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住宅の廃墟に──建築家と住居をめぐる七つの物語 | 五十嵐太郎
On the Domicile's Ruins: Seven Tales of Architects and Domestic Spaces | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.05 (住居の現在形) pp.130-145

序─低い声

四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が誕生したという、『二〇〇一年宇宙の旅』のモノリスを想起させる魅力的な思考。[いたるところで〈それ〉は作動している]これらはロージエの起源論、さらにはサマーソンによるアエデキュラなる家型が時代を超えて建築の原型になるという指摘にも通底する。[〈それ〉は呼吸し]だが、構築だけで建築のすべてを語れるのだろうか? そしてロゴス=構築の美しき一 致から作られる建築論は、物語るべき多くのことを切り捨ててしまったのではないか?[〈それ〉は熱を出し]少なくともゼンパーのように、むしろ織物的なものを起源として措定するのであれば、住宅を被膜として思考する方法が開かれていくはずである。確かに「スーツ・ホーム」だとか、「住宅は衣服のようなものである」と言われている★一。[〈それ〉は食べる]象徴的な屋根を引きはがし、まわりを囲む壁を取り外したとき、そこではどろどろとしたものがうごめいている。それとも、住宅の内と外をきれいに裏返してみるのがいいかもしれない[図1]。

1───立石紘一《裏がえしの家》1978

1───立石紘一《裏がえしの家》1978

[〈それ〉は大便をし]剥きだしになった空間では、住宅の器官があらわになり、無防備の「家族」が身を縮こまらせて震えているだろう。パパはどこ? ママはどこ? [〈それ〉は肉体関係を結ぶ]住宅は身体感覚の延長線上にある[図2]。

2───ウシダ・フィンドレイ・パ−トナ−シップ《トラス・ウォ−ル・ハウス》1993 内部と外部が連続したかのような、身体感覚にあふれる住宅。 実は新しいテクノロジ−の賜物である

2───ウシダ・フィンドレイ・パ−トナ−シップ《トラス・ウォ−ル・ハウス》1993
内部と外部が連続したかのような、身体感覚にあふれる住宅。
実は新しいテクノロジ−の賜物である

例えば、小さな家には古い暖炉とブルーの絨毯と子犬と〈あなた〉が存在せねばならないと弾き語る小坂明子のように。そして不在である「あなた」のために、〈部屋とYシャツと私〉を毎日磨いていたいと歌う平松愛理のように。[〈それ〉は作動している]ときには結婚式の定番ソングになってしまうくらいの凡庸さも必要だ。しかし、これでは完全に脱オイディプイス化されているとは言えない。低い声が聞こえてはこないだろうか。[いたるところで〈それ〉は作動している]ドゥルーズ/ガタリの声が。それならば、彼らの書物と交感しつつ、その企てを住宅論に連結できないだろうか。『アンチ・オイディプス』をパラフレーズしながら、住宅を読むこと。そして次の声にしたがって、住宅を思考すること。[いたるところで〈それ〉は作動している]という低い声を。それは大地を揺るがして、地中のはるか奥底から響いてくる。

仮定─住宅は住むための諸機械である

ドゥルーズ/ガタリはこう言う。にもかかわらず、これらをひとまとめに総称して〈それ(le ca)〉と呼んだのは誤りである。これらは種々の諸機械(des machines)なのだから、と。つまり互いに接続する、機械の機械。乳房は母乳を生産する機械であり、そこに連結する機械=口は、食べる機械、話す機械、呼吸する機械などである。彼らの主張の中核となるオイディプス批判は後で問題にするとして、とりあえずは、この種々の機械を住宅のモデルにできないだろうか。〈それ〉とはおおむねエスを意味するのだが、このモデルは住宅の深層をえぐりだすために用いられる。その手がかりとしては、ル・コルビュジエの有名な定義、「住宅は住むための機械(une machine)である」を言い換えるのが有効だ。すなわち、「住宅は住むための諸機械(des machines)である」、と。これは不変の構造をもつ大きな機械ではなく、流動する小さな機械の様々なアレンジメントだ。が、このことは実はコルビュジエもわかっていたのである。「肘掛け椅子は座るための機械である。(…中略…)水差しはからだを洗うための機械である」と、彼は同時に語っていたのだから★二。ただ、最終的に、彼は諸々の機械の集合体をひとつの機械に還元してしまったのだ。しかし、食べる、寝る、洗う、排泄する……、住宅とは、人間の欲望が生産され、それに対応する装置=機械が偶発的にぶつかりあったものなのだ。トイレは排泄機械などであり、キッチンは食事/団欒機械などであり、寝室は睡眠/快楽/生殖機械などである。八束はじめの巧みな比喩、「レギュレーター(整流器)としての建築」は、さまざまな流れの中のノードを意味するものだが、その認識は住宅のレヴェルでも当てはまるだろう★三。これから少しばかり、戦後日本の建築家による幾つか住宅の動向を概観するけれども、住宅=諸機械を隠喩としてではなく語るとすれば、結局、それはプログラムの問題に直結するのではないだろうか。住宅を社会に解き放ち、開いていくための。
多木浩二との対談に触発され、ドゥルーズの『プルーストとシーニュ』における文学機械の概念をもとに、篠原一男が住宅の空間機械について考察したのは一九七五年のことである★四。おそらく、ドゥルーズを建築的に読みかえようとした、最も早い例のひとつだと思われるが、このとき彼は意味の生産と空間の関係に向かっていた。そして空間機械に置換しうるのは、当時においては都市でしかないとも。もとのプルースト論がそうなのだからであるが、篠原は住宅を裁断する欲望のプログラムとしては機械を構想しなかった。むしろ、五〇年代の〈池辺陽─増沢洵─広瀬健二〉らの前衛的な実験住宅派がふるわなくなり、六〇年代に都市の時代を迎えたときに、窮地に立たされた住宅設計の状況の中で、最も直接に人間そのものに関わるがゆえに、「住宅は芸術である」(一九六二)と、かつて宣言した思考の軌跡の先に空間機械はあった。フォルマリズムで言えば、アイゼンマンやヘイダックらの、ニューヨーク・ファイブの場合は、形態の断片が機械の部品であるかのような徹底した操作を行なう[図3]。

