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ポスト・バウハウス──拡散する情報身体としての現在 | 四方幸子
Post -Bauhaus:The Spreading InfoBody | Shikata Yukiko
掲載『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) pp.166-173

I.

社会構造が大きな変換を遂げようとする渦中において今世紀が総括され、社会と芸術間の新たな美学的課題が模索されつつある今、特にヨーロッパにおいて今世紀の創造的ジェネレーターとしてバウハウスの存在が掲げられることが多い。今世紀前半、二つの大戦間のワイマール共和国においてワイマール、デッサウ、ベルリンと転移を重ねながら存在したこのインターナショナルな教育機関は、新たな知覚のための実験と日常におけるモダン・デザインの普及という一見相反するヴェクトルを相互触発していくことで、今世紀のわたしたちの生活やヴィジョンにはかりしれない影響を及ぼしてきた。そして現在、バウハウスのポジション、思考、方法が、近代において構築されたさまざまなコードをデジタル情報回路を通して再編し、未来へと新たに開いていくための契機として再び検証されているのである。
バウハウスは、一九世紀以降の機械を基盤とした大量生産社会を背景としていた。しかしそれは決して機械的・物質的なヴィジョンにとどまらず、現在のコンピュータによって実現される非物質的イメージや情報ネットワークへの発展的可能性を含んでいたといえる。たとえばパウル・クレーによるイメージの浸透関係と変容のプロセスの探求や、オスカー・シュレンマーによる身体と空間の相互延長としての環境などが例として挙げられるが、モホリ=ナギの八年後に同じくハンガリーで生まれたフォン・ノイマンが、二〇代以降ゲーム理論を経てコンピュータの構想へと向かったことを思えば、バウハウスでの実験にコンピュータによって実現されるプロセスとしての芸術構想がすでに内蔵されていたとしてもそれは驚くにあたらない。
八〇年代以降、コンピュータの発達によって実現される新たなネットワークによる社会構造の変換への予感から、「デジタル・バウハウス」、「エレクトロニック・バウハウス」という言葉がさかんに使われはじめている。だが、重要なのはバウハウスが当時の産業構造に先行した公共性のヴィジョンを提出したように、現在のテクノロジーを見越しつつ未だ実現されていないデジタル情報社会における新たな芸術構想そして知のヴィジョンを予見していくことであるだろう。
「デジタル・バウハウス」を標榜する機関としてまず想起されるのは、ドイツ、カールスルーエのZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディア・テクノロジー・センター)である。八〇年代初頭から構想されてきたZKMは九〇年代初頭より研究・製作を開始、九七年秋に元兵器工場であった巨大な建物を改造して開館した。一般人を対象とする最先端のメディア・ミュージアムとヴィデオ、写真を主体とするニュー・アート・ミュージアム、そしてメディアテークがあり、研究機関として聴覚および視覚芸術研究所が設置されている。視覚芸術部門のディレクターでありメディア・アーティストの第一人者ジェフリー・ショーは、自ら意欲的に作品を発表しつつ、これまで何人ものアーティストを国内外から受け入れ、最新の機材を備えた環境でメディア・アートの新作を製作し発表できる場を提供している。
このようなメディア・センターが積極的に推進される理由は、ヨーロッパにおいてアートやテクノロジーが哲学的次元としてまず把握され、近接的地域交流におけるオルタナティヴなヴィジョンの止揚を許容する土壌を持つことによる。新たなテクノロジーの文化的先見性を自らのポジションとし、総体性へと社会化することがヨーロッパの歴史的伝統として息づいている。「デジタル・バウハウス」を目標とするメディア・センターは、特に九〇年代以降のコンピュータとテレコミュニケーション・テクノロジーにおける多元的情報の交換を背景に確立されたメディア・アートという分野とともに社会的に認知されつつあるが、それがEU統合とほぼ同時期に現われたことから推察されるように、ヨーロッパの政治・経済・文化的共同戦略としても重要な意味を持っている。ZKMのあるカールスルーエはフランス国境そして英仏のトラフィックラインに近接しており、EU地域を結ぶトランス・ジャンクションとしての意味を持つ。

II.

