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住居──社会的媒体としての | 若林幹夫
Living Space as Social Medium | Wakabayashi Mikio
掲載『10+1』 No.05 (住居の現在形) pp.56-66

I「住むこと」のメディア

人間にとって住居とは何か。そして、現在の私たちにとって、住居とは何なのか。
人間の住居の起源あるいは本質は、雨風をしのぎ、外敵から身を守るための隠れ家=シェルターにしばしば求められる。だが、石毛直道も指摘しているように、シェルターとしての機能は人間の住居の必要条件ではあっても、それを動物の巣等から区別する十分条件にはならない★一。たとえばアフリカの狩猟採集民のハツァピ族が乾期に作る次のような住居は、ミツバチやハタオリドリ、ビーバーなどの野生動物の作る巣よりも、シェルターとしては建築的に明らかに劣っている。

(ハツァピ族の人びとは:引用者注)トゲの木の枝や石ころをのけて、簡単に整地したのち、トゲの生えたマメ科の枝を集めて、高さ五○センチから一メートルに積みあげて、直径二〜三メートルの垣をつくる。垣の一方は、出入口として開けられている。垣といっても、積み重ねた木の枝のあいだは、すかすかである。風のくる方向にだけ、垣に草をからませて風よけとする。屋根はつくらない★二。

だが、建築される住居のシェルターとしての機能や加工度の高さが指標にならないのだとすれば、動物の巣と人間の住居とはどう異なるのだろうか。あるいは、動物が巣に「棲むこと」と、人間が住居に「住むこと」とはどう違うのだろうか。
ハツァピ族の乾期の住居は、私たちの感覚から言えば「住居」というよりも「結界」という感じに近い。少なくともそれを普通に言う意味での「建築」と呼ぶことには、心理的には抵抗がある。だが、私の考えでは、それが一見すると「建築」というよりも「結界」であるという点にこそ、「建築を作る動物」たちの巣から「人間の住居」としての彼らの住まいを隔てる重要な差異が存在している。
結界であるということ。それは、世界のなかに「ウチ」と「ソト」の二つの領域を作り出すこと、それによって異なる意味や機能を担った領域を分節するということである。もちろん、こうした領域の分割は、人間以外の動物でも「ナワバリ」という形で見出される。だが、結界がナワバリと異なるのは、結界における領域(=界)の「結び」が、ナワバリのように生物学的な本能に規定されているのではなく、恣意的かつ規範的なものとして文化的・社会的に結ばれるという点にある。「恣意的かつ規範的」という、一見すると矛盾した言い方は、そうした領域の「結び」が、本能によってあらかじめ決定されているのではなく、文化や社会ごとに、そしてまた状況ごとに異なるものとして人為的に設定されており、かつまた、そうした人為的=恣意的な設定が、特定の文化や社会の内部で、その機能や意味に関してほぼ標準化され規範化されたものとして存在しているということを意味している★三。
たとえば私たちの住居に比べると遥かに粗末で「自然」に近く見えるハツァピ族の住居も、自然に対する人間の働きかけによっていわば「デザイン」されている。そのデザインされた形は、決して「人間の本能」や「本性」によるものではなく、ハツァピ族に固有の文化的・社会的な形式を示しており、また、彼らの住居やその内部の僅かな家財道具の配置などが示す標準化された形式は、彼らにとっての「住居」の規範的なあり方となっているのである★四。
世界の各地に存在するヴァナキュラー=方言的な住居の多様なあり方は、住居のデザインが、人間という種にとっては決して本能的なものではなく、地域や社会的諸条件ごとに異なる文化的・社会的なものであることを示している。そしてまた、そうした住居の形が、個々の社会ごとに一定の標準化された様式をもつことは、住居のデザインが、ある社会のなかで一定の「規範」として形式化されていることをも示している。
このように住居のデザインが恣意的かつ規範的であるということは、そこに住む人びとの住み方の形もまた、文化的・社会的に多様かつ典型化されたものであるということを意味している。というのも、住居の形式はそこでの人びとの住み方の形に規定されており、人びとの住み方の形も人びとが居住する住居の形に対応しているからだ。