3───J.ヘイダック《ダイヤモンド・ハウス計画》1967

3───J.ヘイダック《ダイヤモンド・ハウス計画》1967

しかし、それは住宅のためにというよりも、他のビルディング・タイプにも適用可能なものであり、そして何よりも知的な芸術に還元された機械は欲望を伴わない。こうした抽象化に対して意味を復権させたのが、〈ヴェンチューリ─石井和紘─相田武文〉らの遊戯的ゲーム派[図4]と〈毛綱毅曠─渡辺豊和─高崎正治〉らのコスモロジー派である(有名なヴェンチューリの《母の家》(一九六二)も毛綱毅曠の《反住器》(一九七二)も、ママの家である)。この方法論も、住宅に限定されたものではないことは、後の彼らの公共施設を見れば明らかだろう。

4───山下和正《顔の家》1974文字通り、顔 FACEとしてのファサ−ドFACADE!強力な自己顕示欲

4───山下和正《顔の家》1974文字通り、顔 FACEとしてのファサ−ドFACADE!強力な自己顕示欲

一九六八年五月に創刊された『都市住宅』は、住宅芸術派ばかりではなく、再び、〈黒沢隆─山本理顕〉らの社会派も活性させた。そして〈剣持怜─大野勝彦〉らの工業派も同時に動いていたが、特に石山修武は『「秋葉原感覚」で住宅を考える』(一九八四)ことにより、部材の流通を問題化し、機械の部品をセルフ・ビルドで組み立てる、チューブ状の住居、「幻庵」(一九七五)を発表する。石山が批判するような、住宅の価格がもとのコストとは関係なく、むしろ商品のイメージにより設定される現状は、まさにボードリヤールが『象徴交換と死』(一九七五)で指摘する、労働や生産が終焉し、貨幣記号が浮遊する状態に対応している。またボードリヤールによれば、資本の戦略が社会に拡張した結果、住宅はもはや労働の再生産の場ではなくなり、住人そのもの、利用者の再生産の場所になっているという。この住人とはイメージの生活を営む「家族」に他ならない。おそらく、こうしたボードリヤールの認識は正しいけれども、彼のように巨大な渦に身をまかせるのではなく、何らかの抗争が必要だ。例えば、石山は『笑う住宅』(一九八六)で、メーカーが作る幻想のショートケーキ住宅を批判し、TVのCMのようなシステム・キッチンや異常に高性能化された子供部屋、そして存在理由が不明な和室を疑う。確かにシステム・キッチンや子供室は、近代生活を家族が演じるための、あまりにも高価な装置だ。上演するのではなく、創造的な実験を。ドゥルーズが表象の舞台としての劇場を批判するように、欲望を生産する工場に住宅は近づくべきなのかもしれない(山本理顕も設計工場ではなかったか)[図5]。

5───R.バンハムの論文“A HOME IS NOT A HOUSE”(1965)に寄せられた、強力膜住居の図。機械の連結から成る

5───R.バンハムの論文“A HOME IS NOT A HOUSE”(1965)に寄せられた、強力膜住居の図。機械の連結から成る

他に近年では、環境装置=被膜の機械を目指す、省エネ住宅のエコロジー派や、住宅プランづくりソフトの開発による、シミュレーション派などが興味深い★五。特に後者は、あらかじめプログラムの自由度が限定されていなければ、抑圧されない、住宅への欲望を生産するダイナミックな可能性を秘めているのだが。そして九〇年代は、社会派の牽引によりプログラム論が興隆している。そもそも、安藤忠雄の《住吉の長屋》(一九七六)に寄せられた「雨の日は傘をさしてトイレに行く」というキャッチコピーが意味していたのは、都市に対する戦略よりも、排泄機械が常識的な接続をしていないことへの素直な驚きだったはずである。

プログラム論1─器官なき住宅とは何か?

いつの頃からか、欲望する種々の器官機械が侵入し、住宅はひとつの有機体に統合されてしまった。そして近代住宅は誕生する。もはや器官なき住宅を想起するのも困難なくらい、当たり前のようにそれらは連結している。マゾヒストの家や分裂症者の家を構想すべきなのか? それとも文化人類学的なまなざしで、異民族の家を観察すべきなのか? [図6・7]

6───マトマタの洞窟住居。掘り込んだ住宅は器官の接続をあらわにする

6───マトマタの洞窟住居。掘り込んだ住宅は器官の接続をあらわにする

7───F.O.ゲ−リ−《ウィントンのゲストハウス》1987部屋の集合か、部屋の分裂か

7───F.O.ゲ−リ−《ウィントンのゲストハウス》1987部屋の集合か、部屋の分裂か

住宅史を読み返すのもひとつの方法だ。S・ギーディオンの『機械化の文化史』やA・フォーティの『欲望のオブジェ』もいい。だが、歴史学でも進行しつつある身体の文化史が大いに示唆をあたえてくれる。食事機械、睡眠機械、排泄機械、洗浄機械……、「いくたの流れは結びつけられ接続されて切断し直される」さまを、最近の研究は明らかにしている。
例えば、住宅におけるその位置の移動をたどりながら(台所のわきにあったり、排泄物を外に投げ捨てることもあった)、一八八〇年代に近代的なトイレが室内に組込まれるという、R・H・ゲランの『トイレの文化史』。一八八〇年代以降、ホテルを参照しつつ、アパルトマンにも浴室を導入したという、 J・ヴィガレロの『清潔になる〈私〉』。とすれば、各種のビルディング・タイプ史を住宅に連結させて読みかえることが可能である。すなわち、公共浴場・洗濯場の歴史ならば、それらが個室になって住宅化される前段階として読むのだ。『清潔は敬神にもっとも近し』によれば、初期の公共浴場は病院の増築であり、一九世紀のイギリスのそれは衛生教育の手段のみならず、性差と階級を表象する場であった★六。しかし、後に議会の表明においては、屋外にある共同の「洗濯場は女性を家庭から連れ去り、育児や家事を怠らせる。そして大人数で集まり、良い婦人も悪い婦人も一緒になって、少なくともうわさ話をしたりおしゃべりに勤しむのである」との見解が出され、家庭が模範とされていく。そして洗濯をする個室によって女性は隣人から隔離され、自宅にいるかのようにひとりで作業を行なう[図8]。