このような背景を持つメディア・センターにおいては、最新のテクノロジーをいかに創造的に使いこなしていくかが重要な課題となる。ショーの作品では、身体を基軸に導入されるヴァーチュアル世界における多層の迷宮的ヴィジョンが特筆すべきものとして挙げられるが、ハイエンドのマシンによるヴァーチュアル・リアリティ環境が推進される場合、むしろパノラマ的オブセッションのヴァーチュアル世界での再現が、結果的に近代的なスペクタクルの再生産へと向かう危険をはらんでしまうことも確かである[図1]。
バウハウスにおいて追求されていたのは、映像の再現性やそこに生じる意味の優位性よりも、むしろ映像を実現させたパラメトリックな志向および実現されなかったものの潜在的な多様性である。さまざまなメディアを横断し知覚の変動を試みたモホリ=ナギにおいて、写真は視線を前提とした世界の写しではなく光のパラメータ的刻印であり、シュレンマーの機械的なダンスにおいてめざされたのは、ダンサーの自己表出を拘束することによって浮上しはじめる身体と環境との空間における律動的相互浸透であった。
このようなプロセスの生成や関係性への注目には、バウハウスの基礎となる中欧的なヴィジョンや横断的な地域特性が影響しているように思われる。プラハ生まれのメディア理論家で特にドイツ語圏を中心としたメディア・アート・シーンにおいて影響力を持つヴィレム・フルッサーは、写真を「世界の写し」という偽りから解き放ち、「テクノ画像」つまり装置によって実現されたコード化された記号の複合体としてのイメージとして位置づけている。彼はまた、線形的歴史から脱歴史への展開がテクノ画像によってもたらされたと述べているが、特に数値的なテキストによってコード化されたコンピュータ・グラフィックスにおいては、実現される画像の表象ではなく、生成するプロセス自体に注目することによってのみ、そのメディアの本質を捉えることが可能なのではないか。それは実体論的世界理解から脱却した、コミュニコロジーとしての世界観だといえよう。
その意味においてバウハウスをデジタル・メディアの方法で継承し、メディア・アートに新たな展開点をもたらしたものとして挙げられるのは、九〇年代前半に存在したフランクフルトのシュテーデル大学付属ニューメディア・インスティテュートである。メディア・アーティストかつ批評家であるペーター・ヴァイベルがディレクターを務めたこの教育研究機関には、彼が招いた少数精鋭のメンバー──ウルリーケ・ガブリエル、クリスティアン・ メラー、ソムラー&ミニョノー[図2]、ミヒャエル・ザウプなど──が一堂に集結していた。絵画、建築、生物学や電子音楽などおのおの異なった分野から出発しつつ、ヴァイべルの先見性と当時のテクノロジー環境も手伝って数多くの記念碑的作品(ウルリーケ・ガブリエル《パーセプチュアル アリーナ》[図3]、ソムラー&ミニョノー《インタラクティヴ・プランツ・グローイング》、クリスティアン・メラー《ヴァーチュアル・ケージ》[図4]、など)が生み出されている。これらの作品において実現されているのは、バウハウスで追求された「テクノ画像」的ヴィジョン──表象ではなく立ち現われる情報プロセスそのものへの注目──のデジタル的展開といえるだろう。インスティテュートは、九〇年代半ばに予算削減のため大学を離れ、新たなディレクターであるカオス理論研究者ミッシェル・クライン(内在物理学者オットー・レスラーに師事)が再編成し、企業と連携しつつ研究機関として継続されている。
九〇年代半ば以降にメディア・アートの重要な拠点となったのは、メディア歴史家・理論家ジークフリート・ツィーリンスキーの学長就任以降のケルン・メディア芸術大学である。ここの方向性は、「ノウボット」という情報エージェントを媒介者として「開かれた知の空間パブリック・ナレッジ・スペース」を実験的に探求するノウボティック・リサーチ(KR+cF)に代表されるコンセプチュアルな先鋭性にある。表象を否定しエージェントの連結としてのマシニックな世界のヴィジョンを展開する彼らのコンセプトは、ダニエル・デネットやダグラス・ホフスタッターが人工知能研究において提唱する概念「エージェントとしての自己」を想起させるが、結果的に心身二元論を推進してしまうデネットらに対し、KR+cFはフィジカルな身体との接続を保持することを忘れてはいない。
ドイツの人文主義的伝統としての地方分権は、メディア・アートにおいても複数のセンターを生み出しているが、メディア・センターや大学は、独立して存在するだけでなく、ショー、ヴァイベル、クライン、ツィーリンスキー、そしてフリードリッヒ・キットラー(フンボルト大学)らによる脱中心的なネットワークによって、アーティストやエンジニアらの交流により、さまざまな構想が交換されている。地域、領域を超えた経路を持つことで、メディア・アートが、既存のコードやシステムを再編し直す戦略として機能しはじめているのである。