イロクォイ・インディアンの家が長いのは、ひとりの母親とその子供たちを単位とする多くの家族を住まわせるためであり、八窩族の円形の住まいはアジアの共同社会の伝統を守るためである。キオワ・インディアンの色彩豊かなティピス(テント小屋)は遊牧文化のなかの階級制度を伝え、ヨルバ族の住まいはそれぞれの妻の社会的地位を明瞭に示すように作られている。ハム族の高い塀のある中庭は、拡大家族のなかに、悪霊や見知らぬ人が入ってこないようにするためであり、パーダー[身分のある婦人を男子(未知の人)から幕で隠す習慣・制度]を強制するためにイスラム教徒のラムー人の住まいは高い塀で囲まれ、入口の戸には彫刻が施されている。これらのデザインそれぞれは、男、女、子供たちにかかわる経済上の取り決めと複雑に絡まっており、空間構成を通じて、土地、道具類、部屋、家畜、炉、食物、そしてそれら相互に対する人びとの関係を強める働きをしている★五。

このように、人間の住居の形は、異なる文化や社会ごとに異なる形を取りうるという点で恣意的だが、その恣意的な形がひとつの文化や社会の中では社会の構造や規範と結びついた標準化された型をもち、社会の存立を物質的にも意味論的にも支えているという意味では規範的である。この恣意性と規範性において、人間の住居は動物の巣とは異なっている。換言すれば、住居とは、人間が自らの起居する場所を、文化的・社会的にデザインされた場として作り出し、生物学的な「棲むこと」を、文化的・社会的な「住むこと」へと変換する仕掛け、媒体=メディアなのである。
人間の住居のこの媒体性は、次の二つの位相の重なりとして理解することができる。
第一に、住居はその物的装置としての形態や構造によって、生物としての人間の身体的な運動や知覚に特定の形式や状態を与える。J・J・ギブソンの「アフォーダンス(affordance)」の概念を援用すれば、住居とは「住むこと」に関する人間の行動や知覚に特定のアフォーダンス(=知覚や行為の可能性)を与える物質、面、媒質からなる場である★六。住居は、その間取りや素材、家具の配置を通じて、特定の明るさや広がりをもち、そこに住む者に特定の知覚や運動を可能にするアフォーダンスを備えた場として形成されるのである★七。だが、ここまでの議論でも明らかなように、住居が人間に与える知覚や行為の可能性は、行動科学的ないし生態学的な水準にのみ関わるのではない。住居の形態や間取りの構造に付与された機能的・意味論的な差異が示すように、人間の住居が可能にするアフォーダンスは行動科学的な意味だけでなく、社会学的な意味での行為と関係の可能性の集合としても捉えなくてはならない。人間の住居においては、行動科学的ないし生態学的な水準でのアフォーダンスに、文化的・社会的な意味や機能、禁忌や象徴性等が付与されることによって、社会的なアフォーダンスが重ねられる。ここで「社会的なアフォーダンス」と呼んでいるのは、住居の間取りや使用法に関する機能的な分節や象徴的な意味付け等によって与えられる、住居における人間の行為や関係のあり方の特定化された可能性の集合のことだ★八。
したがって、住居は、そこに関わる人びとの社会的な行為や関係の形に特定の可能性の集合を与える、社会的なアフォーダンスを備えた媒体=メディアである、と言うことができる。マーシャル・マクルーハンが言うように、ここでも「メディアはメッセージ」である★九。住居の特定の文化的・社会的な形は、そこで住むことの形を規定する文化的・社会的なメッセージをもっており、人びとの暮らしはそのメッセージを解読し、現実化することによって特定の文化的・社会的な形をもつものとして日々再生産されている。人間の住居が備えるアフォーダンスは生態学的・行動科学的であるだけでなく、文化的・社会的なものなのであり、住居は「住むこと」の社会的なメディアなのである。

ヴァナキュラーな住居の多様な形(1)アルジェリア、ジェベル・アムール族の天幕 
(2)パラオ群島の住居 (3)グルジア、オセティン地方の住居 (4)タイの住居 (5)タイ平野部の住居 (6)パラオの集会棟BAI (7)イエメ
ン北Tihamaの円形住居(8)ドイツ、BadWimpfenの町家 (9)ドイツ、Goslar都市在住農民の住居 (10)大平原インディアン、
ピーガン族のティピー (11)マレーシア、マラックの住居 (12)北ロシア、カレリア地方の高床の風呂場 (13)パラオの神官の館 (14)アフガ
ニスタン、ニューリスタニの住居
布野修司編『見知らぬ町の見知らぬ住まい』(彰国社、1991年)38─39頁より
                                                           

II土着/近代?

