、「部屋」などの、建築と同じ語彙を用いている。それは明るい構築の思考が懐かしいからなのだ。自然の洞窟は「直角の詩」によって秩序づけられた空間ではないというのに(願わくば、その命名を変えるべきだろう)。
人為的な洞窟は建築のネガ的な存在である。例えば、カッパドキアにて、度重なる侵入者やイスラム教徒に迫害されたキリスト教徒が逃れた隠れ家[図10・11]。それは地表にはほとんど痕跡を見せることがない。ただの穴。だが、大地を穿ち、その下部に空間をつくる。凝灰岩を削った地下の迷宮では、礼拝堂や洗礼場、居室や倉庫などの諸施設が蟻の巣状に広がっている。まさに地上の世界を反転した地下都市。そして机や椅子、棚にあたる住まいの諸設備は大地の延長としてつくられている。したがって、すべてはほとんど境目のない連続体なのだ。地下都市のトンネルは、根茎(リゾーム?)のような分岐と接合を繰り返し、複雑に展開する。もはや通常の平面図や断面図では地下都市を移動できない。かえって混乱を招くだけである。古典的な地図は捨てること。そして空間の認識を体験のモードに切り換えること。ただし、経路性を重視したカルトグラフィならば、幾許かは役に立つだろう[図12]。大地の胎内では、すぐに方角もわからなくなる。明るい戸外ならば、地図や磁石がなくとも、自らの影を見れば方角はわかるだろう。でも、複雑に入り乱れたチューブの奥に、太陽は届かない。もしも何かのアクシデントで手元の明かりが消えてしまったら(実際、観光用の電灯は時々、その調子を悪くするのだが)、二度と地上には戻れないのではないかという不安を押さえながら、ひたすら自らの歩いた経路と運動を記憶し、感じることに全神経を集中するのだ。上に行ったり下に行ったり、すれ違うのも大変な狭い道で。そして息がつまりそうな閉塞した黒い地下都市のなかで[図13]。

あの小山を谷と呼ぶ女王と、反対方向に歩くと会えるなんて。

アリスはふと鏡の向こうの国のことを思いだします。

8──ラスコーの壁画。ロトンダ北壁の動物

8──ラスコーの壁画。ロトンダ北壁の動物

9──洞窟の比喩

9──洞窟の比喩

10──自然の浸蝕が生む、カッパドキアの造形。まるで駱駝のよう

10──自然の浸蝕が生む、カッパドキアの造形。まるで駱駝のよう

11──高橋睦治《ピナクルズ・プロジェクト》(1995)砂漠に立つ岩のまわりに砂紋を引く

11──高橋睦治《ピナクルズ・プロジェクト》(1995)砂漠に立つ岩のまわりに砂紋を引く

12──地下都市デリンクユの地図(書き込みは筆者によるもの)

12──地下都市デリンクユの地図(書き込みは筆者によるもの)