1──アグネス・ヘゲドゥシュ+ジェフリー・ショー+ベルント・リンターマン+レスリー・スタック《CAVEの共同[形]成》at NTT InterCommunication Center, 1997

1──アグネス・ヘゲドゥシュ+ジェフリー・ショー+ベルント・リンターマン+レスリー・スタック《CAVEの共同[形]成》at NTT InterCommunication Center, 1997

2──クリスタ・ソムラー&ロラン・ミニョノー《ライフ・スペイシーズ》  at NTT InterCommunication Center 1997

2──クリスタ・ソムラー&ロラン・ミニョノー《ライフ・スペイシーズ》 
at NTT InterCommunication Center 1997

3──ウルリーケ・ガブリエル 《パーセプチュアル アリーナ》  (co-produced with Canon ARTLAB, 1993)

3──ウルリーケ・ガブリエル
《パーセプチュアル アリーナ》 
(co-produced with Canon ARTLAB, 1993)

4──クリスティアン・メラー 《ヴァーチュアル・ケージ》  at T.A.T. Frankfurt 1993

4──クリスティアン・メラー
《ヴァーチュアル・ケージ》 
at T.A.T. Frankfurt 1993

III.

冷戦時からヨーロッパの統合として西側諸国によって構想されていたEUは、突然の冷戦崩壊によって、もうひとつのヨーロッパと直面せざるをえなくなる。政治、経済、文化、宗教的に異なりまたより多様性を持つ中欧および東欧は、西側自らが戦後切り捨ててきた一種の反転した自己像でもあるが、経済的統合をめざすEUにそれはすぐさま〈他者〉として位置づけられた。旧東側諸国がもうひとつのヨーロッパとして加わったことで、それまで西欧を中心に形成されてきた「ヨーロッパ」という概念は別の軸を持つこととなる。それはドイツやオーストリア国境に接していたポーランド、チェコ、ハンガリーからバルカン半島まで南下し、北はバルト三国、東はグルジアやモルドヴァまでを含む広大な地域であり、その文化的宗教的多様性の前に、〈統一ヨーロッパ〉という概念は、その存在理由を根幹から揺り動かされたのである。
多様な旧東側地域におけるひとつの核として、第二次大戦および冷戦による六〇年以上の分断を経て甦ったのは「中欧」という文化圏および概念である。ドイツ語圏を中心にドナウ川に沿ってオーストリア、ハンガリー、またスロヴェニア、クロアチアなどの周辺地域によって構成されるこの文化圏は、かつてバウハウスがハイブリッドな実験場として機能していた地域と重なっている。最新の情報機器へのアクセスが困難な旧東側地域においては、国によって事情が異なるものの八〇年代以降のアンダーグラウンドの活発化とともに、ヴィデオ、通信機器など比較的入手しやすいメディアを駆使した表現がさかんに開始された。すでに当時よりオランダやドイツなどとアンダーグラウンド・レヴェルでの交流が行なわれていたが、冷戦後公式な交流がより活発化し、紹介される機会も飛躍的に増大している。