8───洗濯・乾燥室で働く女性、1852

8───洗濯・乾燥室で働く女性、1852

やがて「品位あるプライバシー」の美辞麗句が抑圧を開始し、洗濯場は完全に住宅化されるのだ。ちなみに、浴室やトイレのドアをきちんと閉めなければいけないというプライバシーが発生するのは一九世紀である。またM・ウィグリーは、男性の書斎が最初のプライベートな空間であると★七、P・ディビの『寝室の文化史』は何人でベッドに寝るかがプライバシーの尺度だと言っている。そして二〇世紀は、P・ジョンソンの《ガラスの家》(一九四九)、ミースの《ファンズワース邸》(一九五〇)や丹下建三の自邸(一九五三)で、浴室やトイレなどの閉鎖性が高い諸設備が、コアという名のもとに均室空間の中に固定化された(飛行機のプランと似ている)。だが、器官なき住宅とは、むしろ「家族」のことに関係していたのではなかったか。それはより強力なコアとして住宅に君臨しているはずなのだが、これはプライベートな個人空間の問題と併せて、後半で触れることにしよう。
住宅と他のビルディング・タイプの関係に戻るが、つまるところ、住宅が諸機械であるというのは、幾つかのビルディング・タイプの複合体としても考えられることではないだろうか。外部の機能を内部化するのか、内部の機能が外部に放出されたのか。いずれにしろ、花田佳明が「拡張された住宅」で、社会=非住宅+住宅という相互補完的な構図を示しながら、その境界が定かではないことを指摘していたように、まさに諸機械は非住宅と住宅のあいだで浸透しあうのだ★八。あるいは、様々なビルディング・タイプの動的なネットワークの中に、住宅は位置しているのだと言うべきなのかもしれない。すなわち、グロテスクに肥大化する諸器官。普通は外部の施設、アトリエ、スタジオ、無線室などが、住宅に接続することもある。社会のほとんどの部分はプラグ・インする可能性をもつのだから。坂茂の《家具の家》(一九九五)や《紙の家》のように、フラジャイルなものが構造化されることもある。そして二〇世紀後半には、おそらく世界中で新しい機械が住宅に侵入してきたのである。TV機械の登場だ。

ケース・スタディ1─TVの家

「わたしはTVが欲しいのよ。まわりを見て、ラルフ。電気製品が何もないじゃない。(…中略…)あなたはいいわよ、ずっと外にいるんだもの。夜だってお金使ってビリヤードやらボーリングをしてるし、(…中略…)わたしはここに残って、冷蔵庫を眺めて、ストーブ、シンク、それに四つの壁を見ているのよ」。これは一九五五年のアメリカのコメディ、『ハネームナーズ』からの一場面である。現在、こうした状況は想像しにくい程に、TVは日常的な風景=装置になってしまったが、確かにTVは住宅の空間を大きく変貌させたのである。ここで夫のラルフに愚痴をこぼしているアリスは、娯楽機械としてTVを切望し、外出することの代用を求めている。が、TVはますます外部から彼女を隔離するよう作用するのだ。このエピソードを紹介するリン・スピーゲルの『郊外住宅のお友達:戦後アメリカにおけるTVと隣人の理想』は、建築の分野で遅れている性差の問題を導入した論文集に収録されたものだが★九、他にも興味深い事例があるので、それをもとに考察を進めよう。例えば、一九四六年の『ほら、TVは世界に向かうあなたの窓なのです』という本や大衆誌では、窓のメタファーが反復されたこと。つまりTVによって家にいながら、想像の旅ができるわけだ。現在でも、このメタファーは生きており、新しい機械に継続されている。「ウィンドウズ」やインターネットの「ホームページ」という言葉がそれである。TVとは、映画、スポーツ、コンサート、家庭用カラオケなどの娯楽を住宅に組込む機械である。これは劇場のメタファーの乱用からも支持されるだろう。『正しい家事』(一九五一)では、「TVは劇場である」といい、他にも広告では「家族劇場」「ビデオ劇場」「椅子のそばの劇場」と表現されているからだが、TVが劇場になることを軽視すべきではない。『美しい家』(一九四九)では、「居間の家具を少し移動し、TVを見る人が互いに視線が交差せず同じ方向を向く」よう示唆している。そしてスピーゲルの分析にしたがえば、本当にTVを通して虚構のコミュニティが形成されており、それはモトロラTVの広告にも表象されているという[図9]。

9───モトロラ・テレビの広告、1951

9───モトロラ・テレビの広告、1951

その指摘を引用すると、「画面は第三のカップル、TVスターのジョージ・バーンとグラッチ・アレンを映している。左のカップルは画面を見つめ、あたかも彼らが名士の会話に参加しているかのように、ジョージとグラッチに向かって身振りをしている。右のカップルは夫がTVを見ている一方、彼の妻は左の男の方を見ている。手短に言えば、部屋にいるカップルたちの社会的関係は幻覚の存在に支えられているようなのだ」。つまり、TVの中の仮想のカップルと現実のカップルは相互作用し、それゆえに場が成立しているのだ。
TVという器官は、何もアメリカだけの問題ではない。ましてや一部のアーティストだけがやるべき特権的な問題でもない。にもかかわらず、これに建築家が積極的に関わった住宅はほとんどなかった。もちろん、古くは山本拙郎による《電気の家》(一九二二)から新しくは坂村健の「TRON電脳住宅」(一九九〇)まで、住宅の全体を電気装置化しようとする試みはあったが、合理化と同じ意味で追及されたに過ぎない。また隠喩としての機械から電子へのパラダイムを象徴的に示した言葉には、原広司の「住宅は住むためのエレクトロニクス装置である」(一九九〇)があった。が、人間と視線を軸に、最も意欲的にTVの問題を設定したのは、鈴木隆之の《千葉の家》(一九九三)だろう。彼は前作の《笹井邸》(一九九二)において、居間を突出させることで、そこを視線と風景が交錯する舞台としたのだが、現代の舞台はTVであるのでは? という反省を踏まえて、この両親の住宅を設計する。そしてリビング(居間)をひとつの箱に入れ、その前後に中庭と坪庭を配し、微妙なふれと色分けをもつ〈前面道路─アプローチ─玄関─ 中庭─リビング─TV─坪庭〉という多層的な構造があたえられた[図10・11]。