13──緊急時の防御に備えた回転式の石のドア。スロープの途中にある

13──緊急時の防御に備えた回転式の石のドア。スロープの途中にある

石窟の寺院─否定的構築

一千年以上もの間、密林に埋もれていたアジャンターの石窟寺院は、一八一九年、虎狩りに出かけていたイギリスの士官によって発見され、世界にその名を知られることになった。中断はあったものの、紀元前二世紀から七世紀まで開窟の続いた仏教施設である。よみがえった大地の造形はこうだ。U字形に湾曲したワーゴラー川が谷の部分であり、これを迫り出した丘と馬蹄形に囲む岩山が両側から挟む。そして後者の山肌に玄武岩より切り出された、大小さまざまの約三◯の石窟が並ぶ。ゆるやかにカーヴする山の中腹にそって、連続して穿たれた石窟群を端から一望にする光景は壮観なものだ[図14]。おそらく狩りの最中に、何気ないと思われたランドスケープがランドスクレイプであることを不意に気が付いたそのイギリス人は驚いたに違いない。しかし、このランドスクレイプは倒錯している。大地を彫刻することによって、あたかも最初から石が積まれたかのような形態を現出するからだ。反構築による構築。そして、あべこべの作法。石窟を掘るときには、先に天井部分を彫り、岩石を搬出しながら、柱や壁を上から下の順番で仕上げ、最後に床面へ到達する。大地の上に構築するのとは、まったく反対の手続きだ。繰り返すが、これはただの洞窟とは違う。反構築的な洞窟が、石造風の、あるいは木造風の構築を偽装している。大地の裸形から岩石を除去するという意味においてネガティヴな創作行為。が、その結果、ポジティヴな構築物が立ち現われる。それゆえ、これを否定的な構築とでも呼べるだろう。もっと近付いて見るといい[図15]。模倣された石造や木造の架構のディテールを。そして石窟の入口や内部に林立する列柱を。これらは構造的な意味を持たない。実際、中途で放置された柱があっても、空間は岩盤だけで自律している。すなわち近代建築のモラルに抗して、形態は材料に従わない。えてして新しい技術や材料の導入によって空間の可能性が開かれるときでも、過去の模範が使われることは多い(人間の想像力とはそんなものである)。もちろん平面形については宗教儀式を伴うものだから、既存の施設を模倣したとしても不思議ではない★一◯。
デカン高原を鉄道で移動すると、車窓の外では荒涼とした風景が延々と続くけれども、ここは幾つもの石窟寺院群を生みだした大地でもあった。またグジャラート州には、階段井戸のビルディング・タイプというすぐれた地下の造形も存在している(母なる大地に湧く水への装置だ)[図16]。いかにして西洋人はこうした大地の造形を知ったのだろうか。確かに一八世紀は崇高なものとして自然の驚異にまなざしを向けた時代だったから、すでに洞窟や鍾乳洞は観光の対象になっていた。それほど大規模なものではないが、エレファンタ島の石窟シヴァ寺院は一六世紀に上陸したポルトガル人が発見している[図17・18]。だが、一九世紀に様式建築が百花繚乱したイギリスでさえも、こうした人為的な石窟にはまだなじみが薄かったはずだ。そのイギリスに石窟寺院を含むインドの風景を伝えるのに活躍したのが、画家のトマス・ダニエルとその甥のウィリアム・ダニエルである★一一。