二〇年来エレクトロニック・アートに照準を合わせた国際的メディア・フェスティヴァル「アルス・エレクトロニカ」を毎年開催してきたリンツでは、九六年にアルス・エレクトロニカ・センター(AEC)が開設され、小規模ながら現在ZKMと並ぶヨーロッパの代表的なメディア・センターとしての位置を確立している。旧東側諸国とドナウ川文化圏によって結ばれ歴史的にも親和性を持つこの都市では、冷戦後東西ヨーロッパを結ぶ中欧の中心のひとつとしての地理的特性を踏まえつつ、西側の最新テクノロジーとそれに対抗する東側の視点の双方をとりこみ、それらを連結する努力を続けてきている。
旧東ドイツに位置し、旧東側諸国のメディアおよびヴィデオ・アートに絞り、多様な文化のミーティング・ポイントとして機能したのが、デッサウのメディア・フェスティヴァル「オストラネニー」である。州と市の全面的援助によりバウハウス校舎を中心に開催されたこのフェスティヴァルには、バウハウスが残した中欧の文化的伝統を冷戦後のメディア状況において再度活性化する意図がこめられていた。ハンガリー系カナダ人の建築家ステファン・コヴァツをディレクターに九三年より九七年まで隔年で開催された後、財政的困難により幕を閉じてしまったが、九〇年代という中東欧にとっての激動の時代を三回にわたって切り取ることで、冷戦後のメディア表現を結果的に俯瞰できるものとなった。一回目において顕著であったパフォーマンスやヴィデオ作品は、その強度を保ちつつ九〇年代半ばにはネット・アートをはじめ、新たなメディアによる身体性の拡散と再領土化にさらされている(ヴィデオ機器は八〇年代から九〇年代にかけて先鋭的な表現メディアであったため、ヴィデオ作品は「オストラネニー」において大きな位置を占める。パッケージで持ち込み可能なことも重要な要因である)。ユーゴ内戦の時期には敵対する国家を超えてアーティストたちが直接交流できる一種のエアポケットとして、このフェスティヴァルが果たした役割ははかりしれない。
旧東側諸国全般のアート、メディア・シーンにおいて活動を継続的に支援し、社会的影響力を持つのが、ハンガリー系ユダヤ人投資家ジョージ・ソロスによって各国に設立されたソロス財団に所属するSCCA(Soros Center for Contemporary Arts)である。冷戦以降国によって状況が異なるものの、情報統制下、特に内戦下の旧ユーゴにおいてこの財団は、地域のインディペンデント・メディアのみならず、それらを支援するアムステルダムのPress NowなどのNGOにも資金援助を行なっている。ソロスの出身地ブダペストにあるc3は、唯一の総合メディア・センターとして機能しており、またリュブリアナのソロス財団ではLjudmila(Ljubljana Digital Media Art Lab)がインターネットにおいてアクティヴな発信活動を行なっている。この財団が国家の枠組みを超えた情報コミュニティを形成していることは評価できるものの、ソロス個人の財団であり社会、文化支援において他の選択肢が存在しないなどの問題があるうえ、来年以降各財団の予算が順次打ち切られることになり、今後の運営に懸念が持たれている。

IV.