考現学の創始者として知られる今和次郎は、柳田國男らに導かれて始めた民家調査に基づいて一九二二年に刊行した『日本の民家』で、「都会に住み慣れている人たちは田舎の人たちの家を本当に考えることは出来ない」★一○と述べている。

(田舎の人びとは:引用者注)どこからでも便利ないい材料をもって来るわけにはいかないので、自分たちの土地で得やすい材料を主として作らなければならない。また、土地によって気候風土がちがうから、雨の多いところでは、それに備えるように、寒いところでは、寒さを防げるように、それぞれ自分たちで工夫して作らなければならない。都会の人たちは物好きに汽車の窓から変わった恰好かつこうの田舎の家をながめて、その建築の工夫に驚くことがあるかも知れないが、でもそれは、その土地の人たちにとっては極めて自然な建築的工夫なのである。また反対に、極めて気のきかない間取のやり方だと考える家を沢山見るかもしれないが、それもやはりその土地の田舎の人たちの日々の生活を本当によく知らなければ、むざと批評することが出来ないことなのである★一一。

今が田舎の民家★一二に見出しているのは、「住むこと」が様々な形でその土地の風土と結びつき、地域の共同体とも結びついた社会における住居のあり方である。住居のこのようなあり方を、単にそれが建築の形式や住み方の形式として「方言的」であるというのではなく、そうした「方言的」なあり方が、その地域の風土と、それに根ざした生産や消費生活、文化や社会構造と結びついた「住むこと」の土着的で自生的なあり方と結びついているという意味で、「ヴァナキュラー(vernacular)」と呼ぶことができるだろう。イヴァン・イリイチによれば、そもそもヴァナキュラーという言葉は「根づいていること」と「居住」を意味するインド─ゲルマン語系の言葉に由来している★一三。人類の歴史上、ほとんどの社会において「住むこと」とは「ヴァナキュラーであること」であり、住居はそこでの人びとの「住むこと」のヴァナキュラーな形を表現していたのである。Iで触れたような民俗社会の住居の社会的・文化的なあり方も、その社会や文化がその土地に根ざした固有のものであるという点で、住居のヴァナキュラーなあり方を示している。
重要なことは、右に引用した部分で今が、都会に住み慣れている人には、そうした家と生活の土着的でヴァナキュラーな形を本当に考えることはできないと述べていることである。なぜなら、「都会の人たちは自分の家の住み勝手をば、都会という大きな背景の下で考え、また、各産地から貨物として入ってくるかわら、材木、煉瓦れんが、またはコンクリートその他の材料を買入れて自分たちの家を作るのであるから。そして生活に都合のいいように、都会の人たちの喜びを表現するように作っているのであるから」。それだけではない。「都会の河岸かしには沢山の倉庫がならび、通りには商店が並び、中枢区には事務所の建物が建てつめられ、また工場は一定の区域に建てられているが、都会の人たちの住宅はそれらとは関係なく別世界をなして建てられている」ので、「住宅を純粋に家族たちの居住の場所として便利で楽しいように」作ることができ、そしてまた「生活と文化ということをいつも結び付けて、自分たちの家をすぐに改善して行くことが出来る」のであるから★一四。
今は、材料の調達や形式の選択において、周囲の自然環境や共同社会の制約から解放されて、純粋にその「喜び」や「生活と文化」を表現することができるという点に、伝統的な民家とは異なる都会や郊外の住宅と、そこでの住み方の特徴を見出している。それはつまり、「住むこと」とそのメディアとしての住居が、ヴァナキュラーなあり方から解放され、かつまた、社会的・文化的な規範性からも解放されるということだ★一五。それはちょうど、今世紀の前半に建築のモダニストたちが、伝統から解放された「人間」や「機能」、近代的な工業技術の原理のみに基づいて、いかなる習俗や地域性からも解放された普遍的で純粋な建築、「住むこと」の普遍的な形を目指したことと、パラレルな住宅観であるということができる。
「伝統」と「近代」を、「土着=ヴァナキュラー/普遍=ユニヴァーサル」の対として捉えるこうした理解は、大筋では必ずしも誤ってはいない。私たちの社会が、市場経済や科学技術、近代的な人間観や社会観によって、土着的な形式よりも普遍的な形式を志向する傾向をもつことは事実である。だが、事態をこうした二項対立の図式によってのみ素朴に考える時、私たちは、私たちの現在を思考する視点をも掘り崩してしまうことになるだろう。
なるほど、すでに半世紀以上も前に今が述べているように、私たちの住居は、それが建てられる周囲の環境よりも、より大規模に広がる資本制市場や工業生産から多くの素材や形式を得ている。いまや、都会でなくとも工業化され商品化されたプレハブ住宅を見出すのは難しくない。確かにそれは、ヴァナキュラーな社会において「住むこと」と住宅とを捉えていた土着的な様式やあり方からの、さしあたっての〈解放〉という点から捉えることができるだろう。だが、それは私たちの住居や私たちにとっての「住むこと」が、環境や社会からの制約から解放されて、純粋な「喜び」や「生活と文化の結合」を目指せるようになったということでは、必ずしもない。
なぜなら、この〈解放〉は、普遍的人間や普遍的社会を生み出すものではなく、市場経済や資本制という歴史的・社会的に見れば決して普遍的ではない社会形態の地球的な規模での一般化であったからだ。「一般化」と「普遍化」とは同じではない。市場経済や資本制は、共同体間の差異を通約し、それらを均質的な社会空間へと解消してゆく強力な一般化の傾向をもった社会形態ではあるが、その運動は「近代化」という固有の歴史性を帯びた出来事であって、決して「普遍化」などではない。そこでは、私たちを伝統や土着から解放していった近代という社会、そしてそれが生み出した新しい物的な諸環境が、私たちの住宅や住むことのあり方を規定してゆく。
要するに、近代において住宅や「住むこと」は社会や風土から解放されたのではなく、かつての社会や風土から人びとを解放しようとする近代が生み出した新たな社会や環境のなかで、これまでとは異なる別の形をとるようになったのである。それは確かに特定の地域や風土に根ざしているわけではないという意味では「ヴァナキュラー」と呼ぶことはできないかもしれないが、かといって決して「普遍=ユニヴァーサル」なものではなく、近代というひとつの歴史的・社会的な過程のなかでの固有の事態として存在している。近・現代の都会やその周辺の住居を今和次郎のような視点からのみ見ることは、時に、私たちの住居の現在がもつ歴史的・社会的な固有性を見落とすことになりかねない★一六。