一八世紀末のイギリスではR・P・ナイトやU・プライスらによる新しい美学が登場していたが、風景画は外国から購入し、自国の芸術家はむしろ肖像画を描くことが望まれていた。そうした状況においてトマスは画風も定まっておらず、画家として生計を立てるのも困難であったが、新しい絵画の可能性を察してインド旅行を思い立つ。そして一七八六年から一七九四年にかけて彼らはインドに滞在し、一七九三年には画家のJ・ウェルズと知り合い、一緒にボンベイを中心にエレファンタ島や近郊の石窟を回っている。帰国後、二人のダニエルは幾つもの図集を制作したが、なかでも『インドの古代遺物』(一七九九─一八◯◯)はエレファンタ島やカンヘーリーの石窟を収録していた[図19]。さらにインドで病死したJ・ウェルズが一七九五年にエローラで描いていた平面図やドローイングを引き継ぐことになり、それらをトマスの監修によって一八◯三年に出版する[図20]。かくして建築やデザインが十分に参照しうる視覚的な情報としてインドの石窟寺院はイギリスに紹介され、実際に影響をあたえることになった。例えば、絵画では崇高な風景を描く画家としても名高いJ・マーティンの代表作《ベルシャザルの饗宴》(一八二◯)の背景における重厚な柱列群や、建築ではA・H・ワイルズによるクリフトン・バース(一八三◯)の太い柱のデザインにその影響が指摘されている[図21]。
インドのランドスクレイプにおいて最も驚愕すべきもの。それはエローラの第一六窟、カイラーサ寺院にほかならない(最近、アジャンターに続いて世界遺産に指定された)[図22]。この八世紀に造営された壮麗なヒンドゥー教寺院は、アジャンターとも決定的な断絶を有している。アジャンターは否定的構築物であるとはいえ、基本的には人為的な洞窟なのだから、夏は涼しく冬は暖かい内部空間によって、気候から守るシェルターの性質を持つ★一二。だが、カイラーサ寺院はもはや洞窟ではない。丘の斜面を幅四五メートル、奥行八五メートルにわたってくりぬいて、高さ三二メートルにも及ぶ寺院の複合施設と諸々のレリーフを彫り出して、完全に独立した建造物を構築しているのだ(中国の石窟も、これほどの自律した形態を持たない)[図23]。巨大な岩石彫刻。つまりカイラーサ寺院は、すべてが岩盤より切り出された否定的構築によるモニュメントである。あべこべの世界の転倒した反構築。インドでは、これに匹敵した規模の建造物はそう存在していなかった、いや、なかったからこそ石窟を選んだと言うべきか。つまり、どこからか石材を運んで白紙の大地に新たな構築をくわだてるよりも、玄武岩の山を素材に見立て、既存の小さい石造寺院をモデルにしながら、直接に削るほうがやりやすかったのかもしれない。それゆえ、ここでも石造は模倣されている。エローラの第一六窟は、中央の頂部に向かって段状に迫りあがり、シヴァ神の永遠なる住まい、聖なるカイラーサ山を象徴したものだ。すなわち大地を聖山として建築化したのである。興味深いことに、カイラーサ寺院の山頂の直下には、洞窟イメージのガルバ・グリバ(胎堂)と呼ばれる暗くて小さい、無装飾の正方形の空間がある★一三。そして子宮の内部では、リンガ(男根像)がヨーニ(女陰像)に包まれながら屹立しているのだ。ここは、あからさまな交接を表現した、神聖なる生命の誕生の場なのだ。