旧東側のメディア・アーティストは、つねに国家による情報コントロールにさらされつつ入手可能なさまざまなレヴェルのテクノロジーをいかに戦略的に使いこなすかが求められてきたが、特に九〇年代以降、テレコミュニケーション、インターネットなどによるインディペンデント・メディアの実践が若手のアーティストやハッカーによって活発に行なわれている。安価な機器で実現可能な情報のインディペンデントな受信および発信は、地理的・政治的境界を越え、時には切実な通信手段として機能し、またグローバルなコミュニケーション・ネットワークを実現する。旧西側において最新テクノロジーによって実現されるインタラクティヴ・アートのプロセスとして浮上していた「中欧的ヴィジョン」は、旧東側においては情報メディアやデータそのものをリソースとしプロセスしていく方法──そこにはニコラ・テスラに代表されるエネルギーや情報のユートピア的共有化という理念も含まれる──としてあらわれる。
スロヴェニアのリュブリアナを拠点とするマルコ・ぺリハンは、八〇年代初頭からテレコミュニケーション・テクノロジーの独自の利用により短波、衛星波などを傍受・解析し、それらデータをパフォーマンス、音、映像作品として展開している。ユーゴから九一年に独立したものの、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争当時、さまざまな情報や救援機が上空を交錯する中で地理的に隣接しながらも遮断され孤立していたスロヴェニアにおいて、ぺリハンは意図的に孤立し情報機器を介して、受信される情報の差異や格差を冷静に分析しようとした[図5・6・7]。ミクロなレヴェルでの継続的観察は、戦略的正当性にメディアを利用する大国の論理とは異なっている。またぺリハンは、衛星から継続的に送信されるCNNほかマスメディアのニュースフィード、つまり番組として編集されオンエアによって公共化される以前の映像──たとえばスタンバイ中のニュースキャスターの緊張に満ちた面持ちや強迫的に繰り返されるマイク・テスト──に見られる無意識的な持続プロセスに着目するが、そこではメディアの虚構性とともに、つねに形式化によって抑圧されてしまうものが可視化されている。
インターネットは、国籍人種性別に関係なくグローバルな情報発信を可能にしたが、特にブラウザの普及は数多くのネット上の表現を九〇年代半ばから生み出した。ナムジュン・パイクがTVに対してかつて実験的行為を繰り返したように、この新たなメディアをコンセプチュアルにハッキングしていく実験的作品が最初の二、三年多く製作された。中でも旧東側諸国においてこのメディアが情報発信の手段として普及したのは状況的な必然性によるだろう。ベオグラード出身でリュブリアナのLjudmilaの中心的メンバーでもあるヴック・チョーシッチは、その代表的なひとりである。考古学を学んだチョーシッチは、インターネットに潜むさまざまなコードやシステムを新たな〈地層〉として探索する。たとえばネットのリンク機能を利用し、画像が切り替わる度に各地のサーバーへとリンクされループする「Refresh」、動画をアスキーコードに変換して見せていく一連のアスキーアート(ヴィデオや写真としても展開)など、ローテクであるがゆえに諧謔に満ちたプロジェクトを展開している[図8]。また同じくLjudmilaのルーカ・フレイリ、モスクワのアレクセイ・シュルギンやZKMのヴァルター・ファン・デア・クリューセンなど他のネット・アーティストとのコラボレーションも始められている。
ハンガリーを拠点に活動するグループEastEdgeは、モルナー・ダニエルはじめ主要メンバーがユーゴ国境に近いセゲド出身であり、西洋の〈東端イーストエツジ〉としてのマージナルなアイデンティティを掲げている。九〇年代半ば、モルナーが一六才の時に結成されたこのグループは、コンピュータ・プログラミング、DJ、電子出版などアンダーグラウンド・シーンで活躍していたが、九七年にブダペストのc3の支援で開始されたウェブキャスティング(インターネット放送)プロジェクト「Pararadio」[図9]で世界的に注目された。昨年には資生堂CyGnet(ネットギャラリー)のために新プロジェクト「タイレル・ハンガリー」[図10]を発表、ミームや遺伝子操作による世界制覇をもくろむ謎のハイテク企業という設定は、資本主義とインターネットによる情報操作の加速がユーザー自身の欲望によってもたらされるという仮想的ディストピアを提示している。
「知とは本来、軍事的な知でないかぎり総じて開かれたものであって、原則的に誰のものでもなかった」とフリードリッヒ・キットラーは述べているが、彼らがアメリカが主導権を握るインターネット・ビジネスおよび情報管理(マイクロソフトによる支配、プロテクト・モード、ウェブTV、情報検閲、MP3に代表される著作権保護の流れなど)に対抗し、インターネットを個人の発信メディアとして奪回しようとしていることは明らかである。Linuxに代表されるオープンソース環境、フリーウェアに向けての動きは、企業や国家という枠組みではなく、個々人の嗜好性やスキルがネットワークにより結ばれることで良質のソフトウェアや創発的プログラムがコラボレーティヴに生まれ発展していくという、新たな〈知〉への転換可能性を示している。
インターネットはまたそれぞれ動機や活動は異なるものの方向性を共有する個人やグループのゆるやかなネットワーク──これまでに存在しえなかったヒエラルキーも中心もないネットワークされた〈情報身体〉──を形成しはじめている。マスメディアへの批判的オルタナティヴとしてのウェブキャスティングにおいても、九八年以降世界各地の発信者──Pararadio、Ozone(リガ、ラトヴィア)、RIS(Radio Internationale Stadt、ベルリン)、Radio Qualia(オーストリア)──たちによるネットワークXchangeが発生している。ウェブキャスティングは、特に情報が統制されている国、また戦争などの緊急時においてはライフラインとして機能する。電波の届かないところでも情報の送受信が可能なインターネットや反対に短波のデータをインターネットに載せるなど、複数のメディアによって情報をリレーすることで、情報は拡散可能となる。ぺリハンは、短波やインターネットのオルタナティヴとしてインディペンデントな人工衛星を介在させたネットワークの構築を提唱しているが、それは国別の電波法を超えたグローバルな情報そして知の共有化を意味するものである。