III住居の近代

ドロレス・ハイデンによれば、一九世紀から二○世紀にかけての欧米で、産業社会における家庭生活のあり方として構想されたプランの典型には次の三つがあり、そのそれぞれに対応する住居のプログラムが在在していたという★一七。
第一の典型においては、家庭は産業資本主義社会の競争や搾取から心と身体が避難する安息所、夫である男性の労働者や、労働予備軍である子供たちを、主婦である女性が慰安し養育(=nurturing)する場所として捉えられる。家事アドバイザーのキャサリン・ビーチャーが『アメリカン・ウーマンズ・ホーム』(一八六九年)等で提案したものに代表されるこの方策に対応する住居のプログラムは、「素朴で神聖な小屋という美意識で捉えた一家族用独立住宅」のためのプログラム、都市への通勤者のための郊外一戸建て住宅のプログラムである。
第二のモデルでは、ビーチャーの提案とは逆に、家事労働のほとんどを工場に移し、社会化することが提案されている。このモデルの典型は、ドイツの社会主義者オーギュスト・べーベルの『婦人論』(一八八三年)における提案に見出される。そこでは「工場のキッチンでディナーが作られるのと同様に、州の大規模なべーカリーでパイが焼かれ、機械化されたランドリーで洗濯され、セントラル・ヒーティングで都市が暖房されるようになるだろう」★一八と予言されている。それに対応するのは、「共同消費のための効率的な機械という美意識で捉えた大量生産住宅」のためのプログラム、大規模な食堂、レクリエーション施設、保育所などのナーチャリング空間と、台所のないアパートメントからなる、工業化された工法で組み立てられたアパートメントハウスのためのプログラムである。
第三のモデルは、家事労働を近隣のネットワークを通じて女性のコントロールのもとに社会化し、そこでなされる労働に対して一定の報酬を支払うことを提案するものである。メルシナ・フェイ・パースを中心とするアメリカのフェミニスト★一九たちが一九世紀後半に提案したプランに代表されるこの方策に対応するのは、「コモンスペースや中庭、アーケード、台所を共有するひとつの村という美意識で捉えた低層集合住宅」のためのプログラム、近隣の作業場で女性たちが現金と引き換えに家事労働を行なうコミュニティ住宅のためのプログラムである。
近代においてなされた住居と「住むこと」をめぐる提案が、この三つの類型につきるというわけではない。「産業社会における家事労働とジェンダー」というフェミニズム的な視点とは異なる視点から、別の類型化を試みることも可能だろう。ここでハイデンによる類型化を取り上げたのは、ハイデンの提示する諸類型がフェミニズム的な問題構制に止まらず、近代における「住むこと」と住居の歴史性と社会性を考える上で重要ないくつかの論点を、そこから読み取ることができるものであるように思われたからである。
第一に重要なことは、これらのプログラムやプランにおいては、「住むこと」や住居の形態が、ビーチャーやべーベル、パースのような「理論家」によって「構想」されているということだ。それは、「住むこと」やその形がもはやヴァナキュラーな自生性や習俗によって基礎づけられることなく、かといって個々の人びとに委ねることもできない「社会的」な問題として現われてきているということである。「理論」や「構想」が場を占めるのは、それまでの「住むこと」や住宅のヴァナキュラーな形と、近代化してゆく社会で人びとが実際に「住むこと」との間の〈裂け目〉においてである。具体的には、工場制労働や企業組織、官僚組織の成立によって「働くこと」から分離され、ヴァナキュラーな社会とは異なる形態をとるようになった家族や家政のあり方と、ヴァナキュラーで伝統的な住居や「住むこと」の形との間のズレをめぐって、様々な理論や構想が作りだされてゆくのである。実際に都市や村に建てられる大方の住居は、そうした理論や構想とは無縁な〈名もない〉大工や労働者たちによって建てられてきたとしても、そうした建築の営みやそこでの「住むこと」の営みには、つねにヴァナキュラーな「住むこと」の形との差異が存在し、その差異をめぐる様々な対応が行なわれている筈である。