10───鈴木隆之《千葉の家》1993坪庭より、TV台(まだTVは置いてない)、リビング、中庭、玄関、前面道路を見る。

10───鈴木隆之《千葉の家》1993坪庭より、TV台(まだTVは置いてない)、リビング、中庭、玄関、前面道路を見る。

11───鈴木隆之《千葉の家》1階平面図

11───鈴木隆之《千葉の家》1階平面図

つまり、一般にTVが置かれるリビング自体が、大きな窓をもつTV的な箱になり、入れ子状にもなっている。またリビングは中庭に突出しているがために、対面の和室や二階の個室など、住宅内のすべての視線がこの箱をめぐって交錯する。あたかもブラウン管の映像のように、リビングの窓には重なりあう屋外の風景が見え、同時に同じ場所で本当のTVが世界を映しだす。TV機械が肥大化し、さらには建築化されたのが、《千葉の家》である。鈴木隆之によれば、TVという最も平凡な装置を、極めて平凡な日本の風景に、建築化して挿入するのが試みであり、異化された「TV」=リビングが隠れた制度を映し出すのではないかという。いささか遅過ぎた建築において、住宅TVの問題を提起したことは評価されるべきであるが、物足りなさがないでもない。小説家でもある作者にふさわしい物語的な舞台の構想ではあっても、結局、視線の問題に終始しているのだ。これは表象の劇場であり、欲望の工場ではない。TVにはもっと社会的な力学が働いていること、具体的には階級や性差の再編成に関わっているという制度の問題には、千葉のTVの家は到達していない。
再びスピーゲルの論に戻るならば、TVの役割はヴィクトリア朝の住居崇拝へのノスタルジックな回帰ではなく、新たなコミュニティへの帰属感覚もあたえる。つまり、外部と切断しつつ接続する機械としてTVは機能しているのだ。一九世紀以来、電気のテクノロジーによるユートピアは語られており、当時は衛生の観点より、安全な場所から遠くに交信できると期待され、戦後もそのテクノ・オリエンタリズム、すなわち電気的無菌空間の幻想は継続する。《美しい家》(一九五一)では、子供にTV娯楽室を与えれば、「心の平穏を見出だすだろう。というのは、子供たちは家から離れながら、それでいて家にいるからだ」という。ここで注目すべきなのは、大切な子供という思想と、望ましくないものが排除された管理の空間に子供を閉じ込めるという発想である。またTVが男女の力学関係に及ぼした影響は功罪の両方が指摘できるけれども、それが特に男性を受動的な家化した身体に変えることは興味深い。ひょっとすると、脱オイディプスはこんなところから現われるのかもしれないからだ。

プログラム論2─形態は規範に従う

佐野利器は『住宅論』(一九二五)の中でこう述べている。「自己よりも、夫婦よりも、更に重大な眞の中心をなす處、の子供というものがあることを忘れてはなるまい。(…中略…)何は兎もあれ、子供を育てるといふことは我々の生活の中心であらねばならぬということには疑を持たぬ、即私は住宅を以て子供のものであると断ずる所以である」。子供室の誕生。時は大正、「新家庭」という言葉が登場し、中廊下型の平面によって各部屋の独立性をあたえつつ家族と使用人の分離を行ない、客間から家庭の中心である居間へと住宅の重点が移行すると同時に[図12]、子供室が種々のコンペの先導や住宅改善の運動によって普及しはじめていた★一〇。

12───『今日の住宅』に掲載された機能図 1935居間を中心とした各器官

12───『今日の住宅』に掲載された機能図 1935居間を中心とした各器官

しかし、その頃にはまだ、女中室、老人室、書生室といった異質な要素も接続されていたのである。だが、彼らは〈パパ─ママ─私〉のオイディプスの三角形の外側に追い出され、食事機械と接続していた女中の存在は、今や外部のコンビニ機械がとって代わり、老人は老人ホーム(これも新たな家であるが)、書生はアパートに移動してしまった。アリエスの『子供の誕生』の指摘によれば、こうして社会から孤立した近代的家族は、その全エネルギーを子供に集中し、家族においては子供が中心となる。イギリスを例にとっても、中世にはもっと社会に連結していた住宅が、家族以外の人々も雑居する広間から各自が個室に引きこもることにより、家族の安息所に変わっていく。それでも一九世紀以前は子供は女中と同じく最上階の部屋だったが、やがて親の部屋の近くに子供用の家具を備えた部屋が現われる。危険な外部に対して「家庭は安息の場所」(ラスキン)であり、ヴィクトリア朝では壁とドアによる囲い込みが過剰になり、さらにフランスでは衛生の問題から個室の分化も促進したという。自意識の発生を空間の分節化から論じる、Y・F・トゥアンの『個人空間の誕生』は、興味深い指摘をしている。必要ではなく欲望によって家具が増殖し、住宅の内面へのまなざしが向けられたときに、精神分析家は予定されていたかのように生まれたのだ、と。家の内部と心の内部、それは単なる偶然だろうか。トゥアンによれば、フロイトの人格の概念は中産階級の家の構造を基にしている。つまり、貯蔵室は暗黒の存在基盤であるエス、居間は社会的な自我、屋根裏部屋は超自我である。ユングもまた家の垂直断面を意識の階層と見なしていた(バシュラールはその延長だが、『サイコ』の家について、分析した論文もある)。
だが、むしろドゥルーズ/ガタリのオイディプス批判にならって、住宅と家族を思考するのはどうだろうか。お膳立てはそろった。家族劇場の舞台がある。主人公は私=子供、その他の登場人物はパパとママ。これで三角形が完成する。そこで彼らの批判はこうだ。フロイトの精神分析はあらゆる解釈をオイディプス・コンプレックスに還元したのではないか。それは家庭を重視するブルジョワ社会において、一九世紀の精神医学が狂気の原因を家庭に結びつけたことを最終的に完成させたのではないか。無意識の中の欲望の諸機械を押し潰し、分裂症を排除する、オイディプス帝国主義。欲望はギリシアの古代劇場がもつ秩序に従わされ、生産は表象に従属する。近代住宅が理想としたのも、パパ、ママの寝室と子供室が形成する図形の中心に、団欒する居間を設置したものである。子供の個室は、オイディプス的な人格を形成する、インキュベーターだ。かつて磯崎新は、マイホームと核家族と資本主義が身体感覚のように提携した状況に立ち向かう建築家を語り、その時は、自らを引き裂くかもしれない根源的な部分が現われるのだと言った★一一。その最後の言葉であり、かつ文章の題名だったのが「きみの母を犯し、父を刺せ」(一九六九)だ。確かジム・モリソンも当時、同じ言葉を叫んでいたが、そうしたオイディプス的構造の彼方をドゥルーズ/ガタリは指し示している。オイディプス化されない分裂症は絶対的な極限であり、それはドライブする資本主義そのものの外なる極限である、と。だが、オイディプスの場である住宅は、愛と憎しみの舞台となり、外部の社会や政治からも家庭を隔離してしまう。精神医学者のクーパーは、家庭は社会的実在と家庭の子供の間を媒介すると言っているが、基本的には黒沢隆や山本理顕が想定する〈社会─家族─個人〉と同じ構造である。これを山本は転倒し、《岡山の住宅》(一九九二)では〈社会─家族─個人〉と置き換え(施主は精神科医である)、個人を社会に直接に開き、それを集合住宅に拡大したのが、《保田窪第一団地》(一九九一)である。ともに固定化した住宅のプログラムを解体する黒沢も山本も、ときおり自分が欠損家族に育ったことを告白するが、このことをどう解釈すればよいのだろうか? だが、過大な解釈は危険である。またもやオイディプスの罠がひそんでいる。
それに対して、菊竹清訓の自邸《スカイハウス》(一九五八)は、究極の核家族の形態を具現する。菊竹夫妻が連名した説明文によれば、外部を悪の世界と規定し、二人で内部に立てこもり、夫婦愛に至上の価値を置く住宅であり、これを長谷川堯は対幻想の空間と呼んでいた★一二。「愛が勝つ」の一室空間は、夫婦というコアを信仰し、そこに可変なキッチンやバスのムーブメント(生活装置)を接続し、後に生まれた子供の部屋を高床から吊り下げる。そして東孝光の自邸《塔の家》(一九六六)は、極小の敷地に居間、夫婦寝室、子供室を垂直に積みあげ、都市に家族の城を獲得していた[図13]。