とうとうアリスは地下の冒険で不思議な国を見つけました。
3人の庭師、2と5と7が忙しく働いています。でも突然、
thump! thump!

14──アジャンターの石窟寺院群

14──アジャンターの石窟寺院群

15──アジャンター石窟のひとつ

15──アジャンター石窟のひとつ

16──ダーダ・ハリールの階段井戸(1499) 整然と列柱が並ぶ

16──ダーダ・ハリールの階段井戸(1499)
整然と列柱が並ぶ

17──漫画に描かれたエレファンタ島の発見。 象の石像が島の名の由来

17──漫画に描かれたエレファンタ島の発見。
象の石像が島の名の由来

18──エレファンタ島の寺院内部。インドから始まる ヘックの世界建築図集(1851年のアメリカ版より)

18──エレファンタ島の寺院内部。インドから始まる
ヘックの世界建築図集(1851年のアメリカ版より)

19──ダニエルらによるエレファンタ島の石窟入口

19──ダニエルらによるエレファンタ島の石窟入口

20──J・ウェルズによるエロ−ラ平面図

20──J・ウェルズによるエロ−ラ平面図

21──J・マ−ティン《ベルシャザルの饗宴》(1820)

21──J・マ−ティン《ベルシャザルの饗宴》(1820)

22──エローラの石窟寺院。山より削りとられた独立構築物

22──エローラの石窟寺院。山より削りとられた独立構築物

23──龍門石窟。6世紀以後

23──龍門石窟。6世紀以後

地下の世界

一九世紀に千年以上前のアジャンターが「発見」され、二◯世紀に一万年以上前のラスコーが「発見」されたというのに、いまだ見つからないのが地下の世界である。はたして二一世紀に太古の地下世界が発見されるのか。これが実現すれば、間違いなく、コロンブスに匹敵する偉業となろう。そして究極の地球内部のランドスクレイプがあらわれる。大地の奥にひそむ空洞の世界については、世界中で多くの物語が語られてきた。例えば、古来、中国では名山の奥に永生者たちが住むユートピア、洞天福地が幾つもあって(その数は十大洞天・三十六小洞天・七十二福地のヒエラルキーをなす)、相互に地底の道によってネットワークを形成していると信じられていた。ある資料によれば、そこは周囲が約七◯キロメートルの巨大な方形の石室の空間になっており、空洞を照らす丸い光体が浮かぶと記述されている★一四。つまり外部世界を空間的に反転した洞窟の内部はユートピアというわけだ。一方、西洋においても、特にフィクションの世界では無数の地下世界が描かれている。それは長い間、まことしやかに伝えられていた地球空洞説が、作家の想像力を刺激してやまなかったことにも一因がある[図24]。それは今世紀に入っても、地下試掘機が暴走して、太陽が存在する地球内部の熱帯に到着したSF小説、E・R・バロウズの『地球の核にて(邦題:地底の世界ペルシダー)』(一九一四)以降の連作などにも継承されている。ともあれ、地下にこそ現実世界の失われたかけらというべきものが隠されているのだ。
ところで近代において、地下のメタファーが変容していたことも注意しておくべきだ。そこで地下をめぐるR・ウィリアムズの研究を参照したい★一五。彼女によれば、フランシス・ベーコンが「自然の子宮の中には、現在知られているどんなものにも似ていない、あるいは縁のない、すばらしく役に立つ秘密が今なお数多くたくわえられている」から、「真理は自然の最も深い鉱坑の中に探すべきだ」と語ったときに、地下へのまなざしは変化したのである。つまり洞窟の闇に対する戸外の光の優位というプラトン的な構図が、ここで逆転されたのだ。むしろ地下に真理は隠されているのだ、と。そして一九世紀には考古学研究や洞窟の調査が盛んになり、実際に学者たちは真理を求めて地下に向かう。さらに、これはウィリアムズが指摘するように、近代以降の知のメタファーとしても十分に考えうるものだ。例えば、マルクスの下部構造、フロイトの無意識(M・エンデの小説『はてしない物語』において、主人公の少年が失われた自己の記憶を地層から発掘しようと試みた場面を思い出さないか)。バシュラールの場合は、住宅の地下室に無意識を重ね合わせて、それを夢みることで深部の非合理性に接触するという旨のことを書いている★一六(すぐにフロイトの「不気味なもの」が想起される)。また構造主義以降の思想にも、そうした事例を指摘できるだろう(文化の深層的な「構造」、「リゾーム」……)。加えて言えば、一九世紀に生成した近代都市の無意識にも、空からの視線に対するもうひとつの極として、下水道や鉄道のトンネル、遅れて「鉄の迷路」の地下鉄などの掘削工事という地下世界が刷り込まれている★一七。とすれば、都市を支える組織をインフラストラクチャー、すなわち「下部構造」と呼ぶのはきわめて示唆的である。