第二に、先に見た今和次郎の指摘に関わる問題としてさらに重要なことは、近代における「住むこと」や住宅の新しいあり方が、三つの提案のいずれにおいても、産業社会という新しい社会の形態に規定された生活の場として思考され、構想されているということである。そこでの「住むこと」や住宅のあり方は、決して住み手の恣意や自由のみに関わるものでなく、産業社会という特定の歴史的な社会形態に固有の構造や問題を孕んでいる。ハイデンが分析しているように、それらに対して三つのプログラムが提案する対応の仕方は異なるけれども、いずれにしろそれらすべてが前提としているのは、人びとが労働者や管理者として工場や企業組織で働く産業型の社会であり★二○、夫である男性を雇用された労働者とし、妻である女性を労働力の再生産──それは、労働者としての男性の労働力の再生産と、子供という次の世代の労働力の再生産を共に含んでいる──に携わる者とする、核家族的な社会形態である。このことは、近代における「住むこと」と住居が、決して社会から解放された〈自由の空間〉などではなく、資本制の生産様式やそこでのジェンダーや家族の形態などの、社会生活の特定の形を前提とするものであること、その意味で歴史的・社会的には決して普遍的なものではないということを意味している。
工場制生産や産業資本主義的な経営組織、近代的な官僚制の成立などに相関して、「住むこと」と「働くこと」とが分離した結果、ヴァナキュラーな社会では労働の場を兼ねていた住居から労働や生産の機能が切り離され、近代の住居は純粋な「消費(=労働力の再生産)」の空間になっていった。住居からの生産機能の外化は、主として都市における下層労働者たちの住居として劣悪なテネメント(=集合住宅)を生み出す一方で、より裕福な労働者や中間層では、「主婦」を管理者=労働者とする家事空間としての住居を生み出していった。また、労働者や中間層の家族形態として核家族が一般化してゆくと、住居も、夫婦とその子供を核とする「住むこと」の装置としての新たな形態をとるようになってゆく。そこでは、全体社会における労働の組織形態も、私的な領域のあり方も、資本制という社会形式によって構造的に規定されており、したがって「住むこと」や住居の形態も、そうした構造的に規定された行為や関係の場として構想され、作られざるをえない。なるほどそこでは、これまでは互いに異なるヴァナキュラーな「住むこと」の諸形式を生きてきた人びとが、資本制や産業社会という共通の条件の下で、「通勤・通学する核家族の住居」という、より一般化された共通の「住むこと」の形式を生き始める。だがそれは、歴史的・社会的に特異な「住むこと」の形が、かつてない程に数多くの人びとを捉え始めたということではあっても、人間にとっての「住むこと」の普遍的で自由なあり方の誕生ではない。
ハイデンの指摘するプランのそれぞれは、産業社会における労働をはじめとする社会的な諸関係、諸行為の分節と構造化の問題として思考されている。三つのプランはいずれも、労働が家族の領域から分離して工場や企業へと外化された結果、家庭に残された家事労働を社会内部のどの領域に配分するかということを焦点としているのである。この時、「領域」という言葉は文字通り場所論的な意味をもつだけでなく、ジェンダーや生産様式、年令や世代、公共性と私性、地域的共同性などの諸変数によって定義される社会的な領域をも同時に意味している。ビーチャーはそれを家庭という私的な領域で、妻=母親としての女性に充当しようとし、べーベルは社会主義化された工場という公共社会的な領域で組織された労働者に充当しようとし、パースは近隣という地域共同体的な領域における女性たちのネットワークに充当しようとする。三つのプランにおいて問題となっているのは、産業社会における「住むこと」に関わる諸活動を、社会生活のどのような領域に位置づけ、それによって「住むこと」の形をどのように構造化するかということである。
今が都会の生活を指して、「都会の河岸かしには沢山の倉庫がならび、通りには商店が並び、中枢区には事務所の建物が建てつめられ、また工場は一定の区域に建てられているが、都会の人たちの住宅はそれらとは関係なく別世界をなして建てられていると言っていい」★二一と言う時にも、問題の地平を構成しているのは、産業社会における生活の構造化の、公共社会や地域社会との関係におけるあり方である。産業社会における「住むこと」の形は、こうした社会的諸領域の分節化のあり方によって規定されており、したがって単に住居という私的な領域に止まらず、社会のより大域的な広がりのなかでの関係の構造、都市や村落のような集落や地域レヴェルでの「住むこと」の広がりとの関係において決定されている。それらの関係を「別世界」と呼ぶ時、今の言葉はそこに働いている構造的な規定性を覆い隠している。