5──コンソール内のマルコ・ペリハンと受信画像

5──コンソール内のマルコ・ペリハンと受信画像

6──コンソール内のマルコ・ペリハンと受信画像

6──コンソール内のマルコ・ペリハンと受信画像

7──コンソール内のマルコ・ペリハンと受信画像

7──コンソール内のマルコ・ペリハンと受信画像

8──ヴック・チョーシッチ URL=http://www.vuk.org/ascii/

8──ヴック・チョーシッチ
URL=http://www.vuk.org/ascii/

9──EastEdge《Pararadio》 URL=http://www.c3.hu/para/

9──EastEdge《Pararadio》
URL=http://www.c3.hu/para/

10──EastEdge《タイレル・ハンガリー》 URL=http://www.shiseido.co.jp/s9808trj/realimdex.html

10──EastEdge《タイレル・ハンガリー》
URL=http://www.shiseido.co.jp/s9808trj/realimdex.html

V.

冷戦後、そしてユーゴ内紛時においてメディエーターとしての機能を果たしたのが、特にアムステルダムを中心とするアクティヴィティである。具体的には、Press NowをはじめとするNGO、またDe Waag(Society for Old and New Media)やDe Balieなどのメディア・文化・政治センター、そしてインターネット上のアクティヴィティを推進するDigitalCity(コミュニティ)やXS4ALL(プロヴァイダー)などの組織である。すでに八〇年代より旧ユーゴほか東側諸国のアンダーグラウンドシーンやアーティストたちと交流を持ってきたヘアート・ロフィンクをはじめとするメディア関係者たちは、アムステルダムの地域的特性としてのボトムアップ的な戦略的メディア──自由ラジオ、海賊TV、NGO──のメソッドを紹介することで自由な情報発信を支援してきた。これは近代的市民国家としての実績、つねに移民や難民など多様な人々を世界中から受け入れることで自らをアイデンティファイしてきたオランダならではのメディア戦略でもある。
旧西側のメディア関係者が東側諸国や紛争地域とのネットワークを媒介するという状況は、その立場がいずれの国や地域の利害も超えて中立的であろうとする理由による。ブリュッセルに代表されるEU的な西側メディア戦略ともソロス財団による社会・文化戦略とも距離を置き、中立的立場を維持しつつ、時にはそれらと連携しあうことによって推進されるこれらの動きは、多種多様なものの差異を認めつつそれぞれが機能し合うというフレキシブルなネットワークを形成している。
また九〇年代半ばよりインターネットのメーリングリストが、グローバルなディスコースを実現したことも忘れてはならない。ヘアート・ロフィンク、ピット・シュルツらにより九五年に開始されたnettimeは、彼らのいう「ネットクリティシズム」を推進する媒体であり、また旧東側諸国のメディア関係者のコミュニケーションを促進するものとして、アンドレアス・ブレックマンやインケ・アーンズによるSyndcate(一九九六―)、キャシー・ラエ・ホフマン、ディアナ・マッカーティらによる女性のメディア関係者のネットワークfaces(一九九七―)などがある。またウィーンではメディア・アーティスト、コンラート・ベッカーが主宰するPublic Net Baseが九〇年代半ばよりメディア・アート、アクティヴィティのオリジネーターとなり、ベルリンではブレックマンらによるメディア関係者のイニシアティヴ、Mikroが昨年より始動している。