ジオ・フロントへ。想像の地下世界は多くの小説に登場してきた。地底への落下で終わる、ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの手記』(一八三八)や、地底への落下に始まり、不条理な意味の世界に迷い込む『不思議の国のアリス』(一八六五)★一八。ちなみにアリスの物語は当初、『アリスの地下の冒険』という題名だった。地下小説のなかでも最も著名なJ・ヴェルヌの『地底旅行』(一八六四)は、主人公の教授たちが火山の噴火口から大地に潜入し、深くなるにつれて時間も遡行していき、やがて太古の地球の痕跡を目撃するというものだ。途中、探検者は崇高なピクチャレスクの風景に幾度も遭遇する。ランプの光に輝く水晶の宮殿のごとき空間[図25]、ゴシック風のアーチが連なる通路、そして縦穴の螺旋階段(それはあたかもピラネージの密閉された牢獄の世界のようだ)。いずれも人為を介しないで、自然の力が生みだした驚異的な風景である。ちなみに『ニールス・クリムの地下世界旅行』(一七四一)では、知性を持つ樹木が動いているという。が、地下世界の特徴は自然だけではない。ウィリアムズが地下世界の大きな特徴を人工環境の極北と強調しているように。そこは地上世界を反転した人工的なユートピアにふさわしい舞台なのだ。例えば、有力な地球空洞説の提唱者、シムズの『シムゾニア』(一八二◯)における白人ユートピアや、ヴェルヌの『黒いインド諸国』(一八七七)における鉱夫のユートピア、コール・タウン(逆に『メトロポリス』の地下工場はディストピアである)。また建築家からは、大地を抉り膨脹する人工都市、パオロ・ソレリのプロジェクト《インフラ・バベル》などが挙げられよう[図26]。そして特筆すべきは、頻出するポスト・カタストロフ的な地下世界である。W・D・ヘイの『三百年後』(一八八一)では、「最後の戦争の時代」を経て、世界各地の建築様式が壮観に並ぶ地下国家に二一◯億人が住む。こうしたランドスクレイプは、今世紀における核シェルターの登場を予見したものなのだろうか。最近では、ウイルスによって五◯億人が死滅し、残った人類が地下に逃げ込んだ世界とそれ以前の世界が交錯する、T・ギリアム監督の『12モンキーズ』が印象的だった。これはタイム・マシンを利用することで、地下/地上─未来/現在という時間と空間の構造をつくり、さらに狂気/理性の精神分析的なフォーマットをこれに対応させるものである。そして戦時中(戦争後も)、地下に避難した民を描く『アンダーグラウンド』(ラストシーンでは、まさに大地が裂けていなかったか?)。SFアニメでも、『宇宙戦艦ヤマト』のガミラス星から『新世紀エヴァンゲリオン』(一九九五─六)のネルフ本部(箱根の地下のそれは本来、巨大な球状らしいが、八一パーセントが埋没しているという)まで、地下都市の系譜は続く。大地という母胎より出ずる人類は、死への欲動の果てに、地中に回帰するのだろうか。ポスト・カタストロフの世界におけるランドスクレイプは、種の存続をかけて地下を改造し、第二の自然としての人工子宮を構築している。こうした地下は遠い未来に向けての再生の場なのだ。それゆえ、始まりであり、終わりでもある彼岸の風景。
ところで、やはり大きな戦争の後、太陽が冷えた世界を描く、G・タルドの『地下の人』(一八八四)には、興味深い記述がある。地下のパラダイスでは、新穴居人が自由に穴を掘って住まいをつくり、「建築家」はついに「掘削家」と呼ばれているのだ。そして彼らは思いのままに岩石を削って「人工の真に芸術的な風景」を創作する。これは来るべき未来への予言として読むべきなのだろうか?