IV住居・都市・身体──「住むこと」の現在形

それゆえ、近代における「住むこと」と住居のあり方は、決して今和次郎が「民家」と比較して都会の住居について述べるような、「純粋に家族たちの居住の場所として便利で楽しいように」作ることのできるものなどではない。
実際には、住居が「純粋に家族たちの居住の場所」として存在してしまうこと自体が、ヴァナキュラーな諸社会とは異なる近代社会における家族形態や、それと連関する資本制経済や産業社会の論理によって幾重にも決定づけられた、歴史的・社会的な事実としてあるのである。この事実は、人間の社会において「住居」として分節化される領域にどのような社会的な機能や意味が充当され、いかなる社会的領域として構造化されるのかということは、決してアプリオリに想定できるような普遍的な事柄ではないこと、ある社会における住居のあり方は、その社会における住居以外の社会的諸領域の分節や構造化のあり方との関係で決定されるものであることを示している。Iで私は、住居とは「住むこと」をめぐって人びとの行為や関係の形に特定の可能性の集合を与える、社会的なアフォーダンスを備えた媒体である、と述べた。「住むこと」とは、ある社会において「私的な領域」として他の関係や活動から切り離された関係や活動を、そのために分節化された特定の場(=住居)において営むことである。住居とは、そのような「住むこと」に特定の形と可能性を与える社会的媒体である。だが、ここまでの議論が示すように、人間にとって何が「住むこと」であるのかは、自明な事柄ではない★二二。
IIIで見た三つのプランが示しているのは、ある社会において何が「住むこと」であり、「住居」にどのような関係や活動が充当されるのかは、「住むこと」を超えた社会のより多様な行為や関係の場の構造化のなかで決定されるということだ。住居というこの媒体がどのような社会的なアフォーダンスを備える場として構造化されるのかは、住居がその部分=局所として分節化される社会のより大域的な広がりが、どのような社会的なアフォーダンスをもつ場として構造化されるかということに関わっている。換言すれば、地域社会や都市、あるいは全体社会といった、より大域的な社会の広がりにおいて、人びとの行為や関係の形の可能性がどのように編成されるのかということに規定されているのである。
だから私たちは、住居と都市、全体社会との関係をあらかじめ分節化され、構造化された諸領域としてイメージし、了解するのではなく、身体の集合が織りなす行為や関係の流動的な束や広がりが、様々な制度や規範、媒体や物的装置によって微分され、構造化されることによって現われる、その都度の分節としてイメージし、了解すべきなのである。あるいは、そうした流動的な束や広がりに形式と、いくつかの展開の可能性を与える諸媒体の集合体における諸領域として……。その意味では、先にも述べたように、都会の人びとの住居が河岸に並ぶ倉庫や通りに並ぶ商店、中枢区の事務所や工場地帯の工場と「別世界」であるという今の理解は誤りである。それらは、全体社会や都市、地域社会という、身体とその行為・関係の大域的な広がりの分節化された構造であり、その局所局所における社会的媒体としての働きを通じて人びとの行為や関係の束に特定の形式や可能性を与えることで、住居という「住むこと」の領域を分節化し、そこでの人びとの行為や関係の形に対しても一定の規定性を及ぼしている。「住むこと」とは、そうした行為や関係の広がりのなかにある身体の活動の、特定の社会的領域や行為に関わる分節に付与される呼び名であり、住居とはそうした分節に対応する場の呼び名である。