13───東孝光《塔の家》1966自閉症的な表情を外部に見せる、家族のための5階建地下1階の砦

13───東孝光《塔の家》1966自閉症的な表情を外部に見せる、家族のための5階建地下1階の砦

菊竹の場合は、子供すらメタボリズムの対象だったから、中心とはいえないかもしれないが、多くの住宅では大事な子供室を外部から最も奥にしまい、夫婦が四本の手を家の柱として守るのである。人生ゲームの駒がそうであるように、マイカー的なマイホームは、〈パパ─ママ─私〉の家族だけの三身一体の聖域なのだ。
こうして建築家は精神分析の家庭主義とも絆を結んできた。「住居という空間装置は規範そのものである」という山本理顕風に言えば、その形態は機能にしたがっていたわけではない。建築家は家庭中心主義という強力な規範を演じる舞台を制作していたのだ。すなわち、形態は規範に従う。だから、『アンチ・オイディプス』の、無意識は両親をもたない孤児であるという声を聞いてみること。そしてブルジョワの劇場を破壊し、〈パパ─ママ─私〉の三角形を社会に開くこと。そこは戦場なのだ。「家庭は、本性的に中心が狂っており、不動の中心を与えられているのではない」、家庭には外部から思わぬ切断が到来するのだから。例えば、母と娘と男の三角関係、部下と不倫する父、風俗嬢にひかれる弟、壊れた祖母の訪問、アナキストの居候……。お昼のメロドラマは、いつもそうした物語を生産している。そして歴史的にも文化人類学的にも、家族の形態は驚くほどに多様である(時には死者すらも家族と認識されるのだから)。そもそもファミリーの語源は「血縁に関係なく一つの火を囲む最小の集団」だったのであり、何らオイディプスに拘束される必要はないのだ。おそらく、近代の男・女/子供に比べて、男/女・子供(・動物)という分節も決して少なくない。例えば、ドゴン族は子供+動物の寝所を持ち、ヌーバ族も子供+ブタ・ヤギ、そしてムースグーム族には夫人+ヤギ、夫人+ウシ、男+ウシという円形小屋がある[図14]。

14───ム−スグ−ム族の集合住居。動物と共に拡大家族を営む

14───ム−スグ−ム族の集合住居。動物と共に拡大家族を営む

もちろん、便所や風呂、台所やTVといった器官のない住宅の種類も、諸々の行為の組み合わせの数だけ存在するだろう。それは近年の家族と器官にも見ることができる。例えば、車椅子の母と息子が二人で住む、山中新太郎設計の《長靴の家》(一九九五)[図15]から、宮本佳明による家族文化アパートメント《愛田荘》(一九九四)という母の家、娘の家、居候の家が弧を描くスロープに沿って集落のように並び、加えて犬六匹が暮らす拡大家族の住宅。そして石山修武の《アライグマ・ギンとの家》(一九九五)[図16]は、住宅がアライグマの拡大された檻にもなっており、動物と男が共生する。