このようなインディペンデント・アクティヴィティとメディア・センター(V2_Organisatie、De Waagなど。これらもアーティストの自主的なアクティヴィティを起点とする)との相互協力は、オランダにおいて頻繁に行なわれている。アムステルダムのDe Waag、De Balieほか、ロッテルダムのV2の同時開催として行なわれる戦略的メディアのためのコンフェレンス「Next 5 Minutes」(今年三回目が開催された)はその代表格であり、世界中からメディア・アクティヴィスト、アーティストが集結して意見を戦わせる場となっている。
そしてこのような流れは、現在ヨーロッパのメディアシーン全般を巻き込んでまさに現在進行しつつある。ZKM、AECなど、またV2、c3、ル・フレノア(フランス)などのセンターは、約二年前から共同プロジェクトやアーティスト・エクスチェンジなどを積極的に実施しはじめている。またここではデジタル・アーカイヴにおける連動も差し迫った課題として検討されはじめている。社会背景やシステムの違いを尊重しつつ複数のセンターがコラボレートしていく方法は、エージェント理論における「コレクティヴからコネクティヴへ」のシフトの実現として、注目すべきものである。このような連携は、現在ヨーロッパのみならずグローバルに広がりつつあり、またそのモデルを提供しつつあるといってよい。
このような中、それぞれのメディア・センターも変わりつつある。AECはここ二年、ウェブキャスティング、メーリングリスト関係者、批評家、アクティヴィスト、ハッカーなどが集まるオルタナティヴな場を「OpenX」として提供することで、異質なもののインタラクションによる新たなコミュニケーション回路を開こうとしている。ZKMでは、今年からディレクターに就任したペーター・ヴァイベルの方針によって、博物館的情報収集・集積機能から空間を超えた情報とテレコミュニケーションへの比重を高めつつあり、現在「ZKM On-Line」プロジェクトが構想されている。
西ヨーロッパのメディア・センター、中東部ヨーロッパにおけるソロス財団、旧東側諸国とネットワークを結びつつアメリカ型情報独占主義に拮抗しインディペンデントな介入を試みるオランダやドイツ、オーストリアのネットアクティヴィティ。そして東西ヨーロッパを超えてグローバルな広がりを見せるネットワーク。コンピュータ、テレコミュニケーション・テクノロジーが異質のものを相互流通させることによって新たなディスカーシヴな〈知〉が現われている。それはデジタル・メディアのコミュニコロジーが、既存の体制、機構、システムに代わる増幅するネットワークとして生み出す運動である。これこそがグローバルに拡散しつづける多様な情報分身としての〈ポスト・バウハウス〉と呼べるのではないか。

11──ベルギー国境に近いトゥールコワンに設立された、科学・芸術・技術の融合をめざす先鋭的な教育プログラムを特色とするル・フレノワ(国立高等芸術学校)。1学年24名の少数精鋭教育を行ない、次世代の新技芸創造のヨーロッパにおける拠点となりつつある。(伊藤俊治) 写真=溝口真一

11──ベルギー国境に近いトゥールコワンに設立された、科学・芸術・技術の融合をめざす先鋭的な教育プログラムを特色とするル・フレノワ(国立高等芸術学校)。1学年24名の少数精鋭教育を行ない、次世代の新技芸創造のヨーロッパにおける拠点となりつつある。(伊藤俊治)
写真=溝口真一

>四方幸子(シカタ・ユキコ)

東京造形大学特任教授、多摩美術大学客員教授、IAMAS(国際情報科学アカデミー)非常勤講師。キュレーティング、批評。

>『10+1』 No.17

特集=バウハウス 1919-1999

>バウハウス

1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グ...

>ヘアート・ロフィンク

1959年 -
編集者、ジャーナリスト、メディア理論家、メディアクティヴィスト。