たとえば、今日「ホームレス」と呼ばれる人びとは、一戸建て住宅であれ集合住宅であれ、人びとが普通「住宅」や「住居」と呼ぶ私的な領域をもたない人びとである。だがそれは、彼らが「住むこと」をしない人びとであるというのではない。彼らは、都市や街に存在する様々な施設や場に、「私的」な活動や営みを充当することによって、他の人びとが「住宅」へと囲い込む行為や活動の場を、都市や地域社会レヴェルへと拡散させ、住宅をもつ人びととは異なる形で「住むこと」に形を与えている人びとである。言い換えれば、彼らは「住むこと」を「住居」という特定化された媒体によって形式化することをせず、より大域的な地域や都市に集積された諸施設を媒体として、自らの「住むこと」を形式化し構造化した人びとである。彼らはいわば「都市のもっているメカニズムに寄生して、都市の中で生きてゆく」★二三。
だが、それは〈彼ら〉だけに限った話ではない。ヴァナキュラーな住居とそこでの人びとの「住み方」が、地域の自然環境や共同体に埋め込まれ、それらとの関係のなかで成立しているのと同じように、私たちの現在の「住むこと」もまた、オフィスや商店街、公園や街路、コンビニエンス・ストアやラブ・ホテル、駅やバス停、水道やガス、電気などのインフラなど、住宅という「囲い」の外側に集積された諸施設を媒体として、「都市に寄生すること」で成立している★二四。私たちの住居と「住むこと」もまた、住居を超えて広がる私たちの行為や関係の流動的な束や広がりのなかの分節、結び目なのであり、そこで私たちは、一戸建て住宅や集合住宅などを「ホーム=拠点」として都市へと寄生している。この時、住居は私たちの「住むこと」を、それを支える社会のより大域的なシステムへと接続するメディア、「住むこと」と社会の大域的な広がりとを分節化し、かつ接続する装置として機能している。いわゆる「ワンルーム・マンション」のように、住居のもつ社会的なアフォーダンスを極端に切り詰めて、都市の諸施設へと積極的に寄生するようなあり方と、一戸建て住宅のように「私的な領域」により多くの関係や行為の可能性を内包するあり方とでは、「住居に住むこと」の意味やあり方が異なるだけでなく、「都市に住むこと」や「地域に住むこと」の意味やあり方も異なっているのである。
人間にとって「住むこと」とは、単独で住むことではない。それはある関係性の中で「集まって住むこと」、集住することなのだ。コーポラティヴ・ハウジングのように、地域に住むことの共同性を自覚的に捉え、協同で建設や管理を行なう試みだけがそうであるのではない。一戸建て住宅の書斎に引き籠もる時も、ワンルーム・マンションの一室から友人に電話をする時も、人はつねに/すでに社会的な関係の中で、集まって住んでいる。それゆえ住居をめぐる諸問題は、私たちの社会における「私的」な領域のあり方にのみ関わる問題ではない。それは住居を「私的」な領域として存立させている私たちの社会それ自体のあり方をめぐる諸問題でもある。
かくして住居論は、都市論や社会論へと開かれてゆく。あるいは、住居論はそれ自体で都市論であり、社会論なのだ。
(わかばやし  みきお/社会学)