15───山中新太郎《長靴の家》 1995

15───山中新太郎《長靴の家》 1995

16───石山修武《アライグマ・ギンとの家》1995アライグマを見上げる男

16───石山修武《アライグマ・ギンとの家》1995アライグマを見上げる男

ケース・スタディ2─ドラキュラの家

三一歳理容師♂+二六歳芸術家♂。施主であり住人となる、男性二人のカップル。これに脱住宅としての表現をあたえたのが、石山修武だ[図17]。

17───石山修武《ドラキュラの家》1995

17───石山修武《ドラキュラの家》1995

昨年、彼は「住宅論」の連載とともに《これは工事中ではない》家、《究極の家》、《花咲かハウス》などの刺激的な住宅を発表しているが、なかでもこの《ドラキュラの家─光の棺桶》(一九九五)は異色の作品である。木島安史の《孤風院[コフィン=棺桶]》(一九八六)も学校の講堂を自宅に改造した脱住宅だったが、《ドラキュラの家》がもつフレキシブルボードと石綿スレートの外観は、どう見ても生産する工場になっており、明らかにショートケーキ的な劇場に対抗する。そして、ないないづくし。リビングはない、トイレも風呂もドアなし、個室もないから、プライバシーもない(何という反ヴィクトリア的な)。当然、子供室も必要ないだろう。ただあるのは小さな台所と大きな空間。二人の男は「家族」の住宅という概念に根底から揺さぶりをかけたのである(建築以外の表現分野ではとっくにやられていたことだが)。ところで『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(一九九四)の映画でも、トム・クルーズ扮するレスタト+ルイというドラキュラになった二人の男が一七九一年以来、長い間、共同生活を営む。彼らは性関係をもたなかったようだが、もともとドラキュラの発生にそれはいらない。人間を噛み、自らの血を飲ませるという伝染によりドラキュラは増えるのだから、彼らは単性の増殖を行なう。ゆえに家族もいらない。しかし、ドラキュラ(人間 ←→コウモリ)を、ドゥルーズ/ガタリは群れとしての動物であり、分子状動物の生産と呼ぶのにもかかわらず、結局、レスタト+ルイは疑似家族を作ってしまう。かわいいお人形のような娘クローディア、二人の弟、母。ドラキュラでさえ、かくも脱家族は困難なのだろうか。そして彼らは日中、地下の棺桶に眠る。
《ドラキュラの家》が「光の棺桶」とも命名されたのは、その歪んだ棺型の住宅がほとんど窓を持たずに、一直線のトップライトのみが天井から光を降りそそぐからである。だが、何故ドラキュラなのか。ここには先だって一軒の家があったのだが、不吉な事件の後に解体され、地中に壊された家が眠っているという。そのいわくつきの家の原因となったのが、ドラキュラさながらに、昼は閉じこもり、夜は黒いマントでうろつく、ひとりものの怪老人である。そして当時の表札には「奪われたくない輩は近寄るべからず 奪われてもなくならないかた求む」の文。彼も家と一緒に埋められたかどうかは定かではないが、場所と家に付随した物語ゆえに、《ドラキュラの家》は不気味なものの力を帯びている。本来、家とは安心な場所のメタファーであったはずなのに。
不気味なものに対する考察は、A・ヴィドラーの『おちつかない家』に詳しいので、ここで少し見てみよう★一三。一九世紀は、外部に対して家庭こそがおちつける場と認識された一方で、反対にその家の最も内部が不気味な場所になるというおばけ屋敷の話やゴシック小説は広く普及する。例えば、ポーの『アッシャー家の崩壊』に出てくる、家族の記憶を封印した見捨てられた家、ユゴーのとりつかれた家[図18]、メルヴィルの『私と私の煙突』、そして空間的な構築にすぐれたE・T・Aホフマンの描く『廃屋』など諸々の住宅。

18───V.ユゴ−『海の労働者』に出てくる家。開かずの扉、えぐり出された眼のような窓

18───V.ユゴ−『海の労働者』に出てくる家。開かずの扉、えぐり出された眼のような窓

ストーカーが城に住む『ドラキュラ』の小説を発表したのも一八九七年である。現在でもホラー映画の舞台が『ハウス』になるのは珍しいことではない。また余談であるが、近代心霊学が誕生する契機となった、一八四八年のニューヨーク州に起きた出来事とは、フォックス家におけるポルターガイスト現象だった★ 一四。そこで子供が霊と交信した結果、明らかになったのは、彼らが越してくる以前に、その家で殺人事件が発生し、遺体が地下室に埋められていることである(後に実際に人骨が発見された)。『ドラキュラの家』と同様、地中に得体が知れないものが潜んでいる強烈なイメージだ。しかし、ヴィドラーは逆説的に、とりつかれた家はかえって、マイノリティがくつろげる場なのだと指摘する。その意味で「ドラキュラの家」と男性二人のカップルの組み合わせは偶然ではない。そしてヴィドラーの論が興味深いのは、フロイトの理論を引用しつつ、安全な家そのものが、実は不気味なものの場所であったことを言語的に示す、脱構築的な手続きである。不気味さはいわゆる美しいという概念では回収されない。それを最初に空間に関連づけたのは、心理学者のイェンチュが一九〇六年に書いた論文だが、さらにフロイトは辞書を活用し、ドイツ語のハイムリッヒが、第一に「家または家族に属する」ものと定義されるのを確認したうえで、その「奇妙でなく、なれ親しんだ」という言葉が、他にも「隠蔽され、視界を避ける」や「そのため他人が知ることができない」の意味も担うことを指摘する。つまり、ハイムリッヒ(気楽な)の語は、秘密の、内緒の、埋められたという意味にズレていき、とうとう反対語のウンハイムリッヒ(不気味な)に導かれるのだ。ハイムリッヒはウンハイムリッヒを抑圧する。しかし、すぐさま不気味なものが言葉の下部から頭をもたげようとする。〈それ〉のように。すなわち、エスは待機しているのだ、意識の奥底で、不気味な運動をしながら。シェリングは、隠れたものが現われるときはいつも不気味なのだと定義していたが、それは人間の目で見るからなのかもしれない。ルイは初めてドラキュラになったその晩、今までに見たこともない、夜のあまりの美しさに泣いていたのだから。

空間帝国主義とオイディプス帝国主義の戦いを越えて

「家族」のプログラムを書き替えるための、主に建築家によって構想された八つの機械。
●独身機械──1 
一九三一年、ニューヨークに完成した三八階建てのダウンタウン・アスレチック・クラブを、コールハースは、成人用のインキュベーターと呼ぶ。これは厳密に言えば、住宅ではない。だが、メトロポリスの生活にふさわしい独身男性が、肉体の訓練を行ない、休息し、快楽をむさぼるための諸機械が、上から下まで積層されている。つまり、都会に必要な住むための諸機械のほとんどがあるのだ。
●独身機械──2 
一方、独身女性が東京を浮遊し、お気に召すままに外部の諸機械と接続するのが、伊東豊雄の《遊牧少女の包》(一九八五)である。それゆえ、わずかな器官に包まれていれば、生活が成立する。プロポーズをためらい、小物が置かれた個室をサンクチュアリ化する、平松愛理の〈Single is Best !? 〉のように。その前身は隈研吾が『10宅論』(一九八六)で指摘する、ワンルーム・マンション派だ。
●独身機械──3 
すでに黒川紀章は「カプセル宣言」(一九六九)において、夫婦・親子という家族単位から個人単位空間のドッキング状態への移行を予言していた。カプセルが自立的に完結する必要もない。外部の諸機械と自由に接続し、切断するというイメージを持っているからだ。
●独身機械──4 
黒沢隆の「個室群住居とは何か」(一九六八)は、機能単位の部屋を否定し、そこで完結した個室群を提唱する。また山本理顕の「住居シミュレーション」(一九七〇)の最終段階では、外部にすべての器官を奪われ、中心のファミリー・スペースが消失する。そして個室が浮遊するという[図19]。