またもや足場が崩れて、アリスは果てしない落下に身を委ねました。
「このままいくと地球をつき抜けてしまうのかしら!」
down, down, down...

24──地球空洞理論の模式図(シムズの『シムゾニア』より)

24──地球空洞理論の模式図(シムズの『シムゾニア』より)

25──J・ヴェルヌ『地底旅行』の一場面 (リウーによる挿絵) ダイヤモンドのようにきらめく地球の胎内

25──J・ヴェルヌ『地底旅行』の一場面
(リウーによる挿絵)
ダイヤモンドのようにきらめく地球の胎内

26──P・ソレリ《インフラ・バベル》(1969) 石切場に建てられる10万人の人工都市

26──P・ソレリ《インフラ・バベル》(1969)
石切場に建てられる10万人の人工都市


★一──J. Beardsley, Earthworks and Beyond, Abbeville Press, 1989.
★二──M・エリアーデ『聖と俗』(風間敏夫訳、法政大学出版局、一九七八年)。
★三──安田喜憲『大地母神の時代』(角川書店、一九九一年)。本来、地母神的なものだったメドゥーサ神やアルテミス神が、後の時代のイデオロギーによってその性格を変えられたという指摘が興味深い。
★四──K・ケレーニイ『ギリシアの神話──神々の時代』(植田兼義訳、中央公論社、一九八五年)。
★五──B・L・モリノー『聖なる大地』(月村澄枝訳、創元社、一九九六年)やM・エリアーデ『豊饒と再生』(久米博訳、せりか書房、一九七八年)、C・ブラッカー他編『古代の宇宙論』(矢島祐利他訳、海鳴社、一九八九年)などを参照。ただし、エジプト神話では文法上「天」が女性形であるために、天は女神ヌト、地は男神ゲブになっている。
★六──中沢新一「建築のエチカ」(『雪片曲線論』中公文庫、一九八八年)。
★七──G・バタイユ『ラスコーの壁画』(出口裕弘訳、二見書房、一九七八年)。
★八──隈研吾『新・建築入門』(筑摩書房、一九九四年)。
★九──蓮實重彦「『怪物』の主題による変奏」(『エピステーメー』一九七八年一月号)ここで論じられているG・ドゥルーズのテクストに則して言えば、怪物とは「差異」のことである(例えば、『差異と反復』邦訳の五八頁を見よ)。
★一◯──B. Rowland, The Art and Architecture of India, Penguin Books, 1953.
★一一──J. C. Harle,The Art and Architecture of the Indian Subcontinent, Yale University Press, 1986.
★一二──M. Archer, Early Views of India: The Picturesque Journeys of Thomas and William Daniell 1786-1794,Thames and  Hudson, 1980.
★一三──武澤秀一『空間の生と死』(丸善、一九九四年)。
★一四──三浦國雄『中国人のトポス』(平凡社、一九八八年)。
★一五──R・ウィリアムズ『地下世界──イメージの変容・表象・寓意』(市場泰男訳、平凡社、一九九二年)。
★一六──G・バシュラール『空間の詩学』(岩村行雄訳、思潮社、一九八六年)。
★一七──拙稿「視覚的無視意識としての近代都市」(『10+1』No.7、一九九六年)。
★一八──巽孝之「ピムとアリスとスチームパンク」(『メタフィクションの謀略』筑摩書房、一九九三年)。

図版出典一覧
図1──『ルネ・マグリット展』(朝日新聞社、一九九四年)
図2──『朝日百科:世界の美術』七六号
図3・6──J. Beardsley, Earthworks and Beyond, Abbeville Press, 1989.
図4──P・デルガード他『ミステリー・サークルの謎』(二見書房、一九九◯年)
図5──『IS』六八号[人体地図](一九九五年)
図7・8──B・L・モリノー『聖なる大地』(創元社、一九九六年)
図9──『ちくま』一九九七年二月号
図10・13・14・15・16・22・23──筆者撮影
図11──『美術手帖』一九九五年一一月号(美術出版社)
図12──Map of Cappadocia, Demir Color.
図17──C. M. Vitankar, Elephanta, India Book House Pvt, 1992.
図18──J. G. Heck, Heck's Pictorial Archive of Art and Architecture, Dover, 1994.
図19・20──M. Archer, Early Views of India, Thames and Hudson, 1980.
図21──Belshazzar's Feast 1820, The Tate Gallery, 1989.
図24──巽孝之『メタフィクションの謀略』(筑摩書房、一九九三年)
図25──J・ヴェルヌ『地底旅行』(岩波書店、一九九七年)
図26──R・ウィリアムズ『地下世界』(平凡社、一九九二年)

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.09

特集=風景/ランドスケープ

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>隈研吾(クマ・ケンゴ)

1954年 -
建築家。東京大学教授。

>2001年宇宙の旅

1977年5月1日