★一││石毛直道『住居空間の人類学』(鹿島出版会、一九七一年)二二九頁。
★二──同上、三○頁。ちなみに、彼らは雨期にはより精巧な屋根付の住居を作る。
★三──逆に言えば、このような恣意的かつ規範的な様式の
共有が、特定の人びとの集団をひとつの「文化」や「社会」
とするのである。
★四──この点については、石毛『住居空間の人類学』二九─三六頁を参照。
★五──Hayden, Dolores. "Redesigning the American Dream", W. W. Norton, 1984.『アメリカン・ドリームの再構築──住宅、仕事、家庭生活の未来』野口美智子・梅宮典子・桜井のり子・佐藤俊郎訳(勁草書房、一九九一年)一三○頁。こうした関係の詳細な分析の事例としては、クロード・レヴィ=ストロースによる南米ボロロ族の集落の分析──ボロロ族の社会では、女性の居住する氏族の家屋と、男性たちが日常的に過ごす「男の家」とが分離されているので、集落がそのままひとつの「住居」でもある──や、ピエール・ブルデューによるカビルの家屋の分析を参照
Levi-Strauss, Claude. "Tristes tropiques", Plon, 1995『悲しき熱帯』下(川田順造訳、中央公論社、一九七七年)第六部
Bourdieu,Pierre."Les sens pratique", Minuit,1980.(『実践感覚』2、二○九─二三一頁「付論──家または転倒した世界」、今村仁司・福井憲彦・塚原史・港道隆訳(みすず書房、一九九○年)。
★六──ギブソンによれば、生態学的に経験される世界は、古典的な物理学が述べるような「空間」とその内部の「諸物体」という概念によってではなく、人びとが知覚し、様々な行動を可能にする媒質(medium)と、媒質の内部に場を占める物質(substances)、そして媒質と物質の境界としての面(surfaces)という概念によって、適切に記述される。この時、媒質と物質、面によって規定される知覚や行動の可能性を、ギブソンはaffordからの造語であるaffordanceという概念によって捉えるのである。Gibson, J. J. "The Ecological Approach to Visual Perception", Houghton Mifflin, 1979.『生態学的視覚論』古崎敬・古崎愛子・辻敬一郎・村瀬旻訳(サイエンス社、一九八五年)一七頁。
★七──高橋鷹志「『空間』のもつメッセージ」(『言語』二二巻八号、一九九三年)、六○─六七頁。
★八──「特定化された可能性の集合」というもって回った言い方は、次の理由によっている。住居の機能的・象徴的な構造化は、そこでの行為や関係のあり方に一定の形式や構造を与える=特定化する。だが、それは、そこで人間が実際に取りうる行為や関係が唯一選択不可能なものとして決定されるということではない。住居は一定の構造化され特定化された範囲内で、人間の行為や関係に一定の広がりをもった可能性の集合を与えるのである。
★九──McLuhan, Marshall, "Understanding Media: The Extensions of Man", McGraw-Hill, 1964.『メディア論──人間の拡張の諸相』栗原裕・河本仲聖訳(みすず書房、一九八七年)。
★一○──今和次郎『日本の民家』(岩波文庫版、一九八九年)二九頁。同書「初版の序」で自ら述べているように、今の民家調査は、一九一七年に柳田國男と佐藤功一(早稲田大学建築学科教授)を発起人としてつくられた「白茅会はくぼうかい」への参加に始まり、一九一八年の同会解散後も、一九二一年まで独自に続けられた。今は一九一二年、東京美術大学卒業後、佐藤の下で助手となり、後に教授になった。これらの点については、岩波文庫版の同書所収の藤森照信の解説も参照。
★一一──同上、二九─三○頁。
★一二──「民家」という言葉を、日本の伝統的な家屋を指す言葉として広め、定着させたのも『日本の民家』であったという(藤森、前掲解説、三三三頁)。
★一三──Illich,Ivan. "Shadow Work", Marion Boyars, 1981.『シャドウ・ワーク』玉野井芳郎・栗原彬訳(岩波書店、一九八二年)四章。また、宮内康・布野修司編『ワードマップ 現代建築──ポスト・モダニズムを超えて』(新曜社、一九九三年)一○六─一一四頁の「ヴァナキュラー」の項も参照。
★一四──『日本の民家』二九─三○頁。
★一五──いうまでもないことだが、ヴァナキュラーなものからの解放と、社会的・文化的な規範性からの解放とは同じことではない。
★一六──この固有性は、土着性とは異なることに注意すべきである。近代という社会を捉える場合、それが歴史上に存在したどんな社会ももちえなかった一般化の傾向を内蔵した社会であること、近代における諸問題が、そうした一般性への運動のなかで生じる歴史的・社会的な固有性として現われることを、忘れてはならない。
★一七──前掲『アメリカン・ドリームの再構築』第四、五章。
★一八──同上、九四頁。
★一九──ハイデンはこれらのフェミニストたちを、「マテリアル・フェミニスト」と呼んでいる。
★二○──ここで「産業型の社会」という言葉は、資本が私的に所有されるか社会的に共有されるかを問わず、近代的な工業生産や官僚化された組織によって財の生産・流通を組織する社会のことを指している。
★二一──『日本の民家』三○頁。
★二二──この点については、前掲の石毛直道『住居空間の人類学』二二九─二八一頁も参照のこと。
★二三──山本理顕「都市に寄生せよ」(布野修司編『見知らぬ町の見知らぬ住まい』彰国社、一九九一年)二一四─二一五頁。布野修司『住宅戦争──住まいの豊かさとは何か』(彰国社、一九八九年)二二五─二二七頁。
★二四──したがって、新宿地下通路のホームレスをめぐる問題は、「都市に寄生すること」の仕方とその正当性をめぐる問題である。

>若林幹夫(ワカバヤシ・ミキオ)

1962年生
早稲田大学教育・総合科学学術院教授。社会学。

>『10+1』 No.05

特集=住居の現在形

>アフォーダンス

アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンが創出した造語で生態心理学の基底的...

>藤森照信(フジモリ・テルノブ)

1946年 -
建築史、建築家。工学院大学教授、東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。

>山本理顕(ヤマモト・リケン)

1945年 -
横浜国立大学大学院教授/建築家。山本理顕設計工場 代表。