19───個室が外部に開放され、個室自体が居住単位となる空間図式

19───個室が外部に開放され、個室自体が居住単位となる空間図式

●独身機械──5 だが、それ以前にフーリエのファランステールは一六二〇人、ロシアのドム・コムーナは一六八〇人のために、子供、大人、老人などの要素に分解された集団家族を構想している。夫婦といえども、別々の個室をあてがわれるのだ。まさに工場になった集合住宅。
● 独身機械──6 ワークショップの《F 3》(一九九五)[図20]は、男一人のための住宅である。それはLDKを否定し、ただ内室、外室という名があたえられた。が、外観は家という記号を捨てていない。

20───ワ−クショップ《F3》1995

20───ワ−クショップ《F3》1995

●独身機械──7 ダンボール住居もすぐれて機械的ではなかったか? [図21]『箱男』のように。

21───新宿地下街のダンボ−ル住居、1995

21───新宿地下街のダンボ−ル住居、1995

●独身機械──8 一九七七年、ハウス・ミュージックは、シカゴのゲイ・クラブ「ウェアハウス」で誕生した。その分裂症的な音楽が、ハウスの名をもつのは興味深い。これは最も脱住宅した家である?

独身機械のための「シングル・セル」の数々。ドゥルーズならば、これを孤細胞ではなく、卵胞と命名するかもしれない。限りなく器官なき身体に近いものだとして。だが、消費し尽くされたノマド論のために、独身機械を思考するのではない。むしろ、いまだ隠された内部の欲望への扉を開くためにこそ、実験的に「シングル・セル」を思考すべきなのだ。しかしながら、建築家の関わるほとんどの事例が、上野千鶴子風に言えば、結局は空間がすべてを決定するという、空間帝国主義的なのかもしれない★一五。が、これらの空間帝国主義はオイディプス帝国主義と戦闘している。空間こそが社会を変えるのだと信じて。それとも、規範ではなく、本当の機能=欲望に形態を従わせるために。これは超機能主義である。そして二つの帝国主義の戦争に割り込んで、社会学はこう批判してくる。もともと空間と生活は一致するものではないのだ、と。けれども、それでは建築家の存在理由も、プログラム論の意味も失われてしまう。開き直って、建築家は空間のファシストになるのだと宣言すべきなのか★一六。上野千鶴子は『ファミリイ・アイデンティティのゆくえ』で、各自が家族だと思う範囲を記入してもらう調査を行ない、多様化した実態だけでなく、すでに伝統的な家族の内部ですら家族のイメージが崩壊していることを明らかにしていた。つまり、想像上の家族は外面上の家族ともズレているのだ。ちょうど、リンチが『都市のイメージ』(一九六〇)と物理的な都市が違うのを指摘したように、ただの単位空間的なプログラム論は限界を孕んでいる。[それは作動している]入江経一のように、ランダムなプログラムを想定するのも手だろう。[ときには流れるように]青木淳の〈H〉(一九九四)のように、空間の単位化を避け、夫の領域や夫人の領域を命名し、空間に濃度の差を設定する方法もある[図22]。

22───青木淳《H》1994、1階平面図

22───青木淳《H》1994、1階平面図

[ときには時々とまりながら]確かに彼のいう「動線体としての生活」は、運動をとらえ、固体の人間をまったく別の枠組から解読するものだ。[いたるところで作動している]社会学の批判を受けて、新たなプログラム論に向かうこと。[いたるところで]そのためには、表層的なデザインに走るのではなく、耳を澄ませて、かの声を聞くことから始めよう。[それは作動している]そして欲望する諸機械のプログラムを作動させること。[それは作動している]switch on!

1995年神戸

1995年神戸

(いがらし  たろう/建築史)

★一──前者は一九六六年のアーキグラム・プロジェクト、後者は武田五一の言葉。他に衣服との関係では、ARCHITEC TURE: IN FASHION, PRINCETON ARCHITECTURAL PRESS, 1994. が一部、被膜建築論にもなっており、興味深い。
★二──ル・コルビュジエ『建築をめざして』(吉坂隆正訳、鹿島出版会、一九六七年)。
本書では、「一つの家屋は一つの住むための機械である」と、また英語版のTOWARDS A NEW ARCHITECTURE, ARCHITECTURAL PRESS, 1963.は、A HOUSE IS A MACHINE FOR LIVING INと訳している。M・タフーリの「機械と記憶」(鵜沢隆他訳、『a+u』一九八五年一一月号)によれば、すでに一八五三年のA・ロンスの論文で、「住宅は装置であり、いわば機械である」という表現があり、ゆえに生産する工場は模倣されるに相応しいと述べている。
★三──八束はじめ「レギュレーターとしての建築」(『10+1』2号、一九九四年)。
★四──篠原一男「非合理都市と空間機械」(『続住宅論』鹿島出版会、一九七五年)。ただし、ドゥルーズ以前では、「異端の空間」(『新建築』一九六八年七月号)において多木浩二は、丹下的な大きな構造を機械の哲学として、篠原の空間の原理に対峙させている。
★五──『日経アーキテクチャア』一九九五年九月二五日号では、一万円前後で購入できる一般向きの『ARCHITECTURE』、『一軒楽着』、『タテドキ』、『まどり98』などの設計ソフトを紹介している。
★六──T. A. MARKUS , " CLEANLINESS IS NEXT TO GODLINESS",
 BUILDINGS & POWER: FREEDOM AND CONTROL IN THE ORIGIN OF MODERN BUILING TYPES, ROUTLEDGE, 1993.
★七──M. WIGLEY,"UNTITLED: THE HOUSING OF GENDER', SEXUALITY & SPACE", PRINCETON, 1992.
★八──花田佳明「拡張された住宅」(『住宅特集』一九九五年一月号)。また拙稿「ベンヤミンを挿入し、ビルディング・タイプの壁を破壊せよ!」(『建築文化』一九九六年五月号)では、諸々のビルディング・タイプの有機的な関連を論じた。
★ 九──L. SPIEGEL," THE SUBURBAN HOME COMPANION: TELEVISON AND THE NEIGHBORHOOD IDEAL IN POSTWAR AMERICA", SEXUALITY & SPACE, PRINCETON, 1992.
また彼女のTV文化研究や『アンチ・オイディプス』をもとに、D. HELLER, FAMILY PLOTS :THE DE - OEDIPALIZATION OF POPULAR CULTURE, UNIV. OF PENNSYLVANIA PRESS,  1995.の三章は、TV番組の内容の方に注目し、家族像を分析する。
★一〇──子供室については、近代住宅の研究をされている牧田知子から貴重な助言をいただいた。
★一一──磯崎新『空間へ』(美術出版社、一九七一年)。
★一二──長谷川堯『神殿か獄舎か』(相模書房、一九七二年)。また菊竹清訓の説明文は『建築文化』一九五七年一二月号による。
★一三──A. VIDLER,"UNHOMELY HOUSES", THE ARCHITEC TURAL UNCANNY, MIT PRESS,  1992.
★一四──一柳廣孝『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉』(講談社、一九九四年)。
★一五──上野千鶴子他「解体した住居の行方」(『建築文化』一九九二年一〇月号)。
★一六──一九九四年七月一九日の日本近代住宅史研究会にて発表された建築家、染谷正弘と筆者の応答から。
*G・ドゥルーズ/F・ガタリの『アンチ・オイディプス』の引用は市倉宏祐訳による。なお、本稿で取り上げた註六・九・一三の三つの論文の拙訳は、『エディフィカーレ』七号(一九九六年)の住宅論特集に掲載されている。

●図版出典
1『美術手帖』一九八二年一一月号。
2 筆者撮影。
3 FIVE ARCHITECTS, OXFORD UNIV.PRESS, 1975.
4 筆者撮影。
5『都市住宅』一九六 九年九月号。
6・7 日本建築学会編『コンパクト 建築設計資料集成〈住居〉』(丸善、一九九一年)。
8 T. A. MARKUS, BUILDINGS & POWER,FREEDOM AND CONTROL IN THE ORIGIN OF MODERN BUILING TYPES, ROUTLEDGE, 1993.
9 B. COLOMINA ed, SEXUALITY & SPACE, PRINCETON, 1992.
10 筆者撮影。
11 『建築文化』一九九三年一月号。
12 平井聖『日本住宅の歴史』(日本放送出版協会、一九七四年)。
13 筆者撮影。
14 日本建築学会編『コンパクト 建築設計資料集成〈住居〉』(丸善、一九九一年)。
15 蛯名紀之撮影。
16 『住宅特集』一九九五年七月号。
17 『GA  JAPAN』14号。
18 A.VIDLER, THE ARCHITECTURAL UNCANNY, MIT PRESS, 1992.
19 山本理顕『住居論』(住まいの図書館出版局、一九九三年)。
20・21  筆者撮影。
22 『住宅特集』一九九四年五月号。
※ 一四四頁写真=筆者撮影。

*この原稿は加筆訂正を施し、『終わりの建築/始まりの建築──ポスト・ラディカリズムの建築と言説』として単行本化されています。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.05

特集=住居の現在形

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>八束はじめ(ヤツカ・ハジメ)

1948年 -
建築家。芝浦工業大学建築工学科教授、UPM主宰。

>多木浩二(タキ・コウジ)

1928年 -
美術評論家。

>篠原一男(シノハラ・カズオ)

1925年 - 2006年
建築家。東京工業大学名誉教授。

>池辺陽(イケベ・キヨシ)

1920年 - 1979年
建築家。

>毛綱毅曠(モヅナ・キコウ)

1941年 - 2001年
建築家。

>山本理顕(ヤマモト・リケン)

1945年 -
横浜国立大学大学院教授/建築家。山本理顕設計工場 代表。

>石山修武(イシヤマ・オサム)

1944年 -
建築家。早稲田大学理工学術院教授。

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>ファンズワース邸

アメリカ、イリノイ 住宅 1950年

>坂茂(バン・シゲル)

1957年 -
建築家。坂茂建築設計主宰、慶応義塾大学環境情報学部教授。

>紙の家

山梨県南都留郡山中湖村 住宅 1995年

>原広司(ハラ・ヒロシ)

1936年 -
建築家。原広司+アトリエファイ建築研究所主宰。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>メタボリズム

「新陳代謝(metabolism)」を理念として1960年代に展開された建築運動...

>山中新太郎(ヤマナカ・シンタロウ)

1968年 -
建築家。山中新太郎建築設計事務所主宰、日本大学理工学部助教。

>宮本佳明(ミヤモト・カツヒロ)

1961年 -
建築家。宮本佳明建築設計事務所主宰、大阪市立大学大学院建築都市系専攻兼都市研究プラザ教授。

>脱構築

Deconstruction(ディコンストラクション/デコンストラクション)。フ...

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>隈研吾(クマ・ケンゴ)

1954年 -
建築家。東京大学教授。

>10宅論

1986年10月1日

>上野千鶴子(ウエノ・チズコ)

1948年 -
社会学。東京大学大学院人文社会系研究科教授。

>都市のイメージ

2007年5月

>入江経一(イリエ・ケイイチ)

1950年 -
建築家。パワーユニットスタジオ主宰。

>青木淳(アオキ・ジュン)

1956年 -
建築家。青木淳建築計画事務所主宰。

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>建築をめざして

1967年12月1日

>牧田知子(マキタ・トモコ)

1964年 -
建築史、近代住居史。東京大学建築史研究室在籍、日本学術振興会特別研究員。